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プロフィール

Yasukatsu Matsushima

Author:Yasukatsu Matsushima
1963年琉球石垣島生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。

その後、東京、グアム、パラオ、沖縄島、静岡、京都、滋賀にて学び、働き、生活する。

著書に『沖縄島嶼経済史―12世紀から現在まで』藤原書店、2002年
『琉球の「自治」』藤原書店、2006年
『島嶼沖縄の内発的発展―経済・社会・文化』(編著)藤原書店、2010年、
『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』早稲田大学出版部、2007年
『琉球独立への道』法律文化社、2012年
『琉球独立論ー琉球民族のマニフェスト』バジリコ、2014年
『琉球独立ー御真人の疑問にお答えします』Ryukyu企画、2014年
『琉球独立宣言ー実現可能な5つの方法』講談社文庫、2015年
『民際学の展開ー方法論・人権・地域・環境の視座から』(編著)晃洋書房、2012年
『琉球列島の環境問題ー「復帰」40年・持続可能なシマ社会へ』(編著)高文研、2012年
『3・11以後何が変わらないのか』(共著)岩波書店、2013年
『島嶼経済とコモンズ』(編著)晃洋書房、2015年
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自治とは何か9

後藤新平の有名な自治三訣です。私自身も自主的自治のための修行過程にあり、勇猛心を奮い起こして理想の実現に邁進したいです。



自治三訣


自主的自治 人のお世話にならぬよう
社会奉仕 人のお世話をするよう
国家奉仕 そして酬いを求めぬよう

自主的自治は個人としての態度を、社会奉仕は社会に対する態度を、国家奉仕は国家に対する態度を、それぞれいましめて処世の心得を明らかにしたもの、この三訣の実行さえできれば、自治生活の目的は達せられる。

この実行はもとより容易なことではないが、その実行を期する苦心努力が積もり積もって、個人も繁栄、社会も平和、国家も振興という喜ばしい結果が見られるのであるから、大いに勇猛心を奮い起こして、極力理想の実現というところまで進んでいかねばならない。

修行は本来楽なものではないが、楽でないだけに最後の歓喜はまた格別である。その修行の法則として掲げた以上、自治の三訣は、人生最高の生活状態であるという熱烈な信念に活きるとき、そこに初めて絶大な自治生活の権威が現れるのである。






自治とは自己を救う道です。自分を救うのは他者ではなく、あくまで自分自身です。現在の結果は全てこれまで自分が行ったことが積み重なってできたものです。ですから、現在の自分の自治的生活が将来につながるわけですから、日々、緊張感を持って、全精力を傾けて生きなければならないと思います。




自己を救う者は、自己よりほかにはない。自治とは自己を救う道で、自己を堕落の淵から救い上げて正道へ導くのにも、また高い目的を描いて健気に向上進歩を図るのにも、みな自己の力を恃むよりほかに致し方はない、

「人のお世話にならぬよう」の一語、新に人間処せ上の大教訓としなけらばならぬ、自己を救う者は自己、自治は自然の大法である。







自分の生活は自分自身でしか責任を負えないし、生活や運命も自分が支配して生きております。地域の自立も、このような自主的自治を有した住民が多く生まれることによって実現していくと考えます。他で成功した法制度だけで自治が実現するのではありません。自治的社会の中から自治的法制度が生まれてくるのであります。





自主的自治とは、自分の生活は自分が支配し、自分の運命は自分が責任を負うということである。

ゆえに自分の努力の結果が好かったときには自分の功績であるが、もし不結果の場合であっても、自分の責任であるから不平も不満も起こるわけがない。

この覚悟で仕事に取りかかれば、ぜひとも好結果を収めねばならないから、そこに非常な決心と普段の努力が躍動してくる。

このとき自分に鞭うち自分を励ますものは、「人のお世話にならぬよう」との第一訣でなければならぬ。

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ニュージーランドに住む太平洋島嶼民、魚よりも釣り針論、海面上昇の被害を受けているキリバス

2007年2,3月の太平洋諸島ニュースをお伝えします。

ニュージーランドは太平洋島しょ国から多くの移民を受け入れ、移民社会も形成されていますが、ニュージーランド社会への同化が進んでいる状況が下の記事から明らかです。ニウエ、クック諸島、トケラウの場合、自分の国に住む人より、ニュージーランドに定住する島嶼民の数が多くなっています。


2/26 PIR
 ニュージーランドに住む太平洋島嶼国民が出身島嶼国の言葉を話さなくなっている。

ニュージーランドに住むクック諸島民の17%、ニウエ人の24%、トケラウ人の41%しか出身島嶼国の言葉を話さないという、2006年の調査結果がでた。

これらの数値は2001年の調査結果と比べて1%から4%減少した。ニウエ人全体の91%、クック諸島民全体の73%、トケラウ人全体の83%がニュージーランドに定住していることからも、この調査結果は大きな意味を有しているといえる。

これらの島嶼はニュージーランドと特別な関係を有しており、島嶼民はニュージーランドの市民権を有することができる。ニュージーランド政府は、これらの島嶼の言語を守る責任を有している。

ニュージーランド教育省は、最近、サモア人、クック諸島民のための学校教育カリキュラムを完成させたが、今年、ニウエ人、トケラウ人、トンガ人のための学校教育カリキュラムを整備する予定である。



魚よりも釣り道具をという、たとえは、前沖縄県知事の稲嶺知事もよく口にしていた。しかしこれまで与えられた手段によって本当に島が自立できないのかどうかを検証する必要があります。無駄な手段や他者依存を深める手段もあったと思います。



3/21 PIR
ミクロネシア首脳会議において、地域の統一、自立について議論された。

 第七回ミクロネシア首脳サミットにおいて、北マリアナ諸島、パラオ、グアムの首脳達は、島々の経済自立を実現するために民間部門との強力な協力関係を構築する必要があると強調した。

北マリアナ諸島のフィシアル知事は次のように述べた。「次のような古い諺がある。ある人に魚をくれたら、その人は1日だけ生活することができる。しかし、その人に魚の釣り方を教えれば一生、彼とその家族は生活をすることができる。私が米国上院議会の職員と会談した際、米国は経済発展のための手段を提供すべきであると主張した。例えばその手段とは、移民や労働者の最低賃金に対する北マリアナ諸島の管理権である。」

パラオのレメンゲソウ大統領は次のように述べた。「パラオには廃棄物のリサイクル施設がなく、廃棄物をグアムにあるリサイクル施設までに運ぶ必要がある。海運会社であるマトソン社は、パラオ政府が港着岸料や輸送代を支払うという条件で、空のコンテナーに廃棄物をグアムまで運ぶことに同意してくれた。

遠隔の地にあるという島嶼国の地理的条件は不利であるが、民間部門の支援により島嶼国の経済状態を改善することができる。」


ツバル、キリバスのように、海抜の低い島では地球温暖化による海面上昇は現実的な危機となっています。


2/6 PIR
 地球温暖化はキリバスにとってまさに現実の問題となっている。

 キリバスのアノテ・トン大統領は、地球温暖化を食い止める取り組みがなされているが、キリバスにとっては遅きに失し、数十年後には海面上昇により同国の住民は土地を離れざるおえないだろうと述べた。

地球温暖化により、同国の土地や住宅の中には海水に流されたケースもあり、また幾つかの政府庁舎もそのような危機に直面している。

人口10万5千人のキリバス人の大部分は、タロイモを主食としているが、塩害により住民の食生活にも大きな影響を与えている。

トン大統領は、キリバスの国土は幅が狭い環礁島であるため住民は海水の進入から逃れる場所がなく、少なくとも50年後には島を離れざるおえないだろうと、述べた。

宮古島の共同店

琉球の島々には、住民がカネと知恵と労働力を出し合って設立してきた共同店があります。宮古島でも購買組合と呼ばれる経堂店があり、今年4月に琉球朝日放送が報じていますので、お伝えします。


まさに自治の力です!宮古島の住民が自分たちで考え、作り上げた内発的発展の実践であると思います。





宮古島。平良の市街地から北へ12キロ。池間島と向き合う突端に狩俣集落があります。

御通帳を取るお父さんが子どもに渡す「(子ども)お願いします、、(店員)ありがとうございまーす」

集落の中を走る県道230号線沿いに、狩俣購買組合の直営店があります。いつも買い物に訪れる地域の人たちでにぎわっています。購買組合。あまり聞きなれない名称ですが、歴史は1947年に遡ります。

新里さん「終戦後の経済が疲弊して、全戸数が非常に苦しいわけです。地域が。すると自治会の負担金がみんな払えない。そうするとトップに立つものは何とかして金を生み出す方法を考えなきゃいかんと」

戦後2年、当時の狩俣集落の生活といえばイモや粟、でんぷんを取るためのキャッサバを栽培。冬場はススキでほうきを作り、それらを市街地で売り歩き、わずかの売り上げで生活物資を購入して集落に戻る。そうした時代だったといいます。

新里さん「金の生る木をつくろうと。合言葉で。だからそういう時代を経て地域が結束して、一人も会員に入らないという人がいないということが、強みだったわけです」

金の生る木。それはお店。集落の役員らが国頭村奥の共同売店を視察し、地域の全世帯が出資金を出し合って購買組合が設立されました。

出資金はB円時代の10円。270世帯で2700円。店は地域住民の生活を支える重要な役割を担うことになったのです。

現在、本店と支店を直営。支店は池間大橋へ向かう沿道に位置し、観光客も立ち寄ります。店内に一歩入ると、買い物客らは小さなノートのようなものを棚から取り出し、商品とお金と一緒にレジの店員に渡します。

根間専務「これはすごい役に立っているんじゃないですかね。地元の人には。お金が足りない、じゃつけといて、次の買い物した時にその不足分を払うと」「かけ、支払うと印鑑、確認して」

狩俣購買組合は、買い物に応じて住民に利益を還元しています。

上里さん「商品券ですか。千円券と五百円券があって、このお店でしか使えませんので、お買い物に応じて配当金というのかな、還元してますね。お客様に」

いまでは利益から自治会費、PTA会費を負担。老人クラブなどの団体に助成金まで行っています。購買組合は、まさに62年前の役員たちが考えた、「金の生る木」となりました。2007年11月、購買組合は60周年を迎え、地域上げて盛大な記念式典を行いました。そして今年1月には記念誌「六十年の歩み」を発刊しました。

住民「ここは掛け帳みたいなのでやってるさ。(それを見て)いいんじゃない、住民の和があって」「共同組合、共同組織というのが、どんなに良いものかということを分かってもらいたいなと思っております」

「やっぱり身近にあるものだし、便利だし、利用しやすいし、なくてはならない狩俣の購買店だと思います」「(地域の和みたいな?)結局この帳面でつながっているかな、と感じますけど」

現在の組合員数は226世帯、これに準組合員として池間島などの人たち125人が加わり、購買店を利用するまでになっています。

根間さん「当時、初代専務だった方が青年会を集めて簿記の講習会をやったんです。金の生る木と同時に、人をつくる木、人材育成の木だと。私も勉強させてもらったもんだから、私の人生に大きないろいろな仕事が出来たんです」

国仲さん「特に組合を預かっている専務は常に神経尖らせながら、従業員と仲良く頑張っていて、見ていて気持ちが良いですね。この調子だったらそんなに大型スーパーがあろうが、あと20年も30年も維持できると私は確信しています」

62年間も地域で住民の生活を支え続ける購買店。それは生活を支える運命共同体の象徴であり、住民の心をつなぐ絆でもありました。デジタル化時代に、アナログの通帳。

根間専務「田舎っぽくていいです。この方が自分も好きです」

しかし、時代の波は狩俣集落にも押し寄せます。つぎの60年を見据えた購買組合のあり方の研究も始まりました。

川満さん「任意団体から諸々のことに対応できるような法人化を目指して、今検討委員会を組織して対応しています」

戦後の貧しい中から生まれた購買組合。住民の拠り所として、田舎っぽさを残しながら、そして新たな段階へと進んでいきます。

自治とは何か8

まさに後藤新平の生涯が自分自身の無限創造、無限発展の力を思う存分発揮したものであったといえます。人間が有する可能性を信じて、それを実現した後藤は、あくまでも一人ひとりの人間による自治的自覚の覚醒の必要性を強く訴えています。

『政治の倫理化』という後藤が書いた本の表紙に移っている、身の乗り出して、力強く訴える後藤の姿をみて、人間の奥底に存在する無窮の生命を発出していると私は感じました。

後藤の自治の思想、実践を通じて、琉球のこれまでの在り方、振興開発、国への依存を問い直し、自治の島になるための、大胆な提案を出し、琉球の人間一人ひとりが有する無窮の自治力の自覚を呼びかけていきたいと考えています。

自治力は無限の可能性であり、尽きることがない人民の潜在能力であり、地域を再生させる大きな原料力です。

立派な施設やインフラが建設された琉球の都市部にはたして生命の輝きがあるのか。そこに住む人間たちが本当に自らの自治の力を発揮しているのかどうかが、問われていると考えます。






人間には、このように天から与えられた自治の精神がある。

この精神が旺盛になると、自己をどこまでも働かせていくという独特の想像力が湧き、それが限りない進歩向上の努力を続けていく動力となり、個人も社会も国家も緊張した無窮の生命を得て、極度まで邁進しなければ止まらないという発展性が躍動するのである。

自治の精神すなわち発展性は個人の体中に潜んでいる。この点からいうと、自治の精神は活力の源泉である。

この源泉は、どれだけ汲んでも涸れる時がない。否、汲めば汲むほど生命の水が湧き、進歩向上の力が強くなってゆく。


ベルグソンという哲学者は、「生命は絶えず新しい自己を創造しつつ進行する無限創造の力無限発展の力である」と説明した。

この無限創造無限発展の力も、自分でしっかりと掴んで活かしていかなければ、その生命の活躍は見られない。

まず自分の精神を自覚して、その自覚を第一歩として人生の行程を進めるのが、いわゆる声明を活躍させていく道である。

人生はこの根深い自覚から出発していかないならば、真の活動はできない。人間には、すでに無限創造無限発展の大生命があるのだから、人事の多くは意のごとくではないけれども、この自覚と努力の前には何の障害もなくなるのである。

こうして世に真の勇者が生まれ出て、人も栄え世も栄える。

今日の社会は何となく、生気の乏しい観がある。これは結局、自治の精神が欠けているために、社会のドン底から湧き起こる生命の活躍がないからである。形態は備わっても生命のない社会は残骸に過ぎない。今日の急務は、自治の自覚を喚起することである。

西表島に護衛艦現われる2

石垣金星さんが撮影した写真です。海上自衛隊の旗が西表の海になびいています。
上陸10


上陸12
上陸反対派が自衛官の上陸を阻止しようとしています。

上陸2
島の桟橋をあるく自衛官でしょうか。

上陸3
上陸反対派の中に西表島住民の会があることがわかります。

上陸4


上陸5
住民と自衛官が押し問答をしているところでしょうか。

上陸7
西表島で反基地・反軍隊のシュプレヒコールがなされる光景をみるのは初めてですが、それだけ、離島防衛が着実に進められ、緊張関係が高まっていることを実感させられます。

上陸9
慰霊の日とは、琉球人にとって、先の大戦で命を奪われた家族、親戚を静かに弔い、平和を祈る日です。旧海軍の旗をつけた船を島に着岸させ、自衛隊を上陸させることは、このような思いにある住民への挑戦であり、神経を逆なでる行為ではないでしょうか。琉球人の思いや気持に配慮しない、傲慢な日本人の姿がここにはあります。

西表島に護衛艦現われる1

西表に住む石垣金星さんから写真が届きました。

22日から西表沖で自衛隊の軍艦が停泊しています。海洋基本法が成立し、離島防衛が強調されてから、米軍艦の入港に続いて、自衛隊の軍艦が西表島に来ました。

石垣さんも次のように述べています。
「明日は沖縄慰霊の日だというのに昨日から自衛隊の護衛艦が入港、自衛隊員140人くらいが観光で上陸しています。許しがたい事です。」

22日の八重山毎日新聞では次のように報じています。

「西表を基地の島にするな」「西表の平和を崩すな」。21日午前、西表島の上原港に民間のダイビング船で上陸する海上自衛隊に、島内外から集結した平和団体や労組の代表、地域住民ら約30人が怒りの拳を突き上げシュプレヒコールを連呼。横断幕で浮桟橋の出入り口を塞ぎ、自衛隊員の上陸に激しく抗議した。

今回の海上自衛隊の入港は隊員の休養が目的。護衛艦は上原港沖合で停泊。午前9時前から民間のダイビング船で4回にわたり120~130人が次々に上陸した。

 これに対し憲法を守る八重山連絡協議会(仲山忠亨会長)と、昨日結成された同協議会西表島住民の会(津嘉山彦会長)が午前8時から上原港で「平和な西表に軍隊はいらない」と大書した横断幕を掲げて抗議集会を開き、加盟団体の代表が次々にマイクをにぎり、自衛隊の上原港への入港に反対の声を上げた。

 このうち沖教祖八重山支部の平地ますみ副支部長は「慰霊の日を前に各学校で平和学習をしているなかの入港に大きな怒りを覚える」。いしがき女性9条の会の藤井幸子事務局次長は「黙っていると自衛隊の入港を認めることになる。平和な八重山に軍隊はいらないと大きな声を上げよう」と呼びかけた。

この後、母艦からボートで港湾内に入った自衛隊に「自衛艦の入港反対」「地域の平和を守るぞ」とシュプレヒコールを浴びせ、午前9時30ごろから民間ダイビング船で入港する私服の自衛隊員に対し、浮桟橋の出入り口を横断幕で塞ぎ、「自衛隊は帰れ」と怒りの声を張り上げながら抗議した。

 自衛隊員は、横断幕の横や下をくぐって上陸。歩いて集落内に入った。

 抗議行動に参加した児玉奈翁一さん(81)は「戦争中は私も参加していたので軍隊がどれだけ非情か骨身にしみている。絶対に反対」。

西表西部地区在住の女性は「ここで何もしなかったらこれからどんどん来る」、自衛隊の入港に怒りをあらわにした。 

 住民の会を立ち上げた津嘉山会長は「ヤマネコとカンムリワシとともに平和に豊かに暮らしているこの島に自衛隊はいらない」と話し、町内各島で九条の会を立ち上げ、連絡協議会の一員として活動する考えを示した。

 八重山地区労働組合協議会の前石野裕和副議長は「こういう自然とともに生きてきた住民がいる地域に自衛隊は似合わない。非現実的だ」と話した。

護衛官1

西表島の海に護衛艦が現れました。戦中は西表島に日本軍の基地が設けられ、軍艦が停泊しており、軍事的にも重要な場所として位置づけられていました。また離島が戦争の島になるのでしょうか。だまっていたら、どんどん基地がつくられてしまいます。

護衛艦6/22
最近、中国も離島、その周辺の海域の資源開発に関する法律を制定しようとしています。離島が日中にとって重要な場所になりつつあります。

23日の日経新聞には次のような記述があります。
 中国政府は離島の保護・開発を規定した「島しょ保護法案」を制定する。海洋のエネルギーや漁業資源の確保が狙い。

国による無人島管理や離島の環境保護が柱になる。離島やその周辺の排他的経済水域(EEZ)の資源権益を確保するとともに、南シナ海や東シナ海での監視強化も念頭にあるとみられ、南シナ海などで領有権を争う周辺国との摩擦が再燃する可能性もある。

 中国政府は22日開幕した全国人民代表大会(国会に相当)常務委員会会議に同法案を提出した。法案は無人島の所有権が国に属することを規定し、個人の使用や売買を禁じた。環境破壊を防ぐため、離島での施設整備の制限や巡視制度の創設も盛り込んだ。中国には500平方メートル以上の面積を持つ島が約7000あるが、人が住む島は400余りにとどまっている。

 米海軍は南シナ海で中国の新型潜水艦を標的とした偵察活動を強めており、中国政府は離島保護の軍事的な効果にも着目しているとされる。



自治とは何か7

自治とは自分自身の生き方そのものから始まります。自治的人間が集って地域の自治が実現されるのです。琉球の自治も、琉球人が自治的自覚が一人ひとりが持つことから始まります。


自治とは、自分で自分の身を治めるということ、独立といっても自恃といってもまた自助といっても、心の働きは同じである。

この精神がしっかいしていないと、人間として立派に立っていくことができない。とかく人間には、依頼心という弱みがあって、何かにつけて人を当てにする傾きがある。

この弱みに打ち勝ち、自分の身は自分の力で必ず始末をつけていくということになって、初めて人には厄介をかけず、同時に自分の天分を遺憾なく発揮することになる。

天は自らを助くるものを助くという金言は、古今内外を一貫して変わりがない。







個人、地域社会、国と自治が拡大していくことで、個人、地域社会、国は活気をおび、輝いてくるのです。他者に大きく依存している沖縄県、米国に依存している日本に自治を回復すべきではないでしょうか。


小さい個人は個人で自治の人、広い社会は社会で自治の社会、大きい国家は国家で自治の国家となって、個人には人格が輝き、社会には活気がつき、国家には威力が加わるの理である。

自治の精神が発動すれば、必ずこの結果が見られる。これと反対に自治の精神が欠けたとき、人は委縮、世は頽廃、国は衰微である。







近代化、文明化、市場化により各人が競争にさらされ、ストレスが生まれ、社会問題も多発しているのが現代です。そのような社会問題を解決していくことができるのも、自治の力です。



社会が複雑となり、物質の生活が行き詰ると、悲惨な生存競争が行われるのであるが、自治の精神さえ発達しておれば、ここに円満な精神的調和が行われる。円満な調和は正義の生活であり、これはやがて温かい宗教的信念を呼び起こす道程である。

物質より精神へ、衝突より調和へ、正義より信念へと人間生活上の微妙な向上作用は、これを自治的精神の発動に待たなければならぬ。

グアム基地建設とミクロネシア人、グアムと中台問題、マーシャル諸島と台湾

2007年4月 ,5月の太平洋諸島ニュースをお伝えします。
米国が軍事権を有している、パラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島の人々がグアムでの基地建設の労働者として期待されています。また、米国はハワイの東西センターを拠点にして太平洋諸国に対する政策を実施しています。



5/10 PIR
 米政府は、グアムの基地建設においてミクロネシア人の支援を求めている。

米国務省は、グアムにおける基地機能の拡大に関連する建設事業を遂行する上で、近隣のミクロネシアの国々からの支援を求めたいとの考えを示した。

人材不足状態にあるグアムでは、数百名の建設業労働者を集めるための努力をしている。グアム地元の建設業者は、労働力をフィリピン、中国、台湾などに依存しており、グアム政府は、外国人のビザ制限措置を緩和するよう連邦政府に求めている。

しかし、米国務省は、米国と自由連合関係を有している、パラオ、マーシャル諸島、ミクロネシア連邦の人々はグアムで就労することができ、これらの人々を活用すべきであると認識している。


ライス国務長官と、ハワイの東西センターの主催で開催された第8回太平洋諸島首脳会議においても、海兵隊のグアムへの移設が主要な議題となった。

また、米国務省は、同省の新しい地域事務所がフィジーの首都スバにおかれ、太平洋島嶼国全体に対する米国の外向活動の拠点になる予定であることを明らかにした。

また、米国務省は、1年間に5人の奨学生を太平洋島嶼国から選び、米国の大学・大学院に留学させる「南太平洋事業」を継続する。同会議には、グアム政府、北マリアナ諸島政府、米領サモア政府、ハワイ州政府を含む20の島嶼政府の代表者が参加した。


グアムの基地機能強化の理由が中台問題にあることを米軍司令官が指摘しています。




4/17 PIR
 米軍司令官が、グアムにおける軍事機能強化の一因は台湾問題にあると述べた。

米太平洋艦隊の新司令官であるティモシー・キーティング大将は、台湾と中国との緊張関係がグアムにおける軍事機能強化の一要因であり、米政府は両者の対立が暴発しないように努力していると述べた。

中国政府は、もし台湾が正式に独立を主張したら侵入すると脅しているが、中国政府が実際にそうしたら、米国は台湾を守るために出動すると同大将は語った。

2002年、米海軍は攻撃型原子力潜水艦3艘をグアムのアプラ港に配備し、2年前、空軍はF15戦闘機、B2ステルス爆撃機を米本土からグアムのアンダーセン基地に配備した。今後、沖縄からは海兵隊8千人がグアムに移駐する。


マーシャル諸島と外交関係を結ぶ台湾は、同国に多くの援助金を提供しています。援助金を基金化して一定額までに蓄積されたが、すれを自由に使うという、援助金の基金化が他の太平洋諸国に対する援助でもみられます。


4/29 PIR
 マーシャル諸島が台湾信託基金から資金を引き出した。

台湾政府により提供された信託基金から170万米ドルをマーシャル諸島政府が引き出して使った。両国の合意によると、同基金は将来、利用することになっていた。

台湾政府は昨年から、マーシャル諸島政府の財政健全化を目的にして、年間250米ドルを提供し、信託基金を設立した。

同基金が1000万米ドルに達したら、マーシャル諸島政府は同基金の資金を使用することになっていた。しかし、基金が300万米ドルを少し超えた時点において、先月、マーシャル諸島政府は基金から資金を引き出した。

その理由は、発電所の燃料が不足したため首都マジュロが停電に陥る恐れがあったためである。駐マーシャル諸島の台湾大使は、基金から資金が引き出されたことについて説明を受けていないと述べた。



自治とは何か6

自治は行政だけではない、住民の生活全般にかかわることであり、自治的精神が求められます。国に安易に依存するのは自治であるとはいえません。


自治は単に地方行政にのみあるのではない。農商工当事者の自治的精神がきわめて必要である。

大体において自分の力で運命を開拓することを本義とし、ただその通路における邪魔物で国の力によらねば除去できないものについて、初めて政府の力を借りるという風でありたい。






国、県等の公的機関から金をもらうこと、優遇措置を受けることばかりに気をもむのではなく、社会のために地域の住民が全力を尽くすことが自治においては大切です。


人生の真の目的は受けることではない。献げることにある。全力を尽くして天分を全うして、たとえその努力が少しも世に認められず、空しく縁の下の力持ちとなって終わっても、安んじて喜んで公事のために働く、といいう信念を得たいものである。





たとえ多くの非難攻撃にさらされても、公共のために邁進する者が自治的自覚をもった人、紳士ということができます。自治的人物になることで、文明病を自らの力で治すこともできます。



紳士とは何かといえば、義務を怠って権利を得ることだけに急である者ではない。

一人前の仕事に対して二人前三人前の攻撃を受けても、これを排して勇往邁進し、小さくは一家のため、大きくは社会国家のために努力して止まない者を言うのである。俗人である私はこう解している。

これは実に自治の本分ではなかろうか。あるいはまた文明病治療の方法ではなかろうか。







民主的な憲法、法制度があるから民主的国家になるのではなく、自治が社会や国の基礎となることによって、人間が中心になった民主社会となり、外からの攻撃にも強い社会や国をつくることができます。



立憲政治の模範は英国にあるという。そして立憲政治と自治との関係に思いをめぐらさないものは、あるいは納得しないかも知れないが、英国が今日の国難に処して抵抗力が強盛であるのは、その原因が実は自治の力に存するのである。

どうしてただ富の力に依ると言えようか。フランス、イタリアの抵抗力が比較的弱い所以は、これまた結局、自治の力の弱さに帰さなければならない。

そしてまたかのドイツの場合は今日、その自治の力に待つのが他よりもさらに大であるにもかかわらず、世人はこれを説明して、単に学術の力、軍国主義の力であるとしている。その根底は完備した自治制にあるということを知らないのである。

貝貨幣という地域通貨、トンガと中国、グアムの戦時賠償請求

太平洋の島々の中には今でも貝、クジラの歯等の貨幣を利用している島があります。これらも多様な地域貨幣であるといえます。


6/27 PIR
 東ニューブリテン島に貝貨幣銀行が設立された。

パプアニューギニアの東ニューブリテン島において、貝貨幣を交換するための銀行が設立された。伝統的な物々交換方式で運営される予定である。

同銀行は、1992年の調査によると、ガゼル半島において、1500万尋(1尋=1メートル83センチ)の貝貨幣が貯蔵されていた。

貝貨幣銀行によって、貯蔵されている貨幣が流動化され、伝統的交換儀礼に使われるようになるだろう。

また同銀行により誕生、死亡、結婚に関連する伝統文化儀式を存続させることも可能になるだろう。同銀行の貝貨幣は、国の通貨であるキナ、各地域の貝貨幣で交換することができる。


トンガでは中国人の移住者が多くなり、商店経営等の経済活動に対する影響力が非常に大きくなったために、2006年暴動が発生しました。



5/1 PIR
 中国政府がトンガ首都再建のための支援を行う。

昨年11月の暴動によりトンガの首都ヌクアロファのビジネス街の80%が破壊され、2億米ドルの損害がでたとされる。

トンガ政府は、中国政府に対して5500万米ドルのソフトローンを申請した。現在、中国を訪問している、トンガのセヴェレ首相は、中国による経済支援の詳細について両国間で合意されつつあると述べた。

また、ヴァヴァウ島、トンガタプ島における医療施設の改善のために245万米ドルの無償資金援助を中国政府が行うことに合意した。

セヴェレ首相は「両国は、台湾は中国の一部であるという「一つの中国政策」を再確認した。中国の古代文明とともに、著しい経済成長に目を見張った。」と語った。



グアムでは戦時中の日本軍による様々な被害に対する戦時賠償請求を現在においても議会に提出しており、チャモロ人にとって戦争は過去のものであるとはいえません。
尚、同法案は現代にいたるまで成立していません。


5/10 PIR
 グアムの戦時賠償法案が米下院議会を通過した。

第二次世界大戦中、日本軍統治下にあったグアムの犠牲者に対し総額1億2600万米ドルの支払いを求める法案が米下院議会を通過した。

今後、同法案は米上院で審議される予定である。上院での同案支持者には、ハワイ州選出のダニエル・イノウエ民主党議員がいる。

同法案は、2004年に設置されたグアム戦時賠償再検討委員会による、「グアムの人々が戦争賠償問題に関して他のアメリカ国民と同様な扱いをされていない。」という見解に土台としている。

同法案が成立すれば、1941年から44年までの間、グアムを統治していた日本軍の占領の結果死亡した約千人の遺族に対し一人当たり2万5千米ドルが支払われるだろう。

また、日本統治時代に、負傷、レイプ、強制労働・行進、収容されたグアム住民またはその遺族に対し一人当たり7千米ドルから1万5千米ドルの支払いがなされるだろう。

さらに、日本軍統治に関する、調査、教育、記念等の諸事業に対し500万米ドルが支出される予定である。

自治とは何か5

自分のことは自分でするという、自助が自治の基本です。行政に何もかも住民が頼むことは官治です。自治団の活動に政党を関与させるべきでないという考えは、後藤自身が政争の問題を自ら体験し、政党に対して距離をおいて、事をなしてきたことに基づいています。行政だけなく、政党依存も自治とは対極の関係にあります。





一本ずつを善くするには、一々何もかも国で世話を焼くのでは、なかなか行き届かないことが多い。どうしても各人の自奮自発にまたなかればならない。

すなわち、自分たちのことは自分たちで処理するという自助の精神を発揮しなけらばならない。

ただ行政を巧妙に執行するというならば、官治といって政府の力で、町や村の行政まで全部引き受けた方が、俗にいう餅は餅屋で、かえってその方が便利であろうが、これでは何時まで経っても生命や力が吹き込まれない。





ここに提唱する自治団の経営を進めるには、自治団の結社が最も適切である。

国政の流派に偏らず、真面目な人が寄り合ってよく相談し、いかにしてよい学校を作り、いかにしてよい水を飲み、いかにしてよい米を沢山得るか、という事を他の干渉に頼らないで、お互いに関係者同志で相談して始末するという、いわゆる自主的な寄り合い、これがすなわち自治団の本領である。

このような寄り合いが各地にでき、真面目な共同生活の改善に努力すること、これほど現在の急務はない。




市町村の行政はもとより、農会や農工銀行や産業組合のようなものは、きわめて質実に、ただ地方の福利を増進させるために、各員が何のわだかまりもなく、さっぱりと広く平かに共同して事を処理しなかればならない。

この中に党争を引き込み、あるいは一党一派の専断に任せるようなことがあってはならない。いったん政争をこれらの中に引き入れれば、あたかも作物に害虫が付いたように、ついに栄養不良となって枯死するほかはない。

ゆえにわが自治団は、意を最もここに用い、自治体を擁護するために、このような機関を何時までも純粋無色澄明に置くよう努力したい。

フィジーラウ諸島、ミクロネシア連邦とグアムの基地、米国とミクロネシア三国、パラオと中国

2007年6月の太平洋諸島のニュースを紹介します。
今から12年ほど前の大学院生時代に、フィジーラウ諸島と琉球を比較した論文を書いたことがあります。フィジーとトンガとの境目にあるラウ諸島は歴史的にも文化的にもユニークな特徴をもった島々です。また大きな島と小さな島との間で、カヌーによって交易をして生活の不足を補っていました。船舶の近代化によって以下のような問題が発生しています。



6/13 PIR
 フィジーのラウ諸島におけるコスト高の海上交通と食糧の不足問題

ラウ諸島にある小売店において基本的な食糧が不足している。その原因は、船舶が島嶼間を定期的に訪問することが困難であるからである。

フィジーのラウ諸島とは、トンガと国境を接した、フィジーの南東部にある島々である。船舶会社側は、島嶼間輸送は非常にコストがかかるため、政府の力でこの問題を解決すべきであると述べている。

ラウ諸島への1回の航海において、燃料代だけで6266米ドルかかり、船員の給料、船員や乗客のための食糧等は15776米ドル必要となる。

定期船が月に一度しか来ないため、幾つかの島々では、砂糖、塩、米、小麦粉、調理用油、茶、洗剤等が不足する状態に陥っている。


グアムに沖縄から海兵隊が移設する予定ですが、それは周辺の島々にとっても大きな関心事項であることがわかります。


6/15 PIR
 ミクロネシア連邦は、グアムにおける軍事基地建設に関心を持っている。

ミクロネシア連邦は、グアムにおける基地建設に関心を持ち、自国の労働者を派遣したいと考えている。

現在も、グアムの建設会社は多くのミクロネシア連邦出身者を労働者として雇っているが、基地工事が始まればさらに多くの同国出身者を採用するだろう。

今年10月、グアムにおいて「ビジネスチャンス会議」が開催される。その会議では、太平洋にある米国と特別な関係をもつ島嶼地域における民間主導の経済発展を促進することについて話し合われる予定である。

また同会議では、米本土と島嶼の企業家が互いに協力してグアムにおいてビジネスを行う道を開くことをもう一つの課題としている。同会議には、グアムの他、米領バージン諸島、北マリアナ諸島、米領サモア、パラオ、マーシャル諸島、ミクロネシア連邦から代表団が参加する予定である。


ミクロネシア三国は、独立とともに、米国がこれらの海、空、陸において軍事権を有し、そのかわりに、膨大な援助金を投下してきました。沖縄と同様、外からのカネによって島は自立するものではありません。


6/20 PIR
 マーシャル諸島、ミクロネシア連邦とも米国のコンパクトマネーからの自立が困難な状況にある。

マーシャル諸島、ミクロネシア連邦と米国との間に新しい自由連合協定が締結されて3年が過ぎたが、両国とも財政自立という目標に近づいているとはいえない。

コンパクトマネーの一部が信託基金として積み立てられ、その基金をもとにして金融投資が行われる予定であったが、投資されず、基金の資金は低金利の預金口座に放置されたままである。

米国は2023年まで、ミクロネシア連邦に対して7600万米ドル、マーシャル諸島に対して3500万米ドルを提供する予定である。

毎年の監査、支出計画の提出など、厳しい資金管理が求められている。米国からの援助金から自立するために、信託基金が設けられた。しかし、現在、信託基金にある資金によって、コンパクトが終了した後に両国が経済自立することはいまのままでは不可能であろう。



パラオは台湾と外交関係を結んでいますが、同島には多くの中国人が住んでおり、企業投資も行われています。中国と台湾がそれぞれとの外交関係締結を目指して、島嶼国に様々な形で接近しています。


6/25 PIR
 中国がパラオとの外交関係締結を提案している。

中国政府との関係が強いNPO組織である、中国人民外交機構の王副会長は、パラオのパレシアホテルで行った記者会見において、パラオが台湾との外交関係を取りやめるならば、中国はパラオと外交関係を締結する用意があると述べた。

駐パラオの台湾大使館関係者は「本当の友好関係は無条件のものである。共産中国は常に何らかの支援をする前に条件をもうける。

その背景には政治的意図が隠されている。共産国は真の同盟国にはなりえない、信用できない。」と述べた。

王氏等一行は、副大統領、上院議会議長、下院議会議長等と会談した。王氏は「中国経済は急速に発展している。現在、世界の大半の国は、中国と貿易し、投資を引き出す機会を求めている。

パラオもこの機会を逃すべきでない。中国と台湾はすぐに再統一するだろう。両地域の経済は融合しており、相互依存している。

平和的な方法、外交会議等を通じて再統一の過程が進展している。」と述べた。

自治とは何か4

自治の楽土・浄土をこの世にいながらにして実現するのが、「自治の本願」であるという後藤の言葉から、自治の奥深さを改めて実感しています。

沖縄島那覇市にも公務員共済組合が運営する「自治会館」があり、私もホールなどを利用したことがあります。後藤がいう「自治会館」は日常的に社会の各階級が相集い、会い語り合い、相互の理解を深める場所です。

このような場所を琉球にては、公民館として存在しています。公民館、本来の自治会館をさらにつくり、自治によって人間と人間とのわけ隔てをなくして、共助の精神と実践を広めていくことで、自治の浄土が実現するものと考えます。

自治体も行政という狭い意味ではなく、広い意味で自治体をとらえるべきであり、自治は住民一人ひとりの課題であるといえます。





特にわたしが、最も多くを期待しているのは、各種階級、各種生活団体の人々が、一日の仕事を終えた夕方より、この[自治]会館に集まって、放論談笑の間に、各自の生活、各自の気分を、相互に理解し合うことである。

このような間に、各種階級各種生活に対する特殊な理解もでき、したがって人類間の同情というものが、非常に広く、深く、強くならざるを得ない。

こうして人類相互間の同情が灼熱に達する以上、いつどこでも、必ず不思議な意思の疎通をもたらす活性作用を起こして、何ものをも融解せずにはおかないものとなる。





大礼服と印半纏とに、いかなる隔ての意識もなく、握手し、談笑する勇気と、度量と、理解と、道場が起こったならば、労働問題、特に資本家対労働者問題を始めとし、人類の知力が最難問題とする幾多の諸案件なども、人類の心と心の間にのみ相通う、同情と理解との力により、普通の事として解決されるはずだと信ずる。

このような妙境が自治の生み出す楽土である。

仏教の言葉に倶会一処阿弥陀の浄土に往生して上善人と一処に会することがある。これは仏も衆生も倶に浄土に生まれ会うという意味であるが、我々は、仏陀の本願によって、浄土を後生あの世に求めないでも、自治の本願によって、この世ながらに倶会一処の浄土が拓かれるのである。





国家全体の政治はもとより大切な事柄であるが、その基礎を形作るものは地方自治体の振興である。

ここに自治体というのは広い意味であって、府県郡市町村の団体をいうだけでなく、農会、同業組
合、産業組合等の公共団体より、青年団の類にいたるまで、およそ各地にあって、その一郷一里の福利のために、各員が相集まって自ら自分たちの仕事を処理していこうとする団体を指すのである。

そして健全な国家の立憲的発達は、この自治的な振興に頼るよりはかにはないのである。

復帰37年を振り返る八重山諸島の人の声

5月15日の八重山毎日新聞に八重山諸島の振興開発についての社説記事がありますので、ご紹介します。復帰後、八重山の島々がどんどん、大手資本の支配下にはいり、現在も土地買収が進んでおり、経済自立はすすまず、このまま道州制に移行することへの疑問が出されている。真っ当な議論であると思う。八重山諸島の声を那覇や沖縄島の人々の耳に届いているのだろうか。




復帰37年、沖縄振興計画も残り3年

早いものであさって15日は沖縄が本土に復帰して37年目になる。それはそれだけ沖縄戦とその後の27年間の米軍統治時代を知らない世代が増え、逆に知っている人がそれだけ減ったということだ。

八重山は恒例の「5・15」の平和行進や集会の参加も少なくなり、沖縄戦同様、「本土復帰」も年々遠くになりにけりで風化が進んでいる。しかし本土に復帰して八重山は何がどう変わり、今後どうあるべきか、節目に当たりその意義を問い直すのも決して悪いことではないだろう。

■何もかもが変わった八重山
 復帰37年、沖縄がいつまでも変わらないのは広大な米軍基地、全国一多い失業者、そして全国一少ない県民所得イコール「自立できない沖縄」ということだろう。

これが今後も続く永遠の課題だとするとあまりに悲しいし、一体誰に責任があるのだろうと思う。これで道州制を進めるのはどういう展望があってのことかと疑問に思う。

 ひるがえって八重山は変わらないものがないというほどに、町も風景も経済も何もかもが変わった。

 産業構造はそれまでの農業、漁業にかわり、観光産業がリーディング産業になった。恐らく農業・農村振興策のまずさなのだろう。

市街地に人が集まり、石垣市の農村部はじめ西表島は学校の統廃合が進められている。しかしそこはむしろ農漁村振興の施策強化が求められているということだろう。

■公共事業は半分以下に
 八重山経済を支えてきた公共事業はピーク時の95年に397億円あったものが、本年度はこれが184億円となり、半分以下になった。

建設業者は新空港建設工事が大きな支えであり、県は地元業者に優先発注すべきだろう。
 沖縄の公共工事を支える高率補助の第4次振興計画も残り3年を切った。このまま打ち切りとなるのか状況は厳しいが、八重山はまだまだ整備すべきものは多いはずだ。

赤土対策事業の国営化など今後を見据え第5次振興計画や泡盛の酒税軽減など特別措置の延長も今のうちから対策を考えるべきだ。

 この先八重山の自然や文化、暮らしはどうなるのかと心配された急激な移住ブームは収まりを見せているが、今度はその後遺症が懸念される。

さらに本土資本の進出や移住による“本土化”に加えて、ホテル業界には外資が次々参入し、南の小さな島もグローバル化は一段と加速している。

スーパーなどの商業施設も本土や本島などの資本が次々進出、地元業者はどこにいるのかと思うほど存在は薄い。

■見えない地元業者
 いくら自由経済とはいえ、このまま野放しでいいのか、地域経済のあり方としてこのままでいいのか、この場合の行政のあり方はどうなのか、議会などで論議もないことを疑問に思う。

 しかも本土資本の進出や土地買収は石垣港周辺はじめ至るところで今なお進んでいる。この先八重山経済はどうなるのか。これで手放しで復帰してよかったといえる状況なのだろうか。

 世界的な不況で八重山経済はさらに厳しさを増している。復帰以前からの八重山支庁も廃止になった。離島行政の後退はないのか気になる。自衛隊の誘致や配備の問題も新たに出てきた。

 一方で最近は本土からの若者らに支えられて船浮や鳩間などの音楽祭や黒島、小浜などの手作り祭りが元気だ。いずれも過疎の島だが、人々は希望を持って島おこしにがんばっている。復帰37年、課題も多いが、明るい材料もないではない。未来志向で解決に努力し展望を切り開きたい。

自治とは何か3

国が経済振興計画をつくり、国が金を与えるような開発政策が沖縄県では37年間も続いています。これは自治とはとうていえません。根本から自治の在り方を考え直すべきであると考えます。国家の社会政策に対して、自治社会政策を立て、何を持っても自治を第一義とする、後藤新平の自治の思想に基づく自治的自覚が琉球において、求められています。




元来、国家的生活以外に、個人的生活の処理までをも、ことごとく官治に委ねようとするようなことは、旧思想旧形式の政治であって、決して新しい思想、新しい形式の政治とは言えない。

自ら治めるということは、ただ道徳上のみならず、政治上においても、最も必要な条件でなければならない。




自治生活の要義は、国民各自の公共的精神を徐々に養い育て、広め、一致団結、それによって相互協力の美風をふるいおこすことにある。

換言すれば、しっかりとした協同観念に則って、地方団体の文化的、ならびに経済的発展を促し、国民相互の福利を増し、各部各体の調和融合を図り、それによって国家機能をより活性化することを目的とするものである。

したがって、自治生活は、国家の活動力の源泉であり、国民の憲政的活動の練習所ともなるから、国家憲政の建立は、健全な自治生活を基礎としなけらばならない。




およそ世に、自分を最もよく理解する者は自分自身よりほかにないから、社会生活に関する諸般の欲求希望を、最も鋭敏に最も的確に自覚し理解するのは、各々、その生活の自治体でなければならない。

したがって、彼らの生活を彼らの自治に委ねるのは、自分の生活を自分が支配し、自己の運命に対しては事故が責任を負うとうことになる。




わたしは、一にも自治第一義、二にも自治第一義、三にも自治第一義と、自治精神をふるいおこす必要を強説せざるを得ない。




諸般の社会政策は、これを国家の政策に委ねるよりも、自治の機能に任せるほうが、その効果が一層適切なものであると信ずるから、いわゆる国家社会政策というものに対して、自治社会政策が特に必要である理由を強説せざるを得ない。

大学院大学に関するコラム

琉球新報の2009年5月21日朝刊の論壇に、松島寛の大学院大学に関するコラムが掲載されましたので、お伝えします。




ノーベル賞級の研究者を集めた世界最高水準の学府といわれる「沖縄科学技術大学院大学」の早期開学に向けた法案を巡って、与野党の駆け引きが始まっている。当該大学院大学(大学院)の設置は、担当部局が文部科学省ではなく内閣府にあり、沖縄の振興開発を目的としている。

大学院は、「最先端の科学技術を研究する学府」として国家戦略を掲げながら、全国紙にほとんど掲載されず、認知度が低く、社会問題にもなっていない。

その背景としては①バイオテクノロジーを主な研究分野とする大学院の設置目的があいまい、②高度な研究が自立経済の振興につながるか不透明、③研究・教育の対象が不明確、④外国に依存し主体性欠如・・・などが挙げられる。沖縄は中小・零細企業が多く、大学院の中心的な研究課題となる生物生命システムを利用する技術は、地元企業にとって即効的な対策になり難い。

また、地場産業活性化の「さそい水」になり得るか疑問である。沖縄振興に極めて重要なプロジェクトに位置付けた研究機関として、地域に有効な研究がなぜ手薄なのか。

琉球弧の「サンゴ礁破壊」の実態とその機構、それを防ぎ守る研究をはじめ、地域性を生かした台風の研究、自然環境に関する研究や地場産業の活性化に結びつく研究開発など身近な問題に取り組む姿勢が見られない。

今計画されている「大学院」は、沖縄の自立に欠くことのできない「救世主」なのだろうか。

うがった見方をすれると、開学に向けた一連の動きは、どうも、国の安定した財政支援を頼りにした「世界有数の楽譜づくり」に見え、初期の目的を逸脱したノーベル賞受賞者輩出を目指す「名ばかり学術研究の府」に映るのである。ただの妄想に過ぎないのだろうか。

ところで、今国会の大学院関連法案の審議は、国の財政支援や大学法人の在り方が焦点となるが、この際、「大学院の設置目的の明確化」や「自立経済信仰の核となる大学院」をそれぞれ法案化し、大学院設置にかかわる不透明感を一掃すべきである。

大学院の設置形態については、将来、負担になるような問題点は、法案の段階ですべてなくさなければならない。国がどう財政支援できるか明確にしたうえで、しっかりした法案づくりを目指してほしい。

一方、大学院関係者の子弟教育のためのインターナショナルスクールの設置や周辺の施設整備についてどう取り組むのか、その動きにも目が離せない。行く先不透明感の強いご時世だが、明るい沖縄の未来像を期待し、党利党略抜きの議論を強く求めたい。


自治とは何か2

官僚支配の日本において、後藤新平の自治の思想は、自治を根本から考える上において大きな示唆を与えていると考えます。




自治精神が拡充されて、国政の上に実現されれば、それが真の民意代表の実際的政治であると同時に、道理にかなった科学的政治であると言わねばならない




自治を離れて楽土はない




自治の極致は正義である




特にわたしが、最も多くを期待しているのは、各種階級、各種生活団体の人々が、一日の仕事を終えた夕方より、この会館(自治会館)に集まって、放論談笑の間に、各自の生活、各自の気分を、相互に理解し合うことである




もし、日本国民の生活に社会的に隣人と密接につながった組織があれば、自己の利益と社会の利益とが一致融合することを発見し、自己が永遠の生命を社会生活の中に発見することになるだろう。

そして、社会を害して自己の一時の利益を計るのは、いわゆる「野獣的利己」であって、社会を利することがやがては事故の永遠の利益であって「人間的自己」であり「啓発的利己」であることを自覚するようになる。




われわれも決して資本主義を永遠の生産主義とするものではないが、かりそめにも隣人と団結するとおいう習慣があれば、資本主義、商業主義の弊害を少なくともある程度まで矯正することは決して困難ではない。

もし、小売商人が暴利を貪るようなことがあれば、一市一町一村が主婦の多数が購買を拒絶することによって小売相場は容赦なく下落するに相違ない。この結果がやがて社会連帯の理想に達する道である。


泡瀬干潟埋め立て問題に関する桜美林大学学生主催のシンポジウム

桜美林大学の林先生から、学生が主催する、泡瀬干潟埋め立て問題についてのシンポジウムのお知らせがありましたので、お伝えします。




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I know! You know! 工事NO!!
~沖縄・泡瀬干潟を守れ~
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こんにちは!
「学生団体 Sea泡瀬?」の吉岡幸子です。


突然ですが、皆さんは珊瑚を見たことはありますか?
マングローブを見たことはありますか?
ジュゴンが食べる草を見たことはありますか?
縦に歩いたり、手を振ったりするカニを見たことはありますか?


泡瀬干潟には、珊瑚が生きています。
マングローブも生えています。
ジュゴンが食べる草(リーフ)も生きています。
縦に歩くミナミコメツキガニ、可愛く手を振るヒメシオマネキも住んでいます。

泡瀬干潟にはたくさんの生き物が住んでいます。
泡瀬干潟で見つかった新種は10種以上。
絶滅危惧種は174種。
干潟の生物多様性は日本国内でNO1☆


それなのに...国や沖縄県はこの泡瀬干潟を埋め立てています。
埋め立てるだけで489億円もの事業費がかかるのに・・・(>_<)

しかも、埋め立て後の土地利用はまだまだ空白部分があるのです。


来年名古屋で「COP10」(生物多様性条約第10回締約国会議)が開かれます。
日本はホスト国なのに、自らの宝を壊していていいのかな・・・?


泡瀬干潟は沖縄県沖縄市のお話。
東京近辺に住んでいると、ちょっと遠いお話なのかも。

でも・・・
だからこそ、考えてみませんか?

生き埋めにされている珊瑚の苦しさを。
真白くて綺麗な貝が、コンクリートの灰色に染まっていく海の中を。
子供時代を泡瀬干潟で遊んだおじぃ、おばぁの気持ちを。


「泡瀬干潟埋め立て事業」について一緒に考えてみませんか?


日時;6月27日 14時~16時
会場;全水道会館 中会議室
(JR水道橋駅 東口 徒歩2分、都営地下鉄三田線水道橋駅 A1出口 徒歩1分)

■プログラム
・VTR上映
→泡瀬干潟ってどんなところ!? どんな生き物がいるの!?
まずは泡瀬干潟がどんなところか知っていただくために、VTRを上映します☆

・水野隆夫氏講演(質疑応答有り)

・大学生による講演
→今年5月、ラムネット主催の「沖縄大問題ツアー」に参加し、実際に現地視察をし
てきた大学生2人による報告(桜美林大学 リベラルアーツ学群
国際協力専攻3年 中茎優子、吉岡幸子)

・写真展
→講演会内では伝え切れなかった泡瀬干潟の生き物たちや、埋め立て事業の写真を展
示。早めに来場された方や講演会終了後、ゆっくりご覧になってください♪


☆講師;水野隆夫氏プロフィール☆
1944年7月30日 愛知県名古屋市生まれ
1965年 北海道大学 水産学部 卒業

元環境省自然保護官。国立公園(知床・西表・箱根)。
現在、泡瀬干潟大好きクラブ 代表。(www.awasedaisuki.com)
    泡瀬干潟を守る連絡会 広報幹事。(http://www.awase.net/)

北は北海道、南は沖縄まで、日本各地を渡り歩いた方です!
水野さんいわく「幸せな渡り鳥」だったらしいです(^^)
2005年4月から沖縄やんばるでの活動をスタート。現在は東京中心に講演会や写真展
を開催し、泡瀬干潟埋め立て事業の問題を広く伝える活動をされています♪


「I know! You know! 工事NO!~沖縄泡瀬干潟を守れ~」についてのご質問等があり
ましたら、お気軽に下記のアドレスへ(^-^)
sachiko_yume_kanaeru@yahoo.co.jp


学生団体 Sea泡瀬? 代表
桜美林大学 リベラルアーツ学群 国際協力専攻3年
吉岡 幸子

自治とは何か 1

2009年に藤原書店から発刊された後藤新平の『自治』から自治に関する言葉を引用させていただきます。本NPOは、このような自治の思想を基盤として活動を進めていきたいt考えています。



人間には自治の本能がある。この本能を意識して集団として自治生活を開始するのが文明人の自治である。


日本人の生活を一言でいえば、「隣人のない生活」である。したがって、差別観をもってずっと生活してきた日本の生活には、平等観がないのである。平等観がないから日本には上下の関係はあるが隣人という平等の関係がないのである。


自治を単に官治的地方自治に限るものとしてはならない。各種の職業組合ももちろん、自治でなければならない。


そもそも、自治は、官治に対して起こった言葉であって、官治行政の力が及ばないところを補って、国家の目的を達する作用である。そして自治は、国家の有機的組織の根本であり、国家の基礎をなしているひとつの原則である。


自治生活の要義は、国民各自の公共的精神を徐々に養い育て、広め、一致団結、それによって相互協力の美風をふるいおこすことにある。


自治は、共助によって完全に行われなければならないものであるから、自治的精神は、また共助的精神として現われる。


この自治第一義の精神を公共に広げ、各種自治生活の発達改善に力を用いたならば、外来の民主思想は、見事に内在の自治の新精神に同化され、いつのまにか、いわゆる民主思想は外来思想ではなくて、内生思想、否、各人固有の思想であると言われるようになるであろう。

沖縄カジノ計画に対するコラム

本NPOの理事である松島寛が、2009年6月2日の沖縄タイムスの論壇におきまして、沖縄カジノ計画に反対する論考を出しましてので、ご紹介します。






深刻な世界経済の混乱に直面した。同時不況や景気低迷が続く中、県主導で経済団体の一部にも民設民営カジノを導入する動きがある。

カジノは、「観光資源になる」として、県カジノ・エンターテイメント検討委員会(県カジノ委員会)は今年3月、カジノを含む沖縄型統合リゾートのモデル3業と経済効果等を発表した。

それによると、膨大な経済波及効果(収益・約9000億円、雇用7万7000余)を試算しているが、予想されるリスクやロスが含まれていない。カジノは、賭博性が強く、暴力・売春・有害薬物・多重債務・自殺・犯罪の増加等、社会的コストやリスクが増大する。

それに、観光立県を掲げる沖縄のイメージダウンの原因となる。

今後も想定される世界的な不安定な経済情勢の影響で国内や外国旅行需要の落ち込みによる観光等入域者数の大幅な減少が懸念される。特に円高で、外国人向けのカジノ経営は難しくなる。

また、隣接するカジノ国(韓国・中国・台湾・・・)との過当競争や採算割れの経営難で、投資家や企業家は事業撤退を余儀なくされる。収益は、県内を還流するとは限らない。こんなにカジノは、不健全で不確実・不安定な要素が多いものである

県カジノ委員会は、施設開設地を明示せずに、6年後の開設を設定している。世界には、ラスベガス、モナコ、マカオなど「カジノ王国」があるが、日本は法規制が厳しく、設置は容易ではない。

「なんとか法をつくって設置を―」と願う自治体(東京、北海道)に、政府は「賭博性の強いカジノについては、現時点で特別法をつくるような環境にない」と、冷淡で、国の関心が、そもそもカジノに向かっていないとの指摘もある。

競馬・競輪・競艇がよくて、カジノを認めない政府の姿勢に、県は認識を深めてほしい。

“学校教育の充実・青少年の健全育成”を県政運営の柱としているが、これに逆行する「カジノ構想」はいかなるものか。その真意は何かーを明確にすべだ。

沖縄観光にカジノは欠かせない存在なのか。沖縄には観光資源が多く、優位性に富み、観光ポテンシャルも高いと評価されている。

世界経済の混迷で、先行き不透明な今こそ、長期的展望に立った観光ビジョンを持ち、他に類を見ない沖縄の豊かな自然、温暖な気候、固有の文化・歴史・芸能・食文化・異国情緒など、多様な観光資源を効果的に生かし、沖縄ブランドを確立することである。

沖縄の観光振興を阻害するような、不健全極まりない「カジノ導入」を容認することはできない。

『奄美自立論』書評

昨日、お伝えした森本さんのコラムですが、ご本人より文章の差し替えの希望がありましたので、差し替えました。

次の文章は、2009年5月30日の『沖縄タイムス』に掲載された、喜山さんがかかれた『奄美自立論』に関する私の書評です。



今年は島津侵略400年の年であり、奄美諸島は島津藩の直轄領となり、厳しい植民地支配体制下におかれた。

日本史・琉球史、冊封体制という狭い枠組みではなく、欧州諸国による世界中の植民地化、日本における宣教師による宗教戦争という世界史の中で島津藩による琉球支配を検討すべきであると私は考える。

また奄美の砂糖搾取や奴隷制の世界史的な意味も、三角貿易下にあったカリブ海諸島と比較してこそ明らかになるだろう。本書は、島津藩・鹿児島県による近世・近代における奄美に対する植民地支配の実態を、被植民者としての立場から明確に分かりやすく記述した好著である。

喜山氏は次のように述べている。「鹿児島には奄美と見るや、あからさまな侮蔑を加える人物がいるのはなぜなのか。しかもとても威圧的なのはなぜなのか。奄美を直接支配した歴史に批判的な声がかの地で皆無に近いのはなぜなのか。」

現在、琉球の島々では400年を問うシンポが開催されているが、侵略側の鹿児島では議論がほとんど行われていないという。先日、沖永良部島で行われた400年シンポに私が参加した際に鹿児島の研究者に出会った。

奄美の人々はこのような抑圧的な人々と400年も生きてきたのかと、奄美の歴史、喜山氏の島津・鹿児島に対する怒りを思った。

「奄美は琉球ではない、大和でもない。だが琉球にもなれ大和にもなれ」という二重の疎外をどのように奄美は克服し、これから自立した道を歩むことができるのかが本書では示されている。

島の自立は南琉球(沖縄諸島、宮古八重山諸島)にとっても大きな課題であり、本書は大きな示唆を与えるだろう。同時に、奄美と南琉球との歴史的な違いに改めて気付かされる。

本書は、同じ琉球文化圏の仲間である「与論人(ゆんぬんちゅ)」による、どこにも帰属しない島の自治・自立を求めた魂の叫びである。

森本さんの400年シンポについての論考

あまみ庵の森本さんから、雑誌『飛礫』に発表される400年シンポに関するご論考を送って下さいましたので、ご紹介いたします。



「しまぬ世(ゆ)元年へ!」―奄美諸島からー

▼ 二〇〇九年七月二十二日、奄美の近辺では二十一世紀最大の「皆既日食」がある。また、ガリレオ・ガリレイが望遠鏡で宇宙への扉を開いて四百年、今年は「世界天文年」という。
「日本国」で一六〇〇年といえば「関が原の戦い」だが、一六〇九年は?・・・即答できる「日本人」はあまりいない。「日本国」の歴史教科書は、「薩摩藩(徳川幕府=日本国)の奄美・琉球国の侵略(征服)」という史実にフタをしてきたからだ。

▼ 一六〇九年の旧暦三月七日、島津軍団三千人が琉球国内のサンゴ礁の島々を侵略した。火縄銃の火蓋が奄美大島北部の笠利町は津代(しちろ)の地で切られたのだ。「南島人」にはまさに天下分け目の戦いだ。その時の遺骨群が津代(しちろ)の裏山に今もひっそりと葬られている。

そこで、我々「三七(みな)の会」は一九九七年から毎年、鎮魂の寄合(ゆらい)をしめやかに重ねてきた。今年は四百年の節目に当たる。が、我々はことさらなコトはしない。一六〇九年を軸として日々永劫に「しまぬ世(ゆ)へ!」深化させていくのだ。

それでも、四月十二日の慰霊祭には内外から百人近くが手弁当で駆けつけた。いつもは二十人前後だ。旧笠利町の朝山毅町長も初めて参列し、行政の無策を詫び、今後の対応を約束した。鎮魂のあと、笠利町の青壮年たちが親(うや)先祖(ふじ)愛(かな)したちへ「八月踊り」を奉納した。手(てぃ)花部(ーぶ)公民館の「津代(しちろ)で一六〇九年を語る会」では熱い議論が飛び交った。

すべて予期せぬ画期的な成果だった。一六〇九年を軸にすることで、今後は笠利町の島人(しまんちゅ)の一人ひとりが「しまぬ世(ゆ)創り」の自治的主体になればいい。我々が創る歴史は未来からやってくる。

▼ 五月二日は、徳之島で「薩摩藩奄美琉球侵攻四百年記念事業・未来への道しるべ」(事業費百万円)があった。行政主導による、鹿児島(原口泉)、奄美大島(弓削政巳)、徳之島(幸田勝弘)、沖縄島(金城正篤、高良倉吉)から研究者を迎えてのシンポジウムだ。

 吾(わん)はこの手の歴史解釈的「ガス抜き事業」には興味がない。一六〇九年を軸として、現在の徳之島人(ちゅ)が鹿児島県・日本国・琉球弧との関係にどう向き合い、切り結んでいくのか、それこそが問われるべきだからだ。

 それでも、急きょ、船で参加したのにはわけがあった。
沖縄大学地域研究所の緒方修所長が昨年十一月、吾(わん)を訪ねてきた。二〇〇九年の催しを「三七(みな)の会」と共催でやりたい。ついては、井沢元彦(「新しい歴史教科書をつくる会」メンバー)に基調講演を頼んだ、という。当然ながら大喧嘩になり、破談。

 その後、彼は徳之島町に琉球国の尚家と薩摩藩の島津家の当主二人を招いて握手させようという、これまたトンデモ企画を持ちこんだのだ。しかし、尚家が応諾せず、島津家の当主だけお忍びで参加するらしい。

 我々は、抗議の申入れを徳之島町当局へ送った。その模様を南日本新聞(鹿児島)の「記者の目」(五月十九日付)から引用する。
  
   シンポは「未来志向の新たな関係を築こう」との意見が相次ぎ、盛況のうちに幕を閉じた。その一方でスタッフらは気をもんでいたという。当主のあいさつ中止を求めるメールなどが寄せられていたからだ。
   メールの趣旨は「民衆の歴史を旧支配者のあいさつで幕引きされては困る」というもの。反対者の一人は「藩政時代の黒砂糖収奪の構造は今も変わっていない。四百年の歴史は民衆側から総括すべきだ」と主張する。
   わだかまりやしこりはない方がいいが、四百年の歴史認識は一筋縄ではいかない。県の施策や方向性に反対の立場から見れば、「薩摩(鹿児島)はまた奄美を苦しめている」と考えるのも分かる。島人の無意識の声を含め、多様な意見に耳を澄ましたい。

 吾(わん)は、当日の交流会場で島津修久氏にサトウキビ八本(奄美の有人八島分)の束と、吾(わん)からのメッセージ「しまぬ世へ!」と、『しまぬゆ』(義富弘著)、『奄美自立論』(喜山荘一著)を手渡した。「これらを熟読玩味して、出なおして来い!」という我々からのお土産だ。

▼ 五月十六日は、沖永良部島に上陸した。
「琉球侵略四百年シンポジウム <琉球>から<薩摩>へ ~四百年
(一六〇九~二〇〇九)を考える~」(事業費、七十万円)。

吾(わん)は、「ゆいまーる琉球の自治イン沖永良部島」に参加して、奄美大島からの報告をした。交流会のあと「薩摩(大和)の奄美・沖縄植民地支配四百年を問う訴訟」の可能性などについて懇談。実は、これが沖永良部島行きの真の目的だった。松島泰勝さん、竹尾茂樹さんたち、また上村英明さんからは適切なアドバイス(メール)をいただいた。今後、可能性を探っていきたい。

 翌十七日はシンポジウム。パネラーは、富山和行(沖縄島)、高橋孝代(沖永良部島)、弓削政巳(奄美大島)、原口泉(鹿児島)。翌日の南海日日新聞(奄美)には、「歴史観の再構築を」という大見出しが出ていたが、いったい、誰がどのようにして再構築するというのか?!

▼ 今年は沖縄・鹿児島・東京などでも一六〇九年をめぐる催しゴトが続く。嬉
しい限りだ。世紀の皆既日食がある今年を仮に「しまぬ世(ゆ)元年」として、次なる「しまぬ世(ゆ)連合」への新しい扉は、我々一人ひとりが開いて行くしかない。ガリレイのように。


「三七(みな)の会」事務局・森本眞一郎

沖永良部島の集い15

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最終日の朝食後、新元さん、石坂さん、藤原社長、洋亮さんと一緒に太平洋をバックに写真をとりました。宿泊したホテルは国民宿舎ですが、地域の人を重点的に採用するなど、地域に根ざしたホテルという印象をもちました。ホテルの食堂から雄大な太平洋を毎日にようにみることができ、雄大な気持ちになりました。写真の後ろに見えるように、近くの中学生が朝礼を公園で行い、そのあと、周辺で写生をしていました。

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私と石坂さんは、沖縄島までの船の出発まで時間がありましたので、周辺を歩きました。昔から地域の人々が使っていた公共の井戸、水場がありました。昔の写真も展示されており、水場を中心に地域の人々が交流してきたことに感動しました。
また、鯉のぼりとともに、南琉球にもある旗頭がたてられたり、赤瓦の住宅をみることもできました。沖縄風の赤瓦住宅に住んでいる人に聞くと、大工さんは沖縄島から来てもらってつくったそうです。

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お土産を買いに、ホテルの前にある雑貨店にいくと、店のおばさんが「北山」と書かれた茶碗が畑から見つかったといって、わざわざ奥から出して見せてくれました。沖永良部島が北山文化圏にあることから、北山ゆかりのものではないかと楽しそうに話していました。

金城馨さんの授業(明日)・法政大学沖縄文化研究所講演(昨日)

明日、龍谷大学の深草校舎におきまして、10時45分から、関西沖縄文庫の代表者であり、本NPO法人の理事である金城さんの授業があります。3号館の102号室です。
大阪大正区の沖縄人の経済生活に重点をおいたお話をされる予定です。


昨日は、法政大学の沖縄文化研究所におきまして清成先生と私の琉球の内発的発展についての講演、討論を行わせて頂きました。

私は、沖縄振興開発の問題点、開発と基地との関係、島嶼民自身の当事者意識の重要性、内発的発展と自治との関係、島嶼における経済のあり方等について問題提起をしました。

清成先生からは沖縄経済、内発的発展の系譜、第三次沖縄振興開発審議会、島おこし研究会等、非常に興味深いお話をうかがうことができました。

法政大学の屋嘉先生の司会で対談をさせていただき、ました。これから沖縄文化研究所は社会科学関連の研究集会をどんどんされていくと仰っており、琉球に関する自由で、刺激的な議論が展開されることを願っています。屋嘉先生と親しく話をするのは初めてで、自給自足の重要性、アダムスミスにおける農業自立論、琉球芸能の内発的発展、コールセンターの問題性等、大変興味深いお話を伺いました。

会場には「奄美自立論」の喜山さんもお越し下さり、意見交換しました。また石垣島でお世話になった八重山諸島交易史をされている得能さんとも久しぶりにお会いしました。

琉球大学の比屋根先生とも交流会で琉球近代史と近世史との関係性等について意見交換させていただきました。石垣島の雑穀について研究・実践されている吉田さんから頂戴した波照間島のもちきびのおもちが美味しかったです。石垣島の内原さんにもお会いし、私の父親と電話で話してもらいました。

その他、多くの方との出会いがあり、充実した講演・対談会でした。屋嘉先生、お世話になりありがとうございました。

次に喜山さんとともに、海勢頭豊さん、藤原社長、鎌田慧、鈴木一策さんたちがいらっしゃる韓国料理店に合流しました。海勢頭さんを囲んで楽しく話をしました。次回のゆいまーるの集いは、海勢頭さんの島である平安座島で行う予定ですが、その打ち合わせもしました。


沖永良部島の集い14

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17日のシンポジウムが終わった後、関係者で懇親会を開きました。歓楽街にある、この店では店主が手作りでつくった野菜、自分でとった魚、貝を料理にして出していましたので、どれもおいしかったです。

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懇親会では、琉球大学の豊見山さんと琉球史と世界史との関係、歴史と実践、400年の意味等について深く話し合うことができてよかったです。徳之島のシンポジウムを主催された方から、徳之島の歴史の冊子を頂戴しました。また、琉球大学の津波さんに初めてお会いし、抜き刷りをいただきました。津波さんとは帰りの船で、石坂さん、村山さんとともに一緒で、楽しい話をしました。

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沖永良部の筍、貝、燻製された肉等、初めて食べるものが多く、島の食文化の多様性について実感しました。

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交流会は最初は和気あいあいあと楽しい雰囲気で進んでいきました。

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交流会の終盤にさしかかって、鹿児島からこられた歴史学者が急に私に罵声を浴びせてきました。「世界史の中で奄美諸島の植民地支配を考える」という、私の問題提起を問題にしていました。大声で、威圧的に怒声を発する顔をみながら、奄美諸島の人々は400年もこのような薩摩・鹿児島の人と接してきたのだなと思いました。

直轄領になり、県域にも含まれることで、南琉球よりも従属的関係性が強く、直接的であったのが奄美諸島であり、同じ琉球でも相当異なる歴史的経験を奄美諸島の人々がしてきたのだということを思いながら罵声を聞いていました。

その方の背中を強く叩いて、話しかける森本さんの姿も心に残りました。酒に酔ったその方をホテルまで肩を担いで連れて行く向原社長の姿も忘れ難いです。交流会の一場面でしたが、島の歴史が具体的に目の前に立ち現れたように感じました。






沖縄経済ーその内発的発展の鍵を握るもの(講演・対談)今週土曜日

今週土曜日に、法政大学におきまして次のような講演と対談がありますので、ご関心がおありの方はお越しください。

沖縄経済、内発的発展について自分が思うところを存分に議論したいと思います。
琉球の内発的発展、自治の方向性を明確にするとともに、この講演・対談を契機にして新たな展開が生まれることを希望しています。

沖縄文化研究所の屋嘉所長が、同研究所においてこれから社会科学的研究、実践についての
議論を盛り上げていきたいと仰っていました。琉球が抱えている政治経済的諸問題を見据え、それを解決するための研究、取り組みの拠点として同研究所の役割はさらに重要になっていくのではないでしょうか。

清成先生とお会いするのは、2年前に沖縄大学で開かれた国際開発学会のシンポジウム以来です。
石垣金星さんが、島おこし運動をしたとき、その運動の意味を理解し、励ましてくれたのが清成先生であると聞いています。琉球における内発的発展について長い間、研究、支援されてきた方であり、
琉球の内発的発展の過去、現在、そして将来についても議論をしてみたいと考えています。

法政大学に行くのは、私が大学院生のころ、沖縄関係学研究会という院生、研究者を中心とした研究で毎月のように法政大学において仲間と議論して以来のことです。現在、琉球研究、社会活動等において活躍されている方々とその時、お会いし、学ばせていただきました。

今回も若い研究者とも真剣な議論をしてみたいと思います。


沖縄文化研究所公開講演会「沖縄経済-その内発的発展の鍵を握るもの-」(6/6)一覧へ戻る
法政大学沖縄文化研究所第123回公開講演会を、下記のとおり開催いたします。ご興味のある方はぜひご参加ください。(申し込み不要、入場無料)

日 時 6月6日(土) 14:00~16:00
場 所 市ケ谷キャンパス 外濠校舎S306教室
演 題 「沖縄経済-その内発的発展の鍵を握るもの-」

※お二人の講師による講演と対談形式で行います。

講 師 松島 泰勝(龍谷大学経済学部教授)
清成 忠男(法政大学名誉教授、学事顧問・財団法人沖縄協会会長)

懇親会
(希望者のみ) 講演会終了後すぐ~2時間程度
懇親会費1,000円


[お問い合わせ先]

法政大学沖縄文化研究所
〒102-8160
東京千代田区富士見2-17-1
TEL:03-3264-9393/FAX:03-3264-9335

沖永良部島の集い13

昨日、西郷隆盛関連の写真をご紹介しましたが、西郷と奄美との関係については、あまみ庵の森本さんが、あまみ庵のHPで書いているコラムが参考になりますので、ご覧下さい。集いに関西から参加された斎藤さんにご教示いただきました。

http://www.synapse.ne.jp/amamian/tubuyaki/minaminihon-h11106.html

斎藤さんから私宛にメールがあり、ご本人のご確認を頂戴して、メールの内容を以下にご紹介します。



会のページに順番にアップロードされた写真とコメントを見て,あらた
めて参加者の皆さんや,その発言を思い出し,問題を再考しています.

帰って来てから,何年も前に読んだ岩波新書の『裏日本』という本を,
ふとめくってみると,明治の日本で,植民地ではないが,半周辺的な地
位におかれた裏日本が 税金と労働力の供給源とされ,その一方で,鉄道や教育機関の立地は遅
れたこと,明治以降の日本の発展が,中央-半周辺-辺境-植民地とい
う構造によるものであったことが明らかにされています.

前に読んだときは,あまり強い印象がなかったのですが,今度は一気に
理解できました.

私にとっては,どんなに頑張ってみても,琉球の問題
を,松島さんと同じレベルで同じ程度に真剣に考えることは不可能です
(そんなことが出来ると言ったらどう考えても嘘になります).

しかし
琉球の問題を考えることによって,日本に存在するさまざまな問題の構
造が見えてくるという意味で,琉球の問題は私自身の問題でもある,と
は言えそうです.

この『裏日本』という本では司馬遼太郎の明治賛美の
歴史観が批判されていますが,そういえば,あまみ庵の森本さんも,奄
美の事例から,司馬遼太郎を批判する一文を書いておられました.その
符合は印象的でした.

ついでながら,『裏日本』は,新潟県巻町の原発
反対運動を紹介し,内発的発展に期待することで締めくくられています.

つい先日まで,出村さんに送ってもらった百合とグラジオラスの香りで
家中が一杯でした.

ゆいまーる琉球の集いでは,私は聞いているだけの
参加者ですが,可能な限り今後も参加したいと思います.どうかよろし
くお願いいたします.

沖永良部島の集い12

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和泊町にある西郷隆盛が島に住んでいた時の場所と、その西郷像を見に行きました。私たちがイメージしている西郷とは異なる銅像でした。

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西郷が書いた「敬天愛人」の文字です。和泊にはそのほか、南州神社もあるそうですが、今回は行きませんでした。学校には西郷の肖像画も掲げられているそうで、西郷、鹿児島に対する姿勢が、知名町とはだいぶ違うという印象を持ちました。

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バスツアーから帰り、午後は知名町のホールでシンポジウムが開かれました。

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最初、原口さん、豊見山さんによる基調講演がありました。その後、高橋さん、弓削さんを交え、前利さんが司会をしたシンポが行われました。400年の薩摩侵略に関して歴史研究者、人類学者の立場からかなり専門的な内容の報告、発表が行われました。

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私は日本史、冊封体制という狭い枠組みの中で議論をしていると感じました。欧州諸国による世界中の植民地化、日本における宣教師による「宗教戦争」という世界史の中で薩摩藩の琉球支配を検討すべきであると思います。

奄美諸島の砂糖収奪や奴隷制の世界史的意味も、三角貿易下にあったカリブ海諸島と比較してこそ明らかになるのではないでしょうか。400年にわたる植民地支配からの解放は自治によってしかできないことを沖永良部島で学んびました。

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パネルディスカッションの場面です。互いに論争するくらいの活発の議論のやり取りをしてもよかったのではないかと思います。このテーマが非常に政治的であり、論争的なものであるだけに、研究者だけの問題にとどまらない性格を有しています。研究者が解釈し、歴史的決着をつけられる問題でもありません。

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シンポの議論の内容を、会場に座っている生活者がどのような気持で聞いていたのでしょうか。生活の中で400年がどのように記憶されているのでしょうか、大変関心を持ちます。長い時間にわたり、かなり専門性の高い話を真剣に聞いていた、おじさん、おばさんたちのことが今も心に残っています。



沖永良部島シンポに関する報道

5月18日の南海日日新聞に、17日に沖永良部島知名町で開かれた400年シンポに関する報道がありましたので、お伝えします。記事のタイトルは、「歴史観の再構築を―沖永良部で薩摩侵攻400年シンポ」でした。シンポの最後で私は、「世界史の中で薩摩侵略、植民地支配を考えるべきである」と問題提起させていただきました。それについても記事の中で言及して下さった、久岡さんに感謝します。




薩摩藩の琉球侵攻四百年シンポジウム「琉球から薩摩へ―四百年(一六〇九―二〇〇九年)を考える」(知名町教育委員会主催)が十七日、同町のあしびの郷・ちなで開かれた。

奄美内外の研究者が講演やパネル討議を通して侵攻後四百年の歴史を振り返った。薩摩藩の琉球支配体制について歴史の再検証を指摘する声が出されほか、「世界史に範囲を広げ、研究を深める必要がある」といった提案が出た。

 基調講演は鹿児島大学法文学部の原口泉教授と琉球大学教育学部の豊見山和行教授が講師を務めた。

原口教授は「薩摩にとって、一六〇九年」と題して講演し、沖永良部島襲来に関連した史実を解説した。

 「琉球にとって、一六〇九年」をテーマに語った豊見山教授は薩摩藩の琉球支配の変遷を説明し、「強圧的な支配から緩和期を経て間接的な支配体制へ移行した。琉球支配には段階性と強弱があり、一貫して圧服されたという理解は一面的だ」と指摘。薩摩藩の同化政策にも疑問を呈し、歴史観の再構築を訴えた。

 パネル討議は奄美郷土研究会の弓削政己氏、沖縄大学法経学部の高橋孝代准教授が加わり、同町教委の前利潔氏を進行役に進められた。

 弓削氏は薩摩藩が先導した沖永良部、与論両島の砂糖生産と階層分化の関連性に言及し、流通体制と貨幣制度の解明を研究課題に挙げた。

 和泊町出身の高橋准教授は沖永良部島と外部勢力との関係が島民のアイデンティティー(自己同一性)に影響を与えたと考察し、「侵攻後の四百年は外部勢力に揺れた歴史の一こま。柔軟な島民の姿勢が今の発展に貢献している」とまとめた。

 豊見山教授は「薩摩藩が奄美の人々に風俗の日本化を強制しなかったのは冊封体制の影響が強い。当時の国際環境から歴史を考えたい」と指摘。原口教授は「国際社会で琉球国が長年にわたって存続した背景には薩摩、琉球双方の努力があったのではないか」との見解を示した。

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