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プロフィール

Yasukatsu Matsushima

Author:Yasukatsu Matsushima
1963年琉球石垣島生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。

その後、東京、グアム、パラオ、沖縄島、静岡、京都、滋賀にて学び、働き、生活する。

著書に『沖縄島嶼経済史―12世紀から現在まで』藤原書店、2002年
『琉球の「自治」』藤原書店、2006年
『島嶼沖縄の内発的発展―経済・社会・文化』(編著)藤原書店、2010年、
『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』早稲田大学出版部、2007年
『琉球独立への道』法律文化社、2012年
『琉球独立論ー琉球民族のマニフェスト』バジリコ、2014年
『琉球独立ー御真人の疑問にお答えします』Ryukyu企画、2014年
『琉球独立宣言ー実現可能な5つの方法』講談社文庫、2015年
『民際学の展開ー方法論・人権・地域・環境の視座から』(編著)晃洋書房、2012年
『琉球列島の環境問題ー「復帰」40年・持続可能なシマ社会へ』(編著)高文研、2012年
『3・11以後何が変わらないのか』(共著)岩波書店、2013年
『島嶼経済とコモンズ』(編著)晃洋書房、2015年
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第2回カマイサミット in 西表 

「第2回カマイサミット in 西表」をご紹介します。NPO法人ゆいまーる琉球の自治の理事である、石垣金星さんからご案内を受けました。

今年12月15日から16日まで西表島、租納公民館で開催されます。チラシには「西表の狩猟文化継承の為に! 正しい捕り方・正しい食べ方」という文字があります。

カマイとは西表の言葉でイノシシを意味します。祖納の人々の気質をカマイにたとえて「スネカマイ(祖納のイノシシ)」と呼ばれています。

祖納の人々は歴史的、文化的にカマイと深い関係を築いてきました。12年前の亥年に沖縄島のヤンバル奥部落で第一回のカマイサミットが開催され、今回は第2回目。3回目は12年後となります。

このサミットでは台湾、琉球の島々でカマイ猟をされている方とも交流できるそうです。カマイを通じて、琉球の文化、歴史、人間と自然との関係、台湾・琉球の人々との交流等、多くのことを学べそうです。

今年は台風の来襲が多く、森の被害も大きく、カマイたちの生活にとっても厳しい状況だそうです。その中でカマイと人間との関係について考えてみたいです。               
  (上記文章は 第2回カマイサミットin 西表・実施要項を参考にしました。)

15日は10時半に開場、受付が行われ、研究発表は13時半から、18時には台湾、琉球のカマイ猟師参加によるシンポジウムが行われます。21時から懇親会。

16日は午前中、猪垣の見学。午後はフリーディスカッションが15時までです。

私も参加する予定です。

参加希望者はカマイサミット西表事務局 khamaisummit07@gmail.com

または電話098-85-6303 FAX098-85-6018(石垣金星宛)までよろしくお願いします。

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国際開発学会関連写真②

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岸田・沖縄担当大臣の発表。振興開発の意義を強調していました。

国際開発学会のプレイベントでの発表であり、大臣の後に発表された東審議官の報告内容については、後日、私が学会のセッションの中で批判させていただきました。

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沖縄大学で開催された国際開発学会。桜井学長、浜川さんはじめ、沖縄大学関係者には学会運営で大変お世話になりました。

おかげさまでスムーズに議論を行うことができました。沖縄大学は、雨水をトイレ水に再利用するなど、環境に配慮した大学です。大学の設計は真喜志さんが行いました。

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学会の最終日に金城睦さんの古稀の祝いがありましたので、参加しました。左右を問わない、さまざまな方が集まっていました。

金城さんご夫妻が、石垣島のアンガマーの面をかぶり踊りとしながら会場を回っていました。私も環境、基地問題の住民運動をされている方、研究者、音楽家等と話をすることができました。お祝いが終わり次第、また、沖縄大学に戻り、学会のセッションに参加しました。

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右から、金星さん、安里さん、西川先生。学会終了後、何人かで琉球居酒屋で交流会を開きました。金星さんが居酒屋にあった三線を弾いて皆で楽しいひと時を過ごしました。

西川先生は、国際開発学会の副会長であり、開発問題は、第三世界だけの問題ではなく、国内問題であるとして、昨年から沖縄大学での開催を進めてきました。

国際開発学会が琉球で開催されるのは最初であり、琉球の開発問題はこんごさらに議論、研究、実践を生むのではないでしょうか。

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金星さんの三線にあわせて、基地問題について「ラップ」のように問いかける真喜志さん。真喜志さんは琉球の風土、文化、歴史を踏まえた建築物を設計している建築家です。

それとともに、白保の新空港反対運動から、現在の辺野古新基地建設に一貫して反対活動をされている住民運動家でもあります。この夜は、真喜志さんからその生きざまを伺うことができました。

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金星さんの三線に合わせて、隣で飲んでいた社会教育学会に参加されていた九州大学、熊本大学関係者といっしょにカチャーシー、六調を部屋を回りながら踊りました。

まさにイチャリバチョーデー(出会えば兄弟)で、琉球の社会教育についても話を聞くことができました。

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右から阪本さん、真喜屋さん、林さんです。3人とも西川先生の教え子です。それぞれの分野で活躍されている研究者で、明るく、パワフルな女性たちです。

ゆいまーる会議④

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今年のNHKのど自慢で優勝した、新元さんの娘さんの、そらさん。非常にのびやかな歌声でした。

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交流会で三線を弾く(または叩く)新元さんと、前利さん。久高島のように二人の掛け合いは楽しかったです。

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港さんの伴奏で歌う、そらさんと、りんさん。姉妹には、会場の準備、食事の支度等、大変お世話になりました。心よりお礼申し上げます。

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即興で、詩を語る上田さんと、ギターを弾く港さん。二人の息が合い、詩やギターでも自治が語りうることを実感しました。

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大阪からこられた西浜さん。会社退職後、現在、大学院博士課程で琉球のことを研究されています。

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人類館の本を朗読する上田さんと、西さん。朗読によって言葉が命を得て、公民館に響き渡っていました。


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左から、藤原社長、新元さん、山下さん、私。平田の海をバックにして。後方には枝手久島がある。CTS建設計画が浮上した島であり、住民の反対運動により実現せずにすんだ。

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平田商店ではたらく、りんさん。同売店は共同売店であり、住民によって設立され、運営されています。沖縄島の中北部地区、波照間島、石垣島、西表島等にもあります。自治の拠点です。

国際開発学会沖縄大会①

昨日、国際開発学会沖縄大会から帰ってきました。

23日のプレイベントでは、岸田沖縄担当大臣、東内閣府沖縄担当審議官が講演を行いました。そのあと、沖縄大学の吉川先生、法政大学の清成先生、富川先生、そして私が沖縄振興開発の35年間の総括を行い、これから沖縄経済の行方について論じました。

その内容については、翌日の沖縄タイムス朝刊でも報じられました。

私は開発と基地が非常に関連していること、振興開発が失敗におわったこと、内発的発展の意義等について話し、他のパネラーと議論しました。


24日に私が司会をして、沖縄開発を反面教師として考えるセッションが開かれました。

建築家の真喜志さんが、「環境アセス逃れ」が横行している沖縄島北部の現状や、辺野古基地建設の問題について、沖縄大学学長の桜井先生が振興開発による環境破壊の実態について、

WWFさんご村の上村さんは、石垣島の乱開発問題について、フリーライターの安里さんが、
沖縄のゆいまーるについて、吉川先生は、経済自立のための実践について発表しました。

24日の午後も沖縄に関するセッションが開かれました。早稲田大学の西川先生による厳しく、的確な質問によって緊張感溢れるセッションになりました。だれのための、なんのための沖縄研究なのかが問われていると思いました。

25日の午前中には、西川先生が司会をして沖縄の内発的発展に関するセッションが開かれました。

西川先生は、沖縄における「本当の豊かさ」について述べ、すでにある豊かさを土台にした沖縄型の発展モデルを提示しました。

滋賀大学の只友先生は沖縄経済を財政学の観点から分析し、現在の財政状況が持続不可能であることを示しました。

そして、私が沖縄における内発的発展の事例として、共同売店、憲章、公民館活動等について述べるとともに、東審議官の報告を批判しました。

沖縄における内発的発展はロマン主義、理想主義、予定調和の共同体論ではなく、グローバル経済の中に巻き込まれた島嶼民が自らの島を守るために実践してきた、現実的こころみであり、今もまた、内発的発展が自治の力によって展開されていることなどを話しました。

さらに、東審議官の報告は、植民地支配政府の官僚のような発言であると考え、これを学会報告内で批判すべきであると思い、あえて反論を行いました。

審議官が、振興開発がいかに沖縄にとって重要であり、近代経済学をベースにした開発によって島だけでなく、人までもさらに近代化しようとしていること等を述べたことを批判し、自治の意味を問い、そのあり方を提言しました。

西表島の公民館長である石垣金星さんが、内発的発展の事例を自らの生き様と関連させながら報告しました。

最後に早稲田大学大学院の真喜屋さんが、読谷、北谷、那覇新都心における基地跡地利用を比較して、その問題性を明らかにしました。


振興開発がなぜ失敗したのかを考える濃密な3日間であったと思います。

35年間の振興開発が失敗したにもかかわらず、内閣府沖縄担当部局は何の反省もせず、さらにシマジマを開発しようとしていることも明確になりました。

この学会で得た知識、疑問、そして人のネットワークをさらに生かして、今後の琉球の自治に関する実践、研究につなげていきたいと思います。

国際開発学会へ

明日から国際開発学会が沖縄大学で開かれます。明日午後の公開、シンポジウムに参加するため、私は今日、琉球に行きます。

詳しくは、先にお伝えしたこの学会に関するブログを見て下さい。35年間の開発の意味を問い、これから歩みべき道を提案し、他の参加者と徹底的に議論をしたいと思います。

来週の月曜日に帰りますので、火曜日以降、学会の内容をご報告いたします。

ゆいまーる会議③島の豊かさを体感

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春さんの民宿で食事をいただきました。右から金城さん、春さん、私の母。
春さんが栽培された野菜、果物、平田の海でとれた魚の刺身をいただきました。

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春さんの畑に立つ私の父。春さんは堆肥を使うなど有機栽培を実践しています。

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春さんの畑。野菜、パパイヤ、島ばなな、シイタケ、にんにく、パンションフルーツ、アテモヤ、バンシルーなど、いろいろなものが栽培されています。

他の村の人も自分の畑、または土地を借りて栽培し、自給用、おすそわけ、無人売店での販売をしています。

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パパイヤの漬物。春さんの手作りです。

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黒糖でつけたにんにくです。ほんのりと甘く、おいしかったです。

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手作りのインゲン豆です。



春さんの民宿では、春さんが自分自身で栽培した「島の幸」を食べ、近くにある春さんの畑を見学して、自分が食した自然の実りを見ることもできます。

現金がたとえ多くなくても、十分生活できる島の豊かさを実感しました。また春さんの暖かくやさしい人柄でした。

民宿に泊まりたい方、「島の幸」を購入したい方は、春さんの連絡先、0997-67-6076までお問い合わせください。

宇検村平田のゆいまーる会議②

宇検村教育員会の元田さんによる宇検村の歴史の説明

宇検村教育委員会の元田さんによる宇検村の歴史の説明

17日交流会
17日の交流会、右から国馬村長、新元さん、阿曽さん、山下さん

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交流会で島唄を歌う平田の方

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18日の集いで奄美の歴史を話している前利さん

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奄美の歴史について説明している、南方新社の向原社長

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島嶼経済の自立についての実践例を話す、やっちゃばの前田さん

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熱心に話を聞く参加者

奄美大島宇検村平田でのゆいまーる会議①

17日から19日まで宇検村平田で車座の集い「ゆいまーる琉球の自治」が開かれました。

受入地の宇検村、平田の方々、新元博文さん、民宿の方々、共同売店の方々、宇検村教育委員会の元田さん、平田に集まられた多くの方々、大変、お世話になり心より感謝申し上げます。

石油備蓄基地を建設させず、市町村合併を拒否し、住民自治の生活を守ってきた方々から
貴重なお話を伺いました。

17日夜開かれた交流会には平田の方のほか、宇検村国馬村長が来て下さり、「ゆいわく(相互扶助)」の心で地域の自治を実現していくとの、力強い言葉を聞くことも出来ました。そして平田の方々と黒糖焼酎を飲み交わしました。

18日午前中に藤原社長が後藤新平の自治について述べた後、私が問題提起と提案を行いました。そのあと、前利さん、向原さんが奄美諸島の歴史について話して下さいました。

午後は、やっちゃばの前田さんがITを活用した奄美産物の販売、「奄美王国」の取り組み等、自立経済のための実践について、

「奄美の寅さん」である花井さんが、「スロー自治論」、奄美諸島と沖縄との違い、環境ネットワーク奄美の薗さんが、環境と生活・文化との関係、奄美における開発の現状について、

あまみFMの麓さんは、コミュニティー・ラジオによって「奄美を知り、奄美を誇りに思う」ための自らの実践について報告していただきました。

その後報告をうけて、参加者全員による質疑応答、討論を行いました。
3時の休憩のときには、今年NHKのど自慢で優勝した新元さんの娘さん、空さんのミニコンサートが開かれました。のびやかな、自然と共鳴するような歌声に感動しました。

そして、午後の部の後半では、奄美諸島以外の場所から来ている方々からの報告を受けて討論をしました。

夜の交流会では、音楽家の港さんがギターを弾いて、新元さんの娘さん、空さん、りんさんが
歌を歌って下さいました。

そして、詩人の上田さんと、港さんが即興で、一緒に詩と音楽の世界を繰り広げてくれました。自治は音楽や詩でも語りうる、深さをもった世界であることと実感しました。

次の日は、今回の集いのまとめについて各自が発言をしました。

この集いは、専門家、学者が上から発話する一般的なシンポジウムではありません。

立場の異なる参加者全員が対等な立場で自治について、自らの実践を踏まえて語りあい、学びあうことを目的としています。

石油備蓄基地を拒否し、自らの力で地域が有する豊かさを活用して生きている方々の声を
聞くことができました。この集いで話し合われたことをどう各自で受け止め、次の自らの自治の実践につなげていくかが各自の課題になったかと思います。


今日から宇検村平田での自治の集い

今日から19日まで、奄美大島宇検村平田で琉球の島々の自治についての集いが開かれます。今年3月の久高島の集いに次いで、2回目となります。

今日は、宇検村博物館で、村の教育委員会の方から村の歴史と文化について伺い、夜は交流会となります。

村の方々とともに、村長も出席して下さるそうです。市町村合併を行わず、村の自立を目指して様々な取り組みを行っている村のあゆみから学びたいと思います。

また奄美諸島の方々と再会できることを楽しみにしています。2日間の密度の濃い集いになると思います。地域の問題に取り組み、自治を実践されている方々との出会いがあり、参加者それぞれが学びあう集いになるでしょう。

私はこれから家を出て、新幹線にのり東京について、羽田から8時20分発の飛行機で奄美大島に向かいます。この集いの模様については来週火曜日以降に紹介したいと思います。


久高島留学センターの取り組み

今年三月久高島で「ゆいまーる琉球の自治」の集いを行いました。

その際、坂本清治さんが久高島留学センターの活動について話して下さいました。

坂本さんのお話については、『環:今こそ、琉球の自治を』30号を読んでください。

坂本さんは神奈川県出身で琉球大学農学部を卒業され、久高島留学センターを設立された方です。

坂本さんから以下のようなメールをいただきましたので、ご紹介させていただきます。


最近、ある大学の先生と、大学生のフィールド(授業カリキュラムの一部)として久高島を使っていこうと言う話になりました。

島側としては、循環型の島づくり、遊休農地の利用、土作り苗作り、高齢者の農作業の補助・・・などの形を学生さんたちに手伝ってもらいながら確立していきたいですし、学生さんとしては畑や海や高齢者やワイルドな子ども達の相手に精通する人材(先生の卵)になるための修行の場として活かしてもらいたいと考えています。

そのために大学側は授業時間や予算を検討していくことに、島側は受け入れ態勢を整えながら学生さんたちの活動を支援する補助メニューがないものか探っていこうと進めています。

うまくいけばとても面白い試みになると期待しています。



島の内と外の人間がそれぞれ学びあいながら、島の良さに目覚め、島と島人がもつ力によって、人間が本来有している潜在能力が育てられていく。

それを地道に実践されているのが、坂本さんではないかと思います。琉球の他のシマにとっても参考になる取り組みではないかと思います。

魚眼レンズでブログの紹介

沖縄タイムス紙の文化欄「魚眼レンズ」で、「ゆいまーる琉球の自治」のブログが紹介されました。

ブログで島々の情報交換

ブログ「ゆいまーる琉球の自治」を立ち上げ、島々や地域が自立するために情報交換を行っている。東海大学准教授の松島泰勝さん。

「スタートして約1ヶ月なので、知り合いにブログが開設されたことを紹介している。

多くの島々が離れ、頻繁に会うことができない中、情報交換のメディアとして活用してもらえば」と話す。

18日には奄美・宇検村で自身が中心となる意見交換会「車座集会」も控える。

「宇検村は鹿児島県に属しながら琉球文化圏でもある興味深い地域。市町村合併を拒否し、自立・自治を模索するなどいろいろなことが学べる。是非多くの皆様に集会に参加して欲しい。」と呼びかけている。


学芸部の与儀さんご紹介くださいまして、心よりお礼申し上げます。

奄美大島宇検村の集いは、17日の午後から始まり、19日の午前中まで続きます。二泊三日の合宿で心行くまで語らいあいと思います。


『うるまネシア第8号:琉球救国運動130年』の紹介

『うるまネシア』は 琉球弧の自立・独立・論争誌であり、「21世紀同人会」が発行しています。

1879年に琉球が日本に併合され、沖縄県となりました。

その後、滅亡した琉球国の士族等が併合に反対し、国を救うための運動、「琉球救国運動」を展開してきました。

特集にあって編集者は次のように述べています。

「自己の権利を求めて、自己の社会の自立を求めていくことがそんなに悪なのか。

自分たちの政治社会を解体させられた私たちは、情報をコントロールされ、文化をコントロールされてきたのではないか。

現在の私たちにとっては、自分たちの政治社会を考え、自分たちの生活をも犠牲にしながら、琉球救国運動に取り組んだ先人の足跡を見直し、私たちにとっての位置から再評価しなおしていくことが必要だろう。」

琉球救国運動については『環:今こそ、琉球の自治を』でも西里さん、後田多さんが論じていますが、現在の琉球の自治を考える上においても重要な歴史事実であると考えます。

琉球史を単に、実証的に研究したり、ノスタルジーを求めて関心をもつのでなく、現在の自治の観点から新たに評価して、見直す動きが始まっています。

自治は自治体の財政問題に終始する傾向がありますが、自治とは地域の歴史や文化を基盤においたものであり、歴史からも学ばなくてはならないものだと思います。

また、当時の救国運動の担い手は首里、那覇の士族層が多かったかと思いますが、彼らはどのように奄美諸島、宮古・八重山諸島を新しい「琉球国」において位置づけていたのかに関心があります。

琉球のそれぞれの島の自治にとって、琉球救国運動がどのような意味を有するのかを考えていく必要があるかと思います。





『うるまネシア』8号(2006年9月10日発行)  
「特集 琉球救国運動130年」 
「琉球救国運動130年」にあたって 

琉球救国運動略史・・・・・・・・・・・・・・・後田多敦 
脱清人から学ぶこと・・・・・・・・・・・・・・高良勉 
琉球王国の抵抗・・・・・・・・・・・・・・・・大城よし武
 
「沖縄型近代」を目指す思想・・・・・・・・・・新島  洋 
幸地朝常の手紙・・・・・・・・・・・・・・・・後田多敦 
浦添朝昭と宜野湾朝保の写真・・・・・・・・・・後田多敦 

台湾社会の琉球イメージ・・・・・・・・・・・・赤嶺守 
琉球・沖縄から見た「靖国問題」・・・・・・・・又吉盛清 
脱清人の系譜・・・・・・・・・・・・・・・・・渡久山朝章 

浦添家の代々に伝わるできごと・・・・・・・・・浦添健 
皇帝からの贈り物・・・・・・・・・・・・・・・河合民子 
ファン・ボイ・チャウと琉球・・・・・・・・・・太平ヤマ 

史料紹介「琉球藩地ニ於テ木梨書記官応接書上申」・・・後田多敦 
日本国家植民地論(7)・・・・・・・・・・・・大城よし武 
沖縄独立研究・序説(8)・・・・・・・・・・・真久田正 

日本国家植民地論(7)・・・・・・・・・・・・大城よし武 
海邦小国記(5)・・・・・・・・・・・・・・・後田多敦 
「自立」を拒むもの・・・・・・・・・・・・・・知念勝美 
ほか

 「うるまネシア」のホームページより


『戦後奄美経済社会論』の紹介

皆村武一さんが書かれた『戦後奄美経済社会論―開発と自立のジレンマ』日本経済評論社をご紹介いたします。

皆村さんは現在、鹿児島大学において地域経済を教えられている先生です。

皆村さんは沖永良部島出身であり、奄美諸島の経済自立に関して実証的に論じられています。それとともに、本書からは島人の魂の声をも聞くことができます。


本書の220ページには次のような記述があります。

「従来のような開発政策を遂行していけば、ますます外部依存性が高まり、自立化の道はさらに遠のくであろうし、郡民の主体的な取り組みによる郡内資源を最大限に活用した内発的な開発政策は、自立(律)性を高めていくであろう。

開発と自立のジレンマを克服し、開発と生態系の調和を図っていくためにも、従来の方針の見直しが必要である。」


沖縄県の島々も奄美諸島と同じく、これまでの振興開発を続けたのでは依存と従属の道が深まることは確実です。

内発的開発政策が求められますが、その主体は住民自身となるでしょう。
住民参加がない、上からの開発は地域の自立にはつながりません。

今週、17日から始まる奄美大島宇検村での、車座での集いでは島々の開発と自立についても、個々の事例を出し合いながら議論していきたいです。

ゆいまーる沖縄の玉城幹男さん

ゆいまーる沖縄の玉城幹男様がお亡くなりになりました。

玉城さんは琉球の特産物の卸し、販売を琉球、琉球人の立場に立って実践されてこられた方です。琉球の特産物を広く販売することで、経済自立を実現することに全力を注がれてきました。

2003年、宜野湾にあるコンペンションホールで「21世紀沖縄のグランドデザイン」と題するシンポジウムを開催した際、快く寄付をしてくれました。

寄付のお願いに浦添にある会社を訪問し、玉城さんと琉球の経済自立についてお話を伺った事を思い出します。

玉城さんは琉球の経済自立が平和とも深く関連しているとして、米軍基地の存在にも強く反対してきました。

玉城さんのもとで働いている、照屋みどりさんからも琉球の産業振興、経済自立について具体的に教えていただいています。

沖縄島における自治の実践者の一人が玉城さんであり、多くの若い後継者を育てられてきたと思います。

謹んで心より哀悼の意を表します。

早大講義お礼と、「ゆいまーる」の準備

先週土曜日に「21世紀世界における戦争と平和(平和学)」という早稲田大学の授業におきまして、

私が「島の開発、自立と平和-沖縄の事例から」と題する講義を行いました。

雨にもかかわらず、300人程の学生が聴講に来て下さいました。

「復帰後」35年間の開発を問い、基地と開発が緊密に関連していること、グアムと沖縄との関係、自立の在り方等について話をしました。

最後の10分間の質疑応答の時には、鋭いご質問を学生から頂戴いたしました。勉強になりました。心よりお礼申し上げます。

そのあと、多賀先生、奥迫先生、そして院生の方々とお食事をいたし、島の自治、開発、平和について貴重なお話を伺いました。心よりお礼申し上げます。

講義の前日には、大学の近くにある藤原書店において社長、西さんと
奄美大島宇検村での集い「ゆいまーる」について打ち合わせをしました。

参加者がシマジマの自治について真剣に語り合うことが目的です。特に今回は奄美諸島における自治の在り方について深い議論ができればと希望しています。

会議の後、皆で新宿3丁目にある、琉球居酒屋「海森(カイシン)」に移動しました。

ちょっとびっくりしたのは、「海森」に1年ほどまえに拙著『琉球の「自治」』のチラシが告知板にまだ掲示され、その時の『機』(藤原書店)も置いていてくれたことです。

「海森」の料理は大変おいしく、島にいるような気持ちになります。また行くたびに琉球出身の店長の言葉やお顔に励まされています。

琉球の自治について考え、思う人の輪をもっと広げて、深めていけたらと願っています。

『苦い砂糖』の紹介

奄美大島在住のジャーナリスト、原井一郎さんの『苦い砂糖―丸田南里と奄美自由解放運動』高城書房をご紹介します。

原井さんには奄美大島で何回かお会いし、また学生にも奄美諸島の近代史、砂糖生産によって苦しめられた人々の生活、島津藩と琉球王国によって支配・搾取された島々の歴史等について話していただきました。

本書の289ページには次のように記されています。
「奄美の歴史書に目を通して、まず心に突き刺さるのは「徳之島で餓死者三千人」といった記事があまりに簡略に提示されていることだ。

悲劇はそれだけにとどまらない。繰り返し繰り返し、執拗に島々を襲ったおぞましい災厄が淡々と感情なく綴られている。

おびただしい死者の群れをなぜもっと告発する、怒りや悲しみが表現されないのか。

そのいちいちに付き合っていては歴史は見通せないとでも言うのだろうか。本書を書きすすめることになった動機はたぶんそんなところからだったように思う。」

奄美諸島の人や歴史に対する強い思いが伝わってきます。

本書では、丸田南里を中心にした島の人々が鹿児島商人による砂糖支配を打破するために立ち上がった「勝手世運動」について記されています。

島の窮状を解決できるのは島人であることを身をもって示しているといえます。

現在の琉球のシマジマに住む人々にとっても勇気と希望を与えてくれる歴史的事実です。


本書の構成は次の通りです。

プロローグ
1.夜明け前
2.幕末動乱のうねり

3.南里の決起
4.終わらぬ闘争
エピローグ

『奄美の振興開発-住民からの検証』の紹介

1995年にあまみ庵から出版された『奄美の振興開発-住民からの検証』をご紹介いたします。

著者は長年、名瀬市議会の議員をされていた、吉田慶喜さんです。
吉田さんには昨年、実際にお会いして奄美の振興開発について、お話を伺うことが出来ました。

なぜ、振興開発が初期の目的を達成できなかったのかを、住民の視点から丹念に調べてこられ、住民運動にも積極的にかかわってこられた方です。

17日からの宇検村での集いでも奄美諸島の開発が議論になると思いますが、同著は重要な文献になると思います。




第1章 第3次奄振の課題
  Ⅰ 改正された奄振法 
  Ⅱ 第三次奄振計画 
  Ⅲ ソフト施策は充実されるか

第2章 復興・振興・振興開発の40年
Ⅰ 40年前の奄美 
  Ⅱ 復帰対策の問題点 
  Ⅲ 復興計画期(1954~1963年) 

  Ⅳ 振興計画期(1964~1973年)
  Ⅴ 振興開発計画期(1974~1983年)
  Ⅵ 新振興開発計画期(1984~1993年)

第3章 奄美振興への私の提案
 
(帯より)「奄振」(奄美群島振興開発特別措置法)とは何か?
 本書は、「奄振」を通して、戦後奄美の振興開発の歩みを知ると共に、奄美の住民が自らの展望を拓くための、待望 のテキストである。

 自治体関係者や研究者、奄美の再生のために各分野でがんばっておられる方たちには、必読の書となるだろう。

 奄美の復興、振興、振興開発は、「本土並み」を追求し、「沖縄並み」を求めて、ついに追いつけなかった。

投じられた総事業費は一兆円。
「住民が主役の、住民参加による、住民のための」振興開発計画だったのか、その内実と展望を検証する。

あまみ庵ホームページより

新しい琉球の時代の幕開け

新しい琉球の時代の幕開け

松島泰勝 『機』藤原書店、2007年2月号


琉球国は数百年にわたりアジア各地と交易を行ない、文化を吸収してきた。

アジアの中で琉球が育まれてきたのである。しかし1609年、薩摩藩は奄美諸島に侵略して直轄領とし琉球を分断した。

1879年、日本は琉球国を滅亡させ、アジアとの関係を断ち切った。
今年は南琉球が「日本復帰」して35年目になる。

祖国、母国と憧れてきた日本は、米軍基地を押し付け、振興開発により島を切り刻み、海を埋めてきた。

「沖縄文化」は観光客に見せ、喜ばせる商品に成り果てた。日本の企業や移住者が島の経済や人を支配していく。

米国に従属する日本は恥ずべきことだが、その日本に隷属されることはさらに悲劇である。

「復帰」とは何であったのか、これからも「復帰体制」を続けるのかが問われている。

 日本による基地と振興開発とのリンケージ策を切断できるのは琉球人しかいない。

大半の琉球人が「復帰」を選択したが、琉球人の自己決定権の行使は一回きりで終わりではない。

変革する状況が現れれば何度でも行使できる。近代化以外の道を歩む、外交権を有する高度な自治領になるという選択肢もある。

それにより日本一辺倒の関係から脱却し、アジアとの多様なネットワークを形成する。

今年三月、「ゆいまーる琉球の『自治』―万人のもあい」という車座の集いを藤原書店の協力を得て久高島で行なう。

久高島は現在も土地の私的所有を認めず、リゾート開発を拒否し、島おこし運動を進めている。神、自然、静かな生活、互いに助け合う生き方(ゆいまーる)等、カネでは買えないものがここにはある。

この集いは知識交換の場ではない。土地の声を互いの顔をみながら聞く。魂の言葉で自治を語り、島の知恵を学びあう。自らの力で島を治めることが平和の礎になる。

島の唄や踊りでそれぞれの文化を結ぶ。南北の琉球がつながり、将来は他のアジアとも結び合いたい。「ゆいまーる」によって、新しい琉球の時代が始まる。

経済自立、活性化とは何か

経済自立、活性化とは何か

八重山毎日新聞2007年6月23日 松島泰勝


大規模リゾートによって地域は発展するのだろうか。

1987年、総合保養地域整備法(リゾート法)が制定され、1998年まで各自治体から同法に基づく基本構想が提示されてきた。

しかし現在、リゾートによる雇用者数は当初見込み数の4分の1にとどまり、リゾート倒産も多発した。インフラ整備等による各自治体の財政負担増大、地価高騰、営農意欲の減退等の問題も発生した。

画一的な開発内容で、中央の資本に依存した、リゾート法に基づく「地域活性化」策は破綻したといえる。

沖縄でも県全体をリゾート法の対象地域とする「リゾート沖縄マスタープラン」が実施された。現在、年間約600万人の観光客が来島するようになったが、沖縄県は経済自立したのだろうか。

県債残高(05年)は約6519億円にのぼり、県の年間予算総額を超えた。一人当たり県民所得は全国最下位、失業率は全国平均の約二倍である。

県外受取構成比(03年)をみると、財政の経常移転が42.1%、観光収入が17.7%、基地関連収入が8.4%である。経常移転(国の支出金)に大きく依存し、経済自立には程遠いといえる。

県観光業には次のような問題ある。閉鎖空間の島嶼に多くの観光客が訪問することで、島の環境に大きな負荷を与えている。

島には経済開発の許容量があり、無限成長路線はとれない。

また、大手の航空会社、旅行代理店に集客を依存し、他の産業との経済連関効果が小さく、観光収益が中央に還流している。低賃金、重労働、不安定な雇用形態が多い。

通常、人口や企業投資の増加を経済自立、活性化の指標としている。だが住民は石垣島の「ミニバブル」に豊かさを感じているのだろうか。いつかブームは過ぎ去り、リゾートに依存した地域は混乱に陥るだろう。

経済自立、活性化の意味を考え直す時期にきている。

破壊された自然、景観は簡単には再生できない。環境や文化が失われ、住民に活気さがなくなれば、島の魅力自体も失われ、観光業も低迷するようになろう。

石垣島らしい観光とは何であろうか。

島の自然や文化をしっかり保ちながら、住民参加によって、観光業と農業、漁業、地場産業等との連携を深める。

観光収入が島の中で循環するような仕組みをつくることが、観光客数の増加よりも、島の経済自立にとって重要である。

乱開発は石垣島だけの問題ではなく、観光客、移住者として島を訪れる日本国民全体の問題でもある。「楽園イメージ」をあおったメディアの責任もある

。6月24日午後2時から市民会館において、島の現在と未来を考えるシンポジウムが開催される。

この集いは、住民自身が島の開発問題について語り、未来像を描くことで、自らの力で島の方向性を決めるための第一段階となろう。

観光のあるべき姿とは何か、島の自治のために新旧住民による協働は可能か等について、真剣な議論が展開されよう。

石垣島の未来を考える場合、世界の他の島嶼との比較が参考になる。人口約18万人のグァムには毎年100万人以上の観光客が訪問している。

観光用ビーチにはサンゴ礁がほとんどなく、藻の発生もみられる。汚水が海に流れ遊泳禁止の海浜もある。

日本企業を中心とした外部資本が土地を買収し、ホテルやレストラン等を経営し、利益の大部分は母国の本社に還流している。

観光業の従事者もフィリピン人を中心とした外国人が圧倒的に多く、母国に給料を送金している。

大勢の観光客が来ても、観光収入が島から通り抜けており、島の環境は破壊され、島の先住民族であるチャモロ人の経済状況は好転していない。

グァム政府も廃棄物処理、インフラ整備を強いられ、財政状況も良いとはいえない。

他方、人口約2万人のパラオでは観光客が入島できる地域を限定し、観光客から徴収した入島税を基にして環境保護活動を行っている。

外国企業には厳格な環境保護法令の遵守が義務付けられている。政府機関のパラオ観光局は、環境、文化、歴史を学ぶエコツーリズムのほうが、観光客の増加を目標に掲げるマスツーリズムよりも、環境保全につながり、島への経済効果も大きいと考えている。

ある日系のリゾートは完成するまでに約10年近い歳月がかかった。住民と徹底的に話し合い、環境や景観を破壊しないような施設をつくり上げた。

それがまた旅行者の評判を生んでいる。外国企業の経営にはパラオ人も参画する場合が多く、雇用もパラオ人の採用を優先するように法律で定められている。

パラオでは環境、地元民の観光業への参加、住民の生活を最優先に考えている。環境が失われたら島の自立もありえないと認識している。

島の自治力が強く、観光業を住民が考える方向に導くことが可能になったといえる。

リゾートや新空港によって自動的に石垣島の経済が自立するとは簡単にはいえない。島の安売りでは、さらに開発が進み、観光客から飽きられてしまう。

地域自立の主体は住民自身である。住民が島の発展の方向性、理念を示し実践しなければ、行政だけでは島の乱開発を解決できないだろう。

持続可能な発展を実現するための施策として次のような方法がある。

開発規制地域の設定、入域制限の期間や人数の設定、島独自の厳しい環境アセスの実施、自然環境保全・利用ためのガイドラインの設定、土地利用委員会による乱開発の規制、入島税による環境保全活動やモニタリング調査の実施等である。

石垣島は観光の島である前に、人間が生活する場所である。開発は住民との共生が前提となる。

石垣島独自の観光や生活のあり方、厳しい環境保護の姿勢を世界に提示することで、島の人間が観光客や投資企業を選択し、島の宝である自然や文化の価値を損なわずに子孫に引継ぎ、今の生活も安定化させることが可能になると考える。

島の観光のあり方

島の観光のあり方

八重山毎日新聞2006年2月9日 松島泰勝


石垣島には年間約70万人の観光客が来島している。石垣市の人口は約4.5万人であるから、人口の約16倍の観光客がやって来る。

しかし島嶼とは閉鎖空間であり、経済活動が活発になればなるほど環境問題が深刻になるというジレンマを常に抱えている。

多くの観光客が短期間に小さな島を訪問することで島の環境にも大きな負荷を与えている。島には経済発展の許容量があり、無限成長路線はとれない。

人口約16万人のグアムには毎年100万人以上の観光客が来る。観光ビーチには珊瑚もなく、藻が発生する場合もある。汚水が海に流れ遊泳禁止の海浜も存在する。またゴミ処分場にはゴミが溢れかえっている。

日本企業を中心とした観光業者が土地を買収し、ホテルやレストラン等を経営し、利益の大部分は母国の本社に還流している。

労働者もフィリピン人を中心とした外国人の方が圧倒的に多く、母国の家族に給料の大半を送っている。

つまり大勢の観光客が島に来ても、観光収入が島から通り抜けており、島の環境は破壊され、グアムの先住民族であるチャモロ人の経済状況も好転していない。

グアム政府も汚水やゴミ処理・インフラ整備を強いられ、米本土からの補助金に依存している。

島という舞台の上で、観光業者が芝居を上演し利益を得て、観光客が芝居を鑑賞しているが、住民はときどき脇役に使われることはあっても主役にはなれないという状態におかれている。

他方、パラオでは観光客が入島できる島を限定し、観光客から徴収した入島税を基に環境保護活動を行っている。

観光客にはパラオ人の生活や文化への配慮が求められ、外国企業者には厳格な環境保護法令か義務付けられている。

政府機関であるパラオ観光局は、島の環境、文化、歴史を学ぶ、滞在型のエコツーリズムのほうが、観光客の増大だけを目標にするマスツーリズムよりも、環境保全につながり、島への経済効果も大きいと考えている。

外国企業の経営にはパラオ人の共同経営者の参加が必要である。また外国企業によるパラオの土地所有は禁じられており、最大でも50年間しかリースできない。

雇用もパラオ人の採用を優先するように法的に定められている。パラオでは環境、地元企業の活動、住民の生活を第一に考えている。

ここにパラオの自治の基盤があり、観光業を地域住民が考える方向に導こうとしている。

観光化はともすれば外部の要求や欲望に従い、環境、文化等を全て商品化、市場化しようとする傾向がある。

利益優先の市場化に島の将来をゆだねるのではなく、島の許容量を十分考慮し、住民生活の安定、環境保全、地元企業の発展、地元民の雇用確保等を優先する、強固な自治のあり方が求められていると言えよう。

21世紀世界における戦争と平和(平和学)

11月10日に、「21世紀世界における戦争と平和(平和学)」という早稲田大学の授業におきまして、

私が「島の開発、自立と平和-沖縄の事例から」と題する講義を行う予定です。

「復帰後」35年間の開発を問い、基地と開発が緊密に関連していること、グアムと沖縄との関係、自立の在り方等について話をする予定です。

八重山諸島と太平洋諸島との関係

八重山諸島と太平洋諸島との関係

八重山毎日新聞 2006年2月8日 松島泰勝


太平洋の島々と沖縄には多くの共通点がある。

たとえば、島嶼性、気候・風土・動植物、ユイマール社会、のんびりした雰囲気、海上他界信仰、大国支配の歴史、沖縄人の南洋群島への移住、地上戦の経験と住民の犠牲、援助金依存、戦後の米軍統治や、基地と援助金との交換関係(ミクロネシア諸島)、観光業の急速な成長、環境問題等である。

違いは、パプアニューギニアを除いた太平洋の島々が沖縄よりも人口が少ないにもかかわらず、独立の道を選んだことである。パラオの人口は石垣市よりも少ない約2万人である。


太平洋の島々は沖縄を必要としている。

沖縄が蓄積しているフィラリア・マラリア予防方法、ウリミバエ等の害虫駆除技術、ゴミの分別処理法、島産物の多角的な生産や販売のノウハウ等は、太平洋の人々の健康を改善し、内発的な経済活動を活発にするうえで大きな役割を果たすだろう。

2003年に沖縄で島サミット(日本政府が主催する、太平洋諸国14カ国、豪州・ニュージーランド・日本の各首相による国際会議)が開催された。

島サミットでは島が抱える諸問題やその解決方法について話し合いが行われる。

サミットに参加した島嶼首脳から、太平洋諸国と沖縄との気候・植生・習慣・風土等の類似性が指摘され、沖縄が日本と太平洋諸国を結ぶ地域としてふさわしいとの評価が多くでた。

島嶼として沖縄も太平洋諸国と共通の問題を抱え、それらを解決しながら経済自立への道を歩んできたのであり、島嶼国の今後の発展過程においても沖縄の経験が参考になるとの声もあった。

島嶼国側の強い要望により、2006年の島サミットも沖縄で開催されることが決まった。

特にパラオは石垣島に期待している。2003年に開催された「島サミット」において、パラオのレメンゲソウ大統領は石垣島を訪問し、島の地場産業の発展に目を見張り、パラオに対する経済協力を希望した。

与那国島出身でパラオにおいて活躍しているのが入慶田本常夫さんである。ドラゴン亭という琉球料理店と、鉄板焼き店を経営している。

私がパラオに住んでいたころよく足を運んだ。ドラゴン亭は地元民や観光客に人気のある店であり、琉球音楽が流れ、琉球料理やオリジナル料理も美味しい。

入慶田本さんは、フィリピン人やパラオ人を30人近く雇い、朝の仕入れから、料理作り、お客の接待まで忙しく働いている。

このように八重山諸島は太平洋諸島から期待され、人的な交流もみられる。

島同士がユイマールを通して、それぞれの島が抱えている問題や、島の可能性を学び合い、支えあう、国境を越えた島々の連合の実現が求められている。

経済成長を基準にするのではなく、「本当の豊かさ」、「島同士のユイマール」に基づいて八重山諸島の国際化を考えることで、島の規模に応じた持続可能な発展が可能になると考える。

グローバリズムと八重山諸島

グローバリズムと八重山諸島

八重山毎日新聞 2006年2月7日 松島泰勝

 世界の島嶼社会はグローバリズム、市場主義化に直面し、何らかの対応を迫られている。

 沖縄にとってもグローバリズムは他人事ではない。日本政府の財政事情が厳しくなり、沖縄に対しても、これまでのような規模の補助金は投下されないだろう。

その代わりに求められるのが、沖縄のさらなる市場主義化や保護政策の撤廃であり、沖縄経済の競争力を強化するための構造改革である。

国際金融センター、大学院大学、大規模観光施設はグローバリズムの拠点になる。

島の外から大企業、国際的に通用する人材を呼び込み、世界最高水準の研究を行い、沖縄の市場主義化を完成させ、失業の解消、自立経済を達成することが今後の目標になろう。

 グローバリズムとは言葉を変えると、アメリカン・スタンダード(米国標準)の世界化である。いまアメリカ流の経済手法、文化様式、世界戦略が世界を覆いつつある。

米軍基地がある沖縄はすでに軍事面においてグローバリズムの洗礼を受けてきた。基地を通じてアメリカ文化も沖縄の生活に入ってきた。

今世紀は、経済面におけるアメリカン・スタンダードが沖縄を支配する時代になるのだろうか。

しかしグローバリズムにより沖縄の失業問題、経済問題が解決する保障はない。

アメリカ社会をみればわかるように、熾烈な経済競争により、人々は時間に追われ、ストレスが増え、貧富の格差が広がり、貧困問題が深刻化する恐れがある。

沖縄が無防備に外に開放され、競争原理が導入され、外部企業、外国人、本土出身者がさらに増加する中で、地元企業が生き残り、地元民が働くことが困難な状況に陥ろうとしている。

むしろ、沖縄の住民が経済発展の主導権を握るような、政治的、経済的、文化的な仕組みを作り上げる必要がある。

沖縄はパラオのような独立国ではないが、島々の多様な文化や生活形態に基づいた地域主義を強化すべきであろう。

グローバリズムに直面する沖縄は、あらためて「本当の豊かさ」を問う必要がある。復帰後、短期的な経済効果を求めて珊瑚礁を埋め立て、島の形を変えてきた。

しかし、島嶼や珊瑚礁は沖縄独自の生態系であり、そこで人は自然と親しみ、神に祈り、芸能・工芸を生み出してきた。貨幣では計れない豊かさ、生活の充実があった。

時間に追われるような生活空間を沖縄に作り出すことは、沖縄の人々にとって本当に幸せなことであろうか。

グローバリズムの波にのって大量生産、大量消費、「大量観光客」を目指すのではなく、地域の生態系を活かす産業、地産地消活動、エコツーリズム、伝統工芸等、住民参加型の内発的発展を確立することで「本当の豊かさ」を維持、発展することが可能になろう。

アイヌ文化交流会in南城市

高良勉さんから以下のようなお知らせが来ております。お時間がおありの方はご参加ください。

友人、知人の皆さま、同志の皆さま、こんにちは。
ベン@沖縄のタカラです。

私は、現在11月18日(日)に南城市文化センター・シュガーホール
で午後6時から開催される「アイヌ文化交流会南城市」の準備に
追われています。この文化交流会は、入場料無料です。

私は、アイヌ文化交流会南城市実行委員会の事務局長をさせられています。
そこで、「協賛金」募金の「呼び掛け」をしたいと思います。

友人、知人、同志の皆さま、どうぞ無理はなさらないで下さい。

志金カンパにご協力できる方は、「返信」等でお知らせ下さい。
よろしくお願い申し上げます。
071106  ベン 拝



『アイヌ文化交流会in南城市』にかかる協賛依頼

1 趣 旨
沖縄の長く暑い夏も終わり、秋風の清々しい季節となりました。皆様には、ますます御健勝のことと拝察いたします。

さて、このたび北海道ウタリ協会上川支部のアイヌ民族の皆さまをお迎えして、「アイヌ文化交流会in南城市」をシュガーホールで開催することになりました。

本交流会は、「アイヌ文化交流会南城市実行委員会」が主催し、南城市との共催により開催されます。

「北の大自然が育んだ民族伝統舞踊」であるアイヌ古式舞踊等の伝統文化を鑑賞・体験することによって、アイヌ民族文化のすばらしさを、一人でも多くの市民に理解していただくと共に、南城市の伝統文化である琉球芸能や琉球舞踊をアイヌ民族の方々に披露し、理解を深め、お互いの文化伝承の振興活動に役立てたいと思っています。

この事業は、(財)アイヌ文化振興・研究推進機構の助成を受け、アイヌ民族の皆様の宿泊旅費等は確保してありますが、実行委員会側の運営資金がありません。

つきましては、出資の多い時節ではございますが、意義のある「アイヌ文化交流会」を実現するために、貴社・貴殿の協賛方「志金協力」を衷心からお願い申し上げす。

なお、協賛のおりは、以下の要領によりプログラム裏面に掲載したいと存じます。

2 プログラム企画
 (1) A4  4ページ  モノクロ  1,000部発行 

3 協賛金
(1) 企業・団体等  1口 5,000円 (何口でも可)
(2) 個人      1口 2,000円  (   〃  )

4 掲載規格 (プログラム裏面)
(1) 企業・団体等   1、5cm(タテ)×6cm(ヨコ)
(2)  個  人    1cm(タテ)×3cm(ヨコ)

5 銀行口座
・琉球銀行 佐敷支店 普通預金 口座番号 294273         
   
・名 義 
アイヌ文化交流南城市実行委員会 代表者 古謝 安子(コジャ ヤスコ)

6 連絡先
・副会長 宮城敏明 南城市佐敷字津波古339 090-3792-4547
・事務局長 高良 勉 南風原町与那覇438-10   098-888-4335

7 アイヌ文化交流会南城市実行委員会(順不同)
  新垣安子(南城市史編集委員) 高良武治(南城市文化協会会長)
  新垣一雄(南城市文化協会) 宮城敏明(津波古梁山泊・山の会)  
 山城百合子(ファッション百合) 高江洲朝男(風の里) 村上呂里(琉球大学)

高嶺久枝(琉舞かなの会会主) 渡名喜明(明王窯) 狩俣恵一(沖縄国際大学)
 
 渡名喜元久(南城市・観光・文化振興課) 浦崎みゆき(南城市文化協会)、?揚華(向陽高校) 崎間恒夫(シーサー句会) 真栄城守克(協同病院医師)大池功(旅行ガイド) 高良勉(詩人)

竹富島の自治の取り組みが評価

「竹富島まちなみ保存調整員会」が「地域住宅計画賞」を受賞しました。

地域住宅計画推進会議が、地域の気候、風土、伝統、文化、地場産業などを大切にしながら、住まいづくり、まちづくりを推進する作品や活動を発掘し、表彰しています。

竹富島では1972年から赤瓦の家並み、琉球石灰岩の石垣、白砂の道を地域住民が力を合わせてつくりあげてきました。

1987年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。その後、3集落から4人ずつ委員をだして、「まちなみ保存調整委員会」を組織してきました。

毎月一回の定例会において、島内の新築、改装を予定している家屋の図面を審査し、現地調査を行っています。

富山市で開かれた授賞式にご参加したのが、上勢頭芳徳さんです。上勢頭さんは、現在申請中のNPO法人「ゆいまーる琉球の自治」の理事でもあります。

上勢頭さんは今回の受賞について次のように述べました。

「歴代の調整委員会メンバーが、土地をむやみに売らず、無秩序な開発を許さないことで、景観を維持している。今回の表彰を励みに後輩たちにも活動を続けてほしい」


沖縄タイムス2007年10月20日より

現在を読む:沖縄復帰35年、開発の不毛から内発的自立へ

現在を読む:沖縄復帰35年、開発の不毛から内発的自立へ

毎日新聞2007年5月28日  松島泰勝


「復帰」して35年間、沖縄には振興開発費として約9兆円が投下されたが、本土との経済格差は埋まらず、自立は遥かかなたに退いた。

県債残高(05年)は約6519億円にのぼり県の年間予算総額を超えた。一人当たり県民所得は全国最下位、失業率は全国平均の約二倍であり、生活保護者も増えている。

県外受取構成比(03年)をみると、財政の経常移転が42.1%、観光収入が17.7%、基地関連収入が8.4%であり、国に大きく依存している。

成長が著しい情報通信産業(特にコールセンター)、観光業の大部分は重労働・不安定・低賃金の就労形態が一般的であり、離職率も高い。

基地関連の補助金によりIT施設が建設され、企業は安い賃貸料で施設を利用できる。その他の主な振興策である金融特区や大学院大学の設置も基地の存在と無関係ではない。

国土の0.6%の地に75%の米軍基地を集中させるという沖縄差別は解消されず、かえって振興開発によって差別が固定化されてきた。

沖縄にとって90年代は転換点であった。

95年の米兵による少女暴行事件後、激しくなった反基地運動を沈静化させるために、普天間基地の名護市辺野古への移設がきまり、米軍基地所在市町村活性化事業、北部振興策等の公的資金がばら撒かれた。

また同時期に発生した「沖縄ブーム」では、「南島・楽園イメージ」をメディアが再生産し、観光客や移住者が消費した。

基地を初めとする諸問題が全くないかのような、虚構の楽園の中で日本人は美しい自然と「優しい県民」によって癒され、島全体を遊びの対象としてきた。

観光立県を掲げ、文化、自然、土地を売り渡すことが経済発展につながると考えた自治体は、住民に対し観光客を「暖かく迎える」ことを求めた。

広大な米軍基地を受け入れるとともに、自己の欲望を発散させようとする観光客・移住者をも迎え入れる、日本人にとって都合のいい存在に沖縄は成り果てた。

90年代、振興開発による基地の押し付け策が明確となり、観光や移住を通して多くの日本人が沖縄の支配と消費に関与する機会が拡がった。

06年の名護市長や県知事選、07年の参議院補選において基地移設を認める候補が当選し、住民は基地よりも経済という「現実的対応」をしたとされている。

しかし沖縄では「基地か経済か」という二者選択は存在しない。両者は一体化している。これまでの国の主要な経済政策は失敗に終わり、「非現実的」なものとなった。

振興開発によって経済問題は改善しない。例えば金融特区に指定され、多大な開発資金が投じられた名護市の市債残高(04年)は約235億円に増え、失業率(05年)は12.5%となり、商店街も疲弊している。

基地関連収入の依存度が大きい嘉手納町、読谷村、金武町の失業率(05年)はそれぞれ17.5%、12.4%、12.1%と県平均よりも高い。

振興開発によって建設されたインフラや施設の維持管理費は自治体財政の負担となり、公共事業は短期的であり失業者を生み出す性格を有している。

国のカネに依存して経済自立を目指してきた開発行政のあり方が問われている。

怒涛のような開発の嵐の中で、小さな島々や村では公民館や憲章による自治、共同売店の運営、イノー(サンゴ礁)や大自然をそのまま活かした生活、土地の共有化等を実践してきた人々がいることが沖縄の救いである。

住民自身で地域の特性を見極め、長い時間をかけて話し合い、地域固有の文化、歴史、自然に根ざした「現実的」な取り組みを展開してきた。

もちろん基地に依存していない。多くの島嶼からなる沖縄の経済問題を一挙に解決できる方法はない。各地域における自治の積み重ねが、沖縄全体のそれにつながる。

他者のカネに依存し他者によって認識・支配・消費されるという「復帰体制」に安住すべきではない。

沖縄は自らの力で地域を治め、地域独自の内発的な発展を生み出し、自らの意思を明確に示して他者と対等な関係を築くという、もう一つの道を歩む時期にきている。

「海兵隊移転」を考える―グアム・沖縄の自治をめぐって(下)

「海兵隊移転」を考える―グアム・沖縄の自治をめぐって(下)
沖縄を真の自治の島に、基地と補助金との連鎖断て

沖縄タイムス2006年6月2日 松島泰勝

名護市長、県知事は基地の受け入れを表明した。その背景には経済振興への期待があるが、経済振興によって名護市、沖縄県は本当に豊かになるのだろうか。

一九七二年度と二〇〇一年度との名目県民総所得の構成比は次のように推移した。財政支出が二十三.五%から四十一.四%、民間企業設備投資が十七.六%から十一.九%、軍関係受取が十五.六%から五.一1%、観光収入が八.一%から一〇.二%である。

同期間における全国平均の財政支出の割合は十七.九%から二十三.八%となった。沖縄の財政依存度は全国平均の二倍近くである。観光業が発展したといっても、財政支出の約四分の一程度しかない。

七二年度から〇四年度までの沖縄振興開発事業費の累計額は約七兆五九六八億円である。全体の九十二.三%(約七兆一二七億円)が公共事業に投じられた。

膨大な補助金が投下されたが、共同体が衰弱し、失業率も高いままであり、経済自立をいつまでたっても達成できない。日米両政府への従属度が増すだけに終わった。

自然に補助金が増えたのではなく、沖縄が自立せず、両政府に依存させることを目的にカネが投じられてきた。

補助金をカードにして基地を押し付ける日本政府の国家意思を拒否し続けることができないようになった。

公共事業の経済効果は短期的であり、自然環境も破壊され、観光立県の「売り物」も損なわれるだろう。

建設された施設の管理・維持費等は基地所在市町村の負担となり、財政危機に陥るであろう。そうなると益々日本政府に頼るようになる。

イギリスの植民地支配と闘ってきたマハトマ・ガンジーは次のように言っている。

「インドをイギリス人が取ったのではなくて、私たちがインドを与えたのです。インドにイギリス人たちが自力でいられたのではなく、私たちがイギリス人たちをいさせたのです(『真の独立への道』)」

確かに沖縄では活発な基地反対運動がみられる。しかし、「島ぐるみ闘争」から現在まで、日米両政府による振興策、経済的妥協策が基地反対運動を沈静化させてきたのも事実である。

我々沖縄人自身が経済振興と引き換えに、米軍、基地の存続を許してきたのである。我々自身が変わらなければ基地はなくならないだろう。

自分たち(沖縄)は善であるが、他者(日本や米国)は悪であると訴えただけでは、沖縄の問題は解決されない。

振興策を通じて立派な施設が建設され、住民の周辺にもモノが溢れるようになった。モノに対する欲は尽きることなく、渇望感が増している。

基地をカードにして手に入れた経済振興は我々を本当に豊かにしたといえるのだろうか。

開発、近代化の意味を問い直し、「本当の豊かさ」について考え、これまでの生き方を改め、自らの力で外部からの誘惑を跳ね返し、基地と補助金との連鎖を断ち切ることで、基地のない島が実現するだろう。

「本当の豊かさ」の基本は自分自身で物事を決めることのできる自治であろう。

経済振興は一時的な経済効果しかもたらさず、経済構造も不安定になり、日本政府への依存度を深め、その管理下におかれ、沖縄人自身による決定権も失われよう。

全国と同一の法規制で沖縄を縛り、空いた口に金をつぎ込み、体を肥らせ、さらに食べ物を欲しがらせているのが、沖縄と日本と関係である。

従属の構造が解消されないで道州制が適用されても、沖縄に自治は実現しないだろう。

自治とは他者から与えられるものではなく、沖縄と日本との関係を根本から問い直し、住民一人一人、地域が自治を自らの手で獲得するものである。

沖縄における米軍、自衛隊の配備は経済的メリットを生むだけではなく、外敵の侵略から琉球を防衛する上においても欠かせないとの声も聞かれる。

しかし、バランスオブパワーの論理で島を武装化すると、沖縄戦のように島が戦場となり、住民の犠牲が大きくなる。本当の島嶼防衛は非暴力によって島を守ることであろう。

沖縄人が島の上で生き残るためには、住民自身が非暴力に徹し、経済振興のような他者からの誘惑を拒否して、内発的発展の道を歩み、真の自治の島をつくりあげる必要があると考える。

「海兵隊移転」を考える―グアム・沖縄の自治をめぐって(中)、地元の意向阻む政府、極似する押付けの構図

「海兵隊移転」を考える―グアム・沖縄の自治をめぐって(中)、地元の意向阻む政府、極似する押付けの構図

沖縄タイムス 6月1日  松島泰勝


米国がグアムを自国領土としたのは一八九八年の米西戦争後であり、その後、米海軍による統治が行われた。グアムの先住民族であるチャモロ人は米市民権の付与を求めたが、米政府により拒否された。

海軍統治府は教育・行政機関において英語のみの使用を強制した。一九二二年にはチャモロ語英語辞書を集めて焼いた。英語だけを強制する政策は五十年代まで続けられた。チャモロ語を話すと体罰も加えられた。

また米国防総省もグアムにおける経済発展は他地域との交流を促すため米国の安全保障にとり脅威になるとして、発展を抑えるべきだと考えていた。

米国はチャモロ人に英語を強制することで同化させ、経済自立を妨げて米国への依存度を深めて、住民を自らの意思に従わせることで島を軍事基地として自由に使おうとした。

一九四九年、グアムに対する管轄権が海軍から米内務省に移り、五十年にグアム基本法が米議会を通過し、自治的未編入地域となり、住民には米市民権が付与された。

自治的未編入地域とは米連邦憲法が完全に適用されない地域をいう。グアムには独自の議会があり、知事も民選で、裁判権も住民の名において行使され、米本土への渡航、就職が自由である。

しかし、住民は大統領選挙に対する投票権を持っていない。グアム代表は米下院議会において発言権はあるが投票権がなく、政治的権利が大きく制限されている。

グアム基本法により、米連邦議会はグアムに影響を与える法律をグアム側の同意を得ずに採択することが法的に可能になった。米国は本当に民主主義国家といえるのだろうか。

 一九四六年、国連の非自治地域リストにグアムが登録されたが、現在もグアムはリスト上にある。「自治的未編入地域」には「自治」という言葉が含まれているが、実態は非自治地域であると国際的にはみなされている。

チャモロ人が先住民族としての権利の獲得を目指して行ってきたのが自決権運動である。八十年、グアム政府内に自決委員会が設立された。八七年に住民投票でコモンウェルス法案が承認された。

同法案の中心には相互同意(mutual consent)の主張がある。つまり、連邦政府や議会がグアムに影響を与える法律を変更する際にはグアム側の同意を必要とするという民主主義の基本的原則である。

また、連邦政府保有地の無条件返還、陸上や海洋資源に対する管理権も求めた。グアム側は同法案の実現化を何度も求めたが、米政府は憲法上、軍事上の理由を挙げて拒否してきた。

住民の意思にかかわらず自由にグアムを軍事的に利用したいというのが米国の姿勢は百年前となんら変わっていない。

筆者は一九九七年から二年間グアムで生活した。グアムの太平洋戦争国立歴史公園博物館、海軍基地内の戦争博物館では、同島を戦時中占領していた日本軍を追放した米軍、特に活躍が著しかった海兵隊が賛美されている。

グアム大学の入り口にはゲリラ戦用の櫓がおかれ迷彩服の軍人学生が学び、地元高校の廊下では生徒が模擬銃で行進の練習をしていた。グアム政府の公式行事にも軍人が招かれ上座に席にいた。

島の主要道路であるマリンドライブ(海兵隊道路)は島の南部にある海軍基地と、北部にある空軍基地とを結ぶ形で島を縦断している。

大規模な軍事訓練が実施される際にはホテル、コンドミニアムに軍人は滞在し、現金を落としてくれるとして喜ぶ人もいた。

なぜグアムが海兵隊の移設先になったのか。グアムが米国の自治的未編入地域という、民主主義が制限された地域だからである。

たとえグアムの人々が反対しても、米政府・議会の意向を一方的にグアムに適用できる。

基本的人権の尊重、国民主権、市民平等を唄う日本国憲法の中にある沖縄もグアムと同じく、住民がどんなに反対しても、日本政府は自らの意図を押し付けてきた。

グアムへの海兵隊の移設は、チャモロ人の米国への従属をさらに深めよう。日本政府は膨大な資金によってそれに加担しようとしている。

グアムは歴史的に、また現状も沖縄と似たような状況下におかれた島である。いわば沖縄の兄弟のような島である。そのような気持ちで海兵隊移設問題を考えてみたい。

「海兵隊移転」を考える―グアム・沖縄の自治をめぐって(上)、戦場になる危険高く、残る米軍基地、実戦へ機能特化

「海兵隊移転」を考える―グアム・沖縄の自治をめぐって(上)、戦場になる危険高く、残る米軍基地、実戦へ機能特化

沖縄タイムス 2006年5月31日 松島泰勝


沖縄から海兵隊八千人がグアムに移設されることになった。これは沖縄にとっての負担軽減になると喧伝されている。本当にそうだろうか。

グアムでは二〇〇〇年から基地機能が増強されてきた。艦船修理施設の返還が中止になり、新たにミサイル搭載原子力潜水艦基地が設置され、地上戦闘隊や航空遠征隊が配備された。

米政府がグアムの基地機能を強化した理由は、中国や北朝鮮に対する攻撃態勢を強化するだけでなく、フィリピンやインドネシア等におけるイスラム勢力の動きを抑えるためでもあった。

二〇〇〇年、米海兵隊のジェームス・ジョーンズ総司令官は「在沖米海兵隊の訓練をグアムでもっと行うべき。グアムは移動性、戦略的にも米軍にとって重要な位置にある」と指摘した。

つまり、米政府は少なくとも六年前からグアムの戦略的重要性を認識し、在沖海兵隊の移設を受け入れる体制にあった。今回の沖縄からの海兵隊移設は一連の基地機能強化過程における総仕上げという性格をもつ。

大田昌秀前知事もグアムへの海兵隊移設を求めたが叶わなかった。ではなぜ今回、グアムへの移設が実現することになったのだろうか。それは日本政府が移設関連費用を支払うことに合意したからである。

米国は日本国内における米軍再編の過程で、グアムへの海兵隊移設を「負担軽減」として日本政府に恩を着せて、移設費用を支払わせることに成功した。

米国単独で基地やその関連施設・インフラ等を整備しようとすると膨大な費用がかかる。米国は六年間この機会を待っていたのかもしれない。

沖縄から八千人の海兵隊がいなくなっても、沖縄には新しい基地が建設され、自衛隊と米軍との共同訓練が実施される等、基地機能は低減しない。

むしろ、グアムに海兵隊の司令部機能を移し、琉球に実践部隊を残したということ、そして自衛隊との戦闘協力体制を強化したことから考えると、沖縄を戦場としてより使いやすい状態になったのであり、基地機能は飛躍的に増大するだろう。

基地機能が強化されたということは、有事の際には敵国から攻撃される可能性が高まったことを意味する。

海兵隊の司令部をグアム、実戦部隊を沖縄と分けたことで、グアムと沖縄はセットで攻撃対象になるであろう。

海兵隊の数が削減されたから負担軽減とみなすのではなく、実際に戦争になった場合、住民が戦闘に巻き込まれる可能性の高さをも考えると、とても負担の軽減とはいえない。

筆者はグアムでの生活の体験を踏まえて、二〇〇一年一月三〇日から三回にわたり、沖縄タイムス紙上においてグアムへの海兵隊移設について連載した。米国はすでにグアムの戦略的拠点化を推し進めていたことを指摘した。

しかし、東京にすむジャーナリストからは問い合わせがあったが、沖縄からの反応が大きくなかったという記憶がある。沖縄人の危機意識が薄いのではないか。

現在のグアムへの海兵隊移設は突如として沸いた事態ではない。少なくとも六年前から海兵隊移設の可能性があった。沖縄は日本、米国の大国と対峙し、従属関係におかれている。

基地の過重な負担、戦争の危険性、植民地状況から沖縄が脱するためには、両国の戦略、戦術を的確に分析し、両大国の非民主主義的、非人道的な取り扱いに対し揺るがない自らの方針を定めて対抗する必要がある。

そうしないと、両大国が一方的に決定した軍事方針に右往左往し、結局は、その方針に沖縄人が従い、敗北するという悲劇を再び招くことになる。

今回の米軍再編は沖縄の基地機能の強化である。より沖縄人が戦争に巻き込まれる怖れが高まったのである。基地建設と引き換えに実施される経済振興により、沖縄は日米への従属度をさらに深めよう。

「海兵隊移設特需」に沸くグアムも同じく基地依存経済が固定化し、米軍の支配が一段と強まろう。これからグアムと沖縄との軍事的関係は一段と緊密になるが、両島における戦争を避けるために、脱基地を求める住民同士もまた協力し合う必要があろう。

琉球の「自治」考 5 ―新たな自治領構想、「連邦政府」樹立を、EEZ獲得も可能に

琉球の「自治」考 5―新たな自治領構想、「連邦政府」樹立を、EEZ獲得も可能に


琉球新報2月20日
松島泰勝

日本政府は振興開発と基地をリンクさせ、国法をもって有無を言わせず基地を琉球に押し付けている。国が振興開発と基地とのリンクを強制するならば、琉球はそれを逆手にとるべきである。

つまり、振興開発を減らしていく代わりに基地も減少させていく。琉球内で得られる税収分だけの行政を行ない、地域社会のことは住民の自治にゆだねる。

日本政府の「カネを出せば沖縄は従う」という態度は、琉球を馬鹿にしている。独立国を数百年存立させてきた我々の底力を見せるべきではないか。

新納税制度導入

数多くの観光客が来島しているが、島の人間は本当に潤っているのか。「沖縄ブーム」から誰が利益をえているのか。大和の企業が進出し、大和の人間が利益の大部分を得ているのではないか。

日本の大手食品会社は「沖縄ブランド」から利益を得ている。琉球の中小企業が育て上げた特産物を資本の力で大量生産し、市場の中で勝者となる。大手デベロッパー、観光業者の進出も顕著である。

「やさしい人々が住む、楽園としての沖縄」と煽てながら、琉球を搾取し、広大な米軍基地を固定化している。

琉球内で経済活動をする企業は琉球内において納税する法制度を構築する必要がある。また、島の環境を守るために入島税、環境税を賦課する。

単に大勢の観光客を誘致するだけでは、バーゲンセールのように琉球を安く売ることになる。入島税を払ってでも琉球に来たいという観光客を我々が選ぶ時代に来ている。

観光客、移住者、大企業等が島で遊び、カネを稼ぐための場所にすることに経済政策の重点をおくのではなく、琉球の住民が本当の豊かさを享受し、琉球の企業が繁栄することを最優先すべきである。

独立国家の記憶

私はあえて「沖縄」ではなく「琉球」という言葉を使っている。琉球は奄美諸島、沖縄諸島、先島諸島を含んでいる。約四百五十年間、独立国家であったという記憶を「琉球」という言葉は喚起する。

十九世紀半ば米国、仏国、オランダ等と琉球国は修好条約を結んだ。中国だけでなく欧米諸国も琉球国を独立国として認知していた。

琉球国が日本に併合された後や、「日本復帰」後に「沖縄県」という名称が与えられたように、「沖縄」は日本への帰属性を象徴する言葉でもある。

本来、琉球は日本と同等の政治的地位を有しているのである。また、沖縄島という単一の島の名称を採っていることから、沖縄島中心のモノの見方になりかねない。

現在、八重山諸島の人々は沖縄島に行くとき「沖縄に行く」と言う場合が多い。沖縄島は琉球の中で最も面積が広く、国の主要機関、県庁、大学等が置かれ、また広大な米軍基地もあるが、琉球の中心ではなく、島々の一つでしかない。

奄美、沖縄、宮古、八重山の言葉はそれぞれ通じないほど、島々の文化は多様である。「琉球」には、日本との関係を問い直し、島々の平等な関係を構築したいという思いが込められている。

道州制の議論

琉球の自治を実現するために、完全な内政自治権を有した自治領になるべきと考える。本来、日本政府は上から琉球に対して命令できる立場にはない。

一八七九年まで琉球は独立国であり日本によって滅亡させられた。英国の中のイングランドとスコットランドとの関係に似ている。スコットランドでは近年、独自の議会が樹立されるなど分権化が進展している。

現在、道州制について議論が盛んだが、日本の他の道州と同じ地位ではなく、日本政府と同等の政治的地位を求めても当然であるほどの独自な歴史を琉球は歩んできた。

キリバスという太平洋島嶼国の中にバナバ島がある。同島は英国の植民地時代、燐鉱石の採掘場として利用され、住民の一部は太平洋島嶼国のフィジーにあるランビ島に強制移住させられた。

現在、バナバ人はキリバス議会、フィジー議会において特別議席を有している。バナバ島と同じく独自の歴史を歩み、広大な米軍基地がある琉球は、日米の国会において特別議席を保有する権利がある。

外交権を含む内政自治権を回復するために日本政府との間で政治的地位に関する交渉を始めるべきである。

そして、琉球の各諸島から構成される琉球自治連邦政府・議会・裁判所を樹立し、憲法を定め、世界の自治領と同等の内政自治権を獲得する。パラオの各州には憲法があり、州独自の権限を規定している。

また国連海洋法条約第三〇五条によると、高度な自治権を有している地域も同条約に署名し、排他的経済水域(EEZ)を手にすることが可能である。太平洋の自治領、クック諸島、ニウエはEEZを有している。

島と海とは一体であり、琉球もEEZを主張すべきである。

今年三月、久高島において奄美から先島までの人々が集まって「琉球の自治」を語りあう。各島が直面している問題に向き合い、お互いに知恵を出し合って自らの力で島を治めるために学び会う。

各島における自治の積み重ねが琉球全体の自治につながる。

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