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プロフィール

Yasukatsu Matsushima

Author:Yasukatsu Matsushima
1963年琉球石垣島生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。

その後、東京、グアム、パラオ、沖縄島、静岡、京都、滋賀にて学び、働き、生活する。

著書に『沖縄島嶼経済史―12世紀から現在まで』藤原書店、2002年
『琉球の「自治」』藤原書店、2006年
『島嶼沖縄の内発的発展―経済・社会・文化』(編著)藤原書店、2010年、
『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』早稲田大学出版部、2007年
『琉球独立への道』法律文化社、2012年
『琉球独立論ー琉球民族のマニフェスト』バジリコ、2014年
『琉球独立ー御真人の疑問にお答えします』Ryukyu企画、2014年
『琉球独立宣言ー実現可能な5つの方法』講談社文庫、2015年
『民際学の展開ー方法論・人権・地域・環境の視座から』(編著)晃洋書房、2012年
『琉球列島の環境問題ー「復帰」40年・持続可能なシマ社会へ』(編著)高文研、2012年
『3・11以後何が変わらないのか』(共著)岩波書店、2013年
『島嶼経済とコモンズ』(編著)晃洋書房、2015年
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NPO法人「ディ!」が「『新たな公』によるコミュニティ創生支援モデル事業」に

南海日日新聞の10月19日の記事で、奄美大島のNPO法人ディがモデル事業になったという記事がありましたので、お伝えします。麓さんたちの実践により、地域がさらに元気になるように願っています。

龍谷大学の松浦先生も麓さんたちの試みに大変、注目されています。最近、先生は『非営利放送とは何か 市民が創るメディア』(竜谷大学社会科学研究所叢書) ミネルヴァ書房を編著で出版されました。地域メディアの可能性について興味深い論文が掲載されています。




国土交通省が民間組織を主体にした地域づくり支援に向け新設した「『新たな公』によるコミュニティ創生支援モデル事業」に、奄美市名瀬のNPO法人「ディ!」(麓憲吾理事長)が選ばれた。

FMラジオ放送による地縁型コミュニティー形成と地域に対する誇り・愛着の醸成への事業を試行する。

 同事業は、官民の多様な協働により、伝統・文化などの地域資源を活用したコミュニティー創生をモデル的に実施することで、「新たな公」の担い手拡大を通じた地域づくりの新たな道筋をつけることを目的としている。

 「新たな公」について同省は、「行政だけでなく多様な民間主体を地域づくりの担い手と位置付け、その協働によって地域ニーズに応じた社会サービスを提供しようとする考え方」と定義しており、社会貢献による参加者の自己実現や地域経済の活性化、社会的コストの軽減効果などが期待される。

 支援対象は、地域団体やNPO法人など「新たな公」の担い手となる民間団体と各地の市町村自治体(民間団体と連名であることが条件)で、本年度は全国から三百五十七件の応募があり、九十七件が選ばれた。九州からは十五団体、鹿児島県からは三団体が選定された。

 支援金交付額は各団体とも五百万円以内。「ディ!」以外に県内から選ばれた二団体の事業概要は「元気集落『高齢化率60%』からの挑戦」(南さつま市・NPO法人「プロジェクト南からの潮流」)、「町民運営による新たな活力生活圏形成事業」(霧島市・福山町地域活性化協議会)となっている。
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米軍再編下の沖縄における自治と財政 (日本財政学会)

昨日、日本財政学会が京都大学であり、米軍再編下における沖縄県の財政問題と自治についてのセッションに参加してきました。

座長の 宮本憲一先生は、40年以上、沖縄の米軍基地、自治について研究しており、復帰前は毎月のように沖縄に行かれていたそうです。先日、古本屋でみつけた、40近い前に出版された『公害』という本でも、宇井純先生と対談され、沖縄について真剣に語っておられます。

宮本先生とは、私が大学院生のころ参加した沖縄大学で開催された日本環境会議沖縄大会でお会いした以来でしたが、非常にお元気でした。

宮本先生は「振興開発費は軍事費として利用されてきた。財政によって沖縄に基地が押しつけられてきた。財政学を研究する者も沖縄に強い関心を持つ必要があると考えて、今回このようなセッションをもった。」という旨のご発言をされ、心を打たれました。

昨年は、西川潤先生が中心になって国際開発学会沖縄大会の開催を実現させ、振興開発を徹底的に議論する機会をつくりました。

内発的発展論を提唱されてきた、お二人がこのような討論の場を設け、振興開発が有する問題性を議論する機会をくださいました。我々としては、今後、さらに研究を進めて、日米政府による琉球管理・支配のための道具としての振興開発が有する問題性を明らかにしていき、内発的発展の道を切り開くための研究、活動をしなくてはと、あらためて決意する一日でした。

川瀬光義先生が「再編交付金に至る基地維持財政政策の変貌」、

只友景士先生が「沖縄の自治体財政の諸相に関する考察-地方自治の再生と財政制度をめぐって-」
林公則先生が「基地跡地民生転換の費用負担問題」と題してご報告されました。

現在の沖縄県がどのように防衛庁、内閣府沖縄担当部局により振興開発を通じて基地が非民主主義的手法によって押し付けられているのか、その背景、財政的裏付け、沖縄県の財政状況の不安定性、基地跡地利用に関する様々な問題点等も明らかになりました。

大変、勉強になりました。また、琉球の現状を打破するための研究であると考えました。

今回の学会における議論は、日米政府による琉球支配・管理の本質を明らかにするという意味で大変重要であり、研究のための研究ではなく、沖縄県が抱える諸問題をどのように打破していくかという、問題意識と当事者意識に基づいており、島に住む住民にとって役立つ研究内容であると思います。

発表された先生にはそれぞれ「怒り」を持ちながら発表されており、それも私にとっては心を打つことでした。

来年9月に今回の学会の内容を踏まえた本が出版される予定とのことです。楽しみです。

また、川瀬先生から『幻想の自治体財政改革』日本経済評論社、2007年を頂戴しました。帰りの電車の中で少し読みましたが、地域の人間の立場になった財政、自治に関するご本であり、琉球の人にとって必読の本の一つではないかと思いました。

セッションが終わった後、3人の発表された先生方とお茶を飲みにいき、琉球の自治について語り合いました。これからも京都で自治に関する研究会を開かれており、ぜひ参加して、どんどん学んでいきたいと思います。


宮本先生、川瀬先生、只友先生、林先生、このような学ぶ機会をいただき、心より感謝いたします。

「ゆいまーる」とは

本ブログのコメントで「ゆいまーる」とは何ですかという質問がありましたので、お答えします。
「ゆいまーる」とは、人と人が助け合うことを意味します。琉球の島々では、村の人々が協力して、
畑仕事、家屋の建設、さまざまな作業をしてきました。互いに助け合って生活をしてきたのです。

いまでも、琉球の島々には互いに助け合って生きている人々が少なくないと思います。ただ最近は、振興開発、都市化によって、「自分さえよければいい」という経済主義的、個人主義的な人が増えていることも事実です。

私は「ゆいま-る」という互いに助け合うという、琉球人が生み出し育ててきた、生きる方法、社会発展方法を、これからも大切にすべきであると考えています。

地域の人同士だけでなく、女も男もそれぞれ市場経済の中での競争し、対立するのではなく、助け合って生きていく関係を築いていけたらと思います。


「ゆいまーる」をもっと広く考えて、人と自然やコスモロジーとの調和という意味でも使いたいと思っています。琉球には人間だけが生活しているのではなく、他の生き物もおり、また人間には見えない信仰の世界、コスモロジーもあります。

人間の短期的な利益をもとめて、振興開発によって人間以外の自然や生物を殺し、独自の信仰世界を無化してきました。「復帰」後の開発の在り方を反省し、琉球で生きるものが互いの存在をみとめて、助け合うような社会をつくる必要があるのではないかと思います。

生活の中で培われてきたゆいまーるの生き方や考え方に基づいて、島の自治を実現するのを促したい、というのがこのNPO設立の目的です。

自治とは行政、学者だけにまかせて、実現できるのではなく、一人ひとりの人間による自覚と実践が土台となるはずです。定期的に集いをひらくことで、地域が抱えている問題を「当事者意識」をもって、解決するために行動している方々からお話を伺い、互いに議論して、よりよい地域をつくるために協力しあう関係性を築きたいと思っています。


基地依存と振興開発

久高島で行われた、第一回のゆいまーるの集いに参加された、沖縄国際大学の佐藤学先生からメールにて、次のような基地依存と振興開発に関するシンポジウムについてご教示くださいました。
最初の記事は10月20日の琉球新報のもので、2つ目は同日の沖縄タイムスのものです。

基地依存からどのように脱却するのか、振興開発の枠組みをどうして国に36年間も決定され続けるのを琉球人は認めてきたのか、基地と財政移転との交換関係をどうして琉球人は許してきたのか、
自らがどうするのかを徹底的に問わなければならないと考えます。

「思いこまされた」という受動的な琉球人ではなく、「我々はこのように考え、行動する」という能動的な琉球人として歩みたい。




経済の視点から沖縄の基地問題を考えたシンポジウム「押しつけられた常識を覆す―つくられた依存経済」

 沖縄の経済振興と米軍基地との関係を考えるシンポジウム「押しつけられた常識を覆す―つくられた依存経済」(同実行委員会主催)が19日、那覇市の沖縄大学で開かれた。

講師の有識者3人が、財政に大きく依存した沖縄の経済構造が、復帰以降の沖縄政策によって形成されてきたことを報告した。

 全体討議では、国からの財政移転が基地の受け入れと引き換えという側面をますます強める中で、基地経済から脱却することが経済自立につながる方向性であると確認した。

 政府の沖縄政策について歴史を解説した元沖縄総合事務局調整官の宮田裕氏は、事務局発注工事額の45・4%を県外業者が受注している点を強調。

「財政投資の3分の1が県外に逆流するザル経済だ。財政依存経済が沖縄の自立を阻害した。沖縄振興費はインフラ整備だけにしか使えないが、教育、福祉、医療といった生活と密着した分野にも使えるよう、体系を組み替えるべきだ」と指摘した。

 琉球新報社論説副委員長の前泊博盛氏は沖縄関連予算について「基地を維持するための防衛省の予算が増えて、純粋な沖縄振興開発事業費は減っている」と述べ、沖縄振興策の“安保維持装置”への変質を指摘した。

 普天間飛行場代替施設の受け入れを表明した名護市について「北部振興策や島田懇事業(米軍基地所在市町村活性化特別事業)で国から財政投資が増えたにもかかわらず、市債残高の増加など財政の硬直化が進んだ。

振興予算の投入で、ますます財政依存を強める結果になった」と説明した。

 沖縄国際大教授の佐藤学氏は、原子力発電所から出る高レベル放射性廃棄物の処分場建設をめぐり、財政力が弱い自治体からも反対に遭い、国の作業が難航している事例を紹介。

「処分場建設は国策であり地域に金も落ちるが、末代まで残る施設に対して住民は反対の自己決定をしている」と述べた上で、「沖縄は長年にわたり、落ちてくる金に依存する仕組みがつくられてきた。

国からの財政移転が、すべて基地との交換だと思い込まされていないだろうか」と財政依存が深まることに伴う自治の弊害を指摘した。




基地依存政府が誘導/日米の政策検証シンポ
「補助金漬けで自立阻害」20日

 沖縄経済の政府への依存構造は、米軍基地を長期・安定的に維持するため日米政府が意図的に進めてきた政策の結果であることを検証するシンポジウム「押しつけられた常識を覆す―つくられた依存経済」(主催・いまこそ発想の転換を!実行委員会)が十九日、那覇市の沖縄大学であった。

 識者らが、それぞれの視点から、政府の高率補助が「自立」との名目とは裏腹に、産業基盤の脆弱化、財政依存の加速を招き、「基地がないと沖縄はやっていけない」と県民に思い込ませた、と指摘。

県民自身の手で将来展望を描く重要性を訴えた。

 元内閣府沖縄総合事務局調整官で、第三次振興開発計画まで担当者としてかかわった宮田裕氏(琉球大、沖縄国際大非常勤講師)は、国の資料を基に、復帰後の日本政府の県内への財政投資八兆五千億円のうち、三割以上が「県外に逆流した」と指摘。

 二〇〇七年度実績では、総合事務局発注の45%、沖縄防衛局の55%を県外企業が受注していると例示した。

 その上で、第一次、第二次産業が復帰時より衰退し、雇用を支える産業を創出しなかったことを最大の問題に挙げ、「補助金漬けが自立を阻害した」と述べた。

 沖縄国際大学の佐藤学教授は、県や市町村の政策立案段階で、国の補助事業獲得が優先され、民間業者も県や市町村から仕事をもらう、という考え方が、「長年の高率補助政策で、県民に埋め込まれてしまった」と説明。

 一方で、「補助が基地との交換条件と思い込まされている」とし、基地を拒否しても、弱い地域を全体(国)が支える「地域間支援」は生存権保障の当然の権利とした。

 その上で、国、県、市町村の役割と、民間業務を明確化し、自分たちに必要なことを吟味する「『自治の力』が重要」と訴えた。

上勢頭芳徳さんの龍谷大学での授業

昨日、大勢の学生さんが熱心に上勢頭さんのお話を聞き、また、講義は多くの学生が質問を述べてくれて、大変、活気のある授業となりました。

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教室の後ろまで一杯になった教室で、学生さんは熱心に上勢頭さんの話を聞き、ノートをとっていました。

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竹富島の写真をたくさん見せてもらいました。町並み、住民の生き生きした顔、祭の準備などを、上勢頭さんが、喜びながら、本当に楽しそうで話したので、私たちも話の世界に引き込まれました。心から上勢頭さんが島のことを思っていることが伝わりました。

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島の方々が自分たちで考え、協力して島を守り育てていること、島には島の生きる方法があることが分かりました。学生たちも、この世の中にはひとつではない、多様な生き方があり、人間は自分が望む生き方を、他の仲間と力を合わせて実現することができることを、竹富島の人から学んだのではないかと思います。また、実際、島に行くことで、それを体感するのではないでしょうか。

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10日前に種取り祭という、島最大のお祭りがあり、少し疲れていたようですが、本当に情熱的に、熱心に「どうして竹富島は美しいのか」というテーマで学生に語りかけてくれました。上勢頭さんは、竹富島の喜宝院蒐集館にこられる方々にも熱心に島の歴史、民俗、島おこし、町並みなどについて語るのを、私は以前みたことがありますが、その時も、心をこめて話されていたことを思い出されます。

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上勢頭さんは、講義の最初に竹富島の言葉で挨拶しました。学生もちんぷんかんぽんだっかかもしれませんが、島の文化の奥深さを感じたと思います。また「にーふぁーゆー」(ありがとう)を全員で言いました。「うつぐみ」という言葉も学生は覚えたと思います。この授業は、学生さんのこころに確かに残ったでしょうし、また、竹富島に行き、上勢頭さんと再会するとき、授業のことや、実際に自分で島に来た感想などを話してほしいです。

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多くの学生さんも質問してくれました。授業時間が少しオーバーするくらいでした。それだけ上勢頭さんのお話に関心をもったといえるでしょう。また授業アンケートを学生に書いてもらい、授業後、松浦先生がそれをコピーして上勢頭さんに渡されました。上勢頭さんは、「これは大変な宝物です」といってました。島での実践を多くの人に知ってほしい、他の地域も元気になってほしい、学生さんが社会人になって地域を良くする担い手になってほしいという、希望が上勢頭さんの心に満ちているのではないでしょうか。

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大学において、次世代の自治の担い手となる学生さんに、地域の実践家の話を聞き、議論してもらうことの重要性を改めて感じました。これからもこのような機会を設けていきたいと思います。当日は、立命館大学の大学院でまなぶ、琉球出身の土田君も来てくださいました。時々私の研究室に来て、本を借りたり、大学の研究会に参加してくれる、非常に熱心な学生さんです。ありがとうございました。
上勢頭さん、学生さん、松浦先生、大林先生、その他の皆様に感謝します。

今日、上勢頭さんが龍谷大学で講演します

今日、午後3時より、龍谷大学の2号館302号室において、竹富島喜宝院蒐集館館長で、本NPOの理事でもある上勢頭芳徳さんが、講演を行います。

お近くにお住まいの方は是非、いらしてください。

竹富島の最新情報、美しい写真を使った講義となります。

タイトルは「どうして竹富島は美しいのか―町並み保存を軸にして」です。

先週、私が松浦先生の「社会学のすすめ」という授業において、竹富島での試み、琉球の経済等について少し話をさせていただきました。

そのあと、学生から頂いた質問票をみると、多くの学生が琉球の島々について大変関心を持っていることが分かりました。

琉球の自治の実践例について多くの方が関心を持ってもらったらうれしいです。

今日の講演でも活発な議論が行われることが期待されます。

上勢頭さんとは8月に竹富島であって以来ですが、京都でお会いできるのが楽しみです。

これからも琉球に関する講演、研究会等を大学で開催し、関西においても琉球島嶼学を盛んにして
行きたいです。


西浜さんから「沖縄通信」が届く

西浜さんから沖縄通信が届きました。

写真②_10月18日_第219回「辺野古に基地を絶対_つくらせない大阪行動」での筆者[1]
西浜さんが第219回「辺野古に基地を絶対_つくらせない大阪行動」でチラシを配布しているところです。

西浜さんは奄美大島、伊江島とゆいまーるの集いに続けて参加され、西表島での集いにも参加される予定の方です。大変、行動的で、信念の強い方であるとともに、ユーモアもあり、周囲の人を笑わせ、和やかな雰囲気にしてくれます。

西浜さんが発行している「沖縄通信」が届きました。西浜さんが自分自身で体験された講演、活動等に基づいた通信です。

琉球のプロテスタント教会をめぐる講演会についての西浜さんの記事は大変、興味深いものでしたので、その一部を抜粋してお伝えします。

西浜さんの「沖縄通信」を読みたい方は私に問い合わせてください。

琉球へのキリスト教の布教はベッテルハイムの時代だけでなく、戦後の米軍統治時代においても活発に行われ、琉球の宗教との融合もみられるなどの事例があります。




1.来年(2009年)は、プロテスタント日本伝道150年ではなく163年です。
10月7日(火)に、講演会「ベッテルハイムの琉球伝道9年間を学ぶ」が開かれる。

10月7日(火)午後6時半より、大阪教区社会委員会と沖縄交流・連帯委員会共催のもと、東梅田教会において講演会「ベッテルハイムの琉球伝道9年間を学ぶ」が沖縄より石川教会・村椿嘉信牧師を講師に招いて開かれました。

 日本基督教団は、来年2009年をプロテスタント日本伝道150年として記念行事や記念出版を企画していますが、「プロテスタント日本伝道150年」という場合の「日本」とは何を指すのでしょうか。そこには「沖縄」は含まれるのでしょうか、含まれないのでしょうか。

「日本」とは、有史以来自明のものとして存在し続けてきたものなのでしょうか。このことは「日本基督教団」という場合の、「日本」とは何を指すのかという問題と密接な関係があり、合同のとらえかえしの中で問うてきたことです。

 ベッテルハイムが沖縄で宣教を開始してから、来年2009年で163年になります。1846年5月1日に、ベッテルハイムは当時薩摩藩の支配下にあった琉球王国の那覇に上陸しました。当時の琉球王国は1609年の島津侵攻以後、幕藩体制に組み込まれていました。

そして来年2009年は「島津侵攻400年」に当たります。

 ベッテルハイムの宣教により、琉球では1851年にプロテスタントの信仰を表明した者(琉球王府の役人であった崎浜秀能)が、キリシタン禁制の施策をとった江戸幕府の命令によって殉教するという事件が起きています。

また、ベッテルハイムの1853年の書簡には「私は琉球人4人に洗礼を施しました。那覇で3名、首里で1名」とあります(日本基督教団「プロテスタント日本伝道150年」パンフによると、1865年に「最初の邦人受洗者が与えられる」とあるが、それよりも12年も前の出来事)。

それ故、2009年を「プロテスタントが日本において伝道を開始してから150年に当たる」と見なすのではなく、「プロテスタントが琉球や日本において伝道を開始してから163年に当たる」とするのが当然です。

少なくとも、1969年に当時の「沖縄キリスト教団」と旧「日本基督教団」が合同したことを前提に考えるなら、「日本宣教150年」という表現は「沖縄」を排除していることにほかならないといえます。

 ぼくは琉球大学大学院在学中、『欧米と琉球の異文化接触特論』という講義を受講しました。こんな講義は多分沖縄でしか受講できないと思います。教員は琉球大学名誉教授の照屋善彦さんでした。

先生はベッテルハイム研究の第一人者です。受講生も二名だけだったので本当に家族的な雰囲気のもとで講義がおこなわれました。

この講義で『琉球におけるペリーとベッテルハイム』、『ベッテルハイムの伝道と聖書和訳』、『英宣教師ベッテルハイムの琉球観』、『19世紀琉球の風俗-欧米人の見聞録-』『欧米人の琉球観-19世紀初期と中期-』、『琉球に於けるキリスト教の布教と中国-1840~1860年代-』、『19世紀琉球における欧米との異文化接触』など、先生の論文を学びました。

 現在、沖縄教区議長である村椿嘉信牧師は、沖縄教区の見解として、2009年に、長崎や横浜のキリスト者が自分たちの地域の「宣教150年」を覚え「記念行事」を行うことは理解できるが、

①沖縄教区の私たちにとっては「150年」ではない。②特定地域の記念行事を「日本」全体のこととして覚えることは、別の地域を切り捨てることにもなり、おかしなことだ。

③キリスト教の日本への宣教が、さまざまな経緯をたどって為されたことを想い起こす時、そもそも「150年」というように歴史を区切る必要があるのか。大切なことは、ていねいな歴史の検証であり、過去の事実を踏まえつつ、未来に創造的に関わることだ。と10月2日付沖縄教区議長から各教区議長宛文書で述べていますが、まさしくその通りだと思います。

地産地消の必要性

10月16日の琉球新報に地産地消の必要性を訴えるフォーラムについての記事がありましたので、お伝えします。島内の生産と消費との関係を強くするという、地産地消の試みは琉球という島嶼社会では大変重要です。日本全体よりも沖縄県の自給率が低いという現実を克服するために、内発的発展に対する理解と実践がさらに求められていると思います。




食・農・環境フォーラム「地産地消を考える」(琉球大学農学部、琉球新報社主催)が15日、那覇市の琉球新報泉崎ホールで開かれ、約450人が来場した。

登壇者からは日本や沖縄の食料自給率が低下している現状が報告され「生産者と消費者が懸け離れている」との指摘や「生産が増える循環をつくることが大事」などの意見が出た。

 討論会では酒井一人氏(琉球大学農学部教授)内藤重之氏(同学部准教授)玉那覇純教氏(JAおきなわ経営管理委員)松苗大君(那覇高校2年)宮城愛香さん(同2年)が登壇。安田正昭氏(琉球大学農学部教授)と女優の浜美枝さんが解説を務めた。進行役は前泊博盛琉球新報論説副委員長。
 
登壇者からは日本の食料自給率が約40%と低下し、沖縄ではさらに低く、輸入や県外からの移入に頼っている状況が報告された。

 内藤氏は「生産現場と消費現場が懸け離れ、空間的にも心理的にも距離が離れており、食の安全安心を揺るがす事件、事故につながっている」と指摘した。

玉那覇氏は「地産地消を展開するには県産の増加が大きな課題」とした上で、県内の生産者の利益を上げるためには、流通経費の削減が必要との考えを示した。

 酒井氏は食物の長距離運搬が多くの燃料消費を引き起こしていることに触れ「地産地消が流通で大きくCO2排出量を減らせる」と述べた。

消費者への要望で内藤氏は「消費者が県産を選ぶようになると小売り、卸売りの取り扱いが増え、生産も増える。その循環をつくることが大事」と訴えた。




滋賀県栗東市で琉球の自治の講演と、佐渡山豊さんのコンサート

2008年11月3日(月)文化の日に場所:栗東芸術文化会館・さきら小ホールにて、次のようなイベントが開かれます。         

    開場:17時30分  開演:18時~

1部/講演 松島泰勝『琉球の自治』
        (特定非営利活動法人ゆいまーる琉球の自治代表)

2部/佐渡山豊&Swing MASAライブコンサート

                                                
    入場:無 料 200名限定[要予約]


                問い合わせ先[沖縄県人会事務局] 
                TEL:0748-72-5813 
                FAX:0748-72-7621 




先日、栗東市で滋賀県沖縄県人会の高間さん、関西沖縄文庫の金城さん、彦根や大阪の労働組合の方々で、講演とコンサートの打ち合わせをしました。

イベントの打ち合わせをするとともに、滋賀県の栗東市、草津市などには多くの工場がありますが、そこで季節労働者として働きにした琉球人が直面するさまざまな問題、滋賀県の被差別部落問題、「集団自決」問題等について話しあいました。

佐渡山さんとは昨年も大阪大正区でご一緒させていただきました。佐渡山さんの歌は聴く者の心を揺さぶる力をもっています。いつ聴いても、体で考えさせられます。

この機会にいろいろな方と出会い、学びたいと思います。


米軍再編下の沖縄における自治と財政

10月25日に京都大学吉田キャンパス 本部構内におきまして、日本財政学会第65回大会が
開催されます。

企画セッションの1つとして、「米軍再編下の沖縄における自治と財政」と題する研究集会がもたれます。



午後13:00~15:00
米軍再編下の沖縄における自治と財政

座長: 宮本憲一(大阪市立大学 名誉教授)

報告議題:沖縄の自治体財政の諸相に関する考察
-地方自治の再生と財政制度をめぐって-

報告者:只友景士(滋賀大学)

討論者:宮入興一(愛知大学)/松島泰勝(龍谷大学)/八木信一(九州大学)

報告議題:再編交付金に至る基地維持財政政策の変貌

報告者:川瀬光義(京都府立大学)

討論者:宮入興一(愛知大学)/松島泰勝(龍谷大学)/八木信一(九州大学)

報告議題:基地跡地民生転換の費用負担問題

報告者:林公則(大妻女子大学)

討論者:宮入興一(愛知大学)/松島泰勝(龍谷大学)/八木信一(九州大学)




私も討論者として参加しますが、米軍再編下において、カネによって基地を押しつけるという
国の政策が明確になるなかで、琉球側はどのような対応をとればいいのかを考えていきたいと思います。

琉球の経済、基地、自治をテーマにする学会セッションがもっと、もっと増やして、議論をさらに
活発にすべきだと考えます。


自由権規約沖縄レポート2

昨日の続きで、添付資料として、沖縄県議会「教科書検定に関する意見書」(2007年6月22日)
沖縄県議会「教科書検定に関する意見書」(2007年7月11日)を掲載します。




添付資料

教科書検定に関する意見書

去る3月30日、文部科学省は、平成20年度から使用される高等学校教科書の検定結果を公表したが、沖縄戦における「集団自決」の記述について、「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現である」との検定意見を付し、日本軍による命令・強制・誘導等の表現を削除・修正させている。

 その理由として同省は、「日本軍の命令があったか明らかではない」ことや、「最近の研究成果で軍命はなかったという説がある」ことなどを挙げているが、沖縄戦における「集団自決」が、日本軍による関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実であり、今回の削除・修正は体験者による数多くの証言を否定しようとするものである。

 また、去る大戦で国内唯一の地上戦を体験し、一般県民を含む多くのとうとい生命を失い、筆舌に尽くしがたい犠牲を強いられた県民にとって、今回の削除・修正は到底容認できるものではない。

 よって、本県議会は、沖縄戦の実相を正しく伝えるとともに、悲惨な戦争を再び起こさないようにするためにも、今回の検定意見が撤回され、同記述の回復が速やかに行われるよう強く要請する。

 以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。

平成19年6月22日
                                         
沖縄県議会

衆議院議長
参議院議長
内閣総理大臣
文部科学大臣
沖縄及び北方対策担当大臣 あて



教科書検定に関する意見書

 本県議会は、去る6月22日に全会一致で教科書検定に関する意見書を可決して関係要路に要請したところであるが、県内41市町村の議会においても同様に教科書検定意見の撤回と「集団自決」に関する記述の回復等を求める意見書が相次いで可決されたことを踏まえ、

去る7月4日に沖縄県、沖縄県議会、市長会、市議会議長会、町村会及び町村議会議長会の代表6名が連携して関係要路に教科書検定問題に関する要請を行った。

 これに対し、文部科学省は「教科用図書検定調査審議会が決定することであり、理解していただきたい」との回答に終始し、検定意見の撤回と「集団自決」に関する記述の回復を拒否している。

 しかしながら、今回の教科書検定に際して、文部科学省はあらかじめ合否の方針や検定意見の内容を取りまとめた上で同審議会に諮問していること、諮問案の取りまとめに当たっては係争中の裁判を理由にし、

かつ、一方の当事者の主張のみを取り上げていること、同審議会の検討経緯が明らかにされていないこと、これまでの事例ではほぼ同省の諮問どおりに答申されていることなどを考えた場合、今回の同省の回答は到底容認できるものではない。

 また、要請への対応に当たって、本県議会を初め県内41市町村の議会すべてで意見書が可決され、県民の総意が明らかにされたことに対する重みへの配慮が十分でなかったことはまことに遺憾である。

 よって、本県議会は、沖縄戦における「集団自決」が日本軍による関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実であり、

沖縄戦の実相を正しく伝えるとともに、平和を希求し、悲惨な戦争を再び起こさないようにするためにも、今回の検定意見が撤回され、同記述の回復が速やかに行われるよう再度要請する。

 以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。

平成19年7月11日

沖縄県議会

衆議院議長
参議院議長
内閣総理大臣
文部科学大臣
沖縄及び北方対策担当大臣 あて

自由権規約沖縄レポート 1

沖縄市民情報センターの喜久里康子さんから、自由権規約沖縄レートが送られてきましたので、2回にわたり紹介したいと思います。

国連の自由権規約委員会が10月15から16日までスイス・ジュネーブの国連欧州本部でひらかれます。そこでは日本政府が国際人権規約の自由権規約を守っているかどうかを審査します。琉球についてとともに、死刑、婚外子差別、従軍慰安婦問題などについても議論される予定です。

自由権規約には、人種差別禁止、男女同権、死刑の抑制、表現の自由などが定められ、規約委員会が定期的に各国政府を審査しています。

琉球弧の先住民族会と沖縄市民情報センターの連名で、「自由権規約沖縄レポートが国連に提出されました。両組織とも、琉球の若い方によって組織されている団体であり、積極的に国際的な場所で琉球が抱える問題を訴えてきました。




琉球弧の先住民族会
沖縄市民情報センター

日本国内の動向と自由権規約第5回政府報告書に対する懸念

1.  前回の第4回日本政府締約国審査において、委員が「沖縄の住民は1870年代に同化が始まるまで、独自の言語や文化を持ち、現在もこれを保持している『マイノリティ』である」と強調し、次回報告書において報告するよう要求されたにもかかわらず今回の政府報告書においても、琉球・沖縄に関する記述が皆無である。

日本政府が、琉球・沖縄の訴えに対し、そもそも少数民族及び先住民族であることを認めず、文化享有権の主体であることを認識していないことを懸念する。

2.  日本政府が、琉球・沖縄からのNGOレポートに対し、「沖縄の人々の多数意志を代表したものであるとは承知していない」という主張を行っていることを懸念する。

政府は、2001年3月20日の人種差別撤廃委員会の最終見解(CERD/C/58/CRP.CERD/C/58/Misc.17/Rev.3)に対し、「人種差別撤廃委員会の日本政府報告審査に関する最終見解に対する日本政府の意見」を提出し、

琉球・沖縄からのNGOレポートについて、「多数意志を代表していない」と軽視するとともに、「沖縄県に居住する人あるいは沖縄県の出身者は日本民族であり、社会通念上、日本民族と異なる生物学的または文化的諸特徴を共有している人々であるとは考えられていない」という一方的な認識を表明している。

《琉球・沖縄の背景》

 2007年9月13日に採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を契機とし、国会では2008年6月6日に「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が採択された。

この国会決議を反映し、日本政府は有識者懇談会を設置し、アイヌ政策推進室が設置された。私たち琉球弧の先住民族会(AIPR)と沖縄市民情報センター(OCIC)は、この日本政府の政策推進を歓迎する。

日本政府がアイヌ民族を先住民族と認めた意義は大変大きく、今後、アイヌの人々との相互理解を深め、アイヌ文化を尊重する政策が推進されることを期待する。日本国内の先住民族文化を尊重することは、国際社会において、日本政府の人権/民族政策についての評価を高めるものである。

一方、来年、2009年は、琉球・沖縄にとって歴史的な年である。日本政府によって併合されるまで、沖縄は東アジアにおいて独立を保ち、独自の王制社会を形成し、独自の言語と文化を有していた。

1609年に薩摩藩によって行われた琉球侵略から400年目、1879年に日本政府によって実施された「琉球処分」から130年目にあたる。

琉球王国は独立国であったにも関わらず、「琉球処分」は日本政府によって強制的に実施されたのであり、これによって琉球王国を崩壊させ、自国内に琉球列島を編入させた。

琉球・沖縄は、こうした日本政府の暴力的政策により、自らの歴史と文化を否定し、日本語を話し、日本文化へ同化しなければ生きていけないという苦難の歴史を歩んできている。

第二次世界大戦では、日本軍とアメリカ軍による地上戦の場となった。琉球・沖縄の人命と文化を軽視した「捨て石」作戦と言われている。

この戦争の結果、1945年~1972年までの間、沖縄はアメリカ軍の占領下におかれ、日本の施政権から切り離されていたが、この期間にも、アメリカ軍による沖縄住民軽視の人権侵害が行われていた。

現在も、日本の国土面積の0.6%しかない沖縄に、日本に駐留する米軍基地の75%が集中しており、沖縄の自己決定権を否定し、自立発展を阻害する大きな要因となっている。

また、米軍基地や軍事訓練から生じる爆音や環境汚染、米軍人やその家族による事件・事故も多く発生しており、被害状況が改善されず苦しんでいる。沖縄は、米軍優先である現在の日米地位協定は沖縄人にとって不平等であり、改定を望んでいる

沖縄は、沖縄戦と戦後の米軍支配下における教訓を忘れないように歴史教育を行っているが、2007年には、文部科学省による高校歴史教科書の検定制度において、歴史改竄が行われるという事件がおきた。

戦争末期に、日本軍は沖縄住民が米軍の捕虜になることを禁じ、手榴弾等の武器を配布し、集団自死に追い込んだ。

文部科学省は、この事実に関する記述を7冊の教科書から修正、削除させている。宜野湾市(沖縄島)、石垣市(石垣島)、宮古島市(宮古島)で同日に行われた抗議集会には、11万人の人々が集まった(2007年9月29日)。

この怒りの抗議を受けて、沖縄県議会では「教科書検定に関する意見書」が可決され、国会と日本政府へ提出されている。

私たちは、来年、「琉球処分に対する謝罪決議」を沖縄県選出、出身の国会議員へ提言する予定である。

日本政府は、アイヌ民族を先住民族と認めたことを契機とし、琉球・沖縄についても、先住民族としての地位、権利を認めるべきである。

先住民族の定義の基礎となるILO169号条約に基づき、琉球・沖縄の意思を問うことなく強制的に自国内に編入した歴史を認識し、歴史を改竄することなく尊重し、文化享有権を保障するべきである。

維新派―呼吸機械

昨日、関西沖縄文庫の金城馨さんのお誘いで、琵琶湖長浜に特設ステージをつくった劇団、維新派の呼吸機械を見てきました。関西沖縄文庫の仲間たちも一緒でした。

午後7時開演ですが、会場外に設けられた屋台で、軽食を食べました。焚き火、ライブ、多くの人々の行き交い、小さな村の市場を思わせる、活気に満ちた場所でした。琵琶湖の冷たい風から体を温めて、いざ、会場へ。

維新派の舞台は初めてでしたが、シュールな舞台でした。音や視覚だけでなく、琵琶湖の風、など皮膚をもつかい、全身で芝居を味わいました。全体主義的な体制への抵抗、暴力への抵抗、システムや機械化された個人への抵抗、飽食時代の風刺、20世紀という現代社会が抱えた多くの矛盾が、
劇を通して体に訴えてきました。

琵琶湖の水を使い、遠景の後景をうまく活用して、琵琶湖と一体化した感覚にもなりました。私は琵琶湖の10メートル近くに住んでいますが、昨晩ほど、琵琶湖をわが身の一部とした感じたことはありませんでした。

シュールな演技でありましたが、それが現実の核心をとらえていました。想像力をかきたて、刺激しました。

金城さんが、劇をみるまえに、「この劇団と自分がいまを一緒に生きていることの幸せを感じた。頭ではなく、皮膚から喜びが伝わってくる。自由の意味を考えさせてくれる。」などとおっしゃっていましたが、その意味がわかったような気がします。

関西沖縄文庫の他のメンバーも講演後は、喜びの顔をしていたように思います。帰りの電車の中でもそれぞれが、それぞれの思い、興奮、考えを述べあいました。

人はここまで自由に表現できることも、役者の演技、声、技から学んだ気がします。演劇は2時間でしたが、その後もフラッシュバックのように思いだされます。日頃、当然のように思い、行動してることを、もう一度、他の面から見て問い直してみたいとも思いました。

言葉や現実の動きだけでなく、劇の中から、経済、生産、効率、暴力、20世紀という現代をみるのも
面白いと思います。この体験を、琉球の自治の思想、実践に活かしていきたいです。









上勢頭芳徳さんが龍谷大学に来ます

10月21日に本NPOの理事であり、竹富島喜宝院館長の上勢頭芳徳さんが、龍谷大学にて講演をされます。2号館302号室で15時から行います。

対外的にもオープンですので、関西にお住まいの方はぜひ、お越しください。

演題は「どうして竹富島は美しいのか」です。最新の島の人口、統計資料、写真をお使いになって講演をされます。

竹富島喜宝院館長の上勢頭芳徳さんが京都大学でのシンポジウムに参加されるために京都にお越しになられることを聞いて、ぜひ、龍谷大学の学生にもおなはしをしてもらいたいと思い、調整をさせていただきました。

龍大の松浦先生のご好意により、先生の授業において講演をすることが可能になりました。先生には心より感謝申し上げます。

学生、一般の方々との質問時間も予定しており、活発な議論が展開され、より多くの方が琉球の自治、竹富島の人の生き方について考える機会になればと思います。

西表島の集い

ゆいまーる琉球の自治の集い in 西表島 


現在、八重山諸島は「南の楽園」と呼ばれ、観光客、移住者が押し寄せ、リゾート、ホテル、アパートの建設が相次いでいる。

このままでは島々は外部資本に支配され、自然は無残に破壊され、住民は生活する場所を失ってしまう。外部の資本に島の運命をゆだねるのか、住民の自治によって島を守り、未来を自らの手でつくっていくのかが強く問われている。

島を自らの身体の一部のように思い、島の過去・現在・未来に対し責任をもって行動できるのは島の人間でしかない。

今こそ、島の人間が資本の暴力、開発に対して声を上げるときである。

西表島浦内では4年前に住民の反対を押し切って大規模リゾートが建設された。リゾートの汚水は地下浸透で海に流され、地元民の雇用も少なく、大量の廃棄物も排出している。当初の企業による約束は嘘であった。

それにもかかわらず、今、同じ企業は同島船浮でも土地を買い占めて高層リゾートを建設しようとしている。

観光客が島々を見捨てるまで、資本は自己増殖運動を止めない。資本が島々を食い散らすのを止めることができるのは、住民ひとりひとりによる自治的自覚と実践である。

八重山諸島にとって開発とは何か、開発によって何が失われたのか、八重山諸島における自治の実践について徹底的に討論したい。


(1) スケジュール

11月14日 
11月は天候の都合により、上原に船が到着せず、大原到着となり、約1時間かけてバスにて祖納に行くことになる可能性もあるため、余裕をもって西表島に入ること。
夕食を各自、宿にてとったのち、午後7時半より公民館にて懇親会


11月15日
朝食を各自、宿にてとる。
午前9時 公民館集合 挨拶と全体的説明

9時30分 石垣金星「八重山諸島、西表島が抱える諸問題と自治の実践」
11時から15分間休憩
15分から12時まで質疑応答

13時半まで昼食(弁当を宿にて注文するなど)
西表島、石垣島、竹富島等からの報告

それぞれ40分程度報告
15時30分より15分休憩
18時まで質疑応答
19時半より食事・交流会公民館婦人部による食事・懇親会:飲み物付きで一人3千円)


11月16日 
各自、宿にて朝食をとる
午前9時〜11時 祖納部落歴史と文化遺跡視察など(徒歩)/約2時間ほど

※公民館へ戻り全体会合/解散
八重山諸島以外からした他の参加者からの発言、次回の開催場所の決定、各種報告
12時解散

(2)宿泊所
 星砂荘 0980-85-6150 (全室を押さえました)
 西表アイランドホテル 0980-85-6001

双方とも、朝食付き、15日のみ夕食付きでご予約ください。


(3)参加料
2日間で2千円

参加者希望者は事務局(松島泰勝 matusima.hiroko@khaki.plala.or.jp

または、FAX:075-643-8510 龍谷大学経済学部松島泰勝宛て)

までに、参加日程、宿泊場所、氏名・連絡先等をご連絡ください。

沖縄総合事務局廃止案―私は賛成します

10月10日の沖縄タイムスに沖縄総合事務局廃止案についての記事が掲載されていましたので、お伝えします。私は沖縄総合事務局の廃止に賛成です。それと同時に、本局である内閣府沖縄炭鉱部局も廃止すべきだと思います。

国の機関は琉球から出て行き、琉球は自らの力で自治を進める必要があると私は考えます。「国頼みの経済自立策」は破たんしたのであり、国に期待、依存するのは止めて、地域でできることを行う。同時にもちろん米軍基地の撤去してもらう。国も琉球に依存すべきではない。





国の出先機関の統廃合を検討している地方分権改革推進委員会(委員長・丹羽宇一郎伊藤忠商事会長)は九日来県し、見直し対象になっている内閣府の沖縄総合事務局を視察したほか、自治体の首長と懇談した。

丹羽委員長は「国と県で同じような仕事が行われているようだ。住民のために無駄を省くことが重要で、移せるものは県に移すのが原則だ」と現体制での存続に厳しい見方を示した。

これに対し、総合事務局側は国の責任による沖縄振興の必要性を示し、組織存続を主張。首長からも廃止に反対する意見が出た。

 分権委は年末に、同総合事務局を含む出先機関の統廃合を盛り込んだ第二次勧告を首相に提出する予定。

 懇談会を終えて、丹羽委員長は記者団に「出先機関をつぶすのが目的ではない。残さないといけない仕事もあるだろうが、廃止・縮小すべきはしなくてはならない」と説明。分権に伴う財源についても「財政の手当てをせずに仕事だけ渡すようなことはしない。人も金も移譲する」と述べた。

 意見交換で総合事務局側は「米軍基地が集中するなど、沖縄は特殊事情を抱えている。沖縄振興計画で目指す自立経済の確立も道半ばで、国の責任で引き続き振興策を担うことが必要だ」と強調した。

 これに対し、分権委の猪瀬直樹委員は「国の補助金で繁栄するのでなく、できるだけ国の枠組みから解放され、自立した経済を目指すのが地方分権だ」と指摘。法人税率引き下げによる企業誘致などを提案した。

 懇談会には伊波洋一宜野湾市長、儀武剛金武町長、外間守吉与那国町長が出席。伊波市長は米軍普天間飛行場の跡地利用に関連し、「県では道路整備などの財源が確保できず、国がやる必要がある。道州制が導入されるまで出先機関は存続させてほしい」と訴えた。

 露木順一委員は「何でも国にうかがいを立てるのがいいのか。基地という特別な事情があるからこそ、財源を移転させて自ら取り組むという逆転の発想も必要ではないか」と述べた。

 十日は仲井真弘多知事と意見交換する。

与那国島の国境交流

10月4日の八重山毎日新聞に与那国島の国際交流についての記事がありましたので、ご紹介します。



先月25日に第1回会合を開いた与那国町の国境交流推進協議会(委員長・大城肇琉大副学長、17人)にとって、当面の課題となるのは花蓮与那国間の高速船運航の実現だ。

「台湾との交流は与那国の規模に見合うものなのか」という慎重論など多様な意見の持ち主が集まる同協議会は、島の自立に向けた道筋をどのように描き出すのか。(松田良孝記者)

■意見は多様
 第1回協議会が開かれた日の夜、委員らの懇親会があった。

 花村泰範委員(町診療所医師)は、「島の規模」を指摘しながら、台湾との交流に対する慎重論を元副知事の吉元政矩氏に述べた。吉元氏は、町が台湾との交流を進める根拠となっている2005年3月の「自立ビジョン」策定に深く関与。同協議会では顧問を務める。

 花村氏は「台湾側のニーズに応じきれるか」と心配する。宿泊施設の規模や土産物として提供できる島産品の規模。台湾との交流は島のスケール抜きには考えられないと考えるからだ。

 崎元学委員(建設会社役員)は「予算の使い道が分かるように透明性を確保してほしい」と注文を付けた。

 特産品部会の伊藤典子委員(製塩業)は、花蓮との高速船について「買う人にも売る人にとっても価値のある物産展のようなものになればいいと思う」と、島全体でものづくりに弾みが付くきっかけになると受け止めている。

■海外から最大規模
 11月をめどに花蓮市との間で運航を計画している台湾の高速船は300人乗り。実際の運航では定員を200人程度にする見通しだが、それでも、海外からの観光団としては島にとっては未経験の規模だ。

 今年7月に運航した花蓮与―那国間のチャーター便では、台湾観光客70人が与那国入り。そのうちの多くが石垣にまで足を伸ばしており、4日間の滞在日程をすべて与那国で過ごしたわけではない。

 これについて、町は「与那国を出入り口にして、先島エリアを動かしていく。与那国は中継基地」と、与那国の役割を位置づける。

 ただ、11月に運航準備を進めている高速船は、船舶の安全基準を定めた条約に合致する認証をまだ得ておらず、ツアーの日程や参加規模などは未定だ。

■求められる具体性
 9月24日の合同部会で、大城委員長は「すぐ実行できるような議論をしてほしい」とあいさつ。吉元氏は「台湾に一番近い与那国がこれから具体的に経済交流と文化の交流を始めようとしている」と述べた。

 「実行」「具体的」。自立ビジョンの策定から4年目を迎え、台湾との交流をいかに具体化するかが問われる段階に入った。

高齢者を大切にする社会―カジマヤー

10月7日の琉球新報にカジマヤーについての記事がありましたので、お伝えします。高齢者を大切にする社会が琉球にはまだ生きています。カネよりも住民からお年寄りが尊敬されるという社会的環境が、長寿を可能にしている一因といえるのではないでしょうか。




南風原町喜屋武 2人がカジマヤー

南風原町喜屋武のカジマヤーが5日、喜屋武公民館などで行われ、野原シゲさんと野原カメさんの長寿を地域を挙げて祝った。

 2人は区内の馬場から色鮮やかに飾られたオープンカーに乗って、地域を道ジュネー。風車を持って沿道に立ち、祝いの言葉を掛ける住民に、笑顔で手を振り応えた。区内の広場では、子どもたちがかわいらしい舞方棒を披露。2人の乗る車を囲んで区民全員で「花の風車」も踊った。夕方からは喜屋武公民館に場所を移して、2人を祝った。

 85歳まで南風原かすりを織っていたカメさんの長男、広仁さん(72)は「予想以上に多くの人が駆け付け、祝ってくれたことがとてもうれしい」と笑顔で話していた。

■八重瀬町・新城さん 元気に道ジュネー

八重瀬町後原の新城安珍(あんちん)さん(96)の数え年97歳を祝うカジマヤー(主催・後原カジマヤー実行委員会)が5日、同地区で行われた。道ジュネーと後原公民館で行われた祝賀会では親類や地域住民が詰め掛け、元気な新城さんを盛大に祝った。

 新城さんは、1912年11月1日生まれ。旧具志頭村の教育委員会や農業委員会、村議会議員を歴任し、村の戦後復興に尽力してきた。子ども10人、孫25人、ひ孫33人と子宝に恵まれた新城さんは現在、畑仕事や散歩を楽しんだり、眼鏡なしで新聞を読んだりと地域でも元気なお年寄りと有名だ。

 同日、新城さんは華やかに飾られた軽トラックの荷台に乗車。実行委によって準備された盛大な道ジュネーにご満悦。青年会の旗頭に婦人会、老人会、子ども会によるカジマヤーの踊りなどに手を振り応えていた。

 少し耳が遠いがそれ以外は健康という新城さん。「何でも好き嫌いせずに食べる。そして自分の体に用心しておくこと」と長生きの秘訣(ひけつ)を語った。

 ブラジルから親類9人と祝いに駆け付けた四男の安昭さん(62)は「厳しさの中に優しさがある人。地域住民の祝福に感激した」と満面の笑みを浮かべ話していた。

■豪華サバニで 名護市

名護市久志で5日、数え97歳のカジマヤーを迎えたお年寄り4人の合同祝賀会が開かれた。4人は豪華に飾り付けられたサバニに元気に乗り込み、区内をパレード。公民館で開かれた祝賀会には家族や区民ら約500人が参加し、盛大に4人の長寿を祝った。

 カジマヤーを迎えたのは、棚原穏幸さん、上間源武さん、島袋ウタさん、島袋苗さんの4人。数え88歳のトーカチも4人そろって祝ったが、今年も仲良くカジマヤーを迎えた。

 久志区で4人のカジマヤー祝いは初めてとあって、区内の老人会、婦人会、小中学生らほとんどの団体が協力し、1週間前から祝賀会に向け準備した。4人一緒にパレードする方法を考えた末、サバニに決定。

沿道では家族らがかぎやで風とカチャーシーを踊った。区民総出の祝福に、4人も手をたたいて喜んでいた。祝賀会では、家族から歌や踊りの余興が披露され、満席の会場は大にぎわいだった。

 92歳まで理髪業を営み、朝のひげそりが日課という上間さんは「祝ってくれてとてもうれしい。みんなのおかげで長生きできた」と笑顔で話していた。

 比嘉清隆区長は「大正、昭和、平成と大変苦労なさった方々。元気でますます長寿でいてほしい。お年寄りが元気で安心できる地域をつくっていきたい」と話した。

■孫の人力車で 恩納村山田

恩納村山田では5日、長浜眞行さんの数え年97歳のカジマヤー祝いが村内で行われた。晴天の下、午前9時からのセレモニーの後、長浜さんはオープンカーで村内巡回を開始。途中からは孫たちが引く人力車に乗り換えた。

 同区1班から5班の区民もきれいに装飾を施した小型トラックや自動車10台に分乗。思い思いの化粧や仮装で踊ったり、三線、太鼓を奏で、指笛を鳴らすなど、地域をくまなく、にぎやかにパレードした。沿道の住民も風車をかざして、お祝いに参加した。

 オープンカーに同乗した11歳年下の妻トヨさん(85)は「本人は120歳まで生きるつもりだよ。何でもよく覚えていてとても記憶がいいから頭のほうも大丈夫」とうれしそうに話していた。

 最後は人力車や車夫の衣装を提供した琉球村(具志堅猛社長)で参加者全員のカチャーシーで祝いを盛り上げた。

■国際通りをパレード 「大湾洋服店」大湾宗安さん

 国際通りの老舗洋服店「大湾洋服店」の創業者大湾宗安さん(96)のカジマヤー祝いが5日、トランジットモールが実施されている国際通りで行われた。大湾さんは妻良子さん(94)と紅白の布や花、風車で装飾されたベロタクシーに乗り込み、観光客や買い物客でにぎわう国際通りをパレードした。

 大湾さんは今帰仁村出身。大阪や那覇の洋服店で修業を積み、1955年に国際通りに店を構えた。以来、国際中央通り会会長や県中小企業団体中央会会長を歴任し、国際通りを代表する経営者になった。

技術者としても信頼を集め、大湾さんの店で修業した弟子は100人以上になるという。
 現在は子供5人、孫9人、ひ孫2人に囲まれ、元気に暮らしている。

 パレードでは、法被を着た従業員、元従業員を大勢引き連れ、笑顔で周囲に手を振った。「おめでとう」と声を掛ける人々に「はい、ありがとう」と握手をしながら丁寧に返事をした。

 観光客や外国人もパレードに足を止め、写真を撮ったり大湾さんと握手をしたりと一緒に長寿を祝った。

 長生きの秘訣(ひけつ)は「心配しないこと」と話す大湾さん。親類から観光客までたくさんの人に囲まれ「何とも言えないありがたい気持ち。感激」と目を細めた。

サンゴの海回復へ取り組み

9月17日の八重や毎日新聞に八重山のサンゴの海回復のための取り組みについての社説が掲載されていましたので、お伝えします。

琉球の島々の中でも豊かな海といわれていた八重山の海も危機的な状況にあることが分かります。今年の夏、白保の海を潜りましたが、サンゴが大きな痛手を受けていました。サンゴを破壊すれば魚も減少し、それは人間にかえってくるのです。

太平洋諸島でも禁漁区、禁漁期間を設けることで資源の回復、維持を図っている島々があります。





去る7日に新潟市で開かれた第28回全国豊かな海づくり大会で八重山漁協(上原亀一組合長)が資源管理型漁業部門で農林水産大臣賞を受賞した。

漁業者自らが積極的に禁漁区を設定し、漁獲サイズの体長制限を行うなど毎年減り続ける漁業資源の保全回復に努めている取り組みが高く評価された。県内からの受賞は昨年の恩納村漁協(漁場保全部門)に続く2例目の栄誉。

上原組合長や同漁協資源回復推進委員会の砂川政信委員長は「これからの活動の励みになる」と喜んでいたが、確かにすぐには成果の出ない地道な取り組みだけに、今回の農林水産大臣賞受賞は、漁業者らの大きな励みになるだろうし、ぜひこれを今後の活動への大きな弾みにし、これは大変難しいことではあろうが、1日も早くこの八重山のサンゴの海が再び魚が群れる豊かな海に戻ることを期待したい。

■産卵期はすべて禁漁

 八重山漁協の資源管理の取り組みは1期、2期に分けられ、1期は1998年からスタートした。クチナギ(フエフキダイ類)を対象に5年間、4―5月の産卵期は漁獲を全面禁止する禁漁区を4カ所設定したが、クチナギとそれ以外の漁獲の見分けが困難なため全魚種、全漁法を禁止にした。

 この結果、急激な減少傾向にあった資源は横ばいからやや減少に抑えることができたという。

 しかし第1期終了後、クチナギ含むすべての漁獲量が急減したため、昨年8月から12種の体長制限を年間を通して実施。今年4月からはそれに加えて産卵期はすべての魚種を禁漁にする禁漁区を5カ所に増設、面積も1カ所それぞれ約1キロ四方の第1期の5倍に拡大。そして期間も6月まで1カ月延長する大掛かりな第2期の資源管理を5カ年計画でスタートした。

 そして実効力と成果を挙げるため、石垣島から西表島に点在する禁漁区にそれぞれ5、6基設置された、夜間点灯の境界ブイの電池交換を兼ねて資源管理委のメンバーが週1回、禁漁区を監視活動。

そして違反者には漁協規則に基づきその日の水揚げの5倍の罰金を課すことにした。さらに体長制限はセリのさい漁協職員が行い、鮮魚店にも協力を要請しているという。

■遊漁船も協力して!
 この資源管理計画は漁業者だけでなく、一般の釣り客など遊漁船やダイビング業者も対象としており、マスメディアの広報のほかポスターで広く協力を呼びかけているという。

 このような大掛かりな資源管理計画は、つくり育てる栽培漁業が掛け声の割にあまり進まず、漁業資源が毎年激減していることへの業業者の危機感がある。

八重山漁協によると1991年に630トンで7億2000万円あった漁獲高は、2006年には289トンの2億9000万円にまで落ち込んでいる。

 それだけに資源管理は漁業者自身が当然取り組むべき重要な課題の1つといえよう。ただその成果は一朝一夕に出るものではなく、長い期間漁業者も禁漁という痛みを伴いつつ努力しなければならないものだけに、遊漁船も産卵期は禁漁区に立ち入らないなどぜひ漁業者の苦境打開に協力してほしい。

 特に今年は燃料も高騰し、漁業者はさらに苦しい状況にある。魚を増やすには陸上での植林運動や稚魚の放流などいろいろあり課題も多いが、この資源管理は最も有効な対策の1つだ。

地産地消で地元の新鮮な魚がいつでも食卓に並べられるようわたしたちもみんなで漁業者を応援したいものだ。

麓さんのアシビ10周年

9月29日の南海日日新聞に麓さんのアシビが10周年を迎えるとの記事が掲載されていましたので、お伝えします。以前、アシビの中で学生とともに麓さんからお話を聞いたことがあります。島の人の手作り感がでている、心温まるライブハウスでした。

麓さんが友達の協力を得て、つくり、維持、運営してきた場所です。奄美諸島文化の発信地としてこれからも元気の風を送り出してほしいと思います。




奄美大島で行われる音楽イベントの大半を担ってきたライブハウス「ASIVI(アシビ)」が、近くオープン十周年を迎える。

アシビから奄美の音楽を発信し続けた経営者の麓憲吾(36)は「本当に濃い十年間だった。いろんなイベントの裏方に徹することでしか見れない風景を見ることができたし、お客さんが楽しんだり喜ぶ姿を見れたのは黒子冥利(みょうり)に尽きる」などと十年間を振り返った。

 アシビは奄美市名瀬の飲食店街「屋仁川通り」の中ほどにあり、床面積は百四十六平方メートルで百人ほどを収容できる。奄美の若者が音楽を楽しむことができる場を創ろうと、麓が銀行から借りた金でレストランだった空間をライブハウスに改装してオープンしたのは一九九八年の十月十日だった。

 開店から二年ほどは店側が企画する音楽イベントが催されていたが、次第にさまざまなイベント企画が外から持ち込まれるようになった。

 島唄イベントのほか、学生によるライブ、DJイベント、エアギター大会、ウエディングパーティーなどが週末ごとに催された。最近は音楽イベントだけでなく、島酒を飲むイベントやコント大会などお笑い系のイベントも開かれている。

週末はイベント予約で埋まり、イベント開催数は一年間で百回前後に上る。

 また、口伝えでアシビの存在を知った本土のミュージシャンが入れ代わり立ち代わり来島し、ライブを行うようになった。フォーク系、ロック系、ポップス系などそのジャンルはさまざまで、離島の住民が本土まで足を伸ばさずとも良質の音楽に触れる機会を提供している。

 年に数回、ロック系のライブを聞くためアシビに足を運ぶ奄美市在住の公務員男性(40)は「アシビがなかったら奄美の音楽シーンはどれほど貧弱なものになっていたか」と語り、その存在を評価する。

三十代のバンドマンの一人は「その名の通り、僕たちの大切な遊び場所」と位置付ける。

 アシビのオープン当初、スタッフは麓を含めたった三人だった。音楽イベントの企画から運営までを手探りで必死にこなすうちに、麓らはイベント運営の手法を身に着けた。それは「夜ネヤ、島ンチュッ、リスペクチュッ!」と銘打たれた奄美発の音楽イベントへとつながっていく。

 アシビの存在を抜きには語れない「夜ネヤ」は東京でも開催された。朝崎郁恵、元ちとせ、中孝介、RIKKI、中村瑞希、我那覇美奈など、奄美が生んだ歌い手が一堂に会した異色の音楽イベントは、会場に足を運んだ在京の奄美出身者に大きな喜びと誇りをプレゼントすることになった。離島の小さなライブハウスが生み出した魔法のような出来事だった。

 十月四日から十日まで、アシビではロックやアコーステックなどのジャンル別に入場無料のイベントを開催する。奄美で活動する六十余りのバンドや個人が出演し、十一年目に突入するライブハウスを祝福する予定だ。(文中敬称略)

奄美諸島における郵政民営化の影響

9月30日の南海日日新聞に郵政民営化によって奄美諸島がどのような影響を受けているかについて
報じておりますので、お伝えします。郵政民営化をする際に政府がいっていた通りになっていないこと、市場経済化が地域に混乱をもたらしていることを明らかにしています。




郵便と貯金、簡易保険の郵政三事業の民営化から一日で一年を迎える。「民営化で郵便局はますます便利になる」という推進側の触れ込みとは裏腹に、奄美の郵便局、特に過疎地の局はサービス低
下を余儀なくされ、利用者の不満が募っている。

 かつての郵政公社は日本郵政株式会社(持ち株会社)と、四事業会社(郵便局会社、郵便事業会社、株式会社ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険)に分社化した。地域の郵便局は郵便事業会社と郵便局会社が同居する形になっている。

 奄美市名瀬の男性(48)は「待ち時間が相変わらず長いという感じだが、特に不便は感じていない。ほかの宅配を利用することも多い」と話す。

喜界町の女性(58)は「職員が丁寧になった」と評価する。職員の営業努力が高まった半面、不便になったことがある。

 一つが電信為替の廃止。レタックスとの併用でお祝い、お悔やみに重宝されてきた。利用者の一人は「本土や沖縄で悔やみがあった時、すぐに送れた。振り替えは味気ない」と残念そう。

 配達にも不満が出ている。集配は郵便事業会社の仕事だから、窓口業務の郵便局会社は携わっていない。

不在通知を見た人が郵便局に荷物を取りに来ても対応できない。奄美大島南部の局長は「同じ郵便局なのに、どうして」と苦情を言われた。

 加計呂麻島の会社役員(61)は「民営化で加計呂麻は大変なことになった」と訴える。民営化に伴い島の四郵便局の業務が大幅に縮小された。

すると、「これまで配達のついでにお願いしていた年金、貯金の受け取りをしてくれなくなった」のだ。理由は「会社が別だから」。

 会社役員は言う。「加計呂麻の場合、バスは午前、午後で各二本。車を持たない、乗れない高齢者にとって年金を下ろしたり、保険料を払うことが“一日仕事”になっている」

 古仁屋郵便局(元井直志局長)は加計呂麻島の業務をカバーするため、毎日、職員を島に出勤させている。しかし、加計呂麻島は広い。元井局長は「一地区を一週間に一度、訪ねるのがやっと」と苦労を打ち明けた。

 奄美大島北部の郵便局長は「コストが重視されるようになった。地域にあまねくサービスを届けることが郵便局の使命と思っていたが、このままでは局を残すことができなくなる」と不安そう。

個人や団体や請け負う簡易郵便局をみると、奄美の三十六局は民営化後も業務を継続しているが、全国では約一割の四百十九局が休止状態にあるという。

 奄美の市町村議会には今、民営化の見直しを求める陳情が提出されている。

民際外交から市民外交への挑戦:先住民族の権利と国連人権機構

今日、午後1時から、龍谷大学の紫英館という校舎におきまして、「民際外交から市民外交への挑戦:先住民族の権利と国連人権機構」と題する、上村英明さんの講演、研究会があります。

上村さんの略歴は次の通りです。

1956年熊本市生まれ、1979年慶應義塾大学法学部卒業、1981年早稲田大学大学院
経済学研究科修士課程修了。

1982年市民外交センターを設立。2002年恵泉女学園
大学助教授。現在:恵泉女学園大学教授、同大学平和文化研究所所長。主要著書:
『アイヌ民族一問一答 新版』2008年、解放出版社。

上村さんは20年以上、アイヌ民族の人権支援活動をされてきました。また先住民族に関する本も多く出されています。

1996年からは琉球人を先住民族として認めさせ、世界の先住民族とのネットワークをつくりあげるために、国連の先住民族作業部会等の国際舞台における活動をも支援してきました。

龍谷大学の民際学研究会の主催で研究会を行います。民際学とは、国家を超えた、人間と人間との関係性の構築に注目する学問であり、諸問題を解決するために、当事者意識をもって学際的に研究し、活動することを目的にしています。

今日は、一日、実り多い議論をし、明日からの活動、研究、教育につなげていきたいと思います。


本題とは関係ありませんが、昨日、NHk沖縄が午後7時半より特番を流しました。それはユニマットが船浮の土地を買いあさって、リゾートを建設しようとする動きに対する村人の反応、島における開発問題等についてのものだそうです。友達に録画してもらいました。学生と議論する資料にして、島の開発を考えてみたいです。

与那国島測候所廃止へ

10月2日の八重山毎日新聞に与那国島測候所廃止の記事がでていましたので、おつたえします。
私の父親は気象台で働いており、琉球の島々の各地で働いていました。その関係で、私も、石垣島で生まれて、南大東島、与那国島、沖縄島で生活するという貴重な体験をすることができました。

父親がこれまで働いたことがある、西表島の測候所も既に廃止されました。父親も今年、琉球新報の論壇において、与那国島測候所を廃止すべきでないとの意見を書きました。国は財政赤字のつけを、小さな島々にもおしつけています。

他の琉球の島々にある測候所も廃止予定、すでに廃止されたケースもあり、離島軽視、つまり離島にすむ人間を軽視する国の姿勢が明らかです。





気象庁は1日付で、与那国島測候所の業務を自動化し、8人の職員全員を引き揚げた。

石垣島地方気象台で「気象情報の照会などは気象台が対応する」としているが、与那国町では「与那国は台風銀座。

台風のときに直接応対してくれる職員が島にいなくなる。心配だ」(総務財政課)と話している。

同測候所は今回の自動化・無人化に合わせて「与那国特別地域気象観測所」と改称し、新たに導入する観測機器などで気温や風向・風速、降水量、震度などの観測を続ける。

 同測候所に電話をかけた場合には、石垣島地方気象台に転送され、同気象台で対応することになっている。

■「64年の歩み」発刊 過去の災害を収録
 1日付で無人化された与那国島測候所の記念誌「64年のあゆみ」が発刊された。70.2メートルの最大瞬間風速を観測した1994年の台風13号など、与那国で起きた台風と大雨、地震の災害の概要など気象に関するデータを収録している。

 与那国島では1940年4月に気象観測が始まり、1944年1月の運輸省令で正式に同観測所が設置された。戦時中は空襲によって観測業務の中断を余儀なくされることもあった。
 「64年のあゆみ」はA4判、66ページ。

あじまー通信(石坂さんより)

本NPOの会員である、石坂蔵之助さんから「あじまー通信」創刊準備号が届きました。創刊号は11月1日の発行予定です。

同準備号には次のように書かれています。

「遠く沖縄を離れながら郷里を知るものとして、改まってではなく気軽に、ある時は賛同し、また逆に愚痴とか、異議申し立てもしたい。

そういう場や憂さ晴らし的に「飲み会」的な集まりでも、と思うのが人情ではないでしょうか。その発想の延長から、気軽な情報交流会を定期的に組織的に行いたい。

あるいは、「著名人でなくても庶民の立場で、それなりに発言したい」という方も多いかと思われます。(中略)入退会は自由で、やることは年四回ほど「沖縄のセミナー、座談会、映像鑑賞」等を催すというのが当面の考えです。」

石坂さんは札幌、千葉、沖縄島を拠点にしながら活動されています。同通信は東京に事務所がありますので、お近くの方でご関心がおありの方は、ご参加ください。

島嶼間船舶移動費の高騰

9月30日の沖縄タイムスに、燃料費高騰により、島嶼間の船舶移動費が上昇するとの記事が掲載さrていましたので、お伝えします。

島嶼経済のネックの一つに移動コストですが、原油高騰という外部要因が島の経済を不安定化しております。移動費の上昇は島内の物価高をもたらし、住民生活にも大きな打撃になります。




原油高騰の影響で、県内離島の定期船のうち、四社がすでに値上げ(一時的加算含む)し、自治体運営を含む少なくとも六社が年度内の値上げを検討していることが、沖縄タイムスの調べで分かった。

15―20%加算の実施、検討が中心で、各社担当者らは「売り上げの五割が燃料費」「やりくりはもう限界」と理解を求める。数社が減便も検討しており、住民生活に大きく影響しそうだ。

 フェリーなどの燃料はA重油が中心で、価格は四年前の三倍に膨らんだ。

離島への輸送補助費として、県がガソリン税の一部から年間約八億五千万円、主要十三航路維持のため国、県、市町村で年間約八億円を支援しているが、原油急騰に追いつかないのが現状。

県交通政策課は「国に補助拡大を要望しており、現在、検討されているが、状況は厳しい」との見方だ。

 石垣島―竹富島を結ぶ三社は、燃油価格に応じて料金設定する「燃料価格変動調整金」を七月一日に導入し、15%加算した。大人片道で五百八十円が六百七十円になった。

関係各社は、定期船が町役場や病院、スーパーに通う「町民の足」であり、八重山観光を支える大動脈であることから、値上げでなく、燃油が下落すれば料金を戻せる同調整金を適用した。

 八重山観光フェリーの花城吉治専務は「燃費の割合が売り上げの五割を超えた。経営を圧迫しているが、一方でこれ以上の運賃加算は難しい」と話した。

 粟国村は、村営フェリーを十月一日から20%値上げする。那覇―粟国で大人片道二千七百七十円から五百五十円アップとなる。

昨年度の燃料費は四年前の二倍を超える八千万円、赤字は過去最高の総額一億九千万円に。村担当者は「減便の検討も必要」とし、状況は深刻だ。

 南城市―久高島、那覇―南北大東島も、近く値上げする。南北大東航路を担う大東海運の担当者は「那覇から片道四百キロ。燃費負担は重い。利用者のことを考えると心苦しいが、値上げの方向で検討中」と苦しい胸の内を明かした。

 伊江村は、来年三月から二十四年ぶりに旅客運賃を20%上げる方針。座間味村は、年内に15%値上げを検討中で、うるま市―津堅島も15%引き上げを年内にも国に申請する予定だ。

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