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プロフィール

Yasukatsu Matsushima

Author:Yasukatsu Matsushima
1963年琉球石垣島生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。

その後、東京、グアム、パラオ、沖縄島、静岡、京都、滋賀にて学び、働き、生活する。

著書に『沖縄島嶼経済史―12世紀から現在まで』藤原書店、2002年
『琉球の「自治」』藤原書店、2006年
『島嶼沖縄の内発的発展―経済・社会・文化』(編著)藤原書店、2010年、
『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』早稲田大学出版部、2007年
『琉球独立への道』法律文化社、2012年
『琉球独立論ー琉球民族のマニフェスト』バジリコ、2014年
『琉球独立ー御真人の疑問にお答えします』Ryukyu企画、2014年
『琉球独立宣言ー実現可能な5つの方法』講談社文庫、2015年
『民際学の展開ー方法論・人権・地域・環境の視座から』(編著)晃洋書房、2012年
『琉球列島の環境問題ー「復帰」40年・持続可能なシマ社会へ』(編著)高文研、2012年
『3・11以後何が変わらないのか』(共著)岩波書店、2013年
『島嶼経済とコモンズ』(編著)晃洋書房、2015年
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皇室と太平洋諸島、ナウルと捕鯨、台湾の同盟国としてマーシャル諸島

2005年5月、6月の太平洋諸島のニュースをお伝えします。
2005年6月、天皇皇后がサイパンを訪問したことについての報道です。日本の皇室は王政のトンガとも緊密な関係であり、昨年、トンガ国王の葬式があったとき皇太子が出席しました。



6/22 PIR
  サイパン在住の韓国系住民が天皇陛下からの謝罪を求めている。

サイパン韓国人連合会は、天皇皇后陛下は日本の侵略により被害を受けた韓国人や他の国民のために謝罪をし、韓国平和慰霊塔をも訪問すべきであると述べた。

同連合は、日本は学校教科書の中で真実を歪めるべきでなく、竹島の領有を主張すべきでないと語った。金同連合会会長は同会のメッセージをサイパンの領事館を通じて天皇陛下に手渡すよう求めた。金会長は、同連合は、戦時中サイパンで亡くなった日本人を追悼するために両陛下が訪問することに反対しているのではなく、問題は、サイパンで死亡したのは日本人だけでなく、多くのアジアの人々も犠牲になったということであると語った。

同団体は日本政府に対し、戦時中の行為に対する心からの謝罪を求めている。同団体は30年前に設立され、北マリアナ諸島全体で2005人の会員から構成されている。

6/29 PIR
 両陛下が韓国人慰霊碑を訪問した。

両陛下は予定を急遽変更して、韓国人慰霊碑を訪問した。第二次世界大戦で死亡した韓国人の慰霊碑を天皇が訪問するのはこれが最初であった。

韓国は1910年に日本の植民地になり、約1000人の韓国人が労働者としてサイパンに連れてこられた。両陛下の韓国人慰霊碑への訪問はサイパン在住の韓国人を喜ばせた。「日本と韓国との関係は近い将来、きっと良くなるだろう。」と述べる韓国人もいた。

両陛下はサイパンの戦争で亡くなった米兵5000人、住民1000人の慰霊碑をも訪れた。サイパンは太平洋戦争の天王山であり、日本兵と民間人合わせて5万5千人が死亡した。現在、サイパンは新婚旅行、ゴルフ等で日本人にとって人気の観光地であり、住民は両陛下の訪問を歓迎した。


捕鯨は日本の国策ですが、太平洋においては豪州、ニュージーランドが強く捕鯨に反対しています。ナウルは豪州による大きな政治的経済的支配が及んでいる国ですが、日本の捕鯨政策を支持したために豪州政府から非難を受けています。「捕鯨をめぐる政治」が太平洋上で展開されています。


6/28 PIR
 ナウルが漁獲量を維持するために捕鯨に賛成する票を投じた。

ナウルの国連大使は、マグロの漁獲量を維持するために捕鯨に賛成する票を投じたと述べた。豪州政府は、国際捕鯨委員会の会合において、日本の捕鯨擁護の姿勢に反対する投票をするように太平洋諸国に対しキャンペーンを行っていた。

豪州のキャンベル環境大臣は自分たちの主張を聞かなかったとしてナウルのスティーブン大臣を強く非難した。ナウルの国連大使は、外国政府はナウルの決定を尊重する義務があり、その主権を否定すべきではないと述べた。


2005年に台湾と外交関係を結ぶ太平洋島嶼国を陳総統が訪問し、マーシャル諸島を同盟国と発言しました。


5/3 PIR
 台湾総統がマーシャル諸島を「頼りになる同盟国」であると語った。

陳総統はマーシャル諸島議会における演説においてマーシャル諸島は台湾にとって「頼りになる同盟国」であり、ノート大統領のリーダーシップを称えた。

また、陳総統は中国が台湾を侵略できることを法的に認めた「反国家分裂法」の成立を国際世論の反対意見を無視するものだとして中国を非難した。

陳総統は「ノート大統領は中国の動きに対抗して、台湾を支持する書簡を陳総統に送付した、最初の国家代表であり、自分はそれに大変感動し、一生忘れない。」と述べた。
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ソロモン諸島の飢餓問題、ブーゲンビル島の戦い、パラオと台湾との軍事的関係

2005年6月、7月の太平洋諸島のニュースをお伝えします。



太平洋諸島は、「楽園」であり、何の問題もないと想像しがちですが、気候変動、島の近代化の影響で食料不足状態に陥っている島々もあるのです。


7/18 PIR
 ソロモン諸島のサンゴ礁島が深刻な食料不足状態におかれている。

ソロモン諸島のテモツ州にあるサンゴ礁島における食料不足が、国家的な問題となっており、さらに深刻化になるのを防ごうとの声が上がっている。

その島では2年間にわたり作物が不作であり、これほどの食糧危機になったのは歴史上はじめてであった。島民はサンタクルスからもたらされる限られた数の野菜、魚、ココナツによって生き延びている。子供や乳飲み子を抱える母親は栄養不足に陥り、何人かの高齢者は死亡した。

地球の温暖化にともない、海面が上昇したため、土壌の栄養分が失われ、風の方向も変化したため収穫時期が遅れるようになった。

また島でできるキャベツやパンの実が病害虫やカビによって被害を受け、それは他の作物にも急速に感染している。島の飢餓状態は、急速な島の人口増加によっても悪化している。緊急時に備えて食料を保存するための伝統的な知識が若い世代によって継承されていないことも、飢餓問題が深刻した原因になっている。


ブーゲンビル島はパプアニューギニアに属している島ですが、政治経済的に搾取されていたことから、90年代、武力独立闘争をしていました。現在は戦争は終了し、高度な自治権を有するようになりましたが、近年、パプアニューギニアからの分離独立を住民投票によって決めようという運動が活発になっています。




7/24 PIR
 ブーゲンビル島の独立運動のリーダーであったオナ氏が死亡した。

ブーゲンビル自治政府のカブイ大統領は、オナ氏の死によりブーゲンビル自治政府とオナ氏の影響下にある組織であるメカムイが平和と調和のための統合することができるのではと述べた。

1988年にブーゲンビル革命軍の最高司令官としてオナ氏はパプアニューギニアからの独立を求めた戦いを率いてきた。この独立運動により、同島のパングナ銅鉱山が閉鎖された。戦闘によりブーゲンビル人、パプアニューギニア軍の兵士数千人が死亡し、2001年のブーゲンビル和平合意の署名で戦闘は終結した。オナ氏は、和平過程に参加することを拒否し、住民に対し、自治政府による選挙に参加せず、自らを独立ブーゲンビル島のリーダーと見なすように求めていた。

しかし、オナ氏に従う住民は少なく、多くの住民が自治政府の選挙に参加した。


台湾とパラオは外交関係を結び、経済投資、援助を盛んに行っていますが、軍艦の寄港のように、軍事的なつながりもみられます。


6/14 PIR
 台湾の「親善」艦隊がパラオに寄港する。

台湾の「親善」艦隊は、530人の軍人が乗船したフリゲート艦一隻と補給艦一隻により構成される。

2003年にも台湾の艦隊はパラオを訪問した。艦隊がアフリカ、南アフリカ諸国を訪問して台湾に戻る前に訪れる最後の国がパラオである。

毎年、台湾政府は、「友好諸国」に対し艦隊を派遣して、相互の友好関係を強化している。同航海は、台湾海軍学校から卒業する幹部候補生が自らの技術を磨き、航海経験を積み重ねる機会になっている。パラオに上陸した幹部候補生は、朝日球場において行進やパフォーマンス等をしたあと、パラオ側と親善のソフトボール大会をする予定である。

『戦場の宮古島と「慰安所」』のご紹介

津田塾大学の水谷さんから『戦場の宮古島と「慰安所」』を頂戴いたしました。心より感謝を申し上げます。
心して読ませていただきたいと思います。水谷さんも宮古島における日本軍の慰安所の調査に参加され、論文を寄稿されています。

来月は宮古島に、ゆいまーるの事前調査に行く予定です。島の歴史を学んで、島の土を踏ませていただきます。

『戦場の宮古島と「慰安所」』日韓共同「日本軍慰安所」宮古島調査団著、洪ユン伸編 なんよう文庫(平和ネット・川満昭広/主宰)2100円

昨年10月25日の琉球新報に平良修さんが書評を書かれていますので、ご紹介します。




 アジア・太平洋戦争で日本軍が展開したところには、慰安所が設置された。だまされて「慰安婦」にされ、肉体的精神的苦痛にさいなまれた被害者たちは日本政府を告発した。政府は自らの関与を否定し、すべて業者の営業行為によるものと強弁した。

しかし動かぬ証拠を突きつけられた結果、公的関与を認めざるをえなくなった。にもかかわらず、日本政府はいまだに責任を取ろうとはしていない。

日韓両国に真の平和がないのは「慰安婦」問題が未解決だからであると言ってよい。将兵の戦意高揚、強姦防止、性病対策、機密保持策として日本軍の管理監督下に置かれた慰安所は、沖縄全体で136ヶ所。うち宮古島には16ヶ所。

 本書は日・沖・韓の有志による「宮古島に日本軍『慰安婦』の祈念碑を建てる会」が2006年から08年にかけて行った調査と碑建設の報告書である。そこには日本国家によっては決して書かれない歴史が描かれている。

 慰安所の存在は宮古島では多くの住民に知られており、出入りする「慰安婦」は奇異というよりは同情の目をもって見られていた。13名の宮古島の証言者は、加害者側としての痛みと同時に、「アリランの歌」を教えてくれた彼女らへの親しみをも表明した。

碑建立に自分の土地を提供した証言者の思いは一段と深い。除幕式に出席した「元慰安婦」は、“鬼のような動物たち”の子孫がいると信じていた宮古島でかつての日本兵とは決定的に違う人たちに出会い、混乱さえしたと証言。彼我の証言を聞いた人たちの謙虚で優しくも厳しい決意は胸を打つ。

建立された2つの碑「アリランの碑」と「女たちへ」に刻まれた言葉にそれは凝縮されている。「女たちへ」の碑文は、アジア・太平洋戦争中、日本軍に性的暴力を受けた被害者たちの11の言葉だけではなく、ベトナム語まで加えた12語で刻まれている。15年後のベトナム戦争に参加した韓国軍の性暴力の事実をも加えたのである。

 時と場所を問わず、強者の暴力によって小さく弱くされた人たちの側に立ち抜こうとする人間の記録。それが本書である。(平良修・日本基督教団牧師)

琉球の若者よ、奮起せよ!

1月6日の八重山毎日新聞の社説で八重山人の青年に奮起を促す社説が掲載されていましたので、お伝えします。
これは八重山諸島のことだけでなく、琉球全体に通じることである。大和資本、日本人による経済活動または経済支配が非常に顕著になっている。

琉球人の若者も、宮古島の「あららがま」精神(オリオンビール創設者の具志堅宗精がもっていた「なくくそまけてたまるか」という精神)をもって、果敢に政治経済面において活躍してほしい。

ゆいまーるの集いでも、沖永良部島の青年のように、目が輝き、前向きに自らの事業を展開している青年にであった。
このような琉球の青年が島の自治、自立の主体である。人が第一であり、カネやモノは二の次である。

公務員志向、安定志向ではなく、もっともっと琉球を自らの力で変えてほしいと思う。琉球の青年にはそのような力があると信じる。



600人余が新成人
 成人の日は11日だが、八重山では正月休みを利用してひと足早く4日までに成人祝いが行われ、今年は石垣市の570人余をはじめとして3市町で600人余が晴れて大人の仲間入りをした。そこで新成人の皆さんはじめ八重山の若い皆さんに夢を大きく持って何事にも挑戦する意欲、奮起を望みたい。

 世界的な大不況で皆さんを取り巻く環境は、かつての「1億総中流」が今では「格差社会」と呼ばれるように、貧富の差が日本でも拡大し、失業と貧困、自殺が増加し経済・雇用環境はきわめて悪化している。しかも今後の見通しも決してよくない。しかしだからこそ若い皆さんにはそれを乗り越えるがんばりを望みたい。

 さらに加えると、これは八重山だけに限らず沖縄全般に言えることだろうが、本土出身の方々に負けない意欲と奮起も望みたい。

■がんばる本土出身者
 年間80万人近くの観光客が訪れる八重山は、これは観光地の必然性かホテル業を中心に外資や本土資本の進出が増え、さらに八重山の豊かな自然に魅せられて本土からの移住者も増えた。

 今ではさまざまな職場で本土出身の方々が普通に働いているし、市内や離島で飲食店などの商売をしている人々も本土出身者が目立つようになった。市内の桟橋通り、ゆいロードなどの各商店街は最近目立っておしゃれになったが、それは本土出身の方々のセンスの良さとアイデアを凝らした店構えや営業によるところが大きいだろう。

 今は落ち着きを取り戻しているが、ここ数年の「移住バブル」の一時期は急激な開発と移住者の急増で自然・文化の消失とともに、八重山経済も本土資本に乗っ取られ、植民地化するのではとの心配が出たほど。それはそれほどに本土の人々が勤勉で各分野でがんばり、それに比べて地元の人々はがんばりが少ないということだろう。

 確かに本土の人々は、飲食業や土産品、スキューバダイビング、民宿などの起業をはじめ、ホテルや介護、それにエコなど各分野で活躍している。

■親の意識改革が必要
 それに比べ地元の若者は公務員志向が強く、起業志向は少ない。さらにホテルなどの接客業や介護職なども敬遠しがちだ。不況の時代であり安定職業の公務員を目指すのは大いに結構。それならコネの世界もささやかれる市町役場だけでなく、合格者が少なくそのうちゼロの可能性もある県や国の公務員、教員にもどんどんなってほしい。

 ただ八重山の若者はそれだけでなく他の分野でも本土の人々に負けないよう挑戦。飲食店でも土産品店でも何でもよい、社長さんも目指してほしい。スキューバダイビング業も決して本土の人々の専売特許ではないはずだ。

 商工会や行政も毎年、「起業家育成塾」を継続して開くなど公務員や教員も含め官民一体の人材育成が必要だ。
 八重山は観光地としてホテルが雇用の中心であり、若い人たちはホテルを敬遠するのでなく、むしろ一流のホテルマン・ウーマンに挑戦してほしい。

 確かに接客の難しさと、これは介護職も同様待遇の問題があるが、経営側にはホテルの魅力アピールと積極的な人材育成への努力が求められるし、行政側もその面の支援が必要だろう。

 そしてもっとも大切なことは、公務員志向の強い親の皆さんが「八重山は公務員だけがすべてでない。農業も漁業も、商業も観光も福祉もすべてが大事だ」と変われば、八重山は大きく変わることになるだろう。

竹富町の人口減少

1月26日の八重山毎日新聞に、竹富町の人口が減少しているとの報道がありましたので、お伝えします。「沖縄ブーム」のころは、毎年のように人口が増加していましたが、07年から人口減少に転じ始めました。特に移住などの社会増加は06年から減少しています。

西表、鳩間、波照間が大きな減少となっています。なぜ、移住者が2000年から増えて、06年から減少したのかを分析する必要があります。ブームは必ず去ってしまいます。外の動きに左右されにくい、土台がしっかりした島の自治のあり方が重要です。



4000人台割り込む恐れも

 本土からの移住者の増加を背景に、2006年3月には4169人にまで増加した竹富町の人口が、07年度から減少に転じ、09年3月末には4010人と、4000人を割り込む寸前にまで減少していることが、町の人口動態のまとめでわかった。出生から死亡を引いた「自然増加」は増加傾向にあるが、転入から転出を引いた「社会増加」が、06年度からそれを上回る減少を示している。

特に08年度は118人もの社会減があり、その傾向が顕著となった。09年12月末の人口は4044人にまで増えている。

 竹富町の人口は、64年末で7483人が住民登録しているが、それ以降は島を離れ、石垣市や本島、本土に移住する者が相次ぎ、76年には3300人台にまで減少。

その後、わずかな増減を繰り返しながら、微増に転じ、2000年ごろから本土からの移住ブームに乗り、増加傾向が顕著となり、04年10月には4000人を突破。06年3月には4169人にまで増加していた。

 その間、人口動態は、91年度以降、自然増、社会増とも増加基調をたどり、特に社会増は本土からの移住者を中心に03年度から05年度までの3年間は100人を超える社会増があり、自然増と相まって急激に人口が増加した。だが、06年度以降は、自然増がプラス60人と安定するなか、社会増は08年度までの3年間で219人ものマイナスとなった。

 特に08年度は、自然増がプラス26人なのに対し、社会増は118人のマイナスとなり、人口が前年度から92人減少した。

 島別の09年3月末の人口は竹富で325人(06年3月比7人減)、黒島219人(同1人増)、小浜(加屋真島含む)640人(同18人増)、新城13人(同5人増)、西表東部893人(同49人減)、西部1327人(同59人減)、鳩間51人(同22人減)、波照間542人(同46人減)と、黒島、小浜、新城を除くすべての地区で減少に転じている。

奄美と沖縄をつなぐ取り組み

11月17日の南海日日新聞に奄美と沖縄をつなぐシンポとコンサートについての記事がありましたので、お伝えします。
「与論クオリア」の喜山さんが中心になって進めてきたイベントです。
私は、参加することができませんでしたが、昨年末、東京に行ったとき、琉琴でビデオを通じて見させてもらいました。喜山さんが行政的に分断された琉球文化圏の島々をつなぎたいという、強い思いを感じることができました。

知事同士による上からの交流宣言ではなく、このような草の根的な民のつながり方に私は親近感を覚えます。奄美諸島の方と話していると、本当に、琉球人としての一体感を自然に感じます。




薩摩藩の奄美、琉球侵攻から400年が経過した。2009年を奄美、沖縄のつながりを回復する一つの契機にしようと、「『奄美と沖縄をつなぐ』異種格闘技型トークセッションと新感覚シマウタコンサート」(LINK AO)=同実行委員会主催=が14日、東京・新宿の牛込箪笥区民ホールであった。

参加者は奄美、沖縄の島々が強烈な個性を持ちつつ、共通する文化を再確認。「それぞれの島を基準に、自分らしさを発揮して奄美、沖縄をつないでいこう」と、新しい琉球弧像を訴えた。

 「LINK AO」はトークセッションとコンサートの2部構成。トークは上里隆史・早稲田大学客員教授(長野県生まれ、那覇市在住)、圓山和昭氏(居酒屋「奄美の家」=龍郷町出身)、喜山荘一氏(マーケター、与論島出身)、藤木勇人氏(うちなー噺家、両親が奄美大島出身)の4人が登壇した。

 喜山氏は冒頭、「『400年』をテーマに奄美、沖縄で各種イベントが行われている。それぞれに意義はあるが、自分たちは400年をどう引き受けるのか。与論と沖縄に引かれた境界をどう乗り越え、つないでいくか」などと問題提起した。

 上里氏は長野県で育ったため、純粋なウチナーンチュではないことに違和感を感じていたが、研究を続ける中で身近になったという。「ブータンが総幸福量を唱えているように?Bやんばる率?Cといった独自の価値観、自分らしさにつながるものを生み出す。それぞれの島を基準につないでいこう」と呼び掛けた。

 圓山氏は東京で沖縄料理店に通ううちに、奄美のコミュニティーが必要と感じ、出店した。「奄美は奄美。島のことをもっと紹介したい」と意欲的。藤木氏は「沖縄のイメージは外からつくられたもの。自分らしさをどう掘り起こすかが問題。コンプレックスを誇りに変えよう」と訴えた。

 2部は藤木さんのユンタク(漫談)で幕を開けた。龍郷町戸口での洗骨体験を基に、シマンチュの温かさ、優しさを笑いで紹介した。続いて東京在住の唄者や踊り手が登場。琉球弧全体に広がる(1)行きゅんな加那系(2)稲しり節系(3)与論小唄系(4)畦越い(ハンヤセンスル)系(5)六調系―の5つの分野を演奏した。

 与論2世の中山青美ちゃん(7)がかわいい声で与論小唄を歌うと、涙する人もいた。最後は奄美、八重山、徳之島六調の大競演。会場も一体となって盛り上がった。島々の個性とつながりが芸能を通して浮かび上がった。

名護市長選挙の結果を受けて

昨日、名護市長選で、基地建設に反対する稲嶺さんが当選しました。市民は基地建設を拒否するという選択をしました。鳩山内閣は、辺野古に基地をつくるべきでなく、ましては伊江島、下地島でもなく、琉球のどこにも基地を作ってはいけません。琉球人に示したマニフェストに大きく違反することになります。

社民党が主張しているように、グアムに移設するべきでもありません。チャモロ人が大きな痛手を受け、米国による支配をより強化してしまいます。

私は、米国自身の基地をつくらねければ安全保障上問題であるという、考え自体がおかしいと思います。これまで、イラク、アフガンで米国が主導して行った安全保障上の考えに基づいた行動は、破たんしています。米国が提案し、考えていることに対してはまず、疑問を持つ必要があります。

それでもなお、米国の意見を日本政府が実現することを目指すのなら、日本本土に基地を建設すべきです。大阪の橋本知事は関空を普天間基地代替施設として使ってもいいと提案しています。関空への基地移設を日本政府は検討すべきです。琉球に基地を押し付ける差別政策をこれ以上続けてはなりません。

選挙前に、琉球朝日放送で1月20日の報道をお伝えします。これからは、基地とのリンクを切り離した、自治、自立が名護で実現してほしいと思います。鳩山政権は、基地と振興策を切り離すと主張していますが、それとともに、基地の琉球からの撤廃も進めなければ、琉球人は民主党、鳩山政権に対する失望、怒りをより一層強めるものと思います。






シリーズでお伝えしている名護市長選挙2010。きょうは、医療・福祉環境について、医療現場や市民から寄せられた声をお伝えします。

人口およそ6万人の名護市。高齢者の割合いが高いものの、毎月、およそ60人の命が産まれていて、人口は毎年少しずつ増えています。福祉面で最も聞かれたのは、子育て環境の充実を求める声。

母親「もう、待ちがいっぱいでぜんぜん入れない状態なので」母親「産んでから仕事を再開するのに、保育所がなかなかは入れなかったりするんで」

母親「自分の子どもも入れないので、そういう面で待機の児童がもっとスムーズに入れるような。少子化だけど、対策はぜんぜんなってないような」

名護市で5箇所ある市立保育所は定員をオーバーしている状態。そのほかの認可保育園もあわせると、600人の待機児童がいます。現職の島袋さん、新人の稲嶺さんは、ともに認可保育所の拡充や無認可保育所の支援をうたっていて、この点で大きな違いはありません。選挙後すぐの対策が期待されます。

一方、県立北部病院の「産婦人科」の医師不足にも不安の声が寄せられました。

記者「妊婦検診はどちらでされてますか?」母親「県立の中部病院でやってますね。」「名護市にお住まいでは?」「北部病院が医師が不足なので、中部に行ってますね」

持病の影響でお産のリスクが高いと言うこの女性。県立北部病院では現在産科救急の対応ができないため、自宅からおよそ50キロ離れた県立中部病院まで、自分で車を運転して通っていると言います。

5年前には、一時、産婦人科を閉鎖した県立北部病院。去年、医師4人で24時間の救急診療を再開した時期もありましたが、これまでに4人のうち2人が退職。産婦人科を診る医師は、現在わずか2人です。

そうしたなかでも、県立北部病院では、去年1年間で201人の命が誕生しました。帝王切開と婦人病関係の手術は、合わせて139件。医師は、日勤、当直、非番でも緊急手術の呼び出しという日々の繰り返しで、名護から出ることすら出来ない状態です。

母親「切迫早産で、(民間病院に)入院になったんですけど、そのときはやっぱり、何かあったら中部病院まで行くことになるよ、と言われたときにはもう心配でしたね。」母親「困りますよね、救急で遠いところにいったら全然救急の意味が無いし。」

県立病院の問題は、県が解決すべきとはいえ、命に関わる問題。両候補の見解を聞きました。

島袋候補「おそらく全国的に医師不足、産婦人科医の不足ですから、ただ「いらっしゃい」ではきてはくれない、となろうかと思っています。」「県全体、国全体でもっと大きな施策を展開しないと、簡単には集まらないと思います。」

医師確保の働きかけは、これまでも行ってきたものの、全国で不足する医師の獲得には、国や県の取り組みが不可欠だと語る島袋さん。

稲嶺候補「これはかなり前から、医者不足に対する心配というのがいっぱいあるんですね。それはやっぱり名護市だけではどうしようもない部分もありますけれども、名護市としてできることはあるのではないか。」「職場環境そのものは県であったり国であったりですけれども、お医者さんを地域で支える方法はないものか」

対する稲嶺さんも、産科医が名護市に定着するよう、医師を迎えいれる体勢づくりを考えたいと話していて、「産科医療の充実」に取り組む姿勢です。

 一方こちらは、4月から供用開始予定の「北部循環器センター」。産科救急と同様に、これまで北部で対応できず中南部へ搬送してきた循環器系の患者は、今後、このセンターでの対応が可能です。センターの設立資金は、北部振興策。いわゆる基地関連収入でした。

政権交代後、この北部振興策は、「北部活性か特別振興」に名称を変え、政府は「基地と関連させない」と説明しています。島袋さんは子の予算をほかの医療事業にも積極的に活用したい考えです。

島袋候補「今まではソフトに使えないと。北部振興策はですね。これが活性化事業(新しい振興策)では使えるというふうになっておりますので、使ってみたいと。(北部のほかの町村に)協力を呼びかけようと思っています。」

稲嶺さんも、これまでの振興策のようなヒモ付きの補助金ではなく、自治体の自由度が高い、また基地と関係しない、新しい振興策に期待しています。

稲嶺候補「環境であるとか健康であるとか、福祉、介護であるとかね、そういうことが非常に求められてくるし、産業につながる分野だと思うんです」

医療福祉環境では中南部に遅れ取っている感の否めない名護市。次の市長は市民の期待にどう応えるのでしょうか。どちらの候補も、民主党政権が継続を決めた振興策への期待は高いようですね。

北部循環器センターの設置も、北部振興策で叶えられたわけですが、鳩山政権が、これからの振興策は基地とリンクさせない方針であるというのは、その反面、振興策はいつか終わるということですよね。振興策に頼らない医療体制を考える必要がありますね。

また、県立北部病院の産婦人科医は、今年3月でまた1人辞めてしまわれるということで、現在代わりの医師と交渉中だそうです。母子の命のためにも、新たな名護市長にはどうにかして医師を迎える知恵を出して欲しいものです。

捕鯨と援助、グアムでの日米共同演習、グアムの観光

昨日は、講演会でおきまして、参加者の皆さんと議論をして、マルクス主義と琉球との関係について色々と考えさせていただきました。感謝いたします。

2005年7月の太平洋諸島ニュースをお伝えします。


日本は太平洋で捕鯨をしていますが、日本の捕鯨政策とODAは非常に緊密な関係にあるといえます。基地と振興開発とのリンケージのように、金で政策を推進しようとする日本政府の方針がここでもみられます。


7/4 PIR
 パラオが日本の捕鯨政策を強く支持している。

国際的なダイビング団体のボイコットという脅しにもかかわらず、パラオ議会のオカダ副議長は、商業捕鯨を拡大すべきとする日本政府の方針をパラオが支持する必要があると述べた。

オカダ副議長は「日本政府は数百万ドルの援助金をパラオに提供してきた。パラオを訪れる日本人観光客も多い。ハワイのダイビング団体がパラオの政治に介入すべきではない。」と述べた。

ハワイ国際サーフ・ダイブ協会とその他の太平洋諸島のダイビング団体は、日本の捕鯨政策を支持しているパラオでのダイビングをボイコットするように主張している。ハワイのダイビング団体に属している31のメンバーは、日本の捕鯨政策を支持しているパラオ、ソロモン諸島、ツバル、キリバスをこれから2年間、ダイビング案内先リストから削除することを決定した。

パラオのレメンゲソウ大統領は、「商業捕鯨に対するパラオの立場は日本からの援助とは関係ない。科学的調査の結果が出れば、パラオの立場は明らかになるだろう。」と述べた。


現在でも日米の共同軍事訓練がグアムで行われていますが、基地機能増強後は、グアムにおける自衛隊の演習がさらに活発になり、チャモロ人に対しても大きな被害を与えることになることをおそれます。


7/14 PIR
 グアムで日米共同の航空演習が実施された。

航空自衛隊と米空軍がグアムのアンダーセン米空軍基地において共同演習を行った。ある自衛官は「かつて日米は互いに戦った。戦後、我々は協力しなければならない。」と述べた。共同演習に参加した日米の軍幹部は、今回の共同演習と北朝鮮を非軍事化しようとする外交努力との間には関係はないと語った。

共同演習には自衛隊側が240人、米空軍側が300人参加した。日米共同演習は1978年以来毎年実施されているが、今年の演習は自衛隊にとって特別な意味を持っている。それは初めて地上の標的に対し実弾を発射する演習を実施したことである。実弾発射訓練は、サイパン島の沖合にあるファラロンデメディニラ島で実施された。


グアムの観光ツアーは低価格が特徴で、琉球とも競合する性格をもっています。グアムの歴史や文化、現実の苦悩を知らないで、遊ぶ島として帰る日本人が大部分です。


7/15 PIR
 グアムを訪問する日本の低所得観光客が増加している。

過去5年間、グアムを訪問する日本の低所得観光客数が増加している。グアム観光局によると、グアムを訪問する日本人観光客の客層が変化しており、富裕層から低所得層に移行している。

2000年と比較して、2005年における年収1000万円の観光客数が3%減少した。年収700万円の観光客は2000年には全体の33%であったが、2005年には21%に減った。

他方、年収300万円の観光客は2000年に比べ2005年は7%増加した。グアム観光局関係者は「所得レベルからみると、日本からの観光客の質の低下が見られる。」と述べた。低所得観光客が増加することは、島で観光客が消費する金額が減少し、観光産業の収入も減ることになる。

台湾、韓国等、ショッピング、食事、文化、価格の安さ等でアピール力を持っているアジアの観光地とグアムが激しい競争に晒されている。

ニューカレドニアの独立運動、フィジーと西欧民主主義、パラオとアジア人労働者

今日、午後1時より、京都コンソーシアム1階会議場にて、川音さんと私の琉球に関する講演会がありますので、お時間がおありの方はお越しくださり、議論ができれば幸いです。

2005年8月の太平洋諸島ニュースをお送りします。



私は今から12年ほどまえ、ニューカレドニアに行き、独立運動と経済活動について調査をし、論文を書いたことがあります。仏領ポリネシアとともに、ニューカレドニアには独立を求めた運動とともに、先住民族による様々な自治活動も展開されてきました。


8/17 PIR
 ニューカレドニアの独立派政党が国連に支援を求めている。

ブリスベーンで開催されている国連の会議においてニューカレドニアの独立派議員が、フランスの企業は我々の領土をこれ以上「侵害」しないでもらいたいと、訴えた。先住民問題に関する国連太平洋地域メンバーであるドッドソン氏は、「国連は調査し、報告をする力があるだけでなく、国連加盟国が自らの領土内において人権を侵す行動をした場合、問題解決のために強制力を行使することもできる。」と述べた。


現在のフィジーの首相は、バイニマラマ氏であり、軍司令官でした。ガラセ首相をクデターによって首相の座から追いだしました。


8/29 PIR
 ガラセ首相が、西欧の民主主義はフィジー人にとってはまだ異質であると述べた。

フィジーのガラセ首相は、ナンディで開催された英国コモンウェルスの議員のために開かれたワークショップにおいて、民主主義という西欧の概念は先住のフィジー人にとってまだ異質のものであると述べた。ガラセ首相は、すべての個人に平等な権利を与えるという人権宣言は、上下関係の厳しい、先住のフィジー人が有する社会構造とまったく対立していると語った。

首相はまた、「首長は生まれや地位により社会の頂点にあるのに対し、その他の人間は階層社会の中で共通の役割を担っている。多くの海外の人々がそのことを理解していない。そのために、外国政府の中にはフィジー問題の本質を理解できず、西欧の単純で危険な考えに基づいた解決方法を強制している。」と述べた。


昨年、学生とパラオに行った際、世界的不景気のあおりをうけて、外国人労働者が解雇、賃金未払い、帰国等の問題に直面していました。フィリピン大使館に行ったとき、解雇され、生活費がないフィリピン人数人が大使館の入り口の方で、毛布を敷いて寝ていました。



8/30 PIR
 タイ政府がパラオでのタイ人の就労機会の拡大を求めている。

タイ政府の職員がパラオを訪問し、メイド、コック、ウェイトレス等としてタイ人が就労できる機会についてパラオ政府関係者と話し合った。

現在、タイ人12人がパラオでコックやウェイトレスとして働いている。パラオでは中国やバングラデッシュからの労働者と地元経営者との間で大きな問題が発生している。

現在、パラオには7383人の外国人が働いている。その内訳をみると、フィリピン人が4966人、中国人が1137人、ベトナム人が379人、バングラデッシュ人が234人、日本人が155人、台湾人が124人、インドネシア人が81人、ネパール人が67人、韓国人が57人、米国人が57人、インド人が37人、トンガ人が22人、豪州人が11人、英国人が9人、アフリカ人が4人、ミクロネシア連邦人が4人、カナダ人が3人、フィジー人が3人、イスラエル人が3人、マレーシア人が3人である。

鹿児島、沖縄県交流宣言式典の意味

09年11月22日の南海日日新聞に鹿児島県、沖縄県による交流宣言署名式と、それに対する抗議活動について報じていますので、お伝えします。

このブログでも、前利さんの写真を以前、紹介しました。行政主体で上から歴史解釈をして、草の根的に島々の歴史を議論することなく、「地域振興」という行政的観点から交流宣言を行うことに、どのような意味があるのでしょうか。
交流する主体は、島々の人間です。1609年から薩摩・鹿児島は奄美諸島を植民地支配を行ってきました。

それ以前は、琉球王国が奄美諸島を軍事侵攻し、支配下におきました。そのような歴史の重みを考えずに、単に「交流」といわれても、内実がともなわない、行政のパフォーマンスであると思います。もしもこのような内容の式典を行うなら、鹿児島市、那覇市で行うべきであり、植民地支配の何の反省もないまま、奄美諸島で実施すること自体、島の住民に対する冒涜ではないでしょうか。

琉球史の研究者が「わが国の新しい南の拠点になる」と言っていますが、日本という国境内に琉球を押し込める発想です。琉球の島々は日本と歴史的に対等な存在であり、アジア、世界に開かれた地域です。





2009年は薩摩軍の奄美、琉球侵攻から400年。鹿児島、沖縄をはじめ各地で講演会、シンポジウムが行われているが、400年を契機に未来志向の連携、交流を図ろうと、「沖縄・鹿児島連携交流事業」記念式典が21日、奄美市笠利町の県奄美パークであった。鹿児島県の伊藤祐一郎知事、仲井眞弘多沖縄県知事が「過去の出来事や成果を踏まえつつ、真の隣人としてあらゆる分野・世代で一層の交流を推進する」と交流拡大を共同宣言した。

 交流拡大宣言は「薩摩による琉球出兵・侵攻400年という節目を迎えたこの年、過去の出来事や成果を踏まえつつ、両県が真の隣人としての関係を新たに構築するとともに、未来に向けて交流を拡大し、発展させることが重要」「両県はあらゆる分野・世代で一層の交流を推進し、相互の繁栄を目指して協力することを奄美の地で宣言する」との内容。

 宣言への署名、記念品交換を終え、伊藤県知事は「これからは東京を中心とした一極集中型から地域間連携に進んでいく。700キロの距離がある両県が連携するのは時代の必然。まず人的交流から始めたい」と述べた。仲井眞沖縄県知事は「深い歴史がある方がこれからの交流を進めていく大きなエンジンになる。奄美は近いが、飛行機も小さい。もっと積極的に交流を進めたい」などと答えた。

 式典にあたって高良倉吉・琉球大学教授は「両県のパートーナシップはわが国の新しい南の拠点になりうる」とのメッセージを寄た。開催地を代表して奄美市の平田隆義市長は「新たな連携軸の幕開け。奄美が果たす両県の懸け橋として役割を考えると、感慨深い」とあいさつした。

 式典に続いて文化交流があり、奄美高校郷土芸能部や海勢頭豊さん(沖縄)、鹿児島古典舞踊協会、琉球舞踊の団体が出演した。


 「奄美が搾取され続けた歴史検証や総括が欠けている」として、沖縄・鹿児島交流拡大宣言に反対、中止を求めていた奄美、鹿児島本土の住民グループは21日、奄美市笠利町の県奄美パークで開催された「沖縄・鹿児島連携交流事業」記念式典会場前で抗議行動を展開した。

 抗議行動をしたのは趣旨に賛同する20人。式典の開始前、午後2時半ごろ、会場の玄関前に集結し、宣言の中止を要求した。グループは「奄美の歴史を隠蔽する交流拡大宣言の中止を求める」との横断幕、プラカードを掲げ、薩摩藩の支配後に島々が受けた困難を連呼した。

 奄美パーク側は事前に「施設内で横断幕、チラシの配布はできない」と掲示していた。制止に入った県職員と住民グループが押し問答になる場面も。抗議は式典開始前まで続き、式典中にはやじも飛び出した。

 式典は鹿児島、沖縄両県の交流拡大へ向けた新たなスタートとなった半面、歴史認識に対する奄美側の反発、住民の複雑な感情も浮き彫りにした格好だ。

 抗議行動に参加した「交流拡大宣言の中止」を要求する奄美の会の仙田隆宣代表は「宣言には『過去の歴史と成果を踏まえ』とある。奄美を犠牲にしたことが成果というのか。1609年以前は琉球の支配下にあり、鹿児島、沖縄が奄美の不幸な歴史をつくった反省がどこにも盛り込まれていない」と語気を強めた。

 「歴史が検証されていない」との指摘に対して伊藤祐一郎県知事は「人によって見方が違う。何が検証され、検証されていないかはお互いの関係が深化していく中で考えていく問題。世界中の国が過去を持ち、未来に向かっている」と述べ、抗議行動を批判した。

沖永良部島、与論島と南琉球との連携

09年12月9日の南海日日新聞に沖永良部島、与論島と南琉球との交通体系形成への要望が住民から出されたことについての報道がありましたので、お伝えします。昨年5月、沖永良部島でゆいまーるの集いをしました。私は、沖縄島から船で移動しましたら、島の近さに驚きました。行政的境を越えて、琉球文化圏の島々がさらに結びつくことが必要であると思います。琉球は一体であるとの思いを、現実にするための政策が求められています。島と島とがゆいまーる関係を結ぶことで、島経済の自立にも展望がみえてきます。




奄美地域将来ビジョン(仮称)の策定に向けた沖永良部島・与論島地区の第4回懇談会は8日、和泊町の県沖永良部事務所であった。県大島支庁が示したビジョン概要版を基に委員5人が意見交換。与論、沖永良部各島の方向性については産業振興の基盤を強化するため、沖縄と連携した輸送体制を確立すべきだとの意見が多く出た。

 概要版は(1)安心・安全で活力のある生活空間(2)地域資源を活用した産業振興(3)奄美群島の特色を生かした観光振興―などの6項目が柱。各項目に沿って島別の方向性を記している。

委員からは全体案を取りまとめる県大島支庁に対して「島々の実情を反映した取り組みを積極的に盛り込んでほしい」との注文が出た。

 同地区の重点的な取り組みとして「沖縄を経由した農産物の空輸が有望。物価が安い沖縄から物資を多く入れられないか」

「今の輸送体系では生産が難しい作物もある。流通システムを構築すれば品目の幅は広がる」など沖縄との輸送体制構築に期待する意見が相次いだ。

 地域資源を活用した産業振興では地産地消や異業種交流の必要性を指摘する声のほか、「奄美全体の観光PRを強化してほしい」という要望が上がった。

 同地区の懇談会は今回が最後。徳之島地区懇談会、奄美全体の懇談会を経て来年3月にビジョンを公表する見通しだ。

『琉球の国家祭祀制度―その変容と解体過程』のご紹介

琉球の独立、自立を考える雑誌『うるまネシア』の編集員をされている、後田多敦さんが出版舎 Mugenから、
2009年11月に『琉球の国家祭祀制度―その変容と解体過程』を出版され、小生に送ってくださいました。

心よりお礼申し上げます。心して読ませていただきたいと思います。

琉球の国家祭祀制度がどのように形成され、日本国によってどのように解体されたのかは、琉球の自治、自立、独立を考えるにあたって非常に重要なことであると思います。

琉球の歴史を踏まえてこそ、琉球の今を考え、将来を構想することができると思います。

石垣島の川平出身である後田多さんには、これまで色々とお世話になってきました。王国時代の祭祀制度については、『環』等でも書かれていましたが、この度、本としてまとめられ、後田多さんの歴史観がより一層、明確になり、多く方々に共有されることを願っています。

後田多さんは八重山、琉球が誇る、詩人でもあり、琉球の言葉による美しい詩を沖縄タイムス紙上で詠んだことがあります。

島の歴史のみならず、民俗についても考察されています。また首里を中心とした琉球王国だけでなく、石垣島、川平についても書かれており、八重山史研究においても、重要な貢献をされたように思います。

琉球、八重山の香りのする素晴らしい本です。

本の構成は次の通りです。



序章 琉球の国家祭祀制度の変容・解体過程研究の意義

第1章 琉球国の国家祭祀制度

第2章 「琉球処分」と国家祭祀制度

第3章 石垣島の国家祭祀-二度にわたる変容過程

終章 川平の祭祀をめぐる記憶と伝承

付・川平の祭祀関連資料-「後田多朝吉ノート」抄

エフエムうけんの開設

南海日日新聞の1月5日の記事で、奄美大島宇検村で地域エフエム放送が始まったとの報道がありましたので、お伝えします。奄美市の麓さんたちが行っている、あまみエフエムのように、地域発の情報によって、地域の人々が地域への愛着を深め、多くの若い人々が地域に帰り、地域を自らの力で元気にするラジオになってほしいと思います。





 宇検村のコミュニティーラジオ局「エフエムうけん」が4日、同村湯湾のスタジオ(鹿児島地方法務局宇検出張所跡)で開局した。防災行政無線を兼ねた珍しいスタイルで、2民間局と提携したのも特徴。コミュニティーFMは全国の村で初めてという。國馬和範村長は「住民参加型のラジオ局にしたい」と期待を寄せる。周波数は76・3メガヘルツ。

 放送局は防災行政無線戸別受信機が老朽化したため、村が予算2100万円を掛けて整備。特定非営利活動法人(NPO法人)「エフエムうけん」(理事長・屋宮喜治教育委員長)がボランティアを含むスタッフ15人で運営する。

 24時間態勢で行政情報や島唄、トーク番組などの自主放送のほか、あまみエフエムやMBCラジオの番組も流す。災害時は緊急放送を割り込むように設定している。

 セレモニーがあり、テープカットに続いて國馬村長が「集落の自慢話などこれまで聞けなかった情報も聞けるようになり、楽しみのひとつになると確信している」とあいさつし、住民の参加を呼び掛けた。

 スタジオではあまみエフエムが同時中継する中、午後1時に開局。屋宮理事長や新成人らが出演する特別番組が放送され、シンガーソングライターの石野田奈津代さんと久志小中児童らがイメージソング「I LOVE 宇検村」で祝った。

バヌアツと中国、パプアニューギニアと豪州・中国

2005年8月の太平洋諸島ニュースをお送りします。

中国はバヌアツと外交関係を結んでおり、経済援助だけでなく、軍事的関係も強化しています。太平洋島しょ国は米国だけでなく、中国など、多国間との関係強化という外交関係の多様化を進めています。


8/2 PIR
 バヌアツが中国から防衛支援を受け入れる。

中国政府は、バヌアツ政府に対し様々な警察事業として29万2千ドル以上の援助金を提供する。援助金により制服、器具、バス、乗用車が購入される。またバヌアツ政府の要請により、中国政府は軍事訓練に関する支援を行う。バヌアツの代表団が人民会議副議長を訪問した際、副議長はバヌアツの「一つの中国政策」に対し満足していると述べた。



パプアニューギニと豪州との関係は深く、政治経済、軍事的介入が顕著です。豪州は資源供給地としてだけでなく、自国の安全保障上でもパプアニューギニが重要であると認識しています。



8/3 PIR
 英国外交官が、パプアニューギニアは豪州依存を脱すべきであると述べた。

パプアニューギニア(PNG)の英国高等弁務官であるデビッド・マックレオドは、PNGは豪州だけでなく、他の英国のコモンウェルス諸国や欧州共同体(EU)諸国との二国間関係にも幅を広げるべきであると語った。

マックレオド氏は「PNG政府の仕事の90%は豪州に関係するものである。PNGが様々な国と二国間関係を有することにより、色々な方法で利益を得る機会を手に入れることができる。」と述べた。


近年、経済的には中国と関係が深くになっています。中国と太平洋島しょ国との貿易投資額でも、パプアニューギニアとのそれが突出しています。同時に、日本企業も近年、液化天然ガス開発に巨額の投資をしました。

8/8 PIR
 米国の研究者が、パプアニューギニアに対する中国の影響力が増大していると警鐘を鳴らしている。

米国の研究者であるピーター・ブルックス氏は、中国は経済成長、エネルギー消費、軍事力の強化、巨大な市場等の面で台頭してきており、パプアニューギニアや他の太平洋島嶼国に対する関与を深めていると述べた。特にPNGは中国の「一つの中国政策」を支持しており、また最近、同国のニッケル開発事業に中国企業の参加を認めた。

自治、独立、カジノ(ブログ対話)

本ブログに投稿してくださいました南国リンゴさんとの対話内容です。他のみなさんもどうぞご参加ください。

南国リンゴ


> 日米支配体制の下から脱却する主体的な
> 力を構築していく運動として、「ゆいまーる琉球の自治」(「ゆいまーる」とは琉球語で共助を意味する)を立ち上げ、>
>
> 何でこんな曖昧な組織名にしたんですか?
> いわゆる「琉球独立の組織」では?
> 堂々と「琉球独立」を掲げて活動すればいいのに・・と思います。



松島泰勝

独立と自治との違いをよーく考えてください。
独立するとどうなるか、具体的にシュミレーションしてください。
南国リンゴさんは、独立派ですか。ご自分の立場を明確にしてください。




2010/01/16 Sat 07:51 URL [ Edit ]
南国りんご
私は一国二制度賛成派です。

私は松島先生が独立派だと思っていたんですけど・・。「自治」「琉球」を連呼しているし、全部は読んではないですけど、ブログ記事の論調もちょっと変わってるので。

パラオや南洋諸島の生活スタイル(生き方)を沖縄に適用しようとしているのではないですか?
カジノ誘致も拒否、県内移設・振興策受け入れ拒否と記事の中で書いていますよね。
経済政策の対案も出してないのに、全部拒否していることが現実的でないと思うのです。
パラオを目指そう的な独立派じゃないかと思っていました。

私の場合は、基地経済から脱却するためにカジノを誘致して、県営(公営)カジノで富を収奪し沖縄県の自己財源にするという考えがあります。県営カジノで得たお金で公共事業もするし、沖縄県営のファンドをつくって世界中に投資もできます。
だから県内移設拒否・振興策も大手を振って拒否できるのです。



2010/01/16 Sat 18:20 URL [ Edit ]
松島 泰勝(まつしま やすかつ)
お返事ありがとうございます。

私は太平洋の独立国をみており、独立によってすべて解決せず、様々な問題に直面している現実を知っています。独立後も自治が重要であり、現在も当然自治が重要であると思っています。

琉球のような独自な自然、社会、経済構造を有するところでは、一国二制度が不可欠です。その制度については世界中からいろいろなアイデアを参加にすることができます。カジノもそうです。大阪の橋本知事もカジノ誘致を主張しています。熱海の自治体も主張しています。

経済的苦境にある地域がカジノを救世主のようにしています。
琉球は琉球独自の制度が必要であると考えます。

その制度を琉球の人間が主体的に動かすためにも自治が不可欠であると考えます。独立も一つの制度でしかありません。

自治の要になるのが「ゆいまーる」という人と人とのつながりであり、琉球内、そして琉球と他の地域とを結び、そして島の自治、自立を考え、実現したいと私は考えています。

> パラオや南洋諸島の生活スタイル(生き方)を沖縄に適用しようとしているのではないですか?

パラオや太平洋の島々の生き方だけではなく、それぞれの島々が抱えている問題は琉球にとって大変参考になり、互いに学びあえる関係になると思います。生活スタイルは島独自のものであり、それを琉球に「輸出」することはできません。琉球は自前の生き方があり、それを琉球人自身で作り出すしかありません。

> カジノ誘致も拒否、県内移設・振興策受け入れ拒否と記事の中で書いていますよね。
> 経済政策の対案も出してないのに、全部拒否していることが現実的でないと思うのです。


琉球の経済問題を解決できる一挙解決型の経済政策はないと思っています。それぞれの島(琉球には50近くの有人島があります)の特性におうじて、島人が自分の頭で考えて、島独自の経済政策をつくっていけばいいのではないですか。これまでの経済活性化の目玉といわれたものが、以下に失敗したかを学ぶ必要があります。


> パラオを目指そう的な独立派じゃないかと思っていました。

パラオは人口2万人の独立国家です。しかし軍事権は米国がもっています。そのような独立国家でいいですか。

> 私の場合は、基地経済から脱却するためにカジノを誘致して、県営(公営)カジノで富を収奪し沖縄県の自己財源にするという考えがあります。県営カジノで得たお金で公共事業もするし、沖縄県営のファンドをつくって世界中に投資もできます。
> だから県内移設拒否・振興策も大手を振って拒否できるのです。

もしそれがうまくいけば、大変魅力的な案だと思います。国に頼らない自前の財源を有することは経済自立の大前提です。その財源を基地ではなく、カジノに求めるご提案だと思います。

日本各地で提案されているカジノと琉球のカジノをどのように差別化して、お客を呼び込みますか。南国リンゴさんは、世界にあるカジノ地でどのような事例をモデルとして考えていますか。
ラスベガスですか、アメリカの先住民族が運営しているカジノですか、マカオ、テニアン島、韓国ですか。

2009年の総括 世相

昨日は立命館大学で「グアムと軍事基地」について話をさせていただきました。秋林先生を中心として学生さんたちが、看板作り、チラシ配布など、一生懸命したおかげで100名以上の方が熱心に話を聞いてくれました。学生さんたちのゆいまーるの力に感動しました。また、学生さんたちは琉球、グアムについての小冊子も作成しており、琉球、グアムに対する熱意が感じられました。一人ひとりの学生さんに心よりお礼申し上げます。


12月25日の琉球朝日放送で2009年の総括、世相が報じられていましたので、お伝えします。
2009年もいろいろなことがありました。今年は、グアムの基地機能強化計画が本格的に動きます。同時に、普天間の移設先も決まります。その内容によっては琉球人による政治的な大きなムーブメントがおこる可能性もあります。
今年も琉球の自治にとって重要な年であると自覚をして、考え、主張し、議論し、自分なりの行動していきたいと決意しています。





比嘉鈴代キャスター「あけましておめでとうございます!」2月23日牛祭りにて、綱引きで牛に引きずられる比嘉鈴代キャスター『キャーーーーー!!!』今年は丑年。でも月日の流れは牛のようにゆっくりというわけにはいきません。2009年もあと6日。振り返ると思わずこう叫びたくなる年でした。牛『モォー!』


1月1日初詣、困ったときの神頼みとはこのこと。去年より5000人増えた参拝者、混みあう初詣の風景が今年の世相を占っていたかもしれません。参拝者「末吉でした」

1月6日ハローワーク。年明けからもう1つ、混み合った場所はこんな所。利用者「倒産、整理、解雇されました」1月21日県営住宅の抽選。県営住宅の抽選にも多くの人が。 応募者「とりあえず家が確保できてホッとしています」

仕事がない、家がない、生きるのに必死な人々の叫びが聞こえてきました。派遣切り・雇用危機・デフレ。「何度お金が空から降ってきたら」と思ったことか。3月30日定額給付金支給,与那国町役場「本日与那国町役場で定額給付金を〜」本当にお金が降ってきたような出来事でした。日本中に2兆円の定額給付金が配られました。住民「ほんとよかったありがたい何総理?ありがとうって言っといて」


9月15日北島康介がやって来た!「金」といえば・・・ 北京オリンピック金メダリストの北島康介選手が沖縄市の小学校を電撃訪問、夢を持つことの大切さを教えてくれました。

「まるでここはハリウッドのようです!」「夢」のような時間を過ごしました。今年から始まった国際映画祭。芸能人を一目見ようと集まった10万人の笑顔がありました。6月5日北中城のひまわり「花も喜んでる私も喜んでる」暗いニュースが多い中、太陽に向かって笑う「ひまわり」にエールをもらいました。

7月22日皆既日食。レポーター「最大日食まであと40分ですが既に陰が三日月になっています」日本中が湧いた皆既日食に県内でも歓声の嵐。興奮したのは人間だけでなく・・・ ダチョウは交尾!「伊平屋島では最大95%の日食。暗かったけれど明るいニュースでした。」


明るいニュースの後は暑い日々。観測史上初、9月全て30度以上の真夏日でした。今年の台風は8号が宮古八重山、18号が大東島を直撃しました。台風のごとく猛威を振るったのは新型インフルエンザ。国内で初の死者が出ました。

お年寄り「困りますね」県内の新聞2紙が夕刊を廃止。活字離れなどといわれますが、今年那覇市の中心部には大型書店が相次いでオープン。私たちを取り巻く環境。多くの命が生息していることを考えさせられました。


5月4日近海でジュゴン3頭目が発見される。6月9日アオバズクは子育て。6月18日にはサンゴが産卵。そして、未来のために。今年、新しい環境保全の動きが広がっています。9月20日エコキャップフェスタも開催。

10月21日先島で地デジ開始!棚原キャスター「いよいよ宮古八重山のみなさんに地上デジタル放送をお楽しみいただけます」環境が大きく変わったのはテレビ。待ち待った地上デジタル放送が宮古八重山でスタートしました。

新たな時代がきても、忘れてはいけないことがあります。宮森の鐘から「誓います永遠に」宮森ジェット機墜落事故から50年。私達の頭の上から戦闘機が消える日はいつ来るのでしょうか。アレンさん「今沖縄の若者に平和について考えてほしい」海兵隊として、ベトナム戦争を経験したアレンさん。沖縄の若者に平和を訴える力を残してくれました。


城間さん「これは私の母と私です」来年は戦後65年。あの戦争は何をもたらしたのか、そして、今私たちは何をすべきなのか。もう一度未来のために考えなければならない時がきています。命ある限り、人間は前を向いて生きなければなりません。2010年こそ、一人でも多くの人に幸せが訪れますように。

グアム、琉球に関する講演会のお知らせ

今日、立命館大学で私がグアムについて講演会をします。お時間がおありの方はどうぞいらしてください。
また、来週23日、沖縄文化講座の川音さんから紹介をうけた、京都在住の戸梶さんが中心になって行う講演会もあります。

グアムや琉球について学生や社会人の方と真剣な議論ができればと思います。



立命館大学の講演会チラシ

松島泰勝先生(龍谷大学)特別講演会
☆日時:2010年1月15日(金)
16:20~17:50(5限)

☆場所:洋洋館955教室(2階)
☆申し込み不要・参加無料・途中入場可
現在、米軍再編が注目されています。そこで、沖縄の米海兵隊移転先候補となっているグアムを取り上げ、米軍基地に関わる現状について専門家による講演会をします☆

【講演内容】
◎なぜ米軍基地がグアムにあるの?
◎グアムの人にとって米軍基地はどのような存在なの?
◎米軍基地再編問題に見る沖縄とグアムの関係って?

これからグアムに行かれる方☆国際関係に興味のある方☆米軍再編問題について理解を深めたい方☆ぜひ、聞きに来てください♪♪

松島泰勝先生
[講師紹介]
経歴:在ハガッニャ(グアム)日本国総領事館、在パラオ日本国大使館専門調査員、東海大学海洋学部海洋文明学科准教授を経て、現在、特定非営利活動法人ゆいまーる琉球の自治の代表、龍谷大学経済学部国際経済学科教授
研究テーマ:琉球、太平洋諸島における経済問題、内発的発展に関する研究

主催:国際関係学部学生有志 代表:齋藤夢子
後援:国際関係学会学生委員会、WILPF Rits





戸梶さんの団体のチラシ


KCMシンポジウム第四期第1回
今、あらためて沖縄闘争を問う
報告1.沖縄と米・日帝国主義、われわれ
報告者 川音 勉(沖縄文化講座)

報告2.米・日支配体制からの脱却をめざして
---先住民族・琉球人の従属と内発的発展---  
報告者 松島 泰勝(ゆいまーる琉球の自治代表)

 2010年、日米安保条約改定から50年を期して、新たな日米同盟宣言を出すことが、両政府間で協議
されていた。鳩山政権登場の直前のことである。それは、パクス・アメリカーナが行き詰まり、新たな
帝国主義と反帝国主義が<グローバル>に胎動する時代における日米帝国主義同盟宣言となるもので
あった。

 そして今、鳩山政権の登場と、普天間基地撤去、辺野古新基地建設をめぐるせめぎあいは、サンフラ
ンシスコ条約以来の「日米同盟」からの転換、沖縄人民にとっては両帝国主義の支配からの脱却を問
う、全人民的政治攻防となっている。

 辺野古でもなく、グァムでもなく、米軍の撤収を迫る大衆的な運動が早急に日本全土で構築されなけ
ればならない。

 復帰後の40年近くの現実、それとの格闘をふまえて、沖縄人民は決起している。
 沖縄の人民は、この闘いを通して、何を切り開き、獲得するのか。
 ヤマトのわれわれは、この闘いを、いかなる全人民的な闘いとして構築するのか。

 米帝国主義は、その軍事的・金融的支配システムの破綻にもかかわらず、その構造から「チェンジ」で
きず、犠牲を自国民、イラクやアフガンの人民、沖縄、韓国、グアムなど世界各国の人民に押し付けつ
つ、腐汁を滴らせて没落の道をたどりつつある。

 60年安保闘争から50年、沖縄復帰から38年、日米安保体制からの転換を切開くわれわれの展望があ
らためて問われている。

 川音勉さんは、70年沖縄闘争における本土の運動が、「帝国主義と民族植民地問題」「被抑圧民族の
自己解放」と言う認識をあいまいにした運動であったことの反省をふまえ、沖縄の自立解放の運動に連
帯するという立場で、首都圏で活動されて来ました。

 松島泰勝さんは、石垣島に生れ、琉球諸島で育ち、在ハガッニャ(グァム)総領事館、在パラオ日本
国大使館などに勤務後、現在、龍谷大学教授。1996年に国連人権委員会先住民作業部会に琉球民族とし
て参加しました。琉球人の共助的な自治活動の発展を通して、日米支配体制の下から脱却する主体的な
力を構築していく運動として、「ゆいまーる琉球の自治」(「ゆいまーる」とは琉球語で共助を意味す
る)を立ち上げ、これまで久高島、奄美大島、伊江島、西表島、沖永良部島、平安座島において車座の
集いを開き、島が抱える問題、自治の実践、自治的自覚について議論してきました。著書に『琉球の
「自治」』『沖縄島嶼経済史』『ミクロネシア』等があります。

日時 1月23日(土曜日)13:00~17:00
場所 キャンパスプラザ京都 第1会議室
 京都駅北側を駅ビルに沿って西へ3分、ビックカメラの向側

主催 KCM関西共産主義運動シンポジウム

2009年の総括 米軍基地

09年12月24日の琉球朝日放送は2009年の総括 米軍基地を報じていましたので、お伝えします。

基地によって地域の経済が自立的に発展することはありません。半永久的に依存の構造が続きます。
名護市長候補者、仲井真県知事は基地の県外移設を主張していますが、同時に、基地に関連する振興開発費の受け取り拒否をも主張すべきです。







2月。アメリカの政権交代後、まもなく締結されたグアム移転協定。クリントン国務長官「この同意は、太平洋地域における米軍近代化の狙いを反映したものだ」中曽根弘文外務大臣(当時)「在日米軍再編に関して抑止力を維持しつつ、日米の工程表に基づいて、着実に実施していくことで一致した」この協定では、沖縄の海兵隊司令部のグアム移転費のうちおよそ6割を日本が負担すること。そして、辺野古への基地建設と本島中南部の基地返還を一つのパッケージとして推進することに合意。


しかし9月に日本が政権交代。鳩山総理「私たちはまさに勝って兜の緒を締めよ。喜んでいる場合ではない」新政権は、社民党からの強いプレッシャーを受けながら、普天間基地の県外・国外への移設を模索。閣内や官僚からは、いったん決まった日米合意を白紙に戻すことに、消極的な意見が相次ぎましたが、鳩山総理は、最後は自ら決断しました。

鳩山総理「辺野古以外の地域で移設先を模索する」年内の結論を諦めた総理。ちょうど一ヶ月後に市長選を控えている名護市。現職の島袋市長は、辺野古への移設計画を基本合意した受け入れ容認派ですがー


島袋市長「県外がベストで、名護市としては基地を誘致したことはない」政権交代を受け、政府が県外移設の方針を示せば、後押しする姿勢を表明。また、市長選に出馬を表明した稲嶺進さんも辺野古移設には、断固反対の立場です。

稲嶺進さん「名護市大浦湾に新しい基地はいらない」

荻堂会長「基地移設問題は過去3回の選挙で決着はついている」「これ以上、ごめんだというのが我々の本心なんですよ」島袋市長の後援会長を長年務める荻堂会長は、基地の移設問題をもう争点にはしたくないと語ります。荻堂会長「国外とか県外とかなれば、またまた時間が十数年かかっちゃう」「私は早めに名護市にお願いしたいということを申し上げるべきだと思います」


また、基地建設を推進する団体の代表は、音声のみという条件で本音を打ち明けました。代替施設推進協議会 宮城安秀会長「地域に財源もないし、どうしても基地に頼らざるを得ない点もあるんじゃないかなと」「基地産業においての将来的な経済効果も期待されるところもあるし」「現在、国どうしだけで地元を無視したような協議をしているがそれはちょっとおかしいんじゃないかと」

一方、共産党の推薦を受け、一度は立候補を表明したものの、分裂選挙を避けるために出馬を辞退した比嘉靖さんは今の市政をこう批判します。

比嘉靖さん「比嘉鉄也元市長 岸本建男前市長、そして島袋市長が名護市を疲弊させている」


加熱する論戦。普天間基地を抱える宜野湾市の伊波市長はこう語ります。宜野湾市 伊波市長「これまで13年間、なぜこの問題が解決されないのか、一番大きな問題は県民が反対している県内移設を強行していくということ。それが一番の大きな国難をもたらしてきた。」

鳩山総理は先週、コペンハーゲンで、改めて、この問題への決意を語っています。鳩山総理「沖縄県民の期待が高まっている状況ですから」「日米合意が重いことは理解しているが、逆に(辺野古移設を)強行すると結果がどうなるか、私は大変危険を感じている」  来年は民主党の真価が問われる一年になりそうです。

2009年の総括 経済

09年12月23日の琉球朝日放送で09年の総括・経済が放送されていましたので、お伝えします。
観光業は、島外の政治経済、社会要因の変動の波をもろに受けるということが、昨年は明らかになりました。
景気、航空燃料、高速道路の1000円化、インフルエンザ、円高等、色々な変動要因があります。
そのためにも観光に依存するのではなく、産業のさらなる多様化、足腰の強い観光業の確立が必要です。



公設市場店員「2009年からもうぱたっと変わった」去年からの経済危機の影響で大幅な観光客の減少で幕を開けた今年の沖縄経済。30代男性「トヨタ自動車のほうでこの、ラインの方入ってまして」派遣切りなど、県内からの多くの出稼ぎ労働者の雇用問題もクローズアップされました。

しかし、政府は6月に景気は底を打ったと底打ちを宣言。県内でも、7月の入域観光客数が過去最多となり9か月ぶりに前年を上回りました。しかし8月以降、県内で再び新型インフルエンザが流行。持ち直していた観光にとって、想定外の打撃となりました。


観光客数は再び下降局面をたどります。全国の景気の本格的な回復も遅れ、生活防衛意識が高まる消費者を取り込もうと年後半にかけ物価は下落。880円という価格で話題となったこちらのジーンズも2割引きで704円となります。

物の価格が下がる、デフレ現象が県内でも顕著に見られるようになりました。デフレは、観光にも影響します。大阪発の沖縄ツアー。3泊4日で2万5800円。この価格で、往復航空券、3泊分のホテル宿泊料。そしてなんとスキューバダイビングのライセンス取得料(3日間機材レンタル料込)も含まれているのです。


りゅうぎん総合研究所 比嘉盛樹 上席研究員「特に那覇市を中心に沖縄本島南部、こちらのほうでの競争が激しくなっていますね」「客室数が大幅に増えていますので」「今年だけでも部屋数として2000室くらい増えていますから、仮に去年と同じ人数が来てもですね、そのぶん、稼働は落ちると」「リゾートを中心にかなり厳しい状況が続いています」

景気後退、新型インフルエンザ、円高、ホテルの増加、デフレと沖縄観光にとって、今年はまさに試練の年となりました。こうした中、日銀は先週、県内の短観を発表。

日銀那覇支店 水口 毅 支店長「県内企業の景況感が再び悪化していると、いうことであります。2番目の特徴ですけども先行きも悪化が予想されているということであります。またその悪化のテンポも拡大している」

先月から今月の、県内企業の景況感は、今年の年初レベルにまで再び下落、さらに来年3月の先行きにいたっては、1973年の調査開始以来、最悪の水準まで悪化すると予想されています。

日銀那覇支店 水口 毅 支店長「沖縄県内についてはなかなか持ち直しという言葉を使う状況には今のところ至っていないと」「本土の消費者の所得環境が非常に悪いことが沖縄に来る観光客の足を引っ張っていると」

一方、雇用の現場では、年初から有効求人倍率が下落、その後、大きな落ち込みはありませんが、依然低迷を続けています。


沖縄労働局 渡部 昌平 職業安定部長「そういう意味でいうと、沖縄は小康状態といえると思うんですが、一方で企業の募集があまり出てきてない。」特に厳しいのが、新卒者の求人です。「企業の将来に対するマインドが暗いんだろうなと、将来の見通しが分からないので求人募集出しきれませんという動きがあると思っています、ですからこの求人マインドが緩まないとたぶん求人倍率はあがってこないだろう」

しかし、暗い話だけではありませんでした。全日空は10月、那覇空港を拠点とした国際貨物ハブ事業をスタート。アジアと日本の8都市と那覇空港を毎晩結ぶ日本初の航空ハブ事業は国内企業だけでなく世界の企業から注目されています。来年、沖縄経済はどうなるのでしょうか?

日銀那覇支店 水口 毅 支店長「おそらく来年の前半くらいは今とあまり変わらない苦しい状態が続くだろうなと思っております。」「本土の消費者の所得環境がどういう風に展開してくるか、これが一番カギになると思っています」

沖縄労働局 渡部 昌平 職業安定部長「結局は自分自身を守るのは自分自身しかいませんので、経験知識を積む、」「自ら勉強する、前向きに活動するとといったことも重要になってくると思います。」

職業訓練を希望する若者が増えるなど、これまでにない動きも見られました。


沖縄労働局 渡部 昌平 職業安定部長「言ってみれば将来の投資の部分もあるんですね、人材を確保するから、もしくは人材に教育をするから将来の会社が伸びていくんだと、人件費は必ずしもコスト、コストカットの対象というよりかは、これは将来の投資だという意識をこういう時こそもっていただきたいと」

将来の沖縄をどうしていくのか?再来年には、これまで県内経済を支えてきた沖縄振興計画も期限切れを迎えます。

沖縄労働局 渡部 昌平 職業安定部長「10年単位で沖縄の将来を考える大事な時期に来るのではないかなと思っております。環境の変化としては、アジアのすぐ近くにあるアジア諸国の経済発展がありますし、今まで沖縄にたくさん来ていた本土の観光客はどんどん高齢化、少子高齢化が進むだろうと、とこういう風に思われます。そうした時代の変化に合わせた沖縄の観光業であり、建設産業でありですね、どんな工夫がありうるのか、ということを考えながら人材を育てていくとということが大切だろうとおもっています」

まずは、足元にとらわれない長期的なビジョンを描くことが不況脱出の、確実な一歩となりそうです。

2009年の総括 事件事故

12月22日の琉球朝日放送で2009年の総括、事件事故が報じられていましたので、お伝えします。
琉球の島にはまだ、戦争の爆弾が埋まっており、糸満と同じような事故が再び起こる恐れがあります。沖縄戦の当事者である国は、このような不発弾問題に対する抜本策を実施する責任があります。今年に入って、読谷村のひき逃げ米軍が県警に逮捕されました。日米地位協定が捜査を妨げ、その分、犠牲になった琉球人の人権がないがしろにされたといえます。



この1年を振り返る「激動2009」。きょうは、この1年、社会に衝撃を与えた数々の事件・事故を振り返ります。現場近くにいた人「爆発のような、ドンという感じで、地震かなと思って」64年前の爆弾が、土の中でまだ生きていることを見せ付けた、糸満市の不発弾爆発事故。重機に乗っていた男性は、奇跡的に一命を取り留めました。


糸満市長「当然、戦後処理の一環という立場からすれば、国のほうで処理すべきと考えております」

事故による不安の高まりで、県内では今年、自衛隊の不発弾処理隊の出動回数が1.6倍に急増。事故のおよそ2ヶ月後には、「不発弾対策基金」が創設され、10月には、県内に、どれだけ不発弾があるのかを収録した、データベースも公開されました。国の担当者「事業者が持っているデータを一元的に統合しまして、一般の工事に携わる方もこれを見ていただくことによって、今回(糸満)のような事故がないような形でできないかと」

このデータベースは、地図上の場所で、過去に不発弾が見つかったかどうかや、すでに磁気探査を終えたかを確認できますが、事故の再発を防ぐ、具体策とまでは言えません。また、不発弾対策基金の目的は「被災者への補償」。事故の再発防止には繋がりません。不発弾の上での生活を強いられる沖縄。不発弾がなくなるのはいつなのか。国が責任を果たすまで、この問題から目をそらすことはできません。


ひき逃げが続発。被害者の同級生「(ウォーキングの)途中で会って、大体6時ごろ会いましたね。彼も歩いてるなということで帰ってきたんですけど、まさかそういうことに…」那覇市と読谷村で相次いだひき逃げ事件。那覇市で起きたひき逃げでは、容疑者のアメリカ兵の身柄引き渡しは事故の4ヵ月後。読谷村の事件では、同じくアメリカ兵の容疑者が出頭を拒むという、県警の足元を見るような対応。日米地位協定の壁の前では、思うような捜査ができない現状をまざまざと見せつけた事件でした。

裁判員から外された人「そうですね、一度はやってみたかったなという気持ちはあります」「書面が届いた時点から緊張しました。(落選して)正直ちょっとほっとしている」事件報道は通常、発生から時が経つにつれて社会の関心は薄れるもの。しかし今年始まった裁判員制度は、国民から選ばれる裁判員に注目が集まり、判決という「事件の結末」が最も注目されるという、逆転現象を起こしました。県内で今後、裁判員裁判となる事件は、すでに12件起訴されています。「開かれた司法」という狙いを達成できるのか、今後が注目されています。


焼け出された人「起きれ!火事!ということで飛び起きて、後ろ見たら倉庫のところに火がついていたので、お父さんが「逃げろ!」っていうことで、財布だけ持って外に出たら、すぐ火の手が回って」浦添市で、連続発生した火災。密集した住宅街で続いた大火災に、地域住民は不安な毎日が続きました。警察は、住宅に放火して2人を殺害したとして近所の男を逮捕。現在責任能力の鑑定が行われています。

那覇市のガーブ川で起きた、鉄砲水による事故。作業員ら4人が押し流され、翌朝、全員が遺体で見つかりました。この日那覇市では、午前中全く降らなかった雨が、午後12時半ごろから局地的に降り始め、1時間に48ミリの大雨となりました。気象予報士「山ではないですけど、丘みたいな状態で囲まれている。ぐるっと囲まれているので、この川に対しては一箇所に集中しやすいところがあったと思うんですね」急激な気象変化に対応した安全対策の検討が進められています。


そして—防げなかった悲劇—中学生集団暴行死事件。県警の会見「本島中部に居住する男子中学生5名いずれも14歳を米盛星斗くん14歳に対する傷害致死の容疑で逮捕いたしました。」少年らが警察に語った集団暴行の理由は「生意気だったから。」そんな理不尽な理由で命を落とした男子生徒の無念は計り知れません。男子生徒の母親は、今年4月ごろから、学校にいじめの相談をしていたといいます。しかし学校側は、どのような対応を取っていたのか明らかにしていません。

県内では、2002年、2003年と、集団暴行事件が繰り返されるたびに、再発防止が叫ばれました。もう2度と、同じ過ちを絶対に繰り返してはいけません。同様の集団暴行で息子を失った女性は、事件後沖縄を訪れ、生徒らに、こう語り掛けました。

市原さん「どんなに辛くても、悲しくても、おじいちゃん、おばあちゃんになって寿命が尽きるまで、生きて生き抜いてほしいと願っています。」社会に大きな課題を突きつける事件が相次いだ2009年。来年は、いくつこの課題がなくなっているでしょうか。

2009年の総括「選挙」

12月18日の琉球朝日放送で、2009年の総括「選挙」が報じられましたので、お伝えします。政権交代によって琉球の自治が実現するのではなく、あくまで、琉球人の一人ひとりが自治の担い手であるということを、現在の民主党の迷走をみると、改めて思います。




ことし1年の出来事を振り返るシリーズ「激動沖縄2009」1回目のきょうは、「夏の衆院選」についてです。民主党が圧勝、自民党が政権を失った夏の総選挙。日本にとって歴史的な出来事を振り返ります。

7月20日 河野洋平衆議院議長「衆議院を解散する」8月18日下地幹郎さん「政権交代をして新しい政治の形が、新しい政策の提案をしない限り、この社会は明るくならない。何が何でも政権交代を行いましょう」

嘉数知賢さん「わが国の浮沈をかける選挙になりました。私ども自民党、公明党がこれまで10年間、しっかりわが国を支えてまいりました。その10年間の評価をあらためて国民に問う」戦後この方、この国の政治を司ってきた自民党政権に対し、「政権交代」を掲げた民主党を中心とする野党が挑んだ今年の衆議院総選挙。

政権の長期化が政策に行き詰まりみせ、貧困と格差社会という閉塞感の中で、国民が「政権選択」という言葉をより身近なものとして実感した選挙でした。沖縄の4つの選挙区に自前候補を立てた自民党。野党の民主党は3区と4区に独自候補を立て、野党間協力で自民党と対抗しました。

8月26日 小沢一郎民主党代表代行「4選挙区、沖縄県全部、衆議院議員として国会に送ってください」

「政権交代」という勢いに乗る民主党は党の顔、小沢代表代行が沖縄の全選挙区を回り、政権交代を印象付けました。対する自民党は、大物議員自体さえ危ない選挙とあって、いつもの応援風景は見られず、政権交代の嵐に飲み込まれていったのです。

8月30日 玉城デニーさん「自民党政治に対して政権に対して、もうこれ以上、国を任せることが出来ないという本当の意味での政治への目覚めといいますか、不満のマグマが噴出したんじゃないかなと思うんですね」

嘉数知賢さん「訳の分からんといった方がいいのか、風の吹き方が猛烈な台風となって私どもに襲い掛かってきた。それに吹き飛ばされた」かくして、自民党は沖縄における衆議院の議席をすべて失ってしまったのです。

12月17日 翁長政俊幹事長「信頼度というものが失われて、今回の衆議院選挙での大敗につながって、自民党が国政の政権の座から落ちたということになってしまいました。残念の一言に尽きると思っています」

9月15日 玉城デニーさん、照屋寛徳さん、下地幹郎さん国会へ登院。瑞慶覧長敏さん「相当な責任を負っていますので、その責任感、重みを感じますね」また九州比例区で議席を守った共産党の赤嶺政賢さんは、雇用や社会保障の充実に取り組む決意を新たにしました。

新政権が発足して3か月。県内の政党の評価は分かれます。12月17日 新垣安弘民主党県連幹事長「民主党政権になって特に基地問題に関しては沖縄の立場に立って、しっかりと対米交渉をしていく政府がようやく誕生した」

新里米吉社民党県連書記長「長い間、自民党中心の政権が続いて政官業の癒着構造ができておりましたが、それを断ち切っていくという意味でも非常にいい効果が出ている」しかし、沖縄の基地問題で迷走を続ける新政権に、自民党は厳しい見方をしています。また来年は参議院選挙と知事選挙が控えています。新政権に対する今後の国民の評価がどう表れて行くのかも注目されます。


翁長政俊自民党県連幹事長「マニュフェストに書いて国民と約束したことが実行できていない。そういう意味では国民の支持がこれからもっと鳩山政権の政権運営に厳しい目が向けられていきますので、支持率も厳しいものになってくるのではないかな」

新しい政治の誕生を期待された鳩山政権。その期待を裏切らない政治の確立に向けた新政権と沖縄選出の議員の力が、今、試されています。

国民が望んだ政権交代。誕生から4ヶ月、新政権への厳しい声が聞こえる中で私達が求めた変化を新政権がどう実現させるのか目が離せません。

仲井真知事の公約は実現されたか?

12月8日の琉球朝日放送で仲井真知事の公約について報じていますので、お伝えします。
失業率の半減、観光客の1000万達成等、「経済通」として選ばれた仲井真知事でしたが、現実は、その公約を実現するにはいたっていません。下の報道では、IT関係の企業が琉球に多く進出したとしていますが、従業員の大半はコールセンターです。コールセンターの労働者は大半が女性であり、低賃金、不安定、重労働の中で働いています。

このような過酷な労働実態を含めた、現在の琉球の従属状況を分析した論文「辺境・琉球の経済学―開発現場の声から考える」を
藤原書店から近刊される予定の西川先生論文集に寄稿しました。



あさってで就任から丸3年を迎える仲井真知事。普天間基地の3年以内の閉鎖や、失業率の半減を公約に掲げて当選した仲井真知事はこの3年間、沖縄をどう導いてきたのか?これまでの取り組みと公約の達成度を検証します。岸本記者です。

仲井真知事(雨の中での選挙運動)「おはようございまーす!」稲嶺前知事「(仲井真さんは)実力もあるし、体力もあるし、私の方がちょっと女性にモテますけどね〜」稲嶺前知事の後継者として経済界の全面的な支援を受け、革新系の統一候補を破って当選した仲井真知事。

初登庁の際の訓示では、当時7.5%だった失業率を全国並みに引き下げると職員に誓いました。「沖縄にすでにある産業・企業を大事にしながら、失業率の無い世界を目指してみようと」知事が最も力を入れたのは、若者の雇用創出とIT産業の企業誘致。海外でも積極的に活動を展開しました。


県情報産業振興課の職員「沖縄はIT企業の誘致活動を展開していてこの10年間で200企業が県内に事務所を構えた日本国内では最高の数字です」仲井真知事「沖縄でも次の段階へIT関係の事業の拡大していくとね。沖縄の若者達はITに向いていますからね! 」

知事のトップセールスや税制面での優遇もあり、県にはこの10年間で234の県外企業が進出。仲井真県政に入ってからは66のIT企業の誘致に成功していますが世界同時不況の影響もあり県の失業率は再び7%台に戻っています。

帝国データバンク「(県の)優遇措置とかそういう面は悪くない」全国の企業情報を調査するこの会社は、高い失業率は沖縄独自の要因もあると分析します。「本土企業と取引をしているITの会社とかはもっと資格や技術を持ってる人がいれば、もっと採用したいという声をよく聞くんですけど」県も認識する雇用のミスマッチの問題。県内に進出した企業で最大級の雇用を生み出しているグループで話を聞きました。


日本アイ・ビー・エム・スタッフオペレーション 谷中 忠信 社長「IBMグループ全体で1300人くらい(採用者は)沖縄でいると思う。5か所の事業所で」2000年から沖縄に進出している日本IBM。ことし4月に開業したこの事業所では、顧客サービスを中心としたコールセンター業務ではなく、企画書の作成や、商品の見積もりなど、IBMの本社業務を沖縄の社員が担っています。

日本アイ・ビー・エム・スタッフオペレーション 谷中 忠信 社長「ひとつの仕事の契約書を作るところから、その売掛金の回収に至るまでの一貫したサポートをやっている部門です」「今、ここが無くなったら、IBMグループは大変、動かなくなります。」

社員「営業社員の歩合給の部分があるが、その支払いに関する部分ですとか、評価に関わる部分を担当しています」多様化する業務内容。研修はほぼ毎日社内で行われてますが、必要なスキルを持った人材の育成にはやはり半年から一年はかかるといいます。

日本アイ・ビー・エム・スタッフオペレーション 谷中 忠信 社長「全部が全部、出張で東京に行って勉強できないからいくつも電話会議室を作って」「いろんな教育を1日中電話でやったり、かなりやっている」谷中社長も人材の確保と育成を課題に挙げました。「ことし250人採用して、来年もまたこの勢いは続くと思う」「優秀な人材を集めていくために」「県としても、市としても後押ししてもらうともうちょっと人を集めやすいのかなと」


また、知事が1000万人を目指している入域観光客数も昨年度は593万人と過去最高を記録したものの目標には届かず。今年度は10月までで342万人と前年比を5%下回り24年ぶりに減少に転じる可能性が高くなっています。そして、今も変わらぬ、アメリカ軍機の騒音や墜落の危険性。

仲井真知事「3年で閉鎖状態を実現するように努めたい。現行のV字案は認めない」「可能な限り沖合へ出すことが必要」就任後、こう繰り返していた仲井真知事は、9月の政権交代とその後の世論の盛り上がりを受け、県内移設容認の発言を抑えています。仲井真知事「県民はこう県外への要求が非常に高まっていると申し上げた」就任後、劇的に変化した政治・経済環境。

仲井真知事は、残りの任期一年も難しい県政のかじ取りを余儀なくされそうです。仲井真知事「現在は、掲げました公約の実現に向けて残る任期に全力を尽くす決意でございます」

アイヌの美

昨日、京都の三条にある京都文化会館で開催されている「アイヌの美」展示会を見に行きました。大東文化大学の苑原先生が展示会を教えてくださいました。

アイヌの生活用品や絵が展示されるとともに、アイヌ語教育等の現在のアイヌの生活をビデオで紹介していました。自然の恵みを活用して、衣服、装身具をつくり、カムイとともに生活をしていたアイヌの生活の豊かさ、美しさを知り、感じることができました。

感性が豊かで、たくましく、神を畏敬する民族であると改めて思いました。

学生のころ、レラチセというアイヌ料理店でアイヌ料理を食べたり、アイヌの言葉や踊りを学んだり、集会に参加しました。琉球人としてアイヌから多くのことをこれからも学び、ともに協力して自決権を回復していけたらと思います。




世界無形文化遺産登録記念 平成21年度アイヌ工芸品展
 ロシア民族学博物館・オムスク造形美術館所蔵

【世界が注目】江戸時代の終わり頃から、アイヌ文化はロシアやヨーロッパ各国の注目を集め、明治時代になると、多くの研究者や収集者が北海道を訪れ、アイヌの人たちから民具や工芸品を求めました。現在、それらは、ロシアをはじめとする欧米の博物館や美術館に収蔵されています。

【美に触れる】本展は、アイヌの人たちが創造した「美」に焦点をあて、ロシア連邦サンクト・ペテルブルク市にあるロシア民族学博物館が所蔵するアイヌ民族資料約2600点のなかから215点を借用して公開するものです。これらの資料は、1912年から13年にかけて、北海道平取やサハリンで収集されたもので、収集年、収集地が判明している貴重な資料です。

【日本で初公開】また、ロシア連邦オムスク市にあるオムスク造形美術館が所蔵するアイヌ絵12点を公開します。本資料は、江戸時代の終わり頃から明治のはじめにかけて活躍した絵師・平沢屏山の作品で、近年、その所在が明らかになったものです。同時代に、蝦夷地(北海道)の箱館、日高、十勝に住み、アイヌの生活を描いた屏山の12点を、日本ではじめて公開します。




会期 [4階特別展示室]
2009年11月23日(月・祝)-2010年1月11日(月・祝)
月曜日休館(祝日は開館、翌日休館)
年末年始の休館(12月28日-1月4日)

開室時間
10時-18時 *毎週金曜日は19時30分まで夜間開室しています。
(入場はそれぞれ閉室の30分前まで)

主催
京都府、京都文化博物館、財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構、京都新聞社

後援
国土交通省、文化庁、北海道、北海道教育委員会、社団法人北海道アイヌ協会、京都市、京都府教育委員会、京都市教育委員会、京都商工会議所、京都府観光連盟、京都市観光協会、歴史街道推進協議会、NHK京都放送局、KBS京都、エフエム京都

出展協力
ロシア民族学博物館、オムスク造形美術館

入場料 ※常設展もご覧いただけます
   当日 前売り・団体(20名以上)
一般 1000円 800円
大高生 700円 500円
中小生 400円 300円
*主な前売券の発売所 : チケットぴあ(688-870)、ローソンチケット(53055)、セブンイレブンほか京阪神主要プレイガイドで販売


展示構成プロローグ 神々とアイヌの関わり
I まかなう カムイの恵み
II まとう  カムイの装い
III いのる  カムイと語る
特別陳列 「平沢屏山~描かれたアイヌの世界」

関連行事
 ぶんぱく子ども教室事業
 「ムックリ(楽器)を作ってみんなで鳴らしてみよう!」日時
1月9日(土)1回目:午前10時30分-正午 2回目:午後2時-午後3時30分
会場
別館ホール
申し込み
各回親子20組(小中学生対象)、12月25日消印有効、応募多数抽選。往復はがきに希望回、住所、参加者氏名、年齢、電話番号を明記。当館「ムックリづくり」係まで。返信用に住所・氏名をお忘れなく。

関連行事
 アイヌ文化フェステバル日時
11月23日(月・祝)午後1時-午後4時(開場は正午)
会場
別館ホール 入場無料 自由参加(随時、入場ください)

催事
1.講演(午後1時10分-)講師/佐々木利和(国立民族学博物館教授)
2.口承文芸(午後2時10分-)講師/木幡サチ子(平取町二風谷アイヌ語教室講師)
3.トンコリ演奏(午後2時40分-)星野工(東京アイヌ協会会長)・居壁太(東京アイヌ協会会員)
4.アイヌ古式舞踊(午後3時10分-) 鵡川アイヌ文化伝承保存会
その他別館ホール内で「アイヌ文化紹介パネル展示」、「アイヌ工芸品展示」、「伝統工芸の実演」を行います。

関連行事
 記念写真展「gen 掛川源一郎が見た戦後北海道」日時
11月25日(水)-12月2日(水) 午前10時-午後6時(入場は午後5時30分まで)
会場
5階展示室 入場無料
協力
北海道文学館、掛川源一郎写真委員会、財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構

ギャラリートーク(当館学芸員による)日時
12月4日(金)・12月18日(金)・1月8日(金)の各日午後6時から約30分
場所
展示室内にて
※事前申し込み不要、当日の入場者に限ります。

普天間基地返還合意から14年、動かない基地

昨年12月2日の琉球朝日放送が、普天間基地返還問題について報じていますので、お伝えします。2001年、2003年ごろまでに返還される予定でしたが、米国の都合で、辺野古への新基地建設とセットとされ、今に至るまで、普天間基地は存在し続けています。大国の横暴によって琉球が振り回されていることが分かります。



普天間基地の返還と県内移設を決めた1996年の日米特別行動委員会、SACOの合意からきょうで丸13年を迎えます。しかし、普天間基地の危険性は今も放置されたままで、その普天間の名護市辺野古への移設は、アメリカ軍再編の中でいつの間にか本島中南部の基地の返還の条件とされ、アメリカ側の交渉のカードとして使われています。本来は、周辺住民の危険性を無くすための普天間の移設が、アメリカとの交渉の中で歪められていった経緯について岸本記者の報告です。

ゲーツ国防長官「アメリカ政府の方針ははっきりしている」「普天間基地の辺野古への移設が実現しなければ、 グアムへの海兵隊の移転も無い」鳩山新政権の誕生後、日本を訪問し、こう釘を刺したゲーツ国防長官。

橋本総理 (96年4月)「普天間基地は・・5年ないし7年以内に返還されます」今から13年前、普天間基地の返還を電撃的に発表した橋本総理。これは、その前年、アメリカ兵3人が起こした少女暴行事件とその後の「反基地」の県民世論の高まりをきっかけに発表されました

そして、その年の12月に開かれた日米特別合同委員会。県内11のアメリカ軍施設の返還が合意されましたが、その中身は普天間基地を含めてほとんどの施設は県内移設を条件としたものでした。

1999年12月27日 岸本名護市長が基地受け入れを表明。岸本名護市長「普天間飛行場の代替施設の受け入れについてこれを容認することを表明いたします。」そして99年、名護市の岸本市長が、普天間の替わりの施設の受け入れを正式に表明。日本政府は、基地を受け入れた見返りに10年間で1000億円という北部振興策を投入し、辺野古の沖合2キロの海上で基地建設を進めようとしますが、抗議行動で計画は頓挫。


こう着状態が続く中、2004年に宜野湾市の大学に普天間基地所属のヘリが墜落。日本政府は、すでに検討を進めていたアメリカ軍再編の中に普天間の移設問題を取りこみ、今度は、辺野古沿岸部への基地建設を本島中南部の基地の返還の条件としたのです。

自公政権が、辺野古への基地建設計画を着々と進める中ことし9月に起きた政権交代。民主党は「県外・国外の道を模索中ですが、この問題についてまだ明確な方針を示せていません。

仲井真知事「県民は県外移設への声が高まっていると申し上げた」「鳩山総理は日米ワーキングチームの交渉の結果を見て判断したいと言っていた」


一方で、辺野古での基地建設にこだわり続けるアメリカ。ルース駐日大使「辺野古移設計画が、最も優れた唯一実現可能なプランだ。」仲井真知事「日米ワーキングチームの結論はいつごろ出るのか?」ルース駐日大使「出来るだけ早くだ。」

本来は、周辺住民の危険性の除去が最大の目的だった普天間基地の返還がアメリカ軍の再編に組み込まれたために、辺野古に移設しなければ、別の地域の負担軽減が進まない今の計画。新政権は、この複雑なパズルを前提に議論するのではなく、まず原点に返って、危険な普天間基地の返還を最優先にすべきです。

靖国神社合祀反対者の声

09年12月1日の琉球朝日放送で靖国神社合祀反対者の声が報じられていましたので、お伝えします。平安座島のゆいまーるの集いに参加されていた金城さんも出ておられます。無理やり、一つの宗教法人の「神」にされるのは、おかしいことだと思います。金城さんが、実家を我々に案内してくださいましたが、その家、集落が、金城さんの話とともに思い出されます。




家族の名前を、何が何でも霊璽簿から外してほしいと主張する5人の原告が、一体何を証言したのか。今日の裁判で一人35分に凝縮した思いを3人の方に、事前に伺いました。

Q靖国に祭られているのは? 安谷屋さん「私の父と母と姉と弟の4人です」Q6歳だとあまり記憶がないですね。安谷屋さん「いえ、どういうわけか、学校の学問は覚えきれませんけど、戦争のことは隅々まで覚えているつもりです」

当時6歳だった安谷屋さんは、親族15人で南部をさまよううち大人たちがやられ、子どもだけ5人で逃げ延びた経験があります。あまりに悲惨な記憶を封印したかったのか、全く忘れたつもりでしたが、裁判で過去に向き合う決心をしたころから記憶が鮮明によみがえったそうです。中でも一番の衝撃は、母の死でした。

安谷屋さん「だんだんもう、帰ってこないという悲しみがこみ上げてきて残った兄弟が一人泣きだし、一人泣きだし合唱のようになってしまいました」

「何日か経ってそこに一人の顎をなくなった兵隊が現れたんです。人間は負傷すると水をほしがるらしいんです。水を汲むための飯盒を持っていましたけれども飯盒を持って私たちの前を行ったり来たりしていましたけれども、来た道を戻っていなくなりました。」

「あれが皇軍です。勇ましく出てきた人がこういう結果になるんです。そういうことを、」「もう、家族が見たら気が狂っちゃうんじゃないですか」


その後、孤児院に入った安谷屋さんは、毎日トラックで運ばれてくる敗残兵をみました。子供たちは道端に並んで万歳をしたそうです。

安谷屋さん「その僕たちの騒ぎにこたえて、その次から次から来るトラックも、前からの騒ぎを見て万歳万歳いったんですね」

そんな悲しい光景と、戦争を美化する靖国の思想は矛盾しており、犠牲になった家族までもが「英霊」として祀られることは耐えがたいと主張しました。

Qゴールは名簿から家族の名前が消えることですか? 安谷屋さん「そうです。そうすることによって崩れます。崩れていきます。靖国は骨抜きになっていきます」

靖国神社は、明治天皇の意思で国家機関として創建されましたが、戦後、一宗教法人になってからも、旧厚生省の名簿をもとに遺族の承諾なしに戦没者を英霊として祀り続けています。その結果、沖縄戦で犠牲になった6万人近くの非戦闘員も戦争に協力したとして祭られていますが、この事実はあまり知られていません。


慰霊の日は毎年、魂魄の塔を訪れる崎原盛秀さん。戦場で亡くなった母の存在をここに感じています。

崎原さん「沖縄の人たちがね、一番初めにね、散乱する遺骨を集めて祀ったのがここですからね、やはり沖縄の人たちの精神、心の支えという風になってますからね」

「靖国っていうのは亡くなった人たちを追悼する場なんだと思ってる。追悼じゃないんです。顕彰する場なんです。国体や天皇のために自ら進んで死んでいった、その心意気をたたえているんです。これはもいう、まったく逆なんです。」

崎原さんの母親が靖国に祭られていると知ったのは数年前。確認の書類を見て愕然としました。

崎原さん「崎原ウトの命、ミコトとあるんですね。何が命なんだと思いましたけどね。そして下のほうには「陸軍軍属」カッコ書きで無給と書かれています。」「しかも所属部隊は、第32軍と書かれているんです」

軍の作業を手伝ったこともない母が、32軍の軍属としてともに戦った形にされている。これが、単なる補償金と違う「援護法」のからくりなのです。


崎原さん「とにかく神様にはされたくない。靖国の神様にはされたくないその思いです。少なくとも私の家族は取り下げてくださいというのが最初の思いです。

浜比嘉島から19歳で陸軍の志願兵になった金城盛松さんは、22歳の若さで戦死しました。聡明だった盛松さんは、たった一人の息子に「日本人として立派な教育を受けさせてほしい」と戦場からはがきを送っていました。一人息子の実さんは、顔もしらない父の言葉、立派な日本人になることについて、ずっと考えてきました。


金城実さん「立派なニホンジンとして認めてほしい。認められたい。そのためには天皇中心で、愛国心に燃えてニホンジンの誰よりも日本人であることを証明するために、オヤジは命をささげていくという、オヤジの時代が持っていた理想というのは、裏切られたと」

金城実さん「大きなだまし役をした大きな柱の一つに靖国神社がある。だから靖国神社に対して、靖国とは何なのかオヤジにとって何だったのか。だまされたままあの世に行ってしまった親父。それに代わって息子は当然:当然整理しなければならないと思っているわけで、その整理の仕方が靖国裁判ということなんですよ。」

立派な父だったと、聴いて育った実少年は、ある時おなじ浜比嘉の人に父親が揶揄されていることを知ります。「島の人を戦争に駆り立てるよう、指導していたのはお前のおやじだった」と。

金城実さん「彼らにとってオヤジは加害者だった。オヤジにだまされたと。オヤジはまた、靖国にだまされ愛国心や立派な日本人として、差別から解放されるんだという仕組みが破たんしてしまったということに気がつくんですね」

このほか、母と兄を靖国の名簿から外してほしい申し出て、過去に2回断られている川端さん。ひめゆり学徒として動員された姉は被害者であるはずなのにほめたたえられていることは耐えがたいと主張する中里さん。5人の原告の見た「沖縄戦の実相」は、靖国の思想に切り込むことができるのか。判決は来年2月以降とみられています。

日米地位協定の問題性ー読谷村の米軍人ひき逃げ事件

11月17日の琉球朝日放送が、読谷村における米軍人ひき逃げ事件から日米地位協定の問題性について報じていますので、お伝えします。




Qリポートです。読谷村で男性がひき逃げされ死亡した事件から、10日が経ちました。男性をはねた車を修理工場に持ち込み、事件当日に現場付近を運転していたことも認めているアメリカ兵は、現在読谷村の基地内にいて、ここ数日は任意の事情聴取にも応じていません。こうした事件のたびに問題視されてきた日米地位協定問題を考えます。久田記者の報告です。

今月7日、読谷補助飛行場跡地の外周道路わきで、村内に住む、外間政和さんが、遺体で見つかりました。早朝のウォーキングが日課だったという状況から、遺体はおよそ半日の間、現場に放置されていたと見られています。そして、遺体発見の数時間前、隣の嘉手納町の修理工場に、事故を起こしたとみられるアメリカ軍関係者の車両が持ち込まれていたことが分かりました。

県警は、修理工場に預けられた車に、外間さんの血痕があることを確認。事故から3日後には、現場近くに住む27歳のアメリカ陸軍兵の自宅を捜索するなど、一気に捜査を進めました。


新垣修幸 村議「去年の9月21日にもですね、飲酒運転で」「住宅のブロックを壊し、隣の門扉を壊してですね」「幸いにしてあの時は、物損事故だけで済ましたわけですが、今回は尊い村民の命が失われたと」村は事件への抗議決議と意見書を可決し、強い抗議の意思を示しました。

アメリカ軍側は、事故を起こした車を修理に出した陸軍兵が、事件当日の運転も認めたと発表。しかし県警は、まだ容疑者ではなく、「事件の関係者」という立場です。

同様の事例は過去にも… 23歳のアメリカ海兵隊員が、酒を飲んで車を運転し、ミニバイクに乗った女子高生を跳ねて、そのまま逃走したというものです。この事件では、当時18歳の女子高生が死亡。海兵隊員は事故直後に基地のゲートで身柄を確保されましたが、県警への身柄引き渡しは、起訴後になりました。

今年4月、那覇市で3人が重傷を負ったひき逃げ事件も、飲酒運転の海兵隊員によるものでした。基地内に逃げ帰った海兵隊員は、この時も起訴後に身柄が引渡され、飲酒運転の供述がありながら、立証ができない結果となりました。そして今回の事件では、これまでにない動きも見られます。


陸軍兵の弁護人「取調べの全過程をテープにとってくれと申しいれをいたしました」「もしそれができないのであれば取調べの過程で米軍の保安官の立会いをさせ取調べの任意性の担保をしてくれと」

通訳の正確性に対する不安や、事情を聞いた取調べ官が文章を作る、日本式の調書に対する不信感があるとして、取調べの全面可視化を求めたのです。そして、今月14日以降は、任意の事情聴取を拒否。県警は、逮捕状を取るか、書類送検かの選択を迫られています。


新垣勉弁護士「拘禁施設に被疑者が拘束されている状態ではなくて、普通の生活をしながら、一定の行動範囲を制限されているという状況にあるのではないかと」「果たして証拠隠滅の恐れを回避できるのかどうか、少し心配な点がありますね」地位協定に詳しい新垣勉弁護士は、アメリカ軍人・軍属の地位を定める、日米地位協定が、こうした理不尽を許しているとかねてから指摘しています。「日本の司法が遅れているから、米軍側に、身柄引き渡しを拒絶する特権を保証して、なんとかバランスをとろうとしている。しかしそのバランスの取り方そのものに基本的な問題があると」

久田記者に聞きます。日本の司法が遅れている、という言葉がありあましが。

「それは、日本の司法制度の下では、警察の留置場での長期間の勾留や、密室の取調べといった捜査手法が、アメリカから見ると遅れている、ということですね。どちらも、自白を強制される危険があるということで、受け入れられない、という理由があるようなんです。きょうも、渦中の陸軍兵は、ビデオ録画しない事情聴取には応じないという姿勢を崩していません。」

日本の司法制度自体が信用されていないんですね。しかしこのままでは真相解明に支障があるわけで、被害者や遺族が取り残されてしまいますよね。

「はい、身柄を確保できないことで、証拠隠滅や逃亡の恐れを指摘する声が多いのは事実で、実際にアメリカ本国に逃亡された例もあります。取材した新垣弁護士は、これを解決するには、地位協定のゆがみを直すしかない、という見解でした。」

新垣勉弁護士「だから捜査については、日本側がイニシアチブ(主導権)を取ってやる。」「ただ、被疑者の権利をきちっと守るために、地位協定で、アメリカ憲法に基づいた被疑者の権利をきちっと保障する。」「日本側がやるべきことが、きちっとできれば、身柄引き渡しを拒絶する特権を廃止しろ、ということが強く言えるわけですね」

つまり、取調べの可視化と、警察署での長期勾留、いわゆる代用監獄問題を解消し、起訴前の身柄引き渡しを要求しよう、という考え方ですね。身柄引き渡しの拒否という特権を与えるよりも、アメリカの人権意識にあわせて日本の司法制度を対応させる、という前向きな提案だと思います。

これを、軍人軍属に限る対応として地位協定改定でやるのか、全般的な捜査手法改革として進めるのか、どちらにしても、手を打つべき問題だと思います。

自治と自立を求める様々な声ー国なき民族の現在 4

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ロタさんがカチャーシーを踊っています。またどこかでお会いし、先住民族が抱える問題について話し合いたいと思います。

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ロタさんのお友達も踊りました。前日のパーティで、ナガランドの問題を支援している理由などについて聞きました。
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竹尾先生の踊りは大変たのしかったです。13年前の私の結婚式でも八重山の民謡をサンシンで歌ってくださいました。
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琉球の縄文的側面について熱く語ってくれた青年です。東京の中で、琉球を心から考えて生きている青年をみて、心強く思いました。
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壁中に琉球関連の写真や張り紙があり、琉球を考える拠点として、どったっちが存在していることがわかります。
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今年は、「在京琉球大使館」「琉球館」という、看板を掲げたいと、仰っていました。その名に値するような、役割を、どったっちは果たしていると思います。

自治と自立を求める様々な声ー国なき民族の現在 3

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どぅーたっちでカーチャーシーが始まりました。ティサージを手渡された人がそれぞれ踊るということになり、座っている人々全員がティサージを手にとって踊りました。松浦さん、竹尾先生、孫先生が踊っています。

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金星さんと山之内さんが話されています。山之内さんは今回、同時通訳者として大変お世話になりました。長年、カナダに住んでおり、先住民族が抱える諸問題もご存じであり、色々とお話を伺いました。

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太田さんとエスニックコンサートを一緒にされている方です。私も東京にいたころ、何回かエスニックコンサートに行ったことがあります。

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山之内さんに紹介してもらった、琉球出身の青年、森さんです。日本の中に住みながら、多くのことを学んでほしいと思います。
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金星さんのコンサートが始まります。ここは日本ですが、どぅたっちの中は琉球そのものであり、島で金星さんの唄を聞いているような気持ちになりました。
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2009年の師走に、島の唄を聞ける幸せを感謝しました。

自治と自立を求める様々な声ー国なき民族の現在 2

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竹尾先生です。琉球、台湾の文化、環境、先住民族運動の研究をされています。私が大学院生のころからお世話になり、刺激を受けてきました。西表島ではシチ祭に学生を20年以上も連れて、祭の準備に参加させています。先生の教え子の中にも島に移住した人がおります。

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松浦さんの発表に対して、明学のナギザデ先生がコメントをしているところです。松浦さんが見せてくれた、化学兵器によってクルド人が虐殺された映像は今でも目に焼き付いています。また、クルド人が自治権を獲得するために活動している様子も大変、印象的でした。

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午後は、明学の孫先生が「国際法から見た少数民族の自治権、自決権」の報告をされました。コメントは大東文化大学の苑原先生、私、松浦さん、ロタさんでした。孫先生とは、明学の勝俣先生のお宅でお会いして以来で、大変、懐かしく、また、ご報告からも多くを学びました。苑原先生は、私が東京でアイヌ民族をはじめとする先住民族支援の活動をしていたころ、お世話になりました。国際法上から琉球の地位、自治、歴史的経過を説明、議論する必要があることを改めて考えました。

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明学でのシンポのあと、打ち上げとして、駒込にある「どーたっち」に行きました。太田さん、島袋さんがつくってくれたおいしい料理と、お酒を楽しみました。東京には琉球関係の物産販売店はほかにもありますが、琉球の思想を踏まえた場所は、この、どーたっちしかありません。多くの人が集い、ともに交流し、議論しあうアジールであると思います。
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どーたっちには、ロタさんとその仲間も参加されました。その時、会場には、インドにおいて、ナガランドに対する抑圧に反対するデモに参加された方がおり、ロタさんと固い握手をされました。本当に、いちゃりばちょーでー、だなと思いました。

自治と自立を求める様々な声ー国なき民族の現在 1

昨年12月5日から6日まで、明治学院大学白金校舎におきまして、同大学の国際平和研究所主催の国際シンポジウム「自治と自立を求める様々な声ー国なき民族の現在」が開催されました。私も参加し、発表し、議論をしましたので、ご紹介します。研究所所長の竹尾先生、助手の木村様、学生スタッフの皆様、大変お世話になりました。心よりお礼申し上げます。

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私が報告した後に、石垣金生さんが、お話をされました。西表島に生活する者の視点から琉球の自治、自立について
、深い、心に残るお話をされました。
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続いて、ナガランドのロタさんがご報告されました。ナガランドとは、インドとビルマにかけて暮らす先住民族です。60年以上も、独立を求めて闘ってきています。闘争の過程、現状、国際法を活用した活動等について話を伺いました。ロタさんとは懇親会でも親しく話をさせていただきました。ナガランドが非常に身近に感じました。

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写真家の松浦さんがクルドについて話をされました。約3千万人のクルド人は中東各国に住んでおり、各国から抑圧、虐殺、差別の対象になってきたことが、映像、写真によってわかりました。ナガランド、クルドが琉球と多くの共通点をもっており、互いに学びあえる存在であることも実感しました。

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クルド民族がすむ、トルコ、シリア、イラン、イラク等の地図です。国を持たない民族が国という人工物によっていかに抑圧されてきたのか、また、国境をもたない自由な生き方からも大きな示唆をもらいました。

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