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プロフィール

Yasukatsu Matsushima

Author:Yasukatsu Matsushima
1963年琉球石垣島生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。

その後、東京、グアム、パラオ、沖縄島、静岡、京都、滋賀にて学び、働き、生活する。

著書に『沖縄島嶼経済史―12世紀から現在まで』藤原書店、2002年
『琉球の「自治」』藤原書店、2006年
『島嶼沖縄の内発的発展―経済・社会・文化』(編著)藤原書店、2010年、
『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』早稲田大学出版部、2007年
『琉球独立への道』法律文化社、2012年
『琉球独立論ー琉球民族のマニフェスト』バジリコ、2014年
『琉球独立ー御真人の疑問にお答えします』Ryukyu企画、2014年
『琉球独立宣言ー実現可能な5つの方法』講談社文庫、2015年
『民際学の展開ー方法論・人権・地域・環境の視座から』(編著)晃洋書房、2012年
『琉球列島の環境問題ー「復帰」40年・持続可能なシマ社会へ』(編著)高文研、2012年
『3・11以後何が変わらないのか』(共著)岩波書店、2013年
『島嶼経済とコモンズ』(編著)晃洋書房、2015年
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ゆいまーるの集いin 平安座島 31

今年は大みそかです。今年一年、多くの方にゆいまーるの集いに関して、大変お世話になりました。心よりお礼申し上げます。また来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。来年は寅年です。自治の実現を目指して、みなさま、ともにがんばりましょう。

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仲程先生のお話を聞いているところです。参加者から多くの質問や意見が出され、活発な議論となりました。

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最後に参加者が、この集いに関するそれぞれの思いを語り合いました。

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平安座島の長老は、昨日、三線の唄を聞かせてくださり、この日の朝は村を案内してくださいました。パラオで働いていたこと、島の自治などについてお話してくださいました。

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宿舎から出て、藤原社長、作間さんとともに、ぬちまーすの食堂に行き、健康食を頂戴しました。高安社長がおられましたので、これまでの歩みについてじっくり聞くことができました。そのあと、沖縄市のコザ十字路の近くにある銀天街を3人で歩きました。閑散としたシャッター通りになっていました。大型ショッピングセンターができ、円高で米軍関係者の消費が冷え込み、商店街が苦境に陥っている現状をみました。

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米軍関係者相手のお店です。基地経済の現場を見ました。
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この言葉に現在の商店街が直面している苦境を肌で感じました。

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琉球女性の髪結い屋さんを見ました。こころがなごむ看板でした。

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まちを歩いていると、琉球音楽の音が聞こえてきましたので、宮里公民館にお邪魔しました。中にはいると女性たちが琉舞の稽古をされていました。生活の中に文化が生きている姿をみました。観光客のための文化ではなく、自分たちのための文化を守り育てている、自治の生活であると思います。
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ゆいまーるの集いin 平安座島 30

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太平洋戦争中、米軍機の機銃掃射の弾痕がいまも残っています。

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平安座島にはガーがたくさんあります。島人の水の神に対する信仰の深さを感じました。

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ガーの中を島人の案内でみる参加者たち。ガーの神の声が聞こえそうでした。

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仲程先生が、世礼国男がなぜ、琉球人差別が激しかった時代に、琉球語であえて詩作をおこなったかについて、語ってくれました。島に対する世礼の強いこだわりがお話から伝わってきました。世礼という琉球人に強い関心をもちました。

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CTS建設にともない、住民は墓を移動させることを求められ、急きょ、共同墓地を住民自身の共同作業によって建設しました。開発によって翻弄された島の歴史が偲ばれました。

ゆいまーるの集いin 平安座島 29

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島の方のご厚意で、村の中を案内してくださいました。平安座島のカミアシャギです。神事の時に神と人とが交流する場所です。

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戦争時代の遺物を村の鐘として活用し続けています。31日の除夜の鐘として鳴らされるそうです。明後日、島ではこの鐘の音が響くのですね。

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ヒンプンという琉球型住居にある、建築物であり、悪例退散のために造られたといわれています。

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サンと呼ばれるもので、これま悪魔退散のための呪物です。私の実家でも母親がサンを家の内外においています。

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大きな福木をみています。この木を家の周りに植えることで、暑い夏の日陰になり、台風から人や家を守ってくれます。

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ガーと呼ばれる霊泉であり、かつては村の井戸として利用され、貴重な水源でした。島社会においては井戸は大変重要で、住民の生命にもかかわる場所であるがゆえに、神がいるとして、信仰の対象にもなりました。

ゆいまーるの集いin 平安座島 28

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右の男性からは島のユタの話を伺いました。教科書や本には書いてないことを、地元の方から学ぶことができます。

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安里さんが島の長老と乾杯しているところです。今回、安里さんとも久しぶりにお話をすることができてよかったです。安里さんが最近考えていること、思っていることを伺うことができました。

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新元さんの堂々たる写真です。島の香りが漂ってきます。今回も船で奄美大島から沖縄島に来て下さいました。毎回欠かさず、この集いに参加されています。集いごとに、楽しいと同時に、ハッとするご発言を伺い、学ばさせて頂いています。

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内間さんが直立不動で皆の前に立っています。歌わず、踊らない内間さんがかえって可笑しくかったです。
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島の祭、サングァチャーで使われる魚のハリボテです。日本のような神輿ではなく、島で一番おいしい魚を皆で担いで豊漁を祈っているのが、平安座島らしいです。平安座島のみならず、琉球では神輿を担ぐような祭を、南大東島以外ではほとんどみられません。

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15日の朝、島の港からとった写真です。すがすがしい朝でした。

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村の中を歩き、カミヤーという神聖な場所です。各種の神事が行われます。

ゆいまーるの集いin 平安座島 27

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島の長老の方が、島言葉で話をし、島唄を歌ってくださいました。また、この方は、次の日に朝、平安座島の文化、歴史にゆかりのある場所を案内してくださいました。感謝いたします。

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洋亮さんも地元の方々と和気あいあいと話し合っており、和やかな雰囲気を醸し出していました。周りを和やかにする仁徳をもっていると思います。

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川満さんと作間さんが踊っています。作間さんの地元の方々と真剣に語り合っている姿が印象に残っています。

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藤原社長が、海勢頭さんの唄を歌っています。朗々たる唄声で、大変、心にしみわたりました。

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前利さんと斎藤さん、川満さんと作間さんとがそれぞれ話し合っています。集いでは、ゆっくりと、十分に互いに意見交換できるところがいいです。

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地元の方との交流は、このように互いに肩もみをしあうほど、友好的なものになりました。琉球には「いちゃりばーちょーでー(出会えば兄弟)」という言葉がありますが、まさに、一回会っただけでも、兄弟姉妹のように打ち解けるという、開放的な人間関係をもっています。

ゆいまーるの集いin 平安座島 26

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島の長老のごあいさつです。80歳は超えているそうでしたが、大変、お元気でした。内間さんと真剣に話し合っていたのが印象に残っています。

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海勢頭さんたちのライブが始まりました。海勢頭さんの唄は、那覇、東京、伊江島等いろんなところで聞いてきましたが、はやり、海勢頭さんの生まれ島である平安座島で聞くと、魂が共鳴しているようで、心を揺さぶられました。

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川満さんと安里さんが踊っています。お二人はこれまで、CTS闘争をはじめ、長い間、琉球の自治のための活動をされてこられた同士です。

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島の女性たちも踊っています。ゆいまーるの集いでは、常に唄と踊りがあり、楽しいひと時です。

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今回、宿泊、食事でおせわになった観光ホテル平安の西宮さんの踊りです。心やさしい方です。
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内間さんが一言お話をしています。豪快な、愛嬌のある笑いが、多くの人をひきつけました。

ゆいまーるの集いin 平安座島 25

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石油タンクがなかった時代の平安座島です。平安座島に限らず、琉球全体において文明は進んだが、私たちが失ったものも大変多いと、この写真をみて思います。

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かつての平安座島の村です。このような時代に島の人はバレーボールで自信をもち、他の島々と交易をし、海外に移民として出かけていたのです。

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玉栄さんが作詞をして、海勢頭さんが作曲をしたウフバンタの唄を披露してくださいました。島にかける島人の情の深さを感じました。

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会場には多くの参加者が集いました。特に平安座島の方々が玉栄さんの話を聞き、大きな刺激を受けたのではないかと思います。島人同士が互いに学びあう場が、ゆいまーるの集いです。
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交流会が始まりました。島料理と島酒を飲みながら、互いに思いあうこと、感じたこと、考えたことを話し合いました。
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お忙しい中多くの方が駆けつけてくださり、心より感謝いたします。

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島の方々とこのように目と目とを見ながら話をするときに、島に来たという実感がします。島人が島そのものを体現していると言っていいと思います。

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平安座自治会の下條会長が挨拶してくださいました。海勢頭さんと私が9月に事前調査、打ち合わせに平安座島に伺ったときにもお世話になりました。今回の集いでも、島の歴史文化の冊子を参加者全員に配布してくださるなど、大変、お世話になりました。大変、思いやりのある会長さんで、島の方から、信頼されているように感じました。心よりお礼申し上げます。

ゆいまーるの集いin 平安座島 24

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久高島の内間さんが島にとって海が非常に重要であることを海人として、切々と訴えておられました。

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平安座島在住の玉栄さんです。二日目の交流会が開催された自治会館の2回ホールにおいて、大きな画面で玉栄さんがCTSに頼らない地域経済の試みについて、ご自身のアイデアをご紹介してくれました。島に対する熱い思いがあふれたお話でした。


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平安座島と勝連半島が海中道路でつながっています。玉栄さんご自身もCTSで働いておりましたが、現在は、島おこし活動に全力を注いでいます。

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平安座島の魅力を多くの人に知ってもらうためのアイデアでした。ゆっくりと時間をかけて、島の文化や歴史について島方からお話を伺う機会を今回私は得ることができました。玉栄さんの妹さんが3日目の早朝、お忙しい中、村の中を案内してくださいました。心より感謝申し上げます。

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ふるさとの宝をいかにして守っていくのか、琉球人を主体にした観光をどのように築きあげるのかという、課題は平安座島だけでなく、琉球全体の島々に共通した課題であると思います。


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ウフバンタとよばれる平安座島の丘にある、旧道路です。私も行ってみましたが、現在は雑草におおわれており使われていないようでした。それを玉栄さんは復活させようと活動されています。

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島の記憶を掘り起こして、風景や生活を取り戻していくことは大変重要です。

私は、本当に頼ることができるのは機械文明ではなく、島の文化や歴史であることを平安座島で実感しました。

ゆいまーるの集いin 平安座島 23

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午後3時ごろからは席配置を少し変えました。参加者が多くなったからです。熱気がむんむんとしてきました。

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新元さんが発言しています。平安座島と奄美大島との人を通じた関係を紹介してくれました。具体的な人を通じて、島と島とが結ばれていたことが分かりました。琉球に対する差別を吹き飛ばすほどの、野生の自治の必要性について強く語ってくれました。新元さんからはいつも勇気をいただきます。

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沖縄県議会議員の新里さんです。反基地運動の先頭にたって活動をしています。今回は、バレーボールを通じて平安座島の人がいかに自信をもつようになったのかを語ってくれました。バレーボールという日常のスポーツが、島の人の生活の中で重要な役割を果たしていたのかがわかりました。会場からも長年、バレーボール活動をされてきた長老のかたも、「スポーツは生活である」との意見をいただきました。日常の生活史の中から自治を考えなければならにことを改めて気付かされました。

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島の方々からも、自らの体験を踏まえた意見が出されました。戦前、戦後の物資が限られていた時代において、バレーボールをすることは容易ではなかったのですが、島人皆で、また国内外に住む島人がともに協力しあい、資金を出し合い、バレーボール活動を育ててきたのです。そのほか、祭、行事、漁業等においても自治はみられると思います。島人自身が自治の担い手であり、島を動かしているのです。

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琉球を代表する詩人、思想家、ジャーナリストの川満さんです。突然の報告であったにもかかわらず、CTS闘争に関する取材に基づくご報告をされました。この取材がジャーナリストとしての基盤をつくったと仰っていました。私は集いの前夜祭の12日として、16日にも川満さんにお会いして話を聞く機会がありました。川満信一という人物の奥深さを改めて感じました。琉球をジャーナリストとして非常に冷静にとらえるだけでなく、詩人として感覚、全身をもって琉球をつかんでいる人の一人であると思います。

ゆいまーるの集いin 平安座島 22

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ぬちまーすの高安さんがお話をされています。高安さんは琉球大学理学部卒業のエンジニアですので、製塩方法、ぬちまーすの効能について理詰めで話すとともに、ジョークを交え楽しい雰囲気でお話を聞かせていただきました。

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琉球の長寿を台風と関係づけて「沖縄台風長寿説」を展開されました。お話の後も、質問が多く寄せられました。高安さんの本は、来年、藤原書店から出版される予定で、楽しみです。

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坪谷さん、西浜さんの姿が見えます。

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内間さんは熱心にノートに書き込んでいます。内間さんは、高安さんに弟子入りをお願いするとともに、島の周りに無限にある海と島人とがどのようにかかわっていくことの重要性を主張しました。前利さんも積極的に質問、意見交換をしました。
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謝名元さんのご発言です。私が那覇高校で学んでいたころ、北島角子という琉球芝居をされる方が高校の体育館で一人芝居をされましたが、それは、謝名元さんが脚本を書かれた芝居であったことが、集いでの話で分かりました。『島口説』は今でも私の心に残っています。

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金城さんが、これまでの歩み、琉球差別、平安座島と浜比嘉島との違い、島で生きることの意味について、金城さんらしい語り口で話されました。私は金城さんを、新聞や映像を通じてしか知りませんでしたが、今回、生身の金城さんにお会いし、話をすることができました。

ゆいまーるの集いin 平安座島 21

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平安座島在住の奥田良さんが島の歴史を話して下さいました。他の島との交流、交易、移住により平安座島が世界に開かれた島であることが明らかになりました。またCTSを誘致した理由、その背景も語ってくださいました。当事者による意見ですので、非常に重みがあります。

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午前中の参加者です。菅井さん、高良さん、安里さん、斎藤さん、石坂さんの顔が映っています。

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東京から来た順子さんは、平安座島の前に西表島に行き、石垣金星さん、昭子さんに会ってきたそうです。前利さんが奥田良さんのご発言に対して、質問、意見交換をしています。平安座島と沖永良部島との歴史的交流についての質問であると思います。後日、奥田良さんが、自宅から写真を持ってきて前利さんに見せて、両島の交流について話し合っていました。

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海勢頭さんが日本文化の源流が琉球であること、絶対平和思想について、語ってくれました。日本と琉球とは歴史的、文化的に多くの共通性を持っていると思いますが、私は、日本に住んでいて、両者の違いを実感する日々を送っています。日本では常識的に語られる歴史の事実が琉球ではないことがしばしばあります。前近代における庶民への仏教の普及、寺社による社会支配や管理等が琉球にはありません。海勢頭さんは、古代、信仰世界から両者のつながりを強調し、本来は一体であるが、現在は琉球差別が行われていることに大きな憤りをもっています。

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島にあった看板です。このヤンバル船で平安座の海人は琉球の島々を結んでいたのです。雄大な海洋民族の血が騒ぎます。

ゆいまーるの集いin 平安座島 20

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向こう側に見えるのが宮城島です。平安座島と宮城島の間を埋め立てて石油備蓄基地を作りました。

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基地の中車を走らせましたが、カーナビには詳細が出ず、米軍基地のように秘密のベールに包まれています。


写真16 会場風景
以下の写真は西浜さんがとられたものです。平安座島、近隣の島々から多くのかたが参加して、熱心に議論をしました。

写真19 謝名元慶福さん

劇作家の謝名元さんです。平安座出身の方で、琉球に関する劇を自ら書き、今回は特にCTSについての劇『美ら島』の話が心に残りました。

写真22 仲程昌徳さん

仲程さんは、15日のご発表となりましたが、世礼国男の文学活動がもつ内発性についてお話下さいました。
テニアン島生まれの仲程さんは、海を越える視点で琉球の文学を研究しており、大変、関心があります。
写真23 川満信一さん

川満さんが沖縄タイムス記者時代にCTSを取材された時の話をしています。その時の取材経験がその後のジャーナリストとしての自分をつくりあげたとおっしゃっておりました。大資本に依存していては島はだめだと明確に主張されました。

ゆいまーるの集いin 平安座島 19

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大きな石油タンクが人間を威圧しています。「復帰」前に経済自立の起爆剤として期待をもたれた石油備蓄基地ですが、石油精製部門が廃止になり、従業員のリストラを行われました。当時の官僚、経済学者の見通しが間違っていたことが明らかになりました。

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西城の拝所です。非常に素朴な形ですが、宇宙と島をつなぐ聖なる場所です。

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海人の島である平安座島を象徴するかのように、大きな貝がウタキに鎮座していました。人の声を神に伝えてくれとの願いが貝に込められているようです。不思議な空気に包まれた空間です。

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島で神事をつかさどる神人となった海勢頭さんがウタキの説明をされています。

ゆいまーるの集いin 平安座島 18

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みなさんが思い思いの踊りをしています。この自由さが、この集いの楽しさの源です。

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談笑、踊り、歌でこの世の交流会は終わりました。そして、各自、部屋に戻り、続いて夜遅くまで語り合い、歌いあっておりました。特に、新元さんと金城さんは、金武湾の闘争以来、20年以上の再開であり、語り明かしておりました。
この集いが人と人とをつなぐ機会になっており、嬉しく思います。

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中平さんは記憶を喪失されたそうですが、琉球の音楽、踊りは体に刻みこまれており、生き生きと笑顔で踊られておりました。琉球の文化の力を見る思いでした。

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次の日の朝、平安座島の神に挨拶にいきました。CTSの中にあるため、車から廃油が落ちないように防御袋をマフラーに巻いているところです。CTSが危険な場所であることを改めて感じました。

ゆいまーるの集いin 平安座島 17

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金城さん、高良さん、中平さんが踊っています。

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「喜瀬武原」「月桃の花」等を歌っています。海勢頭さんのお店ではかつて、このように舞台でお客さんが共に歌う姿がよく見られました。

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交流会は各自の自己紹介の後、歌と踊りで各自の交流を深めました。ゆいまーるの集いには踊りと歌が欠かせません。

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交流会の料理も大変おいしく、観光ホテル平安の西宮さま、感謝いたします。帰りにはお土産も頂戴しました。港の近くにある良い宿屋でした。



ゆいまーるの集いin 平安座島 16

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ぬちまーすの高安社長は、「ぬちまーすは人類を救う」という使命があると信じて、どんな困難がきても、めげない強さをもっています。温和でありかつ、芯の強さを感じました。

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高安社長の話を熱心に聞く参加者です。
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13日の交流会の場面です。前利さんが司会になって楽しい交流会が始まりました。左側の斎藤さんが新潟の笹団子を差し入れてくれました。感謝します。

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参加者全員が自己紹介をそれぞれの方法でやりました。川満さんが話されているところです。

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海勢頭さんの唄は色々な場所で聞いてきましたが、海勢頭さんの生まれ島である平安座島で聞くと、一段とマブイの響きが心身に沁み入りました。

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金城さんが海勢頭さんの音楽に合わせて踊りだしました。彫刻家である金城さんは、まさに表現者として自己を思う存分表現していました。

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私の目の前で踊っていた金城さん自身が、生きた彫刻のようであり、美を感じました。



ゆいまーるの集いin 平安座島 15

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金城の生誕地から、次に「ぬちまーす」の製造所を見学しました。まさに手仕事でした。高安社長が発明した、海水を霧にして23種類のミネラルを取り出すことが可能になったそうです。

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高安さんは最初、欄の栽培をしており、その時、水分を霧にする機械を発明したそうです。まさに琉球のエジソンといえます。製造業が弱い琉球の経済構造において、経済自立の星ともいえます。

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ギネスにも登録されました。製塩工場の2階には食堂、土産販売所がありますが、壁には賞状がたくさん掲示されています。琉球人がこのように、自らで考え、努力し、事業を興し、社会から評価されています。大いなる勇気と自信をもたいました。琉球人もやればできるということを高安さんが実際に示されています。

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ぬちまーすは、命の塩という意味ですが、食塩としてだけではなく、様々な形で商品化されています。私も手にまーすを塗ってもらいましたが、あたたかくなり、すべすべするようになりました。人間と海との関係の近さを改めて実感しました。

辺野古建設を許さないデモ、その他 2

昨日に引き続き、西浜さんの写真です。
写真8 座り込み2,039日目の辺野古(2009年11月17日)
辺野古の座り込のテントです。地域の住民だけではなく、日本本土からの支援者がきて座りこみ、基地建設を監視し、抵抗しています。



写真10 山内徳信さんの弟さんもテントへ。
山内徳信さんの弟さんがテント内におられます。私もかつて、西川潤先生、真喜屋美樹さんとテントを訪問し、説明を伺ったことがあります。SACO合意からよくぞ今日まで、島を守ってきたと人民の勝利を感じました。鉄条網で辺野古の浜が仕切られていました。琉球では、海の上にはじめて基地をつくろうとしています。ニライカナイの神様の天罰が下るのではないでしょうか。

写真27 概況を刻む
1959年に宮森小学校に米軍のジェット戦闘機が墜落し、児童を含む17人が死亡、220人が怪我をし、校舎、住宅、公民館等が破壊されました。近年では沖縄国際大学へのヘリ墜落のように、琉球ではいつでもこのようなことが発生しうるのです。このような恐怖を除去しないかぎり、琉球には平和が実現しません。オバマ大統領が語る平和がいかに、国や権力者から語る平和かがわかります。

写真28 宮森小学校のフクギ
宮森小学校の福木です。西浜さんは、ゆいまーるの集いで「今年は薩摩の琉球侵略400年、琉球処分130年、宮森小学校へのジェット機墜落から50年」とおっしゃっていました。このように歴史を我がことのように感じることは大変、大切です。401年、131年、51年以降も、琉球の歴史を当事者の立場から問い続けたいと思います。




辺野古建設を許さないデモ、その他 1

ゆいまーるの集いに参加されている西浜さんが送ってくださいました、ご写真を紹介させてもらいます。

写真1 中之島公園女神像前に200名が参集
大阪中之島公園女神像前に200名が辺野古への新基地建設に反対する集い、デモに参加するために集まりました。

写真2 松本亜季さんと司会担当の筆者
集まりでの司会をされているのが、左側の西浜さんです。

写真3 ジュゴンを先頭に元気一杯デモ行進
「辺野古新基地建設反対」の声が大阪の街に広がりました。このデモには、海勢頭豊さんの息子さんも参加されたそうです。息子さんは現在、大阪に住んでおり、日本でお父さんのジュゴン保護キャンペーン等を手伝っています。

写真4「県内移設は沖縄差別」のプラカード
県内移設は沖縄差別のプラカードが見えます。ジュゴンの人形を持っているのが息子さんではないでしょうか。

写真5 民主党への要請行動
以前このブログで紹介した、民主党に辺野古への新基地建設をさせないための要請文を手渡しているところです。しかし、現在、民主党はふらふらしており、大変な迷走状態にあります。







ゆいまーるの集いin 平安座島 14

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シルミチュのウタキに行く途中から見た、岩山です。古代琉球の面影があります。

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スケジュールにはありませんでしたが、金城実さんが、参加者全員をご実家に案内してくれました。「小さな家」と金城さんは言ってましたが、琉球人の生活感がつまった家でした。
皆がにぎやかにしてくれることで、「カリー」がついて、ご先祖も喜ばれると金城さんは嬉しそうでした。

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海勢頭さんがもっているのは、サンで琉球の魔除けです。家の中、石垣の端等におかれます。

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参加者全員が家の中に座り、コップに入れた泡盛を回し飲みをして、雨の中、静かに語らいあいました。ご先祖とともにいるように感じました。

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赤いベレー帽をかぶっているのが金城さんです。心温まる家でした。

ゆいまーるの集いin 平安座島 13

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バスの中で海勢頭さんが平安座島の歴史や文化を丁寧に愛情をこめて説明してくれました。島への愛がひしひしと感じられました。

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平安座島出身の詩人、芸術家の世礼国男の胸像です。方言札の時代に、琉球語を使った詩作をしました。また工工四の元を作った人でもあります。琉球の言葉に誇りを持ち、そのこだわりから新たなものを生み出そうとしました。

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平安座小学校内にある琉球松です。

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くわでさーの木です。琉球では公園、道路等によくあります。葉っぱが広いので、木陰になりやすいです。

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学校の中にある歴史資料館です。児童生徒だけでなく、地域の方も島の歴史を知る場所となっています。今回の集いは、NPO法人ゆいまーる琉球の自治とともに、ひあむざ文化研究会との共催となりました。島の文化や歴史に島の方々が大変、関心をもっていることが分かります。

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琉球開闢の神、シルミチュ―のウタキに行ったときに目にした看板です。聖域は質素で、美しく、島の方々によって守られていました。

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琉球には日本にはない神々がおられる、異文化の島々です。日本との断絶を感じることができます。ウタキの前に立つと、琉球人として自覚をより深くします。

民際学研究会の開催

今週土曜日に、龍谷大学深草校舎紫英館の研究室において、民際学の研究会があります。
お時間とご関心がおありの方は、どうぞお越しください。参加されたい方は、事前に、私宛にメール
を下さると助かります。


テーマ:民際学とは何か、教科書出版に向けて(前回の議論の続き)

話題提供:松島泰勝先生(民際学について)、原尻淳一さん(書籍出版にむけて:前回の議論の続きなど)

日時:2009年12月12日(土) 13:30~16:30(終了予定)

会場:龍谷大学深草学舎紫英館「第3共同研究室」(2階)

おもろまちの乱開発問題を問う

今日、那覇市役所と日本大企業が推し進めている、おもろまちにおける乱開発に反対する集会が開催されます。




本土大手マンション企業と那覇市当局による
現代版「銃剣とブルドーザー」
おもろまち一丁目一番地那覇市役所予定地での高層ビル建設強行に抗議する緊急集会

 おもろまち一丁目一番地那覇市役所予定地(1997年10月「地区計画」策定)、ここには戦前、サトウキビの広がる風景がありました。戦争で日米両軍の激戦地になり、風景は一変しました。戦後住民がゼロから生活をはじめたのはつかの間、米軍に強制接収され米軍基地にされました。復帰後、住民は平和で豊かな未来に希望をもちました。そして、ここに那覇市役所を移転し、新しい街をつくることになりました。名前も「おもろまち」にしました。

 おもろまちは、世界遺産首里城下に広がる新都心として那覇市役所、県立博物館・美術館、国の行政機関などの行政機関を中心に、住宅地の広がる商業地として都市計画がされました。ところが、その中心「おもろまち1丁目1番地」の那覇市役所予定地が今、市当局によって本土業者に売却され、100㍍級32階建てマンション2棟、商業ビル建設事業が、交通渋滞、日照不足、強風被害、電波障害、圧迫感、環境汚染、災害の危険性など、周辺住民への十分な説明がなされないまま、10月19日から工事が強行されました。

 そのため、住民は那覇市当局と業者に説明を求めて、抗議行動開始。抗議から一ヶ月余、住民は工事の始まる朝7時半から夜7時半まで連日、那覇市と業者に説明を求め、抗議行動をしています。しかし、那覇市当局も業者も一切対応しません。

むしろ事業者(大和ハウス、オリックス、大京)は、11月13日に「工事妨害禁止仮処分命令申立書」を那覇地裁民事部に提訴し、一日あたり324万6500円の工事損害賠償をちらつかせています。

 米軍用地返還後の土地利用が多くの市町村で実施されてきましたが、いま新都心地区の街づくりは、地域住民の意思が無視され、市当局と事業者によって強行されています。那覇市は新都心地区計画で「みんなでつくり、そだて、まもる都市づくり」とうたっています。その「まちづくりのルール」を破っています。このことは、今後の軍用地返還後の悪しき前例をつくってしまいかねません。

 これから寒い日が続きます。おもろまち一丁目一番地の現場では、風を避けるものもなく(テントを立てるスペースが全くない)周辺住民(ほとんどが60代以上)が抗議を続けています。なんとか早めの解決をしなければなりません。そのため、一人でも多くの皆様に現状を知っていただき、今後の支援の和を広げていくために、下記の緊急集会を行いますので、お忙しい時節柄ではありますが、ご参加のほどをよろしくお願いします。

 なお、当日には支援の会を発足するための意見交換や可能であれば、支援の会を発足できればと考えております。


日 時 12月9日(水) 午後7時〜
場 所 那覇市古島教育福祉会館2階中ホール
報告者 知念徹治(おもろまち住環境を考える会代表)ほか抗議行動の皆さん
    その他報告者と現在調整中

主催;仮称)おもろまち一丁目一番地問題を早期解決に向けて行動する市民の会
事務局 〒903-0821 那覇市首里儀保1-31-105 
連絡先 電話098-885-0866(なんよう文庫 川満昭広)



「おもろまち一丁目住環境を考える会」の抗議文です。



おもろまち市有地売却、超高層ビル群建設計画について

現在の那覇新都心地区は沖縄戦最大の激戦地であり、戦後は米軍により強制接収され、30年以上たって、ようやく返還された土地です。返還後は新都心開発整備構想のもと、道路や公共施設建設のために、当時の地主たちは所有する土地の約半分を国と地方公共団体に譲渡することになりました(所有土地の30%を無償、20%を有償で譲渡)。今回問題となっている土地もそのような経緯で確保された市行政施設用地であり、那覇市役所の移転先として、おもろまち1丁目1番地1という住所が与えられた、新都心整備事業の中心的存在でした。

しかし、先祖から受け継いだ大事な土地を公共のために仕方なく譲渡した地主や、市役所建設を信じていた市民との協議もなく、翁長雄志那覇市長は突然、一方的に市役所予定地の売却を決定しました。

そして那覇市が「本市にふさわしい」として採用した事業は、当時の都市計画に違反する超高層マンション群・商業施設建設事業だったのです(32階建マンション2棟 合計640戸、商業ビルは18階建)。那覇市行政はその無秩序な事業計画を実現するために地元住民の圧倒的な反対を押し切って用途地域を第二種住居地域から近隣商業地域に変更し、建ぺい率も容積率も大幅に引き上げたのです(建ぺい率60%→80%、容積率200%→400%)。

私たち地元住民は、この大規模開発が惹き起こす生活環境の変化として、交通渋滞や強風被害、圧迫感、日照不足、電波障害、環境汚染など数多くの問題点を指摘しました。そして、地震によるビル倒壊や高層火災など災害の危険性について、超高層ビル群の直下に暮らすことになる住民として強い不安を訴えてきました。また、この事業が実行されると、首里城から市街地や東シナ海を見渡す眺望が損なわれてしまい、沖縄県の観光にも悪影響をもたらすのではないかと懸念する声も多くあがっています。

私たちは、地元の住環境と沖縄の貴重な景観を破壊する無秩序な事業計画を見直すよう求め、約1万2千人分の署名とともに市や県に陳情を繰り返し行ってきました。

市の担当者は土地売却前、「土地の所有権が移れば事業者主催の説明会に参加し、住民の要望が事業計画に反映されるよう、那覇市は仲介役としての責任を果たす」と、私たちに約束しましたが、平成20年2月の土地譲渡契約後は手のひらを返し、「市は事業計画を説明する立場にない」として説明会への参加を拒否しました。

市の担当者が参加しない事業説明会で事業者は、修正協議を行うどころか、市の指導で実施した環境影響調査の不備や説明の矛盾を住民から指摘されると、一方的に説明会を打ち切り、私たちの度重なる説明会開催の要求を無視し続けています。

このような状況の中、私たちは事業が周辺住環境と都市景観に配慮したものへ修正されることを求めて、平成20年6月、地域再生協議会の設置を要請しました。

協議会設置要請から約半年がたって平成20年12月にようやく協議会が設置されましたが、それはまたしても住民の思いを裏切るものでした。協議会での協議項目を雇用や経済効果、完成後のまちづくりに関する事項に限定し、「建築物の配置や構造に関することは除く」と記された協議会設置要綱を市が作成していたからです。協議会が設置されることになった経緯を全く無視し、地元住民が不安を抱いている様々な問題について解決するための協議ができないような規則を那覇市が決定してしまったのです。

協議項目や構成員に制限を加える那覇市の行為は、地域再生法にも違反するものであると考えていますが、それでも、あえて私たちは、その設置要綱の規定の範囲内で「防災対策」、「住環境や景観の保全」等に関する協議を求めましたが、それさえも「市長が協議になじまないと判断した」という理由で拒絶されました。

現在行われている協議会は、「沖縄全体の雇用状況」や「IT事業の可能性」等の抽象的な説明に終始し、3回目の会合が終了した現時点においても、委員に対して具体的な事業計画の内容は全く明かされていません。市は超高層ビル群の被害から地元住民の生活を守るための議論を全面的に排除するだけでなく、市長がこの事業の大義名分としている「雇用創出」や「経済効果」についても具体的な資料を全く提示しないのです。

単なる「アリバイ作り」の会合が、市民の大切な税金を浪費して繰り返されているのです。

実質的な説明や議論を行わず、ただ回数だけを重ねて「実績をつくる」というやり方は、この2年間、市や事業者が行ってきた地元住民に対する説明会と全く同じものです。

●「市有地の安売り」‥‥‥48億円を市民に取り戻すため裁判中
私たちは、今回の土地売却が「市有地の安売り」だと指摘し、翁長那覇市長に48億円の損害賠償を求める住民訴訟を提起しています。那覇市行政はその土地が第二種住居地域であった時点の不動産鑑定をもとに売却価格を設定しましたが、譲渡先に選定された業者(大和ハウス、オリックス不動産、大京)の要求に合わせて、土地の用途地域を近隣商業地域に変更し、建ぺい率も容積率も大幅に引き上げました。

そのため結果的に、市場価格を大きく下回る価格での市有地売却となりました。市長は、“商業地”に変更され、価値が大幅に上昇した市有地を、以前の“住宅地”の価格で売却してしまったのです。この市有地処分における那覇市の損害額は、近接する日本銀行那覇支店用地の取引価格を参考に、約48億円と推定しています(日銀179万円/坪に対して本件土地106万円/坪)。

財政難を理由に市有地売却を決定したはずなのに、正当な対価を業者に求めようとしない行政の態度は不可解でなりません。

●かんぽの宿問題とおもろまち問題
那覇市の元市役所予定地の土地取引は、全国的に大きな問題となっている「かんぽの宿」問題とも密接に関係しています。

おもろまちの元市役所予定地は、冒頭にも述べたとおり、公共公益施設用地として使用することを約束して、市が地主たちから譲り受けた土地ですから、本来、民間への売却は法的に不可能な行為でした。しかし、平成18年5月の「公有地の拡大の推進に関する法律」の改定で、先買い制度に基づき取得された土地でも一定の条件を満たせば処分できることになり、翁長那覇市長は突然、市役所予定地の売却を表明しました。

この法改定にはオリックス宮内会長が議長を務めた規制改革・民間開放推進会議が大きく関わったといわれています。そして、土地売却処分を担当する市職員は同年7月、先進事例として兵庫県の2つの事業を視察しましたが、その事業グループには、2か月後のおもろまち事業募集に共同企業体として応募し、選定されることになるオリックス不動産とその関連企業(大京)が含まれていました。

しかも視察事例の一つである神戸市御影工業高校跡地事業については、安易に用途地域の変更がなされ、売却先決定後に初めて住民説明会が行われるといった、おもろまちと酷似した住民無視の事業計画が進められ、神戸市は那覇市の視察当時には地元住民から「市有地を32億円安売りした」として住民監査請求され、現在も住民訴訟中であることが明らかになりました。

当時、視察について全く情報を持たなかったおもろまち住民が、神戸市住民の後を追うように「市有地の安売り」を主張し住民訴訟を起こしたことは単なる偶然として片づけられるものではありません。

市長は、一坪あたり約106万円の元市役所予定地の売却価格を正当化するために「元郵政メルパルク用地(県立博物館・美術館向い)が一坪あたり120万円弱で取引された」と市議会で述べましたが、最近になって、それもまた、日本郵政とオリックス関連企業との土地取引だと判明しました。

しかも、その土地は旧郵政省が1999年当時、一坪あたり約230万円で購入した土地であることも分かったのです。この10年間、那覇新都心地区の地価は毎年上昇し続けていたにも関わらず、郵政はその土地を取得したときのほぼ半額でオリックス子会社に売却したことになるのです。

翁長市長の発言は、元市役所予定地の土地取引に対する疑念をさらに深める結果となりました。

平成21年7月10日      「おもろまち一丁目住環境を考える会」  http://www14.ocn.ne.jp/~omoro/  

ゆいまーるの集いin 平安座島 12

昨日、明治学院大学で開かれた、民族、先住民族の自治と自立を考える国際シンポジウムから帰ってきました。このシンポジムで議論されたことを踏まえて、どんどん論考を発表していきたいという気持ちになりました。後日、写真等でシンポの内容をご紹介します。

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勝連グスクから発掘された陶器です。海勢頭さんんが三巴紋を強調されていました。ジュゴンを象徴しているそうです。そう考えながら神社仏閣の瓦に記されている三巴紋をみると楽しくなってきます。

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中城湾にある埋め立て地です。特別自由貿易地域、企業誘致場所として埋め立ててきましたが、期待したほどには企業がきませんでした。その上、隣にある泡瀬干潟でも埋め立て工事を進めてきました。グスクから、現実の開発の現場をみることになりました。海岸線が人工的な風景になっていきます。

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グスクの頂上にあるウタキです。グスク中にウタキがあります。

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小雨が降る中、琉球の歴史、現実を考えました。

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グスクから見た平安座島です。

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勝連グスクの毅然とした姿に感動しました。

ゆいまーるの集いin 平安座島 11

今日は、明治学院大学で開催されている国際会議の二日目です。昨日は、琉球の自治、独立、自律について活発な議論が展開されました。インド政府に支配され、そこからの独立を求めて闘っているナガランドのロタさんと個人的に話ができ、互いの協力の必要性を確かめ合いました。


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勝連グスクの各地にウタキが配されており、いかに琉球人が土地の神を崇敬していたかがわかります。

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グスクの頂上から平安座島、浜比嘉島がみえます。

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グスクの神聖なウタキです。自ずから手を合わせたくなります。

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途中で雨が降ってきましたが、小雨の中、海勢頭さん、高良さんの話に聞き入りました。


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右手に沖永良部島で今年5月に開いた集いに参加して、意見を述べてくれた青年が映っています。現在は、沖縄島でも仕事を行っており、琉球文化圏の中で自由に生きています。忙しい中、集いに参加してもらい感謝しています。

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勝連半島はグスクの拠点にもなりましたが、現在は軍事拠点になっています。半島の先端には米軍基地と海上自衛隊の基地があります。琉球の聖なる場所を基地が蹂躙しています。

ゆいまーるの集いin 平安座島 10

昨日は津田塾大学に事務局を置く沖縄関係学研究会で話をさせていただく機会を得ました。参加者の皆様といろいろと議論ができ、大変よかったです。おせわになった水谷さんありがとうございました。

今日は、明治学院大学で「自治と自立を求めるさまざまな声ー国なき民族の現在」という国際シンポジウムで報告する予定です。

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皆で勝連グスクに行くところです。

IMG_5804.jpgかつて、公文書館で働いていた高良さんがグスクの説明をしてくださいました。隣は、写真家の中平さんです。

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アマワリが居城とした勝連グスクの中心はウタキであり、琉球にとってグスクが歴史的にも大変重要な場所であり、日本の城と本質的に異なるものであるといえます。

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高良さんは、大変情熱的にグスクについてわれわれに説明をしてくれました。

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グスクのウタキを説明をされているところです。

ゆいまーるの集いin 平安座島 9

私が撮った写真です。
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佐喜真美術館の屋上からとりましたが、普天間基地内に琉球の墓があります。墓の屋根下まで土が覆っています。基地内にはウタキという聖なる場所もたくさんあったはずですが、今はありません。普天間が返還されたら、ウタキを復活させてほしいと思います。

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誰もいなくなった佐喜真美術館の屋上です。この階段と空をみると、「平和とは何か、普天間基地とは何か」が己に強く問われているように感じます。

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佐喜真美術館での記念撮影です。今回は那覇から2台のレンタカーに乗った方々が映っています。藤原社長と前利さんが運転してくださいました。

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車の中から、看板に貼ってあったポスターを撮りました。71年の毒ガス移送に関するものです。琉球から出された毒ガスは太平洋上の米領土、ジョンストン島に運ばれました。沖縄島は毒ガス、核兵器、各種の爆弾等が貯蔵する場所であり、米国人と同じ人間が住んでいると米軍は考えなかったのではないでしょうか。非常に野蛮な行為であると思います。

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海中道路から平安座島が見えてきました。学生時代、石油備蓄基地と、開発後の島々をみるために、歩いてこの道を歩いたことを思い出しました。いよいよここで、生身の人間が互いに自治を語り合う集いが開かれます。

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平安座自治会館に集合して、彫刻家で浜比嘉島出身の金城実さんがマイクロバスで島々のご案内をしてくださいました。大変楽しく、生活に根差したお話をしてくださいました。

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右から西浜さん、斎藤さん、川満さん、高良さん、そして、うるま市の女性方々が映っています。西浜さんは今回で5回目のご参加です。集いの後に西浜さんは辺野古での座り込みをされ、大阪では辺野古基地反対のデモを主催されました。斎藤さんは2回目のご参加です。大阪の大学で数学史を教えられています。川満さんも懐かしそうに島々を見つめています。高良さんも大変楽しそうで、このあと勝連グスクのご説明をしてくださいました。うるま市の女性たちは海勢頭さんのご案内で参加されたものと思います。ありがとうございました。


ゆいまーるの集いin 平安座島 8

前利さんから頂戴した写真です。

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勝連半島にある米軍基地のホワイトビーチです。米軍潜水艦の港があります。勝連グスクからも潜水艦の監視塔部分を海の真ん中に見ることができました。

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軍艦が着岸しています。
島だけでなく、海も米軍が訓練、航行等で使っています。

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那覇の街は上から見るとコンクリートだらけです。

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今回の集いでは海勢頭さんに大変お世話になりました。海勢頭さん自身のマブイの源に触れたように思います。

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12日の交流会で、平先生がお話をされているところです。諸先輩方も胸を正して聞いているところです。

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藤原社長が情熱をこめてお話をされています。社長の琉球に対する深い思いを感じました。

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私です。さまざまな集いで、多くの方と出会い、刺激をもらい、生活識を教えてもらい、互いに意見を述べ合うことを生き甲斐としています。

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石坂さんは今回で4回目のご参加となります。静かに、深く琉球のことを考え、貴重なご意見を述べてくださいます。坪谷さんとは初めての出会いでしたが、琉球だけでなく、パラオにもよく行かれる方で、海の話をしました。

ゆいまーるの集いin 平安座島 7

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佐喜真美術館の受付です。隣には佐喜真道夫さんが施術をされている鍼灸院があります。佐喜真さんは普天間基地の地主ですが、自らの地代収入をもって美術品の収集を行いました。平和、戦争をテーマにした美術品を展示したり、集いを開いたりなど、美術館を文化、思想の発信地として活用されています。

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「沖縄戦の図」を目の前にして、佐喜真さんの説明を伺いました。戦争になれば、こんなにむごいことになるのだという、リアルな戦争の図を見ました。美化されるべきものは一つもありません。岡部伊都子さんも、美術館において自らと平和、戦争について語られたそうです。

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屋上から普天間基地を見ました。我々が基地を見ているとき、米軍ヘリが飛行していました。米軍は広大な土地を琉球人から奪って、今でも人々の反対を押し切って利用しています。

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この美術館は、先日、ご紹介した真喜志さんが設計されたものです。6月23日の慰霊の日に、太陽が一直線にこの階段にそって沈むように設計されているそうです。琉球の風土、平和思想を考えた建物であると思います。

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右から佐喜真さん、藤原社長です。

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宜野湾市を真っ二つに引き裂く普天間基地。消防車も火事の現場に迂回していかなければなりません。ヘリコプターが沖縄国際大学に墜落したこともあります。この基地を撤廃することは日米合意で決まりましたが、現在、県外移設をするかどうかについて鳩山政権の方針が固まりません。辺野古に新基地をつくらねばならないというのは、米国の一方的に意見にしかすぎず、無条件で普天間を返還させるべきであると考えます。日本の他の県やグアムに移設するのではなく、また辺野古にもつくらせないという日本政府の方針を堂々と主張すべきです。

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左から佐喜真さん、前利さん、洋亮さんです。

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美術館と基地を隔てる金網です。琉球には権力や資本によってこのような金網が張り巡らされてきました。その結果、共同体、人と人との関係、人と自然との関係、人と神との関係が分断されてきました。金網を切り裂いて、様々な関係性の復活を自治の力で実現しなければならないと、金網をみて思いました。

ゆいまーるの集いin 平安座島 6

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川満さんのご紹介で、藤原社長と3人で「はなじゅみ」という山羊料理店に行きました。この絵は、女将さんが若いころに自分を書かせた絵だそうです。落ち着いた、久茂地川沿いの店です。

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山羊の刺身です。癖がなくて食べやすかったです。那覇で交流会をした後は山羊料理店に行くのが通例のようになっています。たまに食べる山羊は大変おいしいです。大和ではなかなか食べることができない、琉球の味といえそうです。

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山羊汁です。大変おいしく、最後まで食べました。この店には大田元知事もよくこられるそうで、大田さんのボトルもキープされているそうです。今でも元気で、ウィスキーを飲み、山羊を食べるそうです。

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大変、楽しい女将さんでした。店の壁には私が那覇高校に通っていたときに体育でお世話になった、琉球空手で有名な佐久本先生のポスターが貼られてありました。
山羊汁で精力を得て、明日からのゆいまーるの集いに備えました。

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平安座島に行く途中で、佐喜真美術館に行きました。普天間基地のすぐ隣にある美術館です。戦争のむなしさ、残虐性を佐喜真さんの話を聞きながら考えました。金網の向こう側は普天間基地です。内と外を隔てる、このような金網を琉球の各地でみることができます。

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佐喜真さん門中の亀甲墓です。どっしりとしていて、島に根ずく安定感があります。島で生まれ、また島に帰っていく琉球人のマブイの拠り所であると感じました。今回の集い全体において、琉球のマブイと基地(米軍基地、石油備蓄基地)との関係が一貫して私の心を占めていました。


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