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プロフィール

Yasukatsu Matsushima

Author:Yasukatsu Matsushima
1963年琉球石垣島生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。

その後、東京、グアム、パラオ、沖縄島、静岡、京都、滋賀にて学び、働き、生活する。

著書に『沖縄島嶼経済史―12世紀から現在まで』藤原書店、2002年
『琉球の「自治」』藤原書店、2006年
『島嶼沖縄の内発的発展―経済・社会・文化』(編著)藤原書店、2010年、
『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』早稲田大学出版部、2007年
『琉球独立への道』法律文化社、2012年
『琉球独立論ー琉球民族のマニフェスト』バジリコ、2014年
『琉球独立ー御真人の疑問にお答えします』Ryukyu企画、2014年
『琉球独立宣言ー実現可能な5つの方法』講談社文庫、2015年
『民際学の展開ー方法論・人権・地域・環境の視座から』(編著)晃洋書房、2012年
『琉球列島の環境問題ー「復帰」40年・持続可能なシマ社会へ』(編著)高文研、2012年
『3・11以後何が変わらないのか』(共著)岩波書店、2013年
『島嶼経済とコモンズ』(編著)晃洋書房、2015年
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琉球の失業問題

4月22日の琉球朝日放送で島の失業問題について特集がありましたので、お伝えします。
現在も琉球の失業問題は非常に厳しい状況にあります。



新年度が始まりましたが、去年雇い止めや解雇で仕事を失った求職者にとっては、今だ、厳しい雇用情勢が続いています。雇用情勢の今を取材しました。

新年度が始まる中、雇用情勢の悪化に歯止めがかかりません。去年失業し、求職活動を続ける求職者は、依然、厳しい状況に置かれています。しかし、こうした中、新年度に入り、求職者の中にも新たな動きが出てきました。

玉城学さん「きょうの昼、帰ってきた時郵便受けに入ってましたね。」

県内に住む、玉城学さんにはこの日、定額給付金の通知書が届きました。玉城学さん「現状考えると、やっぱ、食料品とか、必要なものでなくなっちゃいますよね、本当に。」

30代前半の玉城さんは、雇い止めとなった去年の12月末まで10年以上にわたり、派遣従業員として本土の自動車工場などで働いてきました。沖縄に帰り、失業者に対する住宅支援措置で県営住宅に入居。連日のようにハローワークに通っていますが、状況は厳しさを増しているといいます。玉城学さん「まあ確かに以前のときよりは少ないというのは、感じてますね。」

一方で、玉城さんは失業してから、自分が変わったと話します。1週間分録画予約しているニュース番組。時間さえあれば、ニュースで世の中のことを知ろうと思うようになったことも大きな変化です。仕事についての考え方も変わりました。

玉城学さん「今まで、全く、生活できればいい、ていうことで、結構派遣に身を閉じてたっていう、結構、自分からしても反省すべき点はあるんで」「いろんな、結構、派遣社員がらみの事件が多かった年でもあったじゃないです。やっぱ、そこで、一番考えるきっかけにはなってますもんね」今は、県内で、時間をかけてでも自分にあった仕事を探したいと話します。就職活動のセミナーにも参加するようになりました。

玉城学さん「多少収入は少なくとも、やっぱり安定した収入、そこそこのね、得られれば一番、無難ですよね」「あとは人並みに生活が送れるようになれる。もうそのことにつきると思います」

先月発表された県内の失業率は7.8%。有効求人倍率は0.31倍と厳しさを増す一方の雇用情勢。しかし、そんななか、今県内の求職者には新たな動きが見えています。

今月9日に開かれた、県立浦添職業能力開発校の入学式。現在県内にある、こうした公共の職業訓練校は4か所。それぞれ県と、雇用能力開発機構が運営しています。北谷町にあるポリテクセンター沖縄。求職者を対象に半年、もしくは3か月といった短期間で実践的な技術を習得させ、再就職を支援しています。ポリテクセンター沖縄は、今年度、定員を800人と急増させました。

清水訓練課長「こういう雇用情勢ですのえ、そういった新しいですね、手に職をつけて、再就職を目指す方っていうのは増えているかと思うんですね」 

モノづくりから、ホワイトカラーまで全17コース。入所者の就職率は、不況に突入した昨年度も85%と、常に高い数字を保っています。

伊波さん「いろいろ面接だとか、ここに入る前にも結構回らしていただいたんですけど、やっぱりどこも厳しいみたいで、技術のない人をとってる余裕はないということで、先にじゃあ、技術を習得してから仕事の方を探そうかなと思って」

こちらは、ビジネスワーク科。3か月で、経理や財務、簿記などの知識と技能を身に付けます。受講者は、ほとんどが女性です。一般に職業訓練といってもコースによって雰囲気はずいぶん変わります。一方こちらは、セールスビジネス科。営業のスキルやビジネスの現場で使える様々な技能の習得を目指します。職業訓練は、全てのコースで授業料や実習教材費は無料。去年からの不況を機に、訓練校の存在を知った入所者も多いといいます。

訓練生「トヨタの関連工場にいたんですけど、不況で、続けるのがむずかしくなって、で、沖縄帰ってきて仕事を探したんですけど」「なかなか資格がないと難しいので」訓練生「滋賀県で、液晶ガラスの製造ですね。をしてました。派遣です」訓練生「よりよい条件で、再就職できるようにここで頑張りたいなと思っています。」

清水訓練課長「1からですね、基礎からですねしっかり身につけて、技術を身につけて再就職したいという方ばかりですから、そういう意味では、訓練に対する意欲と言うかそういったものは非常にかんじられますね。」

こちらは、電器システム技術科。最も人気が高いコースです。6ヶ月間で、コンピューターのハード、ソフト、いずれにも対応可能な人材の育成を目指します。

こちらの男性は、去年本土で雇い止めにあい、1月に入所しました。「期間従業員で、愛知県の方に行ってて」「何か資格、手に職持ってる方が、芸は身を助けるじゃないですけど、そういった感じのニュアンスはずーと持ってたんで。」

今は、システムエンジニアを目指しています。多くの県出身出稼ぎ労働者を襲った今回の金融不況。有効な雇用創出策の早急な実現が求められる中、求職者も確実に、新たな一歩を歩み出しています。政府は総選挙をにらんだ様々な目先の景気対策を強調していますが、本当にいま、必要なのはこれからの若者たちに対する息の長い雇用創出策ですよね。早急な対策が求められます。 

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ナウルのスリランカ人、PNGと豪州と中国、パラオのエコツーリズム

07年9月の太平洋諸島ニュースをお伝えします。



9/6 PIR
 ナウルの難民施設にいるスリランカ人がハンガーストライキを起こしている。

ナウルの難民施設にいるスリランカ人は、豪州政府が自分たちの難民問題を解決するのをいつまでもち続けるよりも、死んだ方がましであるとしてハンガーストライキを行っている。

スリランカ人難民82人のうち55人がストライキに参加しており、一日に2杯のお茶しか飲んでいない。彼らは豪州政府が自分たちの求めを受け入れない限りストライキを止めないと主張している。「太平洋解決」と呼ばれている、豪州政府がナウルに設置した難民施設は、豪州に正式に認められていない難民ボートが豪州に着岸するのを防ぐために設置されたものである。

ハンガーストライキが原因で6人のスリランカ人が病院に担ぎこまれた。



9/10 PIR
 豪州がパプアニューギニアにおける中国の影響力拡大に懸念を示している。

パプアニューギニア(PNG)のソマレ首相は、中国の胡錦濤国家主席と会談した。ソマレ首相は、PNGと豪州との関係は厳しくなるかもしれないが、今後とも「ルック・ノース」政策を実行することを強調した。

豪州政府のダウナー外相は、太平洋島嶼国に対して中国がインフラ関係の援助を増大していることは好ましいことであると述べた。

また同外相は、「これまで我々が島嶼国におけるガバナンスの改善を支援してきたが、中国がさらにこの分野に対して支援を行い、島嶼国のガバナンスを悪化させないことを我々は希望している。中国政府の援助によって、島嶼国の汚職がなくなり、グッド・ガバナンスが実現されることを望みたい。」と述べた。


9/10 PIR
 パラオのエサール州においてエコツーリズム・クルーズが始まった。

エサール州と、日本の投資家であるツアー・バンク・システム・パラオが9月6日、パラオでは最初となる、ジャングルの中の川をボートでクルージングするエコツーリズムが始まった。

クルージングが行われるシミズ川とその周辺には多くの歴史があり、生物も多様であり、ワニも生息している。戦前は、日本人農家が、パイナップル工場、タピオカ加工場で働いていた。また川の周辺には韓国人も住んでいた。

クルージングの中で発電所の跡、製材所などの歴史的遺跡を見ることが出来よう。

奄美大島の龍郷町で40年ぶりの田植え

4月18日の南海日日新聞において40年ぶりに田植えが行われたとの、うれしい記事がありましたので、お伝えします。今後の村おこし隊の活躍が期待されます。




龍郷町の龍郷集落で十七日、約四十年ぶりに田植えが行われた。長く放置されていた休耕地の一部を、有志が草刈りの段階から整備し、「田んぼが広がっていたかつての風景をいま一度」という集落の夢に向け、新たな一歩を踏み出した。

 田植えが行われたのは龍郷小学校グラウンドそばの五アールほどの一画。村おこし隊(宇都宮英之会長)の呼び掛けで地域の老若男女約三十人が参加した。冒頭には龍郷小の児童二十六人も足を踏み入れ、恐る恐る泥の感触を体験した。

 同集落では約四十年前までは二十ヘクタールもの水田が広がり、隣近所が協力し合って田植えを行う光景は日常的だった。しかし、国の減反政策や高齢化によりその後、「龍郷の米」は姿を消した。

 昨秋、休耕田でのハブ出現が相次ぎ、数人で草刈りをしたことがきっかけで、「田んぼ復活」の夢が始動。根起しの作業を毎日少しずつ続けるうちに協力者が少しずつ増え、「村おこし隊」が結成された。

素人ばかりのため、秋名小学校に何度も足を運び、子どもたちと一緒に授業を受けながら苗を育てた。十一月末から五カ月をかけ、この日の田植えにこぎ着けた。

 宇都宮会長は「田んぼの復活が続けば、将来それを糧に子どもたちが集落に帰って来る事ができる。小学生の環境教育にも役立てていきたい」と展望を語った。次の田んぼ復活に向け、今後は隣の休耕地の草刈りに取り掛かる予定。

村おこし隊メンバーは現在十数人だが、出身者も対象に広く募り、水稲事業のほか、集落整備などの活動を行っていくという。

 約五十年ぶりに田植えを体験したという小松ツヤ子さん(89)は「入る前は泥に足を取られるかと思ったが、体が感覚を覚えていて作業できた。皆で集まって作業するのは楽しく懐かしかった。また田んぼの風景が戻るとうれしい」と笑顔で語った。

三七の会のメッセージ 2

しかし、日本の歴史の中で奄美の詳細な歴史や支配の実態などはいまだに封印されたままです。

ここ笠利湾からは、奄美と日本の四百年間の歴史の大河が一望に見わたせます。
これからの私たちは、奄美の歴史を一六〇九年を軸にして、沖縄、鹿児島、日本などと堂々と渡りあうことが必要ではないでしょうか。汝きゃ我きゃマージン(ともに)、津代のゆらいを毎年、積み重ねていきましょう。

そして、ここから奄美のシマンチュとしての誇りと未来像を内外に発信していこうではありせんか。

奄美の歴史を知るために、ぜひ読んでいただきたいテキストを二冊、紹介させていただきます。

お二人とも歴史の専門家ではなく、ごく普通の奄美出身のシマンチュです。奄美のシマウタ、八月踊り、暮らしかたなどと同じく、普通のシマンチュの才能はスゴイ!とつくづく思います。

奄美人の一六〇九年から現在にいたる四百年間の歴史とアイデンティティを問うたのが、『奄美自立論』の喜山荘一さんです。薩摩藩の法律(「大島置目之条々」「大島御規模帳」など)によって、奄美は「琉球の仲間ではない、大和の仲間でもない。だが、時と場合で琉球の仲間のふりをしろ、大和の仲間のふりをしろ」と強制されたため、奄美人は無国籍の状態だった。

それを解消するにはそれぞれが還るべき場所を確保すべきだと説いています。

『しまぬ世(ゆ)』の義 富弘さんは「三七の会」のメンバーで、古代から薩摩の奄美・琉球侵略までの歴史を克明に記してくれました。

我々はこの二冊によって奄美の歴史を身近に感じることができるようになったのです。ぜひ、手にされてください。それぞれの歴史を忘れたり知らない者は将来、同じ過ちを繰り返すからです。私たちがつくる歴史は未来からやってくるのです。

「しまぬ世(ゆ)」とは、「しま(シマ&島)の世」のことで私たちの造語です。

奄美には八つの島に、二百五十あまりの部落(シマ)(故郷・ホーム)があります。
私たちは将来、琉球弧(南西諸島)の島々がお互いに寄合って、「しま世界の自立と連帯」のために、「しまぬ世連合」(「しま連」?)のようなゆるやかな連合体ができればいいなと思っています。

私たちが目ざす「しまぬ世の自立と連帯」とは、それぞれの「しま」が自前の生き方でつながっていくことです。

奄美の二百五十あまりのシマは、それぞれの遺伝子を個性的に生きています。
だから、どこの「しま」もユムタ(ことば)や顔がそれぞれに違うのです。

「それは水が違うから」だとウヤフジガナシたちは八月踊りや唄で伝えています。
深い宇宙観に根ざした自然と祖霊への畏敬が「しま」には散りばめられています。
「親先祖拝でぃ、神拝め」ということわざがあります。

「神の上に水がある」とユタ神の阿世地照信さんは唱えました。
「自然ち逆らわんにっし生きりゅんくとぅかもやぁ」
これは、築地俊三さんに「汝んぬしまぬ世とは?」とたずねたときの答え。

「忘れぃんしょんなよ~いしょ(忙)なかぁあたんてぃむ~忘れぃんしょんなよ~しまうた~しまぐち~しまをぅどり~すら~忘れぃんしょんなよ~」と即興の詞で唄ってもくれました。

シマユムタ(ことば)やシマウタには、結(ゆい)の心や太古から「しま」の自然に根を張ってきたしたたかで、しなやかな「しまの力」が秘められています。

私たちは、島宇宙(銀河系)の中の「地球」という一つの「水のしま」で生かされています。これからは、それぞれの「しまぬ世」の多様なつながりで結びの海を渡っていきましょう。

そのためには・・・

二〇〇九年四月十二日(一六〇九年から四百年目に)
     「三七の会」森本眞一郎

三七の会のメッセージ 1

昨日のブログで三七の会の集いについてご報告しましたが、奄美大島に住む森本眞一郎さんから、三七の会集いの当日メッセージを頂戴しましたので、ご報告いたします。森本さん、ありがとうございました。



「しまぬ世(ゆ)」へ!
―奄美大島、津代(シチロ)の寄合(ゆら)いから―
 
今日、ここ笠利町手花部の津代の湊に、内外から多くの方々が駆けつけました。
「三七の会」の一人として、心よりオボコリ(感謝)いたします。
私たちはなんのためにここ津代の地で寄合っているのでしょうか?

ヲゥギ(荻)ハギで忙しい季節、ここ津代から何が問われているのでしょうか?
ワン自身は、現在の自分と明日の奄美のありかたを問うためです。

具体的には、4百年前の一六〇九年旧暦三月七日という日を忘れないためです。

なぜならここ「津代の戦い」は単なるイクサの一つではなく、奄美と琉球諸島の歴史上、まさに天下分け目の戦いが始まり、圧倒的な薩摩軍団による火縄銃の火蓋が切られたという歴史的な時と所だからです。

私たちは「関が原の合戦」(一六〇〇年)を学んできました。が、それは日本国が徳川方と豊臣方に分かれての日本人(ヤマトンチュウ)同士の権力闘争であり、私たち亜熱帯のコーラル文化圏のシマンチュ(島人)とは縁もゆかりもない遠い異国での政権抗争だった、くらいに軽く考えていました。

ところが政権を取った徳川幕府から奄美・琉球侵略のお墨付きをもらった薩摩の黒船軍団が、一六〇九年三月七日、琉球弧のリーフ内に「侵略」してきて、その後大変なことになった、ということなどは家庭や学校でも全く教えられてきませんでした。自分たち自身の固有の歴史をです。

ここでいう「侵略」は、「侵攻」という概念とは中身が全く違います。

「侵攻」とは、アメリカのイラク侵攻のように相手国に攻撃を仕かけてその領土を侵す行為ですが、「侵略」は、自衛でなく一方的に相手国の主権・領土や独立を奪う行為のことです。

奄美の島々は大島各地と徳之島での戦いに敗れ、薩摩が直轄して経営する植民地(領土)となり、現在の日本国鹿児島県民になったのでした。琉球国は明治十二年に日本国に併合(廃国置県)されました。ですから、北海道でシャモ(和人)に抵抗しながらも併合されたアイヌの歴史と同じく、四百年前の琉球弧各地での戦いは、厳密な意味で琉球弧の主権・領土・独立の侵略にあたります。

国連の人権委員会は二〇〇八年十月三十日、日本政府に対して「アイヌ民族および琉球民族を国内立法下において先住民と公的に認め、文化遺産や伝統生活様式の保護促進を講ずること」と勧告しました。

人種差別・マイノリティーの権利として「琉球民族」が明記されるのは初めてです。勧告では、「彼らの土地の権利を認めるべきだ。アイヌ民族・琉球民族の子どもたちが民族の言語、文化について習得できるよう十分な機会を与え、通常の教育課程の中にアイヌ、琉球・沖縄の文化に関する教育も導入すべきだ」と求めています。

さらに、ユネスコでは今年の二月二十一日、私たちが話している「シマグチ」も日本語の「方言」ではなく、独立した「奄美語」であり、しかも絶滅の危険にあると発表したのです。

一六〇九年以降、我々の環境と暮らしぶりは、哀れなまでに変わりましたが、薩摩はなぜ奄美・沖縄を侵略したのでしょうか?

その背景は色々あるようですが一点だけあげますと、薩摩藩の財政赤字がありました。赤字の原因も一つだけあげますと、過剰な武士団の存在がありました。全国の士分は平均して人口の0,5%(千人に1人)でしたが、当時の薩摩藩はなんと40%(千人中四百人!)も占めていたのです。

明治維新の前後には島津家の殿様たちや、ヒロイン篤姫・ヒーロー西郷隆盛など数々の物語が生まれました。しかし、薩摩藩の超級のドル箱だった奄美の黒砂糖地獄の下支えがあったればこその物語りです。

明治以降、日本の士族たちは官僚や軍部となり、今度は台湾・朝鮮・中国などアジア各地に侵略していきました。それを可能にしたのも、薩摩藩が奄美・沖縄を一六〇九年に侵略したことで、異国での植民地経営のノウハウを蓄積していたからです。

明治から戦前になっても、奄美には鹿児島県の予算を回さないという独立経済の差別と支配が続きました。

米国軍政府から復帰して五十六年目の現在も、「奄美群島振興開発特別措置法」によって、日本国と鹿児島県による世界でも貴重な奄美の資源を収奪する環境破壊が続いています。

薩摩侵攻から400年、奄美市笠利町津代古戦場跡で慰霊の集い

4月14日の南海日日新聞におきまして、薩摩軍の侵略による犠牲者に対する慰霊祭に関する記事がありましたので、ご紹介します。森本さんの三七の会は、以前から薩摩軍侵略に対して強い思いを持って、慰霊祭、調査、集い等をされてきました。



二〇〇九年は薩摩軍の奄美、琉球侵攻から四百年の節目にあたる。奄美大島の「三七(みな)の会」(事務局・森本眞一郎さん)は十二日、薩摩軍が上陸、戦闘があったといわれる奄美市笠利町津代で「慰霊のゆらい(集い)」を開催した。

参列した人々は戦闘で犠牲となった先祖の霊を慰めるとともに、「四百年を奄美の将来を考える契機にしよう」と訴えた。

 「三七の会」は薩摩軍が上陸した一六〇九年の旧暦三月七日にちなんで命名。一九九七年から「ゆらい」を続けている。ことしは薩摩軍の侵攻四百年ということもあり、七十人を超える人々が参列。関東や関西、徳之島からも駆け付けた。

 「ゆらい」にあたって朝山毅・元笠利町長は「奄美の人々はかつて自分たちの歴史や文化、出自に自信の持てない時期があったが、今の子どもたちは違う。堂々と『奄美大島の出身』と言える。それは皆さんが誇りを持って伝えたからだ。将来に希望を持ち、津代を連携の地にしたい」とあいさつした。

 三七の会の薗博明さん(74)は「十三年前、山の中で人骨を見たことがきっかけになり、ささやかな催しが始まった。先人たちが必死になって子孫を守ろうとした思いを受け継ぎ、これからの奄美を考えるステップにしたい」と訴えた。

 島唄の唄者・築地俊造さんが「よいすら節」に乗せて鎮魂歌をささげた後、参列者がそれぞれソテツ葉を“献花”。笠利の「いっちゃりょん会」(橋口勝会長)は八月踊り、六調を披露した。「ゆらい」に続いて「語る会」があり、出席した人々は「シマンチュとしての誇りを内外に発信していこう」と申し合わせた。

 薩摩軍は一六〇九年三月七日、奄美大島に入った。津代湊には総大将の樺山久高の船団が入ったといわれている。西藩野史(薩摩の記録)は津代では笠利の大親が三千人を率いて応戦したが、鉄砲の前には歯が立たずに敗走した、と伝えている。

ベネズエラと太平洋諸島、パラオのタイヤリサイクル、PNGと日本

07年10月の太平洋諸島ニュースです。
米国と対立する独自な外交戦略を展開しているベネズエラと太平洋諸島との関係についてのニュースです。アジアなど太平洋の西側諸国と島嶼国との関係だけではなく、太平洋の東側の国々と島々との関係をもみなくてはなりません。



10/22 PIR
 ベネズエラのチャベス大統領が豪州の太平洋地域への影響力行使に対して挑戦している。

チャベス大統領は、島嶼国に安価な燃料を輸出するという外交戦術により、豪州の太平洋地域への影響力行使に対して挑戦している。

トンガで開催された第38回太平洋諸島フォーラムにおいて、ベネズエラ政府外務省のアジア、中東、太平洋担当副大臣は、欧米諸国の太平洋地域における「支配」を終焉させるためにベネズエラ政府は支援を行う用意があると発言した。

同副大臣は、島嶼国と交渉する上で、大国から「許可」を貰う必要はないと述べた。ベネズエラは今回のフォーラム総会にはオブザーバーとして参加した。ベネズエラ政府は、石油産業を国有化し、世界で最も安い価格で石油製品を輸出している。

ベネズエラ政府は島嶼国に安価な石油製品を輸出することで支援したいと同政府の副大臣は述べた。


昨年、学生とパラオに行った時に、タイヤ以外の他の廃棄物のリサイクル活動も実践されており、琉球の島々でも参考になると思います。


10/23 PIR
 パラオから古タイヤがリサイクルのために日本に輸出される。

日本のNPOであるEscotが2年間の活動をした結果、パラオにある古タイヤを「商品」としてリサイクルするために日本に輸出することが可能になりそうである。このリサイクル計画を作成し、活動している井口氏が、日本の国分商会と交渉しており、日本に輸出された古タイヤは燃料として利用される予定である。今年11月に500個の古タイヤが第一段階として日本に輸出される。


PNGに対して豪州は援助だけでなく、政治経済、軍事、行政にわたり影響を与えています。日本はPNGのみならず、他の島嶼国に対しても多額の援助金を提供しており、それがどのように使われるのかが注目されています。


10/29 PIR
 日本とパプアニューギニアとの友好関係が強化されている。

マイケル・マウベ駐日パプアニューギニア大使は、パプアニューギニアと日本は現在の友好関係をこれからも継続していくだろうと述べた。同大使は、日本は豪州に次いで二番目に多くの援助金を提供しており、パプアニューギニア政府は、同国内でのオイスカの活動を全面的に支援していると述べた。

日本の国際協力銀行、日本石油開発会社等からなる企業グループは、多額の資金をオイスカに提供することで、環境保護啓蒙活動を支援している。同大使は、「日本の企業はわが国が有している資源を必要としており、我々は川下産業を形成するために日本企業の技術、知識、資本を必要としていることを国民は理解すべきである。我々はビジネスの話が出来る共通の基盤がある。」と語った。

キリバスの旱魃、グアムの基地増強とミクロネシア、台湾と太平洋諸国

07年10月の太平洋諸島ニュースをお送りします。気候変動で旱魃が島々で増えているような気がします。コプラとは、ココナツの実を乾燥させたもので、島嶼国の主要な輸出品の一つです。



10/11 PIR
 キリバスで旱魃が続き、コプラ産業が被害をうけている。

キリバスの南部環礁において旱魃が続き、コプラ産業が被害をうけている。これらの環礁における主な収入源はココナツであるが、現在までに甚大な被害が発生している。

キリバスは中西部太平洋において、三つのグループからなる島国である。ギルバート諸島、無人島のフェニックス諸島、ライン諸島等である。

1999年にもキリバスは大旱魃におそわれ、同国政府は100万米ドルの予算を投下して、短期的な救済措置として海水の淡水化装置を購入した。今年の旱魃により、同国の南部におけるコプラの貿易量が急激に減少している。

その結果、コプラを海外に輸出しているキリバス・コプラ協会、ココナツ関連商品を製造しているキリバス・コプラ工場も影響を受けるだろう。


グアムにおける基地機能の増強は、グアムだけにその経済的影響がとどまるのではなく、周辺のミクロネシア諸地域にも及び、近代化、開発の影響を与えることが予想されます。



10/11 PIR
 グアムにおける軍事機能の強化がミクロネシア地域に影響を与えている。

米政府の内務省が実施した会議に参加したミクロネシア諸島の人々が、グアムで計画されている基地建設からの経済的恩恵に期待する声をあげた。

ミクロネシア諸島に対する経済的恩恵は、軍事訓練の実施を通じてだけでなく、観光、海運・空輸等を通して及ぶであろう。パラオ政府は、同国内にある無人島を米軍の軍事訓練場として提供することを提案し、また、多くの米軍人、その家族が休暇で同国を訪問することを歓迎している。

これらの人々がパラオを訪問すれば、ボートや車のレンタルのようなサービス業が潤い、商品の売り上げも増大するとの期待もある。グアムには現在、1万4千人の軍人がいるが、将来は4万人に増えると予想されている。

また、グアムにおける基地建設のために、さらに1万2千人の労働者が必要とされよう。


太平洋諸島フォーラムとは、太平洋島しょ国と豪州、ニュージーランドが参加する国際機構であり、毎年総会を開いています。総会には、日本、中国、台湾等、域外国も参加し、島嶼国と協議を行っています。


10/20 PIR
 台湾を支持する島嶼国が、太平洋諸島フォーラムにおいて台湾を域外対話国としての地位を認めるよう求めた。

台湾と外交関係を有している太平洋島嶼国は、太平洋諸島フォーラムにおいて、台湾が域外対話国として扱われるよう求めている。

第15回台湾―太平洋諸島フォーラム島嶼国会議の後に実施された記者会見において、台湾と外交関係を有している6つの島嶼国は、台湾を域外対話国にするように求めた。6カ国の共同声明では、台湾との会議がフォーラム総会会議場とは異なる場所で実施されている現状は、他の太平洋島嶼国と同等の資格を有するこれら6つの島嶼国に対する軽視の現われであり、台湾を総会議場に招いて会議に参加させるべきであるとした。

台湾政府がソロモン諸島のソガバレ首相を台湾に招くことで、総会を欠席させ、フォーラム総会を混乱に招いたという批判に対して、台湾政府側は次のように述べて否定した。つまり、ソガバレ首相は自国にとって重要と思ういかなる会議にも参加する権利があると。

台湾政府は、2008年の初頭において、太平洋島嶼国に対する年間100万米ドルの援助に加えて、165000米ドルの追加援助の提供を行うだろう。

ハンセン病と琉球の自治

11月15日の琉球朝日放送でハンセン病についての報道がありました。伊波さんと同じく、法律によってではなく、住民の自覚、自治によってしか問題が解決しないのではないかと思います。この問題の当事者とは差別される側だけでなく、差別をする側も当事者です。




差別を解決する手立てとして4月にハンセン病問題基本法が施行されましたが、法律だけに頼るのではなく、回復者と周りの人が普通に語ることのできる社会の実現を訴える長野在住の作家・伊波敏男さんを追いました。

愛楽園ガイド養成講座の講師として招かれ、先月沖縄に帰った伊波敏男さん。高校進学を決意し、強制隔離されていた愛楽園から脱出して49年ぶりに園を訪れました。

伊波敏男さん「法律まで作り、社会政策までして、人を特別な場所に隔離までして進めてきたハンセン病の問題。だから判決出たとか、国が政策転換したとか、法律が変わったからって、そんな簡単に刷り込まれた意識が変わるなら苦労はない」

49年ぶりに訪れた愛楽園。伊波さんは講演会の冒頭、その気持ちを語りました。

伊波さん「いま、とても不思議な感慨にとらわれています。私は49年前にこの愛楽園を逃げ出し、きょうこの場に立っているわけで、長い間提出をしなかった宿題を出しにきた気分です」

伊波さんが入所していた沖縄愛楽園は、1938年、ハンセン病の療養施設としてつくられました。入居者は現在264人。平均年齢は79歳です。


糸数宝善さんは今から70年前、16歳で愛楽園に入所しました。ちょうど愛楽園が開園した年です。戦前から戦争、そして戦後という長い時間をこの愛楽園で過ごしてきました。

糸数宝善さん「社会(園外)に出る時はこの左手をポケットに隠す、今でも。このために私たちは人間として認められず、人から白い目でみられたわけですから。これは昔から隠しているから、それがひとつの癖になっていて」

糸数さんが結婚したのは1950年。ほどなく授かった子どもを出産させようと、故郷の久米島に妻と帰りたいと糸数さんは実家へ手紙を出します。しかし、母からの返事は糸数さん夫婦にあらためて差別の実態を突き付けました。

糸数さん「『今さらあんたがこういう形で戻ってきたら、忘れかけている昔のいやな思いがまた持ち上がってくる。あなたには申し訳ないのだけれど、そちらで処置してください。すみません』と言われたわけです」

社会から隔離され、迫害を受けたもと患者たち。ハンセン病に対する無知と偏見は、彼らの心に大きな傷を残しています。そしてそれは簡単に癒えることはありません。


入所者の高齢化が進むなかでこれから療養所をどうするか、どう地域に開放していくかが緊急の課題です。

7年前から愛楽園は病棟部を一般開放し、外来診療を行っています。これをもとに基本法施行後は、高齢化した入所者や再入所者、もと患者と地域住民が触れ合う地域の医療センターを構築したい考えです。しかし、予想に反し外来患者は現在1日に数人。13人の医師がそろう診療所には外来のない日もあります。

愛楽園自治会・金城雅春会長「アンケートや名護市の策定部会での聞きとり調査をみたら、“愛楽園がなにかわからない”という答えが多かった。地域住民の間でも愛楽園がよく理解されていなかったんだと」

記憶の失われる理由のひとつに、長い隔離政策の歴史の中で、家族や地域がもと患者の存在を社会から封じてしまう風潮があることを指摘しました。

金城会長「家族もそういう偏見・迫害の目にあっている。こういうことが表立ってくると、また同じ事が起きないか、という心配があると思います。社会がそういう仕打ちを過去にやったわけですから」



伊波さんは数年ぶりに甥や姪夫婦を訪ねました。幼いころから伊波さんを慕う甥や姪。

山城あけみさん「『昔は国の過ちがあったんだよ』と聞かされたり、本を読んで、大変な時期があったんだと。でもそういう大変なことを体験して、いま元気にしてるので、とても勇気づけられる」

伊波さん「私だけが、こんな普通の出会いや幸せ感を持ちたくはない。他の人がみな同じになるといい」

伊波さんは講演で、もと患者が「語り継いでいくこと」の重要性と、そのために家族や近しい人の理解がどれだけ重要かを訴えました。

伊波さん「普通に生きる、普通にハンセン病を語れるのは、私が勇気があるからではないんです。私を支えてくれる家族がいる。会場には甥っ子がたくさん、嫁さんも子どもも連れて来てくれてる。おじさんが喋るのは最後かもしれないといって。私はそれを聞いてとても誇らしい気持ちです、誇らしい」



講演後、会場からひとつの質問がありました。「ガイドとして今後、当事者とどう向き合っていったらいいか」という質問に、伊波さんは当事者は患者だけではないことを強調しました。

伊波さん「(患者や家族に対し)もう一つの大事な当事者は皆さんです。無関心で、このことを許してきた国民の一人としての当事者。ですからふたつの当時者が一緒になって取り組まないと、この問題は解決しません。普通に皆さんと喋れる幸せを、日本のハンセン病患者の皆さんが体験してほしい。これが私の最後の夢です」

差別と偏見に満ちた国策と法律を「無関心」で許容してきた私たちも当事者。伊波さんの言葉が胸に残ります。

まぎれもない当事者であった私たちが今後、何をすべきか。ハンセン病は勿論、そして他にも残る「差別」の問題に関心を持つこと、すべてはそこから始まるのではないでしょうか。

米軍基地とコザ・ロック

3月19日の琉球朝日放送において、「ひげのかっちゃん」の店が閉店したとの特集がありましたので、お伝えします。



沖縄ロックのシンボル的存在の「ひげのかっちゃん」。そのかっちゃんが28年営業してきたライブハウスが先週で閉店しました。背景には基地の町・コザの厳しい状況がありました。

音楽の町・コザ。嘉手納基地の入口につながる「ゲート通り」には多くのライヴハウスがありました。

その代表格とも言える店が、ここ「ジャック ナスティー」。今夜もかっちゃんのパフォーマンスが炸裂します。

ベトナム戦争、荒れる米兵たち。沖縄全体にのしかかるアメリカ軍の重圧をはねのけるようなパワフルなステージで、一躍スターダムにのし上がった人気バンド「コンディション グリーン」。圧倒的なテクニックと度肝を抜くパフォーマンスは伝説にもなっています。

65歳になる今も、現役のロッカーであるかっちゃんですが・・・。

かっちゃん「ドルも下がったし、オフリミットも続いている。夜12時以降もあけたいんだけど、米兵は11時には帰れって言われている。憲兵が『閉店だ、さっさと帰れ』と入ってくる。『お前が帰れ』と言いたくなる」

ウィリーさん「もう大変。売上げも3分1に減った。ほかの店とかいっぱいつぶれちゃった。コザはもう駄目よ。新しいとこ行ったほうがいいと思う」

去年2月の暴行事件から始まった夜間の外出制限が1年たった今も続いていて、これは過去最長記録。加えてアメリカ経済の悪化、イラク戦争の拡大と、基地の町は厳しい状況が重なっています。

通り会・我喜屋会長「一昨年くらいからそれは身にしみています。イラク戦争が拡大して、海兵隊が送り込まれるようになってから、徐々に景気は落ちてきていた。今年になってから立て続けに閉めるところが出て来ました。すごく不景気という気はします」

コザの顔・ゲート通りにはこれまでなかった空き店舗も出て、路上生活者の姿も目立つようになりました。ライブハウスも減り、音市場からも音楽系の店舗が撤退してゲームセンターが入るなど「音楽の街・コザ」が揺らいでいます。

かっちゃん「別の名前は忍者屋敷」

ジャック ナスティー最後の日、かっちゃんは秘密の部屋を見せてくれました。

ステージにつながる裏口の階段。実はここは板をおろしてマットを広げれば・・・ベッドに早変わり。

かっちゃん「(Q:別のお家もあるんですか?)ないです。いまここだけ」

続けたくても、経営が限界まで来ているというかっちゃん。この日は店の売り上げ130ドルを両替しに来ましたが、ドル安が直接響きます。

同じくゲート通りで、こちらは16年続いているライブハウス「JET」。やはり去年は経営が厳しかったそうですが、かっちゃんには何とか店を続けてほしいと言います。

ターキーさん「信じられない。絶対信じられないな」

こうちゃん「嘘だよお。おれも嘘だと思うね」

ターキーさん「かっちゃんが閉めるわけないでしょう。俺達、10年前にもにも今日でもう最後っていうから、パーティーを一緒にやったことあるんだよ。翌日また開けてた」

ジャック ナスティー、最後のステージ。かっちゃんは客に別れを告げることなく、いつものようにステージは進行しました。

店は閉めても、生涯現役でロッカーをつづけるというかっちゃん。しかし、コザロックの象徴だった店が消えたことは一つの時代の転換を感じさせます。

このニュースが誤報になってもいいから、ぜひ、また店を続けてほしいです。

第5回ゆいまーる琉球の集いの参加申し込み

本NPOの事務局の藍澤さんから皆様あてに、5月に沖永良部島で開催されます集いへの参加申し込みのフォームをお送りします。これまで個別に私にメールにて申し込みをされた方は結構です。ホテル、航空券など予約は各自でお願いします。



関係者のみなさま

龍谷大学松島研究室「ゆいまーる琉球の自治」事務局の藍澤です。
いつもお世話になっております。

来月に企画されている「ゆいまーるの集い」のチラシ等が完成しましたので、添付ファイルにて
送付します。

ご参加についてのご回答は、下記フォーマットにご記入の上、
本アドレス 藍澤aizawa@ad.ryukoku.ac.jpまでご返信いただければと思います。


※ 参加の可否についてご記入下さい。
1.参 加    2.不参加

※ 参加可能な方へ           どちらかに○をつけてください。
5/15(金) 懇親会(夕食)       参 加 ・ 不参加
5/16(土) ゆいまーるの集い      参 加 ・ 不参加
5/17(日) (午前)島巡り       参 加 ・ 不参加
        (午後)シンポジウム    参 加 ・ 不参加
        (夕食)合同懇親会     参 加 ・ 不参加

ご芳名        (             )
ご連絡先 電話番号  (             )

++++++++++++++++++++++++++++++++++++

では、今後ともよろしくお願い申し上げます。

PNGと中国、パラオの遺骨収集、トンガのカボチャ

07年10月の太平洋ニュースをお伝えします。
太平洋島しょ国の中で最大の資源国であるパプアニューギニアと、経済成長の過程にある中国との経済関係が強化されています。


10/2 PIR
 中国とプアニューギニアとの経済関係が強化されている。

中国から「国際貿易振興のための中国評議会(CCPIT)」の一行がパプアニューギニアを訪問している。12人の代表団は中国の政府、民間部門からなる人々であり、ビジネス、貿易活動に関する意見交換を目的としている。

両国の貿易、経済活動は増大し続けているが、その理由はパプアニューギニアがグローバル経済の流れに適応するために貿易、投資相手先を多様化しようとしているからであるとされている。

パプアニューギニアに対する中国による最大の投資は、中国金属グループが実施しているマダン州におけるニッケル鋼材の開発である。パプアニューギニア政府は、同開発により中国に対する信頼がさらに深まるだろうと期待している。


私がグアム、パラオの日本総領事館、日本大使館働いてきたときにも、日本兵の遺骨が発見されていました。まだ戦争は終わっていません。


10/4 PIR
 日本の団体がパラオにおいて戦時中に亡くなった日本人遺骨を収集する。

ペリリュー州政府は、日本の「南洋交流協会」が海底掘削工事、道路建設、養殖、海運等に関する技術支援や経済支援を実施することを条件にして、同協会が戦時中、ぺリリュー島において亡くなった日本人遺骨を収集することについて合意したことを明らかにした。

南洋交流協会は同島において洞窟を開き、遺骨を収集し、遺骨を日本に送り、正式に埋葬する権利を有することになった。

同協会は、昨晩、パラオの第13回独立記念式典において打ち上げられた花火を寄贈した団体でもある。同協会の滑川会長は、野球道具等をパラオメージャーリーグに寄贈した。


トンガにとって日本と韓国はカボチャ輸出市場として非常に重要になっています。太平洋諸島とアジア諸国との経済関係の強化はこの事例からも分かります。



10/9 PIR
 トンガでは新しいカボチャの品種に期待している。

「オレンジ王子」という名称の新しいカボチャの品種が今月、初めて韓国に輸出され、この品種によって同国のカボチャ産業の再生が期待されている。新しい品種のカボチャ50トンの韓国への輸出は試験的なものである。

もしも新しい品種のカボチャを韓国人が評価したら、トンガのカボチャ産業は再生するだろうと希望がもたれている。「オレンジ王子」と通常の緑色の品種との一番の違いは、新しい方がより繊細な味であることである。

同国の世界貿易社は、今年、全体で600トン(そのうち50トンが「オレンジ王子」、550トンがエピシュ品種)のカボチャを輸出する予定である。エピシュ品種のカボチャはこれまで日本、韓国に輸出されてきたものである。

同社は昨年1000トンのカボチャを輸出してきたが、今年は不作となり、600トンにとどまった。2007年におけるトンガ全体の輸出量は5000トンを目標にしているが、それはトンガにおけるカボチャ輸出の歴史において最低の輸出量となる。

国境をこえた島と島とのネットワーク

4月16日の八重山毎日新聞に八重山諸島と台湾との国境をこえた交流さらに進めるための協定が結ばれたとの報道がありましたので、お知らせします。




【台湾・花蓮市】3市町長と花蓮市の蔡啓塔(ツァイ・チタ)市長は15日、花蓮や蘇澳など台湾東部地域と八重山の間で、直行ルートの定期化などを目指すことを盛り込んだ「国境交流推進共同宣言」に調印した。

台湾東部と八重山の自治体がこれまで1対1で培ってきた交流を圏域間の結び付きに拡大し、観光や文化、経済の交流を強化することをうたったもので、推進体制の構築が今後の課題となる。

宣言は両地域の関係を「国境が隔てる2地域だが、家族のような親密さで付き合いを続けている」とし、「台湾東部・沖縄八重山諸島観光経済圏」の形成を推進するために

▽「国境交流推進拡大合同会議」を年1回、両地で交互に開催し、観光・文化・経済産業の交流推進について意見交換する

▽直航交通ルートの実現と提起。手始めに、修学旅行やスポーツの交流、産業視察のツアーなどの実施に努めることを盛り込んだ。

 同宣言を調印した共同観光生活圏会議は15日午後、花蓮市内で開かれ、台湾政府外交部(外務省に相当)や台東県政府、蘇澳鎮、花蓮の農協や漁協、台湾の運輸会社などの関係者合わせて約60人が出席した。

蔡市長は「両地域の間で、実質的な交流ができるように訴えていかなければならない」と改めて強調し、直行交通ルートの確保が急務との考えを示した。

 両地域間の交流のきっかけを作った外間守吉与那国町長は「与那国だけではキャパが頭打ちだったが、(圏域間の交流によって)キャパが広げられる」、大浜長照石垣市長は「両地域が交流するという構想は、経済交流圏の構築につながる」とそれぞれ期待を語った。

 初訪台となった川満栄長竹富町長は「八重山と台湾の交流が深まれば、両地域が発展する」とコメント。外間町長から台東県との交流について勧められると、「議会に報告し、できるだけ誘導できるようにベストを尽くす」と述べた。

八重山では、石垣市が台湾東部の蘇澳鎮と花蓮港、与那国町が花蓮市との間で友好関係を結んでいる。

与那国町は「自立ビジョン」を策定した2005年3月以降、独自に花蓮や台湾との結び付きを強めてきたが、「圏域レベルで交流する必要がある」と石垣市と竹富町に提起していた。

第5回ゆいまーる琉球の自治in 沖永良部島のチラシ2

 薩摩は奄美諸島と琉球王府との関係を完全に断ち切ったわけではない。薩摩の琉球支配のもう一つの目的は、琉球を介した中国との進貢貿易による経済的利益であったからだ。

奄美諸島は対外的には「琉球之内」であった。最後の冊封使の来琉(1866年)のときまで、奄美諸島から那覇へ、貢物が届けられている。これまで薩摩による差別政策という文脈で語られてきた奄美諸島独特の一字姓についても、東アジアの冊封体制という視野からとらえるべきだという指摘(弓削政己)もある。

飢饉時の奄美諸島と琉球間の連携(救米等)、漂着者の送還をめぐる中国、琉球、奄美諸島、薩摩、朝鮮といったネットワークも形成されていた。

 明治初期の奄美諸島は砂糖自由売買運動、家人解放運動が展開された。近世からの解放運動といってもよい。これらについても、新しい史料の発掘と、通説の見直しが進められている。この時期の沖縄は、琉球藩の設置(1872年)、そして琉球処分(1879年)で揺れ動いていた。

これまで琉球処分と奄美諸島の関係は、ほとんど論じられてこなかった。しかし、奄美諸島も琉球処分とは無関係ではなかった。琉球王府、清国政府、明治政府、鹿児島県は、それぞれの思惑から、奄美諸島の帰属をめぐって動いていた。

琉球王府による「道之島」返還要求、清国政府による琉球三分割案、明治政府(大蔵省)による「大島県」設置構想。鹿児島県による砂糖独占販売を維持するための大島商社の設立も、これらの動きを前提にしたうえで、考える必要があるの。

 明治半ば以降の奄美諸島は、鹿児島との関係では半世紀にわたって、独立財政制度下(1888~1941年)におかれていた。沖縄との比較でみると、奄美諸島の別の姿がみえてくる。租税制度、徴兵制度、参政権について、奄美諸島は「鹿児島県大島郡」として、ほぼ全国と足並みをそろえるかたちで導入されていった。

沖縄県の場合、これらの制度は旧慣温存期を経て、奄美諸島よりも20年前後遅れて、導入された。明治政府は学校教育については、奄美諸島だけではなく、琉球処分直後の沖縄県に対しても積極的に導入していった。

しかし、それを受容する側に目をむけると、奄美諸島と沖縄県では、大きな違いがみられる。薩摩支配を通して<ヤマト化>を進めていた奄美諸島における学校教育の受容は、当初から積極的であった。

ところが、中国との進貢貿易を通して<中国化>を進めていた沖縄県では、日清戦争によって清国が日本国に敗北するまで、小学校への就学率はきわめて低かった。これまで近世の薩摩支配をストレートに現在の奄美諸島へ結びつける傾向があったが、近代における国民国家への包摂という過程を経て、現代に至っているということを確認しておかなければならない。

 敗戦によって、奄美諸島は沖縄とともに日本国から切り離され、米国の占領下におかれた。奄美諸島における復帰運動は、奄美大島日本復帰協議会の結成(1951年2月)とともに、組織的に展開された。

奄美共産党の奄美人民共和国政府樹立論、アナーキストの独立論のほか、東京都帰属論、兵庫県帰属論、宮崎県帰属論があったが、講和条約の調印(51年9月)、発効(52年4月)をきっかけにして、「元鹿児島県大島郡の完全復帰」という実質復帰論が主流となり、53年12月25日、奄美諸島は「鹿児島県大島郡」として日本国へ返還された。

「奄美大島日本復帰についての陳情嘆願書」では、薩摩による琉球侵攻と、琉球処分後の清国政府との分島改約交渉を根拠に、奄美諸島は琉球列島にはふくまれておらず、「古来からの日本領土」であったことを主張していた。この問題は現在まで、不問に付されたままである。

 奄美諸島の「日本国」返還から半世紀が過ぎた現在でも、奄美諸島の帰属(道州制)が問われようとしている。琉球侵攻、琉球処分、復帰運動に続く、帰属問題である。薩摩による琉球侵攻から、400年。

それは過去の問題ではない。奄美諸島、そして沖永良部島の島民たちにとっては、現在の問題でもある。シンポジウムを通して、この400年の意味するものを考えたい。

~高橋孝代著『境界性の人類学~重層する沖永良部島民のアイデンティティ~』から~
                               ← 沖永良部島には、知名町(西側)と和泊町(東側)という二つの町がある。和泊町は、薩摩藩の代官所、また西郷隆盛が島流しにあった町でもあることから、薩摩(鹿児島)の影響が強い。

<帰属意識>
<全体>「鹿児島」47% × 「沖縄」53%
<知名町>「鹿児島」37% × 「沖縄」63%

<和泊町>「鹿児島」56% × 「沖縄」44%
【文化的アイデンティティ(どれだけ愛着や親近感を感じますか)】

ア.非常に感じる イ.どちらかといえば感じる ウ.どちらかといえば感じない エ.全く感じない
<沖縄の歌、踊りなどの芸能> ア(54.5%) イ(39.3%) ウ(5.4%) エ(0.8%)
<沖縄の言葉> ア(30.3%) イ(53.7%) ウ(13.4%) エ(2.7%)

<鹿児島の歌、踊りなどの芸能> ア(4.7%) イ(30.6%) ウ(48.7%) エ(16.1%)
<鹿児島の言葉> ア(6.1%) イ(25.0%) ウ(42.7%) エ(26.3%)

 奄美大島から徳之島、沖永良部島、と沖縄に向けて南下してきた島尾は、琉球により近づくことによって「沖縄らしさ」が、そのまま距離に応じて増大してくるものではなく、むしろ琉球と薩摩(大和)とのあいだで時空間のさまざまなねじれを体現する奄美群島の屈折を、この島(沖永良部島のこと/前利)でより強く意識した。
(今福龍太著『群島-世界論』、112P)

第5回ゆいまーる琉球の自治in 沖永良部島のチラシ1

前利さんが作成された集いとシンポジウムのチラシを2回にわたりお伝えします。



琉球侵攻400年シンポジウム(沖永良部島)
<琉球>から<薩摩>へ
~400年(1609~2009)を考える~


期日:2009年5月17日(日)13:30~17:00
会場:おきえらぶ文化ホール・あしびの郷ちな
基調講演①「薩摩にとって、1609年」(原口 泉・鹿児島大学教授)
基調講演②「琉球にとって、1609年」(豊見山和行・琉球大学教授)

【パネルディスカッション】 
パネリスト:①豊見山和行 ②原口 泉 ③弓削政己(奄美諸島史研究家)
       ④高橋孝代(第35回伊波普猷賞受賞/4月から沖縄大学)
コーディネーター:前利 潔(知名町中央公民館/日本島嶼学会)

主催:知名町教育委員会 後援:日本島嶼学会
問合先:前利潔(知名町中央公民館0997-93-2041)

前日(16日)に開催する「ゆいまーる琉球の自治」(会場:知名町中央公民館)では、道州制問題など、 自治の視点から沖縄と沖永良部島、奄美諸島の関係を議論するので、ぜひ「ゆいまーる琉球の自治」からご参加ください。 
                          前利 潔(NPO法人ゆいまーる琉球の自治事務局)


今年(2009年)は、薩摩島津氏による琉球侵攻(1609年)から400年をむかえる。この400年の意味するものを考察することが、シンポジウムの基本的テーマである。

 琉球の統一王朝である琉球王国は、中山王国の尚巴志が、1416年に北山王国、1429年に南山王国を、攻め滅ぼすことによって成立した。薩摩の琉球侵攻によって、古琉球の時代は終焉をむかえることになるが、王国自体は薩摩藩の間接支配下で、1879年の琉球処分(廃琉置県)までの約500年間、存続した。

 奄美諸島南部(沖永良部島、与論島)は、北山王国時代から琉球王国時代を経て、薩摩藩の支配下におかれた。両島にとって<琉球>の時代は、北山時代もふくめると、200年から300年間である。

両島が<琉球>側と戦った記録や伝承は伝えられていないことから、<琉球>の成立過程のなかに組みこまれていたと考えていいのではないか。

 『李朝実録』などの記録から、奄美大島と喜界島も15世紀半ばには、琉球王国の影響下にあったことがわかる。しかし、16世紀後半まで、両島に対しては琉球王府の軍勢が何度も派遣されていることから、奄美諸島北部が琉球王府に完全に服属したのは16世紀後半ということになる。

薩摩の支配下におかれたのは、それから数十年後のことであった。奄美諸島北部にとって<琉球>の時代は、100年から200年間である。

 奄美諸島にとって<薩摩(鹿児島)>の時代(400年)は、<琉球>の時代よりも長い。にもかかわらず、言語、民謡、民俗などの文化は、薩摩の影響を基本的に受けることなく、現在でも琉球文化圏である。

琉球文化圏も、徳之島以北の奄美文化圏、沖永良部島以南から沖縄島周辺の沖縄文化園、宮古・八重山の先島文化圏に分かれる。沖永良部島は<琉球>なのか、<奄美>なのか、ということも一つのテーマである。

 文化的には薩摩(鹿児島)を基本的に受容しなかった奄美諸島だが、政治的、経済的な側面からみると、薩摩の影響を強く受けていた。1609年以降もしばらくは、古琉球時代の統治体制を維持していた薩摩藩だが、「大島置目条々」(1623年)の制定以降、薩摩独自の支配体制の確立に着手していった。

統治体制の機構として、代官所を大島(1610年、大島に代官2名を派遣)、喜界島(1693年)、徳之島(1616年)、沖永良部島(1690年、与論島も管轄)へと設置していった。藩役人と島の女性との通婚によって、島役人層も琉球系から薩摩系へと移り替わっていった。

 薩摩藩による奄美諸島に対する経済政策は、黒糖(さとうきび)政策を軸に展開された。その黒糖政策も、18世紀半ばには黒糖上納体制をしいた徳之島以北と、1850年代まで米(稲作)上納を維持していた沖永良部島、与論島という政策の違いがみられる。

この黒糖政策は、社会的には近世後半、郷士格(豪農)層と家人(債務奴隷)層という階層分化を生み出していった。奄美諸島の黒糖が、薩摩藩による明治維新の経済的基盤となったことは周知のことである。

また、近世期の経済政策(黒糖上納、米上納)の違いが、現在の奄美諸島における農民体質の違いをもたらしたという指摘(大山麟五郎)もある。

PNGの洪水、キリバスの旱魃、トンガの糖尿病

07年11月の太平洋諸島ニュースをご紹介します。太平洋諸島は「南洋の楽園」と考える人も多いですが、実際は洪水、旱魃等の自然災害が発生し、多くの犠牲がでる島々です。


11/8 PIR
 パプアニューギニアにおいて洪水により数千人がホームレスとなった。

PNGの西部高地において、モンボル川が氾濫し、畑を破壊したため、深刻な食糧不足状態に陥り、16000人以上がホームレスとなった。

川の氾濫により、畑、コーヒーの木が破壊され、幾つかの植物が根こそぎにされ、家畜が死亡した。教会、豚小屋等を含む建物も洪水で流された。過去においてこのような深刻な災害を経験したことがないという人もいる。被害を受けた住民は、同国政府や地方政府からの救援を求めている。


気候温暖化により、気象条件が悪化しやすく、環境上脆弱な島嶼部の住民が大きな影響をうけることになります。


11/8 PIR
 キリバスにおいて深刻な旱魃によって数千人が脅かされている。

キリバスの南部環礁に住む数千人がエルニーニョによる深刻な旱魃の被害を受けている。同国の気象台は、小さな島には限られた水しか貯蔵されておらず、住民の生活用水の供給が非常に脅かされていると指摘している。

過去数ヶ月の間、同国の南部環礁ではほとんど雨が降っていない。南部環礁において、雨が降ったのは今年3月だけである。南部環礁の住民は井戸水だけに頼っている。キリバスの人口は約10万7千人であるが、全人口の3分の1は南部環礁の島々に住んでいる。


糖尿病は日本でも増えていますが、トンガをはじめとする太平洋諸島でも大きな問題になっています。缶詰、輸入食料品に依存した食生活が主な原因です。


11/15 PIR/Radio Tonga News
 トンガで糖尿病患者が増大している。

トンガ政府のタンギ厚生大臣は、トンガにおいて糖尿病患者数を減らすために、親、学校、若者、教会、地域社会が相互に協力する必要があると訴えた。

親が子供に対して注意深く世話をするという役割を放棄すると、子供は糖尿病になりやすくなると、タンギ大臣は述べた。また、大臣は、親は体によく、栄養価が高い食事を子供に与え、運動をするように促す必要があると述べた。

1973年において、トンガにおける糖尿病患者率は7%であったが、2004年にはそれが20%に増大した。何もしなければ、10年後には、25%に増大するだろうといわれている。

南海日日新聞に『奄美自立論』が紹介されました。

4月10日の南海日日新聞に喜山さんの本が紹介されましたので、ご報告します。



与論島出身で文筆家、マーケターの喜山荘一さん(45)は四月、「奄美自立論―四百年の失語を越えて」(南方新社刊)を出版した。

薩摩の奄美、琉球侵攻から四百年。琉球でもない、大和でもない奄美が「二重の疎外」を受けてきた歴史、「失語」の起点をひも解き、それらをどのように克服するかを探った。

 本書は(1)二重の疎外―(2)黒糖収奪とは何か(3)なぜ、薩摩は奄美を直接支配したのか(4)奄美とは何か(5)二重の疎外克服へ―など七章で構成。冒頭には「二重の疎外とその克服として見た奄美の歩み」(主な出来事)を掲載した。

 奄美を支配化に入れた薩摩藩は一六二三年、「大嶋置目之条々」などを発する。奄美を対外的には「琉球之内」としながらも、琉球との関係を断ち、直接支配する。

 服装や名前を大和化することを禁じた結果、奄美は琉球でも大和でもなくなる。著者はここに、「二重の疎外」「失語」の起点をみる。

奄美の人々にとって薩摩支配の四百年が過去のことではなく、現代の問題でもあることが分かる。

 さらに、過酷な黒糖収奪、奄美独立経済といった江戸、明治の差別的支配、二重の疎外から逃れようして「日本人になろうとした」学校教育、復帰運動の一面などさまざまな事象、出来事にも言及した。

 結論となる「二重の疎外の克服」は、「奄美づくりの基底になるのはシマ/島」と指摘。「それぞれが開かれたシマ/島として、琉球と大和の交流拠点の度合いを自覚しながら、それぞれの意思を持ち寄り、交換するのが基本であり、第一歩」と提唱している。

 本書は定価二千百円(税別)。近く奄美の書店でも販売が始まる。問い合わせは南方新社電話099・248・5455へ。

マーシャル諸島と中国・台湾、ツバルの海面上昇問題、北マリアナ諸島の米軍演習

07年12月の太平洋ニュースをお伝えします。
マーシャル諸島は現在、台湾と外交関係を結んでいますが、中国との外交関係に切り替わろうとする政治家がいることがわかります。援助の額、内容によって台湾か中国かが選択されています。



12/17 PIR/Marianas Variety
 マーシャル諸島において中国、台湾との関係をめぐって論争がおこなわれている。

与党の統一民主党に属するアリック上院議員は、野党側が中国との外交関係締結を主張したのに対し、台湾が太平洋島嶼国に対して提供している年間1400万米ドルの資金に見合う資金を中国が提供するとは考えられないと批判した。

同議員は、台湾のマーシャル諸島に対する援助がなくなったら、農民支援事業、小規模融資事業、太陽熱発電事業、建設事業によって雇用される労働者はこれからどうなるのだろうかと語った。


ツバルには行った時、海面上昇によって人が住めないという状況を肌身で感じました。日本の援助で海水の淡水化装置も提供されましたが、完全ではなく、塩味のする水で飲み水にはふさわしくないと住民はいってました。



12/20 PIR/NiuFM
 ツバルの上水道に海水が混入している。

現在、ツバルは海面上昇という問題とともに、海水が飲み水に混入するという問題にも直面している。

地球規模の気候変動が海面の上昇をもたらしているが、ツバルのような小さな島では海水の淡水化事業はコストが大きくなり実施不可能である。

ツバル政府の報道官は、住民はもはや井戸から淡水を得ることはできなくなり、高潮の際、住宅が洪水で浸水することは日常的な現象になってきていると語った。約1万1千人の国民は、将来自分たちがどうなるのかを具体的に理解するようになってきている。


米軍演習による被害がグアムに北に位置する北マリアナ諸島において存在します。グアムへの海兵隊移設により、さらに訓練は激化することが予想されます。


12/27 PIR/Saipan Tribune
 北マリアナ諸島における軍事演習に対して同諸島議員が懸念を示している。

北マリアナ諸島議会のユムール、トレス両議員が、サイパンの北方にある、ファラロンデメンディニラ島で実施されている実弾爆撃演習によって同島の膨大な土地が失われたとして懸念を示した。

両議員は、在マリアナ諸島米海軍司令官に対して、完全な調査が実施されるまで、同島における実弾爆撃訓練は中止すべきであるという内容の書簡を送った。

同島は1976年から米軍の演習場として利用され始めた。米国政府と北マリアナ諸島政府の間で50年間の賃貸契約が結ばれている。

与那国島の人口減少

4月10日の八重山毎日新聞に与那国島の人口が戦後最低の1500人台になったという記事がありましたので、お伝えします。私が与那国島に住んでいた1960年代の終わりから70年代の初めにかけて2000人ほどいました。



町人口の減少傾向に歯止めがかからない。3月末の住民登録者数は1567人となり、戦後初めて1500人台に突入した。

住民投票で「自立」を選択したあと、2005年3月に「与那国・自立へのビジョン」を策定してから、今年で5年目。

同ビジョンは、人口減少など「厳しい現実を直視」して策定されたものだが、現実にはその後の4年間で島から146人(8.5%)の人口が失われた。外間守吉町長は「自立ビジョンは5年目に差し掛かる。これまでの4年間を総括したい」と述べ、自立ビジョンの実績を検証したい考えを示した。

町では、教員の異動や高校進学の時期に当たる3月に住民登録者数が大幅に減る傾向にある。自立ビジョン策定時の2005年以降について3月末の住民登録者数をみると、▽05年=1713人▽06年=1677人▽07年=1660人▽08年=1618人と推移し、今年3月は1567人まで落ち込んだ。

 住民登録者数は、異動に伴う4月の転入によって持ち直すとみられるが、人口の低落傾向には明らかで、島の在り方があらためて問われることになる。

 05年以降、島内では那覇地方法務局石垣支局与那国出張所(登記所)や与那国島測候所など国の出先機関が閉鎖。出先機関の職員やその家族は島の人口や消費経済を支える担い手として重視されているだけに、国の行革が町に打撃を与える結果となった。

外間町長は人口減少の要因について「三位一体の改革の影響が大きい。(中学を卒業した生徒が高校進学ととこに島を離れる)“15歳の旅立ち”で人口が減ったあと、そのあと島に戻ってくるかというと、むしろ家族ぐるみで出て行ってしまう」と話す。

 一方、町の一般会計当初予算は▽05年度=29.1億円▽06年度=19.9億円▽07年度=17.9億円▽08年度=20.4億円▽09年度=21.7億円と増減を繰り返しながらも、規模縮小の方向。

外間町長は、予算額と町人口の関係について「予算の数字とともに歩いているのではないか。公共工事が多い時は人口が多い」と推測する。

人口減少を強く意識して策定した自立ビジョンは基本戦略として(1)住民主体の自治・島おこし・まちづくり

(2)国境交流を通じた地域活性化と人づくり(3)情報通信基盤の整備など、定住条件の向上と国土保全への政策支援の強化の3点を掲げている。

 外間町長は「策定時の5年前は三位一体の改革で地方は厳しい状況にあったが、現在は地方再生のためのメニューが提示され、地方の状況が良くなる材料もある。これまでの4年間を総括し、ペダルを踏むべきか、減速したほうがいいのか、我々の進むべき方向を検討したい」との考えを示した。

今日、龍谷大学にて民際学の研究会があります

前にもお知らせしましたが、お時間がありましたら、どなたでも、ご参加ください。


日時:4月11日(土) 13:00より(終了は19:00ごろの予定)

会場:龍谷大学紫英館2階第1共同研究室

テーマ1:「パラオにおける海面上昇問題と住民参加による課題解決の可能性」(三田貴さん)

テーマ2:「どうみるマーシャル諸島の米核実験影響」(竹峰誠一郎さん)

研究会後、交流会

グアムの基地拡大問題、海面上昇により村が消滅、パプアニューギニアの幼児死亡率

08年1月の太平洋諸島ニュースです。
グアムへの海兵隊移設関連の問題が琉球の女性たちによって指摘されています。


1/28 PIR /Marianas Variety
 日本からの報告書がグアムにおける基地拡大に対して警告を鳴らしている。

沖縄の市民運動グループが、終戦から現在までにおける米国軍人による集団強姦、暴行、殺人等の400事例を収めた報告書を公表した。

「基地軍隊を許さない行動する沖縄女性たちの会」の高里すずよ代表は、「これらの女性達に対する暴力、人権無視、性的暴力は米軍基地の存在が引き起こした問題である。私たちは、このような問題を起こさせないためにグアムの女性達と話し合いたい。」と述べた。

元那覇市議で、2005年のノーべル平和賞の候補になった高里氏は、今日、グアム大学で開かれる、女性と人権に関するフォーラムにおいて基調講演を行う予定である。

高里氏は「グアムのような小さな島に巨大な基地が存在することがどれだけの影響を及ぼすのかをグアムの住民はどれだけ理解しているのだろうか。2万1千人の軍人と2万2千人の軍人の家族が住む沖縄の半分の面積しかグアムはない。

基地が存在することで深刻な問題が発生する。軍人による犯罪の他、環境破壊、騒音問題もある。」と述べた。


海面上昇問題は、太平洋諸島の人々にとってはすでに生活にかかわることになっています。


1/29 PIR /The National
 海面上昇により、パプアニューギニアの村人が移住を余儀なくされた。

パプアニューギニアのヒューオン湾半島にあるラブタリ村では、海面上昇の影響により、2.5キロ内陸部に1500人の村人が移住する準備をしている。

新しい村はポハモと呼ばれており、現在、村人により整地され、いくつかの豪州の大学や、パプアニューギニア工科大学の建築学の学生ボランティアが、新しい住居を建設している。新しい村のマスタープランが作成される前に、村人にその内容が相談された。

同計画には、村人の集会やレクレーション等のための場所や学校も用意されている。


パプアニューギニアの幼児死亡率の高さに驚かされます。日本に比べて25倍近い多さです。



1/30 PIR /The National
 パプアニューギニアの幼児死亡率が非常に高くなっている。
ユニセフのパプアニューギニア国代表のヤング氏によると、同国において1000人中73人の幼児が死亡しているという。

日本の場合は、1000人中2.8人、米国は1000人中5人の幼児死亡率である。同国ではすでにこの問題に対する措置をとっており、妊娠中そして出産後の母体を守るためのプログラムが行われている。

ヤング氏は「子供に栄養のあるものを食べさせ、世話をすることで、子供は生き残り、病気にもかからず、思考、言語、感情、社会的技能を完全に発展させることができる。2015年までには1000人中31人の死亡率までに減少させなければならない。」と述べた。



第5回ゆいまーる琉球の集いのお知らせ(沖永良部島)

第5回ゆいまーる琉球の集いのお知らせをいたします。

今回は、沖永良部島で開催いたします。同島在住の前利潔さんに、集いの企画、準備をお願いいたしました。前利さんをはじめ、島の方には大変お世話になりますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

参加希望者は、メールにて私にご連絡ください。


1.スケジュールは次の通りです。

15日沖永良部入り:夜は中央公民館で、地元の手作りの料理による懇親会。シンポジウムの講師も一緒です。

16日ゆいまーるの集い:午前、午後

17日午前中は、島巡り、午後はシンポジウム。夜は島料理の店で、「ゆいまーる琉球の自治」とシンポジウム側との合同の懇親会


16日のゆいまーるの集いのメインのテーマは道州制についてです。沖縄県との道州制を主張している方の問題提起を踏まえて、活発な議論を行います。また、沖永良部の<文化><境界>、農業を含む経済の問題、移住者の活動、島の交通問題等を議論の内容とする予定です。

17日のシンポジウムの主催は、知名町教育委員会です。講師、パネリストは以下のとおりです。敬称略。

 (1)豊見山和行(沖縄/琉球大学)
 (2)高橋孝代(沖永良部/沖縄大学)
 (3)弓削政己(奄美大島/奄美中央病院2009年3月まで)
 (4)原口 泉(鹿児島/鹿児島大学)
 (5)司会:前利 潔(知名町教育委員会)


2.どのように沖永良部島に行くか

関西、関東から来る方は、下記の奄美旅行センターを使ったほうが、安いと思います。

 鹿児島空港発の沖永良部便の最終便は、午後3時頃、出発します。だから、関空(伊丹)、羽田からも、12時前後の便で、鹿児島に向かえばまにあいます。関西、関東から来るパターンは、以下のとおりです。鹿児島
経由の便です。

 (1)日程に余裕のある方は、15日の最終便で沖永良部  に着き(16:30頃)、18日の午前9時半発の便で発つ。
 (2)日程に余裕のない方は、16日の午前中に沖永良部
  に着き、17日の最終便(17:00頃)で発。

 (3)あとは15日から18日の間で、それぞれに都合のいい日程(便)を設定してもらえらば、と思います。15日に入って、17日に帰るというパターン、16日に入って、18日に帰るというパターンなどです。

 ホテルは、中央公民館隣りのおきえらぶフローラルホテル。町が公社方式で運営している国民宿舎。

お問い合わせ窓口
奄美旅行センター 沖永良部営業所
TEL0997-93-3001 FAX0997-93-1600

お申し込みの際は、氏名、年齢、ご連絡先電話番号、FAX番号、日程をご連絡下さい。

予約担当 東(ヒガシ)・永田(ナガタ)

参考金額
5月15日発 おきのえらぶフローラルホテル宿泊 朝食付き シングル利用
• > 関東発  2泊3日 ¥66,800 3泊4日 ¥74,300
• > 関西発  2泊3日 ¥66,800 3泊4日 ¥73,300
• > 名古屋発 2泊3日 ¥67,800 3泊4日 ¥69,300


南琉球から参加される方は、那覇から沖永良部への船での移動となります。

関係機関のホームページです。

奄美旅行センター
 http://www.amamiryoko.com/

 おきえらぶフローラホテル
 http://www.town.china.lg.jp/floral/default.asp

 <沖縄からの船>鹿児島~沖縄航路
 マルエーフェリー http://www.aline-ferry.com/top.html
 マリックスライン http://www.marix-line.co.jp/

 知名町役場 http://www.town.china.lg.jp/

台湾とナウル・ソロモン諸島との関係、サイパンの衣料工場、ブーゲンビル島の治安悪化

08年1月、07年12月の太平洋諸島ニュースをお送りします。台湾の陳前総統は、太平洋諸国との関係を重視して、総統自身が太平洋諸国をしばしば訪問していました。日本の現役総理大臣が太平洋諸国を訪問しないのとは対照的です。台湾を独立国として認めた太平洋島しょ国と、台湾とはギブアンドテイクの関係にあります。島嶼国にとって台湾のギブが少なければ中国との外交関係に切り替わる可能性があります。同様に、中国と太平洋島しょ国との関係もギブアンドテイクの関係です。



12/29 PIR /Taipei Times
台湾の総統が、ナウルの新大統領、ソロモン諸島の新首相就任を祝福

台湾の陳水扁総統は、ナウルのステファン新大統領、ソロモン諸島のシクア新首相に対して電話を通じてそれぞれの就任を祝う言葉を述べた。

陳総統は両者に対し、相互の協力関係を深め、互いの利益に関することを話し合うために、近い将来における台湾への訪問を呼びかけた。また陳総統は、両者に対し、今後も両国への多面的な協力プロジェクトを台湾が実施していくことを約束した。

また国連を初めとする国際機関への台湾の加盟に両国が支持してくれることを求めた。ステファン大統領は、自国と台湾との外交関係を評価し、これからも様々な分野での協力関係を増やしていきたいと語った。

また大統領は、長期にわたる台湾によるナウルへの支援活動に対して感謝の意を示した。シクア首相は、ソロモン諸島建国40周年式典(2008年1月31日に開催予定)に陳総統自身、または台湾からの代表団が参加することを希望した。

またシクア首相は、ソロモン諸島が2009年の台湾・太平洋同盟国サミットのホスト国になること、そして、台湾の国連、世界保健機構への加盟を全力で支持したいと述べた。

第三回の台湾・太平洋同盟国サミットは2008年に台湾の高雄市で開催される予定である。陳総統は、台湾とソロモン諸島の両政府が自由貿易協定について話し合い、出来るだけ早く署名したいと語った。


10年ほどまでにサイパンに行ったとき、衣料工場の多さ、中国人労働者の多さに目を見張りましたが、世界的な経済情勢の変化の影響をもろに受けて、現在は大変厳しい状況にあります。一つの産業に偏ると、島嶼経済は大打撃をうけることをサイパンの例が教えてくれます。


1/17 PIR /Saipan Tribune
 サイパンでまた衣料製造工場が閉鎖される。

衣料製造工場、サム・クワン・サイパン社が明日、閉鎖される。157人の外国人労働者の大部分はそのまま島に残り新しい職をさがす。

157人の外国人労働者のうち45人しか中国に戻らない。112人の外国人労働者は45日間に新しい職を探し出す必要がある。これらの外国人労働者は条件が合えば、衣料製造工場以外の職場で働くことも可能である。

労働賃金の上昇、中国や他のアジア諸国との競争により、北マリアナ諸島における経済活動がコスト高になったことが工場閉鎖の原因であったとされる。1月13日にも別の衣料製造工場であるネオ・ファッション社が閉鎖したが、外国人労働者の大部分は島にとどまり、新しい職を探そうとしている。

同社により88人の外国人労働者と13人の現地労働者が職を失った。2005年にWTOが輸出数量規制を撤廃して以降、サイパンでは多くの衣料製造工場が閉鎖するようになった。


日米決戦で有名なブーゲンビル島では、かつてパプアニューギニアからの独立を求めた紛争が展開されていました。中央政府が、資源が豊かなこの島から経済搾取をしたことが最大の原因です。現在は紛争はおさまりましたが、治安の悪化が心配です。



1/15 PIR /The National
 ブーゲンビル島において銃や暴力事件が増大している。

ブーゲンビル島自治地域において、銃や兵器による諸問題がリーダー達の最大の課題になっている。

同地域のある村において、畑から食糧が盗まれたり、犬が殺害される事件が増加している。またこれらの事件の犯罪者は女性や若者に対する脅しも行っている。またある地区では、男性の一団が銃を発砲して、住民が畑に行き、コプラ栽培、その他の活動をするのを妨害している。ポポコソ村でも銃を持った男性の一団がきて、発砲した。

トンガの自殺問題、英国軍の中のフィジー人、島嶼の送金経済

08年2月、07年12月の太平洋ニュースをお伝えします。
「楽園」として太平洋諸島は観光客から考えられがちですが、急速な近代化、伝統的社会制度の崩壊等を原因として、自殺者が増加している事例は他の島々でもあります。


2/22 PIR /Radio Tonga News
 トンガで自殺者が増加している。

2001年から2007年までの間、トンガにおいて50件の自殺が報告された。その内45人が男性である。

島嶼国のうち、人口規模を考えると、トンガの自殺率が最も高い。自殺に関する国家委員会は、トンガ政府の厚生省、政策省、自由ウェスレイアン協会と協力してこの問題に取り組んでいる。

自殺問題の解決には地域社会の関与が重要であると考え、地域のNGOなどを対象にして委員会のメンバーをさらに増大しようとしている。2007年には7人が自殺し、今年は現在までに2人が自殺した。


フィジーは英国の旧植民地ですが、現在でも軍関係で英国と強い関係をもっています。


12/30 PIR /Fiji Times
 フィジー人兵士が英国軍隊の中で重要な位置を占めるようになった。

英国軍人の10人に1人は外国人であるが、外国人の大部分はフィジー人で占められている。外国に駐在している英国軍人は、40以上のコモンウェルス出身者で構成されているが、そのうち約2000人がフィジー人である。

次いで多いのは南アメリカ人の840人、ジャマイカ人、ガーナ人がそれぞれ820人である。イギリス国民が自国軍に占める割合が減少しているのが懸念されている。

英国軍人10万人のうちの10%が外国出身者で占められている。長期の海外遠征、居住環境の劣悪さなどがイギリス国民の軍隊離れの原因とされている。


サモアに限らず、多くの太平洋諸島では、ニュージーランド、豪州、米国に島嶼民が移住し、送金を家族に送る、送金経済が展開されています。経済活動を島だけに限定するのではなく、移民の活動範囲も島嶼経済の対象になります。トンガのGDPの40%以上が送金というのも驚きです。


12月号2007年 PIR /Islands Business Magazine
 サモア経済において移住者からの送金への依存率が減少した。

過去10年において、サモアのGDPの20%が海外からの送金で占められていた。しかし、2007年の初旬において海外からの送金は38%減少し、全体で1180万米ドルとなった。

世界銀行によると、過去10年間の太平洋諸国における送金額は4億2500万米ドルとなった。トンガのGDPの41.9%、サモアのGDPの26.3%、フィジーのGDPの6.7%は送金であった。

基地経済で地域の教育は守れない

3月25日の琉球朝日放送において、基地関連収入が多い名護市において、3つの小学校の閉校と1つへの統合が行われるとの特集放送がありました。使用する上で自由度が高いといわれる、基地関連の振興開発資金を投じても、地域の学校は守れなかったのです。

カネではないものが、地域の自治を元気にするのではないでしょうか。行政による上からの廃校、統合政策であり、その背景には名護市の基地経済依存の体質があります。戦後、住民たちの強い思いで、住民参加でつくられた学校でした。
基地依存により自治の内実が掘り崩されているといえます。



名護市では先週末で三つの小学校が閉校になりました。天仁屋、嘉陽、三原が一度久志小学校に統合されてまた3年後に久志中学校の隣に新しい校舎を建てて、新たな小中一貫完教育校に生まれ変わる予定です。複式学級を解消するということなんですが一気に進められた統合に、学校を失い地域では戸惑いを隠せません。

「世は騒乱の波立てど 子弟一体いそしみて 真理と平和一筋に」


二度と戦争に関わることなく、教師と生徒が一体となって本当の平和を求めよう。校歌でその決意を歌っているのは、創立66年の天仁屋小学校。戦後、天仁屋の人々は真っ先に焼けた校舎を立て直しカンズメの箱を机に、教育を再開しました。

多いときで120人を超えた児童数も現在は7人、ついにこの春で廃校になります。この日は、消えていく校歌を録音しました。

Q. 歌詞がちょっと難しいね? 比嘉優海さん(一年女子)「最初は難しかったけどだんだん慣れてきて歌えるようになりました。」Q.あと何回歌えるのかな?仲本さとみさん(4年生女子)「わかんないけど、ずっと歌っていたい」

こちらは創立99年の伝統を誇る嘉陽小学校。校庭と砂浜が連続しているという立地を生かし、18年間、ウミガメの生態観察を続けて来ました。

男の子「カメの怪獣がいてガメラって言って、かっこいいからその名前を付けました」


今日は最後の海ガメの放流会。体重を記録し、カメに標識を付けます。「頑張れ、がんばれ!」自然豊かな少人数校ならではの教育を進めてきた 嘉陽小学校。一時3人まで減った生徒も11人になり、廃校はまだ先と思われました。しかし、名護市は複式学級を解消し、小中一貫教育校を作るとして、去年2月、一度に4校の統合を発表したのです。

嘉陽の男性「話を持ってきたときにはもう統合しますっていうことを持ってきて「統合したいとか、地域にそういう相談もなかったですよね。」

平地克己校長先生「私出身は石垣、八重山なんですけれども、そこではもっと少ない学校がたくさんあります。そういう意味からすれば、まだ(学校の維持は)可能ではあったんではないかと思いはします。」

さらに児童数が多い久志小学校や三原小学校では、多くの住民が「なぜ統合を急ぐのか」疑問を持っています。


久志小PTA 渡具知地武清さん「直接保護者に話があったのは、去年ですね 2月ごろからそしてこういった説明会が。これが資料なんですけどね、これ見たらびっくりしちゃってね「この予算は25年までしかおりないという予算で作る考えなんですよ。」

新しい基地の受け入れ度合いによって支払われる「再編交付金」。今までの基地関連収入と違う性格を持っています。

名護市は去年12月、再編交付金の基金条例を制定。その結果、いわゆる箱モノを作る意外に、2年以上継続する事業にも基金をプールしてあてられるようになりました。つまり、ドクターヘリや学校の建設・統合などの継続事業にも、基地のお金を出せるようにしたのです。

Q 再編交付金の話もなければ統合の話は進まなかった?久志小PTA 渡具知地武清さん「なかったんですねえきっと。だからもう、ほんと、急にという話だからねえ、これがなければ久志小学校なんて見向きもしなかったはずですよ。」

かつて名護市の基地関係収入は、軍用地代が主で平成6年でおよそ15億円。それが移設先が辺野古と決まってからは北部振興策などで急激に増え平成13年で92億円と(6倍)になり、名護市の歳入に占める割合も多い時で3割と、もはや基地のお金ぬきで予算を考えられない現状です。

小規模校は合理化したい。でも、新しい校舎を建てるなら、交付金も下り、公共事業になる。そんな財政の都合で、教育が左右されていいのかと親たちは戸惑います。


久志小PTA 東恩納琢磨さん「現実的に予算はないから。この予算があるから、という話でこの教育のことを片付けられるっていうのは。旧久志村の時代はもっと貧しかったはずです。貧しかったけど、  集落に、4つの小中学校があった」「その当時の大人たちはですね、 教育はまず何よりも最優先して考えたからこんな地域の田舎に4つの小中学校ができたと思うんですよ。」

政府が基地の移設を決めて12年。665億円が名護市に投下され久辺3区に215億円、二見以北にも16億円投入されましたが、それだけの振興策があっても、地域の小学校は守れませんでした。

嘉陽小学校閉校式 子供達「ありがとう、嘉陽小学校」

閉校式には地域の人ほぼ全員が参加。100周年を目前に消えていく母校との別れを惜しんでいました。

宮城区長「あの城とこの海に囲まれた、こんなにいい環境の学校を何でつぶさなきゃいけないのかと閉校も嫌だけど、統合するならこっちに統合してくれと」

具志堅教育次長「小中一貫教育は自分たちもまだ地域の人たちには説明不足の面があろうかと思います。できうれば、市街地からも名護の町のなかからもですね、子供たちが呼び込めるようなそういう充実した学校を作ろうじゃないかと。」


「ありがとう、三原小学校、 さようなら、三原小学校」

戦後、三原の人たちは 自分たちで土地を差出し、校舎も作ることを条件に 旧久志村に陳情し、女性たちも石を運んで学校を作った歴史があり学校に寄せる思いはひとしおです。

瀬名波栄仁 三原区長「しかし、名護市教育委員会の方針には、賛成しかねる所があります。」

おばあ「学校の敷地を埋めるのから萱借りて学校を建てたり、こういうことをやってきたので、市のいうこと、なんであんたがたはこれに賛成したの?」

天仁屋小学校では この日を最後にもう歌われることのない校歌を石に刻んで、学校の歴史を閉じました。その、校歌に込められた平和への思いを、もう歌い継ぐ人がいない。学校が無くなるというのは 地域の人たちの思いを受け継いできた場もなくなるということなんですね・・・

来月からは、遠い子供でおよそ20キロの道のりをスクールバスで通うそうですが、新たな小中一貫教育校と言うのが、本当に子供たちのために考えを尽くした学校になっていくのどうか、それを見守りたいと思います。

フィジー人の送金、豪州の新植民地主義、海兵隊移設とグアム

昨年2月の太平洋ニュースをお伝えします。
フィジー人は自国軍兵士、海外民間軍事会社の派遣社員等として働き、海外で働き、自国の家族に送金していますが、世界経済の変化でその送金額が減少しています。島嶼民が移住した他国とその島嶼との間でも経済関係が形成されるという特徴があります。また、軍人が社会的にも大きな位置をもつ原因にもなっています。



2/6 PIR /Fijilive
 2007年におけるフィジーへの送金額が27%減少した。

送金額の減少によりフィジーにおける消費活動が減速しつつある。2006年の11月までのフィジーへの送金額は2億3170万米ドルに達していたが、2007年11月までのそれは1億6880万米ドルに減少した。

送金の大半はクェートから送られてくる。イラクにおいて兵士、ガードマンとして働いているフィジー人がクェートを経由して送金している。

イラクにいるフィジー人の数は大きく変わっていない。送金額減少の理由として考えられることは次の通りである。現在、兵士がフィジーに帰国している途中であり、送金機関を経ずに兵士自身が給料を持って来ていることである。

または米ドルで送金する場合が多いが、現在、為替レートが悪いこと、送金費用の高騰も送金額減少の理由として指摘されている。


豪州は時刻に政治難民を引き受けたくないために、ナウルという旧植民地に難民を受け入れさせ、その分援助を増やすという政策「太平洋解決」を行ってきました。これは現在における新植民地政策であるといえます。



2/7 PIR /Radio New Zealand International
国連が「太平洋解決」の終了を称えている。

国連は、豪州のハワード前政権が政治難民の受け入れを拒み、ナウル等に難民収容所を設置したことを激しく非難してきた。

トール国連高等難民弁務官地域代表は、最後の難民21人がナウルから豪州に向けて出発し、いわゆる「太平洋解決」が終了したことを歓迎した。

トール氏は、多くの難民は長い間孤立させられ、精神的困難、不安定な状況に置かれ続けてきたと述べた。またトール氏は、豪州政府がいままでの難民政策を改め、自国に難民を受け入れることで、人道的な社会としてアピールし、国際的な責務を果たす国として認められるようになろうと語った。


グアムへの琉球からの海兵隊の移設に対して懸念をもっている地元住民がいることが分かります。


2/11 PIR /Pacific Daily News
 グアムの基地機能強化が与える社会的影響に関する調査が実施される。

グアムにおける基地機能強化によって、教育、健康、雇用機会、資産価値、犯罪、生活費、その他の社会経済問題に関する調査が実施される予定である。

2012年に沖縄から海兵隊8千人、その家族9千人がグアムに移駐するが、主要な建設事業は2010年7月に開始される予定である。

国家環境政策法は、連邦機関が計画策定、政策決定の過程において環境問題に配慮を払い、人や自然環境に影響を与えるような活動に関して詳しい調査を準備することを定めている。

現在でも、基地機能強化による、環境の破壊、現在でもひどい交通渋滞がさらに悪化すること、水不足、軍事演習に関連した危険物資の処分方法等に対する懸念の声がでている。

奄美大島で400年を語る集いのお知らせ

奄美大島の「あまみ庵」の店主、森本真一郎さんから集いのお便りが届きました。南琉球では、最近、シンポジウムが開かれましたが、北琉球では2009年に向けて数年前から活動が展開されてきており、400年を問う姿勢には深く、強いマブイがあります。



「道の島400年展」実行委員会
実行委員長  高井 直人
奄美市笠利町手花部2991-7
090-9577-4175

(事務局・37(みな)の会)090-5944-2384(森本)
(メール)amamian@po.synapse.ne.jp

「笠利町津代の戦跡を顕彰し、慰霊するゆらい」へのおさそい
&「各地からのメッセージ」のお願い

拝啓 サクラナガシ(ツツジ長雨)の候 皆様には益々ご清栄のことと存じます。
早いもので、「笠利町(手(て)花部(けぶ))津代(つしろ)の戦跡を顕彰し、慰霊するゆらい」も今年で12年目。


また、今年は1609年の薩摩の奄美・琉球侵略(旧暦3月7日)から400年を迎えます。
今や、津代の地で戦いがあったことは、内外の新聞や論考などでも明らかになっています。
これまでの皆様方のご協力に対しまして心よりの感謝をもうしあげます。

さて、今年も来る4月12日(日)、午後1:30より当地におきまして「顕彰と慰霊のゆらい」をとり行います。つきましては、皆様にもご参列くださいますようご案内いたします。

今年は、400年を記念して「慰霊のゆらい」の後に、「津代の歴史をふり返り、語る会」を催します。津代湊の戦いをとおして、「道の島」と呼ばれている奄美諸島の400年の歴史を考え、ウヤフジガナシ(ご先祖)たちの声なき声を受け止め、今後、それぞれの「しまぬゆ」(シマ島の自立と連帯)を模索していくため、大いに語りあいと思います。

また、これを機に、戦いのあった奄美の各地で、ささやかな慰霊碑や標識の建立などにもつなげていけたらと願っています。

この「ゆらい」と「語る会」は、どなたでもご参加いただけます。ご近所や友人、おさそいあわせておでかけください。駐車場の関係からできるだけ徒歩か乗り合いでおこしください。

※ なお、今回ご参加できない方は、今年、発刊予定の「しまぬゆ2号」の「しまぬゆ宣言」へ、それぞれのウムイ(思い)をご寄稿いただけましたら、お許しを得た上で、採用させていただきたいと存じます。ご投稿のほどよろしくお願いいたします。

〔と き〕 4月12日(日)
(1)13:30:戦跡の顕彰と慰霊のゆらい
(2)15:00:津代で400年を語る会

〔ところ〕 (1)ゆらい:笠利町津代の戦跡地(手花部墓地から笠利湾ぞいの奥)
※ 献花・献酒等、ご持参いただければ幸いです
(2)語る会:手花部公民館
※ 資料やお茶代として、500円を予定しています
  敬具

米国への賠償金要求、太平洋諸国をめぐる中米関係、サモアの日本企業

昨年3月の太平洋諸島ニュースです。
今日から8日までの間、北朝鮮が弾道ミサイルを太平洋に向けて発射することになっいます。米国はマーシャル諸島に迎撃ミサイル実験の基地を有しており、そのために住民が移住を余儀なくされました。


3/16 PIR /Radio Australia
マーシャル諸島が米国に対して賠償金を求めている。

マーシャル諸島は、ミサイル実験基地として住民が移住させられ、二級国民として扱われたことに対して米国に賠償金を求めている。クワジェリン環礁における、電力、下水施設を整備するために7500万米ドルを支払うように、デブルム外相が米国政府に求めている。

外相は、環礁の豊かな資源を奪い、ロナルドレーガン弾道ミサイル防衛実験基地を建設したことで、2万人の住民がスラムでの生活を余儀なくされた。

クワジェリン島では1200人の人が働いているが、米軍は最近、大量解雇の方針を発表した。米国とマーシャル諸島との合意により、2066年まで、さらに延長して2086年まで同環礁を基地として使用することができる。

しかし地主たちは、土地使用料問題が解決されない限り、2016年をこえる土地の使用には反対している。


中国と太平洋諸国との関係強化に対して、警戒心をもっているのが米国です。他方で、欧米諸国は援助をてこにして島嶼国の内政に干渉しすぎるという批判が島嶼国側にはあります。



3/19 PIR /Radio New Zealand International
米国政府が、中国政府による太平洋諸国への「ひもつきでない」援助に対して注意を与えた。

米政府は、中国政府とのハイレベル会合において、太平洋諸国、その他の発展途上国に対してひもつきでない援助を提供することで、これらの国々との関係を強化しようとする中国の戦略に対して懸念をしめした。

中国政府は近年、何の条件をもうけることなく、援助をこれらの地域に対して提供し、外交的、経済的な影響力を及ぼしている。

援助を梃にして人権の改善、他の改良を進めてきた米国、EU、日本、世界銀行、IMF等のやり方と中国の戦略は大きく異なるものである。

クリンテンセン米国務次官代理は、透明性やグッドガバナンスを推進すること目的にして援助を提供してきた、他の援助提供国の努力と中国の援助政策は対立していると述べた。同次官代理は、IMFや世界銀行のような国際機関が展開してきた外国投資や援助の方法と調和することを中国政府に求めたと語った。


日系企業としては最大規模を経済効果を島嶼社会に与えているのが、矢崎総業であり、多くの島嶼民に雇用の機会を与えてきました。矢崎総業は自動車部品を製造する会社ですが、昨年の3月から自動車産業の苦境が表れてきたといえます。


3/20 PIR /Radio New Zealand International
日本企業がサモア工場で働く従業員の労働時間を減少させる。

ヤザキ・サモア工場では2200人のサモア人が働いているが、これから2週間の間、週4日間の就業にする予定である。

同社の顧客が注文を減らし、コスト削減のため就労時間の減少を迫られている。もしも就労時間を減らさないなら、200人の従業員はすることがなくなるだろう。

米軍幹部の沖縄認識、マーシャル諸島の基地経済、ナウルの社会不安

昨年3月の太平洋諸島のニュースをお伝えします。
米海軍の琉球人、琉球認識の本音が海外の新聞では明らかになります。琉球人を蔑視する視線を軍幹部がもっていることがわかります。



3/5 PIR /Mariana Variety
 米海軍幹部が、沖縄における「インチキ」レイプ事件は、海兵隊移設には影響を与えないと述べた。

ペン米海軍副長官は、沖縄に駐留している米海兵隊は、予定通り2010年にグアムに移転すると述べた。

14歳の少女が38歳の海兵隊によりレイプされたと訴えたが、その後、少女は告訴を取り下げた。ペン氏は、海兵隊員によるレイプ事件は「インチキ」であり、「犯罪歴がある者は入隊できない。

隊員個人レベルでみると、一般人よりも軍人の方が素行は良いといえる。」と述べた。


クワジェリン島は太平洋戦争で日米が戦った島であり、現在、米軍基地がおかれています。

3/6 PIR /Radio New Zealand International
クワジェリン島のミサイル基地で働く従業員の10%が解雇される。

イラクやアフガニスタンにおける軍事活動の費用が増加し、マーシャル諸島におけるミサイル実験予算の削減が迫られている。

年間2億5千万米ドルのミサイル実験基地の予算から600万米ドルが削減され、その結果、同島で働く、米国人やマーシャル諸島人の軍雇用員全体の10%が解雇されるであろう。

1960年代半ばにクワジェリン島にミサイル実験、ミサイル迎撃実験基地が設置された。米政府は、毎年1500万米ドルの地代を同島の地主に支払っている。

同島にはレーダー、カメラ、ミサイル発射台等がおかれている。デブルム・マーシャル諸島政府外相は、軍事予算削減の突然の発表に驚いたと述べた。小さなエベイ島に住む1万2千人の人々の生活は、ミサイル基地で働く1125人の給料に大きく依存している。


かつて「太平洋の楽園」と呼ばれたナウルは現在、経済的問題を抱えており、豪州による政治経済的関与の対象になっています。ナウル人の不満が爆発した事例であるといえます。


3/9 PIR /Radio New Zealand International
暴徒がナウルの警察署を放火した。

今週末、ナウルの警察署が暴徒により放火され、暴動がさらに拡大している。港においてリン鉱石運搬船に荷物の積み込み作業をすることに住民が反対したのち、約100人の群衆が警察署を襲った。

リン鉱石は同国において政治問題の種であり、資源の無駄な利用、投資の失敗、汚職、リン鉱石収益の減少等が批判の的になっている。

学生を含む100人の市民達は、暴動に発展しないように同国に滞在する豪州人警察官によって取り締まられた。

PNGの海面情報問題、イラクのトンガ人、ソロモン諸島の森林伐採

昨年、3,4月の太平洋諸島ニュースです。
ツバルが海面上昇による問題で有名ですが、そのほかの島々でも海面上昇によって島では生活できないという状況が現実のものになっています。



3/31 PIR /PNG Post-Courier
パプアニューギニアのカーテレット島の住民が最初の環境被害者になるだろう。

カーテレット島の3千人の住民は、世界で最初の「環境難民」になるための準備を行っている。カーテレット島はブーゲンビル島の北東部53マイルにある海抜の低い島である。

地球温暖化により氷が溶けて海面が上昇するにつれて、高潮が同島の海岸を浸食するようになった。

同島の住民は数年のうちに島を脱出して、近くのブーゲンビル島に指定された場所に移住する予定である。ブーゲンビル自治政府は、同住民を受け入れるための計画作成を進めている。


太平洋諸島民も傭兵として、民間軍事会社の社員として、米軍事人として、島嶼国の軍人として、色々な立場で紛争地に赴いています。「南の楽園」というイメージでは島の実態は見えません。



4/22 PIR /Matangi Tonga
イラクにおけるトンガ兵の活動

トンガ軍は、2月18日にイラクに派遣され、現在、米軍とともに治安維持活動をしている。55人のトンガ兵は、バグダッドにあるビクトリー・キャンプに駐屯しているが、そこは多国籍軍の拠点とされている。

トンガ兵は6ヶ月の間、アルファウ・パレスにある各入口の警備をする任務を遂行することになっている。トンガ兵はイラクに派遣されるまで、ハワイにある米軍基地において3ヶ月間訓練を受けてきた。


ソロモン諸島の森林伐採問題はかつてから深刻化しております。

4/23 PIR /SIBC
ソロモン諸島の木材輸出量が記録的に増加している。その主要な輸出先は日本であり、日本人の生活と島の自然破壊が直接結びついています。



昨年の第四半期におけるソロモン諸島の木材の輸出量が41万8千立方メートルに達した。2006年における同期間の木材輸出量に比べて29%以上増加した。

木材輸出量増加の原因は、ソロモン諸島政府が木材輸出を規制しようとしないことにあるとされている。

マライタ島、ガダルカナル島において新しく伐採許可が出されたことも、木材輸出量増大の要因である。

木材の国際価格は、1立方メーター当たり275米ドルであるが、同国の木材価格は国際価格の約4分の1程度でしかない。

国際価格との大きな値段の開きが懸念されている。木材価格が公正で、地主や政府が適正な利益を得ることができるような仕組みを責任ある政府機関が整備することが求められている。

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