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プロフィール

Yasukatsu Matsushima

Author:Yasukatsu Matsushima
1963年琉球石垣島生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。

その後、東京、グアム、パラオ、沖縄島、静岡、京都、滋賀にて学び、働き、生活する。

著書に『沖縄島嶼経済史―12世紀から現在まで』藤原書店、2002年
『琉球の「自治」』藤原書店、2006年
『島嶼沖縄の内発的発展―経済・社会・文化』(編著)藤原書店、2010年、
『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』早稲田大学出版部、2007年
『琉球独立への道』法律文化社、2012年
『琉球独立論ー琉球民族のマニフェスト』バジリコ、2014年
『琉球独立ー御真人の疑問にお答えします』Ryukyu企画、2014年
『琉球独立宣言ー実現可能な5つの方法』講談社文庫、2015年
『民際学の展開ー方法論・人権・地域・環境の視座から』(編著)晃洋書房、2012年
『琉球列島の環境問題ー「復帰」40年・持続可能なシマ社会へ』(編著)高文研、2012年
『3・11以後何が変わらないのか』(共著)岩波書店、2013年
『島嶼経済とコモンズ』(編著)晃洋書房、2015年
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基地は琉球から完全撤去しなければなりません。

今日、沖縄国際大学にて午後2時から、豊見城市議会意見書、宮崎衆議院議員発言、先住民族としての琉球人、琉球の再植民地化等について、琉球民族独立総合研究学会主催のシンポジウムを行います。私もスカイプを通じて発言を行います。ご来場の皆さんと真剣な議論をしたいです。

北京大学シンポジウムの琉球側の代表である又吉先生です。又吉先生とは私が学生の頃からお世話になっており、台湾、中国における琉球人の活動を一貫して調査研究されております。今回は琉球人の戦争責任についてご報告されました。

台湾の中央研究院で研究員をされている呉先生です。お名前は「ウチナー」と発音されますが、琉球が好きになったお父様が名づけられたそうです。今年の7月に独立学会主催のシンポの際に、琉球に来られる予定です。

石垣島から来られた歴史家の大田さんです。今回、大田さんが私の親戚であることが分かり嬉しかったです。八重山の海が穏やかな海であって欲しいという願いを込めて、青のミンサー模様のかりゆしウェアーを着たと語りました。



劉先生です。3年前に私は劉先生のインタビューを受けまして、その内容が環球時報に掲載されたことがあります。琉球独立運動を客観的に分析する必要があるとの先生のご意見に賛成します。

沖縄タイムスの吉田さんです。琉球における基地問題を具体的にご報告されました。今回の琉球人女性レイプ殺害事件がなぜ発生したのかの背景を来場者は知ることができたでしょう。基地は琉球から完全撤去しなければなりません。


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琉球学の先達から学ぶ

大阪市政調査会主催の講演会で話した内容、「琉球-基地と自治をめぐる課題」が『市政研究』最新号に掲載されていますので、どうぞお読み下さい。

今週の日曜日に、「琉球民族独立学会3周年記念シンポー国連勧告撤廃を考える」を開催します。多角的な観点から、豊見城市議会意見書、宮崎衆議院議員の発言、日本政府の意向について論じ、米軍属による女性殺害事件への抗議を行う予定です。

比屋根先生の琉球近代政治史のご研究からこれまで多くを学びました。今回、親しくお話をさせて頂きましたが、特に大田知事時代に先生が政治アドバイザーをされていた際のお話は大変興味深かったです。

「琉球併合」について画期的なご著書を書かれた波平先生は、石垣島のご出身であり、先生のご親戚と私の親戚同士の付き合いがありました。豊見城市議会意見書についても鋭い発言をされており、大変有り難いと思います。

北京大学での国際会議では、琉球救国運動の王大業のご子孫である国場さんが最初にお話をされました。琉球の過去と今の「救国」の動きを踏まえた重みのある発言でした。

北京大学の国際会議では、新報、タイムスのお二人もそれぞれの立場から報告し、大城さんや前田さんという次世代の琉球学を担う研究者の報告もありました。


琉球救国運動家、王大業を偲ぶ

大学の中に商店街があり、家族連れも歩いていました。学生も大学の中で生活しています。風呂、散髪、食事、買い物等、大学の中で生活全般を行うことが可能です。

琉球救国運動家の一人であった王大業の墓石がこの博物館に保存されていますが、その現物を是非共拝みたいと、皆で粘り強く交渉をし、その写真を見ることができました。

琉球人墓参団の皆様と一緒に通州博物館に行きました。参加者の皆様とも親しく話す機会があり嬉しかったです。参加の皆様はそれぞれの熱い思いでこの旅に参加されていました。

私たちが最初泊まった宿舎は、戦後暫く旧ソ連の専門家が滞在した施設でして、非常に歴史を感じる、重厚な雰囲気のホテルでした。敷地も広く、緑も多く、散歩もしました。

私は「先住民族としての琉球人の自己決定権行使」という報告を行うとともに、報告者のコメントもしました。大変、刺激的な議論でした。今回の報告内容は論文集として出版される予定です。


北京大学における国際会議への参加

これから北京に行きます。北京大学で琉球に関する国際会議に出席し、報告、議論するためです。中国各地、琉球、日本、台湾等から琉球研究をしている研究者が一同に集まり2日間に渡り議論をします。実り多い研究成果がでるよう期待しています。旧知の先生方と再会するのも楽しみです。

15日、16日と北京大学において琉球に関する総合的な研究シンポジウムが開催されました。中国、台湾、琉球、日本から多くの研究者が一同に参加し、40人近くの研究者が報告、議論しました。

地下鉄駅の近くのスーパーで買い物をしました。中国人の生活の一端を知ることが出来ました。レジで、携帯をクレジットカードとして支払をしている人がいました。

大学では多くの民族の学生が学んでいますが、ここはイスラム教徒学生専用の食堂です。大食堂にも、宗教的配慮をした料理が準備されているそうです。

北京大学の中には学生が低料金で、オペラ、映画、コンサート等を楽しむことができる専用施設があります。

国場幸太郎さん、西銘元知事、方治さんと、台湾と琉球との長い、深い交流の歴史についても議論されました。台湾の中華琉球研究学会の理事の方も今回参加され、本の翻訳出版、共同シンポ開催等について意見交換をしました。


様々な人や生き物から学ぶ

静岡で生まれた重子です。11歳となりますが、猫や人とも仲良くしてくれる、心優しい、平和的な犬です。

我が家のメス猫を慕ってやってくる、野良猫のロミオです。毎日のように、雨でも雪でもご飯を食べにきますが、人への警戒心は強いです。厳しい自然の中で頑張って生きています。



庭ではバラも満開となりました。庭には鳥やイタチがやってきたり、様々な昆虫、カエル、ミミズ等が生活しています。ムカデに咬まれたことも何度かあります。昨日は久しぶりに蛇を庭で見て、びっくりしました。


今日は、大学の研究室にアメリカのジョージア州立大学の准教授ゲインティーさんと院生ホーキンスさんが来て下さり、琉球の歴史や文化、経済、独立、アメリカとの関係等について意見交換しました。アメリカの研究者がどのように琉球を考えているのかが分かり勉強になりました。にーふぁいゆー。


黒崎さんから『マーシャル諸島の政治史』を頂戴しました。心より感謝申し上げます。10年程前にマーシャル諸島を調査した時に、日本大使館で働いていた黒崎さんに大変お世話になりました。現在は太平洋諸島研究センターにおいて太平洋諸島と日本とを結ぶ重要なお仕事をされています。勉強させていただきます。

黒崎さんから下記の本を頂戴しました。アジア経済研究所での研究成果であり、黒崎さんが編者の一人として取りまとめています。現在の太平洋諸島研究の最先端の一つだと思います。私も20年程前に同研究所での研究した思い出があります。フィジーのラウ諸島と琉球国とを海洋国家という視点で比較したものです。塩田さんが編集された『海洋島嶼国家の原像と変貌』という本にあります。黒崎さんの本もまた勉強させて頂きます。

昨日は、経済学部の入門演習の授業で、社会学部と国際学部4年の稲田君、ピョンさんに「当事者性」について話し、1年生と意見交換をしてもらいました。お二人とも、関西シールズの活動、辺野古や京丹後での米軍基地反対運動、在日に対するヘイトスピーチ問題等について真摯に語って下さいました。今年の参議院選挙から学生も選挙権を行使できます。1年の学生も社会の一人として当事者性を持って行動し、発言して欲しいです。にふぇーでーびたん。

昨日、月刊誌『文藝春秋』記者のインタビューを受けました。「2020年に向けて琉球独立をどう考えるか」というテーマです。私を含めて30人の方々のインタビュー記事が掲載される予定です。来月初めに出版される同誌に掲載される予定ですので、どうぞご笑覧下さい。

琉球悲劇何時了?

台湾で発行されている雑誌『遠望』に掲載された論文です。中華琉球研究学会のメンバーの方が書かれたそうです。
豊見城市議会意見書問題についての記事が掲載されています。同問題に台湾の人々も注目しており、国際問題になりつつあると言えます。



琉球悲劇何時了?
 綿延持續了四百五十多年的美麗和平的琉球王國,不幸地於1879年被日本明治政府滅亡,只因日本要以琉球為軍事據點,侵略中國大陸及臺灣。從此琉球始終是外來軍事強權的「棋子」或「棄子」。直到今天,美、日更透過其同盟及安保條約,將稱霸亞洲的野心繼續建立在琉球人民的痛苦犧牲上。
 據《朝日新聞》報導,今年3月13日駐於冲繩的美國海軍士兵,又在那霸市的酒店強姦了一名女性觀光客。那霸市議會於3月17日針對此事通過了表達抗議並防止再度發生的意見書。與此同時,3月16日那霸地方法院針對戰後第一起琉球人民對日本政府在二戰末期將毀滅性戰火引至琉球所提起的「冲繩戰的國家賠償訴訟」宣告原告敗訴。法庭上鈴木博法官面對40名原告只宣布其敗訴即退庭。79歲的原告團長野里千惠子聽到敗訴,沈痛地說:「司法是無血無淚的嗎?」
 住在那覇市82歲的山城照子,71年前在冲繩島南部的糸滿市遭到美軍艦砲攻擊,失去了祖父母,自身頭部被碎片刺傷,雙腳也受了重傷。她說到今天也常在夢中出現當時的情景,浮現犧牲者的遺體一具具抬到山上的記憶。當時因所居住的祖父房子的水井被日本軍控制占領,日軍命令她若想喝水,就必須搬運遺體,因此她只得順從。
 此外,更有慘絕人寰的「強迫集體自殺」(實際上是日軍強迫琉球平民殺害家人親友,然後自殺),至今倖存者仍不忍回憶。
 要改變琉球人民的悲慘命運,必須全體琉球民族團結一致,才足以抵抗來自美國和日本的剝削壓迫。然而從最近發生的一件事例,卻讓我們對琉球人民的未來憂心。

荒謬請願 否認琉球人是原住民
 2015年9月22日冲繩縣長翁長雄志在聯合國人權理事會發表演講,希望國際能重視冲繩縣目前面臨的美軍基地問題。在演講中的一句「民族自己決定權」(即「民族自決」)說法,卻導致同年12月22日冲繩縣豐見城市議會通過一項決議案,要向聯合國請願撤除承認琉球人為原住民族。這份「第10號意見書案」是由12名議員贊成通過的,但由於意見書內容充斥著謬誤,在審議時即遭到其他議員質疑。更因為此意見書點名批判「琉球民族獨立綜合研究學會」(簡稱「琉獨會」)共同代表松島泰勝先生,不但篡改其名字,也捏造某些事實。因此松島所屬的琉獨會於2016年3月13日召開第六次總會,通過一封給豐見城市議會議長的抗議信。列舉了意見書中六項錯誤,逐一予以反駁:

琉獨會強烈反駁請願書
 一、豐見城市議會意見書中指出:2008年琉獨會松島「康」勝氏接受「市民外交中心」委託向聯合國請願,因此聯合國向日本政府發出冲繩縣民是原住民族且非日本人的勸告文。
 琉獨會反駁:聯合國對日本政府的勸告乃是1996年以來琉球人在聯合國所推動的去殖民地化運動的結果。松島先生曾經於1996年在聯合國人權委員會原住民工作會議及2011年在聯合國去殖民地化特別委員會,為了琉球的去殖民地化和去軍事化進行演講,不能據此就說他對2008年聯合國的勸告有直接影響。更有甚者,意見書是根據日本地方自治法99條具法律影響力的公文書,竟將「松島泰勝」寫成「松島康勝」,如此重大錯誤是對松島先生本人名譽的毀損,構成侵犯人權問題。

 二、意見書中寫道:「我們冲繩縣民在美軍統治下的時代都維持作為日本人的自覺,強烈希望復歸祖國,1972年5月15日復歸祖國了,而且之後也和其他府縣的國民完全相同,作為日本人持續享受和平幸福。」
 琉獨會反駁:事實上,在美軍統治時期依然存在好幾個追求琉球獨立的政黨或市民團體,也有「反復歸論」的主張。「復歸」之後,在僅占日本總面積0.6%的冲繩縣,將全日本74%的美軍專用基地強迫設置於此;現在又不顧冲繩縣知事、名護市長以及幾乎所有「冲繩縣民」的反對,日本政府還是要強行建設邊野古新美軍基地。因豐見城市議會意見書違反上述事實,琉獨會要求該議會撤回這份在法律上影響極大的意見書。

 三、意見書上說若主張原住民族的權利,日本全國會不把冲繩縣民當日本人,引起歧視問題。
 琉獨會反駁:琉球人主張作為原住民族的權利,便能因國際法而使集團權利受到保障,獲得國際性的支援,從現在的殖民地體制解脫出來,而阻止邊野古新基地建設計劃的可能性也會提高。在日本存在著許多弱勢族群,如在日朝鮮人、被歧視的部落民、愛努民族、在日外國人、性取向的少數群體、殘障者等。2016年1月15日大阪市議會通過「歧視性煽動行為規制條例」;2013年6月13日京都地方法院針對「禁止街頭宣傳等請求事件」的判決,認定對京都朝鮮學校進行歧視性煽動行為的團體是「對人種歧視」,禁止今後的歧視性煽動行為,並要求支付賠償金。可見在日本「本土」也是想創造維護自我認同及作為人的驕傲這樣的社會。意見書上說「成為少數者會導致歧視」,等於助長在日本生活的弱勢族群遭受歧視的風氣,這種說法很有問題。

 四、意見書上說:「我們不可忘記在冲繩戰,賭上性命作為日本人守護祖國日本、故鄉冲繩的先人的心情。」
 琉獨會反駁:冲繩平民被日本軍虐殺、被強迫「集體自殺」、從壕溝被趕出來遭受砲火等被日本軍殺害的事例非常多,這才是冲繩戰役的真相。豐見城村民在冲繩戰役中喪生的約有3600名,等於全村每10人便有4人犧牲。當地著名的琉球王國古蹟真玉橋也在戰爭期間被日軍破壞。但豐見城市議會對冲繩戰役的認識,與大多數「冲繩縣民」落差很大,不能不令人擔心該議會今後對待和平的態度。豐見城市議會用法律上的意見書這種形式,向日本全國發出上述那種戰爭觀,會引起很大誤解,琉球人不能忽視這件事。

 五、意見書上說:冲繩縣民是日本人,絕不是原住民族。
 琉獨會反駁:這種說法是對琉球人受日本國憲法第19條所保障的思想自由、良心自由的侵害。能決定自己民族屬性的只有當事人,必須尊重人的自我認同。根據《國際勞工組織第169號原住民與部落居民公約》(ILO-convention 169)規定,「原住民」是「在被征服、被殖民或劃定現有國家疆界時便已居住在某一地區的人民之後代,並保有他們自己的社會、經濟、文化及政治體制的部分或全部者」。這就是「原住民族」的定義。此一公約在國際上是獲得支持的。意見書的內容從國際上看來有很多問題,是會產生誤解的。

 六、琉獨會並指出:豐見城市議會意見書原本是註明要寄給「聯合國人權理事會、聯合國撤廢人種歧視委員會、聯合國去殖民化特別委員會、聯合國原住民族會議」的,但卻未說明理由即從議會議事錄將此段文字刪除掉了。意見書既然是以取消聯合國的「原住民族勸告」為目的,卻不寄給發出勸告者。如此毫無效果的意見書,卻使用市民的稅金在議會審議表決,這是浪費公帑,並辜負了市民的請託。
 不只琉獨會對豐見城市議會的意見書持反對意見,據今年3月13日《琉球新報》記載,琉球大學波平垣男教授說:「聯合國諸規約中『人民』或『原住民族』的概念確實有許多定義,但最重要的是尊重那些受到外部壓迫的弱勢集團的『自己決定權』,這才是這些法律的主要內容。冲繩縣民在人數上是絕對的少數派,理由是很清楚的:『基地問題』就象徵著他們在國家政策上受到的差別性待遇。」他並強調:戰後冲繩的人們也受到美國或日本這些國家的壓迫。戰後美國駐琉球列島高等弁務官(High Commissioner of the Ryukyu Islands)卡拉威(Paul Wyatt Caraway;1961年2月-1964年7月在任)曾主張過琉球「自治權」,現在在國際法上的「自己決定權」(對冲繩而言,即重要的決定必須反映冲繩人的民意或利益),同樣是要求權利之意。不能不說意見書是無視於那樣的歷史或現實,一昧地迎合權勢站在「事大主義」的一種立場。
 針對意見書上對冲繩戰役或復歸日本的記載,冲繩國際大學石原昌家名譽教授也批判:「這是冒瀆冲繩戰役犧牲者的內容。對於曾針對數千名冲繩戰役體驗者進行口述歷史調查的我而言,這是不可原諒的。」他進一步說:「原大本營參謀、厚生事務官馬淵新治在《冲繩戰中有關冲繩島民的行動之史實資料》中記載了日本軍將冲繩居民視為特務、或視其為賣國賊而逼死等事,他形容這是「皇軍的落魄的下場」。日本政府在1950年代所認識的歷史真相,作為被害者的冲繩這邊的議員竟然不知,未免太過無知了。」
 儘管有基於歷史事實反對意見書內容的聲浪,豐見城市議會仍決定於3月20日成立「實現撤回聯合國原住民族勸告之冲繩縣民之會」,企圖將其謬誤史觀推廣出去。
 在豐見城市議會審議該意見書時,面對趨炎附勢的「事大主義」議員占多數的情況下,持反對意見的瀨長宏議員的一段話可稱擲地有聲:
 「我站在冲繩縣民曾經歷過的歷史這個立場上,這篇意見書中有好幾個地方我不能認同。我們都聽過從祖先開始即經歷過的艱辛苦難。回顧歷史,因為1609年薩摩的侵略攻擊導致冲繩建立的王國的歷史性落幕。但是統一的(琉球)體制仍被承認。遺憾的是接著1879年以軍力將冲繩合併,日本陸軍侵攻首里城,300名軍隊150名警察攻進來,以武力強制合併。當時也有王族的士族向中國或各國大使館請求支援,對此明治政府展開強力鎮壓,這些抵抗的士族被迫遷往各地、中國或夏威夷居住。合併後,遺憾的是1941年那場大戰開始了。於是利用皇民化教育徹底灌輸崇拜天皇的教育,冲繩便作為防衛日本本土的棄石,許多冲繩縣民因此犧牲了。我無法忘記1947年9月天皇發出的聲明。因為天皇聲稱將冲繩給美國監管25年、50年或更久也沒關係。冲繩因此被切割,27年間,在美軍施政下,經歷了極悲慘無權利的狀態。當時有一張相片,令我一直難以忘懷。
 1965年一個孩子被美軍車輛輾殺。照下這張相片『少女轢(輾)殺』的是攝影家嬉野京子,這位女士來過冲繩幾次,拍過冲繩戰役戰場的相片。當她要拍攝車禍現場時,周圍的冲繩縣民制止她說『會被美軍殺掉喔!』『將這種出事現場拍下來會惹大麻煩!』。因此她是在縣民的腋下拍下這張照片的。冲繩就是處在如此無權利狀態。連報導事實都不被允許,造成這種事態的就是那個天皇的聲明。然後1972年5月復歸時,為了方便美軍強奪的土地──不管其正當性如何──作為公用地可以強制使用,便制訂了《冲繩公用地暫定使用法》。因此,當時屋良知事並未出席那場返還的簽字儀式,以其抗拒表示冲繩縣民並不同意,因他們期待的是與日本本土平等的復歸。但復歸後留下的即是依據《美軍地位協定》造成的差別歧視(按:美方在琉球不受當地司法管轄)。縣民在無權利狀態下遭遇各種形式的被害情況。無視於這些事實,如今裝作與(日本)其他縣同樣和平、享受著幸福,抱持這樣錯誤的認識,冲繩問題恐淪於無法獲得解決的後果。我向歷史學習,而且也向前人的戰鬥學習,冒死拼命也要阻止戰爭不再發生。那位島袋文子女士(在去年10月的反基地抗爭中)衝到美軍車輛前面,是因為如果自己犧牲生命,或許就可以阻止建造邊野古美軍基地,這完全是冒死拼命在戰鬥。在這樣的時候,發出這樣內容的意見書,可說是扯翁長知事後腿,並且扯『撤除基地冲繩戰鬥』的後腿,是充當『分裂活動』的行為。身為縣民不能同意這種事,將這種文書送交聯合國,我覺得非常羞恥。」
 然而這位尊重歷史,具有民族尊嚴、鐵骨錚錚的琉球議員,卻寡不敵眾,終究阻擋不了逆流!

各地原住民對琉球的聲援
 今年3月12日,琉獨會在冲繩國際大學舉辦了一場國際研討會,主題是「何謂原住民族的自己決定權」,與會的年輕學者紛紛發表其看法。夏威夷大學博士生知花愛實比較了夏威夷原住民族和冲繩人的共通性及差異性後,主張「與民族性相比,琉球人的權利主體更重要。行使權利的方法有必要慎重地討論」。而就讀琉球大學的博士研究員宜野座綾乃提出「自己決定權的討論中,關於對女性的暴力,女性的自己決定權這些觀點也很重要。」關島政府去殖民化委員會的事務局長則認為關島的原住民族和冲繩人的歷史有很多共通點,他強調「冲繩有豐富的歷史。考慮下一代的未來,期待能勇敢站起來。」關島大學的教授則說:「回想被日本兼併前的自己,只要認識到自己是原住民族,從被美化的兼併歷史中奪回屬於自己的歷史,便能從日本這個障礙物掙脫解放自己」。從上述與會者的各種意見,我們看到了琉球這個苦難的民族,正面臨是否能扭轉其命運的轉捩點。
 自從2015年12月豐見城市議會通過了充滿謬誤、扭曲歷史的意見書之後,琉球人民為爭取獨立自主,擺脫美日宰割的願望,顯得越發艱難。琉球人民正等待著國際間愛好和平的人民為其伸出友誼援手!

ゴールデンウィークの生活

ゴールデンウィークは、自宅で、シュンペーター、サミュエルソン、アマルティア・セン、アリストテレス、ノージック、ガルブレイス、チャーチル、屋嘉先生等の本を読み、多くの刺激と、新たな発想や学びを得ております。

これは何でしょうか。海や池ではなく、田んぼです。ゴールデンウィーク中に田植え作業が行われ、これから稲が育っていきます。美しい風景です。アメリカ押しつけのTPPが実施されれば、琉球の砂糖キビ畑とともに日本の田んぼも減少するでしょう。

二匹の猫、鈴子と芳子が一方向に並んで座っていたいたの、おもしろくて撮りました。静岡、滋賀で拾ってきた猫同士ですが、双方とも仲良くなりました。

琉 球 の 自 己 決 定 権 ‐ ミ ク ロ ネ シ ア 諸 島 と の 比 較 を 通 じ て

今月26日、京都のしんらん交流館において下記の講演を行います。お近くの方は是非お越し下さい。真摯に議論できましたら幸いです。

第 59 期 京都人権文化講座 18 時~20 時 ※受講料 1,000 円

◎講師/松島泰勝さん(龍谷大学経済学部教授)

◎講題/「 琉 球 の 自 己 決 定 権 ‐ ミ ク ロ ネ シ ア 諸 島 と の 比 較 を 通 じ て 」 ◎主催/部落解放・人権政策確立要求京都府実行委員会

龍谷大学での琉球に関する連続講座

今月27日、龍谷大学にて「琉球独立論」について市民の方を対象にして講演をさせていただきます。参加者の方々と真摯な議論をしたいです。

普天間基地の辺野古移設をめぐって、沖縄県と名護市が拒否しているにもかかわらず、国は国家の安全保障政策の名の下に建設を強行している。この事態が象徴している戦後から現在までの沖縄と日本・米国の関係の状況と課題を、政治外交史、安保政策、沖縄論、沖縄経済・社会論、憲法の立場から明らかにし、沖縄が日本に突きつけている問題を考える。

講座日程 (1) 4月22日(金) 
沖縄と日本国憲法 担当:丹羽 徹

(2) 5月13日(金) 
沖縄返還と日本の安全保障政策 担当:中島琢磨

(3) 5月20日(金) 
戦後沖縄の経済成長と社会変動ーデータが覆す「沖縄イメージ」 担当:岸政彦

(4) 5月27日(金) 
琉球独立論 担当:松島泰勝

福井と琉球との関係

道元さんが浙江省の方に留学したこともあり、福井県は同省との交流事業を長きに渡って進めてきました。

福井の偉人、由利公正の生涯を大河ドラマ化する運動が同地のコンベンションビューローによって展開されています。かつて琉球でも「琉球の風」がありました。

琉球と中国が歴史的に特別な関係にあるように、福井県も中国と長い独自の関係があるのです。この関係をいかに平和的に、民際的に続けていくのかが重要です。

原発があっても人口減少が続く高浜町で町長選挙がありました。地域の経済をどのように発展させるのかという地道な取り組みが必要とされています。

地域のことを少しでも知りたいと思い、講演前に1ヶ月分の福井新聞を読みました。活断層が福井県に集中しており、多くの原発も集中していることを考えると大変不安になりました。


日本平和学会メールマガジンでの『琉球独立への経済学』の紹介

日本平和学会(会員数約800人)の会員向けメールマガジンにおいて私の新著『琉球独立への経済学』が紹介されました。2011年に開催された同学会での琉球と自己決定権行使に関する部会において私は琉球独立の必要性を報告し、会員の皆様と議論しました。また同学会の紀要でも琉球独立の論文が掲載されました。これからも同学会において琉球独立について議論していきたいです。

ソラノネでの誕生日

家で仕事をした後、車でソラノネ食堂に行き、定食を妻と犬と食べ、ブルーベリージュースで誕生日を祝いました。たまにこの食堂に来ますが、竃でご飯を炊く匂い、山や木々が風に吹かれて非常に気持ちよく食事をすることができます。今日はロバが歩いていたり、若い人達がクローバーを摘んでいました。

Iさんからの励ましの電話

龍谷大学大学院修士課程の時に私の研究室で学んだIさんから電話があり、『琉球独立への経済学』出版に対してお祝いのお言葉を頂戴しました。大学院で地域社会の開発についていろいろと議論したことを思い出し、有り難かったです。

国際開発学会での『琉球独立への経済学』の紹介

私が属する国際開発学会(会員数約1700人)の会員向けMLで『琉球独立への経済学』を紹介して頂きました。同学会において琉球の植民地経済について報告、議論したことがありますが、琉球の独立、植民地経済、開発経済を学問として議論したいです。

『琉球独立への経済学』の目次、内容、著者紹介

米軍統治時代から現在まで続く琉球の植民地経済の詳細な分析を踏まえ、内発的発展と自己決定権による琉球独立への方法とロードマップを明示する。独立後の「琉球連邦共和国」における国家像や経済自立策も提言する。

目 次

 はしがき

第Ⅰ部 果たされなかった経済的自立
 ―「本土復帰」の実態

序 章  米軍統治時代に形成された植民地・琉球

  1 軍事植民地体制の形成
  2 植民地経済としての基地経済
  3 基地経済の形成

第1章  「復帰」体制による植民地支配
 
1 米軍統治時代からの連続性
  2 「復帰」は日本による植民地支配の再編強化
  3 「復帰」後に向けた経済政策の失敗
  4 「復帰」過程の問題性

第2章  振興開発が抱える構造的問題性
 
1 振興開発計画の虚構性
  2 振興開発は成功したのか
  3 新しい振興開発体制
  4 日本政治と振興開発
  5 琉球の経済自立とは何か
  6 振興開発の功罪
  7 環境の破壊と島のブランド化
  8 なぜ振興開発が失敗したのか

第3章  植民地経済の形成
 
1 日本の植民地になった琉球
  2 琉球の植民地経済の現在
  3 労働者の身体に見える植民地主義
  4 琉球経済を巡る言説に見る植民地主義
  5 植民地主義の裏返しとしての同化主義

第4章  基地経済の実態分析
 
1 米軍統治時代の基地経済
  2 辺野古新基地建設と振興開発
  3 国際都市形成構想と米軍基地とのリンケージ
  4 ヒモ付きの振興開発で地域は発展したのか
  5 基地がもたらすコスト

第Ⅱ部 経済的自立への布石
       ―内発的発展と自己決定権を踏まえて

第5章  琉球の内発的発展
 
1 内発的発展と共同売店
  2 地域共同体に埋め込まれた内発的発展
  3 読谷村の内発的発展
  4 経済主権回復のための抵抗
  5 琉球人アイデンティティと経済
  6 アジア経済の中の琉球
  7 米軍基地跡地利用による発展

第6章  生活に根ざした琉球の自己決定権
 
1 久高島で考える琉球の自己決定権
  2 座間味島の自己決定権
  3 平安座島の自己決定権
  4 沖永良部島で考える奄美諸島の自己決定権
  5 奄美大島の自己決定権
  6 伊江島の自己決定権

終 章  琉球独立の方法と国家像
 
1 琉球独立の方法
  2 琉球連邦共和国の政治経済体制
  3 経済自立のための政策

あとがき


松島 泰勝(まつしま やすかつ)

 1963年琉球・石垣島生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。那覇高校、早稲田大学政治経済学部卒業後、早稲田大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。博士(経済学)。専門は島嶼経済論。在ハガッニャ(グアム)日本国総領事館、在パラオ日本国大使館において専門調査員として勤務。東海大学海洋学部准教授を経て、現在、龍谷大学経済学部教授。2007年「NPO法人ゆいまーる琉球の自治」を立ち上げ代表になり、2013年「琉球民族独立総合研究学会」の設立メンバーとして共同代表に就任。
 単著として、『沖縄島嶼経済史―12世紀から現在まで』藤原書店、2002年、『琉球の「自治」』藤原書店、2006年、『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』早稲田大学出版部、2007年、『琉球独立への道―植民地主義に抗う琉球ナショナリズム』法律文化社、2012年、『琉球独立論―琉球民族のマニフェスト』バジリコ、2014年、『琉球独立―御真人の疑問にお答えします』Ryukyu企画、2014年、『琉球独立宣言―実現可能な5つの方法』講談社文庫、2015年がある。
 編著として西川潤・松島泰勝・本浜秀彦編『島嶼沖縄の内発的発展―経済・社会・文化』藤原書店、2010年、松島泰勝編『民際学の展開―方法論、人権、地域、環境からの視座』晃洋書房、2012年、桜井国俊・砂川かおり・仲西美佐子・松島泰勝・三輪大介編『琉球列島の環境問題―「復帰」40年・持続可能なシマ社会へ』高文研、2012年、松島泰勝編『島嶼経済とコモンズ』晃洋書房、2015年がある。

『琉球独立への経済学』の販売が始まりました

私の新著がアマゾンで発売可能となりましたので、ご関心がありましたら、どうぞ皆様お買い求め下さい。琉球独立の経済意的可能性について議論しましょう。

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米軍のAFNを含む琉球のFMラジオを聞きながら、琉球を歩き、車窓から街や人を見ました。

琉球独立学会誌の発送作業を終えてバスで自宅に戻る途中で、国際通りを通過しました。昼見る国際通りとは違い、ネオンや光が行き交う人を照らし、奇麗でした。



モノレールの奥武山公園前駅のホームの目の前にある自衛官募集の案内図です。戦闘行為が強調されており、青年はあまりいい印象をもたないのではないでしょうか。



退院を祝って両親と沖縄そばを食べました。病院の食堂で何回か食事をしましたが、どの料理も大変美味しく、良い思い出になりました。


自治会館前です。ここに新しいバスターミナルと、県立図書館ができます。多くの人が行き交い、学び合う場所になったらいいですね。


米軍のAFNを含む琉球のFMラジオを聞きながら、琉球を歩き、車窓から街や人を見ました。中でも豊見城市のコミュニティーFMである「FMとよみ」は大変味わいがありました。


この「抑止力」を求める日本国民がオスプレイを自らの日常の中に引き受けるべきです。

教室で会議の開始を待っていたら、重低音の轟音を鳴らすオスプレイが近くを飛んでいました。これら日本政府がいう「抑止力」の正体です。この「抑止力」を求める日本国民がオスプレイを自らの日常の中に引き受けるべきです。

沖国大のこの庭は木陰があり、自由に話し合え、食事をとることができます。でもしばしば、米軍機が上空を飛び、琉球の現実を体で感じることもできます。

もひとつの琉球の老舗パン屋のぐしけんパンのこのパンも、味が変わらず美味しいです。沖縄県立図書館のヤスンバでよく食べて、エネルギーを補給しました。


大学の中庭で、今晩の会議や学会誌発送作業にそなえて早い夕食を食べました。このオキコパンは私が青年のころからよく食べたパンであり、大変美味しいです。


沖縄国際大学に行く途中にある普天間基地のゲートです。いつもは閉鎖されている門ですが、ガードマンが門を開けて、米軍関係者の車両が基地外にでていきました。あちらの世界から外に出られるのに、私たちの世界から中に入れないゲートです。

大学の目と鼻の先に普天間基地があります。その移設先は、琉球人が大反対をしている辺野古ではなく、本来、米軍基地があった日本「本土」に戻るべきです。

沖縄「先住民」論の地平:自ら「所属性」決定



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地域共同体への愛

佐真下の方を歩くと、このような面白い、琉球的なだじゃれの看板を良く見ます。大山のターンムは大変美味しいです。

地域共同体への愛を感じます。

大きなガジュマルです。枝の上を鳥が数羽飛び交っており、楽しそうでした。この枝振りは造形的にも美しいです。

非常に奇麗な菜園です。私は歩くのが趣味ですが、歩くと色々なモノに触れ、発見できて楽しいです。

二つのシャレが含まれています。「おもしろ看板推進会」が作っているのですね。地域に潤いが生まれます。


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