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プロフィール

Yasukatsu Matsushima

Author:Yasukatsu Matsushima
1963年琉球石垣島生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。

その後、東京、グアム、パラオ、沖縄島、静岡、京都、滋賀にて学び、働き、生活する。

著書に『沖縄島嶼経済史―12世紀から現在まで』藤原書店、2002年
『琉球の「自治」』藤原書店、2006年
『島嶼沖縄の内発的発展―経済・社会・文化』(編著)藤原書店、2010年、
『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』早稲田大学出版部、2007年
『琉球独立への道』法律文化社、2012年
『琉球独立論ー琉球民族のマニフェスト』バジリコ、2014年
『琉球独立ー御真人の疑問にお答えします』Ryukyu企画、2014年
『琉球独立宣言ー実現可能な5つの方法』講談社文庫、2015年
『民際学の展開ー方法論・人権・地域・環境の視座から』(編著)晃洋書房、2012年
『琉球列島の環境問題ー「復帰」40年・持続可能なシマ社会へ』(編著)高文研、2012年
『3・11以後何が変わらないのか』(共著)岩波書店、2013年
『島嶼経済とコモンズ』(編著)晃洋書房、2015年
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ゆいまーるの集いin 平安座島へのご招待

以下の通り、11月13日から15日まで平安座島でゆいまーるの集いが開かれます。ご関心がおありの方はお知らせください。


第6回「ゆいまーる」の集い in平安座島
日程: 2009年11月13日(金)~15日(日)
場所: 平安座島
会場: 平安座自治会館
宿泊: 観光ホテル平安
主催: NPO法人ゆいまーる琉球の自治、後援: ひやむぎ文化研究会

 スケジュール

11月13日 海勢頭さんの案内で風光明媚な勝連グスク、浜比嘉島、平安座島、伊計島、宮城島を訪ねる、古代琉球開闢の遺跡めぐり。
午後6時頃からホテル平安で交流会。


11月14日 朝9時より平安座自治会館にて。               (敬称略) 

<発言者>
金城実(彫刻家、浜比嘉島出身)平安座島と浜比嘉島の漁民による浮原島漁業権争い顛末記。
仲程昌徳(琉球大学名誉教授、文学博士。うるま市赤野出身)詩人:世礼国男論

奥田良正光(元与那城村長、平安座島)平安座の歴史、海中道路と石油基地。
新里米吉(沖縄県議会議員、平安座島出身)平安座のバレーボールの歴史。

謝名元慶福(劇作家、平安座島出身)平安座から生まれた「島口説」や「海の一座」の誕生秘話。
玉栄章宏(エコ運動家、平安座島)現在の平安座の活性化に向けた「大バンタ」復元の夢。

高安正勝(ぬちまーす社長、うるま市具志川出身)製塩にかけた思い、そして宮城島に拠点を移した思い。

海勢頭豊(音楽家、平安座島出身)平安座に生まれて始まった古代日本の謎解きの旅。
夕方18時頃から自治会館大ホールにて歌を聴きながら大交流会!

差し入れ歓迎。会費2千円。

11月15日 午前中、自治会館にて集いを行い、正午解散

宿泊施設
観光ホテル平安、〒904-2426 沖縄県うるま市与那城平安座2421-1

Tel 098-977-8230 Fax 098-977-8019、歯ブラシ・タオル・パジャマつき
1泊朝食付き4800円~(シングル5500円、バストイレ共同であれば4400円。ツインは一人4500円、
バストイレ共同であれば一人3400円)

 問い合わせ:松島泰勝(090-9180-8778、matusima345@yahoo.co.jp)

 申込先:本集いへのご参加、ホテル宿泊の申込については、

藤原洋亮(03-5272-0301,yosuke@fujiwara-shoten.co.jp),または松島泰勝までお願いします。
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當銘明さんの琉球の自治に関する提言

沖縄島那覇在住、うるま市出身の當銘明さんから琉球の自治に関する提言が送られてきましたので、お伝えします。皆様からのご意見、ご感想などがあれば、どうぞおよせください。私の方から當銘さんに伝えます。




                            琉球の都市計画
                                             當銘明

先日は京都都市景観の新聞記事の件、読まして頂きました。有難うございました。今回は琉球のまちづくりについて述べさせて頂きます。

 琉球の土地面積を考えた場合、まちづくりにおける基本が二つあると思います。建物の高層化と電車の敷設ではないでしょうか。那覇の街を車で走っていると道路の狭さ、車の多さ、建物の低さを感じます。那覇に限らず都会ではコンパクトなまちづくりが良いと思います。

 はじめに道路ですが、国道58号線のような幹線道路は、車の専用車線が左右合計で6車線(片側3車線)、電車2車線、自転車2車線を想定し合計10車線は必要と思います。通りの両側には15階以上の建物を道路に沿って設置します。

建物は数百年間使用できることを想定し、基本構造の鉄筋や鉄骨が、その場で部分的に大胆に取り換え可能(20年~30年に1回)な構造であれば理想的です。1階と2階は主としてお店やレストランが入り、3階以上は広さにゆとりある住宅となります。

結論としまして、住居を沿道の高層住宅に集約することで、農業地区や工業地区、として研究地区の集約化も容易になります。そして通勤や通学も便利です。

 そして、郊外には菜園付きの小さな家をセカンドハウスとして一家に一戸割り当てます。かつてソ連邦の多くの市民(特にロシア市民)は、通常は都会のアパートに住み、休日には郊外の小さな別荘(ダーチャ)で野菜等や果物などを作り生活していました。

(社会主義時代のため住宅も割り当て制で家賃も低価格)ソ連崩壊の頃、都会のモスクワのスーパーにはヨーグルトしかないといわれる程の食糧不足でしたが、市民はダーチャでとれた野菜等を食していたと考えられます。

余った野菜等を自由市場で売っていたのです。食糧不足とはいえ深刻な飢餓問題には発展しなかったのはダーチャの存在が大きかったと思います。ソ連の住宅政策が市民の食糧確保にまで及んでいたことは注目に値すると思います。

ちなみに京都には歴史的な建造物も多いと思いますので、新聞の議論にありましたように建物の高さは低層のほうが良いと思います。できれば木造であれば理想的と思います。




自治の拠点としての南風原文化センター

9月27日の琉球新報に南風原文化センターの記事がありましたので、お伝えします。館長の大城さんとは2年ほど前に、大阪の金城馨さんとともに自宅にお邪魔してお話を伺った事があります。その時は地域における文化活動の重要性について話を伺ったように思います。

南風原に拠点を置いて、琉球だけでなあくアジア、世界と南風原をつなぐ、学びあいの拠点として重要な役割を果たしていると思います。これまで、同センターの平良さんの活動からもいろいろと刺激を受けてきました。

南風原文化センターのような自治の拠点が琉球の各地にできることで、地域な人々が集い、学びあい、励ましあうとともに、地域外の人々とも交流ができるのではないかと思います。




道路拡張工事に伴い南風原町喜屋武の黄金森公園内「悲風の丘」近くに移転した南風原文化センター(大城和喜館長)はこのほど、11月のリニューアルオープンに向け、沖縄戦、戦後の暮らしなど展示内容に沿った3本の映像資料を製作した。大城館長は「展示品をより深く学ぶことができる内容だ」と太鼓判を押す。

 映像資料は「南風原の沖縄戦―沖縄陸軍病院壕」「南風原・沖縄の戦後史」「人々の暮らし」の3本でそれぞれ20分。昨年11月から約9カ月かけシネマ沖縄とともに製作した。提供写真や映像、当時の新聞記事をふんだんに使い、分かりやすい構成となっている。

 「沖縄戦」では陸軍病院壕を中心に、沖縄戦と壕内の時間的な流れを説明。当時病院壕で働いた軍医や学徒、炊事婦として働いた住民らの証言や1フィートフィルム、コンピューターグラフィックス(CG)イメージで当時の様子を再現した。

 「戦後史」は町だけではなく県全体を網羅。家屋を建てることから始まった戦後の庶民の暮らしを町民の証言を交え紹介。「人々の暮らし」は民俗がテーマ。長年続いてきた年中行事や民間信仰、民具の使い方、ノロなどの神役を紹介している。

 映像は展示場で上映するとともに、町内の小中学生の授業や修学旅行生の事前学習などにも活用する方針。

 大城館長は「映像と展示物を見ることでより深い見方ができる。展示テーマに沿って映像を作製することはなかなかない。これも今後南風原の財産になる」と力を込めた。

京都市の新景観条例から学ぶ 8

2008年5月5日、6日の京都新聞から新景観条例関連の記事を紹介します。

民間の経済活動への影響など、大きな影響を新景観政策は与えています。それでも新景観条例によって地域を守るという公民の強い自治の意思が背景にあるから、同条例に基づいがまちづくりが続けられてきたといえます。



百年近く京都市を拠点に営業を続ける中京区の工務店が、今年一月、創業以来初めて東京に事務所を構えた。「新景観政策で池の魚が減り、さおも短くせよという。どう釣ったらよいのか…」。社長(44)は、減る一方の仕事を魚に例えながら、市外で活路を見いださなければならない現状を嘆いた。
 
市内の住宅着工件数は、昨年九月から今年二月までが三千八百三十七戸。前年同期に比べ52%も減った。改正建築基準法の影響で全国的にも減少しているが、京都の落ち込みはその倍以上で、改善の兆しは見えない。

 「規制強化の影響がじわじわ広がっている。このままでは二十人の従業員を養えない」。社長は市内でも生き残りを模索した。

 下京区に保有する二棟続きの町家を当初はアパートなどに転用しようと考えたが、規制で行き詰まり、一棟を駐車場、一棟を町家の造りを生かした宿泊施設にすることを検討している。

 だが、旅館業法などの複雑な規制があって、簡単には進まない。ようやく宿泊施設への転用のめどをつけた社長は、「規制で一つの蛇口を閉めるなら、別の蛇口を開けてほしい。でないと池は干上がってしまう」。

 新政策が導入された昨年九月以降に売り上げが一割減少、利益も半減。社長は東京進出を決断した。

 三月、四条河原町近くのビル屋上の看板が、契約切れの時期を迎えた。中京区の広告代理店の男性(63)は、今年初めから新たな契約先を探して奔走していた。
 屋外広告の規制強化で屋上看板は全面禁止となったが、経過措置で既設なら最長七年間の猶予がある。この猶予を生かそうと顧客に働き掛けた。だが、「景観条例に逆行するのは社のイメージダウンになる」。どの企業からも似たような答えが返ってきた。

 結局、三月末に看板の骨組みごと撤去され、代理店とオーナーの年間数百万円の収入が消えた。代理店全体の売り上げは昨年九月以降、約15%も減った。

 穴を埋めようと営業担当の男性(38)は、新しい客を求めてほぼ二週おきに東京へ出張している。「京都では新しい仕事はみつからない」。都内のホテルに三、四日滞在しながら顧客を探している。
 市内では違反看板が依然として目立つが、この代理店は市の登録業者として規制を守ってきたという。新しい展望が開けない。「いずれは京都から撤退するかもしれない」。会社で最近、ささやかれるようになった。



京都市内で三月七日開かれた市景観審査会。京都大医学部付属病院(左京区)の高さ二十メートルまでしか建てられない予定地に計画された約三十一メートルの新病棟をめぐり、「特例」を許可するかどうかが審議された。

 「医療だけでなく教育、研究の機能も果たすのが大事だ」「建物の高さだけでなく、総合的に判断しなければならない」。都市計画や建築、経済などの専門家の議論は、高さや外観よりも、病院の機能からみて特例が必要かどうかという「公益性」に集中した。

 新景観政策で創設された高さ特例(景観誘導型許可)は、「優れたデザイン」「公共・公益施設」など五つの条件のいずれかに該当する場合、市との事前協議や審査会を経て市長が許可する制度。京大病院はその第一号として注目を集めた。

 申請を受けて審査会を始めた二月ごろは「雲をつかむような状態だった」と会長の川崎清京都大名誉教授は振り返る。特例を認めるデータが不足し、「市の説明も最初は先端医療のために三十一メートルが必要という程度で、公益上の理由が分からなかった」という。

 委員に配られた京大の資料は最終的にA3判約三十ページに及んだ。病院や研究拠点などの機能集約の効果を強調した上で、高層化の必要性が記されていた。当初、反対だった委員の宗田好史京都府立大准教授も「機能の説明を聞いたことで、中身がしっかりしていると思えた」。

 鴨川河川敷など三カ所から大文字を望むシミュレーションの結果、新病棟は新景観政策で重視される「視点場」からの眺望を遮らなかった。審査会は特例を認める方針を固め、四月二十五日に答申をまとめた。

 ただ、特例を問題視する意見も根強い。京都弁護士会で廃止の意見書をまとめた吉田雄大弁護士は「新政策で高さを抑えた。高くして良くなる景観とは一体何なのか。抜け道になっては困る」。より慎重を期すべきと訴え、「公益性を理由にするなら、多くの市民の意見を聞く必要がある」と注文を付けた。

 今のところ新たな申請は出ていない。審査会委員の一人は「京大のケースで特例のハードルが高くなった」という。川崎会長も民間のビルやマンション単体では「許可されないだろう」とみる。民間病院や私立大などから申請は出ないのか。今後どこまで特例を認めていくのか。委員からは「公益性とは何か。誰もが納得するには、まだまだ時間がかかるだろう」との声も出ている。

京都市の新景観条例から学ぶ 7

2008年5月2日、3日の京都新聞から新景観条例に関する記事をお伝えします。

昨日、京都市役所周辺を歩きました。歩道が広く、歩行者、自転車が自由に行き交い、すがすがしい気分になりました。一部高層住宅がありますが、低層の住宅・観光関連施設もありました。歩いていると看板があり、地域の住民が取り決めをきめて、町屋を残す、パチンコ屋等を設置しない、大きく派手な看板を設置しない等が書かれてありました。京都人の文化や歴史に対する誇りを感じました。

寺町商店街にも住民用の様々な、個性的な店が多く、一部、観光客用の店もありました。京都には年間5千万人の観光客が来ていますが、観光客に媚びるのではなく、住民主体の街づくりを実感しました。

マクドナルドも通常の赤色の看板ではなく、色を抑え、ケンタッキーフライドチキンの店も竹製の看板にするなど、「京都に敬意を払った」試みがみられます。街並み、家並みもも落ち着いた色合いで、京都らしく、道路からは京都を取り囲む山が見えました。

進出企業に対して、地域の方針、思想を守らせることで、同化させ、地域文化を現代において維持発展させる必要があります。

新景観条例は非常に厳しく、行政と住民が直接交渉しながら地域の文化を作り上げつつあります。

琉球が学べるところが京都をはじめとした日本各地にあると思います。




 「本当は地中海風に仕上げたかったんですが…」。今年二月に京都市南区吉祥院に完成した会社員濱崎貴志さん(47)の自宅は当初、思い描いた外観と異なり、屋根や壁の色が抑えられた。シックな感じの新居に、濱崎さんは少し戸惑いもある。

 業者と設計を始めたのは昨年八月。翌月に新景観政策が導入され、市内大半の地域で屋根の色は「黒か濃い茶色か濃い灰色とする」など規制が強化された。吉祥院地域は「町並み型建造物修景地区」に指定され、「生活に潤いを与えるよう壁面の色彩に配慮する」とのデザイン基準が設けられた。

 初めに計画した「黄色い壁やオレンジ色の屋根」をあきらめ、業者と相談の上、落ち着いた色に見える「濃い桜色の壁にワインレッドの屋根」に変え、市に申請した。

 だが、却下された。長女が進学する今年四月までに引っ越しを終えたい事情もあり「やむを得ず、薄いピンクの外壁と濃い茶色の屋根にした」。外観へのこだわりを捨てるしかなかった。

 「山並み背景型建造物修景地区」の左京区松ケ崎で自宅を建て替える村田裕哉さん(46)も、規制の影響を受けた。

六十平方メートルほどの土地を有効に使いたい。屋根裏に倉庫を設けるため、一方向だけにこう配がある「片流れ」の屋根を設計した。だが、この地区は山形のこう配の「切妻」が基本。規制強化後、「傾斜角度が二段階ある片流れ」が認められた前例があったため、昨年十月この形で申請をした。

 ところが、市は業者を通じ「原則は山形」と見直しを求めた。村田さんは「ほかによい方法はない。前例もある」と市役所に直談判し、協議の後、担当者も「そこまでいうなら」と認めた。家はこの夏に完成する。

 二人の家を手掛けた会社(北区)の設計室長大島剛さんは細かすぎる基準とあいまいな運用を問題にする。「どんなまちを目指しているのか、現状の規制から見えてこない」といら立ちを隠さない。

 ある地区では三階建ての場合、三階の壁面は二階より後退させなければならない規制がある。道路沿いに門を付ければ例外として認められるが、「百万円近く費用がアップし、顧客と業者が負担するしかない」という。

 住民たちは苦慮しながらも新規制を受け入れている。「景観の保全が必要なことはみんなが理解している。ただ今の規制でよいという認識を、住民が共有できているのか」。大島さんは仕事のたびに思いを強くする。



 祇園祭の山鉾の一つ「八幡山」町会所の屋根が四月末、スレートから日本瓦にふき替えられた。新景観政策は和風の外観を重視し、屋根に極力、瓦を使うよう求めている。その趣旨を踏まえ、京都市中京区の八幡山保存会が北区の瓦店に仕事を頼んだ。

 和風住宅の減少などから瓦の需要は落ち込んでいたが、昨年九月の新政策導入以降、徐々に増えだした。「耐久性を考えても日本瓦は最高の屋根材。復権のチャンスだ」。瓦店の光本大助社長はふき替え作業をまぶしそうに見上げていた。

 京都府瓦工事協同組合によると、屋根の色や素材などが規制強化された結果、これまで瓦を使わなかった建築士からも注文が来るようになった。  松田等理事長は「組合員数は減少しているが、仕事量の回復で歯止めを掛けられる」と期待する。

 京都市も市営施設で日本瓦の使用に力を入れ始めた。下京区のJR京都駅のすぐそばの崇仁市営住宅新設では屋根材を瓦に切り替えた。市住宅整備課は「京都の玄関口には、京都らしさを代表する日本瓦の連なりがふさわしい」。本年度内にも着工する六階建て住宅に約一万三千枚の瓦を使う予定で、今後も新しい施設に瓦を多用していくという。

 瓦には「重くて地震時に不安」「コストが高い」などのイメージもつきまとう。しかし、最近では地震時に落ちにくくする工法が開発された。価格はスレートなどに比べ一・五倍以上高いが、五十年以上も使用できるという利点がある。

 同組合は三月から建築士を対象に瓦の工法、構造計算などを指導する連続講座を始めた。「建築士や市民に瓦の利点を知ってもらいたい」と講座以外のPRも検討していく。

 住宅建材業界でも、新景観政策導入を「新たな商機」ととらえる動きが出てきた。
 右京区の住宅建材商社は四月、規制に対応した注文住宅向け建材セットを大手メーカーと協力して開発した。

 和風を基本にしたデザインでオール電化や耐震工法も取り入れた。「価格も坪(三・三平方メートル)五十二万円からで、平均的な値段。京都らしい新たなデザインを生み出す突破口になる」。中村憲夫社長は手応えを感じている。

 商社に建材や工法を提供する大手メーカーの京滋営業所(南区)も「長浜市や倉敷市など景観を大切にするほかのまちに、成果を広げていきたい」とする。京都発の和風住宅販売に向けて、戦略を練っている。

京都市の新景観条例から学ぶ 6

2007年3月7日と2008年5月1日の京都新聞から新景観条例に関する記事をお伝えします。

京都人が景観に関心をもってきたのは今に始まるのではなく戦前からであり、長い歴史をもっています。京都は盆地ですが、現在でも周辺の山が見渡せる地域は多く、山ではハイキングもできるほど、自然が豊かです。私も一度、吉田神社周辺の山を歩いたことがあります。龍谷大学の近くにある稲荷大社の山からも京都が一望できます。

琉球でもここ十年余りで開発が大変進んだと感じますが、京都でもこれまでにないスピードで開発が進み、これを住民の力で京都らしい地域を取り戻そうとしているといえます。

同法が施行された後の記事によると、「京都に敬意を払う」企業が地域の方針に従って営業を行っている様が紹介されています。「琉球に敬意を払う」企業がどんどん増えてほしいです。そのためにも琉球の自治がさらに広がる必要があります。




 戦前から京都の行政には、「民間に任せておくと景観が破壊される」という意識があり、景観保全に強い規制をかけてきた歴史がある。高度経済成長時代に全国的に高層ビルの建設ラッシュが続いたが、三山の山並み周辺に高い建築物は建たず、市街地でも他の大都市に比べ、厳しい高さ規制をかけてきた。

 市内に住む住民にとって、高い建築物が乱立するのは、古都の景観に似つかわしくないとの意識が根付いている。快適な居住空間の中で暮らしたいと感じる住民の思いが、町並み保全の規制強化につながってきたと言える。

 ところが、ここ十年余りで、マンション建設が特に住宅地で相次ぎ、高い建物に圧迫感を感じる近隣住民とのトラブルも多発した。京都市は「一刻の猶予もできない状況になった」と判断したのだろう。高度地区の高さを最高三十一メートルまで引き下げ、中心市街地では十五メートルにまで抑え、これに一部の市街地で和風意匠を義務づける細かなデザイン規制も設けた。百万人以上が住む大都市でほかに前例はない。

 新景観政策は「これ以上の乱開発を許さない」という行政の強い姿勢を示したといえ、一定の評価はできるだろう。

 ただ、今回の新政策で景観悪化に歯止めをかけられても、歴史都市としての良好な景観を創造するのは難しいと思われる。高さやデザインを規制したからと言って、すぐに公共性を持ちうる景観はできない。そこで、地域住民によるまちづくりが重要になってくる。

 都市計画法と建築基準法に基づき、住民が地域ごとの建築物の高さなど自主規制を決める「地区計画」がある。住民が地域でルールを定め、まちづくりのための規制の強化や時に緩和もできる。
 新政策の導入で不適格建物の建て替えが問題視されているが、「公共の緑地や空き地を確保すれば、市の高さやデザイン基準より緩和して建て替え可能」との地区計画を策定して問題を解決する道もある。

 ただ、地区計画の策定はハードルが高い。地権者のほぼ全員の合意が必要で、場合によっては数百名規模の署名を集めなければならなず、住民負担が大きい。市民への周知も十分でなく、思うように進んでいないのが現状だ。

 地区計画を推進するため、市が独自に住民の合意率を緩和したり、専門家派遣など支援策を充実させ、規制とセットで住民に示すべきだ。地区計画策定には時間がかかる。その時間を稼ぐ意味で、新政策があるという見方も必要だろう。

 景観をめぐって、利害関係がクローズアップされ過ぎ、「イエスかノーか」のような雰囲気になっている。景観政策が政治問題化するのは致し方ない面はあるにせよ、本来、個人の利害を超え、地域でまちの将来像をいかに共有するかということを議論しなくてはならない。景観が「公共財産」たるゆえんは、まさにそこにある。

たかだ・みつお 一級建築士。京都府建築士会副会長、京都市住宅審議会長。55歳。



 京都市中心部の四条通柳馬場角に四月二十八日、壁面の黒いビルが姿を現した。世界的な万年筆ブランド「モンブラン」の路面店が完成した。壁の二カ所にロゴマークがあるだけの外観が、斬新に映る。

 「実は最初、壁に大きな看板を付けるプランだったんです」。店舗デザインを担当した販売会社(東京)の高桑真さんが打ち明ける。
 東京・銀座の店舗はビルの高さいっぱいにアクセサリーを身に着けた女性の看板を掲げている。京都もほぼ同じ構想で、ビルから道路側に突き出る「袖看板」を使い、柳馬場通側の最上階付近まで大看板が覆っていた。

 この案が、昨年九月に実施された新景観政策に引っ掛かった。屋外広告物が市内全域で規制強化され、色の明るさや彩りが抑えられた。看板の下地に使う色合いも数値基準が設けられ、面積も縮小、高さも低く規制された。四条通では袖看板も禁止になった。

 市と協議を始めた高桑さんに上司やドイツの本社から出た指示は、「市役所に協力してください」。早々に袖看板と大看板を使わないことを決め、インクの色でイメージカラーの「ブルーブラック」でビルを包む案を提示、市が認めた。

 「京都という街に敬意を持って出店した。条例を守るのは当然」。広報担当の西村恵美さんの説明はさりげない。景観への企業の理解から、町並みが少しずつ変化している。

 一方、既存の違反看板は簡単には一掃されない。市は昨年から中心部で是正指導を強め、巨大で派手な看板の撤去や縮小を進めているが、四条通や河原町通周辺で違反看板を掲げていた約千三百店のうち、今年三月末までに従ったのは約三割にとどまる。

中心部以外は、十分に指導が行き届いていない。

 「禁止色は明確だが、実際の審査では線引きが難しい」(市街地景観課)と審査する現場の悩みもある。市は手続きがスムーズになるよう四月から、看板製作の業者でつくる京都府広告美術協同組合と定期的な意見交換の場を設けた。

 四条繁栄会商店街振興組合の堀部素弘理事長も「規制は痛しかゆしだが、四条通は祇園祭で山鉾が巡行する。よそとは違うまちづくりで新たな価値をつくりたい」。新基準を軌道に乗せるため、模索が続いている。

【2008年5月1日掲載】
 京都市の新景観政策導入から八カ月が経過した。高さやデザインの厳しい規制を受け入れながら、町並みは少しずつ変わろうとしている。変化の兆しや見えてきた課題を追い、古都の景観再生への道を探る。

京都市の新景観条例から学ぶ 5

2007年3月5日、6日の京都新聞の新景観条例についての記事を紹介します。

京都で町屋が消えていくのは、琉球において赤瓦の家が消えていくことと同じです。他からやってきた会社が次々にマンションやアパートを建て、地元に根を下ろさず、次から次に資本が増殖していく状態に歯止めをかける必要があるとの危機感が京都の新景観条例を制定した背景にはあります。

新景観条例への反論に対しても謙虚に耳を傾け、説明を尽くし、語り合い、共通の価値を見出していくという地道な作業が必要です。


 

昨年五月、フランスの美術館長と京都市の桝本頼兼市長に会う機会があり、今回の新景観政策の話を初めて聞いた。「素晴らしい。わたしたちが十何年も言ってきたことと、ぴたっと合いました。心から敬意を表します」。そう伝えた。

 そして昨年末、仏教会の理事会で報告した。「市の案に、わが仏教会は全面的に支持し、協力しましょう」と決議した。異論はまったくなかった。京都ホテルの高層化から景観問題に取り組み、もう十五、六年になる。「やっとここまできたか」という思いが強い。

 ただ、あえて決議を前面に出すと、仏教会の圧力で政策ができたのではないかと誤解を招きかねない。コメントとして出すのは控えた。市と和解はしたが、高層化問題からぎくしゃくしたいきさつもある。せっかくのプランがつぶれるのもまずいと考えている。

 今の景観は、惨憺(さんたん)たる状態だ。毎年のように町家が消え、代わりにどんどんマンションが建つ。町並みがバラバラで一貫性がない。ポルトガルのリスボンで丘から海を望むと、瓦屋根の色が統一されている。比べて京都はひどい。国際都市の理想の姿とは言えない。

 そもそも京都で総合設計制度を採用したのが間違いだった。公開空地を提供すればボーナスで高さを上積みできる。狙いは土地の値上げだったが、永遠ではない経済に左右された。やるべきではなかった。高層マンションなども、建てた会社は成功すれば次へ行く。根を下ろさず、責任もない。それによって町並みが破壊されている。

 失礼な言い方だが、広告、看板の姿もみっともない。何とか改めてほしい。ただ、業者がダメージを受けないような知恵は必要。一概に広告や看板はだめ、ではなく、生きる道も考えなくてはならない。

京都市民のみならず、世界の人々が京都の遺産、文化を守っていかねばならない。市民は痛みを伴うが、だれもが辛抱しながら百年、二百年先のことを考えて踏ん張らねばならない。

 かつて京都市は、拝観料に一人当たり五十円の税を課して財政の足しにしようとした。われわれは断固反対し、門を閉めた。京都の経済がどうなっているか、市民は初めてそこで分かった。神社仏閣がなかったら京都は立ち行かないと。

 国が観光立国と言い出したが、京都の過ちは二度と繰り返してほしくない。人が来る、じゃあ税金を取ろうというのは、とんでもない過ち。まったく失礼な話で、だれも京都に来なくなる。実際にそうなった。

 今回の政策が実現し、町並みがきちんと整備されれば、観光客は必ず増える。市の五千万人プランも現実味を帯びている。寺院が(財政面で)協力するかしないかではなく、景観が整い、人がどんどん来れば、京都の財政は必ず潤うことになる。それが大きい。

 ありま・らいてい 臨済宗相国寺派管長。金閣寺、銀閣寺の住職も務める。1988年から京都仏教会理事長。74歳。



規制の強化によって、数多くの既存不適格の建物を出す。マンションでも一戸建てでも、同じ規模の建て替えができないものがかなり出てくる。土地や建物の価格に影響する経済政策であるのに、市には不動産価格の変動に関するシミュレーションすらない。経済への影響を真摯(しんし)に考えていない。

 実際に市が方針を発表しただけで、不動産の取引が止まったり、価格が下がる例が出ている。この状況であえて条例案や都市計画の変更を通せば「故意責任」が市全体、市長個人に問われる。問題があると分かっていながら実行するのだから、過失ではない。裁判にもなるだろう。

 景観法上、景観重要建造物に指定した建物は、増改築しにくくなるが、公共の福祉のために犠牲があるとして、補償も義務付けている。ところが、新景観政策には補償がない。京都でも一部の弁護士が「既存不適格でも補償は不要」と言っているが、不動産は一生に一度の大きな買い物であり、判断が軽すぎる。

 また、既に建っているマンションやビルに対して、景観上の利益があるとして「違法建築にしろ」と言えるような法律の概念はない。「景観の侵害だ」と言っても、裁判所がビルを取り壊せと命令するはずがない。今回、既存不適格にするのは、それに近いことをやろうとしている。

 京都の景観論争は不幸にして高さ問題になった。一律に「高ければ景観を害している」と考えるのは教条主義だ。都心に住みたいと思えば、土地を共有化して高層化するしかない。その要求がなぜいけないのか。

 市に届いた五百七十六通のパブリックコメントをすべて読んだ。マンション住民からは「市から市民として見てもらっていない。対応が不誠実」との声が出ている。不安を切々と訴えている。中には「リスクのあるマンションを買うのは自業自得」との意見もあったが、だれもリスクがあると思って買っていない。

 市は地下鉄東西線を建設し地下街のゼスト御池を造り、都心の人口集中を見込んだ。実際にマンションが増え、住みたい人も増えている。なぜ抑制するのか。政策の方向性が矛盾している。

 しかも、今回の政策で景観はよくならない。マンションをつぶさず、古いまま残すことになるだろう。今のマンションなら百年近くは持つ。木造でも、同規模で建て替えできないと残っていくだろう。景観だけでなく、安全面の問題も出てくる。

 現状は、景観保全というと何をやってもいいような風潮になっている。新政策は乱暴すぎる。撤回し、違った誘導策を考えるべきだ。あの「京都ホテル」にも悪い印象はない。京都特有の「うなぎの寝床」でマンションを建てても壁のようなビルになる。一定の公開空地を取り、比較的広い土地に高い建物を建てていくよう誘導すれば、雰囲気もよくなる。

 しらはま・てつろう マンション住民や事業者でつくる「暮らしやすい京都の住環境を考える会」副理事長。弁護士。47歳。

京都市の新景観条例から学ぶ 4

2007年3月2日、3日の京都新聞に新景観法の記事がありましたので、お伝えします。

沖縄県の人口と京都市の人口は同規模といっていいでしょう。琉球の都市部において緑、丘、海が見えるようになっているのか。琉球の風景の原点とはなにか。経済界の人々を含めて、経済的利益以上の価値を考える時期にきています。

2002年から京都再生の動きが内発的に始まりました。都市化を進める部分と、開発に規制をかける部分と明確に分けて進めていく。新景観法の施行の過程において、行政、公民、企業が相互に自由に意見を言い、よりより地域をつくっていこうとする意気込みを感じ取ることができます。

私益ではなく公益を一人一人の住民が自覚するかどうかが鍵です。



京都市が建築物の高さやデザイン、屋外広告の規制を強化する新景観政策を打ち出した。京都らしい景観を守るためだが、一方で市民生活や営業活動への影響を心配し、反対する人たちもいる。新政策については、十三日を会期末とする市議会の審議が、大詰めを迎えている。関連する条例案や予算案の可否を前に、京都各界の意見を聞いた。

 「山紫水明」。これが京都の命。どこからでも山が見え、百四十七万人が住む都市を流れる鴨川も清い。眺望をさえぎる大きな建物もない。これが京都市の原点であり、なくなればほかと何も変わらない普通の街になってしまう。
 
鴨川の三条から四条のあたりで西を眺めるとビルが立ち並んでいるのが見える。潤いのある環境とは違う。このままだと景観がますます壊れる。今、止めないといけない。皆そう思っている。

 壊れゆく町並みを前に、効率を優先した経済界にも反省がある。内心では「屋上に大きな看板はよくない」「町家は大事にせなあかん」と思いながら、「自分(の会社の経営)だけが何とかよければ」と思っている間に京都の景観は崩れた。

 効率優先で何をやってもいいのではない。日本人の心の故郷である京都の保全は、われわれ京都人がやらねばならない。京都の経済界もそう気付いた。反省も込めて、自己犠牲も多少やむなしかなと思っている。

 こうした思いから、同友会は二〇〇二年に「歴史的都市の保全は国家的課題」とする内容の緊急提言をまとめた。経済界の意見として、「もう一度やり直そう」となった。ここから京都市が京都創生に動き、景観法の制定にもつながったと自負している。

 新景観政策は、百年後を見通した勇気ある提案だと思う。わたしたちの提言が新政策の条例案に結びついた面もある。ぜひ頑張って景観保全を進めてほしい。

 同友会の中でも賛否はある。しかし、これからは効率ではなく公益優先でなくてはならない。景観法にもある「美しく品格のある国土」は、単に総論賛成というだけでは実現しない。負担は皆でしていこうという考えだ。

ただ、活力のない街に繁栄はない。山紫水明の落ち着いた街に住みたい人が旧市街地を選ぶなら、効率を求めて新産業で活性化をしたい企業は市南部の高度集積地区に集まる、という使い分けがあっていい。

 市は「新都心の景観はこうだ」という案を示していくべきだ。例えば、同友会が構想する三百五十メートルタワーをシンボルに、周辺は高さ六十メートルのビルでそろえる。そこに進出する企業が見習うようなデザインの建物として京都市役所がある。そんな模型も作って欲しい。ビジョンが魅力的なら世界中から投資の動きが出てくる。

 また、政策への理解が広まっていないとの指摘もあるが、京都市民には「言わずもがな」という意識があるのではないか。大都市でも長期的には人口が減少していく。高層マンションをどんどん建てるようなまちづくりが果たしてふさわしいだろうか。新時代への予感を感じ取るのが早い京都市民はこの点に気付くのも早いはずだ。

わたべ・たかお ワタベウェディング社長。京都市美観風致審議会委員。2005年から京都経済同友会代表幹事。66歳。



わたしたちは京都の景観を守ることに大いに賛成であり、決して業界のエゴで反対しているのではないことを、まず申し上げたい。ただ、今回の新景観政策はあまりに唐突で、しかも、よく調べると、住居の建て替えに大きな制約がかかり、資産価値の低下も招きかねない。市民に十分な説明がないまま、果たして、成立していいのか、と問いかけている。

 昨年十一月に公表された素案を見て、驚いた。例えば、ケラバ(こう配屋根の端の部分)の三十センチ以上の義務化。

市内の住宅の五割以上が九十平方メートル以下の狭小宅地で、隣接家屋との境界も狭い。建て替え時にケラバ確保で建物は小さくなる。同じ床面積を確保するには、敷地を広げる必要があり、試算では費用が二割も高くなる。

また、植栽面積基準も、敷地三百平方メートルが基準だった。百坪の大きな住宅が市内に一体どれだけありますか。基準に合わない「不適格建物」は担保価値も下がる。失礼な言い方だが、実態を十分に考慮していない「机上の案」としか言いようがなく、業界として声を上げた。

 結局、京都市はケラバや植栽面積基準などデザイン規制を中心に「原則として」とか、「努力義務」などの言葉を入れ、規制を緩和した。このことは評価できるが、ただ、「原則だから基準に従え」と行政指導することも十分に想定される。

役所は担当がころころと変わるので、統一した指導になるのか心配だ。

 高さ規制強化も、中心市街地のいわゆる「田の字」地域では、幹線道路沿いは四十五メートルから三十一メートルに引き下げ、さらに、住居の多い幹線道路の内側は三十一メートルから十五メートルに下げるという。

景観保全では「三山の眺望」をうたっているが、沿道に建つ建物が壁になって内側から、「大文字」は物理的に見えない。

 市長の言う「忍びよる破壊」とは一体どこを指しておられるのか。不適格建物に対する金融機関の融資も「問題はない」と市は言うが、われわれが銀行関係者に尋ねると、「ローンは認めない」との声も聞く。こうした疑問や不安に答えるのが行政の責務だと思う。

 京都は、古いものを残し、新しいものを取り込んできた歴史がある。何を保存し、新しく変えるのは何なのか。京町家だって、残すための手厚い行政支援が必要だろうし、鴨川からの眺望は市民の財産だ。

京都駅の南側は規制緩和して高層ビル群をつくってもいいと思う。メリハリのある都市計画こそ、「進化する京都」が生まれ、これが京都の神髄だ。それを一気に規制する手法は、いかがなものかと言いたい。

 新政策の導入で、町の活性化をそぎ、衰退してしまうというのがわたしたちの主張だ。ただ、別の意見も多い。百年の大計を決める大事な問題だからこそ、急がず、少なくともあと一年は議論してから賛否を求めてほしいとの訴えは、間違っているだろうか。

 のぐち・かずみ 2000年5月から京都府宅地建物取引業協会会長。野口商事代表取締役社長。73歳。

豪州とバヌアツとの関係、フィジーの送金経済、同盟関係としての米国とフィジー

2005年の10月、11月の太平洋諸島ニュースをお届けします。

豪州は近年、「良い統治」という判断基準にしたがって島嶼国への援助を行っており、援助を通じて島嶼国の内政に関与し、支配・管理をしようとしています。

島嶼国には島嶼国の統治の方法があり、内発的に統治方法を形成していくべきであり、援助提供国がカネの力で無理やり統治方法を指図すべきではないと考えます。




11/29 PIR
 ダウナー豪州外相がバヌアツへの援助金を削減すると脅している。

ダウナー外相は、公共サービスや良い統治を後退させるようなバヌアツ政府の諸政策を改めさせるために、豪州政府からバヌアツ政府への援助金を削減すると脅している。

豪州の野党、労働党は、太平洋諸国に対しより厳しい対応を取るべきだと主張しており、今回のダウアー外相の対応を支持している。バヌアツに対する最大の援助提供国である、豪州政府は年間2450万米ドルに相当する援助事業を実施しているが、その事業が削減されるかもしれない。

豪州政府は、バヌアツ政府のボホール首相が重罪を犯した人物を再任命し、公的サービスに大きな支障を与えたと非難している。また豪州政府は、バヌアツ政府が、金融取引に関する法律を緩和し、首相護衛隊を創設しようとして、司法制度に介入していることをも非難している。





フィジーをはじめとする太平島嶼国は移民を世界中に送り出しており、その送金が島嶼国経済にとっても無視できない状況にあります。戦前の琉球も同じであり、現在の日本本土への出稼ぎ労働者も同様な役割を果たしているといえます。

10/18 PIR
 フィジー人移民の母国への送金額が2億6300万米ドルにのぼると推計されている。

昨年、海外に住むフィジー人が母国に2億6310万米ドルの送金をしたが、この金額は同国の観光収入額よりも多い。

海外の紛争地域で働く平和維持軍やガードマン、看護婦、プロスポーツ選手がフィジーに住む家族に送金をしており、それによりフィジー人は輸入品を買うことが可能になっている。フィジーの全世帯の40%は海外の家族から送金を受け取っているという調査結果もある。

フィジー政府は、さらに労働者を海外に送り出し、送金を資金にしてインフラ整備や民間投資に活用させるべきであるとの声もある。



米国とフィジーとは軍事同盟国としての関係にもあります。



10/25 PIR
 ブッシュ米大統領がフィジーを「勇敢な島嶼同盟国」であると讃えた。

ブッシュ大統領が、1978年から続いているフィジーの平和維持活動を評価した。ブッシュ大統領は、フィジーを米国の「勇敢な島嶼同盟国」とし、イラクに多くのフィジー兵を派遣していることを讃えた。

ブッシュ大統領は、フィジー兵士はレバノン、シナイ半島、東チモール、コソボ、ルワンダ、ソロモン諸島において顕著な働きを示し、最近ではスーダンに警察や軍隊を派遣することを決定したと述べた。

またブッシュ大統領は、フィジー政府や軍部が法律秩序や立憲体制に従いながら、フィジー全ての国民の権利を守ることを求めた。ブッシュ大統領は、「民主的に選出された内閣を違法に追放したというフィジーの不幸な歴史」を考えると、クーデターを終わらせ、本当の協調を追及することはすばらしい目標であると語った。

学校でしまくとぅばを学ぶ

琉球朝日放送の9月11日の放送でしまくとぅばを子供たちが学校で学んでいることについての放送がありましたので、お伝えします。

私が小学生のころ、特に「復帰」の年であった小学3年生のころは、日本語教育が徹底的におこなわれ、方言札運動が教室で行われ、自らの言葉を自己規制していました。今でもそのことを覚えています。

開発によって自然だけでなく、ことばまでも消し去ろうとしていました。

琉球の各地で子供たちによる、しまくとぅばの大会が行われています。大会用、学習用ではなく、日常的にしまくぅばがさらに使われるようになればと思います。




学校に関するユニークな話題や課題などを取材しお伝えしている学校ウォーカーです。きょうは、小学生たちがしまくとぅばについて学ぶ取り組みです。9月18日は、「くとぅば」の語呂合わせでしまくとぅばの日。

各地では、ほとんど話すことができないしまくとぅばを次の世代へ継承しようと様々なイベントが開催されています。

柳田京香さん 名護小6年生「少しずつわかってきたけどまだちょっと難しいのがあります。」

ここ名護市では沖縄芝居に興味のある小学生22人が「怪力タルチー」という沖縄民話劇にしまくとぅばで挑戦。

先月から練習を重ねてきた子供たちほとんどの子が、しまくとぅばで劇をするのは始めてです。13日の本番に向け台本を片手に四苦八苦しながら励んでいました。


当銘由亮さん「外国語状態でただひたすら音だけをたどって子供たち覚えているので意味までは、本人たちは、入っていないかも知れませんが一生懸命やっているので」「かなり苦労しているみたいですけど 頑張ってやってくれると思います。」

また、こちらの北中城小学校では。

真栄城隆校長「子供たちに呼びかけましたら10人から15人希望者がありましたから、それで発足ということになったわけです。」

NPO法人うちなぁぐちの会のメンバー「きょうもゆたしくうにげーさびら」

今年4月から4年生から6年生を対象にした「しまくとぅばクラブ」というくらぶ活動がスタート。60代以上のしまくとぅばの達人たちがボランティアで子供たちにしまくとぅばを教えています。


「うりとぅいねーてぃーくーゆん あがあがー」

授業では、民話を語ったり、わらべ歌を歌ったりと子供たちが興味を引くような教材で指導しています。

生徒「自分が分からないところとか教えてくれるのですごく楽しいです。」「たまにおばぁちゃんと しゃべるときに方言を使うようになりました。」

クラブ員には、「しまくとぅばクラブ」が出来るのを心待ちにしていた姉妹がいます。6年生の平良真心(こころ)ちゃんと4年生の未来(ゆめ)ちゃん。実は、去年おととしと、しまくとぅば語やびら大会に村代表としてそれぞれ出場していて、今年は二人で挑戦です。


平良真心さん「方言ってこんなに面白いんだなーって思って自分もこんな面白い方言の語りが出来たらなーって思って2回目出たいと思った。」

真心ちゃん未来ちゃんの両親は、しまくとぅばを使わない環境で育ったため、話すことは出来ません。

お母さん「世界のうちナーん中大会の外国ですんでいる人が方言使っているのをみて、私たち沖縄に住んでいるのに分からないというか矛盾しているというのを見ていてどうしてだろう?という会話をしていたのを〜」


家族の会話の中で疑問に感じていたことを今回は、二人形式で発表します。

しまくとぅばで話せない両親に代わって練習は、うちなぁぐち会のメンバーが、吹き込んでくれたテープを使ってきました。大会を間近に迎えたこの日は、直接イントネーションや言葉の意味などの最終チェックです。

「まーうてぃあんすくとぅまーうてぃのまーうてぃ」指導者「これもう一回言ってみて オケーオケー」指導者「あとは、覚えること、これをみていたら、結構出来ていますからイントネーションとか出来ていますから、あとは、覚えて」


二人の完成度がきになるお母さん 帰ってくるなり声をかけます。

お母さん「出来た? 完璧だった、何か言われたでしょ、何ていわれた?練習で?」真心さん「分からんしが作るたんてぃーじゃなくて、作たんてーっててぃーじゃないで、てーなんだ、あっそうなんだ」お母さん「良かったさ 間違っているところが分かったんでしょう。」

目線やスピード・声の大きさなどお母さんの厳しい指摘です。お母さん「はいやり直しー ただ出てきているだろう本番どおりにやって」「はいたい ストップ 天井見ているサー遠くを見つめなさい。」

話す内容は しまくとぅばの未来と題して戦争時代にしまくとぅばを使うことを禁止されたことや今使う人が減っている現状にこれから島の言葉を大事に使って覚えていきたいという思いがつづられています。

こころちゃんとゆめちゃんがしまくとぅばを勉強するようになって一番喜んでいたのは、ひいおばぁちゃんでした。

お母さん「必ず遊びに行ったときには、くわっちーさびらうーとか必ず方言で声かけてくれておばぁちゃんが一番喜んでくれたというのがうれしかったっていうのはあるんですけど。」


未来さん「おねえちゃんがいるから 頼りの人がいるから忘れてもプレッシャーにはならない」

自ら学んで語り継ぎたいと意気込んでいる真心ちゃんと未来ちゃんしまくとぅばの未来のために奮闘しています。

真心ちゃんと未来ちゃん「しまくとぅばのチャンピオンならやーにふぇーでーびたん」

先祖から受け継がれてきた琉球舞踊や沖縄民謡などと同じに島の宝としておじぃちゃんおばぁちゃんたちが使って表現してきた言葉も大切につなげていきたいですよね。

真心ちゃんと未来ちゃんが挑戦するしまくとぅば語やびら大会は、あす 読谷村で行われます。

京都市の新景観条例から学ぶ 3

2007年2月8,9日の京都新聞の記事をご紹介します。

高さ制限に伴う建て替えのなかで、マンションなどの居住者がそれぞれ建て替えの合意活動をしており、その過程で、互いに知り合い、地域のことを考える仲間になり、自治が生まれていくのではないでしょうか。

高さ、建物、その周辺の景観など、地域全体にわたり、住民がどのように生活していくのかが大きな課題になります。

高さ制限を解除して、経済利益優先で進む、大阪や名古屋とは反対に、100年後の京都を考えて、高さ制限を求めていく京都に琉球は学ぶべきであると思います。

奈良の明日香村のような事例もあります。竹富島では憲章、公民館によって伝統的な街並みを保持してきました。石垣市、那覇市、浦添市、沖縄市など、島嶼社会でビルが林立していくことが、100年後の島にとっていいかどうかを真剣に議論する必要があります。




京都市中京区のマンション住民が一月下旬、市の新景観政策をテーマに開いた勉強会で、一つの試算が示された。四十九世帯が住む十一階建てマンションは、建て替えると五階になり、一戸当たりの占有面積やガレージを切り詰めても十二世帯が住めなくなる。四年前、大津市から引っ越してきた主婦(四九)は「三十年後、『出て行け』と言われたらどうしよう」。不安がこみ上げた。

 新景観政策が実施されると、市街地の約三割で高さの上限が「1ランク」下がる。主婦の住む地域は、中心部の「職住共存地区」なので三十一メートルから十五メートルに。四千五百万円で購入した新築マンションが「不適格物件」となる。「こうなることが分かっていたら、買わなかった」。主婦は嘆いた。

 市によると、新しい高さ規制で、事務所ビルを含め千八百棟が「不適格建物」になるという。建て替え時には新基準に従うことを求められる。今すぐに変更を迫られるわけではないが、住民の不安は残る。

 こうした状況を解消し、スムーズに建て替えを誘導するため、市は助成制度を打ち出した。住居部分の工事を除く、解体や設計、エレベーターなど共用部分整備など補助が出る国の助成制度を活用し、例えば坪(三・三平方メートル)単価六十万円でマンションを建て替えた場合、一戸(七十平方メートル)当たりの負担は二千万円程度になるが、市は「工事費の約二割は助成できる」と説明する。

 また、七百万円を限度に住宅金融支援機構から低金利の追加融資が受けられる制度を市独自に設けるほか、建て替えの住民合意を円滑に進めるため、弁護士や設計士などの専門アドバイザーも要望に応じて派遣するという。

 しかし、マンションの建て替えは、所有者の八割以上の合意がないとできない。阪神大震災で全半壊したマンション(百七十二棟)で、住民の間で意見が割れ、十二年たった現在も再建できない棟もある。「規制強化で入居できない所有者の出る京都はもっと厳しい」。市内の不動産業者は指摘する。

 町並みを保全するため、住民が高さなどを自主的に規制する「建築協定」「地区計画」は、マンションの建て替えとは違った合意形成だが、市によると、中心市街地の十八学区中、学区単位で合意を取り付けたのは三学区にとどまっている。

 五年前、中京区の姉小路地域(約一・九ヘクタール)で協定を実現させた谷口親平さん(六一)は、「近所づき合いしている仲間でも合意を取るのは難しく、マンションはなお大変。でも、協議の中で交流も深まる」。谷口さんの地域でも、合意が得られない十二人に対して、粘り強く説得を続けている。

 「行政の規制が遅すぎた」。住民団体から指摘が出る中、市は来年度予算案に建て替え助成策を盛り込み、新規制の準備を始めた。どう、高さを抑え、均整のとれた町並みを復活させるのか。

 立命館大のリム・ボン教授(都市計画)は、「高さを規制しても、その範囲でふぞろいな建物が建てば、良好な景観を形成できない。市民の寄付などによる資金力を持った景観NPOを育成し、住民の景観に対する意識を向上させるしかない」と話す。



石造り風のオフィスビルが立ち並ぶ大阪市北区の御堂筋沿い。均整のとれた町並みにガラス張りのノッポビルが現れ出した。一九二〇年から続けてきた高さ三十一メートルの規制を緩和した結果、ビルの建て替えラッシュが続いている。

 「景観だけでは生きていけないという経済界の要望が強く、緩和に踏み切りました」。大阪市はバブル崩壊後の活性化の切り札として九五年から高さを六十メートルに引き上げた。一部地区では制限撤廃も予定する。

「人がにぎわい、税収もアップする」。大阪市のほか、名古屋市も容積率緩和の特例で二百四十七メートルのビルを認めるなど、経済効果を狙って高さを緩和する都市も多い。

 これとはまったく逆の方向に進むのが、京都市が導入を目指す新景観政策だ。「京都は京都の道を行く」。桝本頼兼市長は、目先の利益を優先するのではなく、五十年、百年後の古都を見据え、「都市格を上げる」と繰り返し訴えている。

 どのような姿を思い描くのか。市都市計画局の大島仁局長は「中低層の建物が並び、空が広く感じられる。烏丸通沿いのビルは美しいスカイラインを描き、北山の緑の稜線(りょうせん)が見える。町家の風情も楽しめ、ゆったりとした空間の中で人々が暮らしている…」。都市格がさらに上がる百年後に思いをはせ、「必ず、モノ、人、金が京都に集まるんです」と断言した。

 ただ、財政力が弱い京都市単独で実現するのは難しい。二年前、市は景観保全を柱とする「京都創生」を打ち出した。十年間で約五千億円の財政的支援を受ける特別措置法の制定を国に求め、国会議員による議員連盟も結成された。

 景観保全で唯一、特措法が制定されたのは奈良県明日香村。飛鳥時代の風景を後世に残すため、村全体を「凍結保存」する。だが、一九八〇年の法制定までに十年の時間を要した。

 全域で建物の高さは十メートル以下に抑えられ、民家、事業所問わず建築物は瓦屋根など和風デザインしか認められない。農業を営む男性(七七)は「畑を駐車場に変えようとしても許可されない。自宅の改築も高額になり、見送るしかない」という。

 住民が厳しい規制を受け入れ、交付税優遇や国と県から三十億円の基金を受け、基金が生む利子などで保全策を打っている。人口六千五百人の村に、年間七十万人以上の観光客が訪れる。

 京都市はその二百倍以上の市民が住み、しかも、凍結保存するわけではない。古都の景観を守りながら、「進化、発展させる」という理念を据え、国に支援を求める。

 それだけに特措法実現には、京都を特別に保全する理由と熱意が求められる。「これにはね。京都の都市像をもっと明確にして、市民の合意を得ることが前提」。休眠状態の議員連盟所属の国会議員は指摘する。

 新景観政策は比類なき古都の眺望を担保するとともに、市や市民の熱い思いと「痛み」を求める特措法と不離一体の関係にあるともいえる。

 議論は二月議会で一つのヤマ場を迎える。反発や異論に対し、大島局長は「できるだけ分かりやすい形で、都市格が上がった姿を議会や市民に示したい」という。未来の京都の眺望をどう描き共有するのか、各方面の創造力が問われている。=おわり

「琉球の自治」をめぐるシンポジウム(関西学院大学研究会)

関西学院大学の豊下楢彦先生を中心とする「沖縄とカリーニングラード-周縁地
域の自立/従属と地域秩序構築をめぐる比較現代史-」研究会が主催する、「「琉球の自治」をめぐるシンポジウム」と題するシンポが10月3日(土)午後1時―6時まで、大阪梅田で開催されます。

報告者は次の通りです。

松島泰勝(龍谷大学)
     「琉球の自治について」

黒柳保則(沖縄国際大学)
     「島嶼地域の自治の再編成」    

池田慎太郎(広島市大)
     「沖縄の独立論」    

明田川融(法政大学)
     「米軍基地の展開」


大変、刺激的なシンポになりそうです。同研究会に参加されたい方は私までご連絡ください。
ただし、人数に制限がありますので、先着順とさせていただきます。研究会後には懇親会もあり、懇親会に合わせて出たい方はその旨、お知らせください。

                                  

京都市の新景観条例から学ぶ 2

2007年2月6,7日の京都新聞の新景観条例の記事を紹介します。

昨日、京都市役所で働いている宮田さんに伺ったのですが、本来、京都では東寺より高い建物は建設しないという了解があったのですが、京都では特にバブル以降、京都駅ビル等に象徴されるように、ビルの高層化の動きがでてきました。それに危機感をもった人々から景観や風景を守るための活動が展開されるようになったそうです。

自己の経済利益を最優先するのではなく、地域全体の利益を考えて、各種の規制をすることが、かえって地域を守り、公民の利益にもなると思います。

高いビル、派手なネオン、、林立する広告看板によって琉球の景観も大きく損なわれています。

徹底的な議論を尽くして、地域の自治をみなで作っていく様子が京都市の事例からわかります。



 「ほとんど利益が出ないんですよ」。大阪府内の不動産会社の事務所。社長は、京都市上京区で計画中の賃貸マンションプランを見ながらつぶやいた。

 昨年六月、堀川通沿いにある七階建て中古マンションの購入契約を結び、解体して十階建てにしようと計画した。見込んだ年間賃料収入は約五千万円。ところが、契約から五カ月経った十一月、市が新景観政策を発表、高さ規制の強化を打ち出した。七階までしか建てられず、二千万円も減収になる試算が出た。

 規制強化までに着工しようとしても間に合わない。とはいえ、このままでは利益が出ない。「解約で手付金の三千万円を捨てようかとも思った」。思い悩んだ末、社長は「立地条件がよく、将来、買い手がつくかもしれない」と改修を決めた。

 新景観政策は、建築物の高さを抑制し、こう配屋根の設置義務などデザイン基準を見直す。他都市に比べ古都・京都はすでに規制が厳しい。「さらに輪をかけるのか」。建設業界などから反発する声が噴出した。

 屋上看板の禁止や広告面積の縮小が求められる屋外広告業界への影響も深刻だ。広告面積の縮小は減収に直結し、中小業者には痛い。京都府広告美術協同組合は昨年十二月、全国規模の上部団体とともに反対の意見書を市に提出した。幹部は「規制を嫌って京都では広告をやめようという企業が出始めたと聞く。とことん反対運動する」と、全面対決の姿勢を見せる。

 「和風」を求めるデザイン基準の強化は、高さ規制とともに、住宅関連業界に衝撃を与えた。

 京都市内にある大手住宅メーカーの支店長は「家を建てるお客さんの好みはバラバラ。しかも和風を好む人は少ない」と実情を訴える。メーカーにとってはデザインの個性はセールスポイントの一つ。「大手でも京都から撤退する会社が出るかもしれない」

 反発は業界にとどまらない。高さ規制が強化されれば、「不適格物件」となる既存マンションが出てくる。「資産価値が下がる」「融資が受けられなくなる」。入居住民も不安の声を上げる。

 府宅地建物取引業協会の幹部は「都心部の土地の取引価格がこの半年で大幅に下がった」。市内の金融機関幹部も「最近は取引が止まって様子見の状態。当面は売買価格が下がるのではないか」と予想する。

 ただ、京都商工会議所の村田純一会頭は会見で「街をきれいにするのは、京都の利益になる」と、規制強化を受け入れる姿勢を示している。  市はこの間、住民説明会などで「京都らしい景観を守れたら、将来の資産価値は必ず上がる」と力説してきたが、反発を受けて先月二十七日に新景観政策の修正案を提示した。高さ規制強化の骨格は変えず、植栽義務の見直しや新基準に合わない屋外広告物の撤去猶予期間の延長などだ。

 新景観政策の可否は、二十日開会予定の二月市議会の審議に委ねられている。不動産関係の業者の中には、支援する市議に接触する人も現れた。「どんな動きになるか、しっかり見ていきます」。プレッシャーを強める構えだ。



年明け早々の一月四日、新春ムードの京都市役所(中京区)。巻野渡議長が星川茂一、毛利信二両副市長をひそかに議長室に呼んだ。「景観保全はよいが、規制によるリバウンドを考えているのか。対処する方法がないと、議会はすんなりとはいかない」

 巻野議長のところにも、昨年十一月に市が発表した新景観政策に反発する声が届いていた。同僚市議には異論があり、業界の陳情も始まった。議会を収めるには、現状の案では難しいと判断していた。

 市議らにも、景観政策の見直し論議を続ける「時を超え光り輝く京都の景観づくり審議会」の情報などが入っており、漠然と高さ規制が強化されることは知っていた。だが、デザイン基準の見直しなど細部は知らされず、出てきた案を見て、急に周囲が慌ただしくなった。

敷地面積に応じた植栽面積の義務化やこう配屋根の端の「けらばの三十センチ以上確保」…。内容を詰めていくと、家が建たないケースも想定された。

 一月六日、新景観政策に反対する京都府宅地建物取引業協会が上京区の協会ビルで、支援する自民党市議と会合を持った。協会側が市議を呼ぶのは異例という。撤回を求める方針を訴え、市議に詰め寄った。「先生は賛成なんですか。反対なんですか」

 四月には市議選もある。ある市議は「二〇〇五年衆院選の郵政民営化のように、景観問題が踏み絵になりかねない」と危惧(きぐ)する。ただ、「景観保全」は反対しにくい。「どう選挙に影響するのか」。市民や業界の動向に神経をとがらせる。

 そんな空気を察知した市は、昨年十二月中旬から、市幹部たちが反対の意向が強いとみられる議員を中心に電話や面会で説得に奔走している。年が明け、市議の新年会に出席した桝本頼兼市長は新景観政策実現への熱意を語り、会場を去る際も市議に「どうぞよろしく」と声を掛けた。

 一月三十日、植栽基準などデザイン規制を中心に規制緩和する修正案が発表された。桝本市長は記者会見で「ぜひともやり抜く覚悟だ」と断言しつつ、「議会提案までの時間、優れた提案は受け入れたい」と、硬軟を織り交ぜた。

 いまのところ市議会では、野党の共産党が支持の方向性を示すのに対し、与党の自民、公明、民主の与党会派は姿勢を明確にしていない。修正案に最大会派・自民党市議団の中村安良団長は「まだ議員の立場によって考え方が違う。これから慎重に論議する」と話す。与党市議の一人も「賛成するかはどうかは、条例案など形になったものを見てから」とする。

 新景観政策の実現には、議会の関連条例可決のほか、都市計画の変更も必要となる。三十一日の市都市計画審議会で、市立病院(中京区)の改修に伴い、一帯の高さ制限を緩和する方針が議論になった。二十八人の委員中、十二人が市議だ。一人は「市民に規制を押し付ける一方で、なぜ病院だけ高さが必要なのか」と反論した。

 新政策の実現は、二月議会、さらに三月の都計審へと、議員との駆け引きをめぐって揺れ動く。

京都市の新景観条例から学ぶ 1

京都は琉球と同じく観光地です。琉球の那覇市等の都市部において、近年、開発が進み、生活環境が大きく変わりました。

私が働いている京都市における新景観条例について京都新聞が特集を組んでいますので、それをもとに現在の琉球の景観、都市開発を考え見たいと思います。関西に住みながら琉球の開発を考えています。

2007年2月5日の京都新聞の記事です。
緑や伝統や静けさが失われつつある、那覇市等の都市部もまた「病気になっている」のではないでしょうか。外部資本の手によってどんどん島が変わっていきます。コンクリートのマンション、アパートが石垣島でも目立つようになりました。

景観は公共の資産であると思います。このまま乱開発を続けていたら、琉球は個性ある島ではなくなり、どこにでもある場所になってしまうでしょう。



 「街がね、病気になっているんです」
 昨年十一月、京都市役所(中京区)で桝本頼兼市長に新景観政策の実現を求めて答申した「時を超え光り輝く京都の景観づくり審議会」の西島安則会長(元京都大総長)は、市長との懇談や記者会見の場で何度もこの言葉を口にした。

 病気とは景観の破壊。京都の町並みは、バブル期から大きく変わった。東京や大阪の大手開発業者が次々と進出し、土地を買いあさった。熱が冷め、不況は繊維業界も直撃。瓦屋根の町家が並ぶ室町や西陣では、問屋や工房が閉鎖され、跡地にマンションや三階建て住宅が増えた。

 「昔は二階建ての家の屋根に上れば、大文字が見えた」。西陣に生まれ育った男性(六六)はいう。北野天満宮に通じる元誓願寺通から眺めると、一筋北の今出川通沿いにマンションがついたてのように並ぶ。

 市の調査では、一九九八年度に上京、中京、下京、東山の都心四区に約二万八千軒あった町家は、その後の七年間に13%も減った。

二〇〇三年までの十年でマンションを含む共同住宅の戸数は中京区で74%、下京区で95%も増え、区内の住宅戸数の六割を占めるようになった。現れたのは、低層、中層、高層の建物が無秩序に混在する町並みだった。

 市は、戦前から三山の山すそは風致地区など厳しい規制をかけ保全対策をとってきたが、市街地の高さ規制には踏み込めなかった。十三年前、高さ六十メートルへの京都ホテル(中京区、現京都ホテルオークラ)改築では、公開空地の提供を条件とする「総合設計制度」の適用で、規制より十五メートルの上乗せを認めた。活性化が求められる時代背景があり、都心ではマンション問題が噴出した。

 そんな中、事態を動かすきっかけがあった。六年前、青蓮院(東山区)の門前に大手商社系会社による五階建てマンション計画が浮上した。この時、桝本市長は商社の社長に手紙を書いた。

 「祇園から知恩院、青蓮院を経て、平安神宮に至るかいわいには、最も京都らしい姿が残っている。社会的責任を果たしてほしい」。法令に適合しているマンションの規模縮小を直訴。その後、思いは通じたという。

 〇四年十二月には景観法が施行され、景観が公共の資産に位置づけられた。これにも後押しされ、市長は高さ規制の引き下げを決断した。

 翌年、設置した審議会は、答申に「山紫水明の豊かな自然と、歴史的遺産や風情ある町並みが融合し、重なり合ってはぐくまれた」という京都の姿が、「無秩序な都市景観の出現で変容した」と明記した。

これを受けて、古都に指定された他都市の景観行政が指導による限られた対策にとどまる中、全国で最も厳しい規制を盛り込んだ新景観政策案ができた。

 「何もしなければ町家が消え、京都が全国どこにでもあるような街になる」。桝本市長が百年後に思い描く京都は、「都市格が上がった永遠の都市」。この実現に「政治生命をかける」と言い切る。

沖縄21世紀ビジョンとは何か

9月15日の沖縄タイムスに「沖縄21世紀ビジョン」についての報道がありましたので、お知らせします。

2012年に沖縄振興計画が期限切れとなるにともない、その後の沖縄県の開発の在り方を沖縄県側から示すために作られているのが、沖縄21世紀ビジョンです。

これまでの振興開発計画のように「開発の目玉」となる各事業を羅列的に並べたもので、ビジョンの思想、精神というものが感じられません。

自治が全面にでてこないビジョンは絵に加えいた餅におわるでしょう。なぜ琉球には自治が必要なのかを徹底的に話し合い、計画の基礎に自治の思想をすえて、ここの具体的な政策を提示すべきであると考えます。

私は、沖縄協会から発行されている『季刊 沖縄』に「自治による沖縄県経済自立のための建白書」という文章を寄稿しました。後藤新平の自治の思想と実践から学び、これまでの沖縄振興開発の問題を踏まえて、政策を提示いたしました。10月31日の刊行予定です。内閣府沖縄担当部局、書く沖縄県自治体等にも配布される予定です。

沖縄県によって準備されている同ビジョンが、国による振興開発を延長させるためのものではないかと思います。本気で沖縄県が経済自立を目指す計画を作成するには、一人ひとりの住民の自治に訴えるとともに、財源、分権、法制度の改正などについても具体的に論じなければなりません。沖縄県のビジョンには、計画の骨ともいうべきものが欠けているように思います。




県は14日、2030年ごろの沖縄の将来像を描く「沖縄21世紀ビジョン」の中間取りまとめ案を、県振興審議会(会長・平啓介琉球大副学長)に提出した。

各分野の課題とともに「めざすべき将来像」、「将来像実現に向けた戦略」を明記。中南部都市圏を縦貫し、名護市方面と結節する軌道系の新たな公共交通システムの導入や、軍用地跡地利用を円滑に進めるための新制度創設、離島航路の運賃低減などを盛り込んだ。

 ただ、同審議会では、「抽象的な表現が多い、具体的に何をどうしたいのかわかりにくい」「沖縄をこうしたいというものが感じられない」など、記述をめぐって異論が続出。

同審議会総合部会(部会長・富川盛武沖縄国際大学長)でさらに議論し、当初の予定通り11月の知事への答申に合わせて最終案をまとめる方針を確認した。

 案では「基地」と「離島」を特定課題に設定し、問題解決に取り組む姿勢を強調。特に返還跡地利用を円滑に進めるため、「特別立法を含む新たな仕組み・法制度の創設を図る」と明記した。

 また、普天間飛行場跡地は「基地返還のシンボルとなる大規模な公園整備」、牧港補給地区は「都市近接・リゾート機能」、キャンプ瑞慶覽は「軌道系の新公共交通システムや骨格的な道路網の整備充実による都市交通結節機能」とする方向性も示した。

 そのほか、アジア・ゲートウェイの推進に資する情報系高等教育機関などを設置することや、国際貢献・協力の拠点形成なども盛り込んだ。ビジョンは、沖縄が初めて自前でつくる長期構想で、今後の県政運営の基本的な指針となる。

 「沖縄の未来は県民が決める」として、県民からの意見を取り入れながら、総合部会で審議を重ねてきた。

京都における自給自足

日曜日から昨日まで京都にいってきました。昨年12月にも京都の丹後半島にある木子の民宿「自給自足」に行きましたが、今回は2回目となります。

昨年は大雪におおわれていましたが、夏になると風景も一変し、豊かな日本の季節に驚きました。「自給自足」を運営されている家族は20年前に大阪から木子に引っ越してきたそうです。国が進める大規模農地開発の入植者として来たそうです。

アメリカ型の大規模農業を丹後半島で国は実現しようとしたのです。住民の反対を押し切り、ダムや貯水槽を建設し、住民に費用の負担をもとめるなどして、農民は土地の売却に迫られ、結局、国の政策は実現することはなく、農業用貯水槽も建設されたわけですが、現在もつかわれていません。

国主導の開発が琉球だけでなく、丹後半島でも失敗した事実を確認しました。
「自給自足」の家族は、村で栽培した食材を加工し、販売しながら資金をためて、民宿をつくりました。

今でも民宿だけでなく、地産地消の活動をしています。またばび酒、海酒、紫蘇ジュース、山羊の乳で作った石鹸、そば茶、ジャム、そのほかいろいろな産品を添加物なしでつくっています。

民宿の食事も地域でつくられた食材ばかりで、新鮮で大変おいしかったです。同じ志をもった方々が都会から木子に引っ越しをされ、それぞれで協力しながら自給自足の実現を目指しているそうです。

水力発電で電気の自給をしている方もいるそうです。山羊のミルク、アイスクリームも食べましたが、臭みがなかったのが印象的でした。ご家族の山羊小屋で山羊の乳しぼりもさせてもらいました。

朝3時に起きましたが、夜空には星が瞬いており、すがすがしく、大変きれいでした。朝、犬と散歩しましたが、太陽の光はやさしく、草花も生き生きと私に語りかけてくれるようでした。

夜、おかみさんと自給自足の歩みをお聞きしました。「人にたよらないこと、期待しないこと」が自給自足の生活の中での心の幸せの源であると、地域の仲間の会合でみんなが同意することだそうです。

同時に皆で協力し、役割分担をすることで、自給自足に近づくともおっしゃっていました。まさに、琉球の自治につながることだと思います。後藤新平の自治三訣を思い出しました。自治的自覚をもつ人々のゆういまーるが重要です。

丹後半島は大変自然が豊かであり、ブナの原生林も行きました。また、天橋立、籠神社、酒呑童子や鬼伝説など、この世とあの世とをつなぐ神話、伝説、宇宙観も濃厚にあり、琉球との共通性を感じました。

また、舟屋がある伊根にもいき、海洋民俗の生活を垣間見ました。古風な祈祷の様子などもみて、伝統的な習俗が今でも生きていることを実感しました。

丹後半島には廃村となった場所のいくつかあり、車でその場所をみてきました。特に高度経済成長時代に廃村になったり、人口減少が進んだようです。現在は、都会から移住する人も増え、その人々によって、人間が自然の中で生きるための方法が実践されていました。

民宿「自給自足」の30代の若いご主人ともお話をしましたが、若い世代に、自然の中で生き抜く方法がしっかり継承されているのを実感しました。

自治は琉球だけでなく、日本各地においても大きな課題であり、それぞれの場所でそれぞれの形の自治が行われていることを考える旅でした。



地球研の大和村でのセミナー

9月5日の南海日日新聞に総合地球環境科学研究所によるセミナーに関する記事がありましたので、お伝えします。
以前、山口県立大学の安渓さんから同セミナーに関するお知らせをいただいておりましたので、合わせて掲載したいと思います。




地球環境問題の解決へ向けた学問創出へ、総合的な研究を行う大学共同利用機関「総合地球環境科学研究所」(地球研)の列島プロジェクト・セミナー「いま聞きたい 語りたい!! 人も自然も元気な奄美の秘密」が4日、大和村中央公民館であった。

自然と人との関わりから生まれた文化や教育、産業体系など多面的な分野について奄美の人の暮らしを検証、地域の将来へ向けた歩みについても再考した。

 セミナーは地球研・奄美沖縄班(世話人・安渓遊地山口県立大学教授)が主催。2部構成で、第1部の「地域の伝承の大切さ」では山口大学非常勤講師の安渓貴子さんが「ソテツは恩人―沖縄との対比」と題し報告した。

 安渓さんは、沖縄ではソテツの“毒抜き”の技術が伝承されず、食糧難時代に中毒死亡例が多発し「ソテツ地獄」という言葉が生まれたが、奄美では水にさらしたり発酵させることでソテツが食材として定着したことを述べ、両地域の違いを説明した。

 一方、産業化について専門家の前田芳之さんは、成長の遅さなどを理由に大量生産の難しさを指摘。焼酎や粥(かゆ)の材料など食文化としての産業化を提言した。

 第2部の「島の過去・現在・未来を語る座談会」では、沖縄県文化振興会の当山昌直さんがオカヤドカリについて「地域によってはアマン、アマンユーなどとも呼ばれており、奄美の創世神話にも登場する不思議な存在」と話題提供。

セミナーではこのほか、稲作やサトウキビ作、漁業などの一次産業についても、人々の暮らしのありようを通し、多様な意見が出された。



開催の趣旨
 環境問題を理科系の方法だけでなく、人類の文化そのものが生み出した問題として解決をはかる地球研(総合地球環境学研究所・京都市)では列島プロジェクトで、日本列島の人と自然のかかわりの歴史を研究しています。

その中の奄美・沖縄班が、島で勉強させていただいたことを、島のみなさんと共有して、より島が輝く未来へ向けてのヒントを得たいという願いから、このたび、地域のみなさんへの感謝をこめて交流会を開くことにしました。
 主催: 総合地球環境学研究所・列島プロジェクト
 後援: 大和村・大和村教育委員会(予定)
 協力: 大和村のみなさん、奄美市根瀬部集落のみなさん


 奄美大島は、西表島や沖縄島北部「やんばる」の森にもまさる、豊かな生物多様性をもっています。その森と川と海は、島人の生活を支える場であったとともに、立ち入ってはならない聖域をも含んでいました。

奄美大島の自然とそれを利用してきた島人の知恵は、自然の恵みに感謝しつつ資源を枯渇させることのないように利用してきた、地域住民の生き方の多様性と豊かさの反映であったと言えるのではないでしょうか。

戦争中に米軍機が撮影した非常に詳しい空中写真を手がかりに、島の暮らしを語って下さった地元のみなさんから教えていただいたことが、どれほど大切な未来へのメッセージとなっているのか、そのことを、もういちど学んでみたいと思います。奄美のすばらしい自然と文化を未来の世代に手渡し、世界に発信していくために、地域のみなさん、ともに集い、学びあい、交流しましょう。

 江戸時代以来の薩摩藩の砂糖生産の政策にほんろうされた結果としてのソテツ食ではあったが、奄美の島びとは知恵を注ぎ工夫をこらし「ソテツ文化」をつくりあげたのだ。           
(記 安渓貴子/山口大学)

第一部 地域の伝承の大切さ
「古い空中写真から読めること」
 奄美の水田は、近世以降、どんどんとキビ畑に変わり、わずかに残った水田も昭和の
減反政策で、いまはほとんど姿を消しています。このシマでイネを育てる日々の暮らし
は、里、海、森、山とどのようにつながっていたのか、シマのみなさまに教えて頂きたい。
(記 早石周平/琉球大学)

 「海人の知識を地図に書いてみる」
 大和村(国直~大金久)と奄美市・根瀬部での聞き書きをもとに、サンゴ礁地形の呼
び名、具体的な場所に授けられた地名、水産生物の分布と漁撈活動について図示し、
つぎのような点にふれたい。

 (1)サンゴ礁地形語彙は、造礁サンゴが綾なす海中の微細な風景を巧みに表現する
漁民たちの豊かな言語世界を示している、(2)根瀬部から大棚に至る海岸で採集した
約160の地名には、サンゴ礁地形の地域的な特徴や、人々の場所認識が反映されて
いる、(3)何世代にも及ぶ漁撈経験の蓄積は、生物資源や地形の成り立ちにかんして
深い知識、独自の解釈を育んできた。(4)漁撈活動には、その知識(微地形、魚の習
性、食物連鎖など)が生かされている。

 そして、会場のみなさまからは以下の点などについてコメントをいただき、一緒に考え
られる機会にしたいと思います。

 (1)サンゴ礁での漁は、生活の糧を得るだけでなく、同時に「海の楽しみ」(惠原義盛
『奄美生活誌』、1973)でもあると思われる。参加者のサンゴ礁の海との具体的なかかわ
り、またサンゴ礁の海に対する思いについてお聞かせください。(2)近年(ここ20年)の
サンゴ礁環境の変化とその影響について教えてください。
(記 渡久地健/琉球大学)

「ソテツは恩人-沖縄との対比」
 沖縄では、ソテツの栽培・加工・料理という「土から口まで」の伝統の知恵が早くに失
われた地域が多かったため、食糧難の時に中毒する例が多発し「ソテツ地獄」という言
葉が生まれた。奄美では、今日でもソテツは人々にとってのなつかしい食材であり、主
食としての大切さを記憶している人も多い。



第二部 島の過去・現在・未来をかたる座談会
〔話題提供〕

1、「軍と島社会-沖縄の事例から」― 陳泌秀(韓国・ソウル大学)
山は誰のものだったのか。誰のものであるべきか。沖縄の山は戦前までは共有地として島人(シマンチュ)によって管理されてきました。

戦後、米軍によって接収され、基地をはじめとする軍用地になりました。沖縄の金武区軍用地料裁判と村落文化の伝統と変化を研究してきた立場から、巨額の軍用地料や跡地開発による経済利益に満足せずに、自然豊かな山を住民の手に取り戻す道を考えたいと思います。

2、「オカヤドカリの不思議-アマンとアマミキヨ」― 当山昌直(沖縄県文化振興会)
 オカヤドカリ類は、琉球列島に広く分布し、各地において「アマム」「アマン」などと呼ばれている。奄美ではアマンが多いのだが、この動物は、針突、神話などにも登場する不思議な存在なのである。ところで、奄美から八重山には「アマンユー」を意味する話がある。今回は、オカヤドカリの「アマン」、そして「アマンユー」の関係を、さらに「アマミキヨ」との関連も含めて考えてみたい。

3、「自然と文化をどう若い世代に引き継ぐのか」― 盛口満(沖縄大学)
 かつて、琉球列島の島々には、各地に独自の植物利用など、自然を巧みに使う知恵が受け伝えられていた。ところが、現在、島のこどもたちは、ほとんど自然と切り離された生活を送っている。そんな時代に、あらたにこどもたちと自然とのかかわりを見出すとしたら、どのようなことが考えられるのだろうか?

〈司会進行〉 安渓遊地 (山口県立大・奄美沖縄班世話人)
13:30 - あいさつ 湯本貴和(地球研・列島プロジェクトリーダー)

【第一部 地域の伝承の大切さ】(13:40 - 15:00)
13:40 - 14:10
 「古い空中写真から読めること」
 発表者 早石周平(琉球大)と根瀬部のみなさん

14:10 - 14:40
 「海人の知識を地図に書いてみる」
 発表者 渡久地健(琉球大)と海人のみなさん

14:40 - 15:00
 「ソテツは恩人-沖縄との対比」
   発表者 安渓貴子(山口大)と前田芳行さん(手安・芳華園)
               (休憩)

【第二部 島の過去・現在・未来をかたる座談会】(15:10 - 17:00)
 全員参加で多彩な発表と参加者からの発言をおりまぜて自由に語り合う

15:10 - 15:35 座談会1
   話題提供・陳泌秀(ソウル大)「軍と島社会-沖縄の事例から」

15:35 - 16:00 座談会2
   話題提供・当山昌直(沖縄県文化振興会)
「オカヤドカリの不思議  -アマンとアマミキヨ」
16:00 - 17:00 座談会3
   話題提供・盛口満(沖縄大)
「自然と文化をどう若い世代に受け継ぐのか」
   
    そして、全員で未来へのヒントを出し合う



ナウルの経済破たん、島嶼経済問題、島嶼とWTO

2005年10月の太平洋諸島のニュースをお伝えします。
かつて、ナウルという人口約1万人の国は太平洋の楽園とよばれ、リン鉱石の輸出によって大変潤っていました。しかし、現在は厳しい状況にあり、島嶼経済の不安定性を如実に示しています。


10/6 PIR
 破産したナウルが世界中に支援を求めている。

ナウルのスコティ大統領は、国連総会において、破産しつつある同国に対する支援を世界各国に呼びかけている。

イギリスの植民地であったナウルは、1968年に独立した、世界で最も小さな共和国である。これまで、南アフリカ、インド、ドイツ、韓国、日本向けに輸出されてきたリン鉱石産業に大きく依存してきた。

最近までナウルはリン鉱石採掘により、世界の中でも非常に豊かな国であったが、リン鉱石の枯渇や投資の失敗で最貧国に転落した。今年11月30日に国連、アジア開発銀行、援助各国を招いてナウルを支援するための会議が開催される予定である。

ナウルではリン鉱石の採掘のため全国土の80%は利用できない状態であり、国土を再生するために2億1000万米ドルの費用がかかり、20年以上の歳月が必要とされるとみられている。

ナウルは国際司法裁判所に対し、7200万米ドルの賠償金を求める裁判を起こした。1993年、豪州は司法外解決を求め、3700万米ドルを一括で支払うとともに、20年間毎年160万米ドルをナウルに支払うことになった。


島嶼経済の問題性は太平洋諸島とともに、琉球の島々も共有しており、ともに力を合わせて問題に取り組むべきだと思います。



10/7 PIR
 トンガ人経済学者が島嶼問題について分析している。

トンガ人経済学者のハラヒンガノ・ロホルアは、貿易の自由化が進む中で太平洋島嶼が周辺化していると主張している。

ロホルアは世界的貿易自由化の圧力の下にある太平洋諸島に関する分析により、ニュージーランド経済学者連合から賞をもらった。

彼女の研究成果は太平洋島嶼国政府の政策形成にとっても大いに参考になろう。ロホルアは「漁業は我々にとって非常に重要であり、漁業資源が枯渇しないように十分気をつけてその利用を考えるべきである。」と述べた。

ロホルアは漁業輸出に関するデータを集め、漁業輸出の障害要因として、島嶼国の市場からの遠隔性、資本やインフラの不足、不十分な品質管理等を挙げた。ロホルアは「太平洋島嶼国の大半は関税収入に大きく依存している。

世界の貿易自由化が進む中で、関税収入が減少したら、島嶼国はどのように生き残っていくのか。」と疑問を投げかけた。さらに貿易の自由化にともない開発が推進され、島の生態系の破壊が進んでいると指摘した。

そしてロホルアは「私は現在、島々の生態系と生活との関係や、市場経済の損益を明らかにするモデルを作っている。それが完成すれば、太平洋島嶼国がどれくらい漁業資源、森林資源等を利用できるかを決定できるようになろう。」と語った。


一律の競争原理が世界に適用されることで最も被害をうけるのが島嶼です。島嶼には島嶼独自の法制度、貿易システムがあってしかるべきです。



10/17 PIR
 フィジーの首相がWTOの政策は不公平であると述べた。

ガラセ首相は、WTOはフィジーのような小さい、発展途上の国に対して不公平であると述べた。ガラセ首相は「WTOは不公平な状況にある世界において一様な貿易システムを押し付けており、フィジーのような発展途上国は世界の中でうまく経済活動するレベルには達していない。

フィジーの経済成長が落ち込んだ主な理由の一つは、フィジーで製造された衣類が輸出される際に適用される各国の優遇措置がなくなったことにある。

外国市場にフィジー製品を輸出できなくなって、衣料工場で働く5千人以上の人々の職が失われた。我々の経済は不安定であり、先進国と競争するには長い時間が必要である。」と語った。

鳩間島における漂着ごみの資源化

9月10日の八重山毎日新聞に漂着ごみの資源化のニュースがありましたので、お伝えします。琉球、特に八重山諸島では漂着ごみが多く、心を痛めていました。公民がボランティアが回収しても、どんどんごみが海からやってきます。

回収したごみの運搬は自治体の負担となっていました。ごみを資源化し、それが経済的にも採算が合うようにこれから努力していけば、他の島嶼における廃棄物問題にも光明を与えるでしょう。




竹富町鳩間島で、使用済みの発泡スチロールからスチレン油を抽出し、新たなエネルギーとして使用する油化プラントの社会実験が今月11月から本格始動する。

(社)日本海難防止協会が日本財団の財政支援を受けて企画したもので、地域住民を中心としたNPO南の島々守り隊(浦崎金雄理事長)が主体となってプラントを稼働させ、海岸に漂着した発泡スチロールなどを油化する。

社会実験は次年度までの2カ年間で、次年度は、油化原料を漁具や他のプラスチック類に拡大するほか、車両で移動が可能なコンテナ式の移動プラントの導入も計画されている。

 発泡スチロールから抽出されるスチレンは、ガソリンなどと同じ引火性の液体で、ディーゼル機関やボイラー、焼却炉の燃料として使用することが可能。

 同協会の大貫伸上席研究員によると、鳩間に設置するプラントで8時間稼働させた場合、15立方メートルの発泡スチロールから40リットルのスチレン油を抽出することができるという。同プラントはスチレン油を燃料として使用することから、別の燃料が不用となる。

また、抽出されるスチレン油は通常の燃料と遜色(そんしょく)ないレベルで、抽出時に発生するダイオキシンも国の基準の100分の1のレベルに抑えられているという。

 プラントは、同島の小型焼却炉の構内に設置される。10日には、プラントの資材や機器類が同島に搬入され、NPOを中心に設置が進められ、11月7日午後に予定されている公開実験から2年間の社会実験が本格始動する。

次年度には、油化原料を漁具や他のプラスチック類に拡大するほか、20フィートコンテナに搭載した移動用プラントの導入、西表島でのシンポジウムの開催も検討されているという。

 同協会の大貫氏ら3氏が9日午後、町役場を訪れ、川満栄長町長らに同油化プラントの社会実験に対する協力を求めた。

 川満町長は「心配された環境面の問題もクリアされている。漂着ごみの資源化に向け協力したい。成功させてほしい」と話した。

 また、同協会の大貫氏は油化プラントの社会実験を鳩間島で行うことについて「自然環境に対し島民が意欲的。今回の社会実験を通し、単に漂着ごみが減り、海岸がきれいになったというだけでなく、新たな産業の創出や離島の島興しにつなげたい」と意欲をみせた。

竹富町の自主財源:早急に環境税の実施を!

9月9日の八重山毎日新聞に竹富町の自主財源についてのニュースがありましたので、お伝えします。

先週、滞在したパラオでも、30米ドルのグリーンフィー(環境税)をすべての観光客に賦課する予定です。コロール州でも観光地の入域に対して、20ドル、35ドル等の料金をすべての観光客から徴収しており、島の自然を守るとともに、自主財源を増やすことに成功しています。環境税を賦課したゆえに、観光客が減少したというこはありません。

竹富町も島の環境が破壊されないうちに、早急に環境税を実施すべきだと思います。







竹富町の持続可能な財政運営の実現を目指し新たな自主財源の創出に取り組む「竹富町自主財源確保プロジェクト」は7日夜、市内の飲食店で第1回推進会議を開き、本格始動した。

会議では、職員アンケートで提案された31項目の新たな財源創出事業から本年度で実現可能な9項目を絞り込み、早期実現に向け取り組むことを確認した。

今後は、実現可能な事業から随時取り入れ、自主財源の確保を図る一方、環境協力税など実現に時間を要する事業については中・長期的な視点で次年度以降、取り組むことにしている。

 竹富町の自主財源比率は08年度決算で21.4%。07年度から2.5ポイント上昇したが依然として国、県への財源依存度が高く、自主財源確保に向けた新たな財源創出が大きな課題となっている。

 プロジェクト始動に当たり全職員96人を対象にアンケートを実施。新たに財源創出が可能な事業として、道路占用料や各種施設への命名権、町広報紙やホームページ(HP)などへの有料広告の掲載、各種手数料の見直し、環境協力税など31項目の事業が提案された。

 自主財源確保に向けた調査研究を行う同プロジェクトチームは、職員からの応募に基づき10人で発足。

7日夜、市内の飲食店で開いた第1回プロジェクト推進会議では、飲食をしながら、役職にとらわれない自由な発想に基づき、職員から提案された31項目の事業の中から、09年度内で実現可能な
▽道路占用料▽町広報紙やHP、公共物などへの有料広告掲載▽各種施設への命名権の実施▽町有財産の売り払い促進

▽各種手数料、上・下水道料金の引き上げ、など9項目を絞り込み、早期実現に向け取り組むことを確認した。

 また、推進会議の席上、新たに▽町有地賃借料の見直し▽国立公園所在地の交付税算入▽企業・高額所得者の誘致、が提案された。

 今後は、月2回程度の会議のなかで、財源化に向けた具体的な方法などを検討。また、絞り込んだ事業などに対し町民から意見を聞いた上で年内には庁議に付議。その結果を取りまとめ来年2月には町長に提言し、新たな財源確保に乗り出すことにしている。

 町広報誌などへの有料広告掲載等、出来る事業から随時実現する方針。また、環境協力税など、対外的な調整が必要で時間を要する事業に関しては次年度以降、取り組むことにしている。

 同プロジェクトチームは次の各氏。

 リーダー=通事善則、サブリーダー=通事太一郎、チーム員=大城正明・新城賢良・宮里良貴・小啓由・亀井保信・西波照間優・勝連松一・野底忠

台湾と太平洋諸島との経済関係、グアムへの海兵隊移設に関する賛否

2005年10月、11月の太平洋諸島ニュースをお伝えします。

先日、パラオに行った時にも台湾政府から提供されたODAで建設された施設、インフラをパラオの各地でみることができました。


10/31 PIR
 台湾政府が太平洋諸島民出身の労働者に対し門戸を開こうとしている。

台湾では東南アジア諸国から40万人の労働者を自国に受け入れているが、まだ外国人労働者を受け入れる余地がある。

現在、ツバル人漁民が台湾漁船で働いている。太平洋諸島から労働者をさらに受け入れるためには、島嶼国政府と台湾政府との間で二国間の交渉を行わなければならない。台湾政府が太平洋諸国からの労働者受け入れの可能性を表明したのは、南太平洋観光機構への台湾の加入が不成功に終わって1週間後であった。皮肉にも、中国は同機構のメンバーとして認められている。



グアムで海兵隊移設反対運動の先頭に立っているのがチャモロネーションという先住民族団体です。


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 チャモロ人がグアムの軍事機能強化に対して反対の声を上げている。

グアムの経済界、グアム政府職員は、原子力潜水艦のハワイからの移設や、7千人の海兵隊の沖縄からの移動に対して歓迎の意向を示した。しかしチャモロ人の活動家はグアムにおける軍事機能の強化に対して反対のキャンペーンを展開している。

チャモロ人活動家のサブラン氏は、グアム商工会議所関係者やグアム議会の議員は、グアムに軍事基地が存在することで発生する社会、環境の諸問題を考慮することなく、経済効果のみを考えていると避難した。

ボダリオ・米下院議会グアム代表は、「沖縄から7千人の海兵隊員がグアムに移動することは、経済的側面からいえば、すばらしいニュースである。基地の外に生活する多くの軍人に住宅手当が支給されれば、それはグアム経済を向上させる大きな要因になろう。」と述べた。

他方、先住民族団体であるチャモロネーションのキナタ氏は、大勢の軍人がグアムに来ることで、地元住民が住む住宅が不足するだろう、なぜなら最低賃金しかもらえない住民ではなく、多額の住宅手当を有する軍人に住宅が優先して貸し出されるだろうからであると述べた。


パシフィックデイリーニュースは私が2年間、グアムに住んでいた時に読んでいた新聞ですが、マーフィー氏は、90年代終わりごろ琉球からグアムへの海兵隊移設の動きがあったときにも、賛成のコラムを書いていました。観光客が減少しているなか、海兵隊移設による経済浮揚を求める声は以前よりも大きいような気がします。



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 海兵隊移設はグアムにとっていいことだ。

(パシフィック・デイリー・ニュースに掲載されたジョー・マーフィー氏のコラム概要)カマチョ・グアム知事は60年前に日本軍からグアムを解放してくれた海兵隊部隊がグアムに来ることを歓迎している。

過去10~15年、グアムの経済は疲弊していた。学校は混乱し、病院は閉鎖され、道路もみすぼらしい状態であった。海兵隊が来ることでグアム経済の発展に期待がもてる。

グアム商工会議所は、沖縄からの海兵隊移設により年間、4200万米ドルの所得税収がもたらされると予測している。

海兵隊が来ることでグアムが将来米国から独立できなくなると主張する活動家がいるが、グアムが経済的に強くなることが、独立への道を近くすることにもつながるだろう。海兵隊の移設にともなってグアムの道路、公共施設が改善され、これまでにない新しい時代が始まるだろう。

パラオに行ってきました

昨日、パラオから戻りました。
パラオでは、一日目にJICA事務所、日本大使館、国際サンゴ礁研究センター、ゴミのリサイクルセンターを見てきました。

日本のパラオに対するパラオについての最新の政治経済情報、ODA政策、太平洋諸島の中でも先進的な取り組みをしていると思われるゴミ処理などについて、現場に行き、話を伺いました。学生たちからも多くの質問や意見が出され、活発な意見交換が行われました。

二日目は、パラオ観光局、フィリピン大使館、ドルフィンパシフィックに行き、関係者からお話を伺いました。

パラオ観光についての最近の動向、長期的な観光戦略、パラオのエコツーリズム、日本学生との交流事業の可能性、フィリピン人移民労働者の人権・賃金問題、パラオとフィリピンとの関係等について英語で学生からも意見や質問が出されました。

ドルフィンパシフィックというパラオのNPO団体では、環境に配慮した様々な市民活動、パラオにおいて環境を重視しなければならない理由、パラオでのNPOの活動などについて伺いました。

観光局やNPOの活動に触れて、自らの貴重で美しい自然を住民の自治の力で守り、育てようと島人が大変な熱意を傾けながら、活動をされているなと思いました。

夜は、久米島から46年前にパラオに移住された国吉さんと意見交換、お食事をしました。一年ぶりの国吉さんはお元気で、パラオでのこれまでの半生、近況、日本や琉球についての思いをお聞かせ下さいました。

3日目は、パラオコミュニティカレッジというパラオ唯一の大学で、学生たちと交流しました。私たちの学生8人を4人グループにわけて、午前10時、午後1時とそれぞれ別の20人の学生と50分、意見交換をしました。パラオ人、ヤップ島をはじめとする他のミクロネシア諸島の学生は大変、シャイでしたが、純粋で、明るく、楽しい交流の授業となりました。

日本のコマを回したり、大阪弁を教えたり、マジックを見せたり、携帯の動画や写真を紹介して、同じ世代の学生が互いにどんなことを考え、感じているのkをそれぞれ、手探りで確かめあいながら、楽しく時間を過ごしているようでした。

午後はバベルダオブ島にある、台湾政府からのローンで建設した新政府庁舎に見学に行きました。緑の中に屹立するパラオ政府庁舎の外観はアメリカのホワイトハウスのようでした。国務省で働いている琉球系パラオ人の比嘉さんにお会いしました。

当初、東京のパラオ大使館を通じて大統領にお会いできるとの返事を得ていましたが、急きょ、大切な予定がはいり、会うことができないという返事をもらいました。比嘉さんは私がパラオで働いていたときに大変お世話になった方です。

比嘉さんにパラオ沖縄県人会の沖縄県庁への登録の話をし、2年後の世界のウチナーンチュ大会にパラオから出席する可能性について提案しました。

その後、戦跡、海軍墓地等を見学してホテルに戻りました。バベルダオブ島の一周道路の一部は大雨のために崩壊していました。これは米国の援助金で建設されたものです。

土曜日は、ミルキーウェイ、ダイビング、ジェリフィッシュレイクを一日がかりで行き、パラオの自然の力を体験しました。

一万年の歴史を経て、人をささないクラゲが棲むようになった海水の湖で泳いだ時は、一万年の歴史の中で漂っているような気持になりました。世界最大のバラサンゴ、そこを泳ぐ無数の魚たち、本当に竜宮城のようでした。

これまで陸上でパラオのことを学び、その上で、海の豊かな自然を自分の体を通して学びました。ある島で食事をしましたが、地球温暖化の影響で島の面積が縮小し、倒木が見られました。

パラオの学生たちも毎年、気温が高くなっていると言ってました。パラオで地球温暖化問題が自分たちの問題であることを実感しました。

日曜日は、予定していたサンゴの植え付けをしているNPOの担当者がドタキャンをして、我々はその事業に参加することができませんでした。

そこでコロール州内の歴史・文化遺跡をみたり、観光施設を見学したり、また、学生の中で中国語が話せる学生がいたいので、中国人が経営するスーパーにいき、中国語で会話をしたりしました。

その中国の方は4年前に福建省からパラオにやってきたそうです。近くには中国人のレストラン、修理工業等もありました。パラオは台湾と外交関係を結んでいますが、中国人移民も増えています。

ホテルでは学生たちが今回の体験学生に参加できた感謝の気持ちとして、アロハシャツ、パラオTシャツをプレゼントしてもらいました。また近くのスーパーで買ってきたケーキをみんなで食べました。

学生たちは皆、パラオに対する関心が深く、いろんな方と積極的に交流してくれました。パラオ人、フィリピン人等に対しても礼儀正しく、明るく接していました。私こそ、学生たちに感謝したい気持ちです。何よりも皆無事に帰ることができて大変よかったです。パラオでの経験をいかして、これからの人生、自分の研究に生かしてほしいと思います。

私もパラオから常に学ぶことが多く、琉球の自治、パラオの自治をともに、関連させながら、考えていきたいです。

今日からパラオに行ってきます

今日から、学生8人ともにパラオに行ってきます。
これは龍谷大学NPOボランティアセンター主催の海外体験学習として、昨年につづいて
パラオに行きます。

琉球の自治を考え、実践する上において、パラオの自治から学ぶべきことが沢山あると思います。
戦前は多くの琉球人が移住し、現在も、琉球人がパラオの政財界で活躍しています。

パラオをはじめとした太平洋諸島と琉球との関係強化は、私の課題の一つですが、有機的に、さらに強い絆で太平洋諸島と琉球諸島を結び付け、島嶼間ネットワークをつくりあげたいです。そして互いに自治を学びあい、励まし合う「ゆいまーる」の関係が太平洋中に張り巡らされることが、私の夢です。

1994年に独立した人口2万人の島嶼国ですが、政治経済、外交、文化交流を、日本、米国、台湾をはじめとする世界の国々と対等な関係で進めています。

学生たちがパラオから多くのことを学び、生きる上において大きな力となる体験や人との出会いがあればと希望しています。

パラオに行くのは1年ぶりですが、さらにパラオ人をはじめとする、多くの方と出会い、今のパラオから多くのことを吸収してきたいと思います。

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