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プロフィール

Yasukatsu Matsushima

Author:Yasukatsu Matsushima
1963年琉球石垣島生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。

その後、東京、グアム、パラオ、沖縄島、静岡、京都、滋賀にて学び、働き、生活する。

著書に『沖縄島嶼経済史―12世紀から現在まで』藤原書店、2002年
『琉球の「自治」』藤原書店、2006年
『島嶼沖縄の内発的発展―経済・社会・文化』(編著)藤原書店、2010年、
『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』早稲田大学出版部、2007年
『琉球独立への道』法律文化社、2012年
『琉球独立論ー琉球民族のマニフェスト』バジリコ、2014年
『琉球独立ー御真人の疑問にお答えします』Ryukyu企画、2014年
『琉球独立宣言ー実現可能な5つの方法』講談社文庫、2015年
『民際学の展開ー方法論・人権・地域・環境の視座から』(編著)晃洋書房、2012年
『琉球列島の環境問題ー「復帰」40年・持続可能なシマ社会へ』(編著)高文研、2012年
『3・11以後何が変わらないのか』(共著)岩波書店、2013年
『島嶼経済とコモンズ』(編著)晃洋書房、2015年
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カツ(魚垣)の復元

宮古毎日新聞の2008年6月25日の記事に魚垣復元の記事がありましたので、ご紹介します。石垣島白保でも魚垣が復元されました。伝統漁法の再生は、イノー文化を見直し、活かすことにもつながります。


二百年余前に、平良の狩俣東海岸の遠浅に造られたとされる原始的漁法の一つ、魚垣(方言名カツ)十基のうちムトゥ垣と呼ばれる一基がこのほど、ボランティアらによって復元された。

両手を広げたような形で全長が約六百㍍。過去の漁業史を知る上で貴重な文化遺産として注目されている。

宮古支庁農林水産整備課漁港水産班(仲間利夫班長)では、七月四日に予定している復元体験の参加者を募集している。

  魚垣は、狩俣住民らが一七七一(明和八)年の明和大津波以降に造ったものと推定されている。

大津波によって深い海域の海底から、遠浅に打ち上げられた大小無数の石を拾い集め、放射状に積んだ。その後、台風などに伴う激しい潮流で破壊され、原形を失ったとされる。

 潮の干満を利用した魚垣は、満潮時には水面下に隠れる。干潮時には干上がり、内側で泳いでいた魚が逃げ場を失い、袋網の役割を果たし一カ所に集まる。そこに待ち構えていた住民らが、素手で捕獲したと伝えられている。

 文献によると、狩俣海岸に沿って造られた魚垣は北から▽ヤリ垣▽イミンドゥ垣▽ウプシドゥ垣▽ナビ垣▽プカマー垣▽アラー垣▽パトゥ垣▽ムトゥ垣▽フナジ垣▽ウラ垣-の十基。今回復元されたムトゥ垣が最古とされ、残り九基は壊れたままとなっている。

 ボランティアで参加した仲間利夫さんは「復元した魚垣は、俣住民の協力を得て、子どもたちの学習の場に提供できるようにしたい」と文化継承を強調し「住民らが主体的になって、体験漁業の観光に役立ててほしい」と新たな観光業への取り組みを提言した。

 詳しい問い合わせは、同水産班(電話72・2365)まで。

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岡部さん追悼コンサート8.16 摩文仁にて

本NPO法人理事の海勢頭豊さんが中心になって、8月16日、沖縄平和祈念堂で、「岡部伊都子さん追悼コンサート」が開かれます。平和の礎に刻まれた婚約者、木村さんの魂と岡部さんの魂をともにあわせる儀礼も行われる予定です。


詳細は次の通りです。


日時:2008年8月16日(土)13時開演場所:沖縄平和祈念堂(糸満市)花代:2,000円(入館料込)

出演歌・ギター 海勢頭豊いのり 北島角子琉舞 高嶺久枝朗読 上原利恵子他


問い合わせ先(有)ジー・ジー・エス 電話:098-946-6663FAX:098-946-1933メール:gama@gettounohana.com

主催:岡部伊都子追悼コンサート実行委員会(代表:新川明)

後援:エフエム沖縄、ラジオ沖縄、エフエムたまん、エフエムとよみ 

タイフーンfm、NHK沖縄放送局、琉球放送、琉球朝日放送   沖縄テレビ、琉球新報社、

沖縄タイムス社、八重山日報   八重山毎日新聞、宮古毎日新聞、宮古新報社

「おきなわの声」50周年記念誌祝賀会

昨日、東京で東京沖縄県人会が発行した「おきなわの声」50周年記念誌の祝賀会と講演会に参加させていただきました。

「おきなわの声」を50年間、東京に生活しながら、琉球のことを考え、思い、喜び、悲しんできたことが、記念誌から伝わってきます。

長く「おきなわの声」の編集に携わってきた、上原成信さんは、復帰後、日本の大メディアが琉球に関する報道をあまりしなくなるなかで、「おきなわの声」は琉球の状況を伝えてきたとおっしゃりました。

私は「島々の生活と経済―琉球ネシアの今とこれから」という題で話させていただきました。

交流会では、石垣島、竹富島、沖縄島、宮古島、与那国島等、多くの島々の方と話をすることができました。東京で何十年も生活しながらも、島を自分自身の体の一部のように考えていることが、伝わってきました。

同講演の講師として推薦してくださったのは上原さんでして、私が大学院時代から今日までいろいろと助けてもらっています。現在81歳ですが、6月23日前後に琉球にいき、高江、辺野古での座り込みを続けています。琉球の大先輩として大変、尊敬しております。

交流会のあと、上原さん、本村さん、島袋さん、喜久里さんとともに、2,3次会をして、さらに、語り合いました。滋賀の家についたのは、夜12時になっていましたが、琉球人であることを実感する1日でした。

昭和とは何であったのか


思想史をされている、子安宣邦先生より『昭和とは何であったのか―反哲学的読書論』藤原書店、2008年を送っていただきました。心より感謝申し上げます。

昨年、藤原書店より刊行された『環:今こそ、琉球の自治を』におきまして、私の『琉球の「自治」』について書いてくださったご文章が、新しい本にも収録されています。

構成は次の通りです。

序:反哲学的読書論
Ⅰ小説は歴史をどう語るのか―フィクションが反覆する”真実”

Ⅱアジア主義とは何であったのか―昭和日本の中国体験

Ⅲナショナリズムとは何か―死の哲学

Ⅳ沖縄問題とは何か―日米関係の戦前と戦後

結び:小田は其処にいつづけた

Ⅳは次のような節立てになっています。

10 太平洋よ心地よく眠れ―大阪毎日懸賞論文『五十年後の太平洋』
11 人が其処に住むこと―松島泰勝『琉球の「自治」』
12 沖縄にあるのは「青い海」だけではない―新崎盛暉他『沖縄修学旅行』

拙書に対するご論考も、イリイチの思想を軸にしながら、人が住むことの意味を問いつめて、
琉球のありようを考えたものであり、私自身も多くの示唆を受けました。


昨年、子安先生とお会いする機会がありましたが、非常に、穏やかであり、深い思想的
柱をお持ちの方であると感じました。


奄美諸島・伊江島で「自治」を考える

藤原書店の季刊誌『環』第34号が発刊されました。

その中に、拙論
「奄美大島・伊江島で「自治」を考える―「ゆいまーる・琉球の自治」の思想と実践」が掲載されておりますので、御笑覧くださいましたら、ありがたいです。

昨年の11月、今年の3月、奄美大島、伊江島で行った「ゆいまーる・琉球の自治」のつどいでの内容を中心に、2つの島における自治について考えてみました。

同雑誌の中には、今年、亡くなった岡部伊都子さんの小特集もあり、大田昌秀さん、海勢頭豊さん、上勢頭芳徳さん、佐喜眞道夫さんも、岡部さんに対する思いを書かれています。

そのほか、「多民族国家中国の試練」「近代日本のアジア外交の軌跡」「日中関係の現在・過去・未来」「書物の時空」「シェイクスピアの罠」など、興味深い論考がたくさんあります。



西浜楢和さんの沖縄戦についてのコラム②

『沖縄タイムス』2008年7月10日付
沖縄戦は何故「国民の記憶」とならないか(下)
―「捨て石」感情今も継続  変革にヤマトゥ無自覚

 戦争の記憶について、子安宣邦は、「戦争の暗部を隠蔽し、その過去の<書き換え>を求める国家と、過去と和解しつつ、無意識に過去の暗部を忘却のうちに置こうとする平和主義的国民とは、あえていえば戦後意識における同罪的な構造を形成してきた」(『現代思想』1995年1月号)と述べている。

◆ 本 土 進 攻 ひ き 延 ば し

筆者は、この国民の中にウチナーンチュは含まれないと考える。

何故なら、45年から72年までの27年間、ウチナーンチュはヤマトゥ(日本)国家から切り捨てられ渡航も自由にできなかったという現実とともに、もっと本質的にはウチナーンチュは、「過去と和解しつつ」、「過去の暗部を忘却のうちに置」けなかったからである。

だからこそ、国家が「過去の<書き換え>を求める」のに対してウチナーンチュはそれを認めることはできないのである。

 沖縄戦は、米軍の本土進攻をひき延ばすための捨て石作戦であった。「捨て石」とは何か?
「すぐには役立たないが、将来に備えてする行為」、「将来、または大きな目的のために、その場では無用とも見える物事を行うこと」とある。

沖縄戦に勝ち目はないが、将来の本土決戦、国体(=天皇制)護持に備えてする行為、将来のヤマトゥのために、または国体護持という大きな目的のために、その場では無用とも見える沖縄戦を行うことだ。

他者を「捨て石」にすることは差別である。だから、この「捨て石作戦」は、ヤマトゥによる沖縄差別(政策)であった。

◆ 民 衆 を 守 ら な い 軍 隊

 それ故、沖縄戦から導きだされたとして人口に膾炙している「軍隊は民衆を守らない」という教訓は掘下げる必要がある。

沖縄戦で引き起こされた歴史的事実は、「ヤマトゥの軍は住民を守らなかったどころか死に追いやった」ということであり、より正確には、「ヤマトゥの軍隊はウチナーンチュを虐殺し、(強制集団)死に追いやった」ということだ。

歴史に仮定はないが、本土で沖縄戦のごとき地上戦が展開されていたなら、ヤマトゥの軍隊は、ウチナーンチュを虐殺したようにヤマトンチュを殺したであろうか。疑問を禁じ得ない。

沖縄戦後、「沖縄人がスパイを働いたから友軍は負けた」という情報は早くからヤマトゥに流されていた。

一方で、ヤマトゥの軍によるウチナーンチュに対する蛮行(住民虐殺、強制集団死、壕追い出し、食料強奪等々)は隠ぺいされた。これは、語るにはあまりにも辛い戦争体験を経たウチナーンチュを逆利用することによって可能となった。

◆ 検 定 意 見 放 置 は 怠 慢

例えば、昨年9月29日の県民大会で、県民へのアピール(開会のあいさつ)として詠まれた次の詩は、「国民の記憶」へと、怒りを孕みながら希求するものである。

砲弾の豪雨の中へ放り出され/自決せよと強いられ
死んでいったうちなーんちゅの魂は
怒りをもって再びこの島の上を さまよっている

いまだ砲弾が埋まる沖縄の野山に/拾われない死者の骨が散らばる
泥にまみれて死んだ魂を/正義の戦争のために殉じたと

偽りをいうなかれ
歴史の真実をそのまま/次の世代へ伝えることが
日本を正しく歩ましめる

歪められた教科書は/再び戦争と破壊へと向かう
沖縄戦の死者の怒りの声が/聞こえないか
ヤマトゥの政治家・文科省には届かないか

届かなければ/聞こえなければ
生きている私たちが声を一つにして/押し上げ/訴えよう

「捨て石作戦」は過去だけではなく、現在まで継続している。戦争のできる国になるために、または大きな日米同盟のために、在日米軍基地の75%を沖縄に押し付けて、沖縄はヤマトゥの捨て石と今もされているからである。

この現状を変革することにヤマトンチュが自覚的にならなければ、苦闘する沖縄と出合うことはできない。

 去る3月28日、大江・岩波沖縄戦裁判で大阪地方裁判所(深見敏正裁判長)は、被告側勝訴の判決を言い渡した。

これにより文科省の検定意見の根拠は潰えたといえる。なぜなら、原告の陳述書が検定意見の根拠の一つとなっており、判決はそれを明確に否定したからである。

ところが、文科省は、「最終的な司法の判断が出ていない。現段階で何も言えない」(4月16日の県民大会実行委員会の要請に対する池坊保子副大臣の回答)と述べ、事実上拒否する姿勢を示している。

原告が控訴したことで今も係争中であり、文科省としては現時点で対応することは適切でないとの判断なのだ。

その論理に当てはめれば、結論が出ていない裁判での意見陳述を検定意見の根拠の一つにしたこと自体、適切ではなかったことを自ら認めたことに等しいのである。

 こうした文科省(すなわちヤマトゥ政府)の不条理を許したまま放置するのであれば、ヤマトンチュは怠慢の謗りを免れないであろう。

西浜楢和さんの沖縄戦についてのコラム①

ゆいまーる琉球の自治の集いに毎回参加されている、奈良県在住の西浜楢和さんが7月9日、10日に沖縄タイムス紙上に掲載された論考を、ご本人の了解のもと、転載させていただきます。



沖縄戦は何故「国民の記憶」とならないか(上)
―加害と被害で国民分裂  国史と地域史の深い溝

昨年12月26日、文科省が教科書出版社から提出されていた再訂正申請の審議結果を発表したその日、地元2紙(『沖縄タイムス』と『琉球新報』)は『号外』を発行し、内容を直ちにウチナーンチュに伝えた。

『沖縄タイムス』の見出しは、「『軍が強制』認めず」、「検定意見『今後も有効』」とあり、『琉球新報』のそれは、「『軍強制』認めず」、「3冊『関与』に後退/検定意見を堅持」である。

翌27日の『沖縄タイムス』には、「密室審議で灰色決着/文科省、体面に固執」、「ぼけた核心 落胆/記述回復『生きている間に』」ともある。

一方、ヤマトゥ(琉球以外の日本)の新聞の見出しは、「『軍の関与』記述回復」(『朝日新聞』)、「教科書検定/集団自決問題『日本軍の関与』が復活『強制』は認めず」(『毎日新聞』)、「教科書検定/沖縄戦集団自決『軍の関与』記述」(『読売新聞』)であった。

◆ 認 識 に 落 差

はたして、「軍の関与が復活」なのか、「軍の強制認めず」なのか。

検定調査審議会が出した結論は、第一に、検定意見は撤回しない。第二に、「日本軍によって強制された」というような軍の強制を示す表現は採用しない。第三に、日本軍によって「追い込まれた」などの軍の関与を示す記述は認める、という3点に集約される。

検定で消えた「強制」を「関与」という形で復活させ、問題の決着を図ったのだから、「軍の関与が復活」ではなく、「軍の強制認めず」が正確なのだ。

 かくも何故、沖縄とヤマトゥの間には“落差”があるのか。結論からいえば、ヤマトゥの論調が政府・中央官庁発であるのに対して、沖縄のそれは、目線が強制集団死(集団自決)を身近に体験した者とともに在るということだ。

◆ 対 立 の 構 図

 ところで、日本ジャーナリスト会議(JCJ)は、2007年7月、優れたジャーナリズム活動に贈るJCJ賞に、島ぐるみの戦いをリードしているとの理由から『沖縄タイムス』の『挑まれる-沖縄戦』を選んだ。

ヤマトゥのジャーナリズムは沖縄に賞を贈る(拍手を送って、「がんばって下さいネ」と言う)ことをもって良しとするのではなく、目線を政府・中央官庁発から民衆の側に置くことが求められている。

この“落差”の克服なくして、ヤマトゥが沖縄と出合うことはできないのではないか。しかし現状は、沖縄の教科書だけではなく、全国の教科書が書き換えられるにもかかわらず、未だヤマトンチュは「沖縄の問題」と考えているのだといえよう。

今回の教科書検定問題であらわになったのは、軍による強制を認めようとしないヤマトゥと、沖縄戦の歴史歪曲を許さないとする沖縄との対立の構図だった。この構図は戦後一貫して繰り返されてきたのだ。

◆ 異 質 性 排 除

沖縄戦における強制集団死(集団自決)やヤマトゥの軍による住民虐殺は「土地の記憶」ではあるが、「国民の記憶」とはなっていない。

一方、広島、長崎の被爆体験は「土地の記憶」であると同時に「国民の記憶」にもなっている。沖縄戦が「国民の記憶」とならないのは、広島、長崎は被爆体験という被害者で、加害者が外国(=アメリカ)であるのに対して、沖縄戦はヤマトゥの軍が加害者であり、ウチナーンチュが被害者であることによる。国民を分裂させては「国民の記憶」とならないのだ。

琉球大学の比屋根照夫名誉教授は、再訂正申請の審議結果を報じた12月27日付『沖縄タイムス』に、「検定問題の推移は、国史(正史)と地域史の相克」でもあり、「国史が地域史の異質性を排除し国民的統合、平準化を目指してきたところに、教科書検定の本質があ」り、「国史と地域史には埋めがたい深い溝があることを、今回の事態は白日の下にさらした」と述べている。

言うまでもなく、今回の国史と地域史との深い溝とは、国史と、ヤマトゥの一県である例えば山梨県史や鳥取県史との問題ではなく、ヤマトゥ(国史)と沖縄(地域史)との相克であった。

FM宇検の開局計画

本年4月30日の南海日日新聞に宇検村で、来年12月にFM局が開局するとの記事が掲載されていましたので、ご報告いたします。
麓さんのFMあまみの放送もされるようで、奄美大島のさらに広い地域において番組を聞くことができて大変いいことだと思います。中央のメディアの放送をうけるばかりではなく、自分たちの意見、文化を発信していく大変、重要な試みです。村の自主番組も聴きたいです。

着実な村の自治の歩みに期待したいです。 



宇検村は二〇〇八年度、コミュニティーFMの開局に向けて動き出した。老朽化した防災行政無線に代わってラジオを活用しようとの試みで奄美初。

奄美市名瀬で放送中の「あまみエフエム」(ディ!ウェイヴ)とも提携する。村側は本年度、放送施設の改修などを進めた後、来年十二月の放送開始を目指している。

 コミュニティーFMは防災行政無線の老朽化に伴い、発案した。既存の設備は一九九一年に導入、村内全世帯に屋内受信機と屋外受信機十八機を設置した。その後、十七年が経過し、屋内受信機の故障や破損が続出。現在、どの程度稼働しているのか分からないのが実情。

 屋内受信機は一機当たり五万円程度。同村は約一千世帯だから、受信機をすべて更新すると、それだけで五千万円かかる。さらに、前述したようなメンテナンスの問題もある。

「メーカー側も十年を過ぎると対応できない」(村総務課)との事情もあり、屋内受信機の代わりにFMラジオを使うことを企画した。

 事業は(1)防災行政無線の更新(2)ラジオ局整備―の二本立てで進める。本年度は一億六千万円をかけて、役場内の放送施設と、村内の屋外受信機十八機を改修、更新。

来年度は▽ラジオの送受信施設の整備▽受信機(FMラジオ)の購入、配布▽住民説明会―などを計画している。

 ラジオは通常時は「あまみエフエム」の放送を流す。周波数は同じ77・5MHzとし、村側の定時放送や緊急放送の際は割り込むように設定する。

ラジオだけでなく、既存の屋外受信機も稼働させ、緊急時や集落の連絡などがスムーズにできるよう配慮する。

 事業を企画した村総務課は「お年寄りは畑やゲートボール場に行く時、ラジオを持っていく人が多い。あまみFMは島唄も放送している。

住民から『放送を聞けるようにしてほしい』と要望も強かった」「役場の放送だけでなく、議会中継や自主制作などいろいろな活用が期待できる」と話す。

コミュニティー局開局に向けて近くNPOを立ち上げる計画だ。

 “FM宇検”開局に向けて國馬和範村長は「安全安心の村づくり、定住促進にも役立てたい。若者たちのアイデアを取り入れた自主番組にも期待している」と述べた。

神の道と開発阻止

本年1月11日の宮古毎日新聞に、島の信仰が開発を押しとどめているとの記事が掲載されましたので、お伝えします。すごいことだと思います。経済利潤よりも島の信仰を大切にするかたがたが島を守っていくのです。自治会が自治を発揮し、お年寄りの意見が尊重されている社会のほうが、若者中心につくられた都会よりも豊かであると思います。



 

 宮古島市が計画していた新葬斎場の建設地が「神の通り道に当たる」として、地元大浦自治会が同地での建設に反対を示したことで、市は新たな予定地を提示した。

今後、周辺住民に説明・同意を得て計画を進める方針だが、地元の「ツカサンマ」からまた異論が出ているという。

市では「地元住民を不安がらせて、建設を強行することはできない」と、地元との合意形成を強調している。神事行事が地域で重んじられていることが改めて浮き彫りになった同問題。市は「神」という人知を超えた存在にどう対処していくのか。一連の経緯をまとめた。(平良幹雄)

 「建設予定地の宮古南静園東側は、建設には不適当であり、予定地での建設には反対する旨を総会で決定しました」

 昨年十二月二十六日、大浦自治会は建設検討委員長を務める下地学副市長に同地での建設に反対する「意見書」を手渡した。

反対の理由として同地は「神の通り道に位置し神の聖域に当たる」と明記。「住民の総意」だとした。
 降ってわいたような「神の通り道」は、行政側にとってまさに「寝耳に水」。下地副市長は「地域住民の感情を逆なでするようなことになると、地域の融和にも影響が出る」と慎重に対応していく姿勢を示した。

◇ ◇ ◇
 「地域のお年寄り、ましてや神事をつかさどる人たちの言葉は絶対」。大浦に住む五十代の男性はこう話す。

 住民の中には「地域から離れているからいいのではないか」と、同地での建設を容認する人も少なくないという。

 しかし「お年寄りがいての地域であり、その人たちが反対なら誰でも面と向かっては反論できないはず」(五九歳、畜産業)

 他の地域から嫁いできたという主婦(49)は「お年寄りたちが、毎年地域の安全や五穀豊穣(ほうじょう)も祈願していることから今の大浦があると思う」と話す。

 大浦には、七カ所の御嶽(うたき)があり、七人の神に仕える神女がいるなど、神事行事が重んじられている地域として知られている。「地域のユタやツカサンマたちの言葉は重みがある。絶対服従で憲法と同じくらいだ」(同)
◇ ◇ ◇

 「ユタの言葉を重点に考えて行政を行っているのではないか」と市の対応に首をかしげる一部の市民もいる。

 下地副市長は「ユタが言っているから建設予定地を変更しようとしているのではない」と、あくまでも地域住民の合意形成を図っている状況だと強調している。

 伊志嶺亮市長は「神の通り道」の意見書を受け、昨年「大浦地区の住民たちと再度、話し合いを持ちたい」と述べている。市では、当初予定地から北西に約二百㍍離れている新たな候補地についても、周辺住民に説明会を開いて理解を得ていく考えだ。
◇ ◇ ◇

 ただ、新たな候補地についても、当初予定地と同様に「神の通り道にかかわっている」という話が地元の一人のツカサンマから持ち上がっているという。地元の人は「一人でも反対する人がいるのは、好ましくない。今後、住民説明会さえも開けるかどうか」と話す。

 葬斎場は現在、宮古島本島では民間一カ所のみが運営している状況で、建設から二十四年が経過するなど施設の老朽化が著しい。新葬斎場は市民らからも早急な建設が望まれており、市の喫緊の課題となっている。

 「神の通り道」という目には見えないことが反対の理由とあって、市はどう対処していけばよいのか、解決策が見いだせない状況だ


人類館の公演

金城馨さんより、次のように東京、琉球での「人類館]公園のお知らせが届きました。
2003年に金城さんたちが人類館を大阪で上演しました。私も那覇高校時代に、体育館で人類館を見て強い衝撃を受けました。自分は何者であろうかと考えるきっかけになりました。





 津嘉山正種ひとり語り
 人類館(朗読劇)

 作=知念正真
 演出=菊地一浩
 
 沖縄公演
 上演日程:7月24日(木)・25日(金)
 沖縄市民小劇場あしびなー

 東京公演
 上演日程:7月31日(木)~8月3日(日)
 青年座劇場

「皆さん今晩は。本日は我が「人類館」へようこそおいでくださいました。史上初の、そして空前の規模で開かれます我が「人類館」は、世界中のいたる所で差別に遭い、抑圧に苦しみ、迫害に泣く人種、民族を、色とりどりに取り揃えてございます…」(戯曲『人類館』より)

知念正真作『人類館』は、1903年に大阪天王寺で開かれた内国勧業博覧会会場前に建てられた「学術人類館」において、琉球、朝鮮、アイヌ、台湾高砂族、インド、マレー、ジャワ、アフリカなどの人々を、民族衣装姿でそれぞれの住居に住まわせ、見世物として観覧させた事件、俗に言う「人類館事件」を題材に書かれたものです。

この学術人類館を舞台に近現代の沖縄の歴史と文化、とくに戦中・戦後の沖縄の姿を赤裸々に再現しています。

津嘉山は、ウチナーグチ(沖縄語)を駆使し、「陳列された男」「陳列された女」「調教師風な男」の三役を自由闊達に演じきります。

津嘉山正種が万感の思いを込めて語る 
沖縄の現実 歴史の事実 人間の真実

スタッフ

=知念正真

演出
=菊地一浩 

企画・演出協力
=津嘉山正種

照明
=広瀬由幸

舞台監督
=安藤太一

制作
=紫雲幸一


キャスト
出演
=津嘉山正種

どぅたっちライブ100回記念 トーク&ライブ

明日、東京にて本NPO法人の理事である、金城馨さんも参加される、トークアンドライブがあります。
お近くの方はぜひ、ご参加ください。



どぅたっちライブ100回記念 トーク&ライブ

2009年から、沖縄が沖縄であるために

(薩摩の琉球侵略から400年を目前にして)

2008年7月20日(日)午後4時から8時ころまで

●プリグラム 1部 野村浩也と太田武二によるトーク(50分くらい)

       2部 野村浩也(広島)・金城馨(大阪)・

佐渡山豊(沖縄)・太田武二(東京)

沖縄人が、2009年からの沖縄について討論します。

       3部 佐渡山豊ライブ(約1時間)

      交流会

●参加費 2500円(予約) 3000円(当日) 

1ドリンクつき

      交流会の参加費は別です

(交流会参加費は1000円)

琉球センター・どぅたっち  03-5974-1333

宮古島市の財政危機2

昨年の6月2日の宮古毎日新聞にトゥリバー関連問題についての記事がありましたので、お伝えします。大型埋め立て事業が、市財政の足を引っ張っています。島嶼経済の全体像、特性を見据えたうえで、島の発展を考える必要があるのではないでしょうか。「楽観的な経済見通し」は、厳しい現実によって打ち砕かれます。




◇港湾事業特別会計
 二つの事業会計に分かれている。一つは港湾整備事業、もう一つは臨海土地造成事業で、いずれも赤字会計だ。

 港湾整備事業は一億九千万円の累積赤字がある。この会計の赤字解消は急がれるが、それより大きな問題がトゥリバー地区の埋め立て費用を計上した臨海土地造成事業だ。

一九九三年着工の事業で、〇六年度末現在の累積赤字は三十一億円と膨大。解消策はトゥリバーを売ることに尽きる。

 ◇市の誤算
 「トゥリバー売却イコール赤字解消」という港湾事業特別会計。ただ、昨年末に集中した売却交渉の失敗が、思わぬ形で尾を引いている。

 市は昨年末、本土の大手企業二社と独自の交渉を続け、仮契約の寸前までこぎつけた。売買を仲介する業者を選任する予算は議会にも認められていたが、コスト(仲介料四千万円)削減を優先して選任を見送り、独自の交渉で売却を試みた。

 しかし、これが大きな誤算となり、契約寸前までいった売買交渉は実を結ばなかった。トゥリバーはそのまま残った。

 財政難ながら、仲介業者を選任する予算を認めた市議会は激怒。特に野党は「市独自では売れないからプロに任せることを認めた。それなのにその予算を使わずに自分たちで交渉して破談。ふざけた行政だ」と痛烈な批判を浴びせた。

 市は再度仲介業者を選任することを決め、議会に承認を求めたが、議会はこれを否決。売却に向けて、市に残された道は独自交渉だけとなった。

 ◇トゥリバーの行方
 しかし、市も手をこまねいているわけにはいかない。トゥリバー売却は再生団体回避に向けては切り離せない課題だ。独自交渉が厳しいなら、仲介業者を選任して売却しなければならない。

 この件について宮川耕次総務部長は「トゥリバーが売れても黄信号。言い換えれば、火事場から一時的に避難するようなものだ」と話す。売却は市に課された必須の事案と言えよう。

 市内部では、今でも仲介業者を選任することが選択肢の一つとして挙げられている。ただ、いずれにしても「予算を議会に認めてもらえるか」が大きな焦点になる。

 今の議会は、与野党を問わず財政に対する監視の目が強い。その議会を納得させるためには、伊志嶺亮市長の強いリーダーシップはもとより、売却に向けた市の真摯(しんし)な姿勢が問われてくる。
(山下誠)

宮古島市の財政危機 1

昨年5月31日の宮古毎日新聞に、宮古島市の財政危機についての記事が掲載されていましたので、お伝えします。トゥリバーとは埋め立て事業であり、計画どおりに土地の売却が進まないために、市財政の危機がもたらされています。

高率補助により公共事業が推進されていますが、その維持管理、運営は自治体、住民の負担となるという構造は、他の琉球の島でも同じです。行政主導の島の自治では駄目であることがわかります。





宮古島市の財政破綻が現実味を帯びてきた。今月二十九日には、伊志嶺亮市長が緊急メッセージを発表。市職員に「不退転の決意」で財政再建に取り組むよう命じた。

迫り来る財政破綻危機とどう向き合い、どのように累積赤字十三億円を圧縮させるのか。市の現状と課題、再生団体回避の道筋をシリーズで探る。

累赤13億円 圧縮は至上命題/迫る破綻、カギはトゥリバー

◇市の焦り
 「第二の夕張」、「いま動かないと、やばいことになる」-。こんな財政論議が職員間で交わされている。市幹部が指摘するように、「破綻」まで意識してきた職員は皆無だったが、北海道夕張市の財政破綻、今国会審議中の「地方財政健全化法案」が尻に火を付けた。

 特別会計を含めた連結実質赤字比率は三二・九%と県内ワースト。「少なくとも二五%に落とさないと、財政再生団体になる」と市幹部らは危機感を募らせている。

 その焦りが、伊志嶺市長の緊急メッセージという形で表れた。各庁舎では「不退転の覚悟で財政再建を」「宮古島市の将来を左右する二年」「失敗は許されない」という厳しい言葉が市職員らに向けられた。

 しかし、具体的な健全化策が示されないままのメッセージに、どこまで説得力があるのか。一部では「ただのパフォーマンスだ」とする冷ややかな意見もあった。

 ◇地方財政健全化法案
 現行の「地方財政再建促進特別措置法」が単年度の赤字を示す「実質赤字比率」を基準としているのに対し、新法案は地方公共団体に、一般企業の連結決算に当たる「連結実質赤字比率」をはじめ▽実質赤字比率▽実質公債費比率▽将来負担比率-の四つの指標を基準としているのが特徴だ。

 いずれかの指標で基準を超えると「早期健全化団体」、将来負担比率を除く指標のいずれかの基準を超えると、「財政再生団体」となる。早期健全化団体は健全化計画を策定し、議会の議決を得ながら財政再建に取り組むが、財政再生団体は国の監督下に置かれ、自治体の自由裁量は事実上なくなる。

 ◇再生団体の基準比率
 市は、連結実質赤字比率を二年間で二五%にするという目標を掲げた。
 地方財政に詳しい専門家の意見を取り入れ、再生団体転落の危険性がある自治体を全国約千八百自治体の一%に当たる十八自治体と設定。

これらの自治体の連結実質赤字比率が三〇%台になると予測。この予測を基に再生団体になる比率を三〇-三五%、軽度の早期健全化団体の比率は、県の指導に従いながら一〇%以上と見込んでいる。

 ◇財政健全化策と課題
 市は歳出入予算を徹底的に見直し十三億円を圧縮する方針で、トゥリバー地区の土地売却は見込んでいない。仮にトゥリバーが売れても連結実質赤字比率は一四%で、早期健全化団体は免れないのが現状。

早期健全化団体になることについては市幹部も「仕方がないことだ。再生団体になるのを避けるしかない」とあきらめムードだ。

 ただ、トゥリバーが売れれば、財政状況は大きく好転する可能性も残されている。歳出入改革によって十三億円を圧縮できれば、トゥリバー売却費の四十億円と合わせて累積赤字の圧縮は一気に進む。

 「売却」が大前提になるが、もともと売るために造成したのがトゥリバーだ。売却を急ぐことが大きな課題であり、最も効果的な財政健全化策ともいえる。
 (山下誠、砂川拓也)


沖永良部島の墓正月

1月17日の南海日日新聞に、沖永良部島の「墓正月」についての記事が掲載されていましたので、お伝えします。

南琉球でも、日本を基準として琉球の文化を「合理化」するために、伝統的習慣をやめたことがあります。日本に画一化、同化するのではなく、地域独自の文化、風習を守っていくことも、自治の基盤になると思います。自治は生活と密着しています。





沖永良部島で十六日、伝統行事の「墓正月」があった。各家庭が集落の共同墓地で一重一瓶を囲み、祖霊とともに新年の到来を喜ぶ光景が見られた。

 知名町の田皆集落は午前中に墓参りを済ませるのが慣例。早朝から住民が次々と墓地に集まり、吸い物や白米、豆腐、菓子を墓前に供えた。

 タイモ料理などのごちそうに舌鼓を打ち、焼酎を酌み交わして歓談。この日に合わせて帰省した出身者も加わり、近況を語り合った。

午後は昨年中に不幸があった家庭に集い、祖先とともに新年を祝った。

 田皆集落は新生活改善運動に伴って墓正月が途絶えた時期もあったが、昔ながらの風習を残そうと復活させた経緯がある。

根釜ナツさん(84)は「一族が顔をそろえ、正月を締めくくる大切な行事。大みそかに迎えた祖霊と正月を過ごし、再び送り出す意味もある。祖先を敬う風習を大切にしたい」と話していた。

宮古島の岡部伊都子

今年6月25日付けの宮古毎日新聞のコラムに、岡部伊都子さんについての文章が掲載されていましたので、お伝えします。宮古島の方も岡部さんにひきつけられていたことがわかります。





日本の美をめぐるエッセーや紀行文、平和や人権についての発言等で知られる随筆家の岡部伊都子さんが五月二十九日に亡くなった。享年八十五歳であった。

岡部さんは百二十冊余の著書を残している。最後の著書である語り下ろしで編まれた『遺言のつもりで』を読んでみた

▼岡部さんは二十歳のとき二歳上の見習士官木村邦夫さんと婚約する。木村は二人きりの時に言う。「この戦争は間違っている」、「こんな戦争で死にたくない」。

しかし軍国乙女だった岡部は「わたしだったら喜んで死ぬわ」と言ってしまう。そして日の丸の小旗を振って戦地へ送り出す。

「あの時代、私にだけしか言えなかった本音であり、愛の証しだったはずなのに」と岡部は思う▼

木村は中国から沖縄へ転属、首里で米軍の艦砲で両足をふっ飛ばされ、自害する。岡部の戦争を憎み平和を求める原点はここにあり「私は加害の女」だと生涯言い続けた▼

著書には命あるものへの慈しみ、弱いものへの温かい眼差し、優しさ、そしてそれらを脅かすものへの怒りが一貫して語られており、戦争や沖縄、差別や環境などの問題を鋭く追及している▼

印象に残る言葉を拾ってみる。「それぞれの人の中から詩が出てくる。それが文章だ」。「既成観念に従うことから解放される。自分が自分を変える、育てる」。「権力や金力のため歪む人の世界を情愛の世界に変えたい」▼

この本は次のことばで結ばれている。「いのちをともにした人の世のみなさま、お幸せに! おおきに」

予定調和の経済原則を超えて―宮古島の新しい歩み

 大量生産・大量消費・大量廃棄の二十世紀から「自然と共生」しながら限りある資源・エネルギーを有効利用する「環境の世紀」二十一世紀における循環型社会の構築を目指して、宮古島市は「エコアイランド宮古島宣言」を行った

7月2日の宮古毎日新聞に、自由競争による予定調和という経済学の原則が現実に即していないことを踏まえた、宮古島の新しい目標についての記事が掲載されていますので、お伝えします。

経済学の原則を現実の島嶼社会に無理やり適用することの問題性を、島の人々が感じ始めているようです。宮古島の新しい歩みにこれから注目していきたいです。





大量生産・大量消費・大量廃棄の二十世紀から「自然と共生」しながら限りある資源・エネルギーを有効利用する「環境の世紀」二十一世紀における循環型社会の構築を目指して、宮古島市は「エコアイランド宮古島宣言」を行った。

その宣言を記念して、「ゼロエミッションフォーラムin宮古島2008」が二十九日に開催され、「エコアイランド宮古島」の実現に向けて、その理念と行動のための具体的構想について話し合いがなされた。

まず記念講演と基調講演で、地球温暖化の問題やゼロエミッション社会を目指す基本的な考えや事例等が紹介された▼

続いて「エコアイランド宮古島の将来を考える」パネルディスカッションが行われ、地下水の保全(化学肥料・薬品に依存しない農業等)、(廃棄物を0にする)ゼロエミッション、そのための教育・啓蒙活動、バイオエネルギーの開発(定性的な可能性だけでなく定量的な検討も必要)、自然と共にあるという価値観、エコツーリズムと観光とリンクできる健康な農業等の重要性が指摘された▼

小・中・高校生たちが頑張っている。海岸の清掃・ごみ拾い、省エネ(必要のないときの消灯)、みどりの育成、湧水の水質検査等の活動が紹介された。

「地球規模で考えて、足元から行動する」ことの実践である

▼自由競争のうちに社会の予定調和が守られ「神の見えざる手」に導かれて秩序が達成できるという考え(アダム・スミス)が成立しない現実に向き合っているという視点も忘れてはなるまい。

佐良浜中、追い込み漁に挑戦

7月12日の宮古毎日新聞に、佐良浜中学校の生徒が追い込み網を体験したとの記事が掲載されていましたので、お伝えします。琉球においても漁業従事者が減少していくなかで、地域の伝統的な漁業に若い人が関心をもって継承していくことは、大変大切だと思います。スーパーで魚の切り身にしか接することのできない若い人が増えているという。地域で生きるための技を琉球の子供たちが学んでほしい。




宮古島市教育委員会伊良部分室(佐久田元武室長)主催の二○○八年度水産体験学習が十一日、佐良浜中学校(砂川弘康校長)の一、二年生を対象に実施された。生徒たちは追い込み漁などを体験し、島伝統の水産業の大切さを実感した。

  二年生の男子十六人は追い込み漁を体験した。佐良浜地区の白鳥岬近くのサンゴ礁海域で、網を設置。漁師たちの指導を受けながら、魚群を袋網へと追い込んだ。

 この日の追い込み漁は三回行われ、アオブダイやアイゴなど約二百㌔を水揚げした。

 追い込み漁を体験した川満洋八君は「初めての体験だったので追い込み漁は結構きつかった。でも、網にかかった魚には感動した」と話し、前里直道君も「初めて追い込み漁だったが楽しかった。また、漁師という仕事の大変さも実感した」と述べた。

 二年生の女子二十人は魚の解体を体験。奥浜稀帆さんは「魚の内臓を取ることは怖くないし、作業は楽しい。これからは家でも手伝いを積極的にやっていきたい」と話し、仲間妃都さんも「魚の下ごしらえは調理学習でやって以来二回目。前回よりも上手になっている」と、包丁さばきを披露した。 

 一年生は、磯釣りに挑戦。佐良浜漁港で釣り糸を垂らし、大物の当たりがあると大きな歓声を上げて喜んだ。

 水揚げした魚は父母らの協力で料理され、カツオの切り身などは天ぷらに、女子生徒が下ごしらえしたアイゴなどは空揚げにされ、参加者全員で海の幸を堪能した。

 同学習は、伝統的な地域の漁法や海産物料理、水産加工品などについての理解を深める機会にすることなどを目的に毎年行われている。

奄美大島の麓憲吾さん

7月9日の南海日日新聞に、あまみFMの麓憲吾さんの記事が掲載されていましたので、ご紹介します。麓さんを私にご紹介してくれたのは、南海日日新聞の久岡さんです。島おこしで頑張っている青年がいると聞いて、話を伺いました。

何度も学生に話をしてくださいました。また、学生に番組に出演する機会も与えてくれました。麓さんと話していると、本当に、心から、島のことを思って、真剣に活動していることがわかります。島の多くの若者だけでなく、他の青年たちにも生きる意味を、自らの実践を通じて教えてくれる方だと思います。




二十―四十代の男女を対象に、多分野で傑出した活動をした若者を表彰する「人間力大賞」(社団法人・日本青年会議所など主催)の会頭特別賞に、奄美市でNPO法人「ディ!」理事長を務める麓憲吾さん(36)が選ばれた。

鹿児島県からの受賞者は麓さんだけで、ラジオ放送を通して地域活性化へ取り組む姿勢などが評価された。「地域で頑張る同世代への励みになるのでは」と関係者も喜んでいる。

 今年で二十二回目を迎える人間力大賞は、地域で文化、福祉、スポーツ、その他の活動に積極的に取り組む若者を表彰するもの。同会議所では青年版の国民栄誉賞に位置付けている。

 選考にあたっては、同会議所が国内各地の青年会議所に対し、該当候補の推薦を募集し、書類審査や面接を経て入賞者を決める。今年の受賞者は大賞十二人、特別賞八人の計二十人。競馬の旗手として活躍する武豊さんらも特別賞を受賞した。

 授賞式は六日に東京であり、奄美大島青年会議所の對喜勉理事長が代理で出席。八日に奄美市名瀬の「ディ!」事務所で、對喜理事長から麓さんに賞状が手渡された。

 奄美関係では一九九〇年に、青少年の更生活動に取り組む「ゆずり葉の郷」の三浦一広所長が特別賞を受賞したが、その後は該当者が出ていない。

 麓さんを推薦した奄美大島青年会議所の岩崎勇登監事は「利害にとらわれず純粋に島興しに取り組む姿を見て、推薦を決めた」という。

 麓さんは、ライブハウス立ち上げや、島興しイベント「夜ネヤ、島ンチュ、リスペクチュッ!」など、これまでの軌跡を振り返るとともに「活動を支えてくれた多くの人々のおかげ」と、周囲への感謝を述べ「特別なバックボーンが無くても、やる気があれば何とかなる。今後も地域のため、チャレンジを続けたい」と、抱負を語った。

仙台でアイヌ・奄美・沖縄に関するシンポ

7月5日の南海日日新聞に、仙台において、アイヌ、奄美、沖縄を「まつろわぬ民」という観点からシンポが開催されたことについて報じていますので、ご紹介します。

シンポには、本NPO理事の前利さん、与論島の喜山さんもご発言しています。



奄美にアイヌ民族と沖縄の視点を交え、「周縁地域」と日本(ヤマト)との関係を探り、それぞれの歴史意識を考えるパネルディスカッションが六月二十九日、宮城県仙台市であった。

テーマは「アイヌ・奄美・沖縄―まつろわぬ民たちの系譜〈記憶の更新/再構築〉」。薩摩の琉球侵攻から四百年目に当たる二〇〇九年を「奄美が主張する年」と提唱。アイヌが受けた異化、同化政策の報告もあった。

 パネリストは計良光範さん(「ヤイユーカラの森」運営委員長)、田場由美雄さん(沖縄県立芸大付属研究所共同研究員)、喜山壮一さん(与論島出身、著作業)、前利潔さん(知名町中央公民館勤務)の四人。企画と司会は大橋愛由等さん(図書出版まろうど社代表)。

「アイヌを先住民族」と認めるよう求める決議が国会で採択されたことを受け、アイヌの立場から発言している計さんを招いた。

 討議の口火を切ったは喜山さんは「奄美はヤマトでもなく琉球でもないという立場に立たされてきたために、二重の疎外を受け、『まつろわぬ民』というより、『自失の民』となり、長らく失語・空虚の状態に追いやられてきた。

一六〇九年こそが、失語・空虚の起点ではないか。鹿児島が奄美に対して行ってきたことを鹿児島に主張し続ける必要がある」と問題提起した。

 計良さんは「アイヌは同化と異化の両極端な政策にさらされてきた」実態を報告した。松前藩はアイヌとの交易によって藩財政を運営した。和人との直接交渉を嫌ったために、アイヌを異人として扱った(異化政策)。

幕府は現在の北海道を直轄地にして、住んでいる者が自国民であることをロシアに示す必要があり、和人化(同化)政策をとった。明治になってから北海道は「無主の地」とされ、アイヌから土地を奪い徹底した同化政策がとられた。

 前利さんは近代日本が「周縁」に当たるアイヌ・沖縄・奄美に対して「租税制度」「学校教育」「徴兵制」「参政権」の四項目の施策をどのように導入したのかを図表化して考察。奄美・沖縄に比べてアイヌが徹底して排除の対象にされてきたかを明らかにした。

 鹿児島県の「ふるさと納税」も俎上(そじょう)に上った。県に窓口を一本化するということについて、喜山さんは「鹿児島には、個人や他者の存在を考慮するという思考が欠けている」と批判した。前利さんは鹿児島県知事の「『第二次戊辰戦争のつもりで』税収アップに努力する」との発言を紹介した。

仙台藩はかつて薩長軍に「征伐」された経緯もあり、聴衆から驚きの声が上がるなど、東北ならではの反応もあった。

 パネル討議は「カルチュラル・タイフーン」というさまざまな文化研究を行うイベントの一環。奄美に特化した企画は今回で四回目。

岡部伊都子さんの生き方

先週、日曜日、新宿中村屋本店におきまして、岡部伊都子さんを偲ぶ会に参加してきました。幼いころから病弱であった岡部さんは、低い目線から今の世界をしっかりと見つめながら発言する人生だったように思います。

沖縄島で亡くなった木村邦夫さんのことを一生かけて思い続け、「加害の女」と言い続け、発言してきました。そのような生き方から学びたいと思います。

2003年に沖縄島で行った「21世紀沖縄のグランドデザイン」というシンポジウムに基調講演を岡部さんにお願いしましたが、体調がすぐれず、お手紙を会場で読ませていただきました。翌年、『琉球文化圏とは何か』の合評会には、参加され、初めてお会いすることができました。

柔和なやさしい目をされ、しっかりしたお手だったと記憶しております。そのあと、海勢頭さんの出版パーティで、岡部さんが「売ってはあかん」を朗読され、心を揺さぶられました。

岡部さんからおくっていただいた『沖縄の骨』や、『沖縄に照らされて』を読むと、琉球の土地と自らが一体であるとと考えて生きていらっしゃると思いました。同時に、琉球人がどんどん、島の良いものを売っていくことに警鐘を鳴らしておられました。

偲ぶ会では、岡部さんゆかりの方がお話をされました。また、海勢頭さんや、李さんの歌も素晴らしいものでした。

8月16日には、沖縄島の摩文仁で、海勢頭さん、新川さん、三木さん、川満さんなどを発起人として、岡部さんを偲ぶ集いが開かれるそうです。

私は現在、岡部さんが生きてきた京都で働いており、何か因縁を感じます。今、『遺言のつもりで』を
読んでいます。「岡部さんとは琉球、琉球人にとって何であったのか」を考えています。

宮古島での有機農業の実践

2007年9月23日の宮古毎日新聞に、宮古島での有機農業の試みに関する記事がありましたので、お伝えします。




農家の現状は、常に厳しいものがある。中でも自然農法を取り入れた人たちの苦労は大きい。先日、「キューバ農法に学ぶ」といった講演会があり、実際に現場を視察した伊香賀正直さんが現状報告した上でフリートーキングが行われた。

主催したのは宮古の農業を考える会(川平俊男会長)。同会は8年前に結成され約・人が籍を置く。有機農業にこだわり、毎日が試行錯誤の連続だ。川平会長は「大型農業を目指すとどうしても化学肥料に頼り環境にも悪い。

むしろ小農主義で有機肥料による農業が望まれる。そうした農家がまとまって1つの農産加工所を核に、大型貯蔵施設で出荷を調整し二級品の加工製造もすることで妻たちの仕事場も確保できる」と話す。(佐渡山政子)

長年有機農業にこだわる下里龍信さん、理解者の妻光子さんも一緒に農作業を手伝う。今、パパイヤとパッションフルーツに力を入れる。

 現在国を挙げて、有機農業を進めているキューバは、一九九一年ソ連崩壊後、八○%を輸入に頼っていた石油が入らなくなり、発想の転換で持続可能な農業を目指すことで窮状を打開した。

経済封鎖というピンチをチャンスに変えたのだった。ミミズ堆肥活用を主体に土づくり、肥料は微生物の活用、混栽、輪作による病害虫防除など、国の方針で農業が営まれている。

その結果、都市農業が国民の一二%まで増えた。これまでの駐車場に土を入れ、幾種類もの野菜栽培を可能にした。

 川平会長は「いま、宮古の土壌が弱くなっている大きな原因は、大型トラクターの導入と化学肥料。踏み固められた土壌が砂漠化してきている。不健康な土壌での作物は成長が遅く、そのため化学肥料をどんどんまく。

その結果、病害虫の発生によって農薬散布、その悪循環」と話す。その反省の上に、これからは土づくりに力を入れ持続可能な農業を目指す必要があると。会員の中で、これまで先祖が堆肥で行ってきた伝統農法を見直し、環境にやさしい農業に取り組む模索が行われている。

座談会
有機農業の課題/生産・加工・販売を一貫して

 〈下里光子さん〉 夫が二十年前から有機農業にこだわってきた。正直言って有機では生活できない。子育ても大変だった。私は副業として、ブティックを営み家計を支えてきた。でも夫のこだわりにはそれなりの価値がある。

やはりおいしさが違う。今では夫の作るカボチャの規格外の物を利用してサタテンプラを作って商品化、定着している。やっぱり有機で作った物は味が違う。土づくりがいかに大変か、夫の苦労も分かるようになり、最近では極力畑も手伝うようにしている。

 〈見里美恵子さん〉 農業をまったく知らずに嫁いだ。その上、夫は虫も一匹一匹ピンセントで取るという手間暇かかる有機農業で、慣れるのに大変だった。今でも作業が多く家と畑の往復で、先に不安が無いわけではない。

夫はほとんど本土の有機生産者でつくる「大地を守る会」などに野菜を出荷しているので、最近では私も自分なりに、残った物を調理しやすいような袋物にして市場に出すなど工夫している。

 〈古波蔵芳江さん〉 まったく農業を知らない私に、公務員の夫が畑を買い与えた。それから私の農業との格闘が始まった。有機にこだわる兄を見ていたので、私も見習ったが、農業は一筋縄ではいかない。

ハウスでニガウリやトーガンを作っているが、いったん虫が入るとそれを追い出すのに苦労する。酵素を作って葉面散布したり、毎日虫との戦い。一番害虫防除に苦労している。でも、おいしい野菜をつくるという苦労には夢がある。三年前から退職した夫も一緒に農業するようになった。
 
〈下地薫さん〉 農業を知らずに嫁にきた。夫は公務員、私は畑があるのでキビを作ったが、女の仕事ではないと分かり、野菜に切り替えた。ところが作っても売り方を知らない。そこで考えたのが加工に力を入れたら難儀せずにもうけられるかもと思った。

ネットを活用して、オリーブせっけん作りなどを研究、商品化にこぎ着けた。結局結論は、六次産業。自分で生産して加工して売るということ。これからは女性同士も情報を交換していろんな物に挑戦できると思う。宮古には宝がいっぱい転がっている。


台湾石垣航路運休の影響

5月31日の八重山毎日新聞に台湾石垣航路運休による影響についての記事がありましたので、ご紹介します。石垣の市場を歩いていると台湾関係の日常品を売っている店、台湾料理店があります。なお、この記事を書いている松田記者は、『八重山の台湾人』という、石垣に住む台湾人のアイデンティティについてすぐれた本を書いておられます。



「米粉(ビーフン)を台湾から仕入れることができなくなる」―。有村産業のフェリーが石垣入りするのは6月3日出入港の「クルーズフェリー飛龍21」が最後。

八重山―台湾間を行き来する人やモノの動きは往事ほどではなくなったが、雑貨や衣類、食品を台湾へ仕入れにいく石垣在住の台湾出身者には、なくてはならない交通機関。

同社フェリーの運休が、細々と続いてきた八重山―台湾間の交流史を衰退させることになるのは間違いない。(松田良孝記者)

■中華食材
 台湾出身の夫婦が営む市内の中華料理店では、食材のほとんどを市内で調達しているが、名産として知られる台湾・新竹産の米粉や一部の調味料などは、市内に住む別の台湾出身者を通じて台湾から取り寄せている。

 妻(50代)は「フェリーがなくなったら、必要なものは里帰りの時に買って帰るぐらいしかできない。台湾から石垣に来るチャーター便が台湾へ戻るとき、石垣から一般の客も乗れるようになってほしい」と話す。

■“食”にも影響
 同社のフェリーで台湾へ行き、雑貨や衣類、食品を輸入している台湾出身者は数人。渡台回数は年に数回程度と少ないが、食品では、米粉、スンシー(筍絲)、ネギの種子など八重山の食生活に欠かせない品物を扱っている。

 こうした台湾出身者たちは通常、台湾行きのフェリーに乗り込む前に台湾の業者に注文を出しておき、基隆港や高雄港で品物を受け取ってそのまま積み込んだあと、同じ船で沖縄へ帰ってくる。

 高雄へ行ったあと、郷里に立ち寄り、台北周辺で仕入れを行ってから基隆発那覇行きのフェリーで帰国することもある。

 台湾出身者の商店には、市内の台湾出身者が立ち寄ることも多く、台湾語によるコミュニケーションや情報交換の場にもなっている。

■「閉店か」
 台湾で仕入れたネギの種を扱う市内の商店では28日、男性がネギの種を買いに来たところ、店主の台湾出身女性が「ネギの種はなくなるよ。(台湾行きの)船がなくなるから」と言葉をかけていた。

 あやぱにモールで曽根商店を開く曽根春子さん(66)は「フェリーが運休するなら、ちゃんと言ってほしかった。こんなに早く運休するなら、早めに仕入れにいくこともできたのだから」と突然の運休に憤る。

 曽根商店で扱う品物は、ネギの種、衣類、食品、米粉、キクラゲなど台湾から仕入れたものばかり。
 フェリー運休後に仕入れを行うめどは立っておらず、曽根さんは「在庫がなくなったら、店をやめるしかないのか」とあきらめ顔だ。

石垣・台湾航路の運休

5月17日の八重山毎日新聞に石垣島と台湾の間を運航している有村産業の船舶が運休することにあり、関係者が航路の存続を訴えていることについて、次のように報じています。

私の父親も台湾で生まれ、石垣島には多くの台湾人が住んでいます。琉球と台湾の海のネットワークの再開が望まれます。



有村産業の航路存続問題で、台湾出身者や旅行会社など石垣―台湾間の航路利用者らが16日、八重山支庁と石垣市に対し航路存続に向けた支援を要請した。

利用者らは「長く台湾と石垣を結ぶ交流の架け橋として利用されてきた。航路が一端廃止されれば復活はできない」と危機感をあらわにした。台湾出身者からは「台湾側に新会社への出資を打診してみたらどうか」との提案もあった。

中琉文化経済協会八重山支部(林昭融支部長)、沖縄ツーリスト石垣支店(上江洲久支店長)、国際旅行者八重山支店(貝盛長伴支店長)、中央ツーリストやいま支店(宮良久志支店長)の4者の代表らが兼島規支庁長、大浜長照市長に要請文を提出した。

 有村産業は沖縄―石垣―台湾(高雄、基隆)を結ぶ唯一の貨客船。石垣―台湾航路は台湾出身者ら市民の利用があるほか、旅行社によると250人の市民が参加する正月ツアーもある。
本島―石垣間では小学校の修学旅行に使用されている。

要請文によると、有村の航路は2007年度実績で年間2万7000人余の利用があり、うち台湾航路は年間1200人を数えた。

台湾との物流についても1回の運航で高雄から4000トン、基隆から1000トンを運んでいる。

 観光農園を営み、30年近く石垣―台湾間を行き来しているという石垣真宣さんは「パインやマンゴーなどは台湾からもってきた。台湾との交流をなくすことは大変なことだ。今後も仲良くしていきたい」と強く要望。

旅行社の代表も「台湾航路を残すことが八重山観光の発展につながる」と強調した。

兼島支庁長、大浜市長とも賛同し、兼島支庁長は「来週、県の担当部局長と会うことにしており、そうした懸念を含めて話し合いたい」との意向を示し、大浜市長も「ぜひ存続するよう、竹富町、宮古島市とともに強く要請する」と話した。

 兼島支庁長は、琉球海運が事業を引き継ぐことも、新会社を設立することも厳しいとの見方を示した上で、5月23日の債権者集会までに有村産業の会社再生計画の変更案に反対している独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構の理解を得ることができるかどうかがポイントと指摘、「要請をバックアップしたい」との考えを伝えた。

宇検村の取り組み

6月12日の南海日日新聞に宇検村における地域おこしの取り組みが紹介されていましたので、ご紹介します。村の約90%が山に囲まれている、宇検村での自立に向けた取り組みです。村と他地域との関係強化のための、非常に具体的でユニークな活動だと思います。



宇検村を「第二のふるさと」にしてもらおうと昨年スタートした「村まるごとオーナー制度」の会員数は六月一日現在、三十一人(法人九、個人二十二人)。

東京や大阪、鹿児島、沖縄と全国から集まっている。タンカンやマンゴーなど島の味が好評で、村の農業振興にも結び付きそう。村側は本年度、新旧含めて百人の会員獲得を目指している。

 村企画課によると、オーナー制度は村元気が出る公社(社長・國馬和範村長)が事業主体となり進めている。

会員になれば奄美ならではトロピカルフルーツが味わえ、奄美群島の宿泊が年間十四泊分無料になるほか、東北福祉大学と提携した健康ツアーの参加、村内の土地貸与、Iターン支援といった特典がある。

 昨年二月から準備を進め、四月に本格始動した。十二月には法人、個人合わせて二十三人の会員を獲得したが、議会から「盛り上がりに欠ける」との指摘も受けた。國馬村長はじめ村側は関東や関西の郷友会で精力的にアピールしたところ、関心も高まってきたという。

 会員の評価が高かったのがトロピカルフルーツ。オーナーにはタンカンの木を一本贈呈し、マンゴーはオーナー専用に栽培している。

村企画課には「あこがれていたマンゴーの“丸ごとがぶり”をさせていただきました。甘く、酸味もほどよく、おいしさを増していました」「タンカンは大変おいしく、満足しています」といったメールが届いている。

 オーナー制度は農家にも一定の恩恵があった。今年、地元市場はタンカンの価格が暴落したが、オーナー制度で食べた人が別途、注文した例があったという。マンゴーの栽培熱も高まっている。

 制度を活用し、延べ八十人が宇検村で宿泊した。森岡幸也企画課長は「制度によって都会の人たちと地元との交流も広がっている。タンカンの知名度アップにもつながるのではないか」と“オーナー効果”に期待している。

島嶼経済の問題

6月1日の南海日日新聞に、コスト高になる傾向のある島嶼経済についての記事が掲載されていましたので、ご紹介します。大きな市場からはなれるほど、輸送コストがかかります。与那国島が台湾との交易活動を進めている一つの背景に島の物価高があります。

私が現在住んでいる滋賀県でも、ガソリンが180円程度になっておりますが、現在の奄美諸島は記事の時よりもさらに高騰しているかもしれません。




原油高に伴うガソリン価格の高騰に歯止めが掛からない。六月一日に値上げする本土に続いて、奄美のガソリンスタンドは週明けの二日、ガソリン価格を十―十二円程度引き上げる。

奄美大島でも一㍑二百円となり、喜界島は二百十円を超える見込み。奄美は「ガソリン二百円時代」に突入した。

 県石油販売業協同組合大島支部や小売各社によると、三十日現在、奄美大島のガソリン(現金販売額、税込み)は百八十六―百九十八円。二日以降は百九十八円―二百円となる見通し。軽油も同額上がって百七十三―百七十六円となる。

 喜界島は十円程度の値上げ。ガソリンが二百十一円、軽油は百八十三円になる。徳之島は上げ幅十一円程度で、百八十九―百九十七円にアップする。

 沖永良部島は十―十一円のところが多いが、「五円」とするところも。二百―二百五円の間に落ち着きそう。与論のあるスタンドは十二円の値上げを決めた。在庫がなくなり次第、現行の百九十八円を二百十円に改定する。二百二円のスタンドも値上げを検討中だ。

 奄美各地のガソリンスタンドは今回も駆け込み給油の列ができた。奄美市名瀬の女性(47)=団体職員=は「夫がマイカー通勤なので値上げは家計に響く。テニスの練習も乗り合いで行くようにしている」と話す。

 五十代男性(奄美市名瀬)は「本土は百七十円で大騒ぎしているが、奄美は二百円。こんなところにも格差がある」と不満を漏らした。ユーザーは度重なる値上げに、うんざりといった表情だ。

 スタンドも危機感を募らせる。和泊町の店員は「オイルショックの時でもこれほどは高騰しなかった。異常事態だ。買い控えだけでなく、大型車から小型車へ。バイクから自転車へと乗り換える人が増え、車離れも進んでいる」と話した。与論町ではスタンド間で価格競争も始まっている。

 奄美市名瀬の石油販売会社は「石油価格は下がる要素はなく、今後も高止まりの状況が続くだろう」とみている。

安全な空求め抗議1年 東村高江・ヘリ着陸帯

「安全な空求め抗議1年 東村高江・ヘリ着陸帯」と題する記事が、2008年6月30日の琉球新報に掲載されていましたので、ご紹介します。




北部訓練場の一部返還に伴う東村高江のヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)移設作業で、沖縄防衛局が移設工事を開始して7月3日で1年を迎える。

移設反対を訴える市民団体は工事現場に続くゲート前で座り込み運動を行い「安全な空」を求めて多くの署名を集めるなど県内外に支援を訴えてきた。全国から2万を超える署名も集まり、7月からの工事再開に備え、阻止に向けた態勢を整えている。

その一方で住民の間からは「国に条件を付けて交渉してもいいのでは」との譲歩に傾く意見も出始めるなど、工事を押し通す国の圧力に住民の心は揺れ動いている。

 高江の住宅街から一番近いヘリパッド移設予定地まではわずか数百メートル。これまでも米軍は昼夜を問わずヘリの騒音を住宅街に響かせており、住民は「移設作業が完成すると、どれほどの騒音が起こるのか」と懸念を示す。

深夜におよぶ住宅街上空での飛行もたびたびで、不眠状態となる児童や高齢者への影響を訴える声も上がっている。

 工事に反対する「ヘリパッドいらない」住民の会が座り込み運動を始めて1年間で、延べ約7000人が座り込みに参加。伊佐真次共同代表は「多くの人の支援が集まった。7月の工事再開に対しても、メンバーの阻止への意気は上がっている」と語る。

しかし防衛局は再開に向け、座り込みによるゲート封鎖をかわすため、出入りできるゲート数を増やし、工事を強行する姿勢を見せている。

 現在、防衛局は繁殖時期を迎える希少鳥類への影響を考慮し、3月から6月までは工事を控えているが、住民の会はゲートの監視を続け、工事阻止の支援を県内外に求めている。

 高江の住民も一様に平穏な生活を求めて「ヘリパッド移設反対」を訴える。だが苦渋の選択として補償を求める動きもある。

仲嶺武夫区長は「区民の総意は移設反対だ。実際過去2回、反対決議をしており、その意思は変わっていない」と語るが、同時に「実力行動だけでは生活ができない」として区内住民の間に温度差があることも認める。

 区民を代表する代議員の一人は「このまま工事を強行し、ヘリパッドが完成してしまうと米軍の思うがままにされてしまう」と危機感を抱きつつ、「もちろんヘリパッドはない方がいい。しかし飛行ルートや飛行時間の制限など、条件を付けて国と交渉してもいいのではないか」と苦しい胸の内を語った。




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