NPO法人ゆいまーる琉球の自治

特定非営利活動法人ゆいまーる琉球の自治における「自治」は、次のような後藤新平の自治の考え方に基づいています。 「人間には自治の本能がある。この本能を意識して集団として自治生活を開始するのが文明人の自治である。」 「自治を単に官治的地方自治に限るものとしてはならない。各種の職業組合ももちろん、自治でなけらばならない。」 「自治は、共助によって完全に行われなけらばならないものであるから、自治的精神は、また共助的精神として現われる。」 官治的法制度が上から琉球に適応されれば自治が実現するのではなく、自治的自覚を有する琉球の人間が自治の担い手であり、ゆいまーる(共助)によって自治を各地域において自ら作り出すことが重要であると、本NPO法人では考えています。 琉球の各島々においてこのような自治が実現することで、各島嶼は対等な関係となり、アジア太平洋地域とも自治的精神に基づいた関係を持つことができます。 地域の人間が発展の主体となり、地域の文化、歴史、自然、慣習等に基づき、島外からの新知識を選択的に活用しながら、諸問題を解決していくという内発的発展も人々の自治によって成し遂げることできます。 NPO法人の諸活動についてのご意見、ご感想、NPO法人への加入の意思等がありましたら、メールにてお伝えください。 e-mail: matusima345@yahoo.co.jp

プロフィール

松島 泰勝(まつしま やすかつ)

Author:松島 泰勝(まつしま やすかつ)
1963年石垣島生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。その後、東京、グアム、パラオ、沖縄島、静岡、京都、滋賀にて学び、働き、生活する。

那覇中学・那覇高校卒業。東京狛江市の南灯寮で4年近く生活。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。早稲田大学大学院経済学研究科博士後期課程履修単位取得。早稲田大学から経済学の博士号を取得。

在ハガッニャ(グアム)日本国総領事館、在パラオ日本国大使館専門調査員、東海大学海洋学部海洋文明学科准教授を経て、現在、特定非営利活動法人ゆいまーる琉球の自治の代表、龍谷大学経済学部国際経済学科教授。

著書に『沖縄島嶼経済史―12世紀から現在まで』
『琉球の「自治」』(ともに藤原書店)
『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』早稲田大学出版部がある。

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400年目の鹿児島県、沖縄県の交流拡大宣言の問題性 2

前利さんから鹿児島県、沖縄県の交流拡大宣言の現場写真と解説が届きましたので、ご紹介します。

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抗議運動があることがわかって、急きょ立てられ
たらしい看板です。背後が、奄美パーク。

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これも普段は行なっていない、奄美パーク側
による、入館者のチェックです。

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非常に物々しい感じがします。(松島)

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駐車場で抗議団による作戦会議。奥が奄美パーク
入口。

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奄美パークは前の大学にいたとき、何回か学生たちと一緒に行ったことがあります。その当時は、なぜか宮崎みどりさんが館長でした。(松島)

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鹿児島県警の2人。私服も10名ぐらい、いたそうだ。

ゆいまーるの集いin 平安座島 4

昨日、夜遅く大分から戻りました。別府湾を見渡せる雄大な場所に立命館アジア太平洋大学があり、そこで開催された国際開発学会に出席してきました。特に、内発的発展に関する議論の盛り上がりに大変関心を持ちました。

私も今後、内発的発展論の中味の構築にさらに意欲を持ちました。お久しぶりに西川潤先生、勝俣誠先生にお会いし、色々とお話ができ嬉しかったです。またパラオ研究をされている廣瀬さんともお話ができてパラオのことなどを聞くことができ感謝しています。

開発学会は2007年の沖縄大会以来の参加となりますが、今回も西川先生が情熱的に、内発的発展について主張し、各参加者と議論していたことが大変、印象に残っています。学問に対する厳しさを改めに実感しました。

本学会の中で私が代表をつとめる「島嶼社会の振興開発と内発的発展」という研究部会の設立が認められましたので、今後、活発に琉球、太平洋諸島を中心とする島々の内発的発展と開発の研究をもりあげて行きたいです。

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12日の那覇での交流会の模様です。
右から前利さん、石坂さん、海勢頭さんです。今回の集いは海勢頭さんの大変お世話になりました。心より感謝申し上げます。

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左に新元さんが写っています。今回も船で奄美大島から来られました。琉球の海は大変荒れていたので、船の上で焼酎を飲んできていましてので、このときにはすでに「出来上がって」いました。いつもの新元さんのように大変、陽気で楽しかったです。

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左の方は神戸から参加された坪谷さんです。海勢頭さんと一緒に絵本を作る予定の方です。今回の集いではじめお会いしましたが、琉球に何度も足を運び、灰谷健次郎さんとも仕事をこれまでされてきた方です。穏やかな心やさしい方でした。

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左から、川満さん、高良さん、真喜志さん、新元さん、藤原洋亮さん、坪谷さんです。琉球を代表する発言者、思想家の方々がこの夜は集まって、琉球の自治について議論いたしました。琉球の諸先輩方々からどんどん、良いものを吸収していきたいと思っています。

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左から藤原社長、平さんです。社長はいつものように大変パワフルで、今回の集いも活気あるものになりました。平さんは宮古島出身であり、現在、イリノイ大学の名誉教授です。長く、琉球の独立を主張してこられたからです。私も沖縄タイムス紙上において昨年、書簡交換という形で議論をさせてもらいましたが、今回、高良さん、川満さんのご考慮により、平さんと初めてお会いすることができました。冷静な、落ち着いた語り口でしたが、重みのある言葉が今でも耳に残っています。

ゆいまーるの集いin 平安座島 3

今日は学会参加のために大分に来ています。小倉から大分に移動しましたが、北九州という看板をよくみました。
前利さんから送っていただいた、ゆいまーる会議の写真です。前後しますが、ご諒解お願いします。

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私たちが泊まったホテルです。港の近くにあり、ホテルからチェックアウトする時にはホテルの方からお土産を頂戴しました。


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ホテルの前の港です。漁船が停泊していました。平安座島は昔からウミンチュの島でした。

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雲が神々しく見えます。


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ホテルの背後に森がありますが、その後ろに石油基地があります。空から見ると集落と、石油タンクが非常に対照的でした。参加者はホテルでは集いの後も、部屋で話し合いが続き交友を深めていました。

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この石碑をみると、かつて平安座島、宮城島、勝連半島を中心にして、石油備蓄基地(CTS)に反対する金武湾闘争が展開されたことを思い起こします。開発側は、この施設によって、金武湾地区のみならず、琉球全体が大きく発展すると主張していました。

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ホテルのショーケースに展示されていた貝です。島のウタキにも貝が置かれており、海勢頭さんもゴホウラ貝の琉球・日本間の移動から古代史を解読しているように、島の方が貝に寄せる思いの深さを思いました。

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多様な貝があり、その美しさは見ていてもあきません。琉球ではスイジガイが魔除けに使われ、夜光貝が装飾品として加工され、宝貝が貨幣として中国にもたらされるなど、島の生活にとってなくてはならないものでした。




400年目の鹿児島県、沖縄県の交流拡大宣言の問題性

鹿児島にある出版社、南方新社の向原さんが出された次のメールと、「沖縄・鹿児島連携交流事業」における「交流拡大宣言」の中止を要求する要請書を掲載します。




奄美に心寄せる皆様

今日と明日だけのお願いです。名瀬の友人からお知らせするように、という要請がありました。

1609年、薩摩島津氏による奄美琉球侵略から400年。奄美の島々が植民地支配におかれ塗
炭の苦難を受けてきたことを知らぬものはいません。それは、過去の話ではなく今に続く問題で
す。

そのような中で、鹿児島県知事と沖縄県知事は、400年を節目とした「沖縄・鹿児島連携交流
事業」の一貫として「交流拡大宣言」を奄美大島で行おうとしています。
おそらく宣言に「過去の不幸な歴史」の一文は入ると思われますが、それで済むものではありま
せん。
11/21(土)15:00より、於:奄美パーク。現地では、激しい抗議行動が想定されます。

鹿児島県庁は、今現在に至るまで、一切その中味を明らかにしていません。新聞テレビなどでも、
ほとんど告知されていません。私たちは、このような計画があることを知り、急きょ、「なんら
歴史の総括もせず、交流宣言とは何事か!しかも、奄美の地でやるなど言語道断!」という中止
要請を昨日11/18(水)に鹿児島県知事に行い、緊急記者会見をしました。

しかし、鹿児島県は強行する姿勢を、今現在崩していません。

「交流拡大宣言」はするな!と言う、抗議メールを以下にお願いします。出来れば、お知り合い、
メーリングリストにも流していただければありがたいです。

鹿児島県総務部県民生活局生活文化課 
メールアドレス:seibunka@pref.kagoshima.lg.jp  ファックス:099-286-5537 
宛名は鹿児島県知事 伊藤祐一郎 です。

沖縄県知事公室広報課 kouhou@pref.okinawa.lg.jp
宛名は沖縄県知事 仲井眞弘多 です。 

昨日提出した要請文を添付します。宜しくお願いします。

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図書出版南方新社
向原祥隆
〒892-0873鹿児島市下田町292-1
TEL099-248-5455
FAX099-248-5457
info@nanpou.com



2009年11月18日
鹿児島県
伊藤祐一郎知事 様

「沖縄・鹿児島連携交流事業」における
「交流拡大宣言」の中止を要求する要請書

                    「交流拡大宣言」の中止を要求する奄美の会
代表 仙田隆宣
鹿児島市坂元町38−3

他賛同団体
中止を要求する喜界島の会
中止を要求する大島の会
中止を要求する徳之島の会
中止を要求する沖永良部の会
中止を要求する与論の会
中止を要求する鹿児島住民の会
中止を要求する沖縄住民の会
中止を要求する関東住民の会

1【項目】

私たちは、「沖縄・鹿児島連携交流事業」における「交流拡大宣言」の中止を断固として要求します。

2【理由】
11月21日、鹿児島県知事と沖縄県知事による「沖縄・鹿児島連携交流事業」が行われると聞いています。

しかし、島津軍による武力侵略から400年の今年、奄美の地でそれがなされることには深い違和感を覚えざるをえません。

1609年の琉球侵略に伴い、奄美の島々は琉球国の領土から転じて、薩摩藩の隠された直轄地となりました。明治期に鹿児島県に編入されてからも米軍政下の8年間を除いて現在に至るまで、この奄美が本土統治下に置かれ、差別と収奪の対象にされていたと見ることができます。

私たちは、加害者と被害者の立場の違いによって歴史の評価は大きく異なることを学んできました。
 為政者側からの歴史は、徳之島犬田布(1864 年)において無実の罪で拷問された「為盛」救出が「騒動」であり、母間(1816年)において無実の罪で投獄された「喜久山」救出と薩摩藩直訴もまた「騒動」でしかなかったのです。

 斉彬の近代化政策とは奄美の人々を酷使し、餓死させた政策であり、これを推進した行政改革者・調所広郷の改革とは大阪商人からの500万両の借金踏み倒しと偽金作り、密貿易、奄美諸島の民衆を奴隷と化した黒糖収奪でありました。今の時代なら極刑であります。しかし、斉彬と調所は薩摩のヒーローとして鹿児島の歴史学者は賞賛しています。

 薩摩の奄美・琉球侵略を「不幸な歴史」と精算し、過去の歴史を隠蔽し、蓋をすること、謝罪すべきことを「交流」と称し、奄美を愚弄することを奄美の民衆は許すことはできません。

 今、やっと奄美の人々が言葉を発する時代(とき)が来たと、私たちは考えてきました。そこへまたもや亡霊のように薩摩と琉球が立ちはだかるとしたら、我々の先祖は地の底から這い上がり、きっとこう叫ぶでありましょう。

「武器を持たぬ豊かな恵みの島を襲った島津軍、黒糖地獄、あの苦しみを忘れろと言うのか!餓死した同胞は今も山中に、海岸に骸となってさまよっているのだ!今もなお薩摩代官のごとく島ん人を見下す輩がいるのがみえないのか!哀しいことだ・・・」と。

 薩摩の奄美・沖縄侵略を契機に奄美の人々のアイデンティティは末梢され、「薩摩であって薩摩でない、琉球でなくて琉球の内」として扱われてきました。

 明治の世、黒糖は自由売買の世になりましたが、鹿児島商人(大島商社等)は専売によって暴利を貪ってきました。そして、自由売買嘆願の一行は投獄され、一部の人々は西南戦争へ従軍。疲弊した奄美は、県議会によって「離島で文化も違う」と異端視して切り離され、屈辱的な差別政策である「大島独立経済」を強いられてきました。

さらに敗戦後、奄美の島々は米軍統治となり、1953(昭和28)年12月25日、やっと我々は薩摩侵略以来の自由を取り戻したかに見えました。しかし、これも鹿児島の官僚政治で、奄美群島振興開発特別措置法という鹿児島県と本土企業の利権を誘導するための事業と化し、奄美の貴重な自然を食い物にするだけの形を変えた植民地政策となっています。こうしたアメとムチの時代がまたもや奄美を沈黙させているのです。

薩摩と奄美は永遠に「侵略、略奪」する側と「奪われ、生殺与奪の牛馬のごとき」関係でしかないのでしょうか!

しかし、奄美の人々は島人(シマンチュ)としての誇りを捨てることはありませんでした。私たちは、長い苦難の時代にあってもシマの生活と文化を守り、誇りを失わずに歩みを止めなかった先祖を尊敬し続けてきました。

それ故、私たちには、絶滅寸前であるといわれている奄美の島々のシマグチやシマウタなどを始め、文化や歴史、自然まるごと奄美のアイデンティティとして継承する義務と責任があります。今、薩摩に同化されることはそれらを失うことになります。

私たちと志を同じくする「三七(みな)の会」は、こうした意志を表明するため、本年9月、鹿児島県議会に「郷土教育に関する陳情書」を提出し、鹿児島県と奄美に係わる歴史教育の必要性を促しましたが、継続審議となりました。

奄美侵略400年を機に、鹿児島県でも奄美に対する歴史の検証と総括、これからの歴史教育への取り組みを含め、真摯な取り組みが開始されるものと期待していました。

鹿児島県民の中で、奄美と薩摩の過去の歴史を知るものが、果たして何人いるでしょうか。鹿児島県知事は、その歴史を語ることができるでしょうか。

鹿児島県及び鹿児島県知事は、2009年の今回の計画において大きな過ちを重ねようとしています。それは、第一に、鹿児島県民に奄美との歴史を広く知らしめる責にありながら放置していること、第二に、その歴史と現実を「沖縄・鹿児島連携交流事業」という美名で隠蔽しようとしていること、そして、このイベントを今日、現在においてすら奄美の住民に告知せず、開催しようとすることなどであります。

奄美と鹿児島県との歴史を語らず、逆に奄美の住民感情を黙殺するに等しい計画に対して、私たちは、400年前の1609年、島津藩の奄美侵略によって数百名余もの命が奪われた先祖の無念を思うとき、「無神経にも程がある!」「恥知らず!」と言葉を投げかけるほかないのです。しかも、こうした歴史に目を閉ざし、それらの歴史的事実がさも無かったかのようにして、この計画を奄美の地で行うなど、言語道断であり、これは時期尚早という以前の問題であります。

なぜなら、今日に至るまで奄美と鹿児島県との400年間の歴史認識(検証と総括)の問題はなに一つ解決されていないからであります。

このようなことから、私たちは「沖縄・鹿児島連携交流事業」における「交流拡大宣言」の中止を断固として要求します。

ゆいまーるの集いin 平安座島 2

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原油の精製部門は廃止され、多くの従業員もリストラされました。当初は、石油化学コンビナートを建設することで、琉球の経済を大きく飛躍させるという開発計画を経済学者等が示しましたが、夢ものがたちに終わりました。

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川満信一さんと、17日にお会いした時に、タンクの上に太陽光発電パネルをおいて、代替エネルギー開発の象徴的拠点にしたらどうかと、提案していました。

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平安座島と勝連半島を結ぶ海中道路が見えます。最初、島の方々が手作業で海中道路を造っていましたが、台風などで困難を極めていた時に、アメリカの石油資本であるガルフが石油備蓄建設と交換条件で海中道路の建設を行いました。現在は、道路も拡張され、海中道路の真ん中には海の駅もあります。

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私は大学院生時代、何回か、現代琉球の開発の原点ともいうべきCTSを歩いたことがあります。タンク、精製工場をみて、開発とは何かを考えながら、歩きました。そのころはまだ現在のように「立派な」道路ではなく、干潮になった海に降りて歩きました。

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勝連半島です。琉球の英雄、アマワリの居城である勝連グスクがあります。高良勉さんのご説明でグスクを歩きました。重要なウタキがいくつかあり、グスクが琉球人の信仰の拠点であったことがわかります。沖縄島の南北を見渡せる地理的な有利性も、実際に自分の目で確認することができました。


ゆいまーるの集いin 平安座島 1

皆様


無事、第6回ゆいまーるの集いが終了しました。これも平安座島を初めとする島々の皆様のおかげであると深く感謝いたします。

前利さんから送ってくださった写真です。
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沖縄島山原にある、海水を引き上げて発電する装置です。山原の自然に人工的に池を造っており、非常に不自然な印象を与えています。

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ヤンバルのダムでしょうか。奥間ダムの建設が中止となりました。ヤンバルは沖縄島の「水がめ」と言われており、これまで次々とダムが造られてきました。

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伊計島です。今回は、雨が降り、途中で予定変更などもありまして、伊計島をめぐることはできませんでした。私が8月に伊計島に行ったときには、以前、無料で自由に入れた観光施設が料金制となり、Uターンして引き返しました。

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宮城島が見えてきました。「ぬちまーす」があります。今回は、初日と最終日の2回、ぬちまーすに行きました。お客さんが一杯で、最終日には社長の高安さんからじっくり、これまでのご苦労と、常識を破る発想をお聞きして、大変、勉強になるとともに、励まされました。

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宮城島と平安座島とをつなぐような形で埋立地がつくられ、その上に石油タンクが敷き詰められました。今回は、平安座島のウタキを見学する途中で、石油基地の中を車で走ることができました。石油基地内にはほとんど人もおらず、方向表示もなく、道に迷いましたが、そのおかげで、じっくりと、石油の島を見ることができました。また、石油の臭いをかぐこともできました。拠点開発は島の発展に役立たないということを、あらためて実感しました。

今日から琉球に行ってきます

今日から琉球に行ってきます。
今日は、那覇で明日から始まるゆいまーるの集い準備会合を開き、
明日から集いが始ります。

最近、米軍によるひき逃げ事件が読谷村で発生しました。日本本土のマスコミはほとんど取り上げません。現地とは大変な認識や感情の落差があります。

また、今琉球では基地の琉球内移設に反対する運動が活発化しています。

島の人々の声を真剣に聞いて、ともに琉球の自治について考えていきたと思います。



第6回「ゆいまーる」の集い in平安座島
日程: 2009年11月13日(金)〜15日(日)
場所: 平安座島
会場: 平安座自治会館

宿泊: 観光ホテル平安

主催: NPO法人ゆいまーる琉球の自治、後援: ひやむぎ文化研究会
 スケジュール

11月13日 海勢頭さんの案内で風光明媚な勝連グスク、浜比嘉島、平安座島、伊計島、宮城島を訪ねる、古代琉球開闢の遺跡めぐり。
午後6時頃からホテル平安で交流会。

11月14日 朝9時より平安座自治会館にて。               (敬称略) 

<発言者>
金城実(彫刻家、浜比嘉島出身)平安座島と浜比嘉島の漁民による浮原島漁業権争い顛末記。
仲程昌徳(琉球大学名誉教授、文学博士。うるま市赤野出身)詩人:世礼国男論
奥田良正光(元与那城村長、平安座島)平安座の歴史、海中道路と石油基地。

新里米吉(沖縄県議会議員、平安座島出身)平安座のバレーボールの歴史。
謝名元慶福(劇作家、平安座島出身)平安座から生まれた「島口説」や「海の一座」の誕生秘話。
玉栄章宏(エコ運動家、平安座島)現在の平安座の活性化に向けた「大バンタ」復元の夢。

高安正勝(ぬちまーす社長、うるま市具志川出身)製塩にかけた思い、そして宮城島に拠点を移した思い。

海勢頭豊(音楽家、平安座島出身)平安座に生まれて始まった古代日本の謎解きの旅。
夕方18時頃から自治会館大ホールにて歌を聴きながら大交流会!
差し入れ歓迎。会費2千円。

11月15日 午前中、自治会館にて集いを行い、正午解散
 宿泊施設

観光ホテル平安、〒904-2426 沖縄県うるま市与那城平安座2421-1
Tel 098-977-8230 Fax 098-977-8019、歯ブラシ・タオル・パジャマつき
1泊朝食付き4800円〜(シングル5500円、バストイレ共同であれば4400円。ツインは一人4500円、

バストイレ共同であれば一人3400円)
 問い合わせ:松島泰勝(090-9180-8778、matusima345@yahoo.co.jp)
 申込先:本集いへのご参加、ホテル宿泊の申込については、
藤原洋亮(03-5272-0301,yosuke@fujiwara-shoten.co.jp),または松島泰勝までお願いします。

民主党大阪府総支部連合会への申し入れ書

辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動から送付された民主党大阪府総支部連合会への申し入れ書をご紹介します。

書かれたのは、ゆいまーるの集いにご参加くださっている西浜さんです。
大阪行動の方々は8日に大阪で琉球内の基地移設に反対する集会を開き、デモを行いました。




2009年11月10日
民主党大阪府総支部連合会
代 表 樽床伸二 殿

辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動

〒540−0038 大阪市中央区内淡路町1−3−1
シティコープ402 市民共同オフィスSORA内
電話:06−7777−4935
FAX:06−7777−4925

要 請 書

日頃のご活躍に敬意を表します。
私たち「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」は、沖縄県名護市の辺野古に計画されている新基地建設を絶対に止めようと、2004年8月より活動している市民運動団体です。毎週土曜日の午後3時30分から5時までJR大阪駅前でビラくばり、署名・カンパ活動を継続しており、その行動は先週11月7日で第274回を数えています。

この間に集まったカンパ額は3,287,278円、寄せられた署名は38,182筆におよび、過去6回にわたって近畿中部防衛局に署名を提出して、建設中止にむけた交渉を積み上げてきました。

 さて、市場原理第一主義の結果、格差と貧困を拡大させた自公政権に変わって、去る9月16日に鳩山連立政権が成立しました。多くの国民は生活者を第一に考える鳩山政権の姿勢に支持と期待を寄せています。

そして、過去64年間にわたって基地の過重な負担に苦しんできた沖縄の民衆も、鳩山由紀夫首相の「最低でも県外」との公約に、大きく胸をふくらませました。

 ところが、その後の新閣僚の発言に沖縄は翻弄されています。9月25日、鳩山首相「県外へとの考えを変えるつもりはない」、9月26日、北沢防衛相「新しい道を模索するのは難しい」10月3日、前原沖縄担当相「辺野古が本当に進むのか疑問」

10月7日、鳩山首相「発言が変化する可能性は否定しない」10月8日、鳩山首相「(容認とは)一言も言っていない」「いろんな選択肢の中で県民が理解できる着地点を」10月19日、鳩山首相「他の選択肢があるかないか含め米政府と相談」

10月22日、岡田外相「なぜ今のプラン(辺野古)なのか納得できない」10月23日、岡田外相「県外は事実上考えられない」「嘉手納しか残された道はない」10月24日、鳩山首相「最後は私が決める」10月27日、北沢防衛相「日米合意は公約違反ではない」という次第で、まさしく日替わりメニューです。

沖縄の民衆を愚弄するのもいい加減にしてほしいと声を大にして叫びたくなります。こうした目眩ましの中でも本音が見え隠れしています。すなわち、岡田外相は私案としながら「過去に検証されたもの(嘉手納統合案のこと)を再度行うことは、勘の良い人は『県外はない』と気付いたのではないか」(10月27日)と発言し、北沢防衛相は2,000日を越える座り込みが辺野古でおこなわれているのを知りませんでした。

「コンクリートから人へ」を掲げる政権の閣僚であれば、少なくとも現地を訪れ、ジュゴンが住むちゅら海と称される美しい自然環境をしっかりと目視した上で政策提起をすべきでありましょう。

 「普天間の移設先をどこにするのか」との報道が連日報じられていますが、この表現は間違いです。辺野古に計画されている基地は普天間の代替ではなく、新基地の建設なのです。アメリカは1966年からこゝに基地を建設するプランを持っており、米軍再編によってこゝが再浮上してきたものです。日本政府が建設費を負担してくれるからです。

1996年4月の普天間返還合意から13年7カ月が経過しても事態の進展が見られないその根本原因は、県内「移設」に拘泥することによります。世界一危険と言われる普天間基地の即時閉鎖と、辺野古新基地建設を中止することが最も現実的な解決法です。

 沖縄の民意は明らかです。嘉手納統合案に反対する嘉手納町民は11月7日、人口1万3,942人(2009年9月末現在)の町で2,500人が参加して「米軍普天間飛行場の嘉手納統合案に反対する町民大会」を開催しました。

また、翌11月8日には宜野湾市で「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」が
2万1,000人の参加で開かれました。名護市長選挙の結果を待つなど全く必要ないのです。

 さらに、10月31日、11月1日の両日、琉球新報と毎日新聞共同で実施された世論調査が直近のものですが、〇辺野古への「移設」に反対が67.0%、賛成19.6%、〇普天間基地を県外か国外に移設するよう米国と交渉するが69.7%、〇在沖米軍基地について、整理縮小すべきが52.1%、撤去すべきが31.4%で計83.5%、現状のままでいいが11.8%というように、沖縄の民意は明らかです。

 こうした沖縄の民意を背景に、鳩山連立政権は方針を決定すべきです。それは普天間基地の即時閉鎖と、辺野古新基地建設の中止以外にあり得ません。 

貴大阪府総支部連合会は、党本部ならびに鳩山連立政権に対しこの方針こそが民意に沿うものであることを進言するべきです。

以 上

米軍基地の琉球内移設反対集会

11月9日の琉球朝日放送が米軍基地の琉球内移設反対集会について報じていましたので、お伝えします。

鳩山さんに言いたい。琉球人との約束(マニフェスト)を守ってください。守らないと「民主党も同じか」になり、政府に対する不信はますます高まります。



このままでは普天間の移設問題が「県内」で決着してしまうかもしれない。会場に収まりきらない程の人が、きのうの大会に足を運んだ背景には、この危機感がありました。

「参加者2万1000人(主催者発表)」


伊波洋一宜野湾市長(大会共同代表)「私達は決して諦めません。今、世界のどこにこれほど長期間、外国の軍隊が駐留して、駐留先の国民に被害を与えている地域がありますか?」

翁長雄志那覇市長(大会共同代表)「私も保守・革新の枠を飛び越えて一歩を踏み出しました。普天間基地移設問題について、名護市長選挙の結果を見て判断するという主張は言語道断である。名護市民に何度踏み絵を踏ませるのか!」

その名護市を代表して、大会であいさつした渡具知武清さん。

渡具知さん一家は基地建設に反対するため、毎週土曜日、キャンプシュワブのゲート前に立ち続けています。活動はことしで6年目に入りました。

渡具知武清さん「もうちょっと今の政権もはっきりものを言えるように、そういう形で私達も地元の声を届けるためにこういうことを続けている」

渡具知武龍くん「自分が生まれた場所の海に、基地が作られて破壊されるのは嫌です」

名護市民が、辺野古への基地移設反対の意思を示した市民投票が実施された1997年に生まれた武龍くん。その純粋でまっすぐな問いかけは参加者の最も大きな共感を得ました。

渡具知武龍くん「大人になると約束したことを守らなくてもいいのですか?鳩山総理!『基地は造らない』はとても大切な約束です!約束は必ず守ってください!」

新政権に対する不安と期待。

参加者「嘉手納統合とか、辺野古に舞い戻るという話はおかしい。そういうことはやめなさいと鳩山内閣に討議を訴える」「今まで数十年間、沖縄の人が訴えてきたけれど、耳も心も貸してもらえなかった。政権交代によって聞いてもらえるのではないかと思う」

大会アピール「小さな島・沖縄にこれ以上の基地はいりません!辺野古への新基地建設と県内移設に反対します!」

民主党連立政権がこの県民の声をどう捉えてアメリカ政府と向き合うのか。大会の共同代表はあすから東京で政府に対し要請行動を展開します。

漂着ごみを燃料へ―鳩間島の挑戦

11月8日の八重山毎日新聞に漂着ごみをエネルギーに変える試みについての記事が掲載されていましたので、お伝えします。

漂着ごみ問題は琉球の島々において大変な問題です。島を歩いても漂着ごみを見ないことはないほどに多いです。島嶼間のごみの輸送・処分は、自治体の財政逼迫状況では大きな負担になります。ごみを燃料に変えるという発想で、ごみを資源に変える試みはパラオでも実施されています。

マイナスをプラスに変える島嶼独自の試みがどんどん広がればいいですね。




鳩間島の焼却炉構内に設置した油化装置で、海岸に漂着した発泡スチロールからスチレン油を抽出し、新たなエネルギーとして使用する「鳩間島・宝の島プロジェクト」の公開実験が7日午後、現地で行われた。

実験では、地域住民や行政、議員などが参加するなか、油化装置を使った発泡スチロールからのスチレン油の抽出や、それを発電機や小型焼却炉の燃料に混ぜて使用するデモンストレーションが行われ、海岸漂着ごみの発泡スチロールの燃料資源としての可能性が示された。

 同プロジェクトは、(社)日本海難防止協会が日本財団の財政支援を受けて企画したもので、地域住民を中心としたNPO南の島々守り隊(浦崎金雄理事長、11人)が主体となってプラントを管理・運営する。

 同島で稼働した油化プラントは、1時間に10キロの発泡スチロールを処理する能力があり、1キロの発泡スチロールから1リットルのスチレン油が抽出される。

 同プラントでは、抽出する3割のスチレン油を内部燃料として使用。残りの7割を外部で燃料として使用できる。軽油などに10%程度を混ぜ、ボイラーや焼却炉、漁船などの補助燃料として使用することが可能。町の焼却炉では、100%燃料として使用できる可能性があると言う。

 同協会の大貫氏は「発泡スチロールから抽出されるスチレン油は漁船や発電機の燃料などいろいろな使い方ができる。島の人々が中心になってこれを使った島興しを考えてほしい。私たちはこれをサポートしたい。鳩間島スタイルを全国に展開したい」と、油化を使った島興しに期待を込めた。

 また、同NPOの浦崎理事長(60)は「これからみんなで意見を出し合い、じっくりと使用方法を考えたい。同じ悩みを抱える島々に鳩間から発信し、そこから視察に来てくれるだけで島が活性化される。いずれは町内全域の発泡スチロールをここで処理したい」と意欲をみせた。

 川満町長も「ごみが資源となり燃料に変わる。産業化や島興しも期待したい。成功すれば県、国も関心を示し、鳩間から全国、全世界に広がる可能性がある」と、今後の展開に期待した。

 同島での社会実験は2010年度までの2カ年間。次年度は、油化原料をペットボトルや漁具などプラスチック類に拡大するほか、車両で移動が可能なコンテナ式の移動プラントの導入も計画されている。

今日、琉球にて基地反対集会

昨日の琉球新報に、今日開催される予定の基地反対集会についての記事がありましたので、お伝えします。新里米吉実行委員会事務局長は、県議会議員であり、14日の平安座島における、ゆいまーるの集いでも発言される方です。

なぜ、鳩山首相、政権の閣僚は政治家として自らの信念を通さないのか。正々堂々と、米国に対して自国民の意思を主張し、交渉すればいいのではないか。閣僚が右往左往していること、米政府が植民地を扱うように日本政府に圧力をかけていることに対して、琉球人は怒っている。

鳩山政権はマニフェスト(国民との公約)を琉球の基地問題に関しても、誠実に守るべきである。

鳩山首相は、琉球人の声をしっかり受け止めて、グアム協定を破棄すべきである。




2009年11月7日 3万人規模の参加を目指す8日の「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」。

沖縄に基地負担を強いる日米安保の矛盾に怒りが噴き出した1995年の県民総決起大会の再現となるか、大会への結集が注目される。新里米吉実行委事務局長は「沖縄の命運を決める重要な時期だ。閣僚のぶれた発言に県民は怒っている」と指摘する。

 「県外移設に県民の気持ちが一つならば、最低でも県外の方向で、われわれも積極的に行動を起こさなければならない」

 政権交代前、衆院選の選挙応援で沖縄入りした民主党の鳩山由紀夫代表は、普天間の「県外・国外移設」を明記した民主党沖縄ビジョン2008に基づき、県外移設に前向きな姿勢を示した。

 沖縄の4つの選挙区すべてで野党候補が当選し、普天間飛行場の辺野古移設反対が県民の総意として示された。

 だが、選挙後の民主党は普天間問題について具体的な言及を避けるようになる。社民、国民新との3党連立協議は沖縄の基地問題をめぐって難航し、最終的に「県民の負担軽減の観点から、日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地の在り方についても見直しの方向で臨む」の文章で決着した。

 鳩山内閣の発足後は、米側の“恫喝(どうかつ)”のような強硬姿勢が強まる。ゲーツ米国防長官は「普天間飛行場の移転なくしてグアム移転の論理は成り立たない」として、早期の結論を要求。岡田克也外相は「県外移設は考えられない状況」と県内移設で早期決着を図る考えを示し、さらに「マニフェスト(政権公約)と選挙中の発言はイコールではない」とまで言い切った。

 「県民の思いを受け止めて、最後は私が決める」と語る鳩山首相。県外移設に含みを残しているようにもとれるが、実際の胸の内は見えない。

沖縄の公共事業費、「49%は本土に」

11月6日の琉球新報に「沖縄の公共事業費、「49%は本土に」 前原沖縄相が実態説明」と題する記事が掲載されていましたので、お伝えします。



琉球のザル経済、植民地経済、砂漠経済については以前から指摘されており、沖縄担当大臣である前原さんが、このような琉球の経済植民地状況を認識していることが分かりました。

公共事業の金額、事業そのものを廃止、減らすだけではなく、現在の公共事業にみられる植民地構造をどのように具体的に是正していくのかが問われています。

島の中で資金が循環するような仕組みを作る必要があります。

琉球側と国側が対等な関係で、問題の対処に当たるべきであり、琉球側から具体的な提案を出し、実行していくことが今、求められています。


私自身の提案は、沖縄協会から発刊されている『季刊沖縄』の最新号に「自治による沖縄県経済自立のための建白書」としてまとめさせていただきました。




前原誠司沖縄担当相は6日午前の参院予算委員会で、「沖縄の公共事業では地元に事業費が51%しか落ちていない。49%は本土に引き上げられている。

いかに地場の業者がなかなか仕事ができず、給与が落ちていない」と述べ、沖縄の公共事業費の半分が本土に還流している実態を説明した。

 倒産する企業が後を絶たない地方の建設業者の実態として沖縄の例を挙げた。脇雅史氏(自民)への答弁。

沖縄戦、米軍占領史を学びなおす―屋嘉比収さんの新刊

昨日、沖縄大学で教鞭をとっている屋嘉比収さんから、『沖縄戦、米軍占領史を学びなおす』世織書房というご著書を頂戴しました。

心よりお礼申し上げます。

屋嘉比さんとは、私が大学院の学生のころから長い間、直接的、間接的にいろいろとお世話になり、影響を受けてきました。

久高島にも一緒に行き、『けーし風』の合評会でも話をさせていただき、シンポ、研究会、個人的なインタビュー等で、屋嘉比さんのお話を聞く機会がありました。

屋嘉比さんは沖縄国際大学で玉野井芳郎さんのゼミ生でした。

あとがきでも「私にとって、先生と出会うことがなければ、ものを考えることの楽しさや苦しみ、そして文章を書くという行為からは遠く離れた位置にあったように思う。・・・・君は沖縄問題についてどう思うか、と最初のゼミで先生から問いかけられうまく応えられなかった質問に、ようやく自分なりに少しだけ答えることができたのをうれしく思う。」と書かれています。


屋嘉比さんは温厚で、静かな語り口から、非常に重い内容のことを言われます。


本の副題は「記憶をいかに継承するか」であり、帯には「耳を傾けること 耳を傾ける続けること 耳を傾き継ぎ続けること 当事者性の身体化へ」と記されています。

沖縄戦の非体験者として屋嘉比さんも私も同じ世代に属していますが、その世代がどのように沖縄戦の記憶を継承するのか、継承する意味とは何か、継承する際の当事者性とはなにか、という、琉球人にとって根本的な問いを発しているように思います。

心してご著書を読ませていただき、語られた内容を自分の血とし肉としたいと思います。

経済対策は国の責任か

11月4日の沖縄タイムスに、次に引用するように、8日に予定されている、新基地反対集会のスローガンが発表されました。

私が気になるのは、(2)軍用跡地利用を国の責任で経済対策を行えという主張です。日本復帰後、国に経済政策を任せてきましたが、その結果、琉球は依存経済から抜け出せず、自然が大きく破壊されてしまいました。

経済政策は国に任せるのではなく、住民自身の頭と力と資金に基づいて実施すべきです。国に経済政策をゆだねてきたことで、今まで琉球は基地も補助金によって押し付けられてきました。その連鎖を自ら断ち切ることが必要だと思います。

自分たちでできることは自分たちでやっていくことが、琉球の自治の足腰を強くすることになると考えます。





「新基地反対」決議へ 11・8県民大会/実行委幹事会 スローガン決まる/「普天間」閉鎖を要求

米軍普天間飛行場の代替施設建設について「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」実行委員会の幹事会が3日、那覇市の自治会館で開かれ、大会スローガンと決議案が決まった。「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の高里鈴代さんが新たに共同代表に加わった。

 スローガンは(1)日米両政府も認めた「世界で最も危険な普天間基地」の即時閉鎖・返還

(2)返還跡地利用を促進するため、国の責任で環境浄化、経済対策

(3)返還に伴う地権者補償、基地従業員の雇用確保を国の責任で行う

(4)日米地位協定の抜本的改訂―を政府に求める。決議案は「米軍基地の整理・縮小・撤去は県民の願い」とし、「民主党中心の新政権に代わった今、あらためて県民の新基地建設ノーの意思を明確に伝える」などとした。

 大会は11月8日、宜野湾市の宜野湾海浜公園とその周辺広場で開催。同日午後1時からオープニングイベントがあり、本大会は午後2時から。

 翁長雄志那覇市長、高嶺善伸県議会議長、野国昌春北谷町長、屋良千枝美宜野湾市女性団体連絡協議会長などが意見表明する。

 問い合わせは同実行委員会、電話098(860)7438。

普天間基地撤去辺野古新基地建設反対大阪アクション

西浜さんより集会とデモのお知らせが届きました。

8日には、翁長那覇市長も参加の意向を示している「辺野古への新
基地建設と県内移設に反対する県民大会」が開催される予定です。

基地の県内移設について鳩山首相は「沖縄県民」の声を聞いて判断すると国会で述べていました。
反対という琉球の声を高く上げ続けることが重要な局面に入ってきました。

米国と対等な日本になり、基地依存経済から脱却し、綺麗な海や生物を守るためにも、グアム協定を見直し、辺野古新基地建設はやめるべきです。

以下チラシの内容です。



11月8日(日)午後2時
普天間基地撤去
辺野古新基地建設反対
大阪アクション

11月12〜13日のオバマ大統領の来日を前に、沖縄では大規模な「辺野古への新
基地建設と県内移設に反対する県民大会」が11月8日(日)午後2 時より宜野湾市
海浜公園屋外劇場で開催されます。

この県民大会に参加するのも一つの方法ですが、私たちが暮らしている場所で声を
上げることが重要だと考え、辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動は「普天間
基地撤去 辺野古新基地建設反対 大阪アクション」を同日8日(日)同時刻午後2 時
より中之島公園女神像前で開き、集会とデモをおこなうことを決めました。

これから1〜2カ月間が、沖縄に基地を100年先まで押し付けるのか否かを決する
最重要な局面だといっても過言ではありません。緊急なことではありますが、是非
とも11月8 日(日)午後2 時中之島公園女神像前にお集まりくださいますよう、
心からお願いします。

お知り合いの方にも広めてください。

過疎地域に生きる知恵を学ぶ 2

2008年5月4日、5日の京都新聞に掲載されていた過疎地域の取り組みについてお知らせします。

本来は豊かなものがたくさんあるのに、都会を基準として山村を「遅れた」場所として考える捉え方は、琉球の場合でも同じです。地域にある豊かなもの、魅力的なものをさらに伸ばすような法制度に
変えていくべきです。



山村振興法は文字通り中山間地域や農山村の振興を目指す法律だ。しかし、趣旨とは裏腹に同法が定義する山村とは「経済、文化的に恵まれず、生活文化水準が劣った地域」だという。

 「今までの政策は、中山間地域を農業だけとかある一面で判断して、地域全体の可能性や良さをとらえていなかった。典型がこの定義だ」

 こう指摘するのが、元農水官僚で農山村再生を産官学で支援する「中山間地域フォーラム」事務局長の野中和雄さん(66)だ。

 野中さんは、法律や政策と中山間地域の実態にさまざまなギャップがあるという。
 例えば農業政策。米作りを中心に考えているため、平地の水田と比べれば中山間地域にある農地の条件は悪いとされるが、標高が生育の要因になる花卉(かき)や野菜などを見れば一概に不利とはいえない。

 イメージにも溝がある。田舎生活を望み、あこがれを抱く都市の住民は多いが、法律は中山間地域の「遅れ」を指すばかりだ。

 「中山間地域には、観光もあれば移住、高齢者の生きがいになる福祉的な面もある。学者や実務者を交え、地域を総合的に考えることが大事だ」

 だが、平成の大合併により個別の集落に行政の目が届きにくくなった。人員も削減され、後継者の有無や労働環境まで把握して農業指導や活性化を支援してきた市町村職員もいなくなった。その上、高齢化も進み、集落は自信を失っている。

 野中さんは「今こそ国は、中山間は大切な地域だとメッセージを発信すべきだ。住民も外部の目や支援を活用して地域を見つめ直してほしい」という。

 幸い、農産物直売所の売り上げは一カ所平均で約一億円に達し、国産材の価格も上がってきた。活性化の意欲につながるはずだ。

 官僚時代、条件の厳しい中山間地域を熱心に歩いたという野中さん。「田舎に行きたい、住みたいという底流を生かしたい。農山村の魅力を伝えたい。そして、住民が自信を持って活性化に取り組む姿を見たい」との思いを募らせている。



約八百件の不動産情報を掲載した月刊誌。実は都会の移住希望者に向けた「田舎暮らし指南書」だ。住宅の間取りや農地の面積といった物件情報に加え、移住生活の体験談も紹介している。

 「過疎地はゆとりある空間ととらえるべきだ。都会の人が移住し、地域でいい役割を果たし、農山村も元気になってほしい」
 月刊誌発行人で移住希望者の仲介をしている「ふるさと情報館」代表の佐藤彰啓さん(64)が力を込める。

 過疎高齢化に悩む自治体にとって、U、Iターンなど移住者の受け入れは地域活性化策の柱の一つだ。中には、和歌山県那智勝浦町の色川地区のように住民の約三割を移住者が占める例もある。

 ただし課題は多い。農山村では、所有者が亡くなったり、都市に出たために空き家が増えているが、維持にも撤去にも金がかかるため、朽ちるに任せている例が少なくない。

 「空き家は大切な社会的資源だが、すでに人が住めない廃屋が三割もある。放置すれば移住者があこがれる美しい環境は守れない。自治体にとっても大きな問題だ」と佐藤さんはいう。

 移住者と農山村の間のミスマッチもある。移住を希望する都市住民は、おいしい水や空気など自然的で農村的で田舎的なものを求めているが、農山村の側はそのニーズに気づいていない。

 「都会的な区画分譲地を勧められても移住希望者は住みたいと思わない。逆に移住する側も田舎の暮らし方を事前に学ぶべきだ」
 佐藤さんが仲介を始めて十八年。これまでに三千世帯の移住を支援してきた。そして昨年から団塊世代の大量退職時代に入った。

 「農山村は人材不足だ。都会の経験を生かす場はたくさんある」と佐藤さん。健康茶の生産など新事業を始めたケースもあるし、地域ボランティアに生きがいを見いだす人も多い。「田舎で六十歳は現役」との声はもはや珍しくない。「ライフサイクルに合わせて暮らしの場所を変える。それが成熟した社会の在り方ではないか」。佐藤さんの持論である。

過疎地域に生きる知恵を学ぶ 1

2008年5月2日、3日の京都新聞に日本における過疎問題についての特集記事がありましたので、お伝えします。

今年夏、京都の丹後半島にいったときに、過疎の村、廃村になった村を歩きました。宮津市木子に大阪から移住し、現在、生活の基盤を気付いている方々とも話をしました。琉球にも「限界集落」と呼ばれる地域がたくさんあります。互いに学びあうことができればと思います。



深刻な過疎高齢化に悩んでいる集落が、全国に約七千八百カ所(京都府百四十一、滋賀県三十二)もある。

このうち四百カ所は十年以内に消える可能性が高く、食や環境への影響も心配だ。田舎は生き残れるのか。写真家梶井照陰さん(31)がとらえた過疎地の風景と識者の声から考える。

 山肌に並ぶ家々、腰を曲げて耕運機を押すお年寄り…。今春、写真家で僧侶の梶井さんが出した本「限界集落」(フォイル刊)には、過疎地に生きる人々の表情や思い、悩みが、写真と文で克明に紹介されている。

 六十五歳以上の高齢者が住民の過半数を占め、将来的に消滅する恐れがあるという限界集落。悲壮感の強いこの問題を本のテーマに選んだのは、住職を務める寺がある佐渡島北岸の集落が「限界予備軍」に当たるからだ。

 集落の高齢化率は40%に達し、耕作されない田畑もある。「周りには住民の七割が高齢者で、田んぼを耕すのは一軒だけという集落もある。この先どうなるのか」

 二〇〇六年に取材を始めてから訪れた集落は、京都府や徳島県、和歌山県など数多い。東京都の山間部では、日々の買い物をトラックの移動商店に頼るおばあさんに会い、北海道では開拓の苦労話に耳を傾けた。林業不振や鳥獣害も目の当たりにしてきた。

 中でも印象深いのが福島県境に近い新潟県の集落で暮らすおばあさん。かつては炭焼きで栄えたが、住民が減り、交通手段は週一便のバスだけ。それでもおばあさんは「子どもが住む都会に移るのは心配。ここに住み続けたい」と願っている。

 一方で、住民のあきらめに接することもある。昨年末、綾部市で会ったおじいさんが村おこしについて漏らした一言は「いくらやっても駄目」だった。

 梶井さんは「活性化のためと都会の人が来ても、数年したら満足して帰ってしまう。中途半端な手助けは集落のやりきれなさを増すだけだ」という。

 取材では、朽ちた家が残る廃村にも足を踏み入れた。「地方集落には独自の文化と人間同士の濃いつながりがある。消滅したら社会全体が狭く、薄くなる」と梶井さん。本の後書きには、集落への思いを込めてこんな一文を記した。

 「田舎でずっと暮らしていたい。都会から農村に来たい。そう思う人たちが安心して暮らしていけない状況は、日本の貧しさではないか」



 「二〇一〇年農山村問題」。こんな言葉が今、関係者の間で飛び交っている。

 過疎地の整備を進める過疎特措法、集落を維持し、耕作放棄地の増加を防ぐ中山間地域等直接支払制度、自治体再編を促す合併特例新法の三制度が、偶然にも一〇年三月に期限切れを迎えることを指すものだ。

 あと二年。異論、反論はまだないが、「政策のハンドリングを誤ると大変なことになる」と明治大教授の小田切徳美さん(48)は警鐘を鳴らしている。

 理由は過去の更新をめぐる議論にある。「今の過疎特措法ができた時、対策はこれで最後との議論が政財界にあった。直接支払制度も、政府の財政審議会が前回の更新時に廃止を含めた見直しを求めている」

 合併政策の行方も気掛がかりだ。自民党の道州制論議における基礎自治体数は千。もし今の半分近くに自治体を絞り込むことになれば平均人口十万人規模の再編を強いられ、農山村は再度混乱する。

 「現在の財政状況で過疎地だけ特別扱いするのはどうかとの議論が出ても不思議ではない。施策は自動的に延長されるものではないし、ポスト合併特例新法の標的は農山村だ」

 ただ、昨年の参院選で自民党が負けてから農山村への政治的配慮は増えた。本年度予算でも限界集落の支援費に五億四千万円を計上するなど構造改革全盛期に見られた切り捨て論は影を潜めたが、小田切さんは「政治情勢で扱いが変わること自体が異常」という。

 確かに一九九八年参院選から自民党の方針は都市政党化だった。「農山村は食料やエネルギーを生産できる国内戦略地域。政治に左右されない存在として安定的に見守らないといけない」

 二〇一〇年は、農山村を支えてきた昭和一けた世代が後期高齢者になる年でもある。残された時間で、農山村の必要性、重要性をどう訴えるのか。

 幸い昨秋には、過疎集落を持つ百四十以上の自治体が「全国水源の里連絡協議会」を立ち上げ、当事者側の声を上げ始めた。

 「政治よりも国民への働き掛け。鍵は国民的な合意づくりにある」と小田切さんは話す。

いよいよ奄美大島宇検村のFM局が開局

10月30日の南海日日新聞に宇検村における地域FMについての報道がありましたので、お伝えします。2007年11月に、ゆいまーるの集いを宇検村平田で行い、国馬村長もご参加され、村の自治について力説されていたことを思い出します。

また、奄美市の麓さんがラジオによるシマおこしについて、集いで話されました。宇検村に自治の方法が広がり、着実に根付きつつあるのを感じます。

村民が年に少なくとも一度出演するという、住民参加型のラジオという、独自で、楽しそうなラジオになりそうですね。



 宇検村は防災行政無線(戸別受信)に代わるコミュニティーラジオ放送局の整備を進めているが、総務省は30日付で特定非営利活動法人(NPO法人)「エフエムうけん」(屋宮喜治理事長)のコミュニティー放送局の予備免許を付与することが29日までに分かった。

周波数は76・3MHz(メガヘルツ)。独自番組も制作する。早ければ12月上旬にも試験放送を開始、1月4日に本放送を始める予定。

 村総務企画課によると、コミュニティーFMは九州では28番目。奄美では2番目。全国の村では初めてという。

放送局整備は事業費約2000万円。同村湯湾の鹿児島地方法務局出張所跡1階部分に放送局を整備、須古に中継局を置く。

カバー率は94%(1018世帯)。難聴地域や家庭にはアンテナを設置し、放送開始までには村内全域で聞くことができるようにする。

 村側は放送局整備と併せて携帯用ラジオ(受信機)購入にも助成する。県の地域振興推進事業を活用。

助成は1世帯当たり1台。ラジオ単価(3千円)のうち、2千円を村が補助し、住民負担は3分の1。

エフエムうけんは昨年11月に発足した。ことし5月に県の認可を受けた。予備免許を受けた後、放送局の施設、機材を整備した後、本免許を取得し、開局する。FM局は24時間放送。MBCラジオ、あまみエフエムと提携し島唄や音楽、ニュースなどを放送するほか、村独自の番組も予定している。

 NPOのスタッフは開局を前に、MBC(南日本放送)=鹿児島市=で研修も実施し、番組作りに知恵を絞る。

独自番組は毎日朝と昼、夕方、日曜日の午前と午後を計画。平日はごみ出しや地域行事などを放送、日曜日は村民が登場したり、一週間の話題を提供する。

 放送開始を前に國馬和範村長は「FM放送は安全安心の村づくりの一環。村民が年に一度はラジオに出てもらえるような住民参加型の放送局にしたい」と話した。

奄美大島龍郷町の今井大権現祭

10月27日の南海日日新聞に奄美大島龍郷町の今井大権現祭について報じられていましたので、お伝えします。

非常に神秘的で、島の原初性を伝えるようなお祭りであるように思います。ユタが祭の主体を務めているところも、琉球文化圏における奄美大島の独自性を示しています。

海の女神と、天の男神とを招き寄せ、結合させるという、壮大な宇宙観も魅力的です。

竜宮の神は、平安座島でも祭られており、奄美大島とのつながりを感じさせます。




 旧暦9月9日に当たる26日、龍郷町の安木屋場集落では、自然界の神々に祈りをささげる「今井大権現祭」があった。白装束に身を包んだユタらが海の女神と天の男神を神社に招き寄せる儀式を行
い、参拝客は無病息災や航海の安全を祈願した。

 今井大権現神社には「太古の竜宮(女神)が神代の始まり」との伝えがあり、自然界の神と交信できるというユタなどが神をお供する。

近くで難破した船を女神の宿る白い鳥が救ったとの言い伝えもあり、祭事ではその鳥をかたどった神具も使う。

 祭りは潮が満ち始めた朝、立神を臨む浜辺の祭り岩で始まった。神主で、ユタの親神でもある阿世知照信さん(81)が神口を唱え、白装束の女性らがススキを手に祈って女神を招き寄せた。続いて神社近くの山頂で太陽の男神を降臨させ、男女2神を結び合わせて神社にお供した後、地域住民らが祈願した。

2週間後に迫る「ゆいまーるの集い in 平安座島」

ゆいまーるの集い in 平安座島が13日から15日まで開かれます。後、2週間です。私はこれまで5回、集いの開催を準備し、参加してきましたが、それぞれ島々で新しい出会いがあり、また、旧知の方々の再会もあり、さらに、多くの学びがあります。

島の人が抱える問題、内発的発展の試みを島の方から直に聞き、自らの考えを述べるということを、
それぞれの参加者が自治的自覚を持ちながら、やり続けることによって、島を自らの力で治める力になり、海を越えた人と人との太いネットワークができると考えます。

一回限りの会議や集いではなく、この「ゆいまーるの集い」は、「琉球の自治」という高い理想を掲げてこれまで続けてきました。この蓄積の上に、第6回の集いが平安座島で開かれます。

今回は、平安座島で生まれ育った、海勢頭豊さんが、深い思いを込めて、平安座島でのスケジュールを決めてくださいました。13日の海勢頭さん自身による、島々の古代史を考える、感じる島めぐりは、通常の「沖縄ツアー」ではありえないことであり、一般の人が参加できるのは、この機会が唯一かもしれません。

14日の島ゆかりの方による多方面からの発言、それを受けて、参加者による議論も、パネラーが舞台に座り、上から高説を述べるような通常のシンポとは、まるで違います。車座ですので、関係性は平等です。

対等な人間として、「琉球の自治」という理想を共有しあう者として、議論をし、互いに勇気を述べあう場です。


この集いは、地球に住むすべての人に開かれていますので、関心がおありの方は、私にご連絡ください。


集い関連のチラシです。



第6回「ゆいまーる」の集い in平安座島

日程: 2009年11月13日(金)〜15日(日)
場所: 平安座島

会場: 平安座自治会館
宿泊: 観光ホテル平安
主催: NPO法人ゆいまーる琉球の自治、後援: ひやむぎ文化研究会
 スケジュール

11月13日 海勢頭さんの案内で風光明媚な勝連グスク、浜比嘉島、平安座島、伊計島、宮城島を訪ねる、古代琉球開闢の遺跡めぐり。
午後6時頃からホテル平安で交流会。


11月14日 朝9時より平安座自治会館にて。               (敬称略) 
<発言者>

金城実(彫刻家、浜比嘉島出身)平安座島と浜比嘉島の漁民による浮原島漁業権争い顛末記。
仲程昌徳(琉球大学名誉教授、文学博士。うるま市赤野出身)詩人:世礼国男論

奥田良正光(元与那城村長、平安座島)平安座の歴史、海中道路と石油基地。
新里米吉(沖縄県議会議員、平安座島出身)平安座のバレーボールの歴史。
謝名元慶福(劇作家、平安座島出身)平安座から生まれた「島口説」や「海の一座」の誕生秘話。

玉栄章宏(エコ運動家、平安座島)現在の平安座の活性化に向けた「大バンタ」復元の夢。
高安正勝(ぬちまーす社長、うるま市具志川出身)製塩にかけた思い、そして宮城島に拠点を移した思い。

海勢頭豊(音楽家、平安座島出身)平安座に生まれて始まった古代日本の謎解きの旅。
夕方18時頃から自治会館大ホールにて歌を聴きながら大交流会!
差し入れ歓迎。会費2千円。

11月15日 午前中、自治会館にて集いを行い、正午解散
 宿泊施設

観光ホテル平安、〒904-2426 沖縄県うるま市与那城平安座2421-1
Tel 098-977-8230 Fax 098-977-8019、歯ブラシ・タオル・パジャマつき

1泊朝食付き4800円〜(シングル5500円、バストイレ共同であれば4400円。ツインは一人4500円、バストイレ共同であれば一人3400円)

 問い合わせ:松島泰勝(090-9180-8778、matusima345@yahoo.co.jp)
 申込先:本集いへのご参加、ホテル宿泊の申込については、

藤原洋亮(03-5272-0301,yosuke@fujiwara-shoten.co.jp),または松島泰勝までお願いします。

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