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プロフィール

Yasukatsu Matsushima

Author:Yasukatsu Matsushima
1963年琉球石垣島生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。

その後、東京、グアム、パラオ、沖縄島、静岡、京都、滋賀にて学び、働き、生活する。

著書に『沖縄島嶼経済史―12世紀から現在まで』藤原書店、2002年
『琉球の「自治」』藤原書店、2006年
『島嶼沖縄の内発的発展―経済・社会・文化』(編著)藤原書店、2010年、
『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』早稲田大学出版部、2007年
『琉球独立への道』法律文化社、2012年
『琉球独立論ー琉球民族のマニフェスト』バジリコ、2014年
『琉球独立ー御真人の疑問にお答えします』Ryukyu企画、2014年
『琉球独立宣言ー実現可能な5つの方法』講談社文庫、2015年
『民際学の展開ー方法論・人権・地域・環境の視座から』(編著)晃洋書房、2012年
『琉球列島の環境問題ー「復帰」40年・持続可能なシマ社会へ』(編著)高文研、2012年
『3・11以後何が変わらないのか』(共著)岩波書店、2013年
『島嶼経済とコモンズ』(編著)晃洋書房、2015年
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与論の方からのコメント、徳之島の反基地運動

与論の方からうれしいコメントが届きました。


おはようございます。
宮古島のオトーリで仲間意識を・・・・。 私の島、与論島でも似たような飲み方があり、与論献奉と呼ばれています。
 地方自治の理念について読ませていただいて、書き込みしました。
郷土研究に興味があるので、沖縄北部との交流を楽しみにしていますが、宮古の芸能などにももっと触れる機会を期待しています。

ご活躍の姿を時々拝見させていたただいて、エネルギーにしています。
 これからも宜しくお願いします。


沖縄島北部と奄美諸島とは文化的にも近く、船便も本部半島との間にあり、島々のつながりはこれからさらに強くなればと願っています。いつか与論島でもゆいまーるの集いをさせていただき、献奉をしてみたいです。

次に南海日日新聞の5月23日の記事で徳之島の激しい反基地運動についての報道があります。島々の声を無視して、これを押しつぶすために、上から米国との協議を優先させた鳩山政権は、本当に日本国民の政府なのかと大変疑問をもっています。自国民よりも、他国の立場を優先して、自国民を抑圧する、亡国的政権であると思います。琉球弧に住む人々を同じ国民と思っていないのか。これは明確な差別です。




米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題をめぐり、徳之島3町で22日、一斉に住民に対する報告会が行われ、3町長が今月7日の鳩山由紀夫首相ら政府首脳との会談内容や今後の対応方針を語った。3町長は「断固反対という民意を訴え続ける」と話し、結束して基地移設反対の姿勢を貫く考えを強調した。

参加住民は計2100人。規模の違いもあり会場別の参加者数にはばらつきがあったが、天城、伊仙両町は満席だったのに対し、徳之島町は半分の入り。町長の姿勢を疑問視する意見が出される会場もあり、微妙な温度差が見られた。
          ◇
  伊仙町の報告会は「米軍基地徳之島移設反対 伊仙町決起集会」(町、町議会など主催)と銘打って午後3時半から、町体育館であり、町民約1200人が参加した。

 常隆之議長が開会のあいさつで「気を緩めることなく最後まで一緒に頑張ろう」と呼び掛けた。大久保明町長は7日にあった首相との会談などこれまでの経緯を報告した上で、「財政状況は厳しく、本当はのどから手が出るほど振興策は欲しい。

しかし、基地を移設すれば、島民は堕落し、利権が絡み対立が生まれる。先人が守ってきた歴史や文化を子や孫のために残すことが大切。依存から自立の町を目指そう。絶対に基地は造らせない」などと訴え、いかなる基地機能の移転にも反対していく考えを示した。

 政府案に徳之島案が盛り込まれた場合について、大久保町長は「3町長と知事と一緒に上京して首相に直接抗議する」と強い決意を示した。

          ◇
 天城町の報告会は午後2時から、B&G海洋センター体育館であり、町民600人が参加した。大久幸助町長は、同問題の昨年11月以降の経過と首相会談の詳細を報告した上で、「鳩山首相はまだ徳之島案をぬぐい去っていない。自衛隊基地を持ってきて、(米軍の基地や訓練を)それにくっつけてくる可能性がある。

何であれ、基地につながるものはだめだ」と、いかなる基地機能の受け入れにも反対していく考えを示した。

 町と町議会の主催で「徳之島への米軍基地移設反対報告会」と銘打ち開かれた。開会あいさつで叶福次郎議長は「アメリカに『徳之島は無理だ』と思わせるような反対運動を展開しよう」とげきを飛ばした。

 大久町長は、最近見る機会があったという普天間飛行場の様子にも触れて「仮りに(基地が)来たら、米軍用の広い住宅や運動場も加わって天城町は無くなってしまうと言っても過言ではない。アメでもって徳之島と交換しようという人がいるが、絶対入れてはならない」と話した。
          ◇
 徳之島町の報告会は午後5時から、町文化会館であり、町民300人が参加した。高岡秀規町長は会談での鳩山首相の「民意が一番大切」との発言を紹介して「反対する所にぜったい持ってこないと確信している」と述べた。また、基地問題と振興策とは切り離して議論すべきだとの考えも示した。

 徳田毅衆院議員の後援会主催で「米軍普天間基地徳之島移設反対・国政報告会」として開かれた。町田喜男議長は「賛成反対に分かれることを危惧している」と述べた上で、「一部の人たちがビジネスとして考える問題ではない」と誘致派の動きに注文を付けた。

 高岡町長は「(基地問題は)沖縄の心を理解した上で、私たちの断固反対という民意を訴えていかなければならない。しっかり冷静に対処しなければならない。首長としてどう対応するか、地域の在り方を決定すると考えて心を戦わせながら取り組む」と話した。

 会場は客席の半分が埋まった程度。終了間際には、聴衆から平野博文官房長官と一部町議との会談を取り持った高岡町長の姿勢を問う声が上がり、それに徳田氏と高岡町長が反論する場面もあった。
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パプアニューギニアと豪州、トンガの海草の日本輸出、マーシャル諸島の信託基金

2004年9月の太平洋諸島ニュースをお伝えします。
豪州は自国の安全保障上、重要と考えているパプアニューギニアに対して、警察官、その他政府職員を派遣して影響力を行使しています。



9/6 PIR
  パプアニューギニアのブーゲンビル島に豪州の警察官が派遣される。

9人の豪州警察官がブーゲンビル島に派遣され、6年前に国際平和監視団により始まった同島における法や秩序回復活動を行う予定である。

パプアニューギニアの無法状態を克服し、警察や他の公共機関の機能を回復するのを支援するために数百万ドルが投下される、「豪州協力強化事業」の下で行われる最初の警察官配備である。

ブーゲンビル問題省のバーター大臣は、全体で19人の警察官が派遣され、すでに同島で活動している50人の警察官とともに平和監視団の活動を行う予定である。



トンガから日本にはカボチャが輸出されていますが、海草も輸出されています。太平洋諸島と日本との経済関係がさらに強化されれと願っています。



9/23 PIR
 トンガ産海草の日本への輸出量が増大している。

トンガの天使の髪と呼ばれる海草の人気が日本で高まっている。今期、同製品を扱っているタングル・ナノ・リムタンガウ社の輸出量は1430トン、輸出額は998,600米ドルにのぼるだろう。

同社のトウジョウ社長は、日本市場のトンガ産海草に対する需要は大きく伸びているが、その理由は、海草の品質が良く、大きな信頼をえていることと、日本における気候不順にあると述べた。

日本において海草は食料としてだけでなく、化粧品、ダイエットのサプリメントの原料として人気がある。



マーシャル諸島に対する米国援助終了後にそなえて信託基金がもうけられえおり、台湾がそれに対しても援助を行っています。


9/24 PIR
  台湾政府がマーシャル諸島の信託基金に4000万ドル提供する。

台湾政府は、マーシャル諸島政府が米国の支援により設けた信託基金に対する主要な資金提供国になるだろう。台湾政府は、今後20年間に4000万ドルの資金を信託基金に投じる予定である。

信託基金は米国との自由連合盟約の一環として設けられた。マーシャル諸島政府が最初に2500万ドル投じ、米国は700万ドル提供した後、2023年までに毎年50万ドル提供する予定である。

台湾は2009年まで毎年100万ドル投じ、その後、2023年までに毎年240万ドル提供する。この信託基金は、米国との自由連合盟約の期間が終了し、米国からの援助金が無くなった後にマーシャル諸島が使用するための基金である。

ゆいまーる琉球の自治in 宮古 12

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宮古島のオトーリが始まりました。ご挨拶をして一気に飲み干し、他のメンバーも泡盛を飲みほしました。島の団結が強くなる淵源にふれたように思いました。自分の思いを述べ、酒を飲み干すことを繰り返すことで、仲間意識が深まります。

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藤原社長より、宮古郷土史研究会会長の下地さんに、藤原書店発行の書物の寄贈式が行われました。同研究会の本棚に大切に保管するとともに、実際に読んでみたいと下地会長が話されました。


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下地さんが今回の集いのまとめの話をされています。下地さんには大変お世話になりました。また宮古島の方々から多面的な方面から島の自治について学びました。宮古島は人と人との関係性が強く、皆で助け合って生活をしてきた島です。トライアスロンでも島人で助け合って続けてきました。島の自治的実践を学び、知恵をいただき、感謝いたします。


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下地さんが小生の本『沖縄島嶼経済史』をもって話されているところです。宮古島の方々に本書を読んでもらうことの幸せを感じております。

画像 072
16日、午前中、NPO法人の総会を開きました。役員の交換、運営方法、互いの役割等について話し合いました。

画像 073
次回の集い開催地として、「伊平屋島」でやらせていただくことが決まりました。
海勢頭さんとも縁の深い島です。

ゆいまーる琉球の自治in 宮古 11

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下地さんのご紹介で、草笛の名人である、親泊さんがご挨拶されました。親泊さんは、草笛だけでなく、けん玉の名人でもあり、さらに書道の達人です。今回の集いの看板も大変素晴らしく書いてくださいました。多くの方のご支援で集いが開かれたことを思い、あらためて感謝しています。


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朝から夕方までの集いが終わり、お互いの意見も交換し、これからさらに突っ込んだ議論や、それぞれの芸の披露を行いました。ゆいまーるの集いはこの交流会のにぎやかさに特徴があります。


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宮古のおいしい料理とお酒を味わいました。初めて食べるものとし、食パンそのものに蜜をかけたものをいただきました。おいしかったです。

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親泊さんが草笛を吹きました。歌謡曲、民謡、童謡、クラシックと何でもふけるそうです。草笛の音色は自然の音がし、また「宮古島の音」を聞いたように思います。その懐かしい音色が今でも耳の奥に残っています。人工的でない、自然そのものの音でした。

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次のお返しとして、新元さんが、腹の底から湧きあがる声で奄美の唄を歌いました。宮古の方も最初は驚いていましたが、本当の人間の魂の声、唄であることが伝わったのか、大変、にこやかに聞いていました。
草笛と、人間の腹の底からの唄が響きあった交流会でした。


ゆいまーる琉球の自治in 宮古 10

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次に一級建築士の伊志嶺さんが人と人とをつなぐ住まいを、土地の風土に根差しながらつくられている話を伺いました。写真によって具体的に事例を、分かりやすく見させていただきました。行政の「無理解」など、さまざまな障害
を乗り越えて、自治的な建築活動をされていると思いました。


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宮川さんは、宮古の文学、民俗学を踏まえたお話をされました。宮川さんは元宮古島市役所の職員ですが、宮古島市の行政の在り方、市町村合併などについても説明してくださいました。

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集いは朝9時半から12時まで行われ、昼食は島弁当を公民館の一室で頂きました。非常に風通しのいい部屋でした。集いは午後も5時まで続き、熱心な議論が展開されました。互いに人が島で生きる知恵を学びあいました。

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集いが終わり、歩いて宿舎にもどりました。途中で、伊志嶺さんが設計された市営団地を歩きました。各部屋で各世帯が分断されるのではなく、つながるような色々な工夫がなされている様を実感しました。同じコンクリートの建物でも、人間味を感じることのできる佇まいであると感じました。

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木の屋根のプロムナードを歩くと、何かに包まれた温かさを感じました。この日は雨曇りでしたが、快晴の日は太陽の光がこのプロムナードの屋根から差し込むのではと想像しました。

ゆいまーる琉球の自治in 宮古 9

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次に根間さんが狩俣集落の生活、歴史、購買店の歩みについて丁寧に話されました。村の自治を自らの手でつくってきた自信にあふれた話しでした。内発的発展の面からも大変、示唆的でした。

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竹尾先生と会場の方々です。

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次に奥濱さんが、狩俣のウヤガーンについて話されました。20年のフィールドワークの成果でした。これまで神秘の祭として考えていたウヤガーンを巡る村の人々の宇宙観、生活を写真を通じて理解することができました。見せない世界を大切に考え、村人との信頼関係を作りながら、調査を丹念に地道に進められてきた奥濱さんの研究者として姿勢が印象的でした。


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岩高さんと会場の方です。昨晩、藤原社長、松下さんとカラオケを歌ったスナックのママさんも来てくれました。

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新元さんが宮古島と自分の島と比較して、自説を語っています。異なる島々の人が集まり、また同じ島でも専門の異なる人が集まり意見を交換することで、多くの発見がありました。多様な島々が触れ合うことの相乗効果であると思います。

ゆいまーる琉球の自治in 宮古 8

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集いは9時半から始まり、私と藤原社長が30分、この会の趣旨について話しました。そのあと、下地さんが宮古の歴史と文化について、歴史家として詳しく話されました。事前にレジュメをつくり、冊子にまとめてくださり、大変、理解しやすかったです。郷土史研究会の皆様にお礼申し上げます。


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ゆいまーるの集いの看板も、宮古島の習字の先生であり、草笛の名人の方が達筆で書いてくださいました。集いに花を添えてくださいました。力強い文字で、集いを引き締める効果があったと思います。

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会場には大勢の方がお越しくださいました。マスコミ、住民、研究会の方々がお越しくださいました。

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左から、新元さん、西浜さん、井上さん。井上さんは今回初めての参加で大阪からこられました。多くのスケッチを書かれていました。

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左から前利さん、斎藤さん、そして宮古テレビの方。当日、地元のテレビでも集いの内容が放映されたそうです。

ゆいまーる琉球の自治in 宮古 7

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宮古郷土史研究会の下地さんです。集いの準備、会場設営等、大変お世話になりました。

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建築家の伊志嶺さんです。
次の日に、人と人とをつなぐ、島の風土にあった住宅を設計している話を伺いました。笑顔が絶えない方で、「太陽のような人」であると言った参加者もいました。

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奄美大島から参加された新元さんです。交流会でも、朗々とした声で、島の唄を歌ってくれました。新元さんの唄を聞いていると、「魂が太ってくる」のを実感します。

お隣は、大阪からこられた牧師さんの、岩高さんです。宮古島でキリスト教教会の集いが今年、開かれるようです。

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根間さんが、瓶サンシンといって、一升瓶をつかって、サンシンのように島唄を歌いました。初めてみる楽器でした。

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根間さんの踊りです。大変うれしそうに踊られていたのが印象的です。

ゆいまーる琉球の自治in 宮古 6

5月16日の宮古新報、宮古毎日新聞がそれぞれ、NPOゆいまーる琉球の自治の集いin宮古について報じておりますので、お伝えします。記者の方々にお礼申し上げます。



「ゆいまーる琉球の自治の集いin宮古」 (主催・NPO法人ゆいまーる琉球の自治) が15日、 宮古島市中央公民館研修室で行われた。 宮古の歴史と文化や集落の祭祀に見る自然観などの報告があり、 参加者が活発な意見を交わした。

 主催者あいさつで松島泰勝代表は 「きょう復帰して38年目を迎える。 米軍普天間基地移設問題に日本中が注目するなかで、 なぜ宮古島で開催するのかという声があるが、 基地のない宮古島で5・15を考えたい。 1994年の米兵による少女暴行事件後、

政府は振興計画でお金をばらまき、 基地依存のまやかしで地域が衰退している。 宮古島の地域では人々が頭と体、 団結で自治をつくっており、 人々の 『ゆいまーる』 が地域自治に大きな意味を持っている。 宮古島の方々から自治を学びたい」 と述べた。
 
下地和宏さん (宮古郷土史研究会長) が、 「宮古の歴史と文化」 をテーマに▽南方系文化の先史時代▽婆羅公 (ばらくん) 管下蜜牙古人▽与那覇勢頭豊見親の中山朝貢▽仲宗根豊見親の中山服属▽薩摩藩、 琉球を侵略▽琉球処分―沖縄県の設置▽戦争への道▽戦後▽宮古人気質▽宮古のアイデンティティー―を報告した。

 戦後では 「宮古民政府文教部が公募した新宮古建設の歌 (1947年8月) が社会に明るい希望と勇気を与える。 四群島政府 (1950年9月~52年3月) には奄美、 沖縄、 宮古、 八重山に四群島知事が誕生した。 その後琉球政府となり、 祖国復帰運動が起きた」 と説明。

また 「下地島パイロット訓練飛行場の誘致 (1979年7月) では 『屋良覚書』 が交わされ下地島空港が開港した。 民間空港以外の使用を認めないと当時の琉球政府と国が交わした 『屋良覚書』 が今、 重要となっている」 と述べた。

 このほか根間義雄さん (元狩俣自治会長) 「購買店を通した狩俣自治会」、 奥濱幸子さん (女性史研究家) 「宮古島・狩俣の山 (杜) の話と森の話~集落 (シマ) の祭祀に見る自然観と宮古島土地本来の森づくり~」、 伊志嶺敏子さん (建築家) 「関係性を育む空間・という環境―もう一つの南島型住宅」、 宮川耕次さん (文芸研究) 「孤島文化論とその後」 の報告が行われた。

 会場には市民らも参加し、 報告や意見交換に耳を傾けるとともに 「琉球の自治」 について考えた。



地域の自然、文化を生かした地域おこしや自治の在り方を考える「ゆいまーる琉球の自治の集いin宮古」(主催・ゆいまーる琉球の自治、共催・宮古郷土史研究会)が15日、市中央公民館で開かれた。この日は38年前に沖縄が本土復帰した日。地元の5人がそれぞれの立場から報告した。多数の市民が熱心に聞き入っていた。
 
 このうち郷土史研究会の下地和宏さんは「宮古の歴史と文化」と題して報告。この中で琉球政府時代の1969年、伊良部で下地島パイロット訓練飛行場の誘致賛否をめぐって激しい対立があったことを説明。

 その上で「本土復帰7年後の1979年7月、下地島空港は開港した。復帰前の71年、日本政府と琉球の屋良朝苗主席が交わした『屋良覚書』では『民間機以外の利用は認めない』となっており、それで軍事利用はできない。今でも覚書が効力を発揮しており、覚書は一つの防波堤である。しかし時代の流れの中で覚書がなし崩しになるかもしれない」と指摘した。

 元狩俣自治会長の根間義雄さんは「購買店と狩俣自治会」と題して報告した。狩俣購買店は地域住民が出資して1947年に開店。住民や各種行事に利益を還元しているのが特徴。

 根間さんは購買店の歴史を説明した上で「ユイマール(相互扶助)の精神が生かされている。住民一人一人が支えており、これからも発展していくだろう。利益が多いと出資者などへの配当金も多い。購買店を大事守っていきたい」と語った。

ゆいまーる琉球の自治in 宮古 5

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狩俣部落の後、池間島に行き、ウタキ、神社の前で下地さんから島の話を伺いました。その後、平良市内に戻り、宮古島の首長の墓、ウタキ、「人頭税の石」等を見学した後、ドイツとの友好祈念碑を見ました。

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宮古が世界史の中に存在してきたという、当たり前の事実を再確認しました。

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14日の夜の交流会です。翌日、発表される方々、宮古郷土史研究会の方々が参加されました。

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左から、竹尾先生、前利さん、作間さん、藤原社長です。
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次の日に発表される宮川さんです。宮川さんは小田実さんの本を大変詠まれた方ということが、次の日の交流会で分かりました。藤原社長が『環』で小田実特集をしたことを告げ、電話で小田実ゆかりの方に宮川さんを紹介していました。ほかの宮古の方々も小田実さんい心ひかれた方が多く、なぜ小田実が宮古の人々を引き付けるのかに、関心を持ちました。

ゆいまーる琉球の自治in 宮古 4

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根間さんとお会いしたとき、私に「新聞であなたの文を読んで、話をしたかった」と握手をしました。大変うれしかったです。今、パラオに住んでいる、久米島出身の国吉さんと40年ほど前に海外移住研究センターの先輩であったとのことでした。国吉さんには私もパラオで大変お世話になりました。


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狩俣部落の誇りは、購買店の存在です。村の住民が資金を出し合って設立し、協力して運営してきました。外部資本に支配されない仕組みを村人が「ゆいまーる」によってつくってきたのです。村人が購買店で購入する手帳も店内にありました。琉球弧には同様な「共同売店」があり、ゆいまーるの拠点になっています。

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島天ぷらです。地産地消も促しています。そのほかの総菜もありました。人が集い、交流する場としても購買店が重要な役割を果たしています。

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根間さんのご配慮でもずくを頂戴しました。最近は価格の低下で村の漁業者は苦しい状況にあるそうですが、味は大変おいしく、雨の中の疲れも吹き飛びました。

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参加者もおいしそうに食べていました。狩俣のもずくをこれから食べる時には、根間さんの笑顔を思い浮かべると思います。

ゆいまーる琉球の自治in 宮古 3

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14日午後2時から、宮古郷土史研究会会長の下地さんの案内で島めぐりをしました。マイクロバスの中で下地さんが説明してくださいました。非常に分かりやすく、詳しいご説明でした。

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この日は大雨であり、「嵐」のようでした。傘がひっくり返り、全身がずぶぬれになりましたが、下地さんは熱心にご説明をされ、参加者も熱心に島を見させていただきました。


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狩俣の集落を皆で歩きました。海側にある森によって村が守られるかたちで、村の生活が営まれていたと肌で感じました。

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宮古島北部にある狩俣集落のトゥーリャです。狩俣はこのような石造の門があり、他と境を明確に設けて、集落としての形を明確に示していました。
これは復元されたものですが、現在の住民がかつての生き方を継承しようという意気込みを感じることができました。

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手前で説明をされているかたが、村の住民である根間さんです。温かく、穏やかな言葉で村の生活の話をされました。村の生活に対する誇りをひしひしと感じました。

ゆいまーる琉球の自治in 宮古 2

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13日の交流会の模様です。事前に久高島に行かれていた作間さん、船で奄美大島から到着された新元さん、沖永良部島の前利さんです。

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石坂さんも船橋から駆けつけました。毎回、参加してくださり有り難く思います。

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高良さんも普天間基地関連の活動で忙しい中、交流会に参加してくださいました。『琉球タイムス』を参加者に配布してくださりました。「琉球暫定政府が国連で承認された」という内容でした。独立によって基地撤去を求める琉球人の熱い思いが伝わる新聞でした。

交流会には米国の法律家ウェスターンさん、豪州で研究をされている丹治さんも参加しました。丹治さんも『環』「日米安保を問う」に寄稿されています。

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海勢頭さん、内間さん、砂川さんが映っています。
砂川さんは将来を期待される環境法の学者です。宇井先生のように大きく羽ばたいてほしいと思います。
久高島の内間さんも駆けつけてくれました。

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藤原社長が映っています。交流会の終わりごろ、真喜志さんが参加されました。
明日の打ち合わせのために、藤原社長と私はヒージャー料理店にいき、刺身と汁を食べて力を蓄えました。

ゆいまーる琉球の自治in 宮古 1

宮古での集いの前に那覇で普天間問題について話し合いました。

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13日、那覇で普天間問題を徹底的に議論しました。

藤原社長が司会をし、私が問題提起をしたあと、前利さんが徳之島と普天間との関係について話しました。

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三木さんが新聞記者時代の経験を踏まえて発言し、真喜志さんは反基地運動の過程で明らかになった事実を示しました。

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真喜志さんは地図、文書を示しながら米国での訴訟、米軍の戦略を明らかにしました。

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海勢頭さんは精神史、古代史の絶対平和の思想から普天間を論じました。

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川満さんは反復帰論の立場から、普天間の現在を鋭く問いました。

那覇で3時間みっちりと、普天間基地移設問題、琉球の将来を議論しました。
後日、藤原書店から議論の内容が出版物の形で世に問われると思います。

今日から琉球に行きます!

今日から琉球に行きます。

今日は、那覇で普天間基地移設問題と琉球弧の将来について座談会をし、その後、交流会を開く予定です。


明日、宮古島に行き、ゆいまーる琉球の自治in宮古を開きます。宮古島、池間島の島めぐりでは下地和宏さんのご案内で貴重なお話を伺います。


15日は次のような方々がご報告され、参加者との間で討議を行います。

1.伊志嶺敏子(建築家)
「関係性」を育む空間という環境―もう一つの南島型住宅

2.根間義雄(元狩俣自治会長)
「販売店を通した狩俣の自治会」

3.奥平幸子(女性史研究家)
「宮古島・狩俣の山(杜)の話と杜の話~集落(シマ)の祭祀に見る自然観と宮古島」

4.宮川耕次(文芸同人)
「孤島文化とその後」

5.下地和宏(宮古郷土史研究会)
「宮古の歴史と文化」

夜は交流会を開きます。

16日はNPO法人ゆいまーる琉球の自治の総会、今回の集いのまとめ、今後の集い予定等について話し合います。

充実した議論ができ、人と人との関係性がさらに強まることを祈っています。

この集いの準備にあたって下地和宏さんに大変、お世話になっております。心より感謝申し上げます。

「保守」も「革新」も泡瀬干潟開発推進

4月21日の琉球朝日放送が沖縄市長選挙について報じていますので、お伝えします。東門さんが当選しましたが、「保守」「革新」候補ともに、泡瀬干潟の開発の推進を目指しています。裁判所によって「開発の合理性がない」と言われたにもかかわらず、海を埋め立て開発をするのです。

島人の宝の大切な一つである、干潟、希少な動植物、人と海との交流生活などを、一時的な「経済利益」によってつぶそうとしています。琉球は全国的にも高い比率で埋め立てが進んでいます。人工の島、人工の浜など、自然でない人工物で琉球が覆われようとしています。

「保守」「革新」ともに「経済自立」を合言葉にして開発に道を猛進しています。島人が大切にしてきた島の宝をどのように継承していくのかが問われています。琉球の平和を実現するには、基地を撤去するとともに、その跡地を、もともとの自然に戻し、ウタキや共同体社会を再生していくことが不可欠であると思います。




三つ巴となった沖縄市長選挙はあすから3日攻防に入ります。泡瀬干潟埋め立て問題は3人の候補者とも推進の立場にあり、争点となっていません。代わって3候補が掲げるのが中心市街地の活性化。かつての活気を取り戻すため、各候補者は政策の違いを訴えています。

沖縄市長選に立候補しているのは、無所属新人で自民、公明が推薦する喜屋武満さんと、同じく無所属新人の江洲真吉さん、それに社民、社大、共産、民主が推薦する現職の東門美津子さんの3人です。

喜屋武候補「このチャンス、これを活かさずに沖縄市民は、これではいけない」

江洲候補「沖縄市の発展のために弱い市民のために庶民のために勝たねばならない」

東門候補「この沖縄市、必ずさらに輝かせていきたいと思います」

3人の候補者が争点としたのは、胡屋十字路を中心とした中心市街地の活性化。シャッター通りと呼ばれ、人通りも少なく、閑散とした商店街をどう活気ある街に生まれ変わらせるのかという訴えです。

喜屋武候補「市民所得が県民所得より低いという経済状況がる。この経済状況をままず立て直すことが街づくりの大きな課題です。だからこの経済状況を直すことによって街の活性化をしていく」「核は経済です。経済政策をまずやることによって、市民の生活を上げていきます」

喜屋武さんは仲の町とパークアベニューまでの地域を一体的に再開発することで、経済発展の起爆剤と考えています。これに対して江洲さんの活性化策は、嘉手納基地です。

江洲候補「沖縄市の活性化は嘉手納飛行場の民間化を考えております。4000メートル級の滑走路が2本ある。2本のうちの1本の滑走路を貸していただいて」「沖縄市はじめ中部の60万人口が使えるように、そういう要請をしっかりやります」

現職の東門さんは、自らが策定した中心市街地活性化基本計画を実行することで活性化を目指すとしています。

東門候補「若者の失業率がかなり高い。それは若い人たちが街中で仕事が出来る、あるいは沖縄市内で働ける、あるいは近隣市町村も含めてですが、働く場があるということはとても大事だと思います」「沖縄市がどれくらいやる気があるのか、市民の皆さんとの協働をどれくらいつくっていけるかということが、成功の鍵を握っているだろうと思っています」

市街地活性化について有権者はどう考えているのでしょう。

女性「中心地ではないですか、この場所自体が。なのでそこがお客さんがたくさんこれるような」女性「駐車場を有料ではなくて、無料なところがもっと増えたら人が集まりやすいのでは」女性「誰が立っても同じだと思うけど。だからあんまり期待していない」

男性「こっちの活性化のためには催し物をやってもらいたいんだけど。市場は苦しいんです、みんな。もう何とか商売をしているんだけど」

今回の選挙で3人の候補者は争点から泡瀬干潟の埋め立て問題をはずしました。3人とも推進する立場を表明しているためです。

東門候補「1区は推進せざるを得ないなということが一つ。そして2区については中止と」「スポーツコンベンション拠点ということがあるんですが、そういうものに立脚しながら専門家の意見も入れて、そして土地利用計画、これが将来の市民負担に過重にならないようにということは考えていかなければなりません。そういうものを作って国には提出していきたい」

一方、喜屋武さんと江洲さんは1区、2区とも推進の立場です。

喜屋武候補「東部海浜開発については、平成12年度の当初計画を予定通り進めたいと思っています。ちまり187ヘクタールを事業として進めていきます」

しかし当初計画は裁判所から経済的合理性がないと判断されています。

江洲候補「私は明快に1区も2区も進めてまいります。そこには海洋大学とかできれば平和機関を持ってきたい」「反対者がいれば市民投票とか住民投票とかを辞さない」

3人の候補者とも似通った政策を掲げており、選挙ムードは中盤戦に入っても盛り上がりに欠けています。有権者の気持ちをつかむため、3人の候補者は終盤戦に追い込みをかけることになります。

中心市街地の活性化が争点だといいますが、これはずっと言われ続けていることです。前回の選挙では泡瀬干潟の埋め立て問題が争点になりました。それが今回は東門さんが1区推進、2区中止以外、ほかの候補者は1区、2区とも推進で、埋め立て反対を訴える候補者がいなくて争点となっていません。しかし干潟埋めたの是非も含め、有権者がどういう判断を示すのかが注目されます。

龍谷大学民際学研究会のお知らせ

次の日程で、龍谷大学におきまして、民際学研究会が開かれます。ご参加が可能な方は、私にメールにてご連絡下さい。

民際学について実り多い議論ができればと思います。



日時:2010年5月22日(土) 13:30より
場所:龍谷大学深草学舎紫英館2階 第1共同研究室


テーマ:
1.伊勢スタディツアーの総括(池田悦子、コメンテーター:竹峰誠一郎さん)


2.出版にむけて(原尻淳一さん)
当日は、講談社の編集者の方もお越しになる予定です。


3.今年度の活動について

「県民大会」での琉球人の思い

4月26日の琉球朝日放送において沖縄島での「県民大会」についての報道がありましたので、お伝えします。

本文の最後に次のような言葉があります。
「それはそうです。やっぱり人間信じなくちゃもう。」「いつも沖縄は裏切られてばっかりなんだけど、 信じます。最後まで。」

その後、鳩山総理は、沖縄島に来て「県内」は無理であり、琉球人の生命よりも「抑止力」を重視するとの立場を明らかにしました。

沖縄島の海兵隊は本当に「抑止力」になるのか、何のための、誰のための、誰に対しての「抑止力」なのかを明確に国民に対して説明する責任が総理にはあります。

説明責任を果たさない限り、何度も理解を求めに来ても、琉球人の理解を得ることはできないと考えます。






宜野湾市の小学生「いつも寝る前とかにヘリの音がうるさくて怖いんですよ。だから基地はいりません」

記者「県民大会の開催まで、まだ2時間近くありますが会場にはご覧のように続々と人が詰め掛け、すでに熱気を帯び始めています。」

9万人が参加したきのうの県民大会。その会場で、特に目立ったのが、孫を抱えるお年寄りや小さい子供と共に参加する親の姿でした。

名護市の家族「5歳と3歳ですね」「市長選で名護市民は結果を出しましたので」「この子たちが危ない目に遭うような日常には(基地は)残したくない感じですね」

戦後65年。重い基地負担は今の世代で終止符を打ちたい。普天間基地から直線距離でおよそ800mの距離にある宜野湾市の保育園。ここには1歳から5歳までの園児。35人が通っています。

山川あさえ園長「すぐ近くに基地があって、沖縄国際大学でヘリが落ちた時も経験しているんですよ」子どもたちの日常は今も脅かされています。「この時間帯でも、2機とか3機とか連なって飛行しているとき凄い爆音なんですよ。

それでこの4月・5月というのは子供達慣れてませんので、昼寝の時に起きて泣き出したりとか」「飛行機で話が中断したりとかですね。そういうこともありますよね」「今が基地を無くすチャンスだと思うので参加して意志表示したい」

記者「今、県民大会が始まりました。県民の思い、怒りがこの会場に押し寄せています。」宜野湾市から参加したおよそ8000人の市民。会場の傍で採れたてのモズクを販売するうるま市の人達。「こういうのが採れるってことで埋めたてになったらもう無くなりますよね」「きれいな海を一回壊したら、元には戻りませんので」

そして、じっと目を閉じて祈る辺野古のお年寄り。壇上では、これまで県内移設を容認してきた仲井真知事が慎重に言葉を選びながら、鳩山政権に公約の履行を求めました。

仲井真知事「私は日米安保条約。そして日米同盟を支持し、肯定する立場にありますけれども、応分の基地負担を遥かに超えた負担である」「公約に沿ってネバーギブアップ。しっかりやってもらいたいというのが私からの注文。」

伊波洋一宜野湾市長「今、沖縄県民が求めているのは、普天間飛行場の閉鎖です。すべての米軍に撤退しろとはまだ言っていない。」「しかし、あくまで米国が普天間飛行場の代替施設を県内に造れと言い続けるなら、私達は沖縄から米軍の撤退を求めていかなくてはなりません。」

普天間高校の生徒2人は、学校を取り巻く異常な環境に触れ、沖縄の未来に向けたメッセージを読み上げました。「厚さ6cmの窓。その窓いっぱいに見える飛行機の胴体」「早朝講座が始まる頃には窓の外に基地から上がる星条旗が見えますあれっ?ここって日本だよね。一体フェンスに囲まれているのは基地なの?私たちなの?」

「ただ現状に流されて、仕方ないと受け入れることで本当で良いのでしょうか?」「やはり基地は沖縄には必要ないとそう思うのです。」

参加者は、こころを一つに拳を高く突き上げました。「子供達でも、そこまで考えてるのにまだ基地がないと生活が出来ないと言っている住民の気持ちが分からない。」「基地あるが故に65年前に戦争が来て、私も左半身は傷だらけですからね。絶対に基地はおいてはいけないと思う。生きている限りは基地反対は頑張ろうと思う。」

鳩山総理「私は愚かな総理かもしれない。」「5月末までには、結論を出したい」自ら期限を決め、自らを追い詰めた形の総理。

「それはそうです。やっぱり人間信じなくちゃもう。」「いつも沖縄は裏切られてばっかりなんだけど、 信じます。最後まで。」歴代の総理として初めて、基地の県外移設を主張した鳩山総理。5月末まで残された日数は35日。総理にとっても、県民にとっても正念場はまさにこれからです。

琉球弧の内発的発展

『季刊沖縄』第38号に私の「琉球弧の内発的発展」が掲載されました。今年3月に同協会主催で行われた講演会の内容を収録したものです。清成会長、山岸さんをはじめとする沖縄協会の方々に大変お世話になりました。心よりお礼申し上げます。

同協会のHPにアクセスすれば拙論をダウンロードすることができます。





琉球弧の内発的発展(第38号)
第38号 (2010.4.30 発行)

≪第156回沖縄問題研究会≫
琉球弧の内発的発展
松島 泰勝 (龍谷大学経済部・教授)

≪連載(4回目・最終回)≫
江戸立と琉球の文化芸能
―琉球大学開学60周年記念事業から―
宮城 隼夫 (琉球大学副学長)

沖縄の古典音楽について
~古典音楽の特徴、稽古風景点描~ 比嘉 康春
(沖縄県立芸術大学音楽学部・教授)

沖縄における公共交通機関の可能性
―沖縄の生活・観光・産業の発展を目指すインフラストラクチャー―
堤 純一郎(琉球大学工学部・教授)

第31回沖縄研究奨励賞
【受賞記念講演】

熱帯感染症に対する組換えワクチンプラットフォームの創製
新川 武(琉球大学熱帯生物圏研究センター・准教授)

沖縄島に移入されたマングースの素顔と対策のための技術開発
小倉 剛(琉球大学農学部亜熱帯農林環境科学科・准教授)

勉学支援生 Interview

Topics

沖縄協会だより……事務局(東京)/沖縄平和祈念堂/寄金芳名欄/参観校/寄贈図書/平成22年度事業計画

沖縄覚書

沖縄協会資料室の案内

表紙の絵……サクララン〔カガイモ科〕/絵と解説:渡久地 健



バックナンバー
琉球弧の内発的発展(第38号)  2010年 更新
オバマ政権の外交政策と沖縄について(第37号)  2009年 更新
第154回沖縄問題研究会(第36号)  2009年 更新
第153回沖縄問題研究会(第35号)  2008年 更新
第152回沖縄問題研究会(第34号)  2008年 更新
第151回沖縄問題研究会(第33号)  2007年 更新
第150回沖縄問題研究会(第32号)  2007年 更新


季刊沖縄
財団法人沖縄協会は、平和で豊かな沖縄県の建設に寄与するため、昭和47年に設立されました。機関誌『季刊沖縄』は平成8年に創刊され、沖縄に関する諸問題の啓発・広報を図るため当協会が実施している沖縄問題研究会の講演内容をはじめ、専門の方々へのインタビュー記事や執筆原稿,沖縄平和祈念堂での取り組みを掲載しています。

   
発   行 : 財団法人 沖縄協会
発行回数 : 年 2 回
購   読 : 300円 (郵送料込み) 詳しくはホームページをご覧ください

復帰運動から学ぶべきこと

昨日の琉球新報に掲載された前利さんの論考を、ご本人の了解のもと、掲載させていただきます。

徳之島の3人の町長は決然と首相に対して反対の意思を示しました。「何十回会っても平行線。われわれは反対なので、意味がない」と今後の協議も拒否しました。仲井真知事も、3人の町長のように民意を受けて、明確に首相との協議を拒否すべきです。

徳之島、沖縄島どこにも基地は必要ないという民意を行政の長は代弁する義務があります。





復帰運動から学ぶべきこと
前利 潔(沖永良部島、知名町役場職員)

 徳之島への米軍普天間飛行場の移設問題について、沖縄県外だが、沖縄「圏内」でもある、という主張がある。鳩山首相にとって徳之島案は、沖縄県外であり、日本(本土)でもない、ということに魅力があるのではないか。奄美諸島は沖縄(琉球)圏内なのか、日本なのか、それは復帰運動で問われた問題でもあった。

 移設反対派は、運動の姿を復帰運動に重ねあわせている。4月16日、奄美大島日本復帰協議会(復協)の議長を務めた泉芳朗の生誕地(徳之島伊仙町)で、有志らが「米軍基地移設反対の集い」を開催し、18日の反対集会の成功に向けて決意を示した。

その決意とは、「軍政下の弾圧をはね返して復帰闘争を繰り広げ、99.8%の嘆願署名を実現し、ついに非暴力で祖国復帰を果たした先人たちのあの日の思い」(4月24日付「南海日日新聞」一面コラム)を共有したいということだろう。

 復帰運動の内実に目を向けると、疑問がわいてくる。復帰運動は、奄美諸島を沖縄(琉球)圏外と位置づける運動でもあった。「99.8%の嘆願署名」に添えて連合国軍最高司令部に提出された嘆願書(51年5月)は、「奄美群島は、琉球列島とは全然別個のもの」であり、「古来からの日本領土」であることを主張していた。

「講和七原則」(50年12月)において米国の信託統治下に置くとされた「琉球諸島」に奄美諸島は属していない、という意味である。講和条約発効後も沖縄とともに米国の占領下に置かれた奄美諸島だが、復協内部では路線転換が行われた。

沖縄をふくめて米国の占領政策に反対する「講和条約三条撤廃」派が排除され、奄美諸島だけの復帰を主張する実質復帰派(「元鹿児島県大島郡の完全日本復帰」)が復帰運動の主導権を握ったのである。これが復帰運動の内実である。

 米国にとって奄美諸島の返還(53年12月)は、恒久的な軍事基地としての沖縄を保有するための「戦略的道具」(西欧の特派員)であった。普天間飛行場の徳之島への移設案は、鳩山首相にとっては公約実現のための「道具」でしかないのではないか。

 4月25日に開かれた沖縄県民大会に、徳之島三町長から「普天間の基地は沖縄にも徳之島にも必要ない」というメッセージが寄せられたことは、評価したい。しかしその2日後の27日、奄美群島市町村長会、同議会議長会が採択した奄美群島への米軍基地・訓練施設移転に反対する共同宣言には、「沖縄県内への移設反対」の文言はない。

徳之島を地盤とする徳田毅衆議院議員は、「キャンプ・シュワブ沿岸部に移設する現行計画しかない」(4月17日付「南海日日新聞」)と主張している。

 今日(7日)、鳩山首相と徳之島三町長の会談が予定されている。徳之島への米軍基地移設反対運動に問われてくるのは、「普天間の基地は沖縄にも徳之島にも必要ない」という理念を堅持できるのかどうかである。沖縄を切り捨てた復帰運動の再現であってはならない。

日米安保を問う

藤原書店の『環』VOL.41号において「日米安保を問う」の特集が掲載されています。本特集については、先日、毎日新聞夕刊でも紹介されました。

日米安保を根本的に問うという編集方針から、徹底的に安保の意味、存在を問うています。

琉球人、琉球、日本国民、日本人、日本にとって日米安保とは何か。私は琉球人という島嶼民としての立場と、日本国民という法制度上の立場から安保について論じさせていただきました。お読みいただければ幸いです。

また劉暁波氏についての小特集もあります。中国と琉球との将来の関係を考える上でも大変、教えられた小特集です。


目次は次の通りです。




金子兜太の句 日常茶飯

石牟礼道子の句 草道



小特集

●『天安門事件から「08憲章」へ』の著者、劉暁波氏に「国家政権転覆扇動罪」で懲役11年の判決。われわれは何をなすべきか?

天安門事件と「08憲章」を考える

劉霞(劉暁波夫人) 日本の読者へ(及川淳子=訳)

子安宣邦 われわれにとって、中国の民主化とは何か【なぜ黙っているのか】

劉燕子 劉暁波とは誰か

及川淳子 「08憲章」と中国の知識人

現代中国最大のタブー天安門事件の真相隠蔽に抗しつづけ、民主化運動に尽力し、「08憲章」起草の中心となった劉暁波氏の思想と行動に隣国のわれわれはどう呼応すべきか?――早大での緊急集会の報告。



〈緊急特別インタビュー〉【「戦後」との訣別】

御厨貴民主党政権の半年をどう見るか

「党内の権力闘争を経なくては、“学級会政治”から脱却はできない」――当代随一の政治学者が説く民主党の課題。



【特集】「日米安保」を問う

日米関係に憶う

塩川正十郎

自主性なき「同盟」構築の末路

【一記者として見てきた日米安保五〇年】

中馬清福

米中和解の「引き出物」となった日米安保

【沖縄施政権返還交渉の取材メモから】

松尾文夫



〈座談会〉

安保をめぐる「政治」と「外交」

【沖縄米軍基地が問うもの】

渡辺靖+松島泰勝+伊勢賢治+押村高 (司会=編集長)

「配給された」平和【「対等性」という形式への固執が奪ったもの】

新保祐司

「密約」の半世紀と日米安保

豊田祐基子

「同盟」の新しい地平を目指して

岩下明裕

分割された東アジアと日本外交

原貴美恵

日米安保と大陸中国/台湾関係【東アジアにおける「脱冷戦」とは何か】

丸川哲史

基地の駐留は「安全保障」か?【沖縄が問う日米関係の真の「安定」とは】

丹治三夢

「沖縄米軍基地の戦略的価値」という神話【安保論議における政治主導の不在】

屋良朝博

日米同盟と日本の核政策【論じられ方の変容とその政治学的考察】

黒崎輝

日米同盟の本質を問う契機【「人と物の交換」を再考する時】

中西寛

日米同盟における「可測性」の本質【戦争の「遺産」を踏まえて】

櫻田淳

誰が、何を、守るのか【地域統合の時代における日米安保】

大中一彌

主権譲渡としての憲法九条と日米安保

平川克美

〈インタビュー〉朝鮮半島からみた日米安保

李鍾元

日米安保条約、ソ連とロシア【異なる国、異なる考え方】

ワシーリー・モロジャコフ

等辺に成り得ない日米中の三角関係

陳破空(及川淳子=訳)

日米欧委員会事始め【日米安保関係のグローバル化の影】

武者小路公

■日米安保、この50年を思う

鄭敬謨 アジアの視点から観た日米安保

姜在彦 「日米安保」と日韓問題

河野信子 大衆ストライキ

米谷ふみ子 今の日本で安保を破棄したらどうなるか――私の提案

諏訪正人 自然承認前夜

篠田正浩 身捨つるほどの祖国はありや

吉川勇一 軍事条約に代わる日米関係を

川満信一 日本国の怪奇現象――国会は「国家百年の計」を論議せよ

岩見隆夫 日米戦争と安保改定――岸信介の「執念」

加藤晴久 六〇年の「できごと」

藤原作弥 回顧的「日米関係論」私記

水木楊 自明ではない「自明」

小倉和夫 日米安保の過去、現在、未来

西部邁 列島人の愚行、錯誤そして自殺

三木健 米国従属と沖縄差別の半世紀

榊原英資 五〇年前の安保闘争と今後の日米安保

それでもしばらくは堅持すべき中谷巌



寄稿

●大逆事件百周年

尾形明子 大逆事件と作家たち――冬の時代の表現者

●吉田松陰生誕百八十周年、スティーヴンスン生誕百六十周年

よしだみどり 三人の少年――吉田松陰、R・L・スティーヴンスン、大佛次郎 

●米歴史家ビーアドが最晩年に追究した「真珠湾攻撃」とは? 日米知識人の歴史への視座

開米潤 真珠湾攻撃とは何だったか?

●「温暖化懐疑論」にどう向き合うべきか?

相良邦夫 地球温暖化と“クライメートゲート事件”

【懐疑派は学会の正規のリングで議論を】



〈書物の時空〉

●名著探訪

一海知義 『高原好日』(加藤周一著)

佐佐木幸綱 『戦国時代和歌集』(川田順著)

速水融 『ヨーロッパ世界の誕生』(H・ピレンヌ著)

塩川正十郎 私の日記術

●書  評

河内春人 『唐代の国際関係』(石見清裕著)

唐代史から世界史へ

倉科岳志 『ヴィーコ 学問の起源へ』(上村忠男著)

世界に学的にかかわるとはどういうことなのか

鵜戸聡 『カヴァフィス 詩と生涯』(R・リデル著)

近代都市「アレキ」の多言語文学

宮下遼 『オスマン帝国500年の平和』(林佳世子著)

韻文詩が照射する都市社会

イム・ジョンヒョク 『日本語の正体』(金容雲著)

古代日韓語という遺跡は掘り起こされたのか

●連載明治メディア史散策4

粕谷一希 急進派兆民ブームと戦後



●邦訳不可能といわれた大著『フランス史』の全貌!

ミシュレの魅力と「新しさ」

――『フランス史』発刊によせて――

大野一道

十九世紀を代表する歴史家ミシュレの『フランス史』全十七+三巻の全体を、緻密な要約解説をまじえながら訳出、発刊。



●新連載

天に在り――小説・横井小楠1

【立志の章】

小島英記

「公共」と「交易」の立場からあたらしい国家と社会を構想した横井小楠。知られざるその人間性と魅力を描き出す新たな試み。



●連載

●竹山道雄と昭和の時代2

平川祐弘 遠州の名望家

幕末から明治へ、「もうひとつの夜明け前」を生きた浜松・竹山一族。

●近代日本のアジア外交の軌跡9

反英インド独立運動家に対する日本の態度

【アジア外交から見た日英同盟を中心として】

「中村屋のボース」を支援することと日英同盟との矛盾。

小倉和夫

●水の都市論――大阪からの思考

橋爪紳也 楽園

人が人を、夢が夢を呼ぶ、海辺の新開地という「余白」の魔力。

●伝承学素描

能澤壽彦 神仏習合の課題構図

近代的構築物としての神道史観から抜け落ちたもの。

軍事優先の琉球の空

3月31日の琉球朝日放送において「空の主権」が返還されたとの報道がありましたので、お伝えします。


それでも嘉手納、普天間がある限り、沖縄島上空の空は米軍の手に握られています。これは独立国家の状態でしょうか。

徳之島に基地ができれば、奄美諸島上空も米軍のものになるでしょう。
日本政府はいつまで、「抑止力」という根拠のない言説によって、国民の生命、権利、国土、上空、海を他国に差し出すのでしょうか。





これまで嘉手納基地の中で行われてきた航空機の管制業務がきょう午前0時に日本側に移されました。戦後65年目にして「空の主権」がようやく日本側に戻ってきた訳ですが民間機の運航には、具体的にはどんな影響があるのか?現役のパイロットに聞きました。岸本記者です。

きのう、航空機と無線連絡を取り合うヘッドセットを日本側に手渡した嘉手納基地の管制官。アメリカ軍は、戦後からこれまで65年、嘉手納基地の中にあるこのレーダー施設で沖縄本島周辺の上空を飛ぶ、軍用機と民間機に対して離着陸の指示を出していました。

管理する範囲は、嘉手納と久米島を中心に半径90キロ。高さが6100メートルに及ぶ、青で示した広大な空域。今回、普天間基地と嘉手納基地の上空を除く、黄色の空域の管制権がきょう、ようやく日本側に移されたことになります。

那覇空港事務所 和田泰久次長「日本側が一元的に管制を行うので、今までよりも制限はなくなると考えている」

今回、60億円をかけて整備された日本側の新しい管制システム。国土交通省は、今後、アメリカ軍機の飛行状況を早い段階で把握できるため、那覇空港を利用する民間機の効率的な運航や出発機の待機時間の短縮が図られるとしています。

しかしー 那覇空港事務所 和田次長「米軍機の訓練をやってますので、その部分は確保しなくてはならない部分はあります」

日本側への移管は、「あくまでアメリカ軍の運用を妨げない」という条件付き。飛行歴17年の経験を持つパイロットは、航空管制を日本側が担当しても民間機の運航が大きく変わることは無いと予測します。

JTA 丹野善一 機長「通常の状態ではたぶん何も変わることは無くって、緊急事態になった時に、今までは日本語の通じない人と交信していましたから、日本語で言っても意思疎通は難しかったかもしれないが、今回からは日本人相手になるんで」「日本語で細かいことまで伝えることは可能になると思う」

緊急時以外、フライトに大きな変化は無いと語る丹野機長は、軍の訓練によって民間機が飛行の制約を受ける沖縄の空の特殊性を説明しました。

JTA 丹野善一 機長「那覇空港を北向けに出発する時は、離陸してすぐに1000フィートというところで、高度300メートルで、上昇をやめて水平飛行に移らないといけないんですけど」

「みなさんご存知だと思うんですけど、離陸した直後にふぅっとマイナスのG(重力)がかかるところがあるんですけどそれは、我々が1000フィーと、300メートルの高さを通っているときに、その倍の600メートルのところを嘉手納の進入が通るんですよ。」「300メートルで水平飛行しなくちゃいけないのは那覇だけですね。僕が行っている空港の中では。」

今後、嘉手納基地に離着陸する航空機が無い場合は、この高度制限は一時解除されますが、アメリカ軍の訓練が優先される状態はそのまま残ります。

JTA 丹野善一 機長「嘉手納を動かさないと無理ですね。もしくは嘉手納の滑走路の方向を変えないと無理な話なんで」

これまで、嘉手納ラプコンの故障によって民間機の欠航や遅れが度々発生していた沖縄の航空管制。「空の主権」がようやく日本側に戻った意義は大きいといえますが、アメリカ軍の訓練や、訓練空域の存在によって民間機が様々な制約を受ける状態に変わりは無く、沖縄の空には、依然として大きな問題が横たわっているといえます。

鳩山首相訪沖の悲しさ

鳩山首相が沖縄島を訪問しました。各地で怒号が飛び、琉球の人々が激しく抗議している映像をテレビでみました。

昨年の今頃、同じ人物がマニフェストとして琉球人の前で約束をして、昨日はそれを簡単に破った日として琉球人の心に残り続けるでしょう。

「夢のような期待」をいだかせ、政権を獲得して、その後は約束を破るマニフェストとは何でしょうか。国民を欺くための手段のように思えます。

琉球人はその言葉を信じて、自民党の衆議院議員を全部落選させて、民主党議員を選んだのです。

現在は「不信の時代」といわれ、近代化により互いが競争に追いやられ、人間として信じられない時代といわれています。一国の総理がその「不信」の源になっています。このような首相を抱える日本は崩壊するのではないか。

「説明をして、県民の声を聞いた」という既成事実をつくり、基地を押し付けていくという、人間の冷たさ、権力の暴力性を鳩山首相の顔、声から感じました。このような心のない人が日本政治の頂点に立っている日本とは何でしょうか。

琉球人はいつまで騙されなければならないのでしょうか。なぜ首相は徳之島、沖縄島という日本の南の島々に重い負担を強いるのか。日本本土は朝鮮半島、中国から近く、首相が強調する抑止力という面では日本本土に基地を置く方が抑止力は高まります。

日本国内の地域を説得せず、安易に、琉球に嘘をついて基地を押し付けようしています。

徳之島の3人の町長からの話を聞いて「民意の一部」を聞いたとして既成事実を作るのでしょう。自民党時代は、沖縄島内の基地建設案でしたが、「県外」という言葉を利用して、徳之島、奄美諸島まで基地被害を拡大させようとしています。自民党時代よりも民主党の方が強権的であり、「友愛」の言葉を使い、偽善的であるといえます。

1年前に琉球人に約束をして、首相は一体何をしたのか。自ら日本本土各地、国外各地にいって説得をしたのか。

2010年5月4日は「屈辱の日」「裏切りの日」として琉球史に刻まれるでしょう。

琉球人は首相がこれから何をいっても信じないと思います。騙され、失望するからです。もっと人間として誠実な姿勢で琉球人と関係をもつべきでした。

民主党政権に対する怒りとともに、悲しい日本の現実を見た思いがしました。

基地関連の振興開発で島は発展しない

4月29日の南海日日新聞に徳之島への基地移設案についての記事がありましたので、ご紹介します。

以前、徳洲会病院に行ったとき、徳田氏が現在、闘病生活を送っている写真をみました。ベットの上でも島を思う気持ちが熱く持っていることをこの記事から知りました。私は大学浪人時代に徳田氏の本を読み発奮して受験勉強をしました。その当時からこのような人物を生んだ徳之島に関心をもっていました。


「米軍普天間基地誘致推進協議会」は受け入れの条件として(1)奄美群島振興開発特別措置法の所管省庁を国土交通省から内閣府へ移す(2)奄美群島の航路・航空運賃を沖縄並みに抑える(3)医療・福祉・経済特区の新設―などの6項目を挙げているが、本当に島の経済はこれらで発展するのだろうか。沖縄県は復帰後40年近くたっているが、いまだに経済自立せず、国からの補助金に大きく依存している。基地所在市町村も発展しているとはいえない。

今日、鳩山首相が沖縄島を訪問して、謝罪し、説得する予定と聞いている。その際、「アメとムチ」の「アメ」を出すかもしれないが、「カネは一時、土地は万代」という阿波根昌鴻氏の言葉を思い起こし、明確に琉球の自治の在り方を琉球人は示してほしい。




 鳩山首相は28日午前、東京都内のマンションに、徳田虎雄元衆院議員(医療法人・徳洲会理事長)を訪ね、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の徳之島への航空部隊の一部もしくは訓練の一部移設案を明言し、協力を求めたが、徳田氏は島民の民意や島の統治が変遷した歴史的背景などを考えると「徳之島では無理がある」と伝えた。

また、首相が徳之島3町長との会談の協力を申し入れたのに対し、徳田氏は首相が徳之島移設を明言するなど礼儀を尽くしたことで「(現地でなく東京で)直接会って、反対だと伝えるべきだと考えているが、判断するのは3町長」と述べた。

 面会は約1時間20分に及んだ。鳩山首相、首相秘書官、徳田虎雄氏、徳田氏の次男の徳田毅衆院議員ら7人が同席した。
 毅氏が同日午後に国会内で開いた記者会見で述べた。
 会見の質疑によると、面会の表向きの理由は基地移設案などの報道で地元を騒がしている謝罪と虎雄氏の病気見舞いだが、地元選出の元衆院議員としていまも影響力のある徳田虎雄氏の協力を求めたものらしい。

 面会で鳩山首相は沖縄の航空部隊から約1千人を移動させたいと述べるととともに、移設場所は2千メートルの空港を活用したいと述べたので、毅氏は徳之島空港を念頭に置いた発言だと思ったという。ただ、首相は移動部隊が家族ごとなのか、ヘリコプター部隊なのかなどの具体的なことは言わなかったという。

 徳田毅氏は午後から、平野官房長官に首相との面会内容の報告と正確な情報を求めて官邸へ行ったが、長官からは徳之島の移設についての具体的な発言はなかったという。ただ、「なぜ、徳之島か」ということに対し「立地的に沖縄に近いから」と答えたという。

具体的な説明ができない理由については「現在、米国と交渉中であり、沖縄県への説明が終わっていないから」と述べたという。

 徳田毅氏は記者会見前に地元3町長に鳩山首相や平野長官との会談の模様を約5分間電話で報告したという。



米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で揺れる徳之島。28日午前、沖縄の負担軽減を掲げる鳩山由紀夫首相と徳田虎雄元衆院議員が面会したとのニュースに、基地受け入れ「反対」「賛成」両派の住民は神経をとがらせた。

首相は、ヘリ部隊の徳之島移設への協力を要請したとみられるが、さまざまな報道が先行して情報が交錯する中、住民のいらだちは募るばかりだ。

 「首相と徳田さんとの面会の情報は報道で得ていた。今後どのような動きがあっても、断固反対していく」と話すのは、徳之島案が浮上した直後に結成された「徳之島の自然と平和を考える会」の椛山幸栄会長。鳩山首相の対応に「面会自体が時機を逸している」と疑問を投げ掛け、「島を守りたいという住民の声を大事にしたい。沖縄の苦しみを知っているから、反対していく」と強調した。

 18日に徳之島町で開かれた大規模な反対集会に足を運んだ60代の自営業男性は「基地問題は環境だけでなく、人間関係をも破壊してしまう。日米安保の重要性は理解しているつもりだが、米軍基地だけは勘弁してもらいたい」などと話した。

 一方、移設に賛成する「米軍普天間基地誘致推進協議会」の久松隆彦幹事長代理は「鳩山首相には、奄美群島の神様のような方にお会いしていただき、うれしく思っている。わたしたちの思う方向に動いてくれれば、ありがたい」と話した。

 同協議会は、受け入れの条件として(1)奄美群島振興開発特別措置法の所管省庁を国土交通省から内閣府へ移す(2)奄美群島の航路・航空運賃を沖縄並みに抑える(3)医療・福祉・経済特区の新設―などの6項目を挙げている。

 徳之島への移設をめぐっては、地元3町長をはじめ群島12市町村議会、県議会などが反対を表明。1万5千人(主催者発表)が参加した反対集会の2日後の20日、滝野欣弥官房副長官が3町長に平野博文官房長との会談を要請したが、3町長は拒否した。

 27日には、奄美群島の市町村長会と議会議長会が奄美群島への米軍基地や訓練施設の移設に反対する共同宣言を全会一致で採択した。

「先祖から受け継いだ徳之島を子どもたちの未来のために守り抜く」

4月26,28日の南海日日新聞に徳之島への基地移設問題についての報道がありましたので、お伝えします。

琉球の自治とは、島を守る人間の本能です。先祖から受けついた、島をこれから先も守り続けることが、今、島に生きる者たちの使命であるという、高い志で島の方々は反対の意思を示しています。

米軍も望んでいない徳之島への基地移設をなぜ鳩山政権は徳之島に押し付けようとしているのでしょうか。日本の南の島に対する明らかな差別であると思います。

徳之島に米軍が移設された場合、他の奄美の島々にも理由をつけて基地を増設したり、軍事訓練をしたり、緊急避難として軍用機が来島する恐れが高まり、軍事の群島となるでしょう。



米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の即時撤去と徳之島、馬毛島など鹿児島県内への移設に反対する県民集会が25日、鹿児島市のみなと大通り公園で開かれた。徳之島からの現地報告などがあり、同飛行場の県内移設の動きに県民運動として反対していく必要性を確認し合った。
 
沖縄県で同日開かれた「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、国外・県外移設を求める4・25県民大会」に呼応し、鹿児島県護憲平和フォーラムなど22団体で構成する「鹿児島に米軍はいらない県民の会」が主催した。約550人(主催者発表)が参加。徳之島出身者の姿もあった。

 県民の会会長の荒川譲鹿児島大名誉教授が「普天間飛行場の即時・無条件閉鎖と徳之島、馬毛島に新たな米軍基地を造らせないという民意は明らか。県民の総意として基地反対の声を上げ、政府に断念させよう」と呼び掛けた。

 徳之島、馬毛島(西之表市)から現地報告があった。徳之島の自然と平和を考える会の幸多勝弘事務局長(58)は「長寿・子宝の島、生物多様性の島・徳之島の価値観を分からない鳩山首相への憤りで徳之島の島民は煮えたぎっている」と訴えるとともに、「政府関係者に徳之島の地は踏ませない。先祖から受け継いだ徳之島を子どもたちの未来のために守り抜く」と強調し、参加者から大きな拍手が起きた。

 この日の反対集会には民主党県連代表の川内博史衆院議員と皆吉稲生衆院議員が出席。超党派の沖縄県等米軍基地問題議員懇談会会長としての出席要請を受けたという川内氏はあいさつで、「普天間の海兵隊には抑止力はなく、グアム、テニアンへ移すべきというのが基本的な考え。徳之島移設案は手続きも間違っているし、ありえない」と述べた。

 これに対し、一部の参加者から「だまされないぞ」など冷ややかなやじも飛んだが、川内氏は記者団に「ただ反対すればいいというわけでない。解決策を提起することも必要だ」と反論した。

 集会決議を採択し、ガンバロウを三唱。集会後、参加者は「長寿と子宝の島に基地は要らない」などと書かれ、1万5千人(主催者発表)が参加した徳之島の反対集会でも使用した手作りのプラカードを手に、同公園から高見馬場までの天文館地区の目抜き通りをデモ行進した。



米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の徳之島移設問題で、奄美群島市町村長会(会長・平安正盛知名町長)と奄美群島議会議長会(会長・町田末吉与論町議会議長)は27日、鹿児島市で開いた合同会で、群島への基地移転に反対する共同宣言を採択した。

同問題を「群島共通の重要な問題」と位置付け、「群島民の安全と安心を確保するため断固反対する」としている。両会事務局によると、合同会が共同宣言を発するのは異例。移設問題に揺れる徳之島の3町長は「力強いサポートを頂いた」と話した。

 合同会後、両会会長、徳之島3町長らが県庁で記者会見して発表した。平安会長は「奄美は一つ。徳之島3町だけの問題ではなく奄美全体の問題ととらえ共同宣言に至った。県民のみなさんの理解と協力もたまわりたい」と話した。町田会長は5月の全郡議員大会に同趣旨の特別決議を提案する方針を示した。

 徳之島3町長は「力強く感じる。阻止に向けた群島全体の組織づくりにつながる」(大久幸助天城町長)、「移設となれば沖永良部や与論の上もヘリコプターが飛び、奄美全域での演習の可能性も出てくる。徳之島3町は力強い支援を得た」(大久保明伊仙町長)、「群島全体の理解を得られたことは意義がある」(高岡秀規徳之島町長)とそれぞれ話した。

 3町長は、政府からの面談要請には引き続き結束して応じない意思を強調。同問題は沖縄の基地負担軽減と日本の安全保障が絡む問題だとして、国民全体で考えるべきだとの姿勢も強調した。

 徳之島に限らず群島全体への移設反対宣言としたことについて、平安会長は「徳之島と特定されている状況ではない。政府の結論が分からないので徳之島を含め奄美群島全体ととらええていきたい」と話した。。

 同問題をめぐっては、市町村長会と議会議長会は2月の合同会で徳之島への基地移設反対意思を確認。すべての市町村議会が3月定例会で移設反対を決議している。

太平洋のラピタ人、パラオの航空会社、パラオでの日本語教育

2004年、8,10月の太平洋ニュースをお伝えします。
今から3500年前以降、ラピタ人という、独自の生活様式をもった人々が太平洋の島々を船で移動していました。
以前、私もラピタ式土器を見たことがありますが、太古の海の人の生活を思いました。


10/22 PIR
  フィジーでラピタ式土器が発見された。

浮き彫りのような顔のデザインのある土器の破片がフィジーで発見され、考古学界においてセンセーションを巻き起こしている。土器が発見されたのはビチレブ島の南西部にあるナタドラ・ビーチ地域であり、そこは3200年以上前の遺跡であるとみられている。

パプアニューギニアのビスマルク諸島からラピタ人が東方の島々に移住したが、顔のデザインを有するラピタ式土器が発見されたのはフィジーだけである。南太平洋大学のパトリック・ナン氏は、「立体的な装飾がほどこされた土器がフィジーで発見されたことは非常に重要である。

フィジーのナタドラに移住した人々は3000キロ離れたビスマルク諸島から直接来たのかもしれない。」と述べた。


パラオとグアム、フィリピン等の航空路線はコンチネンタルという米国の会社に独占され、非常に高い航空運賃をパラオ国民、観光客は払わなくてはなりません。それに風穴を開けようとしてパラオの財界人がナショナルキャリア―会社を設立したのですが、現在、倒産したようです。

琉球でも琉球の企業家による航空会社設立の動きがかつてありましたが、実現しませんでした。



10/28 PIR
  新しいパラオの航空会社が生き残りを目指している。

石油価格の高騰による経営危機に直面しているパラオミクロネシア航空会社は生き残りの決意を固めている。同社のアラン・シード最高経営責任者は、数ヶ月間、困難な状況にあるが、夢を実現するための努力はこれからも続けると述べた。

同社は126人乗りのボーイング737-300機を保有しており、ミクロネシア諸島だけでなく、フィリピンの間にも就航している。

ニュージーランドに拠点をおくエアーワーク航空運営会社がパラオミクロネシア航空会社の航空機の運行、メンテナンスを行っている。今月初め、同社は8月に運行を始めたパラオ・豪州ダーウィン間の路線を中止することを決めた。その理由は石油価格の高騰による経営危機から生き残るためであった。


戦前の日本統治時代の影響で、高齢者は日本語が流ちょうに話せるパラオ人が少なくありません。しかし、今のパラオの子供たちは英語での生活が一般化し、日本語を話せないのが普通です。昨年、龍谷大学の学生とパラオに行き、パラオの大学の学生と交流しました。日本の文化に非常に関心をもち、日本語を学びたいというパラオ人、ヤップ人に出会いました。

パラオの高校、小学校でも日本語の授業を行っているところもあります。



8/31 PIR
 パラオの学校が国際交流基金から日本語教材を提供された。

国際交流基金からの日本語教材が、日本大使館を通じて、パラオ・コミュニティー大学、パラオ高校、ミゼンティ高校、マリス・ステラ学校に贈呈された。

日本大使館の諏訪臨時代理大使は、パラオで日本語教材に対する関心が増していることを喜び、新しい日本語教材により若い人びと、特に学生が日本の言葉や文化をより多く学ぶことができると述べた。

パラオ・コミュニティー大学では、新しい教員により日本語コースの内容が再検討され、パラオ高校では約100人が日本語を学習し、ミゼンティ高校では学生が日本語を話し、書くことができることを日本語学習の目標にすえている。

島と島との強いつながり

kurousa95さん、コメントありがとうございました。コメントを紹介します。

私は初めて奄美大島にいったとき(瀬戸内町でしたが)、生まれ島に帰ってきたように
大変嬉しかったです。学生との調査旅行、ゆいまーる琉球の自治の集い等で、奄美諸島の方々と
知り合うことで、さらに互いの強いつながりを実感しました。

外部の勢力によって分断されそうになっても、引き裂かれない強靭な琉球の基盤があると思います。

このブログのNPO法人も琉球の島々が互いに顔を合わせ、互いに学びあい、励ましあうことを目的にして
つくられました。今月は宮古島で行います。この集いにも奄美諸島の方も参加する予定です。

kurousa95さんも、ご都合がついたら、いつかご参加ください。




私の拙いコメントを取り上げていただきありがとうございます。
徳之島が基地の受け入れ反対を表明したことについての
沖縄からの怒りのメッセージをいくつか見かけたこともあり、

先日は悲しくてついコメントしてしまいました。

薩摩の侵攻以降の歴史を共有していない、地上戦を経験していない、

先に日本復帰してしまった、基地がある痛みを知らない奄美は
こちらが一方的に親近感を抱いていただけで、沖縄からは仲間だとは
思われてなかったのかな、と。

一方私も、沖縄の基地問題の存在は知っていても
どこか他人ごとのように思ってたのではないか?と反省しました。
基地の問題は、琉球弧だけでなく、日本全体が自分のことと思い
考えていかなければならないと思います。

管理人さんの、奄美諸島も、沖縄諸島も、宮古諸島も、八重山諸島も
仲間だと思っているというお言葉は嬉しかったです。
ありがとうございました。

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