西浜さんから沖縄通信が届きました。
![写真②_10月18日_第219回「辺野古に基地を絶対_つくらせない大阪行動」での筆者[1]](http://blog-imgs-40.fc2.com/r/y/u/ryukyujichi/20081020065205s.jpg)
西浜さんが第219回「辺野古に基地を絶対_つくらせない大阪行動」でチラシを配布しているところです。
西浜さんは奄美大島、伊江島とゆいまーるの集いに続けて参加され、西表島での集いにも参加される予定の方です。大変、行動的で、信念の強い方であるとともに、ユーモアもあり、周囲の人を笑わせ、和やかな雰囲気にしてくれます。
西浜さんが発行している「沖縄通信」が届きました。西浜さんが自分自身で体験された講演、活動等に基づいた通信です。
琉球のプロテスタント教会をめぐる講演会についての西浜さんの記事は大変、興味深いものでしたので、その一部を抜粋してお伝えします。
西浜さんの「沖縄通信」を読みたい方は私に問い合わせてください。
琉球へのキリスト教の布教はベッテルハイムの時代だけでなく、戦後の米軍統治時代においても活発に行われ、琉球の宗教との融合もみられるなどの事例があります。
1.来年(2009年)は、プロテスタント日本伝道150年ではなく163年です。
10月7日(火)に、講演会「ベッテルハイムの琉球伝道9年間を学ぶ」が開かれる。
10月7日(火)午後6時半より、大阪教区社会委員会と沖縄交流・連帯委員会共催のもと、東梅田教会において講演会「ベッテルハイムの琉球伝道9年間を学ぶ」が沖縄より石川教会・村椿嘉信牧師を講師に招いて開かれました。
日本基督教団は、来年2009年をプロテスタント日本伝道150年として記念行事や記念出版を企画していますが、「プロテスタント日本伝道150年」という場合の「日本」とは何を指すのでしょうか。そこには「沖縄」は含まれるのでしょうか、含まれないのでしょうか。
「日本」とは、有史以来自明のものとして存在し続けてきたものなのでしょうか。このことは「日本基督教団」という場合の、「日本」とは何を指すのかという問題と密接な関係があり、合同のとらえかえしの中で問うてきたことです。
ベッテルハイムが沖縄で宣教を開始してから、来年2009年で163年になります。1846年5月1日に、ベッテルハイムは当時薩摩藩の支配下にあった琉球王国の那覇に上陸しました。当時の琉球王国は1609年の島津侵攻以後、幕藩体制に組み込まれていました。
そして来年2009年は「島津侵攻400年」に当たります。
ベッテルハイムの宣教により、琉球では1851年にプロテスタントの信仰を表明した者(琉球王府の役人であった崎浜秀能)が、キリシタン禁制の施策をとった江戸幕府の命令によって殉教するという事件が起きています。
また、ベッテルハイムの1853年の書簡には「私は琉球人4人に洗礼を施しました。那覇で3名、首里で1名」とあります(日本基督教団「プロテスタント日本伝道150年」パンフによると、1865年に「最初の邦人受洗者が与えられる」とあるが、それよりも12年も前の出来事)。
それ故、2009年を「プロテスタントが日本において伝道を開始してから150年に当たる」と見なすのではなく、「プロテスタントが琉球や日本において伝道を開始してから163年に当たる」とするのが当然です。
少なくとも、1969年に当時の「沖縄キリスト教団」と旧「日本基督教団」が合同したことを前提に考えるなら、「日本宣教150年」という表現は「沖縄」を排除していることにほかならないといえます。
ぼくは琉球大学大学院在学中、『欧米と琉球の異文化接触特論』という講義を受講しました。こんな講義は多分沖縄でしか受講できないと思います。教員は琉球大学名誉教授の照屋善彦さんでした。
先生はベッテルハイム研究の第一人者です。受講生も二名だけだったので本当に家族的な雰囲気のもとで講義がおこなわれました。
この講義で『琉球におけるペリーとベッテルハイム』、『ベッテルハイムの伝道と聖書和訳』、『英宣教師ベッテルハイムの琉球観』、『19世紀琉球の風俗-欧米人の見聞録-』『欧米人の琉球観-19世紀初期と中期-』、『琉球に於けるキリスト教の布教と中国-1840~1860年代-』、『19世紀琉球における欧米との異文化接触』など、先生の論文を学びました。
現在、沖縄教区議長である村椿嘉信牧師は、沖縄教区の見解として、2009年に、長崎や横浜のキリスト者が自分たちの地域の「宣教150年」を覚え「記念行事」を行うことは理解できるが、
①沖縄教区の私たちにとっては「150年」ではない。②特定地域の記念行事を「日本」全体のこととして覚えることは、別の地域を切り捨てることにもなり、おかしなことだ。
③キリスト教の日本への宣教が、さまざまな経緯をたどって為されたことを想い起こす時、そもそも「150年」というように歴史を区切る必要があるのか。大切なことは、ていねいな歴史の検証であり、過去の事実を踏まえつつ、未来に創造的に関わることだ。と10月2日付沖縄教区議長から各教区議長宛文書で述べていますが、まさしくその通りだと思います。