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プロフィール

Yasukatsu Matsushima

Author:Yasukatsu Matsushima
1963年琉球石垣島生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。

その後、東京、グアム、パラオ、沖縄島、静岡、京都、滋賀にて学び、働き、生活する。

著書に『沖縄島嶼経済史―12世紀から現在まで』藤原書店、2002年
『琉球の「自治」』藤原書店、2006年
『島嶼沖縄の内発的発展―経済・社会・文化』(編著)藤原書店、2010年、
『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』早稲田大学出版部、2007年
『琉球独立への道』法律文化社、2012年
『琉球独立論ー琉球民族のマニフェスト』バジリコ、2014年
『琉球独立ー御真人の疑問にお答えします』Ryukyu企画、2014年
『琉球独立宣言ー実現可能な5つの方法』講談社文庫、2015年
『民際学の展開ー方法論・人権・地域・環境の視座から』(編著)晃洋書房、2012年
『琉球列島の環境問題ー「復帰」40年・持続可能なシマ社会へ』(編著)高文研、2012年
『3・11以後何が変わらないのか』(共著)岩波書店、2013年
『島嶼経済とコモンズ』(編著)晃洋書房、2015年
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グアムのチャモロ人による琉球支援

グアム政府脱植民地化委員会事務局長であり、少年時代に琉球に住んだことのあるエドワード・アルバレスさんとスカイプを先日しました。エドワードさんは、先月琉球大学で行った基調講演の謝礼金を、オキスタ107が行っている「にーぬふぁぶし」に寄付されるとおっしゃりました。

先月、琉球でエドワードさんとお会いした時にも、同団体に寄付をされていました。

昨年、エドワードさん、マイクさん、マリリンさんとともに、親子で琉球諸語を学びあう、にーぬふぁぶしの授業を見たことがあります。

グアムでもチャモロ語の復興運動が活発に行われいますが、琉球の言語復興運動に支援して下さり、心より感謝申し上げたいです。

エドワードさんは、今年もジュネーブの国連欧州本部、エクアドルで開催される国際会議に参加され、グアムの脱植民地化を訴えるそうです。琉球人もチャモロ人から励まされ、勇気をもらっています!
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自治とは何か:投稿者との対話

本ブログに次のようなメールがきまして、私がそれに次のように答えました。松とは私の答えまたは質問。





> 「非武装独立論」「無防備独立論」
>
> ・戸締りしない家庭がありますか?大学にも警備員がいます。
>


> ・無防備は近隣国に実は迷惑、地域の不安定要因。

松:その近隣国には中国、北朝鮮もはいるのですか?


>
> ・人民・郷土に無責任・無頓着な居酒屋独立論、エゴ。実験?
>

松:居酒屋独立論の定義をして下さい。


> ・「建国の意志」「反乱の自覚」なき現状補完論。


松:なぜ現状補完論になるのですか。


>
> ・松島先生は思慮浅く視野狭し。
>
> ・現在の沖縄言論空間のオピニオンリーダーである松島先生がその程度では琉球民族の前途は暗く多難、琉球民族を搾取する悪党どもは安泰・増長ですね。ミスリード、萎縮効果。


松:その程度とはどの程度ですか。人を批判する場合、隠れていないで、実名所属を明かして下さい。


>
> ・殺されっぱなしの琉球史から何を学んだのですか?「悪意ある他者」によってタスマニア人などはリアルに絶滅。


松:本当に殺されっぱなしなのですか。

> ・琉球民族は「超人的救世主民族」?夜郎自大。誤認識。
>
> ・理想主義はほんとの愛がないから。
>
> ・・・・
> ・企業ゆいまーる
>
>  琉球系の学者で琉球ナショナリズム版の民科協みたいなサークルをつくるといいと思います。


松:人に期待するのではなく、自分自身で動いて下さい。それが自治です。


>
>  ほんとはスコットランド国民党のような総合的な前衛党・民族党が必要です。



松:あなたがそれを作って、自分の説を主張して下さい。人を批判するだけでなく、行動をして下さい!

自治、独立、カジノ(ブログ対話)

本ブログに投稿してくださいました南国リンゴさんとの対話内容です。他のみなさんもどうぞご参加ください。

南国リンゴ


> 日米支配体制の下から脱却する主体的な
> 力を構築していく運動として、「ゆいまーる琉球の自治」(「ゆいまーる」とは琉球語で共助を意味する)を立ち上げ、>
>
> 何でこんな曖昧な組織名にしたんですか?
> いわゆる「琉球独立の組織」では?
> 堂々と「琉球独立」を掲げて活動すればいいのに・・と思います。



松島泰勝

独立と自治との違いをよーく考えてください。
独立するとどうなるか、具体的にシュミレーションしてください。
南国リンゴさんは、独立派ですか。ご自分の立場を明確にしてください。




2010/01/16 Sat 07:51 URL [ Edit ]
南国りんご
私は一国二制度賛成派です。

私は松島先生が独立派だと思っていたんですけど・・。「自治」「琉球」を連呼しているし、全部は読んではないですけど、ブログ記事の論調もちょっと変わってるので。

パラオや南洋諸島の生活スタイル(生き方)を沖縄に適用しようとしているのではないですか?
カジノ誘致も拒否、県内移設・振興策受け入れ拒否と記事の中で書いていますよね。
経済政策の対案も出してないのに、全部拒否していることが現実的でないと思うのです。
パラオを目指そう的な独立派じゃないかと思っていました。

私の場合は、基地経済から脱却するためにカジノを誘致して、県営(公営)カジノで富を収奪し沖縄県の自己財源にするという考えがあります。県営カジノで得たお金で公共事業もするし、沖縄県営のファンドをつくって世界中に投資もできます。
だから県内移設拒否・振興策も大手を振って拒否できるのです。



2010/01/16 Sat 18:20 URL [ Edit ]
松島 泰勝(まつしま やすかつ)
お返事ありがとうございます。

私は太平洋の独立国をみており、独立によってすべて解決せず、様々な問題に直面している現実を知っています。独立後も自治が重要であり、現在も当然自治が重要であると思っています。

琉球のような独自な自然、社会、経済構造を有するところでは、一国二制度が不可欠です。その制度については世界中からいろいろなアイデアを参加にすることができます。カジノもそうです。大阪の橋本知事もカジノ誘致を主張しています。熱海の自治体も主張しています。

経済的苦境にある地域がカジノを救世主のようにしています。
琉球は琉球独自の制度が必要であると考えます。

その制度を琉球の人間が主体的に動かすためにも自治が不可欠であると考えます。独立も一つの制度でしかありません。

自治の要になるのが「ゆいまーる」という人と人とのつながりであり、琉球内、そして琉球と他の地域とを結び、そして島の自治、自立を考え、実現したいと私は考えています。

> パラオや南洋諸島の生活スタイル(生き方)を沖縄に適用しようとしているのではないですか?

パラオや太平洋の島々の生き方だけではなく、それぞれの島々が抱えている問題は琉球にとって大変参考になり、互いに学びあえる関係になると思います。生活スタイルは島独自のものであり、それを琉球に「輸出」することはできません。琉球は自前の生き方があり、それを琉球人自身で作り出すしかありません。

> カジノ誘致も拒否、県内移設・振興策受け入れ拒否と記事の中で書いていますよね。
> 経済政策の対案も出してないのに、全部拒否していることが現実的でないと思うのです。


琉球の経済問題を解決できる一挙解決型の経済政策はないと思っています。それぞれの島(琉球には50近くの有人島があります)の特性におうじて、島人が自分の頭で考えて、島独自の経済政策をつくっていけばいいのではないですか。これまでの経済活性化の目玉といわれたものが、以下に失敗したかを学ぶ必要があります。


> パラオを目指そう的な独立派じゃないかと思っていました。

パラオは人口2万人の独立国家です。しかし軍事権は米国がもっています。そのような独立国家でいいですか。

> 私の場合は、基地経済から脱却するためにカジノを誘致して、県営(公営)カジノで富を収奪し沖縄県の自己財源にするという考えがあります。県営カジノで得たお金で公共事業もするし、沖縄県営のファンドをつくって世界中に投資もできます。
> だから県内移設拒否・振興策も大手を振って拒否できるのです。

もしそれがうまくいけば、大変魅力的な案だと思います。国に頼らない自前の財源を有することは経済自立の大前提です。その財源を基地ではなく、カジノに求めるご提案だと思います。

日本各地で提案されているカジノと琉球のカジノをどのように差別化して、お客を呼び込みますか。南国リンゴさんは、世界にあるカジノ地でどのような事例をモデルとして考えていますか。
ラスベガスですか、アメリカの先住民族が運営しているカジノですか、マカオ、テニアン島、韓国ですか。

経済対策は国の責任か

11月4日の沖縄タイムスに、次に引用するように、8日に予定されている、新基地反対集会のスローガンが発表されました。

私が気になるのは、(2)軍用跡地利用を国の責任で経済対策を行えという主張です。日本復帰後、国に経済政策を任せてきましたが、その結果、琉球は依存経済から抜け出せず、自然が大きく破壊されてしまいました。

経済政策は国に任せるのではなく、住民自身の頭と力と資金に基づいて実施すべきです。国に経済政策をゆだねてきたことで、今まで琉球は基地も補助金によって押し付けられてきました。その連鎖を自ら断ち切ることが必要だと思います。

自分たちでできることは自分たちでやっていくことが、琉球の自治の足腰を強くすることになると考えます。





「新基地反対」決議へ 11・8県民大会/実行委幹事会 スローガン決まる/「普天間」閉鎖を要求

米軍普天間飛行場の代替施設建設について「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」実行委員会の幹事会が3日、那覇市の自治会館で開かれ、大会スローガンと決議案が決まった。「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の高里鈴代さんが新たに共同代表に加わった。

 スローガンは(1)日米両政府も認めた「世界で最も危険な普天間基地」の即時閉鎖・返還

(2)返還跡地利用を促進するため、国の責任で環境浄化、経済対策

(3)返還に伴う地権者補償、基地従業員の雇用確保を国の責任で行う

(4)日米地位協定の抜本的改訂―を政府に求める。決議案は「米軍基地の整理・縮小・撤去は県民の願い」とし、「民主党中心の新政権に代わった今、あらためて県民の新基地建設ノーの意思を明確に伝える」などとした。

 大会は11月8日、宜野湾市の宜野湾海浜公園とその周辺広場で開催。同日午後1時からオープニングイベントがあり、本大会は午後2時から。

 翁長雄志那覇市長、高嶺善伸県議会議長、野国昌春北谷町長、屋良千枝美宜野湾市女性団体連絡協議会長などが意見表明する。

 問い合わせは同実行委員会、電話098(860)7438。

自治とは何か13

後藤新平の自治に関する言葉です。
わけ隔てのない、互いに意思疎通ができ、調和する社会が自治によって実現できるのです。



こういう社会にはわだかまりもがなく、階級があっても階級軋轢がなく、不平不満がなく、自然圧迫もなく屈服もなく、今まで意思の疎通を欠いていた障害はまったく取り除かれて、必ず希望と精力とに満ちた平和な進歩的社会が出現することになる。

この喜ばしく願わしい社会へ切り開いていく唯一の道は、自治である。こういう社会が日本全国に出現し、彼とこれと疎通し協力し提携し融合して全日本大に拡大されたとき、新日本建立の目的は達成されたのである。



現在、私は大津市に住んでおり、比良山系と琵琶湖の間にある田圃の中に自宅があります。小さな庭で野菜を植え、草花を愛でています。大自然の中で心身の英気が養われているのを感じています。琉球の自治も、豊かな島や海の自然が土台になると思います。大自然の力によって自治の力が発育するという実例が、西表島の石垣金星です。
先日行われた民際学研究会での石垣さんのお話からも、自然と自治の関係性の強さを実感しました。



大自然と親しんで、科学的生活を送って行けば、環境の感化によって心身の調和を得、精神も爽快に身体も壮健になる。鍬を手にとって田園に菜根を培い、または山水を跋渉して英気を養うその間の利益は計り知ることができない。人の世に処するには清い心と強い力がなくてはならぬが、この二大要件は大自然の感化から得られる。

この二大要件を具備して個人生活より公人生活へ、社会奉仕より国家奉仕へと進むことは、人間として実に尊い姿である。くれぐれも自治とは独立円満の心であって、内には不平がなく、外には和合がある。この真剣な力が支配する社会には、何の不安衝突もあるべきはずがない。この自制があり調和のある人間特有の自治精神は、かの大自然の感化によって、いやが上にも発育するものである。


後藤新平が生きていた日本も多くの困難を抱えていましたが、今日の日本も山積する諸困難に取り囲まれています。調査によって、これらの諸困難の原因を明らかにし、解決策を提示し、それを実行していく一人ひとりの住民によって地域の自治が実現していきます。

後藤新平は72年の生涯において、まさに自治を実践してきた、自治の担い手であったと考えます。私は現在、『正伝 後藤新平』他、後藤新平関係の書物を読み、自治実現のための方策、考え方、生き方を学び、琉球の自治を実現させ、新琉球学を切り開くために、格闘しています。



今、日本は多年の宿弊に苦しみ、未曾有の国難に悩まされているが、諸君がこの病国、病国民に自治の霊薬をすすめて清新雄大の気風を奮い起こしていけば、新日本建立の目的は自然に達成されて、いつしか国難は雲と散じ霧と消え、わが祖国日本は、人類生活の理想郷たる自治の霊土と化して、全国民は永久に平和の福利を享けるであろう。

自治とは何か12

現在の日本社会においても、毎日、家族、隣人等の間の様々な問題が発生しています。それだけ日本社会において自治の精神が大きく衰退していることを意味していると思います。先日、私は約600の学生に対し、自らが生まれ育ち、住んでいる地域において自治の実践があるかどうかを一枚紙に書いてもらいました。

学生なりに自らの自治の実践に誇りをもち、自らもどんどん自治にかかわりたいという学生が多くいました。他方で、なんら地域に愛着がなく、地域の行事にも関心がない学生もすくなからずいました。若い学生に自治の実例を示しながら、その重要性をともに学ぶことが、教育者としての私の課題と考えています。




近頃社会には、雑多な問題が横たわっている。問題の内容にはしばらく触れないとしても、その多くは信と愛の奉仕精神が欠け、自治の精神の乏しいのに起因している。

残念なことには、隣人と隣人と相親しむことを忘れ、利己の利益にのみ没頭して相手の利益を考えず、少しも協同融和の態度がなく、相互の了解同情ということが無視されている。もし社会に信と愛の奉仕精神さえ発動しておれば、問題の解決が容易であるというよりも、むしろ問題の起こる余地がないといった方が適切であろう。




自治とは現在に始まったものではなく、太古から人類が誕生して、社会的生活を営むようになってから存在する社会結束の人間の知恵であると思います。
人間の生きる知恵である自治を、どのように現代社会において振興していくかが、琉球の自治の大きな使命であると思います。
後藤新平の言葉は、自治的生活をする上において、大変、励まされます。




自治は日本では三千年来固有のもので、決して欧米から舶来の精神ではない。その表現の形式や名称は時代と場所とによって相違はあるが、個人生活から始まって、社会生活、国家生活に及ぼした発達運行の経路には何の変わりもない。

しかし、人間生活の様式は日に日に一新されていくものであるから、現代においては現代の思想感情に順応していけるよう、ここに大いに自治精神を振興し社会制度を刷新し、円満な自治の社会を建設することに努力しなければならぬ。

この意味において、自治の社会は単に形式だけでなく、信と愛の奉仕精神に満ちたものあるから、常に活気と弾力に富み、旺盛な同化力を持ち、外来の思想知識など一切を醇化するほどの実力を発揮しなければならぬ。社会自治の威力は、ぜひそうあるべきものである。

自治とは何か11

後藤新平の自治の言葉を引用します。
社会国家の単位は個人であり、自治的自覚をもった個人が増えない限り、社会、国家は変わらないというのが、本NPOの根本思想です。よって年に2回、各島々をまわり、島人と自治について議論して、参加者全員の自治的自覚を促す活動を、地道に行っているわけです。





人体が無数の細胞からでき上がっているのように、社会といい国家といわれる大きな団体も、人間とう無数の個人から組織されている。

細胞が不健全であれば、人体もまた不健全であるように、社会国家を形作る個人個人が不健全であれば、その社会国家も勢い不健全な集団であることを免れない。

自然、社会国家が健全であるよう希うならば、個人個人が自治精神の堅実な活力に満ちた者でなければならない。

この意味から個人としては自己を感染して自主独立の人にあらしめなければならぬように、社会国家から見ても、この細胞である個人がどこまでも健全なことが必要である。





人間の人生上の目的として、真善美の追求がありますが、その人生目標も自治によってなり遂げることができます。



健全な個人とはどのような人物を指すかといえば、その特徴は単に衣食生活の満足のみを目的とせず、高い人間味すなわち尊い理想の実現を志して努力邁進するところにある。

人間の理想といえば、ある者は真を発揮しようととし、ある者は善に到達しようとし、またある者は美を表現しようとする。

こうして真なり善なり美なりを、偏頗にならないよう均衡を得て、人間生活に実現させようとするのが、人生の尊いゆえんである。

この理想は個人と社会と国家とそれぞれ趣を異にはしようが、自治精神がふる興されて初めてその目的が達せられる点は同一である。







社会的、国家的問題の根本の解決はまず、社会国家の構成員である、各個人の自覚が大前提となります。よって私も『琉球の「自治」』において、「琉球人を目覚めよ」と叫び、呼びかけたのであります。自治とは、行政上、研究上の言葉としてとどまっている限りまだ未熟であり、各人の宗教となるまでに、生活の土台にならねばならないものです。




この理想があるから、人間は向上し進歩し醇化するのであって、人間の組織する社会国家もまた、向上し進歩し醇化するのである。

自治生活の様式は、このように個人から社会国家へと条理整然とした経路を辿っていくものであって、個人の完成は、個人の集合している社会国家の完成となる順序である。

社会国家の腐敗が歎かわしい場合、それはいたずらに歎くべきことではなく、各個人が自覚反省一番して、ちょうど疲れ弱った身体に悩む者が、その身体の細胞に宿る病根を一掃して健康を回復するように、全社会、全国家の病弊改善を図らねばならぬ。

これが自治宗の信条であり使命である。

自治とは何か10

様々な困難があっても自主的自治の心で、勇気百倍の気で困難を一つ一つ乗り越えていくことが、自治の人生であるといえましょう。このような人間を養成することが教育であり、教育者としての責任の大きさを改めて実感しています。




日蓮上人のような一代の傑物が人のため国のため身命を惜しまず骨折っても、一生迫害のために苦しめられたという類いが沢山ある。

自治の心の必要は、この時である。このような場合には自己を信じ、自己を恃み、勇敢に正しい道を踏んで進まなければ、その目的を達するわけにはいかない。

日蓮上人などは、自信自恃の心が非常に強かったから、身にふりかかる百難に打勝って、最後の勝利を得たのである。

これが自主的自治の徳というべきもの、その偉大な人格の光は、今にいたるまで燦然と輝いている。





人生は修行であると思います。自主的自治的の道を全うすることは容易ではなく、宗教的信仰と同じような強い信念と意思が求められます。「人のお世話にならぬよう」を実行していくことが、個人、市町村、県、国それぞれの課題であると思います。溌剌として、自主的自治の精神をもち、行動を行う人間が多くいる地域も、元気で、自主的自治が溢れた地域になるでしょう。





世に立つには、まず自己を完成して、それから事に臨むのが正道である。自己完成とは、自主的自治の人であることである。

「人のお世話にならぬよう」の第一訣を金科玉条として猛進することである。そのような時には、人格自ずから磨かれ、精力自ずから加わり、期せずして成功への途上を一歩一歩辿ることができる。

自治の精神が熟して無限の創造力と発展性を表わすとき、それは神聖な信念すなわち宗教的信仰の発動であって、立派に完成された人格の人である。





自治は同時に共治でなくてはなりません。「ゆいまーる琉球の自治」が本NPOの名前ですが、ゆいまーる、つまり共治と自治とは一体であることを主張するために命名いたしました。



ただし自主的自治をはき違え、単独孤立、利己我侭とならないように心掛けなければならぬ。

自己は自己で独力責任を負い、何事も自身に引き受けて人のお世話にならぬから、他人の利害は知ったことではないとなってはいけない。

それでは社会的生活ができなくなるから、深くいましめるべきことである。

自治とは何か9

後藤新平の有名な自治三訣です。私自身も自主的自治のための修行過程にあり、勇猛心を奮い起こして理想の実現に邁進したいです。



自治三訣


自主的自治 人のお世話にならぬよう
社会奉仕 人のお世話をするよう
国家奉仕 そして酬いを求めぬよう

自主的自治は個人としての態度を、社会奉仕は社会に対する態度を、国家奉仕は国家に対する態度を、それぞれいましめて処世の心得を明らかにしたもの、この三訣の実行さえできれば、自治生活の目的は達せられる。

この実行はもとより容易なことではないが、その実行を期する苦心努力が積もり積もって、個人も繁栄、社会も平和、国家も振興という喜ばしい結果が見られるのであるから、大いに勇猛心を奮い起こして、極力理想の実現というところまで進んでいかねばならない。

修行は本来楽なものではないが、楽でないだけに最後の歓喜はまた格別である。その修行の法則として掲げた以上、自治の三訣は、人生最高の生活状態であるという熱烈な信念に活きるとき、そこに初めて絶大な自治生活の権威が現れるのである。






自治とは自己を救う道です。自分を救うのは他者ではなく、あくまで自分自身です。現在の結果は全てこれまで自分が行ったことが積み重なってできたものです。ですから、現在の自分の自治的生活が将来につながるわけですから、日々、緊張感を持って、全精力を傾けて生きなければならないと思います。




自己を救う者は、自己よりほかにはない。自治とは自己を救う道で、自己を堕落の淵から救い上げて正道へ導くのにも、また高い目的を描いて健気に向上進歩を図るのにも、みな自己の力を恃むよりほかに致し方はない、

「人のお世話にならぬよう」の一語、新に人間処せ上の大教訓としなけらばならぬ、自己を救う者は自己、自治は自然の大法である。







自分の生活は自分自身でしか責任を負えないし、生活や運命も自分が支配して生きております。地域の自立も、このような自主的自治を有した住民が多く生まれることによって実現していくと考えます。他で成功した法制度だけで自治が実現するのではありません。自治的社会の中から自治的法制度が生まれてくるのであります。





自主的自治とは、自分の生活は自分が支配し、自分の運命は自分が責任を負うということである。

ゆえに自分の努力の結果が好かったときには自分の功績であるが、もし不結果の場合であっても、自分の責任であるから不平も不満も起こるわけがない。

この覚悟で仕事に取りかかれば、ぜひとも好結果を収めねばならないから、そこに非常な決心と普段の努力が躍動してくる。

このとき自分に鞭うち自分を励ますものは、「人のお世話にならぬよう」との第一訣でなければならぬ。

自治とは何か8

まさに後藤新平の生涯が自分自身の無限創造、無限発展の力を思う存分発揮したものであったといえます。人間が有する可能性を信じて、それを実現した後藤は、あくまでも一人ひとりの人間による自治的自覚の覚醒の必要性を強く訴えています。

『政治の倫理化』という後藤が書いた本の表紙に移っている、身の乗り出して、力強く訴える後藤の姿をみて、人間の奥底に存在する無窮の生命を発出していると私は感じました。

後藤の自治の思想、実践を通じて、琉球のこれまでの在り方、振興開発、国への依存を問い直し、自治の島になるための、大胆な提案を出し、琉球の人間一人ひとりが有する無窮の自治力の自覚を呼びかけていきたいと考えています。

自治力は無限の可能性であり、尽きることがない人民の潜在能力であり、地域を再生させる大きな原料力です。

立派な施設やインフラが建設された琉球の都市部にはたして生命の輝きがあるのか。そこに住む人間たちが本当に自らの自治の力を発揮しているのかどうかが、問われていると考えます。






人間には、このように天から与えられた自治の精神がある。

この精神が旺盛になると、自己をどこまでも働かせていくという独特の想像力が湧き、それが限りない進歩向上の努力を続けていく動力となり、個人も社会も国家も緊張した無窮の生命を得て、極度まで邁進しなければ止まらないという発展性が躍動するのである。

自治の精神すなわち発展性は個人の体中に潜んでいる。この点からいうと、自治の精神は活力の源泉である。

この源泉は、どれだけ汲んでも涸れる時がない。否、汲めば汲むほど生命の水が湧き、進歩向上の力が強くなってゆく。


ベルグソンという哲学者は、「生命は絶えず新しい自己を創造しつつ進行する無限創造の力無限発展の力である」と説明した。

この無限創造無限発展の力も、自分でしっかりと掴んで活かしていかなければ、その生命の活躍は見られない。

まず自分の精神を自覚して、その自覚を第一歩として人生の行程を進めるのが、いわゆる声明を活躍させていく道である。

人生はこの根深い自覚から出発していかないならば、真の活動はできない。人間には、すでに無限創造無限発展の大生命があるのだから、人事の多くは意のごとくではないけれども、この自覚と努力の前には何の障害もなくなるのである。

こうして世に真の勇者が生まれ出て、人も栄え世も栄える。

今日の社会は何となく、生気の乏しい観がある。これは結局、自治の精神が欠けているために、社会のドン底から湧き起こる生命の活躍がないからである。形態は備わっても生命のない社会は残骸に過ぎない。今日の急務は、自治の自覚を喚起することである。

自治とは何か7

自治とは自分自身の生き方そのものから始まります。自治的人間が集って地域の自治が実現されるのです。琉球の自治も、琉球人が自治的自覚が一人ひとりが持つことから始まります。


自治とは、自分で自分の身を治めるということ、独立といっても自恃といってもまた自助といっても、心の働きは同じである。

この精神がしっかいしていないと、人間として立派に立っていくことができない。とかく人間には、依頼心という弱みがあって、何かにつけて人を当てにする傾きがある。

この弱みに打ち勝ち、自分の身は自分の力で必ず始末をつけていくということになって、初めて人には厄介をかけず、同時に自分の天分を遺憾なく発揮することになる。

天は自らを助くるものを助くという金言は、古今内外を一貫して変わりがない。







個人、地域社会、国と自治が拡大していくことで、個人、地域社会、国は活気をおび、輝いてくるのです。他者に大きく依存している沖縄県、米国に依存している日本に自治を回復すべきではないでしょうか。


小さい個人は個人で自治の人、広い社会は社会で自治の社会、大きい国家は国家で自治の国家となって、個人には人格が輝き、社会には活気がつき、国家には威力が加わるの理である。

自治の精神が発動すれば、必ずこの結果が見られる。これと反対に自治の精神が欠けたとき、人は委縮、世は頽廃、国は衰微である。







近代化、文明化、市場化により各人が競争にさらされ、ストレスが生まれ、社会問題も多発しているのが現代です。そのような社会問題を解決していくことができるのも、自治の力です。



社会が複雑となり、物質の生活が行き詰ると、悲惨な生存競争が行われるのであるが、自治の精神さえ発達しておれば、ここに円満な精神的調和が行われる。円満な調和は正義の生活であり、これはやがて温かい宗教的信念を呼び起こす道程である。

物質より精神へ、衝突より調和へ、正義より信念へと人間生活上の微妙な向上作用は、これを自治的精神の発動に待たなければならぬ。

自治とは何か6

自治は行政だけではない、住民の生活全般にかかわることであり、自治的精神が求められます。国に安易に依存するのは自治であるとはいえません。


自治は単に地方行政にのみあるのではない。農商工当事者の自治的精神がきわめて必要である。

大体において自分の力で運命を開拓することを本義とし、ただその通路における邪魔物で国の力によらねば除去できないものについて、初めて政府の力を借りるという風でありたい。






国、県等の公的機関から金をもらうこと、優遇措置を受けることばかりに気をもむのではなく、社会のために地域の住民が全力を尽くすことが自治においては大切です。


人生の真の目的は受けることではない。献げることにある。全力を尽くして天分を全うして、たとえその努力が少しも世に認められず、空しく縁の下の力持ちとなって終わっても、安んじて喜んで公事のために働く、といいう信念を得たいものである。





たとえ多くの非難攻撃にさらされても、公共のために邁進する者が自治的自覚をもった人、紳士ということができます。自治的人物になることで、文明病を自らの力で治すこともできます。



紳士とは何かといえば、義務を怠って権利を得ることだけに急である者ではない。

一人前の仕事に対して二人前三人前の攻撃を受けても、これを排して勇往邁進し、小さくは一家のため、大きくは社会国家のために努力して止まない者を言うのである。俗人である私はこう解している。

これは実に自治の本分ではなかろうか。あるいはまた文明病治療の方法ではなかろうか。







民主的な憲法、法制度があるから民主的国家になるのではなく、自治が社会や国の基礎となることによって、人間が中心になった民主社会となり、外からの攻撃にも強い社会や国をつくることができます。



立憲政治の模範は英国にあるという。そして立憲政治と自治との関係に思いをめぐらさないものは、あるいは納得しないかも知れないが、英国が今日の国難に処して抵抗力が強盛であるのは、その原因が実は自治の力に存するのである。

どうしてただ富の力に依ると言えようか。フランス、イタリアの抵抗力が比較的弱い所以は、これまた結局、自治の力の弱さに帰さなければならない。

そしてまたかのドイツの場合は今日、その自治の力に待つのが他よりもさらに大であるにもかかわらず、世人はこれを説明して、単に学術の力、軍国主義の力であるとしている。その根底は完備した自治制にあるということを知らないのである。

自治とは何か5

自分のことは自分でするという、自助が自治の基本です。行政に何もかも住民が頼むことは官治です。自治団の活動に政党を関与させるべきでないという考えは、後藤自身が政争の問題を自ら体験し、政党に対して距離をおいて、事をなしてきたことに基づいています。行政だけなく、政党依存も自治とは対極の関係にあります。





一本ずつを善くするには、一々何もかも国で世話を焼くのでは、なかなか行き届かないことが多い。どうしても各人の自奮自発にまたなかればならない。

すなわち、自分たちのことは自分たちで処理するという自助の精神を発揮しなけらばならない。

ただ行政を巧妙に執行するというならば、官治といって政府の力で、町や村の行政まで全部引き受けた方が、俗にいう餅は餅屋で、かえってその方が便利であろうが、これでは何時まで経っても生命や力が吹き込まれない。





ここに提唱する自治団の経営を進めるには、自治団の結社が最も適切である。

国政の流派に偏らず、真面目な人が寄り合ってよく相談し、いかにしてよい学校を作り、いかにしてよい水を飲み、いかにしてよい米を沢山得るか、という事を他の干渉に頼らないで、お互いに関係者同志で相談して始末するという、いわゆる自主的な寄り合い、これがすなわち自治団の本領である。

このような寄り合いが各地にでき、真面目な共同生活の改善に努力すること、これほど現在の急務はない。




市町村の行政はもとより、農会や農工銀行や産業組合のようなものは、きわめて質実に、ただ地方の福利を増進させるために、各員が何のわだかまりもなく、さっぱりと広く平かに共同して事を処理しなかればならない。

この中に党争を引き込み、あるいは一党一派の専断に任せるようなことがあってはならない。いったん政争をこれらの中に引き入れれば、あたかも作物に害虫が付いたように、ついに栄養不良となって枯死するほかはない。

ゆえにわが自治団は、意を最もここに用い、自治体を擁護するために、このような機関を何時までも純粋無色澄明に置くよう努力したい。

自治とは何か4

自治の楽土・浄土をこの世にいながらにして実現するのが、「自治の本願」であるという後藤の言葉から、自治の奥深さを改めて実感しています。

沖縄島那覇市にも公務員共済組合が運営する「自治会館」があり、私もホールなどを利用したことがあります。後藤がいう「自治会館」は日常的に社会の各階級が相集い、会い語り合い、相互の理解を深める場所です。

このような場所を琉球にては、公民館として存在しています。公民館、本来の自治会館をさらにつくり、自治によって人間と人間とのわけ隔てをなくして、共助の精神と実践を広めていくことで、自治の浄土が実現するものと考えます。

自治体も行政という狭い意味ではなく、広い意味で自治体をとらえるべきであり、自治は住民一人ひとりの課題であるといえます。





特にわたしが、最も多くを期待しているのは、各種階級、各種生活団体の人々が、一日の仕事を終えた夕方より、この[自治]会館に集まって、放論談笑の間に、各自の生活、各自の気分を、相互に理解し合うことである。

このような間に、各種階級各種生活に対する特殊な理解もでき、したがって人類間の同情というものが、非常に広く、深く、強くならざるを得ない。

こうして人類相互間の同情が灼熱に達する以上、いつどこでも、必ず不思議な意思の疎通をもたらす活性作用を起こして、何ものをも融解せずにはおかないものとなる。





大礼服と印半纏とに、いかなる隔ての意識もなく、握手し、談笑する勇気と、度量と、理解と、道場が起こったならば、労働問題、特に資本家対労働者問題を始めとし、人類の知力が最難問題とする幾多の諸案件なども、人類の心と心の間にのみ相通う、同情と理解との力により、普通の事として解決されるはずだと信ずる。

このような妙境が自治の生み出す楽土である。

仏教の言葉に倶会一処阿弥陀の浄土に往生して上善人と一処に会することがある。これは仏も衆生も倶に浄土に生まれ会うという意味であるが、我々は、仏陀の本願によって、浄土を後生あの世に求めないでも、自治の本願によって、この世ながらに倶会一処の浄土が拓かれるのである。





国家全体の政治はもとより大切な事柄であるが、その基礎を形作るものは地方自治体の振興である。

ここに自治体というのは広い意味であって、府県郡市町村の団体をいうだけでなく、農会、同業組
合、産業組合等の公共団体より、青年団の類にいたるまで、およそ各地にあって、その一郷一里の福利のために、各員が相集まって自ら自分たちの仕事を処理していこうとする団体を指すのである。

そして健全な国家の立憲的発達は、この自治的な振興に頼るよりはかにはないのである。

自治とは何か3

国が経済振興計画をつくり、国が金を与えるような開発政策が沖縄県では37年間も続いています。これは自治とはとうていえません。根本から自治の在り方を考え直すべきであると考えます。国家の社会政策に対して、自治社会政策を立て、何を持っても自治を第一義とする、後藤新平の自治の思想に基づく自治的自覚が琉球において、求められています。




元来、国家的生活以外に、個人的生活の処理までをも、ことごとく官治に委ねようとするようなことは、旧思想旧形式の政治であって、決して新しい思想、新しい形式の政治とは言えない。

自ら治めるということは、ただ道徳上のみならず、政治上においても、最も必要な条件でなければならない。




自治生活の要義は、国民各自の公共的精神を徐々に養い育て、広め、一致団結、それによって相互協力の美風をふるいおこすことにある。

換言すれば、しっかりとした協同観念に則って、地方団体の文化的、ならびに経済的発展を促し、国民相互の福利を増し、各部各体の調和融合を図り、それによって国家機能をより活性化することを目的とするものである。

したがって、自治生活は、国家の活動力の源泉であり、国民の憲政的活動の練習所ともなるから、国家憲政の建立は、健全な自治生活を基礎としなけらばならない。




およそ世に、自分を最もよく理解する者は自分自身よりほかにないから、社会生活に関する諸般の欲求希望を、最も鋭敏に最も的確に自覚し理解するのは、各々、その生活の自治体でなければならない。

したがって、彼らの生活を彼らの自治に委ねるのは、自分の生活を自分が支配し、自己の運命に対しては事故が責任を負うとうことになる。




わたしは、一にも自治第一義、二にも自治第一義、三にも自治第一義と、自治精神をふるいおこす必要を強説せざるを得ない。




諸般の社会政策は、これを国家の政策に委ねるよりも、自治の機能に任せるほうが、その効果が一層適切なものであると信ずるから、いわゆる国家社会政策というものに対して、自治社会政策が特に必要である理由を強説せざるを得ない。

自治とは何か2

官僚支配の日本において、後藤新平の自治の思想は、自治を根本から考える上において大きな示唆を与えていると考えます。




自治精神が拡充されて、国政の上に実現されれば、それが真の民意代表の実際的政治であると同時に、道理にかなった科学的政治であると言わねばならない




自治を離れて楽土はない




自治の極致は正義である




特にわたしが、最も多くを期待しているのは、各種階級、各種生活団体の人々が、一日の仕事を終えた夕方より、この会館(自治会館)に集まって、放論談笑の間に、各自の生活、各自の気分を、相互に理解し合うことである




もし、日本国民の生活に社会的に隣人と密接につながった組織があれば、自己の利益と社会の利益とが一致融合することを発見し、自己が永遠の生命を社会生活の中に発見することになるだろう。

そして、社会を害して自己の一時の利益を計るのは、いわゆる「野獣的利己」であって、社会を利することがやがては事故の永遠の利益であって「人間的自己」であり「啓発的利己」であることを自覚するようになる。




われわれも決して資本主義を永遠の生産主義とするものではないが、かりそめにも隣人と団結するとおいう習慣があれば、資本主義、商業主義の弊害を少なくともある程度まで矯正することは決して困難ではない。

もし、小売商人が暴利を貪るようなことがあれば、一市一町一村が主婦の多数が購買を拒絶することによって小売相場は容赦なく下落するに相違ない。この結果がやがて社会連帯の理想に達する道である。


自治とは何か 1

2009年に藤原書店から発刊された後藤新平の『自治』から自治に関する言葉を引用させていただきます。本NPOは、このような自治の思想を基盤として活動を進めていきたいt考えています。



人間には自治の本能がある。この本能を意識して集団として自治生活を開始するのが文明人の自治である。


日本人の生活を一言でいえば、「隣人のない生活」である。したがって、差別観をもってずっと生活してきた日本の生活には、平等観がないのである。平等観がないから日本には上下の関係はあるが隣人という平等の関係がないのである。


自治を単に官治的地方自治に限るものとしてはならない。各種の職業組合ももちろん、自治でなければならない。


そもそも、自治は、官治に対して起こった言葉であって、官治行政の力が及ばないところを補って、国家の目的を達する作用である。そして自治は、国家の有機的組織の根本であり、国家の基礎をなしているひとつの原則である。


自治生活の要義は、国民各自の公共的精神を徐々に養い育て、広め、一致団結、それによって相互協力の美風をふるいおこすことにある。


自治は、共助によって完全に行われなければならないものであるから、自治的精神は、また共助的精神として現われる。


この自治第一義の精神を公共に広げ、各種自治生活の発達改善に力を用いたならば、外来の民主思想は、見事に内在の自治の新精神に同化され、いつのまにか、いわゆる民主思想は外来思想ではなくて、内生思想、否、各人固有の思想であると言われるようになるであろう。

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