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プロフィール

Yasukatsu Matsushima

Author:Yasukatsu Matsushima
1963年琉球石垣島生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。

その後、東京、グアム、パラオ、沖縄島、静岡、京都、滋賀にて学び、働き、生活する。

著書に『沖縄島嶼経済史―12世紀から現在まで』藤原書店、2002年
『琉球の「自治」』藤原書店、2006年
『島嶼沖縄の内発的発展―経済・社会・文化』(編著)藤原書店、2010年、
『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』早稲田大学出版部、2007年
『琉球独立への道』法律文化社、2012年
『琉球独立論ー琉球民族のマニフェスト』バジリコ、2014年
『琉球独立ー御真人の疑問にお答えします』Ryukyu企画、2014年
『琉球独立宣言ー実現可能な5つの方法』講談社文庫、2015年
『民際学の展開ー方法論・人権・地域・環境の視座から』(編著)晃洋書房、2012年
『琉球列島の環境問題ー「復帰」40年・持続可能なシマ社会へ』(編著)高文研、2012年
『3・11以後何が変わらないのか』(共著)岩波書店、2013年
『島嶼経済とコモンズ』(編著)晃洋書房、2015年
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チャモロ人ファミリーのつながりの強さ

エドさんのお宅では、沢山の手料理と、ウクレレ演奏、そして歓談で楽しいひとときを過ごすことができました。準備にも多くの時間と手間ひまがかかったと思います。

またエドさんのご両親、弟さん、息子さん一家、他の親戚の方々とも出会うことができました。人と人とのつながり、家族のつながりがとても大切であることを改めてエドさんファミリーから教えてもらいました。みーふぁいゆー。
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竹峰誠一郎さんの里海論レジュメ

竹峰さんが現在、三重で進められている里海研究プロジェクト研究会で発表されたレジュメをご本人の了解を得て掲載します。

伊勢湾再生研究プロジェクト・社会系グループ 公開研究会
2009/03/08 桑名中央公民館
「里海」とは

竹峰誠一郎

1.はじめに
1-1 近年注目を集める「里海」
 沿岸域の環境保全に取り組む市民活動の場
・高知県柏島 NPO 法人「黒潮実感センター」
人と海が共存できる持続可能な「里海」づくり、「里海セミナー」の開催

 漁業者による活動の場でも
・千葉県木更津 NPO 法人「磐州里海の会」
・静岡県浜松市「はまなこ里海の会」
・『里海通信』(全漁連・環境・生態系保全チーム=発行)
 マスコミ報道

・『毎日新聞』社説(08 年12 月24 日)
「『里海』創生――海を身近にするチャンス」
・NHK 「伊勢湾答志島――里海の四季」(07 年2 月ローカル放送→全国放送)
 Web 上でも
・Google 検索「里海 の検索結果 約 171,000 件」(09 年3 月現在)

・Wikipedia にも登場
 国が推進政策に位置づけ
・水産庁『水産白書』(07 年度)「『里海』の再生をめざして」
・「海洋基本計画」(08 年3 月)「『里海』の考え方の具現化を図る」
・環境省「里海創生事業」支援(08 年度から)

「里海30 選」の選定(10 年度から予定)
・国土交通省「里浜づくり宣言」(03 年)
→08 年は「里海元年」(中島満 web 上「MANA しんぶん」)

1-2 認知度が高まる反面……
 言葉が独り歩き
・「人によって認識が違う。……言葉が独り歩きした面もある」
(尾川毅・環境省閉鎖性海域対策室、09 年1 月31「里海シンポin 志摩」)
 「里海」の氾濫(中島満 web 上「季刊『里海』通信」)

・「『海』や『漁村』を、なぜ「里海」と表現したほうがよいのか」
 なぜに「里海」?(水産政策審議会第20 回企画部会、07 年11 月)
・「湾を、海辺を『里海』『里海』と強調する意味がどこにあるのか」
・「里山の形成が非常に大事だというのは一般の国民にも分かりやすいと思って
いますけれども、一般国民が「里海」という言葉に今現在なじみがあるのか」

・「海岸の環境整備については相当国民の理解を得られる」が、なぜに「里海」?
 「『里海』という言葉への警告」(向井宏:海の生き物を守る会)
・シンポ「『周防の生命圏』から日本の里海を考える」、08 年7 月、山口県
「『里海』と称して人手を入れることは環境を悪化させることでしかないので、__
私は海に親しむ海岸を作る-みんなが考えているような『里海』を作るには自然
の海岸を守ること、これが一番大事だと思います」

1-3 本発表の材料とねらい
 柳哲雄氏の「里海」
・プロフィール=九州大学教授・理学博士、専攻は沿岸海洋学
沿岸域の物質輸送に関与する物理・化学・生物過程の研究に従事

・なぜとりあげるのか
里海の提唱者「90 年代後半に『里海』という概念を思いついた」(柳2006:95)
・資料=柳哲雄(2006)『里海論』恒星社厚生閣

 中島満氏の「里海」
・プロフィール=水産業界紙の記者・編集者を経て、現在フリーライター
「まな出版企画」代表→雑誌『季刊 里海』、『海の守り人論』(1,2)等発刊
海と人との関わり、特に漁業権とその地域実態に関心を寄せ取材を続ける

・なぜとりあげるのか
「里海」を社会系にどう引きつけていくのか様々な示唆
・資料=「『里海』って何だろう?――沿岸域の利用とローカルルールの活用」
(『水産振興』第487 号、2008 年7 月)をはじめとする中島氏の論稿および
インタビュー(2009 年2 月13 日:東京)
⇒ <ねらい>「里海」という言葉をどう理解し、どうとらえていけばいいのか?

2. 柳哲雄氏の「里海」
2-1 柳氏の定義
 「里海」とは
「人手が加わることによって、生産性と生物多様性が高くなった海」(柳2006:2)
 定義への疑問⇒「人手を加える」とは?
・新たな「開発」の口実に使われないか?
・無駄な公共事業の口実に使われないか?
・これまでの人手の加え方、従来の施策に対する反省はないの?
海の環境がなぜ疲弊してきたの?
↓柳(2006)を読み進めると……

・「人がいるからこそ保たれる豊かな自然がある」(柳2006:29)ということを述べ
たうえで、人の手をどう加えるのか、どう豊かにするのかに走るのではなく……

2-2 里海づくりの基本
 「里海を実現する基本は、沿岸海域で太く・長く・滑らかな物質循環をどう実現
することに置かれなければならない」(柳2006:31)
 「人々がどの部分にどのような手を加えることが、太く・長く・滑らかな物質循
環を保ち、沿岸海域の生態系を豊かにするのかを考えて」(柳2006:30)

2-3 行為の規制・禁止則
 「『里海』を実現するには、……沿岸海域でどのような事業なら許されるのか、
どのような事業はしてはいけないのかなど、様々な局面における沿岸住民と沿岸__
海域の関わり合い方を具体的に明らかにする必要がある」(柳2006:30)

 「指標生物の生息密度を保全するために、目標とされる水質や禁止されなければ
ならない行為など様々な行動指針を具体的に定めていく必要がある」(柳
2006:33)

 「『里海』を創造・維持するための環境倫理を確立するのみならず、富を生み出
す『里海』に関係する人々が守らなければならない、様々な掟(義務)を整備し
ていく必要がある」(柳2006:91)

2-4「埋め立て」の禁止
 「沿岸海域の埋め立て工事は原に禁止されるべきである」(柳2006:32)
 「干潟を埋め立てて、水田などの陸地にしてきた日本の国土利用法は、……食
糧生産性の観点から検討し直す必要がある」(柳2006:14)

2-5 自然の機能修正・再生への留意事項
 「埋め立てや直立護岸造成など、人の様々な行為により劣化した沿岸海域
における自然の機能を修復し、再生することが、現在非常に重要になってきて
いる」(柳2006:51)
としながらも……

 「いくつかの海域では、藻場造成に名を借りた廃棄物処理が行われているが、
このような工事は……決して許されることではない」(柳2006:32)
 「(人工砂浜・人口干潟の)事業を行う場合、将来にわたっての維持費用のこ
とも当然考えておかねばならない。……環境を保全するための高い費用負担を
将来の世代に押しつけることは賢明ではない」(柳2006:33)

 「干潟生態系を人間の都合の良いように造成・維持するということは容易では
ない。……干潟の再生・創出に完全に成功した例はない。……海に関する私た
ちの知識はまだまだ十分ではない」(柳2006:60)

2-6 厳しい漁業資源管理規則の必要性
 「沿岸海域を「里海」とするためにも、里海と同様、厳しい漁業資源管理規則と
それを維持していく適切な社会的仕組みが不可欠である」(柳2006:80)
・姫島<瀬戸内海の西端、大分県>の事例(柳2006:76-80)
・三崎<愛媛県>の事例(柳2006:80-84)
・東南アジア(柳2006:85-86)の事例
インドネシアの「『サシ』と呼ばれる資源管理法」を紹介。
「サシには『休む』、『休漁する』、『禁漁する』という意味がある」
「東南アジアにおける自然資源保護の制度は『里海』をつくり出すために大いに
参考になる。私たちは日本沿岸海域を利用するための合理的な”サシ”を確立しな
ければならない」(柳2006:86)

2-7 「里海」という言葉の二つの出自
 「里山」という文脈__
・「生産性が高く、かつ自然生態系も豊かな里山のあり方を、海でも考えることは
できないだろうか?すなわち『里海』をつくるのである」(柳2006:29)
里山だけではなく

 沿岸海域の再生という文脈 ←この点を押さえることは重要
・「魚が採れなくなって汚れた沿岸海域を、どうすれば昔のようにきれいで豊かな
海に再生できるか、という問題に関する議論をして、さらにいくつかの実践活動を行
ってきた。そして、1990 年代後半に、『里海』という概念を思いついた」(柳2006:95)

3.中島満氏の「里海」
3-1「里海」のイメージ
 「人里近くにあって、その土地に住んでいる人の暮らしと密接に結びついている
浜・海」を「『みんな』で守り、利用していこう」とすること(中島2009a:20)

3-2「里海」との出合い
 「地域の人々と海のつながり」への注目
・「再生ということは、自然環境や海生生物たちの現状や将来に、眼がいきがちで
すが、私の視点というのは、実は、どうしても海と関係を持つ人、とくに地域の
人々が海という自然域とのつながりの深さをとりもどしたり、新たに創り出した
りする、そういう方向に、どうしても入ってしまうのです」(web[季刊里海]
通信)

 「里海」に注目するきっかけ
・地域で起こった「里海」と名をつけた漁業者の新しい動き
2004 年3 月 漁民のNPO 法人「盤州里海の会」の発足(→中島2009a:21 参照)
地先の地域実態から「里海」へ
↓そんな中島氏の目には……
「里海の議論の中で地域というのが話されていない。漁村集落、漁村の実態が見
えてこない」(中島2009b)

3-3「里海」への問題意識
 漁業の苦境・農村の疲弊
・「なぜ今、里海なのかを考えてみましょう。今、漁業は苦境に立たされ、漁村
は疲弊し地域は大きく変貌しました。黙っていても、海沿いの地域を代表する主
体者は漁業者、漁協であると、国民だれもが納得できた時代が変わろうとしてい
ます」(中島2008a:6-7)

 「里海」が出てきた背景
・「漁業者だけで地域を管理してきた時代がだんだん変化していった。そこに『里
海』がでてきた」(中島2009b)

・「漁業・漁村の置かれている現実をなんとかしなければ、という危機意識が背
景にある」(中島2009a:20)
・「漁村の力が弱くなっている時だからこそ、漁業者も率先して、みんなが納得
ずくで地先の海、里海を利用できる仕組みを市民の人たちとつくっていく」(中
島2009a:21)__

「里海」という言葉を用いて
・地域の暮らしへの注目
「地域実態を無視した計画は上滑りする」
「きれいな海、豊かな海ではない。暮らしなんだ」(インタビュー)

・「新しい海の利用の姿」「新しい海の共有」にむけた地域実態をさぐる
「漁業という産業としての利用や、漁業者を中心に海沿いに住む人々の生活に結
びついた利用に加えて、地域外や漁業者以外の人びとによる利用とが、漁業制度
の枠組みを維持しながらも、『漁業』の定義を一歩踏み越えた解釈をしなければ
ならなくなるような新しい海の利用の姿が、各地で起こり始めているのではない
か」(中島2008a:8)

→参照 中島(2008a), 中島(2009a)
別紙「鳴浜の浜から『海をひらく』提案」
=海を介した地域社会のありように着目

3-4「海をひらく」とは
 「高木委員会」(企業の参入自由化・規制緩和)路線とは異なる
・「海をひらく、漁場を開放するというのは、全部開けっ放しにしてしまうと言
う意味ではない。開くにもいろいろな意味がある。高木委員会は、経済的な障壁
があるからそれを開くというものだ。この差を明確にしていかなくてはいけない」
(インタビュー)

 国益優先の海の開放とも異なる
・「80 年代になると、……大きな資本で海の開放をする方が漁業より国益になる、
それには開発の邪魔になる漁業権を漁師のものだけなく、みんなに開放せよとい
う論議が出てきて……国益優先の海の開放論が叫ばれました。海を開放すると言
っても向いている方向はさまざまで、今の市民の人たちが里海として自分たちに
も海を開放してれと言っているのとは、大きく違うわけです」(中島2009a:21)

↓中島氏が言う「海をひらく」とは……
 海をめぐるローカル・ルールを基盤
・「長い歴史の中で培われてきた海のルールを基に、主体はあくまで漁業者とそ
の地域の人々が担うのですが、自主的に海の一部を開放し、新しい海の利用を考
えていく」(中島2009a :21)

・「漁業権やローカルルールの機能や役割を活用し、漁場である海や浜の一部を
うまく使い分けながら、海を漁師と『共同利用』できる仕組みに組み替えていけ
ば、市民にも、漁業権がただ排他的なものなのではなく、持続可能な海を維持す
るための大事なルールなのだということが理解してもらえるはずです」(中島
2009a :22)

・「広く自然域の利用に関して形成された地域ルールは、地域が変貌を遂げた現
在も、実態を変えながら維持され、また、新しいルールも生まれてきます。そし
て、それらのルールを活かす方が、低いコストで、現実の管理利用の安定度が増
すことに着目すべきではないでしょうか」(中島2008b)
→お台場海浜公園地先のノリづくり

:漁業権放棄済み海面に誕生した里海(中島2008a:42-48)
・「慣習を復活させる。慣習を新たにつくりあげる。地域と地域外の人たちの主
体の譲りあい」(インタビュー)
・「どう開いていくのかは、これまでどう開いてきたのか、また逆にどう閉じて
きたのか地域実態を踏まえることが大切」(インタビュー)


中島氏の「里海」=漁業権、入会権、入浜権、コモンズとの深い結びつき

3-5「里海」をつくる
 留意点
・「里山と里海の大きな違い」(中島2009a:20)
・「目に見えない、わかりにくいが、里海づくりをするとき、慣習的な利用ルー
ル、漁業権の地域実態を忘れてはならない」(インタビュー)
 壁と醍醐味

・「主体の数の問題ではない。初めは少数だ。漁村地区の特徴は全員一致のルー
ルだ。これをクリアしていく。少数者が発言して全員一致のルールを築く。里海
をつくっていくとき、みんなここをクリアしていっている。地域の閉鎖性を克服
すると、その地域はとても強いものになる」(中島2009b)

 地域づくり
・「地域ルールの形成は、地域の閉鎖性を克服すること。地域がとても強くなる。
試行錯誤する価値は大いにある」(インタビュー)
・「漁場の開放、開くことは新しい地域を作り出すもの」(インタビュー)

・「地域力が里海づくりの実態をなしている」
→里海をうみだすとは「海(沿岸域)のまちづくり」

4まとめ―二つの里海論を交差させ、社会系グループに引きつけながら
4-1 柳氏の「里海」論をどう受けとめるのか
 「里海」づくりとは
・「人が手を入れながら太く・長く・滑らかな物質循環を実現し、海の生産性と生
物多様性を高めていくこと
見落とされがちだが……

 忘れてはならないポイント
・「人手を加える」にあたって禁止則、行為の規制が多分に含まれている
→「里海」の政策化・政策/実践分析・実践に向けた留意点
・汚れた沿岸海域の再生の研究・実践の延長線上に柳氏の「里海」はある

 「人手を加える」とは?理論化の必要性(磯部作氏からの問題提起)
・「『人手を加えることによって』、『豊かで美しい海域を創る』というこれは、わた
しももっともだと思います。しかし……里海を誰がやるのかというとき、大企業など
が儲かると言うことで、利潤追求目的で入ると重大な問題になると思っているわけで
す。……『人手を加える』ということを、もう少し理論化していく必要があるのでは
ないか」(08 年11 月伊勢湾再生研究プロジェクト・社会系グループの公開研究会)__

4-2 中島氏の「里海」をどう受けとめるのか
 中島氏が強調するもの
・地域実態への注目←「行政の政策とは必ずしも連動しない」(インタビュー)
・「地域で育まれてきた個としての里海」(秋道智彌)

「里という語の心地よい響きだけでこのまま突っ走れるかどうか、不安がよぎる。
里海という共同幻想についていま一度考えてみる必要がありそうだ。なぜなら、
モデルとなる里海などはじつのところない。あるのはそれぞれの地域で育まれて
きた個としての里海なのだ」(『Ship & Ocean Newsletter』185 号)

・ローカル・ルールへの注目
過去の慣習の「堀起こし」、現在に慣習はどう活きているのか、変わっている
のか新たな慣習づくり
→「人手を加える」ときの禁止則、行為の規制をどう築くのか、一つの示唆


(課題)伊勢湾をとりまく地域実態の把握
コモンズ、入会権、入浜権、漁業権の理解
 「里海」づくりとは
・地域づくり、海のまちづくり
・物質循環(生態系)に着目した柳氏の「里海」論になぞられるなら……

・海をめぐる地域社会の循環(地域社会環境)に着目したのが中島氏
→物質循環(生態系)と共に、地域社会の循環(社会環境)にも注目して「里
海」をとらえる必要がある

<主な参考資料>
(文献)
中島満(2008a)「『里海』って何だろう?――沿岸域の利用とローカルルールの活用」
『水産振興』487 号
中島満(2008b)「里海」って何だろう?――生業と暮らしを育む里海を考える視点」(『Ship
& Ocean Newsletter』185 号 所収)
中島満(2009a)「新しい海の共有――『里海』づくりに向けて」(『グラフィケーション』
160 号、20-22 頁 所収)
柳哲雄(2006)『里海論』恒星社厚生閣
(講演)
中島満(2009b)講演「いまなぜ『里海』が登場してきたのか」2 月13 日、漁村研究会、
東京・神田
(インタビュー)
中島満氏へのインタビュー、2009 年2 月13 日、東京・神田にて

竹峰誠一郎さんのマーシャル諸島論 2

土地と生活の結びつき―マーシャル諸島の土地事情(後編)

アジア開発銀行は『マーシャル諸島 私営企業の分析――改革を通じた成長の促進』と題した報告書を2003年発表し、土地制度改革の必要性がマーシャル諸島政府に勧告されました。マーシャル諸島の土地に担保価値がつけられない、土地の賃貸制度が十分確立していない、これでは外資が呼び込める経済環境とはいえず、経済成長ができないというわけです。

また駐マーシャル諸島日本大使館で専門調査員を務めた黒崎岳大氏は「都市部で、従来の権威、土地支配にとらわれない新たな有権者が急増」しているとも指摘します。前編で紹介したマーシャル諸島の土地制度は、過去のものとなりつつあるのでしょうか。

マーシャル諸島共和国にはパスポートがあれば入国できますが、地方の島々を訪れるには、パスポートより大切なものがあります。それは事前の承諾です。明文化されていませんが、書類よりも口約束が大きな意味をもち、直接会うことが大切です。

土地の権利者との関係性を損ねて、スーパーが閉鎖に追い込まれることがありますし、学校が一時閉鎖されたり、牧師が島から追い出されたりすることもあります。マーシャル諸島の土地制度は、排他的な側面をもっています。

こういえば否定的な印象をもたれた方もいるでしょう。ただ反面「生物多様性」に馴染みのある言葉を使えば、マーシャル諸島の土地制度は「外来種」の無秩序な流入を防いでいるともいえます。

またマーシャル諸島の土地は、外に絶えず閉じているわけではありません。ニライカナイの思想なのか、「来るものは誰でも迎えるのが、この地の習わし」とある住民は語ります。家族同然のように私を受け入れた地域もありました。地域で濃淡はありますが、マーシャル諸島の土地は、見知らぬものでも受け入れる懐の深さも併せもっているといえます。

先に紹介したアジア開発銀行の報告書で、マーシャル諸島の土地制度は経済成長の阻害要因だと捉えられています。現金経済が浸透するなかで、今の土地制度は経済活動の自由を奪う側面があることは確かです。しかし現金経済だけでなく、地方を中心に息づく自給経済も、併せてとらえなくては、マーシャル諸島全体の経済の実像は見えてはきません。

マーシャル諸島のとりわけ北部の土地は、タロイモすら育ちにくい土壌で、豊かな植生とは言えません。しかし土地から生産された希少な植物を多彩に有効利用する知恵を島の人はもっています。

ココヤシを例に説明しましょう。ヤシの実はまるで出世魚のように、成長段階に応じて、「ニー」「ワイニー」「ユー」と名を変えます。成長段階に応じて、飲料や食料、さらにはヤシ油の原料となるコプラ生産など多様な用途に、実は用いられます。殻はコップや細工物にもなります。細かく刻むと炭火にもなります。樹液は飲料になり、酒や酢にも変身します。葉は編んで皿や敷物になります。葉の茎からは、真っ白な糸が紡ぎだされ、手工芸品をつくるのに欠かせません。樹皮は火おこしのときに重宝しますし、枝はホウキにもなります。ヤシ一つでも、これだけ生活を支えているのです。

環礁をとりまく小さな島々は、大半が無人島ですが、ここも生活には欠かせない土地です。植物や海鳥の採取、あるいはコプラ生産、さらにはレクリエーションの場としても活用されます。「里地」とでも言えましょうか。総有制の土地の権利がここにも設定されています。無人島は無主地ではありません。

生活圏は海にも広がりをもっています。環礁の内側にひろがる礁湖・ラグーンは、漁労の場としての利用はもちろんのこと、第二の生活場ともいえる「小さな島々」と「居住地」をむすぶ「海の道」にもなっています。その環礁に土地の権利をもつ人全員にラグーンは開かれています。

では都市に暮らす人はどうなのでしょうか。マーシャル諸島でも、自分の土地を離れ、都市に暮らす人が増えています。都市で給与生活を送る人は一見、自分の土地との関係性が切れているように見えます。

しかし自分の土地がある所から首都マジュロに出てきていても、大半の人は、「マジュロの人」だとは自己規定しません。自分の土地がある地域の名を出して「●●の人」だと自己紹介をするのが一般的です。たとえ都会で生まれ育った人も大半はそうです。自分の土地は、自己のアイデンティティーを形成する源になっているのです。

マーシャル諸島では、住んでいなくても、自分の土地がある場所を自分の選挙区に設定することができます。 2003年の総選挙では60%弱の人が、居住はしていないが自分の土地がある所を自分の選挙区にしていました。

自治体も、同じ環礁に住む人よりも、同じ環礁に土地の権利をもつ人の集合体との側面を強くもっています。どこに住むかより、どこに土地の権利をもっているかが、マーシャル諸島の社会ではまだまだ重要なのです。

マーシャル諸島共和国憲法では、第10条で、土地の伝統的権利は慣習に基づき維持され、土地の譲渡や処分は合法的ではないと規定されています。さらに第6条で伝統権利裁判所が設けられ、土地の権利調整が慣習に基づき図られる仕組みが憲法上規定されています。

以上で見てきたように、土地の制度改革を求める声や、首長の権威の低下、現金経済化、さらには人口が都市に流れる傾向がマーシャル諸島でもありますが、土地と人びとの生活はまだまだ深く結びついています。土地の慣習を踏襲し近代国家の形成がなされている点も注目されます。

(マーシャル諸島を知ってみたい方へ)
中原聖乃・竹峰誠一郎[2007]『マーシャル諸島ハンドブック―小さな島国の文化・歴史・政治 』凱風社

竹峰誠一郎さんのマーシャル諸島論 1

竹峰さんは、現在、三重大学で研究員をされています。竹峰さんも早稲田大学の西川潤先生のもとで学ばれてきました。以前、私がマーシャル諸島のマジュロ島を調査しているとき、竹峰さんにばったり出会い、「太平洋は狭いな」と思った次第です。マーシャル諸島の研究、日本とマーシャル諸島を結ぶ活動もされています。ご本人の了解をえて、マーシャル諸島に関するコラムを転載いたします。
土地の共的管理は他の太平洋諸島にもあり、久高島にもあります。




土地はお金では買えない―マーシャル諸島の土地事情(前編)
日本から東に目を向けると、世界地図では点のようにしか見えませんが、ミクロネシアと呼ばれる太平洋の海世界が広がっています。

マーシャル諸島は29の環礁と5つの島々から構成されています。環礁とは、単独の島ではなく、小さな島々が輪を描くように連なっています。内側にはラグーンと呼ばれる湖のような穏やかな海が広がり、外側には太平洋の大海原が広がっています。その美しさは「真珠の首飾り」とも称されます。

1986年マーシャル諸島は、アメリカと自由連合協定を締結し独立しました。国連にも加盟していますが、総面積は181平方キロと、沖縄県の10分の1に満たない土地に、約5万7000人(2006年推定)が暮らしています。
 そんなマーシャル諸島で「一番大事なものは土地です」と日系人のカナメさんは流ちょうな日本語で語ります。

マーシャル諸島では、お金をいくら積んでも土地は買えません。土地は売ったり買ったりするのではなく、マーシャル人として生まれたら自動的に付与されるものです。付与された土地は、誰かに売りわたすことはありません。ですから不動産屋はマーシャル諸島にはありません。

マーシャル諸島の土地は、地域住民が主体となって共同で管理されています。私有財産制ではないのです。国有地・公有地もマーシャル諸島にはありません。

「××はわたしの土地」、「わたしは××に土地をもっている」という言い方を住民はします。しかし土地の所有権をもっているわけではありません。利用権をもっているという意味です。利用権をもつ土地には、自由に出入りができます。何かを植えたり、採ったり、あるいは建物を建てたりなど誰の承諾を得ずにできます。

一つひとつの土地区画には、利用権をもつ「リジェロバル」が複数います。加えてその土地の日常的な管理に責任をもつ「アラップ」と呼ばれる人がいます。「アラップ」は、利用権者であるとともに、その
土地の管理責任者でもあります。さらにその土地を名目上所有している「イロジ」と呼ばれる首長がいます。つまりマーシャル諸島の土地管理は三層構造になっているわけです。

首長は土地制度を背景にした権力をもっています。行事では必ず来賓席に迎えられますし、土地を利用している「リジェロバル」から首長に対し、その土地から収穫したものを貢ぐ光景は今でも広く見られます。

ただ首長=地主とは必ずしもいえません。たとえばマーシャル諸島で公共事業をするとき、該当する土地の首長の同意だけでは不十分です。土地管理者である「アラップ」の承諾、さらに利用権をもつ「リジェロバル」の代表者の承諾も必要になります。外部の者がその土地を利用する場合、首長であっても単独で土地利用を進めることはできない仕組みになっているのです。

外部の者がその土地を買うことはできないので、借りることになります。ただ土地には値段がつけられていません。都市部では外国人相手や政府機関には、賃貸料を請求するケースが近年はみられますが、マーシャル人同士なら、都市部でもただ同然で、その土地に家を建てさせているケースが一般的です。そこには「チバン」と呼ばれる分かち合いの精神が働きます。

マーシャル諸島の土地は、個人の私的所有ではなく、商品化されてはいません。また行政の公的管理でもなく、地域住民の共的管理がなされています。「コモンズの悲劇」として、ギャレット・ハーディングが否定的あるいは消えていくべきものとみなした「共有地」や「入会権」が、マーシャル諸島では今も息づいているのです。

こうしたマーシャル諸島の土地制度は、崩れていく方向にあるのでしょうか。土地がもつ多様な機能にも注目しながら、マーシャル諸島の土地制度の現状と未来を後編ではみていきたいと思います(続く)。

<参考文献>
中原聖乃・竹峰誠一郎『マーシャル諸島ハンドブック―小さな島国の文化・歴史・政治 』(凱風社・2007年)

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