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プロフィール

Yasukatsu Matsushima

Author:Yasukatsu Matsushima
1963年琉球石垣島生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。

その後、東京、グアム、パラオ、沖縄島、静岡、京都、滋賀にて学び、働き、生活する。

著書に『沖縄島嶼経済史―12世紀から現在まで』藤原書店、2002年
『琉球の「自治」』藤原書店、2006年
『島嶼沖縄の内発的発展―経済・社会・文化』(編著)藤原書店、2010年、
『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』早稲田大学出版部、2007年
『琉球独立への道』法律文化社、2012年
『琉球独立論ー琉球民族のマニフェスト』バジリコ、2014年
『琉球独立ー御真人の疑問にお答えします』Ryukyu企画、2014年
『琉球独立宣言ー実現可能な5つの方法』講談社文庫、2015年
『民際学の展開ー方法論・人権・地域・環境の視座から』(編著)晃洋書房、2012年
『琉球列島の環境問題ー「復帰」40年・持続可能なシマ社会へ』(編著)高文研、2012年
『3・11以後何が変わらないのか』(共著)岩波書店、2013年
『島嶼経済とコモンズ』(編著)晃洋書房、2015年
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ゴールデンウィークの生活

ゴールデンウィークは、自宅で、シュンペーター、サミュエルソン、アマルティア・セン、アリストテレス、ノージック、ガルブレイス、チャーチル、屋嘉先生等の本を読み、多くの刺激と、新たな発想や学びを得ております。

これは何でしょうか。海や池ではなく、田んぼです。ゴールデンウィーク中に田植え作業が行われ、これから稲が育っていきます。美しい風景です。アメリカ押しつけのTPPが実施されれば、琉球の砂糖キビ畑とともに日本の田んぼも減少するでしょう。

二匹の猫、鈴子と芳子が一方向に並んで座っていたいたの、おもしろくて撮りました。静岡、滋賀で拾ってきた猫同士ですが、双方とも仲良くなりました。
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クールな建物

先日、祇園祭を見るために京都四条をあるいたときに、建物全体を緑で覆ったお店をみました。とてもクールであり、自分も住んでみたい建物です。

第14回ゆいまーる琉球の自治の集いの写真スライドショーをアップしました

先月、与論島で開催したゆいまーる琉球の自治の集いの写真スライドショーをアップしました。
https://www.youtube.com/watch?v=7gwm6SBLrt0

第14回ゆいまーる琉球の自治 15

IMGP5085.jpg右から喜山さん、藤原社長、斉藤さんです。喜山さんは小さい頃よく、この浜に来たそうです。小さい頃は3メートルくらいの高さまで砂があったそうです。地球温暖化の影響かもしれません。喜山さんの表情には島を守った人の強い意志があらわれています。

IMGP5082.jpg船でご一緒した与論島で教員をしている方と、その方のお母様が楽しいそうに島の上を走り回っていたのが印象的でした。上陸した島は人を楽しくさせるのかもしれません。

IMGP5087.jpg船に残った3人も島や海について語っているようでした。船頭さんは、やさしく島の海について押して下さいました。大金久海岸で、お土産を売っていた島の方が、「とぅととぅと」といって私たちに挨拶していました。新元さんは娘さんがNHKのど自慢に出場したことを売店の女性と話をし、握手をしていました。

IMGP5089.jpg琉球の島々の浜をいくつか歩いてきましたが、大金久海岸は漂着ゴミがない、とても美しい浜でした。

IMGP5097.jpg沖縄島に向かう船が来ました。与論島に向かう船でもそうでしたが、私の父のような足が不自由な人は船会社が車で船内まで案内して下さいました。与論島に来たときの船には銭湯がありました。また無料のインターネットサービスも利用できました。行きも帰りも穏やかな航海で快適でした。帰りは私たち家族と石坂さんと一緒で、色々と話す機会がありました。

第14回ゆいまーる琉球の自治 14

IMGP5072.jpg皆でボートに乗って、喜山さんが守った百合ヶ浜に行きました。海の暖かい風が心地よかったです。


IMGP5073.jpgグラスボートでしたので、海底の珊瑚や魚を見る事が出来ました。

IMGP5077.jpg
与論島を何回か訪れている斉藤さんや藤原社長もボートから降りてきました。ボートの奥に見えるのが与論島です。もしも対岸に港が作られていたら潮流の関係で、百合ヶ浜が消失していたと言われます。自然の奥深さを肌で感じました。

IMGP5076.jpgボートが百合ヶ浜に近づき、停船した後、希望者は降りて、浜を歩きました。10年近く前に、奄美大島名瀬で百合ヶ浜の話を聞いて以来、どんな浜だろうかと想像していましたが、実際にその浜に裸足をつける事が出来て、感慨が大変深かったです。

IMGP5083.jpg一足先に
浜、島に上陸しました。足裏で砂を踏みしめ、一歩、一歩喜びをもって歩き巻いた。古代の琉球の島々を移動して、初めての島に上陸した琉球人も、感動をもって新しい島の感触を足裏で感じていたのではないかと想像しました。

第14回ゆいまーる琉球の自治 13

IMGP5058.jpgとても美しい与論島のイノーでした。泳いで、その豊かさを体感したいと思いました。


IMGP5059.jpg喜山さんと黒柳さんのご案内で島をまわったメンバーの記念写真です。父も杖をついて参加しました。

IMGP5067.jpg

喜山さんが自らの体を鎖でまいて、沖合にある百合が浜を守るために港の建設を反対した場所で、ご本人から島を守るお話を伺いました。自分の体と島とが一体のものであると考え、命をかけて島を守ろうとした人が琉球におられることが、大変誇りです。

IMGP5070.jpg
喜山さんの島を守る闘いのお話を伺い、参加メンバーがその意味を考え、話し合いました。新元さんも体をはって、宇検村にある枝手久島を巨大資本の開発から守りました。

IMGP5071.jpg島の右側に百合ヶ浜がある事が分かります。砂浜であり、一つの島でもあります。その島を喜山さんは体をはって守ったのです。島の命を残したという意味でも、島の歴史において変重要な事です。

第14回ゆいまーる琉球の自治 12

IMGP5046.jpg
アフリカマイマイのからを背負ったアーマンに、朝、散歩しているときに出会いました。懸命に生きている姿が印象的です。

IMGP5049.jpgホテルのロビーでNPO法人の総会、ミーティングを開きました。参加者が今回の集いで学んだ事をそれぞれの視点から語り合いました。そして今後のNPOの活動について話し合いました。与論島の歴史や文化、生活をもう一度振り返り、これから戻る自らの生活の場で学んだ事をどのように生かしていくのか等を話し合いました。

IMGP5054.jpgその後、喜山さんと黒柳さんのご案内で島の各地を訪問しました。島の方が海で魚釣りをしており、海の豊かさに基づく生活のあり方を、自分の眼で確かめました。

IMGP5055.jpg喜山さんが、島人と海との関わりについてお話ししてくださいました。与論島、初日にも竹さんのご案内で島を回りましたが、その時は雨でしたが、この日は晴れており、海や空の色が大変まぶしいです。今、琵琶湖の近くの家で毛布にくるまりながら、近況を書いていますが、与論島の暖かさが懐かしいです。

IMGP5057.jpg島の食堂です。赤瓦の屋根と、サバニ、空の青が琉球を感じさせます。

第14回ゆいまーる琉球の自治 11

IMGP5028.jpg与論中央公民館の皆様が作ってくださいました。とぅとぅがなし。


IMGP5031.jpg喜山康三さんの車です。TPPについては、ゆいまーるの集いが徳之島で開催されたとき、私がTPPの奄美諸島特に徳之島に与える影響について報告したことがあります。小さな島社会にとっては、サトウキビだけでなく、医療、郵政等、いろんな面で悪影響を与えるものがTPPです。日本政府は、琉球の島々の現状や将来を考える事なく、TPPを実現させようとしています。琉球にとって大きな問題だと思います。


IMGP5032.jpg翌朝、宿泊ホテルの隣を歩きました。台風によって大破したままの状態でした。島野中には同様なホテルが何軒もありました。あらためて台風の被害の大きさを感じました。

IMGP5029.jpg奄美諸島でも、島の言葉の復興運動が行われています。言葉、文化を復興しようという動きが琉球全体でみられます。与論島を歩いていると、懐かしい島の言葉が耳に入り、同じ島の仲間であるという思いをもちました。言語復興でも琉球の島々が互いに協力できればと思います。

IMGP5036.jpgコンクリートの壁もはぎ取られ、鉄骨がむき出しになっています。ガラスドアのガラスも割れていました。海の目の前にありますが、台風の強烈さを目の当たりにしました。グアムに住んでいた時に最大風速104メートルという台風パカを体験したことがあります。宿舎のアパートは揺れ、強風によって防風の窓ガラスを割れそうになりました。このような強烈な台風の被害を受けた島人が九州や関西に移り住んで、その場所で生活をして島を思いつづけて生きてきたことを思い返しました。

第14回ゆいまーる琉球の自治 10

IMGP5020.jpg次に杯は新元さんに渡されました。与論島から奄美大島へに杯がまわされ、島と島とがつながったように、見えました。

IMGP5021.jpg日本山妙法寺の住職の黒柳さんです。「琉球独立論が日本を変える」と仰って下さりました。この交流会が終了したあと、住職のお寺に藤原社長とともに行きました。ご本尊に手を合わせ、琉球独立、インドでの修行、仏教と反戦平和活動、与論島での生活等、様々な話をいたしました。また住職が作った焼きそばをごちそうになりました。多くの大きなバッタがアルミサッシにくっ付いており、私たちの話を聞いているようでした。

IMGP5023.jpg竹内さんが喜山さんに杯を渡して、お話をされています。喜山さんの右となりの方が有馬館長です。今回の集いにおいては、事前にFBのメール交換で準備をしましたが、集いの広報、横断幕作り、機材の準備、交流会の準備等、多く事をお世話になりました。喜山さんや前利さんにも、今回の集い開催にあたり、大変お世話になりました。とぅとぅがなし。

IMGP5025.jpg
料理をつまみながら、それぞれの与論島に対する思いを語り合いました。相手のことを思いやりながら、互いに思いを述べ合いました。心と心の話し合いの時間がゆっくりと流れました。

IMGP5027.jpg新元さんが、島の唄を歌ってくださいました。毎回の集いで新元さんの唄や声を聞くと元気になります。かつての琉球人は、こんなに声が大きく、物事の本質をズバリと語り、霊的力を持っていたのだろうなと、新元さんをみて思います。

第14回ゆいまーる琉球の自治 9

IMGP5013.jpg与論町中央公民館に大勢の方々が集まり、真剣に話を聞き、質問や意見も出されました。公民館の有馬館長をはじめ、職員さんが横断幕を作ってくださっただけでなく、マイクの調整、懇親会の準備等、大変お世話になりました。みーふぁいゆー。


IMGP5015.jpg喜山康三さんも、朝から夕方、懇親会までともに議論してくださいました。また翌日には車を出してくださり、島を案内して下さいました。また、体をはって守った、百合が浜にも行くことが、康三さんのおかげで出来ました。与論島に対する強い思い、島と自分が一体化した方からの発言は一つ一つに重みがあります。


IMGP5016.jpg新元さんも奄美大島宇検村から船で駆けつけてくださいました。宇検村から船で来られる場合、時間の関係で名瀬に一泊する必要がありますが、この集いのために万難を排して来られました。奄美大島と与論島との関係について話してくださいました。地声でも声が会場に響き渡る、すばらしい声です。


IMGP5017.jpg次に与論郷土研究会会長の竹内浩さんが、「先祖のくらしをふりかえる」と題した報告をされました。竹内さんには全員に、『辺戸岬から与論島が見える』というご著書をいただきました。ご自分で図書館に通う等して、島の歴史や文化に関するご研究をまとめたものご著書です。島の歴史を丹念に調べられた、貴重なお話でした。


IMGP5018.jpg皆で会場を片付けを終えて、公民館の一回で、交流会を開きました。与論献奉を生まれて初めて体験しました。竹内さんが、与論献奉の意味ややり方をご説明してくださり、与論島でつくられた黒糖焼酎を、杯に注ぎ、口上を述べた上で、酒を飲み干します。酒は水等で薄める事なく、そのまま飲み干します。会場の全員が参加しますので、一体感が増します。宮古島の、おとーりを思い出しました。島の酒文化を体験できて良かったです。

第14回ゆいまーる琉球の自治 8

IMGP5003.jpg私の父は元、沖縄気象台の職員でした。台湾で生まれ、石垣島、西表島、与那国島、南大東島、沖縄島等で働いてきました。父が、与論島における台風の被害に心を痛め、南琉球の新聞が与論島の台風被害に対する報道の取り扱いが小さいことを批判しました。おなじ琉球文化圏の家族のことであるのにと。

IMGP5004.jpg皆でお昼休みをしていたときに、喜山康三さんが、与論島の地質学的な構造について地図をさしながら、説明してくださいました。島の地殻構造的な特徴が理解できたとともに、喜山さんは島を自らの体の一部のように考えているのだなと、改めて感動しました。

IMGP5006.jpg
確かに島を上から見ると、島の地形が島の歴史や文化とも深く結びついていると思いました。珊瑚礁の形も特徴的です。与論島をじっくり見ていると、島でであった、お世話になった方々の顔が眼に浮かびます。

IMGP5010.jpg
次に喜山荘一さんが「ゆんぬ」の冒険ー五つの謎に迫る、と題する報告をされました。与論島つまり、ゆんぬの名前の語源、歴史、文化、島の成り立ち、島の精神、「復帰」の与論島にとっての意味、琉球独立に「逡巡」することの意味等、多くの事を学びました。大変、説得的であり、刺激的な報告でした。

IMGP5012.jpg
喜山さんの報告の時、多くの島人が来てくださり、強い関心をもって話を聞いてくださいました。女性や少年の姿も多く、自らの島の事を知りたいという、島人の熱気を感じました。参加していた少年の眼が輝いていたのが、印象的でした。

第14回ゆいまーる琉球の自治 7

IMGP4995.jpg島をこよなく愛する与論島の歌であり、島をこよなく愛する島人によって島の各地で、歴史を通じて歌われてきたことを思うと、胸が熱くなりました。

IMGP4996.jpg参加者全員で、会場の机や椅子を並べ、公民館の方々が準備してくださった横断幕を張り、プロジェクター等をセットして、午前10時からゆいまーるの集いが始まりました。藤原書店の藤原社長が司会をして、私が与論島の方々に対してご挨拶を申し上げ、また参加者が自己紹介をし合いました。

IMGP4997.jpg土曜日の朝の時間にもかかわらず、島の方々が来てくださいました。朝、7時前に集落の放送で、ゆいまーるの集いについて紹介してくださったことや、与論島のホームページでも紹介してくださいました。来場者は、10時から5時まで、行き交いました。朝から5時まで参加してくださった方も何人もおられました。

IMGP5001.jpg最初に前利さんが、与論島や沖永良島から口之津島、三池の炭坑で集団的に労働した人々の歴史について、一時資料に基づいて報告してくださいました。実証的な丹念な、また島人に対する深い愛情に基づいたお話でした。移住した島人の歴史から、与論島が置かれた政治経済的背景も明らかになりました。

IMGP5002.jpg会場からは、島で郵便局で働かれ、今は島の歴史の研究をされている方や、日蓮宗の僧侶、町の町議の方々などからご質問や意見が出されました。去年から今年に掛けて与論島は台風の大きな被害を受けましたが、戦前の集団移住の際にも台風による被害が移住のプッシュ要因になったようです。南琉球でも特にソテツ地獄以降、島から出て行かざる終えない人々が増えました。

第14回ゆいまーる琉球の自治 6

IMGP4986.jpg三山時代の北山王、ハネジの三男であるオーシャンが与論島に移り住む、世の主となり、与論グスクを増築したそうです。オーシャンという響きが、英語の海洋とも似ていて、海の王というイメージをかき立てます。

IMGP4989.jpg北山滅亡のために、与論グスクの築城は途中で終わりましたが、その全容は今帰仁グスクに似ていると喜山さんが教えてくださいました。グスク文化、シヌグ文化等、南琉球と共通する文化を体験することができました。

IMGP4990.jpg
夜は、前夜祭として交流会をしました。前利さんは非常に忙しい中、与論島でのゆいまーるの集いを準備し、また沖永良部島でのお仕事もあり、午後、ホテルで原稿を書き、夜、皆と合流しました。次の日には、午前中ご報告して、午後には沖永良部に戻りお仕事をされました。ありがとうございました。今日一日、島で学んだ事をそれぞれの視点で語り合いました。

IMGP4991.jpg
竹さんも交流会に参加してくださいました。島で生まれ育って、働いてこられた竹さんから与論島のことをいろいろと教えてもらいました。今、NPOを立ち上げて、島の歴史や文化を学び合う活動を精力的にされています。島の美味しい料理を食べながら、与論島について語り合いました。

IMGP4992.jpg
私と同じ年の喜山さんから、じっくり与論島の話を聞いたのは今回が初めてでした。以前、大阪に喜山さんがこられたとき、大阪大正区で行われた佐渡山豊さんのコンサートと、野村浩也さんの講演会にいっしょに行った事があります。その時も琉球について語り合いました。今回は生まれ島、与論島の上で喜山さんから島の歴史、文化について詳しくお話を伺う事が出来て、大変、良かったです。島に対する強い拘りをひしひしと感じる事が出来ました。『奄美自立論』をもう一度読んでみたいと思いました。

第14回ゆいまーる琉球の自治 5

IMGP4975.jpg台風で大破した島の歴史文化を紹介する場所です。台風の被害の大きさを改めて感じました。遺跡の発掘場所に屋根をつけて、島の古代の歴史を見る事が出来ます。

IMGP4976.jpg約3000年前に人が与論島のここで生活をしていたと思うと、わくわくします。沖縄島とも共通の生活文化要素をもっていることも分かります。見える距離にあるので、海をわたって人々が行き来していたのです。今は行政的な境界線が引かれていますが、それがいかに人為的なものであることが分かります。

IMGP4978.jpg次に牛に引かせた、サトウキビの搾汁器を説明してくださいました。南琉球でも使われていたものです。指が器械に挟まれないような工夫であるとか、子供が牛につけられた棒にぶら下がって遊んだ話など、目の前に浮かぶようでした。黒糖の甘い香りがしてくるようでした。

IMGP4979.jpg与論グスクにある、土俵です。台風による被害を修繕していました。奄美諸島各地でも土俵をみたことがあります。

IMGP4983.jpgこの日は雨で、
南琉球の島々は見えませんでしたが、この絵のように、晴れた日には沖縄島、伊平屋島、伊是名島等が見えるようです。与論島の人々からこのように沖縄島が見えていたのだなと実感しました。私は与那国島に住んでいた時に、台湾を見た事がありますが、琉球弧が互いに連なり合っていることの意味は大きいと思います。島は孤立していません。

第14回ゆいまーる琉球の自治 4

IMGP4967.jpgクバの葉でつくった水汲みです。南琉球の島々でもあります。プラスチックではない、手作りの暖かみがあります。島でつくられたものがとても大切であることが、現在のモノがあふれた社会にいると、実感します。

IMGP4969.jpg菊さんが島の生活史を一つ一つの手作りの物を通して説明してくださいました。菊さんご夫妻は、島のソテツみそ、パパイア漬け等、島産の食品も手作りで生産、販売しています。試食しましたが、とても美味しく、黒糖とともにいくつか買わせていただきました。


IMGP4970.jpg
ソテツの葉でつくったものは何だと思いますか。答えは虫かごです。そう菊さんから聞いて感動しました。ソテツは島の人にとってとても重要なもので、生活の一部であったことが分かります。

IMGP4973.jpg島の機織です。私の祖母、大浜ニルムイが元気であったころ、よく家で糸を紡いでいました。私の妻も染織をしており、家で時々、機織の音がしています。竹富島、西表島、与那国島、石垣島等に行った時にも、機織をしている様子を見ましたが、島の文化にとって機織がとても重要であることが与論島でも実感することができました。

IMGP4974.jpg台風で半壊した茅葺きの小屋を修繕するための茅が小屋に掛けられています。奥には島の物産販売所であり、長机や椅子のある休憩所があります。菊さんからお話を伺いながら、お茶をいただきました。厳しい島の自然や生活について考えました。

第14回ゆいまーる琉球の自治 3

IMGP4958.jpg琉球の貝をはじめとした、島の民具が展示されています。これまでの島の生活を想像できました。ソテツの実が詰まった瓶もあり、ソテツが奄美諸島の食文化において大変重要なものであることが、与論島でも分かりました。


IMGP4959.jpg大小さまざまなカメが展示された部屋です。とても大きな部屋で、これほどのカメを見たのは初めてです。特に大きな水瓶をみると、かつて水が大変貴重なものであったことがわかります。菊さんが、水の神様を配慮して、儀礼をした上で、このカメの部屋をつくったというお話も感動しました。


IMGP4961.jpg赤瓦の家です。南琉球のものと同じです。沖永良部島でも赤瓦の家をみたことがあります。与論島が琉球文化圏の家族であることを改めて感じました。台風でもびくともしない琉球の家の強さ、凛々しさがあります。


IMGP4963.jpg
喜山さんがアーマン、ヤドカリをみつけ、やさしく語りかけていました。何かのキャップを自分の家にしていました。別の場所では、アフリカマイマイの殻を自分の家にしていたアーマンもいました。ヤドカリが多い島です。また黒島と同じく、キジも多いそうです。

IMGP4966.jpg与論文化村を管理している菊さんが、静かに、また楽しく、島の歴史や文化を話して下さいました。台風で茅葺きの展示小屋が半壊しても、それにへこたれず、島の文化を守ろうとしている姿に感動しました。本当に島の文化が好きなんだなと思いました。菊さんは島の言葉の継承活動もしており、定期的に近くの小学校の子供たちに島の言葉を教えているそうです。

第14回ゆいまーる琉球の自治 2

IMGP4948.jpg竹さんから与論島のコスモロジーを伺いました。島で神聖な場所で、シヌグ祀り、神々の来島のお話を、心を静めて聞き入りました。


IMGP4952.jpg与論では感謝の言葉を、とぅーと がなし、と言います。とても素敵な言葉だと思います。大金久海岸の売店の女性からも「とぅーと、とぅーと」と声をかけられました。


IMGP4953.jpgガジュマルです。与論島が琉球文化圏の家族であることをあらためて実感しました。地に根を張って、台風にもびくともしない、たくましい木です。このような人間になりたいと思いました。


IMGP4956.jpg
竹さんのご案内で与論民俗村にいきました。菊さんのお父様が、地道に島の民芸を集めて、作られた民間の博物館です。今は菊さんの息子ご夫妻が民俗村を運営しています。自らの民俗文化を守り育てようと言う、島人の強い意志を感じました。

IMGP4957.jpg今年は台風が多く、民俗村の茅葺の家屋が被害を受けました。柱で支えて家屋が倒れないようにしています。茅葺きの資料館を、愛おしむ菊さんの強い意志を感じました。

第14回ゆいまーる琉球の自治 2

IMGP4929.jpg与論島でもシヌグが行われ、祭りの中でも重要な位置を占めています。沖縄島、伊平屋島、伊江島等が与論島から眼で見える距離にあり、本当に近いなと感じました。当然、人の行き来が活発に行われていたのです。


IMGP4930.jpg左が喜山さん、右が竹さんです。喜山さんは『奄美自立論』を書かれ、与論島クオリアという大変勉強になるブログを書かれている方です。竹さんからは島の歴史や文化を実際の場所に行って学ぶ事が出来ました。歴史ガイドをされておりますので、皆さんも与論島にいかれる際には竹さんに案内してもらったらいかがでしょうか。


IMGP4931.jpg琉球石灰岩でできた丘であり、北を向くと、沖永良部島が見えます。南琉球と同じ岩によってつくられた島であること分かります。南琉球やグアムでも石灰岩の風景をみることができます。


IMGP4933.jpg
すこし強い風が吹き、雨が降る中でしたが、近世において烽火をたいて、異国船を通報した丘に登りました。波照間島、黒島等でもおなじような烽火をたいた岩山に上った事があります。琉球列島が互いに連なり合った島々であることが実感できます。


IMGP4939.jpg大兼久海岸です。かつて、この場所に港を作る計画がありましたが、喜山さんの伯父さんである、喜山康三さんが、体に鎖を巻いて、その建設を阻止した場所です。後日、康三に連れて行ってもらった百合が浜が消えないために、体をはって島を守ったのです。かつて、その話を奄美大島の森本さんから伺い、携帯でご本人と話をしたことがあります。鎖で体を縛った情景を想像しながら、佇みました。

第14回ゆいまーる琉球の自治 1

IMGP4906.jpg
11月1日、朝6時半に那覇港に両親といき、皆とで石坂さんとお会いして出発しました。石坂さんとは、私が早稲田大学大学院在学中から、私の報告に来て下さって以来、交流をさせていただいており、毎回、ゆいまーるの集いに参加されています。沖縄協会で長い間働いておられました。


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与論島に到着しました。与論島には、大学生時代、東京の晴見からよく船で琉球に帰国した時、船の上から島を見たことがありますが、長く島の上で滞在するのは初めてです。ギリシャのミコノス島と姉妹関係にあり、白いウキボリ、構築物が島中にあります。


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ホテルに到着して、喜山さんと近くのパスタ屋さんで、参加者の数名と昼食をとりました。鍋焼きバスタで美味しかったです。北海道から与論島に移住されたご夫妻で営んでおられました。その後、竹さんに島を案内してもらいました。あいにく小雨でしたが、島の歴史、文化の要所に行き、お話を伺うことができました。ここは島の創世神話の場所です。南琉球ではバンタといいますが、与論ではパンタとなり、沖縄島の国頭語の言語圏であることが分かります。島の方々も耳慣れた琉球の言葉を話しており、とても、親近感を感じました。


IMGP4927.jpg
右側が新元さん、そして石坂さんです。新元さんは独立学会の時には台風の影響で沖縄島に来ることができませんでしたが、今回は、島に到着することができました。新元さんは与論島でかつて行われた新空港反対運動の時にも島にきて、反対運動を支援されたそうです。

IMGP4928.jpg
シニグク、アマミクという琉球の創成神が島を作った場所に立ちました。とても島らしい神話で嬉しかったです。島が作られたときの情景を想像しながら、竹さんのお話を伺いました。

与論献奉と琉球独立

ゆいまーるの集いが終わった後、公民館において、交流会を開きました。竹内さんのご案内で、初めて与論県献奉を体験しました。参加者が向上を述べて、島の黒糖焼酎を一気で飲みました。全員が同じ杯で飲み合いますので、一体感が強まりました。その後、参加者のお一人で日蓮宗の住職をされている黒柳さんの道場に招かれました。

「琉球独立論が閉塞状況にある日本に喝を与える」と黒柳さんが語られ、ご自身が住んでおられたインドのガンジーの独立運動の例を引きながら、独立することの意味について議論しました。精神的な独立の重要性についても話されました。

与論島でのゆいまーるの集い

昨日は、与論島中央公民館において朝10時から夕方4時半まで、ゆいまーるの集いをしました。会場には約50人の島の方々が来て下さいました。

最初に前利さんが、与論島や沖永良部島から口之津や三池の炭坑、そして神戸の造船所等で働いた人びとの歴史や、社会的背景について一次資料に基づいてご報告下さいました。島の人びとが何故、炭坑で働くようになったのか、台風と出稼ぎとの関係、賃金差別、西表島炭坑との比較等、非常に興味深いご報告でした。

午後の喜山さんは、与論島という島の名前の由来、オーストロネシア語族との関係、島の歴史や言葉、社会のあり方等、島の根源的なお話を伺いました。また体の感覚として南琉球の島々との近さを感じているとのご指摘に感動しました。

琉球独立に対して「逡巡」する島の人の心の重みや歴史的背景について改めて考え、謙虚に受け止めました。喜山さんは『奄美自立論』の著者ですが、島に対する思いの深さを感じました。最後に竹内さんが、3000年前から現在ましての与論島の歴史を詳しくご報告して下さいました。竹内さんが書かれた『辺戸岬から見える与論島』というご本を頂戴しました。

島の歴史を知る上でとても参考になるご本だと思います。会場にこられた参加者からもいろいろな観点から質問やご意見が出され、活発な意見交換が行われました。今年は奄美諸島復帰60年です。与論島において、日本と琉球との関係、北琉球と南琉球の境にある与論島の位置が持つ歴史的、社会的な意味について考えました。

朝、宿舎の前を歩き、台風によって破壊され、休業状態に追い込まれたホテルを見ました。昨日も参加者の方から台風被害の状況を伺いましたが、参加者全員が何らかの形で被害を受けており、心よりお見舞いを申し上げました。

同じ琉球文化圏の島であるにもかかわらず、与論島の台風被害について南琉球の新聞の報道が小さいとの父親の指摘もありました。琉球の同じ仲間であるとの思いを強めた、ゆいまーるの集いでした。

与論島の文化を守る人の話を伺い感動しました

今日は、竹さんのご案内で島を参加者皆で回りました。詳しくは後日、FBや私のブログでご報告すると思いますが、島の歴史、自然、文化を知る上で重要な場所を直接訪問し、その場の空気を吸い、竹さんの説明を聞くことができました。

琉球のヤンバルとは国頭語を与論島は共有していることもあり、なつかしい、しまくとぅばを各地で聞くことができました。島を襲った台風によって大きく破壊された与論島文化村では、菊さんが、島の歴史を詳しく話して下さいました。

しまくとぅばを子供たちにも教えているそうです。お父様が集められた島の文化財を守り、茅葺きの家屋を再建しようとしている意気込みに感動しました。また百合が浜が見える海岸にも行きました。喜山こうぞうさんが、体に鎖を巻いて開発をとどめて、浜をまもったという話を数年前に奄美大島で携帯電話を通じて、ご本人から聞きました。

その現場に今日行くことができ、喜山さんのおいの荘一さんから伺いながら、今日は満潮で見えない百合が浜を見つめました。今晩はこれから交流会をします。与論ケンポウも楽しみです。

与論島に向かう船の上

今、マリックスラインの船に乗っています。6時半に家を出ました。小雨ですが、船も大きく揺れることなく、順調な船旅です。沖縄島を右手に見ながら、与論島に向かいます。昨日は、琉大の石原先生から琉球諸語復興の歴史的背景、社会的意義を国際的な観点から詳しく伺いました。

夜は、新報の三木さんや普久原さん、音楽家の海勢頭さん、歴史家の平良さん、ライターの安里さん、思想家の川満さん等と交流会を開きました。本音で琉球の今と過去を話し合う、とても刺激的な夜でした。

今日は、12時前には与論島に到着して、島の各地に行き、島の方から島の話を伺いたいと思います。前働いていた大学で45日間、太平洋の島々を学生たちと船で旅行したこともあり、好きです。船旅は海を見ながら、ゆっくり思いふけり、ものを考えることができます。

与論島における、ゆいまーる琉球の自治の集いの開催

今週土曜日から与論島におきまして、ゆいまーる琉球の自治の集いが開催されます。前利さん、喜山さん、その他の島の方々がご報告し、議論をさせていただきます。金曜日に那覇港から与論島に船で行き、島を見学します。日曜日に船で沖縄島に戻りますが、船で島々をみるのも楽しみです。与論島に上陸し、島の歴史や文化に触れるのは初めてであり、おおくのことを学びたいと思います。

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ゆいまーる琉球の自治in与論島

次の通り11月1日から3日まで与論島で、ゆいまーる琉球の自治in与論島を開催します。参加希望の方は、私にご一報くださるほか、直接、旅行社に申し込んでください。

奄美航空ツーリスト 与論営業所 
〒891-9301 鹿児島県大島郡与論町茶花65-1 
TEL 0997-97-2476/FAX 0997-97-2475 MAIL:rnj-city@ama2.jp 

同社への申し込みは電話にてお願いします。

なお、宿泊ホテルは与論島パークホテルです。会場は与論町中央公民館です。
充実した学びの場になればと思います。

与論島で第14回目のゆいまーるの集いを開きます

11月1日から3日まで、NPO法人ゆいまーる琉球の自治による集いが与論島で行われる予定です。島の住民が島の自治について議論する車座の集いとして今回で第14回目となります。

今回の開催にあたり、沖永良部島の前利さんに大変お世話になっております。

集いの開催の詳細が決まりましたら、お知らせしますが、この集いに参加されたい方は、私までご連絡下さい。私は沖縄島まで飛行機で行き、那覇から船で与論島に行く予定です。これまで船の上から与論島を見たことは何度かありますが、上陸し、島を歩くのは始めてになります。

島の歴史、文化、政治経済から多くのことを学び、島人との関係を深めたいです。

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集いが終了した次の日の朝、参加者で集まり、今回の集いの総括を行いました。それぞれが、それぞれの立場で石垣島の戦争の歴史、現在の国との闘い、市行政批判、平和な島づくり、そして西表島や竹富島における琉球人の島を守る活動等について発言しました。この集いで学んだことを、どのようにまた八重山の島々の平和のために還元し、また自分が生きる地域の平和に活かしていくかが、それぞれの参加者に問われています。


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齊藤さんと新元さんはこの後、与那国島に行き、田里さんを中心とする自衛隊基地反対の住民と会い、話を聞き、励まし合ったそうです。また参加者の中には、潮平さんや三木さんの案内でさらに島の各地を回って、学んだ方もいました。


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たあずぐやーの民宿にあった花です。民宿のあんまーとも親しく話をすることができました。ホテルよりも島の民宿の方が、いろいろと島のことが学べていいですね。帰りには全員に黒砂糖のお土産まで頂戴しました。みーふぁいゆー。


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石垣新空港のターミナルに飾られていた、クバの葉で作られた、おそらく、カンムリワシです。前のターミナルも味わいがありましたが、新ターミナルでは、人と人との交流ができる空間も多く、非常ににぎやかな、楽しい気持ちになりました。


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父母と一緒に生まれ島、石垣島に来て、集いでも多くのことが学べ、また親戚の方々にもお会いすることが出来ました。その時、丁寧に運転し、一緒に親戚の家を探してくれたタクシー運転手の方にも感謝したいです。父を車いすに乗せ、座席の場所等、JTAのキャビンアテンダントの方々にもご配慮を頂き、お礼を申し上げたいです。今回の集いでは多くの方の自治的精神のおかげて実施することができました。改めて感謝したいです。みーふぁーゆー。

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交流会の最後に新垣さんが、山里さんとの掛け合いで石垣のジラバを歌いました。お二人のジラバは深く私の心に残りました。お二人の、そして、これまで石垣島に生きてきた琉球人の歴史や文化が一つの唄に込められたものでした。島の強さを体全身で感じました。



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山里さんも、石垣島がこれまで受けてきた外からの暴力に対する島民の悲しさが、せつない唄声で表現されました。またこれらの暴力に屈しない島民の独立心、抵抗力をも唄から教わったように思います。



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新垣さんは三線も弾いて下さいました。新垣さんは社会大衆党で活動をしたいたころ、東京で三線を弾きながら選挙活動をしていた様子を新聞で見たことがあります。それほど新垣さんは琉球の文化を愛し、文化で琉球の政治を変えようとしていたと思います。琉球民族独立総合研究学会の発足シンポジウムの最後に、金星さんがデンサー節を歌って下さいました。琉球の唄は琉球人の心を揺り動かす力を持っています。


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翌日は母の日でした。私たちが宿泊した白保でも掲示板に母の日を祝う言葉がありました。白保は心温まる成人式でも有名な場所ですが、地域のいたるとこに、人間の愛を感じることができます。


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その日は、両親とともに親戚にご挨拶をしましたが、その間をぬって、介護老人ホームの前で、琉球独立について八重山日報のインタビュー取材を受けました。翌日、新聞の一面に掲載されました。様々な立場の人が、冷静に琉球独立について考えてほしいと思います。

記事は次のウェブサイトで見ることができます。
http://www.yaeyama-nippo.com/2013/05/13/琉球独立で平和な島に-尖閣は争い棚上げを-市出身の松島教授提唱/

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金星さんが島の唄を歌って下さいました。島での生活が唄ととともに私の心に伝わってきました。お隣におられるのは目取眞さんです。今回は、琉球の空手、独立等について話し合うことが出来て大変良かったです。


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新元さんもマブイの唄を歌って下さり、交流会は大変盛り上がりました。琉球の島々の唄が石垣市一番地で響き合っています。


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島そば一番の島料理も大変おいしかったです。一階では手作りの八重山そばを食べることができるので、皆さんも石垣に行かれる際にはぜひ食べて下さいね。


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新元さんは、琉球弧の住民運動の時から、島の問題に真剣に立ち向かう生き方をしてこられました。次の週には沖縄島で琉球民族独立総合研究学会のシンポがあり、それにも参加されました。その時、宮城=内海恵美子さんと久しぶりに会い、宮城さんのお宅に泊まりました。島を超えた琉球人の団結、友情を感じました。


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沖縄国際大学で行われた学会設立シンポ終了後の交流会で、新元さん、金星さんとの関係についてお互いが楽しく話をされていたのを思い出します。奄美大島と西表島で、互いに島と一体化して、島を守ってきたお二人をみて、話を聞いて、大変励まされました。

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交流会では、アイヌ民族の川村さんとそのお仲間が合流しました。金星さんのご案内で西表島に行かれると聞きました。左の方がアイヌ民族の唄を歌って下さいました。


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川村さんとは1年ぶりでした。昨年5月、沖縄島で行われた「復帰」に抗議する集会にグアムのチャモロ民族と一緒に行ったとき、アイヌ民族とチャモロ民族との話し合いの時に、通訳をさせていただきました。グアム大学のマイクさんは、アイヌ民族団体の旗をもらい、大切にしていました。


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山里さんは語り方はやさしいですが、島に足をつけてしっかりと、島の自然、しまんちゅの生存や権利を守るための闘いを続けておられます。とれも励まされます。


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潮平さんのお話の中で、琉球独立を島の経済の観点から話して下さったことも大変、印象に残りました。また平和の大切を子供たちに伝える活動もされています。石垣の子供たちは育鵬社の教科書で勉強をしていますが、島人からの話しをしっかり心にとどめてほしいと思います。


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三木さんとも久しぶりにお会いしました。西表島で金星さんと協力して炭鉱に関する記念碑を設立するための活動をされているとのお話を伺いました。また琉球とニューカレドニアとの友好活動にも精力的に取り組んでいます。ニューカレドニアの琉球人についての歴史について伺いました。三木さんがかつて、新聞記者であったころ、太平洋諸島を取材し「オキネシア」という本を出版しましたが、太平洋の島々と琉球をと結ぶ活動を実際に行っており、すばらしいと思います。

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