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プロフィール

Yasukatsu Matsushima

Author:Yasukatsu Matsushima
1963年琉球石垣島生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。

その後、東京、グアム、パラオ、沖縄島、静岡、京都、滋賀にて学び、働き、生活する。

著書に『沖縄島嶼経済史―12世紀から現在まで』藤原書店、2002年
『琉球の「自治」』藤原書店、2006年
『島嶼沖縄の内発的発展―経済・社会・文化』(編著)藤原書店、2010年、
『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』早稲田大学出版部、2007年
『琉球独立への道』法律文化社、2012年
『琉球独立論ー琉球民族のマニフェスト』バジリコ、2014年
『琉球独立ー御真人の疑問にお答えします』Ryukyu企画、2014年
『琉球独立宣言ー実現可能な5つの方法』講談社文庫、2015年
『民際学の展開ー方法論・人権・地域・環境の視座から』(編著)晃洋書房、2012年
『琉球列島の環境問題ー「復帰」40年・持続可能なシマ社会へ』(編著)高文研、2012年
『3・11以後何が変わらないのか』(共著)岩波書店、2013年
『島嶼経済とコモンズ』(編著)晃洋書房、2015年
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沖永良部島の集い11

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17日午前中は、マイクロバスに乗って、知名町、和泊町の歴史的場所を案内してもらいました。考古学の遺跡、伝説的場所、西郷隆盛が幽閉された場所、世の主の墓などをみせてもらいました。案内の方のお話が大変ユニークで、バスの中は和気あいあいの雰囲気となりました。

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島の土壌は赤土であり、南琉球と同じです。農業が盛んな島では農業用水が不可欠であり、ため池がいたるところにありました。暑い中でしたが、島の方が農作業をしている様子を伺うことができました。

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雄大な田皆岬にて藤原社長と。非常に雄大な岬でした。島にはハブがおらず、安心して道を歩けました。

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世の主の墓です。琉球式の墓であり、琉球石灰岩によってできていました。古い記憶の底に触れるような感覚になりました。

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皆で墓の敷地の中に入り、歴史の説明を伺いました。

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沖永良部島の集い10

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交流会では島の女性たちが作ってくれた料理を食べました。本当に島の味を堪能し、おいしかったです。

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ゴーヤーチャンプルーもでました。食べながら、飲みながら、島の方とお話をさせてもらいました。

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町の女性職員が、かぎやで風を踊って下さいました。町を歩くと、琉球舞踊教室があり、島では琉球舞踊も盛んであることがわかります。沖永良部と南琉球との近さを実感させた場面でした。

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この方も町の職員さんであり、花笠の踊りが華麗でした。見ながら、南琉球での結婚式を思い出しました。

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中学生とも思えないほど、非常に歌唱力がありました。賞をとるほどの実力だそうです。お父さんが昼の集いで、沖永良部と南琉球との強い関係性を強調された方でして、その思いを娘さんと共有されているのだなと、思いました。親子の微笑ましい場面もあり、楽しいひと時でした。

奄美側が「沖縄風」の歌と踊りをするとともに、南琉球側でも「奄美風」の歌と踊りを一般の住民が関心をもってやるような、相互性がこれから生まれてくればいいと考えました。


沖永良部島の集い9

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右から南方新社の向原社長、南日本新聞の元ジャーナリストで現在、鹿児島大学の教員の杉原さん、藍澤さんです。向原社長は、奄美諸島にこだわった多くの手堅い本を出版されており、先日も喜山さんの『奄美自立論』を出版しました。鹿児島において400年に関する関心が大変低いことを指摘されました。また関東武士団である島津氏が鹿児島にやってきて、地元民を支配したのであり、「薩摩藩」ではなく、「島津藩」の侵略という言い方が適切であるとの問題提起をしました。社員とともに農業もされており、本島に地域に根ざした編集者だと思います。

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出村さんが鋭い意見を述べてくれました。鹿児島の教員、公務員は奄美諸島にくるとき「僻地手当」をもらうが、奄美諸島の教員等が鹿児島にいっても「僻地手当」を貰わないのはなぜか。そもそも「僻地手当」という名前が差別的である。鹿児島に県庁等の行政の拠点があると、遠く離れた沖永良部から時間、費用のコストがかかりすぎる。特に和泊町の学校では西郷隆盛の肖像を掲げているが、それは一種の「洗脳」ではないか。島が明治維新に貢献したことよりも、島が砂糖地獄によって大変苦しんだことをこそ教育してほしい。

宮古八重山諸島に行く教員、公務員も「僻地手当」を貰っています。島と島との間に差別を制度的に設ける仕組みが現代の日本社会にあります。人間関係が緊密で、文化や自然が豊かな島を「僻地」とみなす近代人の視線の貧しさが、この言葉に示されています。

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沖縄島の名護から参加して下さった村山さんです。辺野古の運動、400年を問う会の活動をされている方です。非常にゆるやかな雰囲気をもちながらも、物事の本質をしっかり把握されている、芯の強い女性です。私は今回船で沖永良部に来ましたが、沖縄島北部と沖永良部が非常に近いことを実感しました。北山文化圏という共通性もあり、今後、人と人との交流が盛んになれば、県境を越えて実質的な島嶼間の連合ができると思います。村山さんも、今回、集いで出会った、新元さん、森本さんをぜひ、名護に呼んで、住民との対話集会で話してもらいたいと言ってました。人と人とがつながれば、島と島ともつながっていきます。

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宮内さんが「本当に農業は楽しい」と語った場面です。一袋100円のジャガイモ、鉢植えのユリ、沖縄島にあるフリーマーケット、アンテナショップでの販売など、創意工夫をこらしながら農業をされています。基地跡地利用を農地として利用している読谷村からも宮内さんは呼ばれて、農業指導もされているそうです。琉球の島々の間にモノが流通し、技術の共有による島と島との助け合いがみられます。



沖永良部島の集い 8

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次に報告された皆吉さんは、祖父、父親の代から南琉球と沖永良部島との関係を強めるための活動をされており、皆吉さん自身も沖縄州への沖永良部島の統合を主張されました。他の参加者からも南琉球に対する熱い思いの声が出て、私自身、面映ゆくもあり、また同じ琉球文化圏の仲間であることも改めて感じました。

ただ、道州制という法制度が実現すれば、繁栄する、自治が実現するのかという疑問があります。道州制は国主導の「地方分権化」政策であり、市町村合併の拡大版でしかありません。国は大きな権限の移譲をせずに、補助金だけを減らすでしょう。

また沖永良部島が沖縄州の一部になった場合、沖縄諸島の北部に位置付けられます。そうすれば、米軍基地の移設場所、軍事訓練場として島が使われ、さまざまな事件事故が発生するおそれもあります。沖縄と一体になるということは、基地を引き受けることとセットになるおそれも高くなると思います。

県境を越えた経済的交流、文化交流を住民自治によってさらに深めていく必要があります。このゆいまーるの集いも、島嶼間の連合を強化することが目的の一つです。

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あまみ庵の森本さん、そしてお隣の久保田さんがおられます。森本さんが主宰されている三七の会の活動、徳之島のシンポ模様について、このブログでも紹介させていただきました。久しぶりにお話をさせていただきました。久保田さんは娘さんに琉球音楽を習わせ、年に何回も南琉球に行くそうです。南琉球のラジオを聞いても、沖永良部島の言葉と同じであり、一緒になればいいと語ってくれました。

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宮當さんも、南琉球と沖永良部島との言葉が同じであり、皆が住みたいと考えている沖縄とさらに交流したいと発言されました。他方、沖縄の人は沖永良部島のことをよく知らない、どこにあるのかわからない人が多いとも指摘されました。南琉球の人の目が奄美を飛び越えて、日本本土に注がれているのではないでしょうか。反基地運動、近代化への希求にしても。奄美をどのように沖縄の人間が認識しているのかが問われています。

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この集いが始まる2週間ほどまえに、森本さんから「日本政府の奄美諸島、南琉球、アイヌに対する植民地支配を問う裁判を起こしたい」という問題提起をうけました。400年間の植民地支配を、近代法、現代法を前提とする裁判所に、前近代を含む植民地支配をどのように訴えるのかについて、国際法の研究者等、知人に相談しました。その相談の結果、私自身が考えていることを含め、16日の交流会が終わった後、公民館の芝生にすわって話し合いました。その場には森本さん、向原さん、村山さん、竹尾さん、斎藤さん、明学の森本さんがおりました。

森本さんの提起は、400人にわたる植民地支配に強くこだわる人間が奄美にいるということを、私自身につきつけるものであると受け止めました。島津藩の奄美支配を世界史の中で考えることによって、その植民地支配の実態と構造を明らかにすべきであると、一研究者として考えています。それは17日の400年シンポの内容とも関係します。

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農業・移住・商工業・道州制、自治など、島のいま、将来の話と、400年前の島津侵略という歴史の話を同時に伺うことにより、長い歴史の視点で沖永良部を考えることができたように思います。島の歴史や文化をふまえて、今の島の現状をどのように認識するのか、これからの島をどの方向にもっていくのかが各参加者にとって自らの問題として考えることになったのではないでしょうか。400年の植民地支配は、現在、そして将来の問題と直結しているのであり、400年間の植民地支配を打破できるのは自治しかないという確信が私の胸にわいてきました。

沖永良部島の集い 7

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役場を51歳で退職し、その後専業農家として、創造的な農業をされている、宮内さんが、愛情をこめて島の農業について話されました。「この方は、本当に農業が好きなんだな」と思いました。沖縄島に住んでいる子供さんと協力して、沖永良部で栽培された作物をフリーマーケットで販売したり、沖縄市にアンテナショップを開くなど、琉球の島々をつなぐ農業を展開されています。後ろにいた方も、宮内さんの話を聞いて、大変参考になったと仰っていました。

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次に、13年前に島に移住した多田さんが自らの経験を話されました。島には知り合いもいなかったが、島の方々に助けられて、農業をやりながら、これまで島で生きてきた話をされました。新しい生活場所で零から始めることの大変さを切々と訴えていました。この島で生き切るという真剣さが伝わってきました。いやになったらすぐ帰るという、お気楽な移住者とは全く違う人の生き方をされてきたのが多田さんです。

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宮内さんの話を聞いて、和泊で農業をされている方が発言をされています。工夫次第で良い農産物ができることが宮内さんの話から分かったと仰っています。またご本人の島での農業生活についても語られました。島では農薬を多用する場合もあり、夏は暑くマスクをしなかったため、早死にした方もいたそうです。他方では、農薬の価格が高騰しているため、あまり農薬を使わない農業も広まりつつあります。エコファーマーと呼ばれる環境に配慮した農家も増えています。

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石坂さんも、現在お住まいになっている沖縄市における菊栽培にともなう農薬問題について話されました。また沖縄では夏野菜をつくらないのに、なぜ、沖永良部ではつくれるのかについて質問をしていました。多田さんのとなりに西浜さんがおります。

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知名町でガソリンスタンドを経営されている、東山さんが昨年、島のガソリン価格が200円をうわまった
こと、島において様々な付加的経費がかかるという、島嶼経済の問題を指摘されました。沖縄県の場合は復帰特別措置の暫定税率により価格を抑えられており、沖縄県と沖永良部が一緒になれば、島の物価高騰問題が解決される可能性があると述べました。しかし、沖縄県の島々でもガソリンの価格は高騰しましたので、復帰特別措置だけでは問題は解決しないのではないかと考えます。国境、県境をこえた流通網の整備、国としての離島物価高騰問題対策を島人同士で協力して訴え、対策を考え、実行するなど、自らの力で問題を解決していくことが重要であると思います。





沖永良部島の集い 6

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前利さんの話のあと、高良さんが現在、沖縄島で行っている活動について話されました。島津藩侵略400年の意味、琉球の自治・独立の意味等について、資料をもとにして話されました。大変、力強く話されたのが印象的でした。

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島の青年、出村さんが、本集いのために提供して下さった生花です。非常に可憐な生花で、会場を華やかにしてくれました。また出村さんの島の花に対する愛情の深さ、つまり島を思う心の深さを生花から感じられました。自分の仕事を自ら工夫してつくっていく青年たちが島では必要とされています。

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前列が島の長老であり、前利さんの島の歴史の話をうけて、歴史の証言をされてくださいました。島の長老たちのご意見には、文字には残されていないものが多く、大変、勉強になります。このような集いによって島の長老たちの声を伺うことができ、大変幸せです。歴史的文献を重視する歴史学者には無視されがちが島の記憶が蘇った瞬間でした。

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今、お名前を失念してしまいましたが、写真の方には17日の午前中、マイクロバスで島を案内して下さってもらいました。古代から近代までの島の歴史がよく分かりました。このブログでは紹介しきれないほど、生の島の歴史について、集いは話してくださいました。後ろの写真は沖永良部島です。南が知名町、北が和泊町があり、知名町の方が南琉球に対する愛着度が大きいと聞きました。

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昼御飯のとき、食堂で食べた「沖縄そば」です。後日、奄美諸島の名物である鶏飯も食べましたが、
様々な文化が融合している島であることを食事から理解しました。味は大変、おいしかったです。コーレーグースもありました。



沖永良部島の集い 5

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沖永良部島の青年たちです。真ん中の青年は高良さんを1日かけて案内し、翌日の集いでも、生花を提供してくれた、花屋を営む出村さんです。隣は、農業を営む兄弟です。3人とも目が鋭く、やる気にあふれた青年たちでした。このような島の青年が自治の担い手です。青年のちからによって、この島の自治を実現してほしいと思います。

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ホテルの入り口にあった看板です。前利さんのご尽力で、今回は集いとシンポジウムの同時開催となりました。集いの参加者はこれまで同様、皆さん手弁当での参加です。このような有志の皆さんに心から感謝したいです。

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16日目は、朝10朝から夕方5時まで、島の自治について話し合いました。この写真は朝の早い時間です。午後から参加者の数がさらに増えていました。沖縄大学からも後藤さんご夫妻が参加して下さいました。沖縄大学の地域研究所も400年シンポ、島の自立・自治に関心があるようですので、今後、協力していきたいです。藍澤さんの隣の方は、先祖が琉球で初めて麻酔方法を中国からもたらした方のご子孫です。南琉球にゆかりのある方々も来て下さいました。

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藤原社長が、後藤新平の『自治』に基づきながら、自治について話されているところです。出村さんをはじめ、島の方々を朝早くから参加して下さいました。会場は知名町の公民館であり、近くには海があり、海風が心地よかったです。

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久岡さんも朝から夕方まで取材されていました。本当に島に対する思いが深いジャーナリストであると思います。奄美大島宇検村の時も朝から深夜の飲み会まで、徹底的に議論にかかわっていました。藤原社長の隣に前利さんがいます。午前中の報告は前利さんが、写真を使って島の歴史、文化について話して下さいました。米軍統治下における島人の抵抗の歴史、島民の長崎や神戸への移住の歴史、「月の中の一本足」の伝説がもつ歴史の独自性等について、貴重な写真を使って説明してもらいました。





沖永良部島の集い 4

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左が奄美大島の新元さん、右が明治学院大学の竹尾さんです。新元さんの野性的な風貌と、行動にいつも感動しています。今回の集いでも、ダジャレで皆を笑わせ、大声で、元気のでる島の唄を歌って心を和ませてくれました。新元さんのご発言には一つ一つ島の知恵が含まれており、考えさせられます。

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竹尾さんは前回の西表島に次いで2回目の参加です。今回は大学の同僚の先生をお連れ下さいました。インドネシアの歴史を研究している大木さん、ネパールの地理学をされている森本さんです。あまみ庵の森本さんが提起されている、裁判で400年間の植民地支配を日本政府に認めさせたいということについても、16日の夜、相談に乗ってもらいました。私が院生のころからいろいろと教えてもらっている先生です。

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手前は藤原社長、奥が高良さんです。藤原書店から今年、後藤新平の『自治』という本が発刊されました。16日の集いでも社長は、後藤の本を通じて、自治の話をされ、後で「島の方々も、大変良いはなしだった」とおっしゃっていました。自治という文化運動を琉球、日本、世界全体に広めたいという、社長の情熱を感じた日々であり、多くのことを学びました。

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右が社長の二男の洋亮さんで、左が高良さんです。洋亮さんは現在、藤原書店の社員でもあり、今回、記録、写真撮影、本の販売、各種の事務等、てきぱきと仕事をこなしていました。非常におおらかで陽気であり、いろんなことを学んでいこうという謙虚さもあり、また、進んで議論もしようという意欲が充ちていました。高良さんと議論しているところです。

高良さんは本当に元気になられて良かったです。大変、快活であり、思いやりがあり、同時に感性が鋭く、現在、心に残る発言をされています。最近、思潮社から『ガマ』という詩集も出版しました。
本の帯には「その母の子宮の中 小さな私の命が宿っている ガマから生まれた 戦後の命が」と記されています。ガマとは琉球の地下にある洞穴であり、戦争中は島の人々が身を隠して命を守ってきました。

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久岡さん、藍澤さん、石坂さんが左から写っています。久岡さんは、物事の本質を見極め、妥協を許さない、しっかりとした基盤に立つ、ジャーナリストです。酒の席で久岡さんが話されたことは、今でも耳の底に残っていることが多いです。本当に奄美諸島が好きな藍澤さんですが、また、ぜひとも沖永良部島をはじめとする島に来てほしいと思います。石坂さんとは今回、船の往復が一緒ということもあり、いろんな話をしました。石坂さんのこれまでの生き方から学ばせていただきました。

 


沖永良部島の集い 3

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宿に向かうバスで一緒になった、竹尾さん、斎藤さん、石坂さん等とともに、近くを歩きました。無人販売店があり、一袋100円でジャガイモが売っていました。奄美大島宇検村でも無人販売店をみましたが、このような店をみると、島の豊かさを感じます。

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沖永良部は百合の花で有名ですが、歩いていると、可憐な百合の花を見つけました。そのほかの花々も道路沿い、店先、家先に飾られており、心が和みました。花を大変大切にしている島々だなと思いました。

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15日の交流会の模様です。手前から、高良さん、藤原社長、私、斎藤さんです。斎藤さんは本NPOの会員さんで、このたび初めてお会いしました。数学の研究者で、島にいる間、数学の歴史について色々なことを教えてもらいました。島の黒糖焼酎「天下一」がおいしかったです。

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居酒屋の机の上にもユリがあります。初めて会う方、久しぶりに会う方同士で話が弾みます。ふろーらる沖永良部ホテルの近くにある食堂での交流会は大変盛り上がりました。

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このたび、集いの連絡等のお世話になった藍澤さんです。御世話になり、感謝申し上げます。奄美諸島に大変関心を持っており、何度か島々に行ったこともあるそうです。今回は旅の後半で体調を崩され、残念でした。石坂さんは伊江島、西表島についで3回目のご参加です。現在、沖縄市にも住んでおり、一緒に船で沖永良部に来ました。多くの人生経験があり、石坂さんのお話は重みがあり、人生の先輩として勉強になります。

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後ろ向きに写っていますが、久岡さんもおります。奄美大島では大変お世話になりました。今回も南海日日新聞に集いについて大きく取り上げてくださいました。本当に、地域を愛し、地域に根ざした、骨のあるジャーナリストとして尊敬しています。前利さんも交流会の最初の方にいましたが、集いやシンポの準備のために、公民館に戻りました。


龍谷大学民際学研究会中止のお知らせ

龍谷大学におきまして、インフルエンザ発生にともないまして、今日から27日まで全学休校
の決定がなされましたので、明日、予定されていました、民際学研究会は延期させていただきます。

新たな日時が決まりましたら、改めておしらせします。

                    

沖永良部島の集い 2

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本部半島と橋でつながれた瀬底島です。ホテル経営会社が倒産して、ホテル建設が途中でとまり、廃墟がいまでも残されているそうです。昨年の世界的な不況の影響がこの島でもみえます。

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昨年の3月に写真の伊江島で、ゆいまーるの集いを開きました。謝花さんをはじめとする島の方々には大変お世話になりました。那覇から本部まで約2時間です。バスを乗り継いで那覇から行くよりも、近いし、ゆったりとした旅ができると実感しました。

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沖縄島を過ぎて、途中、与論島に着岸しました。沖縄島と与論島が非常に近いことを肌身で感じました。『奄美自立論』を書いた喜山さんの島だと思いながら、少しの間、船から島を見ました。写真は沖永良部島です。那覇から7時間で到着しました。

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島につくと、知名町に移動して公民館で働いている前利さんに挨拶をしました。準備で忙しそうにしていました。前利さんの職場は海が見渡せる眺めが良い場所にあります。その後、公民館にある、郷土資料室をみました。島の様々な資料が展示してあり、写真は石敢當です。沖永良部島が琉球文化圏の中にあることが分かります。

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琉球の骨壺「ズシガメ」です。17日にバスで島を見学したときにも、墓にズシガメがあり、現在でもつかわれています。沖永良部島が琉球の仲間であることが、一つ一つの物を通じて明らかになっていくようでした。

龍谷大学民際学研究会のおしらせ

次のような日程で龍谷大学におきまして研究会を開く予定です。
ご関心がありましたら、ご参加ください。

現在、関西地域でインフルエンザが流行していますが、大学で休校措置がでなければ、そのまま開催する予定です。

日時:2009年5月23日(土) 14:00~17:00
場所:龍谷大学深草学舎紫英館2階 第1共同研究室

話題提供1:三田剛史さん「フィジー・ツバルにおける華人社会」
話題提供2:上田假奈代さん (特活)「こえとことばとこころの部屋」http://www.kanayo-net.com/cocoroom/

現在「釜ヶ崎と世界をむすぶ」として釜ヶ崎メディアセンターを立ち上げようとされています。
(メディアセンターは二年間トヨタ財団の助成をうけて実施されるそうです)


沖永良部の集い 1

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私はいったん関西から沖縄島までいき、そこから船で沖永良部島に行きました。朝7時の出港でしたので、6時過ぎには家を出て、歩いて那覇港までいきました。そしてのこの船に乗りました。船に乗るのは東海大学の教員として学生と船に乗って以来でした。

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べた波で、快適な船旅でした。会員の石坂さんと、沖大の高橋さんと一緒でした。本部、与論島に着岸して、目的の島まで行きました。

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船の上から海をみつめ物思いにふけりました。また高橋さんといろんな話をしまして、島に着く前に事前講義を受けさせていただきました。将来、船の上でゆいまーるの集いをしたいですね。

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海から島を見つめることが船ではできます。飛行機よりも島や海を身近に感じることができます。また島をみると非常に安心することが分かりました。島人の特性でしょうか。

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那覇から沖永良部まで就航していた航空会社が倒産したために、船に乗ることを選んだのですが、船に乗ることによって多くのことを学んだ気がします。速さではなく、遅さの重要性を実感しました。

今日から琉球に行ってきます

今日から琉球に行ってきます。
最初に沖縄島に行き、調査活動をした上で、15日午前七時船にて沖永良部島に行きます。
7時間くらいかかるそうです。以前は飛行機も就航していたそうですが、現在は運航中止状態です。

昔の人とが船で島を移動したように、島を眺めながら、考えながら沖永良部に行きます。また海から改めて沖縄島をはじめとする島々を見つめてみたいです。

今日の琉球新報朝刊に、前利さんが、ゆいまーるの集いとシンポジウムについて紹介して下さいました。お礼申し上げます。今回の集いやシンポは前利さんをはじめとする島の方々に大変お世話になっています。このご努力を思い、真剣に島の自治・自立について議論したいです。

沖永良部島に行くのは今回は私にとっては初めてであり、新しい島は胸が高鳴ります。これも島人の性でしょうか。

新たな出会い、新たな議論、新たな実践に向けた一歩にしたいです。

フィジーのスラム、台湾とWHO,グアムでの日米共同訓練

07年6月、7月の太平洋諸島ニュースをお届けします。
以前、フィジーに調査に行った際、スラムにいき、住民から話を聞いたことがあります。その他の太平洋諸島の都市部にもスラムはあります。


7/23 PIR
 フィジーの無断居住者が物価高と闘っている。

基本的な食料品の価格が高くなったため、フィジーに住む無断居住者の生活が困難になっている。ワイレア地区、ヴァトゥワカ地区にある無断居住者地域の世帯では生活が困窮している。タラ・マティ氏は衣料製造工場の労働者であり、2人の子供の母親である。

彼女は給料のほとんどが食費として消え、バス代等しかお金が手元に残らない。ある会社経営者も、政府が物価を下げる政策を実施しないと、利益が上がらないと述べている。


今年4月WHOへの台湾のオブザーバー参加が初めて認められました。太平洋島しょ国に対する台湾の経済支援の背景には、国際的活動に対する支援への期待があります。


7/23 PIR
 台湾政府が、WHO加盟にパラオが支持してくれたことに感謝した。

台湾政府は、WHOへの加盟申請をパラオ政府が支持したことに対して感謝の意思を示した。今年は、台湾がWHOのオブザーバーとして加盟申請して10回目の年になる。しかし、中国の妨害により、今年のWHOの会議において台湾の加盟問題は討議事項に含められなかった。

台湾政府関係者は次のように述べている。病気には国境がなく、WHOへの台湾の加盟は、国際的な公共衛生問題において重要な問題である。この問題は台湾の2300万人の人々の基本的人権とも深く関わっており、台湾がWHOに加盟しないことは、国際的な伝染病予防体制にとっても大きな欠陥となる。


現在、毎年のように米軍と自衛隊との共同訓練がグアムで行われています。


6/6 PIR
 日米合同の軍事演習がグアムで予定されている。

グアムのアンダーセン空軍基地において6月11日から22にまで米空軍と航空自衛隊との共同軍事訓練「コウプ・ノース」が行われる。「コウプ・ノース」は両軍の協力関係を強化し、日本防衛のための能力を改善することが目的である。

北朝鮮と中国は東アジアにおける軍事力を強化しており、日本に対して脅威となっている。そのような緊張関係の中で日米共同軍事訓練が実施されるのである。今年の訓練では、航空自衛隊のF2戦闘機が初めて日本国外における演習に参加する。

最初の「コウプ・ノース」は三沢航空基地において1978に実施された。同訓練は、太平洋において最も長い期間にわたって実施される軍事演習の一つである。

辺野古の環境アセス準備書をめぐる混乱

5月5日の琉球朝日放送に、辺野古の環境アセス準備書について特集がありましたので、お伝えします。



名護市辺野古に新たに「V字型の滑走路」を持つ基地を作ることになって3年。今はどの段階かというと環境アセスメントの手続きの方法書が出て、環境調査がおわりその結果をまとめた「準備書」の公開も終わったところ。それに対して市民は来週15日までに意見書を出すことができます。

住民との合意形成が最大の目的である「環境アセス」、その住民が意見を言えるのは方法書と今回の準備書と二回だけなんですが、肝心の準備書は分厚くて難解すぎると疑問の声が上がっています。

先月二日から1ヵ月間公開されていた「準備書」。しかし、5400ページにわたる専門用語の羅列は、一般にはかなり難解です。それをわかりやすく説明するため、沖縄防衛局は、直接、基地建設の影響を受ける地域では「地元説明会」を開催しました。

局員「スライドは、事業計画案と各検討ケースについての加重等価継続感覚騒音レベル、W値のコンター図でございます」局員「代替施設の設置により消失するサンゴ生息域は、おおむね7ヘクタールでございますが、着工後、速やかに可能な限り施工区域外の、同様な環境条件の場所に移植し・・・」

海はどうなるのか。漁師たちも真剣に聞きますがわかりにくい言葉が飛び交います。

久志区行政委員「着陸は沖合からですね、離陸は着陸した後沖合に向けて転身しています。陸上のほかの訓練施設と行き来はできないということになりますね」

防衛局「訓練地への飛行経路自体については我々は把握しているわけではありません」

住民「その辺野古、クベ三区はですよ、ヘリポートそこに作らせたら各家庭にたくさんのお金がもらえるという風に信用しています。当てにしています、そのお金を本当に各家庭に大金が配られるのかどうかイエスかノーか。答えてください!」

基地建設予定地として、すでに12年間、緊張を強いられてきた住民。不安と怒りがあふれだします。

住民「わずか30分間で、沖縄県の将来、子や孫たちの将来、日本の将来を、ただ30分間できますか?無理ですよ!」

しかし、質問時間の延長も認められませんでした。

住民「返事は?」局員「私の担当じゃないんで申し訳ありません」住民「逃げないで!返事してください」

比嘉さん「質問してもまともな返事ができてなかったですね、信用できないですね」住民「後一時間欲しい。心のケア。みんな環境環境いうでしょ。でも我々の精神が受ける苦しみ、それを考えてないの。」

辺野古のキャンプシュワブ。まだ環境調査の段階にもかかわらず、滑走路を造るための兵舎の移転工事は進んでいます。辺野古の漁師・宜志富さんはいまさら建設は止められないとあきらめています。

宜志富さん「100メートル沖合に、自分たちは埋めてほしくないね。自分らの仕事場が100メートル少なくなるってことだから。本当は1センチも寄せたくないっていうのが気持ちではある」「そういうのを本当は話したかったんだけど、(説明会では)反対派ばっかり・・」「どんなしたら意見聞いてくれるの?自分らの声届かんさ。遠いな。だから意見なし。」

意見書を書いた男性「書かないと、だめですから。書かないと、伝わらないと思うんですよ」

座り込みのテントでは今、意見書のコーナーを設けています。巨大な準備書のファイルもみられ、意見書用紙もひな形もあるので訪れた人も気軽に意見が書けて、すでに450通集まっています。

意見書を書いた男性「どんな飛行機が来て、何回騒音を出すのか、そういうジュゴンに対する影響なんてこれに書かれていない。」

疑問だらけの今回の「準備書」。中でもジュゴンについては素人でもおかしいと思う点がたくさんあります。国は、沖縄に生息しているのはわずか3頭だと結論づけています。辺野古の北、嘉陽の海に一頭、そして古宇利島沖に親子とみられる2頭。その3頭が最後で、もう辺野古にも、金武湾にも、ジュゴンはいないと推定しています。

花輪さん「これが本当だったら、日本でもっとも絶滅しやすい哺乳類ということですよ。」

ジュゴンの保護活動をしているWWFの花輪さんは調査も評価方法もお粗末だと指摘します。

花輪さん「恐らく1桁だっていうのはあってるんじゃないかと思います。それが3頭かどうかに関しては、今回の防衛省の調査では不十分だとおもいます。もう少しいる可能性も否定できないと思っています」

QABでは二年前の6月、辺野古崎の沖でカップルとみられるジュゴンを撮影しています。そしてこちらが昨日、古宇利島沖で初めて撮影されたジュゴンですが大型で顔が長く、辺野古の2頭とは違う特徴を持っています。これはこの10年間にジュゴンが目撃されたり、網にかかった場所。辺野古から金武湾にかけては、最も集中しています。この地域には本当にジュゴンはいなくなったのでしょうか

海中道路に海の文化資料館では、5年前から地元の子供たちと「ジュゴン登り」をあげています。

前田一舟さん「ウルマ市の海中道路周辺はジュゴンの生息地として有名だったということも有って」「私もこの裏で見ているんですけどね、だれも信用しないですね」

海中道路の北側には今も広大な海草藻場が広がっていてジュゴンを見たという話は、最近でもよく聞くそうです。

三上「海のなかで見たんですか?」伊波さん「そうよ。色なんか飛行機で見るような、あんな色じゃないですよ。どっちかというと像のような。」三上「銅?」伊波さん「ゾウ。」

伊波さんは数年前、モズク漁の現場でジュゴンを目撃しました。

伊波さん「最初は鮫と思ってびっくりしたんですよ。だけどあんまり動きが鈍いし、近づいて行ったら海草を食べているんですね。それではっきり、あ、ジュゴンだとわかった」

ジュゴンの保護団体は「たった1年の調査で沖縄の個体群の姿を決めないで」と勉強会を開き「意見書」をどんどん出そうと呼びかけています。「命を守る会」ではおじいおばあの意見を若い人が書きとって意見書の準備をしています。

「戦はいや。子や孫にあんな思いはさせない・この海には神様が住んでいる。」「埋めると大変なことになる。・子や孫の平和のために最後まで頑張ります。」

「5400ページを読んでから」と考えるともうかけませんから、全部読まなくても、そして1行でも2行でもいいから意見書を書いてほしいと各市民団体では呼びかけています。ご覧の学習会も有りますし、ネットで情報を得ることもできます。どれだけ素晴らしい環境を失うのか、という大事な問題がわからないまま終わってしまうよりは、一行でも意見表明してしっかり見届けていきたいですね。

徳之島での400年シンポ

5月3日の南海日日新聞において徳之島で開かれた島津藩侵略400年に関するシンポについての記事が掲載されていましたので、お伝えします。




「未来への道しるべ」と題した薩摩藩奄美琉球侵攻四百年記念事業の講演・シンポジウム(同実行委員会、沖縄大学地域研究所主催)が二日、徳之島町文化会館で開かれた。

薩摩の琉球侵攻について、郷土研究家や歴史学者など六人のパネリストが、歴史認識を検証しながら、未来への発展につなげるさまざまな視点を提示した。

島津家の子孫で、第三十二代当主の島津修久さんも出席、秋津湊での犠牲者を祭る秋津神社を訪れたことを報告し、今後の奄美との交流を呼び掛けた。

 ことしは一六〇九年に薩摩藩の軍隊が奄美、琉球に侵攻して四百年。徳之島でも、現在の徳之島町亀徳で「秋徳湊の戦い」があった。同シンポは、歴史的な節目を契機に歴史認識を検証するとともに、現状を問い直し、鹿児島と奄美、徳之島、沖縄が共に連携を図り、未来へ向けて発展することが目的。

 同事業の実行委員会会長を務める高岡秀規徳之島町長と徳田毅衆議院議員らがあいさつした。シンポジウムは徳之島高校の吉満庄司氏がコーディネーターを務め、原口泉鹿児島大学教授、金城正篤琉球大学名誉教授、高良倉吉琉球大学教授、徳之島郷土研究会の幸多勝弘氏、奄美市文化財保護審議会委員の弓削政己氏の六人がパネリストを務めた。

 原口教授が薩摩藩と奄美について、金城教授が冊封体制と奄美、高良教授が琉球の視点、幸多氏が徳之島の視点からそれぞれ薩摩藩の侵攻について説明した。

 未来への展望について高良教授は「隣県同士でありながら鹿児島県と沖縄県、そして奄美の交流がこれまでは少なかった。この会をきっかけに交流を促進してほしい」と呼び掛けたほか、幸多氏は「徳之島の先人たちが厳しい時代を生き抜いたことを誇りにして未来につなげよう」と訴えた。

 弓削氏が基調講演の中で、薩摩軍の侵攻経路で新たな解釈を打ち出したほか、薩摩藩の直轄支配と琉球王府による冊封体制という二重の支配体制にあった奄美の状況を説明、「薩摩藩に黒糖を上納する直轄支配の厳しい時代でも、徳之島の人口が増えた時期がある。それだけ島民はたくましかった。主体性があった」と指摘した。

第5回ゆいまーるの集いin沖永良部島への招待

沖永良部島の前利さんから16日の集いの内容が届きました。多くの方のご参加とご発言を希望します。私は、ひとりの琉球人として、400年の意味、島の自治について真剣に議論するために、沖永良部島の土を踏ませていただきます。


ゆいまーる琉球の自治in沖永良部島
【日時・会場】
2009年5月16日(土) 知名町中央公民館 10:00 ~ 17:00
【開催形式】

 主催:NPO法人ゆいまーる琉球の自治 協力:知名町中央公民館/知名町職員労働組合
 挨拶:藤原良雄(NPO法人ゆいまーる琉球の自治副理事長/(株)藤原書店社長)
 司会:前利 潔(同事務局長/知名町中央公民館)

 助言者:松島泰勝(同理事長/龍谷大学教授) 著書に『沖縄島嶼経済史』『琉球の「自治」』他

【目的】
特定非営利活動法人ゆいまーる琉球の自治では、琉球に住む人々が自治を自らの問題として
考え、住民一人一人が自治の担い手として実践することを目的としています。また、琉球の人々が自治について互いに学び、励ましあうための車座の集いを定期的に催します。
久高島、奄美大島(宇検村)、伊江島、西表島に続く、5回目の開催。

【テーマ】
(1)沖永良部島の歴史(前利 潔) 10:00 ~11:30
古代(国指定史跡住吉貝塚、約3500~2000年前)、中世(琉球の時代)、近代(長崎県口之
津、神戸への移住)、現代(知名町の米軍基地)について報告します。近世(薩摩の時代)については、17日のシンポジウム「<琉球>から<薩摩>へ」をお聞きください(裏面参照)。

(2)農業(宮内茂喜) 13:00 ~ 14:00
宮内さんは2008年3月、51歳で知名町役場を退職し、専業農家として再出発。沖永良部農業
の可能性について語る。

(3)移住(多田 等) 14:00 ~ 15:00
多田さんは1944年、広島県尾道市生れ。13年前、妻と子と一緒に知名町に移住。現在、グラ
ジオラスを中心に花き栽培に取り組んでいる。

(4)商工業(東山栄三) 15:00 ~ 16:00
知名町でガソリンスタンド(南国商事)を経営。昨年のガソリン価格高騰の際、沖永良部島では
小売価格が200円を上まわった。復帰特別措置の暫定税率によって価格が低くおさえられている沖縄県と比べると、40円前後の開きがある。ガソリン価格を一つのテーマにしながら、商工業における沖縄県と沖永良部島(奄美諸島)の制度違いを明らかにし、どうすべきかを議論する。

(5)道州制(皆吉龍馬) 16:00 ~ 17:00
皆吉龍馬さんは82歳、現役の琉球新報通信員である。祖父は1879年、琉球処分によって
設置された沖縄県庁に勤務。退職後、沖縄から仲毛演芸座30名を沖永良部島に招いて、沖縄芸能の普及に力をいれた。その影響を受けた父は、沖縄県を切り離したかたちで進められる復帰運動の渦中で、琉歌で沖縄と行動を共にすべきことを訴えた。道州制について提起する。

【参加方法】
参加は無料。車座方式の自由参加、自由討論、興味のあるテーマだけの参加もできます。

【懇親会】 18:00 ~21:00
同じ会場で懇親会を開催します。会費1,000円。翌日のシンポジウムの講師・パネリスト、奄美
大島、沖縄、鹿児島、関西、京都、関東からの参加者と語りあいませんか。

【問い合せ先】 知名町中央公民館 TEL:93-2041

石垣島の自殺問題

4月4日の八重山毎日新聞に石垣島の自殺問題についての社説が掲載されていますので、ご紹介します。島の開発にともない、アパート、マンションなどの集合住宅がふえ、隣人関係が希薄になり、島ならではの「ゆいまーる(相互扶助)」が切れていることが、自殺問題の要因の一つであると思います。

八重山諸島において過去5年の自殺率がこれほど高いことに驚きました。それだけ、島社会が病んでいる証拠であると思います。

これが島の現実です。このような島の現状を受けて、どのように人の繋がりを、再び結びなおすのかが琉球の自治の大きな課題です。



5年間で74人が命を絶つ

■精神的に不安定な時期
 4月は人事異動に伴う転入や配置換え、入社、新入学で多くの人の生活環境が変わ。とりわけ八重山は国・県の出先機関、学校が多く、毎年1000人ほどの人々が入れ替わる。1日には年度初め式が行われ、厳しい時代への決意も新たに業務をスタートさせた。

家族を残しての単身赴任、あるいは一家での赴任もあろう。1日も早く職場環境に慣れ、地域にとけ込んでほしい。数多くの離島を抱える郡内には、独特な伝統行事があるし、島ちゃび(離島苦)の悩みもある。行事に参加して見聞を広め、さまざまな課題克服に努めるよう望む。さらに積極的に地域ボランティア活動も行い、新しい生活を楽しもう。

 また、高校に入学する新入学生は、人生で最も思い出に残る時期だ。出会いを大切に多くの友をつくり、勉強・部活動に学園生活を満喫しよう。

 ただ、この時期は新しい環境に適応出来なくなるケースもある。精神的に不安定な状況に陥る人もおり、そのような場合には、不安解消に同僚や級友など周辺の人々の支えと協力が必要になる。

■高い中高齢者の自殺
 経済、社会情勢の大きな変化で近年はストレス社会といわれ、さまざまな要因で自ら命を絶つ自殺者が後を絶たない。

 八重山福祉保健所によると、2003―07年度までの5年間に郡内で自殺した人は74人にものぼる。八重山は中高齢者の自殺の割合が高いのが特徴だ。これは本島地区が自殺者の10%前後、宮古地区20%なのに対し、八重山は25%以上と突出している。さらに働き盛りの40〜50代も多い。

男性の自殺者の約3割は生活苦が原因といい、事態を重視した県は2006年から自殺予防キャンペーンを始めた。09年度には働き盛りの自殺対策として、メンタルヘルスや多重債務など経済問題への支援に力を入れ、石垣市も役所に多重債務の相談窓口を開設した。

 しかし、その機能は果たされているのだろうか。確かに行政間のネットワークは確立しているが、さまざまな理由で追い込まれた人々をどれだけ受け止め、サポートしているのだろうか。

■隣人との関係が希薄化
 今年に入り、八重山では特異な2件の自殺が起きた。40代女性が有毒ガス・硫化水素を発生させて死亡し、周辺住宅に2次被害の及ぶ恐れがあった。また夫婦と子ども3人の一家5人無理心中事件は、郡民に衝撃を広げた。

 自殺はさまざまな要因が重なって起きている。遺書のないケースが増え、原因を究明しにくい。
 ただ、昔といまと住民の生活環境は大きく変わった。核家族化が進み、両親や兄弟などとコミュニケーションをとりにくくなっている。

 さらに隣近所とのつきあいも希薄化した。共同住宅の増加で、隣近所を知らない世帯が増えている。悩みを相談すること自体が、次第に難しくなっているのは確かだ。

 地域の核となる公民館活動は伝統芸能の継承や交流レク、敬老会など定例行事に終始していまいか。地域住民の悩みや課題を掌握する視点は十分だろうか。

 プライバシーが重視される現在、それは難しいが、行政まかせにせず、知恵を出し、共に支え合う社会の再構築を考えよう。相互扶助精神のない島は味気ないものである。

パンの木の実、北マリアナ諸島と日本人観光客、グアムの横井元伍長

07年7月の太平洋諸島ニュースをお届けします。太平洋諸島でよく見られるのがパンの木の実という植物です。私も食べたことがありますが、大変おしいかったです。



7/5 PIR
 パンの木の実が太平洋地域で資源として充分に利用されていない。

パンの木の実が食糧自給、収入源として太平洋地域のほとんどにおいて、充分に利用されているとはいえない。その理由は、諸政府や研究機関によってパンの木の実が低い評価しかされていないことにある。

またパンの木の実に関して多様な利用の方法についての知識がほとんどないことも充分に利用されない原因である。最初のパンの木の実に関するシンポジウムがフィジーで開催された。参加国は、スリランカ、トリニダード、ジャマイカ、ナイジェリア、タンザニア、ガーナ、ベニン、セイシェル、ミクロネシア連邦、サモア、トンガ、バヌアツ、ツバル、フィジーなどであった。

このシンポの目的は、アフリカ、カリブ海、太平洋の食生活においてパンの木の実の重要性を参加者が理解し、研究開発体制を確立し、情報を共有することで、パンの木の実の多様な利用を促すことにある。


サイパン、テニアン、ロタなどの島々からなる北マリアナ諸島。衣料産業の衰退、観光業の衰退などの経済問題が山積しています。


7/17 PIR
 北マリアナ諸島において日本人観光客数の観光客全体に占める比率が50%に減少した。

日本とサイパン間の航空路線がたった一つの国際航空会社によって運行されていることが原因で、北マリアナ諸島を訪問する日本人観光客数の観光客全体に占める比率が50%にとどまった。2005年に日本航空が同路線から撤退するまえは、日本人観光客数は年間約40万人程度であり、全体観光客の70%を占めていた。

しかし、今年において、日本人観光客数は約20万人になるだろうと見込まれている。日本人の中でサイパンを訪問したいと思っている人は潜在的に多くいると考えられるが、問題は日本とサイパンとの間を就航する航空機の数が減少したことにある。

今年の観光客数は39万3千人に落ち込むと予測されているが、日本人に次いで多いのが韓国人で全体の20%、中国人が19%等である。観光客数のピークであった1997年には約70万人の観光客が北マリアナ諸島を訪問した。


私がグアムに住んでいた頃、お客さんをつれてよく、横井ケーブに行きました。横井さんの生活はグアム博物館でも展示されています。


7/17 PIR
 グアムで横井庄一元伍長に関する展示会が開催されている。

太平洋戦争中の1944年から発見される1972年までの28年間、グアムのジャングルであるタロフォフォ地域で、米軍から身を隠して生活をしていた横井庄一元伍長に関する展示会がグアムで開催されている。

横井氏は夜中に食糧を求めて狩に出て、植物を利用して衣類、ベッドなどを作った。1972年に2人のグアム人が海老のわなを確認しに行った時に横井氏を「発見」するまで、横井氏は一人で生活してきた。生まれ故郷である愛知県に戻り、結婚をし、1997年に82歳で亡くなった。

トンガとイラク、パラオと台湾・中国、グアム基地反対運動

07年7月8月の太平洋ニュースをお届けします。
トンガと米国は緊密な関係にあり、トンガ軍も米軍と協力して、イラクで活動を行っています。「南洋の楽園」ではなく、これが島の現実です。


8/15 PIR
 トンガ兵がイラクに派兵される。

イラクで治安維持活動をしている米軍をサポートするために、8月18日にトンガ兵が出発する。フォノカラフィ隊長をはじめとする55人の兵士は、6ヶ月間バグダッドのビクトリーキャンプに駐屯する。ビクトリーキャンプは、バグダッド国際空港の近くにあり、4800人の民間人、4300人の軍人、400人のイラク人警備員等が勤務している。

米軍がトンガ軍に対して、制服、武器、食糧、住居、弾薬等を提供し、移動、通信、事前の訓練等の便宜を提供する。トンガ軍は8月18日に米国に向かい、2週間、訓練を受ける。そして9月1日にクェートに移動し、そこでも2週間、事前訓練を行い、9月16日にイラクに行く。

トンガ軍が初めてイラクに派兵されたのは、2004年の6月であるが、46人の軍人全員が無事に帰国した。今回は2回目の派兵となる。


パラオは台湾と現在、外交関係を結んでいますが、中国との関係を重視するパラオ人もおり、両者の綱引き関係は今も見られます。


8/23 PIR

 パラオにおいて台湾による援助で道路が完成するなか、中国との関係を強化しようとする動きがある。

レメンゲサオウ・パラオ大統領は、同国のエサール州政府に対し、パラオ政府が台湾と外交関係を締結しているという事実を尊重すべきであると求めた。8月17日、大統領はエサール州において台湾政府から援助によって完成した州道路の除幕式に参加した。

大統領は次のように述べた。「台湾が経済支援を行っているなか、中国と友好関係を確立しようとする動きがある。エサール州のリーダー達は私の任期が終わるまで待って欲しい。次の新しい政権が台湾との外交関係を続けるのかどうかを決めるであろう。」

大統領のスピーチの後、同州のデュアン・ヒデオ知事は、大統領の言葉は「強制的」な性格をもっており、他の国と友好関係を結ぶという我々の権利を認めていないと述べた。最近、知事のほか、ペリリュー州のニランガス知事、アンガウル州のホレイス知事、そして、ポリカープ・バシリウス氏(パラオ有数の企業家、前回の大統領選挙に出馬し落選)、デメイ・オトベッド氏等が、中国への親善旅行を行った。

ヒデオ知事、ニランガス知事は、パラオが本当の経済成長を実現するという目的を達成するための選択肢の一つが中国との関係強化であると述べた。


豪州人とチャモロ人が協力して、グアムの基地建設反対運動を展開しています。


7/2 PIR
 チャモロ人、豪州人がグアムの基地建設に反対をしている。

豪州人活動家が、チャモロ人と協力して、グアムの海軍基地、空軍基地における軍事機能の強化と、原子力潜水艦配備に反対する運動を展開している。

米国と豪州との共同軍事訓練「タリスマン・サブレ2007」に反対して、6月24日、豪州の中央クイーンズランドの近くにある米豪共同訓練場近くにおいて、数千人の人々が集まった。グアムからはチャモロネーションという団体が参加した。

徳之島シンポをめぐる森本さんの声と実践

本ブログでもリンクをはっている「あまみ庵」の森本さんが、徳之島でのシンポに参加され、次のような文書をご自身のHPに掲載されていますので、ご紹介します。島津藩侵略400年に対する奄美大島の人の怒り、真剣な姿勢、当事者性をもって島の記憶に対している生き方に心が動かされます。
森本さんは自らの実践を通じて、島津藩と奄美諸島との関係性を徹底的に問うています。

同時に、沖永良部島の集い、シンポに私は参加しますが、その責任の重さをひしひしと感じています。



▼きのう、徳之島からもどった。
「薩摩藩奄美琉球侵攻400年記念事業」(5/2)を見届けるため。

当日の講演会やシンポジウムなどには全く興味はなかった。
発表者の中で、聞きたかったのは唯一、地元の幸多勝弘氏の意見だけだったし、
実際、当日の登壇者の内容もその通りだった。

もし、幸多さんの発言がなかったら、
ナンセンスの極みのシンポジウムだったからだ。

が、急遽、徳之島入りしたのには重要な意味があった。
島津家32代当主の島津修久(71)が、徳之島で挨拶をするとの裏情報を得たからだ。
挨拶の内容を自分の目と耳で確認しておく必要性があった。

当日の内容については、
この問題を深く追求している、喜山荘一さんと松島泰勝さんの
ブログを参照していただくとして、マスコミには決して載らないネタを三つだけ紹介する。

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▼ 一つは、シンポジウム前の「秋津神社の境内」でのこと

奄美大島から徳之島入りした私たち4人は、お昼過ぎにお参りして、
新元博文の祝詞で慰霊祭を執り行った。

笠利町は津代の戦跡地で13年間やってきたことを、
ここでも同じようにやっていた。

塩と黒砂糖と黒糖焼酎をお供えして
400年前に島津軍との戦闘でなくなったという両軍350人の御霊に
深く慰霊の鎮魂を捧げた。

と、そこへ、
原口泉氏(当日のパネラー)が例のニコニコ顔でやってきたのだ。
当初、驚いた様子だったが、こちらへ近づいてきた。
初対面なので、「森本です」とだけ挨拶した。
「あー、あの本屋の森本さんですか」とだけの応答があった。

と、そこへ、今度は、
島津修久氏が参内してきたのだ。
私たちは、挨拶などせず、距離をおいた。

神主の案内で彼がお参りするのを観察した。
彼は、私たち普通の人間たちが、お賽銭やお供えなどをして、
「とーとがなし」をするようなことはしなかった。

神主に命じて、社殿正面にある
お賽銭箱やお供え物などを取り除かせた。
そして、正面から靴を脱いで、社殿に乗り込み、
直接、神棚の前でなにかしら祈ったのだ。

そうか、
彼は、島津斉彬(正一位)を祀る照国神社の宮司でもあるのだ。
我々庶民とは神霊にたいする向かいかたがまったく違うのだ。
彼は、いったい、誰に、何を祈ったのか?
聴く気にもなれず、私たちは境内を後にした。

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▼ 二つ目は、「申し入れ書」の件。

二日前から私は、「島津家当主の挨拶をとりやめてもらう」申し入れ書を作成し、
全国の知り合いを通じて送信してもらっていた。
その内容については、松島泰勝さんさのブログを参照してください。

申し入れの数について、当局から聴いてはいないが、「多数」あったそうだ。

実行委員会会長の高岡秀規・徳之島町長の開会の挨拶は、
「歴史の認識の仕方はそれぞれですが・・・」で始まった。
これは、申し入れ書を読めばわかるように、
この中にでてくる私たちの「歴史認識」を考慮したコトバである。

島津修久氏の挨拶にも、「反省、謝罪」の弁はなかった
これも、申し入れ書の抗議の内容に配慮して、
謝罪のあとにリンクするだろう様々な責任問題を忌避した結果だ。

両者とも私たちの申し入れ書に気を使い、
あらかじめあった原稿の内容を変えたのだろう。
まぁ、目的の一つは功を奏した、と言えよう。

ーーーーーーーーーーーーーー

▼ 三つ目は、「懇親会」でのこと

▽ ホテル西田で18時からあった。
幸多勝弘さんの計らいにより、私たちは飛び入りで参加させてもらった。
実は、あることを計画していたからだ。
それが実現した、想わぬところで。

トイレをしていたら
なんと島津修久氏がはいってきた。
連れションしながら考えた。
よし、ここでいい。
いや、ここがいい!

ワンは用意していたものを手渡した。
「400年分のお土産を届けに大島からきました。
これを受け取ってください」
黄色いポリ袋には短く切ったサトウキビが8本、
藁でしばられてはいっている。
「それはそれは、」
ワンに名刺を差し出してきた。
ワンは受け取った、が、名刺を持たないので、
「島ぬ世へ!
笠利町津代の寄合(ゆら)いから
1609年から400年の日に」
というワンの実名入りの長いメッセージを名刺代わりに手渡した。
これは、当日、シンポジウム会場のパンフレットに入れて、
300枚分、配布したもの。
が、入場者は650~700人もいたようなので、
ぜんぜん足りなかったやつだ

「これも、お土産で、著者からも許可を得てます」
『しまぬゆ』(義 富弘)と『奄美自立論』(喜山荘一)を手渡した。

無責任な謝罪などされてはたまらない。
この三点セットを熟読玩味してから出直して来い!
とは言わなかったが
思いは伝わったようだ。
顔と目に、顕れていたから。

▽ 懇親会は挨拶と余興の連続。
まるで、お殿様をお迎えしての哀れなシマンチュ同士の「植民地歓迎祝賀会」。
薩摩の植民地400年を現在から問うカケラもない。
ここは、どこなんだ?!
鹿児島の山川港か?!
山川でも2009年の催しがあると聞いているから、
といらいらしてたら
ほろ酔いで紅い顔した原口泉氏が焼酎をもってやってきた。
「森本さん、今日の感想はどうでしたか?レベルの高い内容でしたねぇ」
ときたから、こいつは!と思って
「何のため、誰のための会だかわかりませんでしたよ。」
「?」
「400年の記念事業なら、まずは黙祷をささげてから始めるべきでしょう」
「?」
「1,609年の戦没者にだけではありません。その後の、
餓死、飢饉、伝染病、一揆などなどで亡くなっていった徳之島の多くの先人に向けてです。
私は、そのために今日、ここにきたのです」
顔面蒼白になった原口泉氏は
「そういうことなら発言すれば良かったのに・・・」
もうあとは、開いた口がふさがらず、怒りが心頭に発する寸前になった。
悪いけど、席をはずしてもらった。

会次第や質問者の発言などは当局で入念に計画していて、
一言も口を挟めないようにしていたことは、
当日の会の内容(進行・侵攻)からして、自明の理すぎたからだ。

ーーーーーーーーーーーーー

と、まぁ、かくして「徳之島」の一日は終わった。

徳之島での島津藩侵略400年シンポジウム

5月3日の沖縄タイムスと琉球新報に徳之島での400年シンポジウムについての記事が掲載されましたので、タイムス、新報の順でご紹介します。



支配の歴史議論 薩摩侵攻400年シンポ 徳之島

 【鹿児島県で与儀武秀】薩摩の奄美・琉球侵攻から400年目の節目を振り返る講演・シンポジウム「未来への道しるべ」(主催・薩摩藩奄美琉球侵攻400年記念事業実行委員会、沖縄大学地域研究所)が2日、鹿児島県徳之島町文化会館で行われ、約650人の来場者が奄美、沖縄の歴史について理解を深めた。

 第1部の基調講演で、奄美郷土研究会の弓削政己氏は、薩摩が琉球王府を支配しながら内政には干渉しない間接支配を行ったのに対し、奄美諸島は薩摩に直轄支配された違いについて指摘。

「薩摩は琉球王国を(表面上は独立国として)そのままにした。奄美諸島の歴史を理解するとき、薩摩の直轄支配と共に、中国と琉球との冊封体制が存続したことも視野に入れ考える必要がある」と強調した。

 第2部のシンポジウムでは、沖縄や徳之島、鹿児島の研究者が薩摩侵攻の歴史について議論。琉球大学教授の高良倉吉氏は「沖縄側に残された薩摩侵攻の資料は非常に少なく、奄美や鹿児島、中国サイドの断片的な資料を集めて全体を考える必要がある」と説明。

徳之島郷土研究会副会長の幸多勝弘氏は、薩摩侵攻時の徳之島での激しい抗戦に触れ「各家が熱いお粥で、攻めてくる兵隊にやけどさせたともいわれる。お粥には、地元で『悪霊を払うという』という意味もありアニミズム(呪術信仰)的な世界観もあった」と話した。

薩摩藩・島津家の子孫で第32代当主の島津修久氏も参加した。



歴史越え連携構築 薩摩藩侵攻400年シンポ2009年5月3日
薩摩侵攻について意見を交わした薩摩藩奄美琉球侵攻400年シンポ=2日、鹿児島県徳之島町の徳之島町文化会館

 【徳之島2日高良由加利】1609年の薩摩の琉球侵攻を振り返り、将来展望を開こうと、薩摩藩奄美琉球侵攻400年記念事業「未来への道しるべ」(同実行委員会、沖縄大学地域研究所主催)が2日、鹿児島県の徳之島町文化会館で開かれ、600人が訪れた。

シンポジウムでは各登壇者が侵攻前後の歴史を奄美や中国など多様な視点からとらえ、400年を機に「鹿児島、奄美、沖縄が歴史とどう向き合い、どう連携するか考える時期に来ている」と、新たな関係性を構築する重要性を強調した。

 薩摩島津家の第32代当主・修久(のぶひさ)さんも登壇し「旧藩時代の苦難の歴史の主な原因をつくったのはわたしどもにある」とあいさつした。

徳之島高校教諭の吉満庄司さんを進行役に、鹿児島大教授の原口泉、琉球大名誉教授の金城正篤、琉球大教授の高良倉吉、徳之島郷土研究会の幸多勝弘、奄美郷土研究会の弓削政己の5氏が登壇した。

 高良さんは「鹿児島と沖縄は意外と交流がない」と述べ、両県が連携して奄美に研究所を造るなど、交流が生み出す可能性を指摘した。

歴史を見る視点について原口さんは「あらゆる角度から検討して初めて過去が見える」と述べ、多面的に考察する重要性を説いた。

 金城さんは、薩摩に直轄支配されて以降も奄美が「琉球で中国使節を歓待する際の経済的負担を負わされた」と紹介し、幸多さんは「影の部分で奄美が命を削っていたことは事実だが、先祖のたくましさを誇りに思おう」と呼び掛けた。

 シンポジウムに先立つ基調講演で弓削さんは、侵攻に至る経緯や侵攻時に先発隊として徳之島に入った薩摩軍が二手に分かれて攻めたことなどを説明した。

パラオの土地制度、台湾の医師団とソロモン諸島、日本のパラオ援助

07年8月の太平洋情報をおとどけします。太平洋島しょ国の大部分は現在も外国企業、外国人への土地所有を認めていない国が多いです。これらの企業は土地のリースしかできません。パラオではそのリース期間が約2倍になったのです。土地を奪われたら島人は島に住むことができず、自己防衛のための措置であると思います。



8/5 PIR
 パラオにおいて土地の賃貸期限が99年に延長された。

これまでパラオにおいて土地の賃貸期限は最長50年であったが、レメンゲサウ大統領は、政府所有財産(土地を含む)の賃貸期限を99年に延ばす法案に署名した。民間の土地所有者も、これまで外国企業や個人に土地を50年間の期限で賃貸していたが、これからさらに49年を加えた期間における土地の賃貸が可能になった。

大統領は、土地賃貸期間の延長により、外国投資家が自らの投資に対する利益を得る期間をさらに長くすることが可能になったのであり、これによりパラオの経済発展もうながされると述べた。


私がツバルに行った時にも台湾の医師団が島を訪問し、丁寧な支援活動が島人から喜ばれていました。


8/5 PIR
 台湾の医師団がソロモン諸島の西部州を訪問している。

9人のメンバーからなる台湾移動医療使節団がソロモン諸島の西部州を訪問している。同使節団は、数百人の住民に対し無料の診療を行い、医薬品を贈呈している。これまで住民は長い間、医者から診察を受けることなく、薬も処方してもらえず、今回の台湾の医療使節団の訪問に喜んでいた。

台湾移動医療使節団は、台湾国際協力開発基金の支援を受けた、公的な組織であり、世界中において台湾からの支援を必要としている国々において協力活動を実施している。同使節団がソロモン諸島の地方を訪問するのは今回で三回目になる。


日本政府のパラオの対する援助は発電、橋、水族館等、あらゆる方面にみられます。私がパラオ大使館で働いていたときには、そのような援助の現場を詳しく見て、その意味を考えました。



8/7 PIR
 パラオ代表団が日本において開発援助に関する合意書に署名した。

パラオ政府資源開発省のコシバ大臣をはじめとする5人の代表団が日本を訪問し、都市部における道路修繕計画に対する日本政府の援助に関する合意書に署名する予定である。同事業は日本政府からの1190万米ドルの無償資金援助金によって実施される。

コロール州にあるミナト橋からパラオ観光局まで、パラオ観光局からモービル給油所まで、モービル給油所からアイライ州海中道路まで、新KB橋からパラオ国際空港まで、パラオ観光局からミューンズ海中道路まで、ミューンズ海中道路からパラオパシフィックリゾートまでの各道路が日本の援助金によって整備される。

mizumaさんへ:本日ブログ内容に対する私の考え

mizumaさま

本日のブログについてのコメントありがとうございました。

私自身は次のように考えて森本さんからのメールを皆様に紹介しました。

島津藩の琉球侵略400年を考える場所に島津当主が来て、挨拶をすることに対して、長年、奄美大島で侵略問題を問い続けている三七の会が反対していることを、多くの方に知ってもらいたかったので、ご紹介しました。

つまり、島津家当主による発言によって、400年前の侵略とその後の植民地支配をうやむやにされたくないという森本さんらの声に耳を傾けたいと思います。

もっとも、島津家当主が何かをいったからといって、侵略と植民地支配がもつ歴史的責任問題は解決されません。当主は現在なんらかの政治的権限をもっていません。廃藩置県を考えれば、むしろ鹿児島県の知事などの幹部が来場して自らの歴史認識を示す必要があるでしょう。

さらにいえば、江戸幕府が侵略と植民地支配を認めたのであり、江戸幕府の現在における継承者と考えられる日本政府の奄美諸島に対する歴史認識も問われてくると考えます。

1893年、ハワイ王国は米海兵隊の介入するクデターにより滅亡させられました。その100年後の1993年、米議会は、ハワイの米国併合にいたる過程が違法であったことを認め、両院による謝罪決議を採択し当時のクリントン大統領もハワイの地にて謝罪しました。

私は、日本政府、国会は、島津侵略、その後の植民地支配に対する謝罪、賠償等を行うべきであると考えます。

話を元に戻すと、たとえ徳之島のシンポジウムで島津家の当主が謝罪をしても、日本と奄美諸島との関係性は何もかわらないし、三七の会のように、どこまでも問い続ける奄美諸島の人々がいると思います。

私自身も今月15日から17日まで沖永良部島で開かれる「ゆいまーる琉球の集い」と、400年を考えるシンポに参加する予定です。島の上で400年の侵略と植民地支配を考えてみたいと思います。
歴史上の解釈だけにおわるのではなく、400年前の侵略と植民地支配の歴史を踏まえて、今後の琉球の島々がどのように自治の道を歩むのかをしかっりと考えたいと思います。

徳之島シンポジウムについて三七の会からのお知らせ

奄美大島で、島津藩侵略を問うている三七の会の森本さんから以下のようなメールが届きましたので、ご紹介いたします。



森本@アマミアン@「三七の会事務局」です。

きたる、五月二日(土)に徳之島で2009年のシンポジウムがあります。

http://kansai-amamikai.sakura.ne.jp/pr/400.html

「薩摩藩奄美琉球侵攻400年記念事業実行委員会」(0997・82。・1111)

Fax→099-248-5457
Male→kikaku2@tokunoshima-town.org

このシンポジウムで島津修久氏(32代当主)が来賓の挨拶をするそうです。
どのような内容かはわかりませんが、「400年間の反省と謝罪と未来へ向けて」語ることと想われます。

鹿児島県や日本国の当局による公式声明ならともかく、
一私人による、奄美・沖縄との歴史の総括や、幕引きを図られてはたまりません。
公式な見解につながることにはならない、無責任な挨拶やメーッセージはお断りしたいものです。

つきましては、島津家当主の来賓挨拶をとりやめてもらうべく、「三七の会」として、徳之島町当局(町長)へ申し入れいたします。

ご賛同なさる方は、このメールの添付「申し入れ書」にご住所と氏名を記入なされて、送信して下されますようお願いいたします。

奄美市名瀬末広町7-11
「三七の会」事務局・森本眞一郎
090(5944)2384

2009年4月  日
「薩摩藩奄美琉球侵攻400年記念事業」
実行委員会 会長 高岡秀規殿
住所
氏名

申し入れ書



私は、今回の意義深い事業について盛会を祈念している者の一人です。

現段階で「薩摩藩奄美琉球侵攻400年」の歴史認識はそれぞれに大きく分かれています。
にもかかわらず、当日、島津氏の当主がこのことに関して、挨拶なさることは、奄美の歴史に誤ったメッセージを送ることになるのではと大変、危惧しております。

我々民衆の歴史を旧支配者の手打ちの挨拶で終わらせてはなりません。
五月二日のシンポジウムが、奄美・沖縄・鹿児島・日本などの歴史認識にとって取り返しのつかない「屈辱の日」にならないよう衷心から願っております。したがいまして、

※ 島津氏当主の挨拶を取りやめていただきたい!

一六〇九年以降の史実については未だ評価も定まらず、パネリストの金城正篤氏の著書『琉球処分論』を一読なされば、現在の奄美・沖縄の問題に波及することであることはすぐに察知できます。

重ねて申しいれいたします。
島津氏当主の挨拶は時期尚早です。
絶対に取りやめてください。

以上

パラオと中国、ソロモン諸島と携帯電話、パラオと台湾

07年9月の太平洋ニュースをお届けします。文中のジョエル・トリビオン議員はジョンソン・トリビオン現大統領の兄弟です。


9/26 PIR
 中国からのビジネス使節団がパラオを訪問している。

「アメリカ・オセアニア問題の国際理解に関する中国連合」という団体のメンバーである5人の中国人がパラオを訪問し、地元ビジネスマンとの交流を行っている。ジョエル・トリビオン・パラオ下院議員は、中国とパラオとの関係強化を公けに支持しており、今、パラオ・中国間の友好関係が形成されていると述べた。

トリビオン議員は、パラオは国連の加盟国であり、他の国々と友好関係を自由に結ぶことが出来ると語った。同中国連合は、NPOとして登録される予定であるが、その主な目的はパラオにおいてビジネスを行うことにある。

トリビオン議員は、中国人はグアム、サイパン、そしてパラオにおいて中国市場を対象にした観光業を発展させようとしていると語った。同議員は、レメンゲソウ大統領に対して非常に批判的であり、大統領は中国を恐れるべきではないと述べた。また同議員は、台湾を自らの一地方と考える中国の主張は将来、実現するだろうと語った。


9/27 PIR
 携帯電話サービスがソロモン諸島において拡大している。

ソロモン諸島テレコム・ブリーズ・モービル・サービス社が同国のムンダ、ノロで営業を行い、販売量も拡大している。ムンダ、ノロは、同国のニュージョージア島の北西部の海岸地帯に位置する町である。

携帯電話は両町内外の住民に対して大きな影響を与えている。携帯電話の導入により、地方のラジオ放送システムは古臭くなり、費用がかかるものとなった。携帯電話により地域住民間のコミュニケーションも大きく促されている。


9/28 PIR
 パラオの国会議員は台湾の国連加盟を支持している。

パラオの上院、下院議会において、台湾が国連に加盟することを支持する決議案が採択された。同決議案は、国際社会に対しても台湾の国連加盟を支持するように求め、台湾が全世界の中で18位の経済規模を誇り、また世界の貿易国としての16位の位置にあり、外国投資でも世界の上位20位の一つに数えられると指摘した。

また同決議案において、台湾には主権国家として他の国と関係を有することのできる、特定の人民、一定の領土、政府があり、国連憲章に基づいて国連に加盟する十分の権利と能力を台湾がもっていることが指摘されている。

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