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プロフィール

Yasukatsu Matsushima

Author:Yasukatsu Matsushima
1963年琉球石垣島生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。

その後、東京、グアム、パラオ、沖縄島、静岡、京都、滋賀にて学び、働き、生活する。

著書に『沖縄島嶼経済史―12世紀から現在まで』藤原書店、2002年
『琉球の「自治」』藤原書店、2006年
『島嶼沖縄の内発的発展―経済・社会・文化』(編著)藤原書店、2010年、
『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』早稲田大学出版部、2007年
『琉球独立への道』法律文化社、2012年
『琉球独立論ー琉球民族のマニフェスト』バジリコ、2014年
『琉球独立ー御真人の疑問にお答えします』Ryukyu企画、2014年
『琉球独立宣言ー実現可能な5つの方法』講談社文庫、2015年
『民際学の展開ー方法論・人権・地域・環境の視座から』(編著)晃洋書房、2012年
『琉球列島の環境問題ー「復帰」40年・持続可能なシマ社会へ』(編著)高文研、2012年
『3・11以後何が変わらないのか』(共著)岩波書店、2013年
『島嶼経済とコモンズ』(編著)晃洋書房、2015年
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ゆいまーる琉球の自治in与那国島15

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与那国島の集いでは、自衛隊という日本政府の組織に頼るのではなく、自らの自治の力で島を動かしたいという、熱い島の方々の思いに触れることができました。島外から来た人も、その気持ちを胸にして、外からこれからも島を支援していきます。与那国島の応援団です。


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田里さんは私のそばに座っていましたが、時々メモをとり、真剣に議論から何かを得ようという、強い意志を感じました。与那国の自立、自治のために一昨年、現町長と闘い、現在は町議として島のために命をかけて働いています。田里さんのような自治的自覚をもった方がもっと増えると、島は変わると確信しました。


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崎原さんは、与那国改革会議の議長です。与那国に自衛隊はいらないと明確に主張し、行動する団体の長です。私の父親が与那国で働いていたとき、崎原さんに大変お世話になりました。崎原さんからは与那国の歴史と文化について話を伺いました。

島の歴史や文化を大切にし、誇りにしているからこそ、自衛隊という近代的な組織への依存を拒否しているのだと思います。自衛隊員、その家族が島に移住することで、島文化、島言葉が片隅に追いやられてしまうおそれもあります。崎原さんからは島の言葉、生活、習慣などについても教えてもらいました。

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ゆいまーるの集いは、政治や経済や行政だけが自治の分野だとは考えていません。歴史、文化、生活、習慣全般にわたる人間の自治が発揮されないと、島、地域は動かないと考えます。リーダー、町役場、国だけが島を動かせるものではありません。

自治を文化とを結ぶつけることが、ゆいまーるの集いの大きなテーマです。島の言葉、習慣、自然、社会全体を自治に結びつけることが大切であると考えています。

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宮良さんからも島の習慣、文化についてのご発言がありました。文化人類学者である、東海大学の加藤先生は後日、宮良さんのご自宅に行き、詳しく島の文化について伺いました。宮良さん、ありがとうございました。与那国の文化は非常に奥深く、人を引き付ける強い磁力をもっています。

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参加者全員が、当事者意識をもって真剣に議論をしているところです。後方におられる方が、沖縄タイムスの記者さんだと思います。後日、同紙で、このつどいについて報道してもらいました。

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ゆいまーる琉球の自治in与那国島14

今、台風の余波で強風が私が住んでいる地域にふいており、家が揺れ動き、テレビアンテナやベランダが吹き飛ばされました。湖西線も止まっています。自然の脅威を感じながらブログを書いています。


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ご親戚に日本一の書道家がおられる藤原社長に、横断幕の文字を書いてもらいました。

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会場は与那国農業構造改善センターです。無料で会場を貸していただきました。同センターは私の父親が与那国気象台所長退職記念の送別会を島方々に開いていただいた場所でもあります。
与那国町に感謝します。当日は沖縄タイムス、八重山毎日新聞、八重山日報社の記者が取材にきていました。

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舞台には畳がひいてあり、その壁に横断幕を張らせていただきました。田里さんが横断幕などご用意して下さり、マイクなどの音響は安里さんが準備して下さいました。感謝申し上げます。

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藤原社長が、自治とは何か、後藤新平と自治、自治的自覚の重要性について話しました。私は、与那国と私との関係、自衛隊が本当に島を守るのか、台湾と与那国との交流の可能性と太平洋諸島における島と海との関係、世界の島嶼における自治の事例などについて問題提起をしました。

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次に与那国花蓮県交流発展協会の安里理事長から、与那国の人々を代表してご挨拶を頂きました。町長の自衛隊誘致に揺れている与那国と報道されているが、自衛隊誘致によって島の自治、自立を実現するのではなく、島の人による自立のための活動、台湾との交流など、自分たちの力によって自治、自立の道を歩みたいという力強いお言葉をいただきました。



ゆいまーる琉球の自治in与那国島13

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昔の与那国島の写真展を空港でも、民宿でも見ました。写真がとられたころ、私は島に住んでいました。質的に豊かな生活がそこにはありました。


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世界最大の蛾である、「よなぐにさん」、です。よなぐにさんの博物館にも後日いきました。


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長命草も島の特産物であり、私も毎日、粉末にしたものをヨーグルトにかけて食べています。長命草そのものも、刺身と一緒に食べると大変おいしいです。

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与那国馬も島の宝です。他にも島にはたくさんの宝がありますが、一番の宝は与那国の人そのものです。島を大切に思う人々、これからも島に住み続けたいと思う人々が島を支えていくのです。

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与那国織工芸館です。女性たちが染め織の仕事をして、作品の販売もしています。私の妻も滋賀で染め織をしていますが、ゆっくりした人間の生命のペースにあった仕事の一つが染め織だと思います。これも与那国の宝です。

ゆいまーる琉球の自治in与那国島12

今日は深草商店街の地域おこしである、「100円商店街」のイベントに参加し、龍谷大学ボランティア・NPO活動センターのオリエンテーション合宿に参加します。学生とボランティアについて語りあいたいと思います。


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私たちの集いと同じ日に、国境フォーラムが健康保険センターで開かれました。与那国町長など、国境自治体の首長等が集まって話し合いをしたそうです。


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租納の港です。与那国は波や風が強く、荒々しい環境の中に島で生きてきました。


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なんた浜です。私が与那国島に住んでいたころ、家が浜の目の前にあり、毎日海で泳いでいました。背中の日焼けの皮がむける暇がないほど、泳ぎました。干潮の時はあるいて、イノーで魚やタコをとりました。
そのせいで、私の右背中から右腕にかけて日焼けの跡が今でも残っています。私の体に与那国の生活と太陽が刻み込まれています。

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てんじゃばなの姿は、40年前も今も変わりません。何ものにも負けないという、ごつごつした島の意思の強さを象徴しています。

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トヤマウタキです。与那国のウタキ信仰の中心です。ウタキの前に与那国の家がありました。近所の人が家に遊びにきて、毎日のように楽しい生活でした。近所の人は自分の家族のように私たちとつきあってくれました。

ゆいまーる琉球の自治in与那国島11

与那国での、ゆいまーる琉球の自治の集いの模様をyou tubeにアップしましたので、リンクをクリックしてご覧ください。

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与那国での前夜祭です。崎元酒造所の社長の崎元さんは、「与那国」を製造しており、交流会のために泡盛を提供してくれました。崎元さんは町議でもあり、島への自衛隊配備に反対し、議会でも活躍しています。


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田里さんです。台湾との交流事業を与那国役場職員時代から一生懸命、進めてきました。6年前に与那国を私が訪問しう、田里さんから台湾との交流について話を伺った時も、熱く、台湾との交流、与那国の自治について語ってくれました。台湾の花蓮に設置された与那国町事務所でも働いて、人的関係を築いてきました。


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西浜さんと、高岩先生は夕方の便で与那国に着かれました。田里さんのお話を皆で自分の問題として聞いています。

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田里さんの書斎にあった地図です。これをみると台湾と与那国とがいかに近いのか、日本政府が両方の交流を阻んでいることがいかに不自然であり、問題であるかが分かります。

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私たちが泊った民宿、アダンの窓から見た村の様子です。落ち着いた静かなたたずまいが心に沁み入りました。アダンは野底さんが経営しています。野底さんは、私が住んでいた東京の南灯寮の先輩で、現在、琉球大学教授をしている野底さんの親戚です。また、琉球独立党を復帰前に立ち上げた野底土南さんの親戚でもあります。

ゆいまーる琉球の自治in与那国島10

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今年3月に与那国島に来た時も池間さんに島の歴史や文化についてお話を伺いました。90歳とは思えないほど、お元気で、笑顔が絶えず、島を愛する気持ちが伝わってきました。資料館はそれほど大きくありませんが、資料館にあるモノ一つ一つに込められた意味は深く、大きな宇宙にいるような気持ちになりました。

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苗さんのご体験を踏まえた、島の民具について話はいつまで聞いていたいと思いました。


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苗さんは資料館に来る人誰にでも、やさしく出迎え、島のことを熱心に話をされます。ノートに来場者の名前と住所を書いてもらい、それを読むのが苗さんの楽しみ、と仰っていました。


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苗さんと出会いは、私たちに与那国とは何かということを知る大きな一歩になりました。苗さんから与那国を学びました。


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藤原書店の雑誌、『環』の「今こそ、琉球の「自治」を」に私が、琉球の偉人の一人として苗さんのことについて書かせていただきました。お読みください。

ゆいまーる琉球の自治in与那国島9

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今はのどかな久部良のまちですが、自衛隊がきたら一変すると思います。


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与那国はカジキをはじめとする魚がとれますが、自衛隊が来たら台湾、中国との緊張関係がつよまり、与那国漁船の操業にも影響がでるでしょう。


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有名な久部良バリです。妊婦を飛ばせて、堕胎させたという伝説があります。それほど、島人は人頭税に苦しんだと思われます。島にはそのほか、人升田の伝説もあります。国によって翻弄された歴史があります。


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久部良バリの近くにあった拝所で齊藤さんが祈りをささげました。


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池間苗さんと高良さんとの再開です。高良さんが県の教育委員会で働いていたときに、池間さんとお会いしたそうです。

ゆいまーる琉球の自治in与那国島8

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琉球最西端の碑に書かれていた琉歌です。高良さんが解説して下さいました。


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与那国の町花のユリです。


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与那国からは台湾の方が、沖縄島よりもはるかに近いのです。東京や、沖縄島を中心に与那国をみるのではなく、与那国を中心にして世界をみて、生活圏を構築する必要があります。


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西崎の展望台にある地図は与那国の位置を考える、とてもよい地図です。

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皆で与那国をアジア太平洋の中で考えました。

ゆいまーる琉球の自治in与那国島7

土曜日に宮城県に行きました。土曜日は多賀城の社会福祉協議会、西本願寺のボランティアセンター、塩釜などにいき、被災地、被災者の支援活動について話を聞いてきました。道をあるいていた被災者の方、被災地の子供を支援している楽天球団の方などにもお話を伺いました。今日も被災地各地に行き、被災・被災者の状況を京都にかえって学生に伝え、支援の形を学生とともに考えていきたいと思います。

昨日、夜遅く自宅に戻りました。昨日は朝8時に石巻に向かいました。先代市内から1時間超かけて、石巻につき、駅前にある石巻観光案内所で震災の話を伺い、石巻市役所に行きました。その後、歩いて被害が非常に大きい場所に行きました。

言葉を失いました。一生忘れることのできない光景でした。石巻専修大学に行き、社会福祉協議会の方と支援方法について話し合いまた。今日一日で1000人のボランティアが石巻で活動していました。

その後、バスで松島に移動する途中で、東松島の被害を目の当たりにしました。破壊された住宅、海水につかった田んぼなどが、どこまでも続いていました。松島では船に乗り、湾内の漁業の破壊状況、観光業への影響などについて地元の方に話を伺いました。

被災地でのボランティア活動は必要とされており、実際、全国また世界からボランティアの方がこられており、すこしづつ復興を自治の力でやり遂げていることを実感しました。



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西崎灯台を訪問しました。琉球最西端の場所です。


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漁港の久部良の村です。自衛隊が島に配備されると、漁業にも大きな影響が生じることが予想されます。


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高良勉さんです。NPOの理事として今回は与那国島の集いに参加して下さり、大変うれしく思います。


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与那国島で幼少期を過ごした私にとって、島は第二の故郷です。海で泳ぎ、山で遊び、川で魚をとって生活し、島の方々に育てられました。島は私の先生であり、いろいろなことを学ぶことができます。今回の集いも、島からたくさんのことを学び、他の人に伝えたいという気持ちで開きました。

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「チーズ」ではなく「サーターアンダギー」といって、写真を撮りました。高良さんがハワイの琉球人から教えてもらったそうです。琉球には琉球のやり方があって当然です。これから、どんどんはやらせましょう。

ゆいまーる琉球の自治in与那国島6

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子馬がゆっくりと草の上でよこになって休んでいました。非常に心が安らぐ風景でした。


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与那国の風景を代表する岩です。海の中から堂々とした姿が大変、すばらしかったです。


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比川の浜にあったボートです。軍用機の燃料タンクを利用してつくられたものです。かつて琉球にはこのように、米軍廃品を再利用した物品がよくみられました。琉球人のたくましさを感じます。


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高良さんが思い出をかみ締めるように浜を歩いています。今から30年ほど前に高良さんは与那国にして、比川に石油備蓄基地反対の琉球弧の住民運動に参加しました。琉球弧全体の反対運動によって石油備蓄基地の建設を阻むことができました。ゆいまーる琉球の自治を設立するとき、私は高良さんから琉球弧の住民運動の話を伺い、現在の運動の参考にさせていただきました。


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浜には中国や韓国からの漂着ごみがあり、斉藤さんがひろって持ち帰ってくれました。

ゆいまーる琉球の自治in与那国島5

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車で島を回っていると、ウシが道を堂々と歩いていました。島のウシは悠然としており、人間を警戒している様子はなく、人とウシと島が調和していきていました。


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与那国では琉球古来の葬式方法がいまでも続いています。最近亡くなった方の御墓です。様々な色の幟があり、土葬が行われ、遺体はガンとよばれる皆で担ぐ乗り物で運ばれます。


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西さんと高良さんです。雄大な海を体感することができた東崎です。かつては西表を見ることができたそうです。


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皆で写真をとりました。西浜さんと高岩先生は夕方の飛行機で到着されました。これから島の方々とお話をさせていただくことの期待と喜びにあふれた顔をしていると思います。

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東崎は、私が与那国島に住んでいたころ、友達と遠足にきて走り回った場所でもあります。与那国馬が休んでいました。

ゆいまーる琉球の自治in与那国島4

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与那国島について、まずレンタカーを借りて、食堂で昼ご飯をたべました。車で島中周り、租納の食堂があいていることがわかり、与那国そばを食べました。


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メニューの中にはオオタニワタリなど、島で食べられる料理もありました。それは他の木の上に自生する植物であり、私も島に住んでいたころにはいつも食べたもので、大変おいしいです。

島でのフィールドワークでは、島の食べ物を食べることができるのも楽しみです。

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壁にはいろいろな色紙があり、政府関係者がさまざまな意図をもって、与那国島を訪問していることがわかります。

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与那国織の工房兼、お土産販売店です。与那国織のポスターに写っている女性が説明してくれました。島の文化がしっかりと、若い女性に継承されていることが分かりました。

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食堂の名前は「国境」とかいて、「はて」と読みます。与那国は国境の島ですが、国境に閉じ込められていたら、与那国ほど生活、経済で困難なところはありません。国境を超える活動が与那国の将来にとって必要だと思います。

ゆいまーる琉球の自治in与那国島3

5月18日の『沖縄タイムス』に、ゆいまーるの集いについて写真入りで報じていましたので、お伝えします。

取材ありがとうございました。




 「ゆいまーる琉球の自治の集いin与那国」(主催・NPO法人ゆいまーる琉球の自治、代表・松島泰勝龍谷大学経済学部教授)が14日、与那国町構造改善センターで開かれた。住民や学識者ら約20人が町への「自衛隊配備」や「台湾との交流推進」「産業振興」などのテーマについて話し合い、島民主体の自治のあり方を模索した。「与那国・花蓮県交流発展協会」(安里與助理事長)が共催した。

 松島教授は「県北部のやんばる地域では基地関連の補助金が増えても失業率は高く、人口減少は止まらない」と指摘。「自治とは島の一人一人が現状を考え、島をつくるという自覚を持って行動することではないか」と提起した。

 その上で「台湾が日本の植民地となった1895年以降は国境線がなくなり、人とモノが自由に行き来して島は発展した。もしも国境がなくなれば、海を介在してほかの地域とつながる島は大いに発展する可能性がある」とした。

 安里理事長は「人口減少により、地域の伝統行事や文化活動に担い手不足という影響が出ている」と報告。「八重山全体が台湾との交流に積極的に取り組み、協会が国境を越えた新しい生活交流圏の創造を目的とする中、自衛隊配備によって本当に島は活性化するのか」と問い掛けた。

 中京大学の佐道明広教授(政治学)も「自衛隊は地域振興のための機関ではなく、配備されたからといって産業が栄えるわけではない。短期的には島民になるかもしれないが、『いずれ帰る人』に島の未来を託せますか」と指摘。「与那国島に新たに基地を造ることは(周辺国に対し)『脅威に思っていますよ』というメッセージにもなる。国が与那国の将来像を考えて自衛隊を置く、という話ではないことを考えてほしい」と呼び掛けた。

 参加者からは「町には定住支援制度がない。本当に人口を増やす努力をしているのか」「小笠原諸島の父島の高校は定員20人。与那国も人数的には高校設置も不可能ではない」などの意見があった。

 同NPOは2007年の設立以来、久高島や西表島、沖永良部島など9島で各島民と同様の集いを開いてきた。

ゆいまーる琉球の自治in与那国島2

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沖縄キリスト教学院大学の教員になった照屋君です。照屋君は、大学時代、「先島クラブ」というサークルの後輩です。先島クラブでは、琉球の本を一緒に読んだり、激しい議論をしました。照屋君は高校の教師になったあと、京都大学の大学院に進学し、そこで博士号をとりました。すばらしい忍耐力と行動力だと思います。


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沖縄タイムス社の与那嶺記者です。東京の南灯寮時代の後輩です。先島クラブの後輩でもあります。人一倍、琉球にたいする思いが強く、洞察力が深く、これからの琉球のジャーナリズム界を引っ張って行ってくれる逸材です。


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今日初めてお会いした沖縄タイムス社の城間さんです。にこやかななかに、内にしっかりとした核心をもった方だと思いました。これからも宜しくお願いします。


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琉球朝日放送の三上さんです。ニュースキャスター、記者をされています。以前からテレビで拝見していました。この度、大変権威のある「ウーマン賞」を受賞されました。昨日の京都新聞にもお写真とともに紹介されていました。金城さんのご紹介でこの交流会にこられました。


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沖縄キリスト教学院大学の本浜さんです。西川先生のゼミの1年先輩になります。文化表象論、文学批評などのお仕事をされています。近著では『手塚治虫とオキナワ』があり、大変、興味深くよませていただきました。琉球でもっとも活躍されている文化表小論、文学批評をされている方であると思います。

ゆいまーる琉球の自治in与那国島1

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12日、新崎先生との対談のあと、15人ほどのかたと交流会をしました。右が金城さんです。
金城さんは新崎先生に、「先輩」と親しみをこめて呼び、握手をしていました。


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新崎先生は、ご自身の半生、戦後沖縄史について話され、琉球の自治・独立と社会運動、振興開発の在り方、「琉球処分」と戦後沖縄史との関係、パラオと沖縄などについて話し合いました。

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西浜さんと高岩先生です。高岩先生は宮古以来のご参加です。お二人とも、与那国にいった後は辺野古に行かれました。

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藤原書店の西さんです。この交流会の前に金城さんのアトリエにいかれ、インタビューをされたそうです。金城さんはときどき、テーブルをたたき、気迫のある声で話され、琉球人のパワーをもらいました。

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川満さんはいつも若々しく、にこやかに、我々と話をして下さいました。先日、琉球の抱瓶に行ったとき、お手洗いにたくさんの川満さんの新聞記事が貼られていました。いまでも琉球において大きな影響力をもっている人物の一人です。新崎さん、金城さんとともに、和やかに交流していました。

新崎先生との対談、ゆいまーるの集い前夜祭が開かれました

昨日は沖縄大学の新崎盛暉先生と、戦後沖縄史、米軍基地問題と社会運動、琉球の自治と独立、ミクロとマクロの民衆運動、「琉球処分」の意味、琉球に対する構造的差別などについて話し合いました。


よるは、「はりゅう」で交流会をし、多くの方、14名ほどが参加しました。


新崎先生、彫刻家の金城さん、琉球朝日放送の三上さん、詩人の川満さん、沖縄タイムス記者の与那嶺さんと城間さん、

沖縄キリスト学院大学の本浜さんと照屋さん、藤原書店の藤原社長と西さん、大阪からこられた西浜さんと岩高牧師、そして私です。

大変楽しく、刺激的なひと時でした。今日はこれから与那国島に行きます。


今日の沖縄タイムスに防衛省が正式に与那国への陸上自衛隊配備の具体的な計画を明らかにしましたことが大きく報道されています。与那国島でのシンポでも、島の今と未来を考える真剣な議論が行われると思います。

琉球人の若者による琉球の脱植民地化のための話し合い

昨晩は台風にもかかわらず、若手の琉球人があつまり、琉球人の自己決定権の行使、国連脱植民地化特別委員会への参加の意味、現在の琉球の現状と将来の目標などについて真剣に話し合いました。

今の琉球が直面している植民地状況を打開するために若い人の力が必要です。参加者は、琉球人の脱植民地化、自己決定権の実施を求める組織や活動を地道に行っている人々です。

このような若い琉球人と話し合うことができて、大変うれしく、幸せなひと時でした。

小さなあつまりでしたが、中身は非常に濃く、参加者それぞれがご自分の立場を踏まえながら、次への行動、思索につなげていくと思います。私も同じです。

「琉球には希望」があると思えました。


生活者の視点をふまえて、琉球の植民地状況を厳しく批判する知念ウシさんも来ていましたが、ウシさんが書かれている『ウシがゆく』沖縄タイムス社の重刷が決まったそうです。皆さんもぜひお読みください。

今日から琉球に行きます(第10回ゆいまーる琉球の自治in与那国島)

今日、琉球に行きます。夕方、琉球の自己決定権行使について関心のある若手の方々とミーティングを行います。明日は新崎先生と話し合い、夜は、ゆいまーるの集いの前夜祭をし、交流を深めます。

13日に与那国島にいき、午後から島内をレンタカーでまわります。私は小学2年までの3年間、与那国島にすんでいました。

その後、何回か島にいき、今年の3月には事前に島にいき、今回の集いの準備をしてきました。与那国島は自衛隊を受け入れた自立、自治をめざすのか、台湾との交易に力をいれるのか、島の過疎化問題、農業・漁業そして長生草などの特産物製造業の可能性について、深く島の方々と議論をする予定です。

田里町議、崎原与那国改革会議議長(私の父親が与那国で働いていたときにお世話になっていた方)、安里・与那国花蓮県交流発展協会会長など、島の方に大変お世話になっております。琉球の自治について考え、熱い議論をしたいと思います。


I will go to Okinawa today.Today,I will meet with some young Okinawas to talk about the militalization of Guahan and Okinawa,and the possibility of participation of Un Special Committee on Decolonization.In 12th,I will talk with Mr.Moriteru Arasaki who is chairperson of Okinawa University and specialist of Anti US military base moveme...nt in Okinawa.In 13th,I will go to Yonaguni Islands which is situated at most western place in Okinawa and near Taiwan.You can see Taiwan from Yonaguni when the climate is good.The Japanse government has the plan to to Japanese military base on this island eventhough the protest of many Yonaguni people.I will have the forum to discuss about the militarization of Yonaguni Island with Yonaguni people and other people who come from other places in Japan.I think that the militarization of Guahan is strongly related to that of Okinawa.The anti militarization movement of Okinawa is good at that of Guahan.

北沢防衛大臣の宮古島入りの波紋

5月9日にの宮古新報の記事をご紹介します。

北沢防衛大臣は「地元に迷惑はかけない」といっていますが、すでに賛成反対の対立を島内にもちこみ、島に混乱をもたらしています。被害日本大震災後、日本には琉球に自衛隊を配備する財政的な余裕はないはずです。
菅政権は本気で東日本の復興を考えているのでしょうか。

宮古島に行ったとき伊良部大橋をみましたが、国は下地島を軍事利用するために着々と公共事業を島で行っています。

自衛隊誘致によっては島に自立も自治も実現しません。




沖縄を訪問している北沢俊美防衛相が8日、 宮古島を訪れ、 市上野野原の航空自衛隊宮古分屯基地を訪問したほか、 宮古空港で下地敏彦市長と面談した。 また、 上空から下地島空港を視察した。 面談の中で北沢氏は 「(自衛隊配備の) 総合的な計画を練るため、 現地を視察した。 内容が固まり次第説明していきたい」 と話した。 一方、 宮古空港、 同分屯基地周辺には自衛隊誘致賛成派、 反対派が集まり、 歓迎と抗議活動を繰り広げた。


 北沢防衛相は午前10時ごろ、 自衛隊機で宮古空港に到着。 到着後、 同分屯基地に向かった。 基地内では配備されている地上電波測定装置などを視察したとみられる。

 同11時半ごろから宮古空港VIPルームで行われた面談には下地市長をはじめ、 長濱政治副市長、 安谷屋政秀総務部長、 古堅宗和企画政策部長が同席した。

 北沢防衛相は 「日ごろから分屯基地に理解をいただきありがたく思う」 とし、 「今年度、 南西諸島の (自衛隊) 配備についての調査費3000万円がついた。 一つには最南端の与那国を中心に、 考え方をどうまとめるかがある。 先島全体では規模は未定だが、 総合的な計画を練るため現地を視察した」 と今回の目的を説明。 下地市長に対し 「いろいろな計画が一つずつまとまったら知らせ、 共に考えていきたい」 と話した。

 下地市長は 「調査はこれからということで、 内容が固まり次第説明をお願いしたい」 と求めた。

 また、 北沢防衛相は 「自衛隊誘致に賛成、 反対はあるので、 地元になるべく迷惑をかけないような形をつくりながらやっていきたい」 と話した。 面談の中ではそのほか、 尖閣諸島周辺での漁業の操業について、 宮古島の概要などについて意見を交わした。

 防衛省は先島諸島周辺海域での中国海軍の活動が活発化していることを踏まえ、 宮古島や石垣島に陸上自衛隊の国境警備部隊を段階的に配備することを検討しており、 北沢防衛相も 「先島の防衛拠点は重要で何らかの形で配備したい」 との意思を示していることがこれまで全国紙等で報道されている。 同氏は昨年3月に与那国島も訪問している



北沢俊美防衛相が帰任後、 宮古空港で行われた記者会見で下地市長は 「大臣は今後、 誠実に話してくれるという印象を受けた。 これから調査が始まり、 その都度説明を頂けると思う」 と述べた。

 今回の来島については 「南西諸島の防衛を防衛大綱の中できちんと位置付けており、 その対応として防衛省の最高責任者として宮古島の現状を見ておきたいという気持ちで来島したと思う。 今後、 調査の内容はわからないが、 現在、 市に対して協力を求められていることはない」 と説明した。

 自衛隊誘致反対派、 賛成派については 「国防について十分論議すべき時期にきている。 意思表示は構わない。 もっと掘り下げた理由で市民が納得できるような意見を (基に) 論議してほしい」 とした。

 また、 下地島空港については 「県・市町村行政連絡会議でも言っている通り、 災害時緊急支援物資基地の推進をずっと県に要望している」 と述べた。



8日、 北沢俊美防衛相の来島に合わせ、 市民団体や市議会の有志らからなる宮古平和運動連絡協議会準備会 (星野勉世話人代表) が抗議集会を宮古空港周辺で行った。 また、 上野野原の航空自衛隊宮古分屯基地前では下地島に自衛隊を誘致する住民の会 (伊志嶺朝令会長) がのぼりを手に来島を歓迎した。

 反対派は北沢防衛相が到着する午前10時ごろ、 宮古空港入口付近で 「宮古島に自衛隊はいらない」 「下地島、 宮古空港の米軍、 自衛隊の軍事利用に反対」 「憲法九条を実現しよう」 などと書かれた横断幕やプラカードを手に 「宮古への自衛隊配備反対」 とシュプレヒコールを上げ、 北沢防衛相の来島に強く反発。 また、 同分屯基地から戻る午前11時半ごろ、 自衛隊機が離陸する正午ごろにもシュプレヒコールを繰り返した。

 みやこ九条の会の三浦春彦事務局長は 「分屯基地の通信施設は戦争の際に狙われ、 危険。 我々としても遺憾。 国境の島に軍事設備を配備するのでなく、 憲法にのっとり、 近隣諸国と友好を深めてほしい」 と話した。

 同分屯基地前で来島を歓迎した同住民の会は約20人が集まった。 伊志嶺会長は 「我々の目的は地域振興。 今のままの伊良部では橋が架かっても活性化しない。 下地島空港を有効活用しないとこれからの発展はない」 と説明し、 「中国の潜水艦などが日常的に接近しており、 危険な状況にある。 我々は独自で自衛隊誘致を呼び掛けるが、 市としてもはっきりと誘致に賛成か反対か言ってほしい」 と意見を求めた。

基地建設について充分な説明をしない、できない日本政府

5月8日の沖縄タイムスの記事をご紹介します。


日本政府は琉球に対してなぜ辺野古出ないのかを合理的に説明する責任を放棄しています。
県知事でさえ、その説明をうけないまま、基地建設を押し付けられようとしています。

基地返還と移設問題の切り離しがなぜできないのかの、合理的な説明も日本政府はしていません。

他の基地との一体的な運用の合理的説明もなされていません。

植民地の住民には説明する必要がないというのが日本政府の本音なのでしょうか。




 「なぜ辺野古でなければならないのか」「県民に納得いく説明を」―。政権交代以降、4度目となった仲井真弘多知事と北沢俊美防衛相の会談は、互いの認識の違いを一層浮き彫りにした。日米合意の推進を型どおりに告げる北沢氏に対し、仲井真知事は「(普天間移設が)20~30キロの範囲でなければならない説明は何度うかがっても分からない」と、いつにも増して強い口調で反論。会談後には「(北沢氏が)何をしにきたのか分からない」と切り捨てた。(黒島美奈子)

 「似てますね。かりゆしウエア」と仲井真知事が切り出し、「同い年ですから」と北沢氏が応え、当初和やかにはじまった会談。しかし様子が一変したのは、「嘉手納基地以南の米軍基地返還と移設問題のパッケージを切り離すことは困難」との見解を述べ、北沢氏が席を立とうとした瞬間だった。

 「ちょっとお待ちください。意見が一つあるんですが」。会の終了を伝える司会の声を遮った仲井真知事は、普天間飛行場の移設がなぜ名護市辺野古でなければならないのか―理由を問いただした。

 「東日本大震災の時は、沖縄から東北へも(米軍が)行くわけでしょう。だからといって(抑止力の)機能が落ちるわけでもない。なぜこんなごちゃごちゃと(狭い沖縄で)なければならないのか」と知事。嘉手納以南のパッケージも「もとは別問題だ」と強い口調でただした。

 これに対し、北沢氏は他基地との一体的な運用の必要性を力説。知事の想定外の質問に「私みたいな頭の悪い者でもしばらくやっていたら理屈は分かるんですが」と、いらだつようなそぶりも見せた。

 会談の最後には「ワープロではなくて色綴(つづ)りで持ってきました。少しお金もかけました」と辺野古移設の必要性を記したというカラーパンフレットを知事に差し出したが、最後まで「納得のいく説明がほしい」という仲井真知事の質問に答えることはなかった。

250人抗議集会 県庁前

 北沢俊美防衛相が仲井真弘多知事と会談した7日、県庁前では米軍普天間飛行場の県内移設に反対する市民団体など約250人が抗議集会を開いた。北沢防衛相を乗せた車に近づこうとする参加者が警察官に制止される一幕もあり、一時騒然とした。

 大勢の警察官が警戒に当たる中、参加者らは北沢防衛相にシュプレヒコールを繰り返した。普天間飛行場滑走路北側に住む仲村渠永昭さん(55)=宜野湾市普天間=は「普天間は老朽化しており危険だ。固定化できるはずがない。実現しない県内移設はあきらめ早期返還すべきだ」と憤った。

 那覇市の70代女性は戦時中、身内が座間味島で「集団自決(強制集団死)」を体験した。「本土のために沖縄を犠牲にする構図は戦時中と変わらず、沖縄は苦しみ続けている。自立でなく、依存を強める振興策もいらない」と訴えた。

 ヘリ基地いらない二見以北10区の会の浦島悦子共同代表は「(政府は)米国の要求は受けるが、県民の民意はくみ取らない」と政府の姿勢を批判した。

宮古島視察に抗議
地元市民団体が声明

 【宮古島】宮古島市の平和運動グループや個人有志による「宮古平和運動連絡協議会」準備会のメンバーは7日、市平良の中央公民館で会見し、航空自衛隊レーダー施設がある宮古島分屯基地を8日に訪れる予定の北沢俊美防衛相の視察に抗議する声明を発表した。

 声明では、宮古・八重山に陸上自衛隊を配備する防衛計画大綱などに触れ「防衛相の宮古島来島はこれらの動きと軌を一にする」と指摘。レーダー施設が攻撃の的になる危険性や陸自配備が近隣諸国との緊張を激化させるとして、新たな自衛隊配備への反対とレーダー施設撤去を求めている。

 準備会の星野勉呼び掛け人代表は「辺野古移設で普天間飛行場が現状にとどまった際、下地島空港の暫定使用など自衛隊誘致と絡んだ新たな動きが出ないか懸念がある」と話した。

第14回鳩間島音楽祭

5月4日の八重山毎日新聞の記事をお送りします。

音楽による島おこしのこころみも素晴らしいです。




「届け!被災地へ 小さな島の大きな元気」。第14回鳩間島音楽祭(主催・同実行委員会)が3日、鳩間島コミュニティーセンター前広場で開催された。音楽祭には郡内外から1000人(主催者発表)の観客が来場。ステージでは特別ゲストとしてBEGINの島袋優さんをはじめ、下地勇さんや鳩間可奈子さんらが次々と出演して会場を盛り上げ、人口約60人の小さな島は音楽祭一色に染まった。

 同音楽祭は島の活性化と地域おこしを目的に1998年から開催され、現在では毎年、1000人以上の鳩間ファンが詰めかける人気イベントとして定着している。今回は東日本大震災の被災地復興支援に向けたチャリティーグッズの販売なども行われた。

 音楽祭は鳩間島民俗芸能保存会の「ユーアギジラマ」で幕開け。鳩間小中学校児童生徒による校歌斉唱やイタ&カズサンバチーム、田代哲二グループが南米音楽やロックを演奏。民俗芸能保存会による「鳩間中森」も披露された。

 音楽祭スペシャルバンドとして島袋優さんや下地勇さん、田代浩一さん、加治工勇・敦親子らがオリジナルソングを次々と演奏。軽快なトークで会場を沸かせ、アート&スチールワークアーティストとして活躍する大城英天さんのライブペインティングも行われた。

 ステージの最後は鳩間オールスターズによる「鳩間の港」で会場とステージが一体となって盛り上がり、鳩間港ターミナルでの見送りライブで幕を閉じた。

 晴天に恵まれたこの日は西表島で28.5度(午後3時12分)を記録する真夏日となり、会場では次々と披露される音楽を満喫しながら、合間に海水浴を楽しむ観光客もおり、思い思いに地域イベントを堪能していた。

 実行委員長の通事建次鳩間公民館長は「鳩間音楽祭の魅力は島民も観客もみんな自然体ということだと思う。手作りのまつりを楽しみに大勢の観客が訪れてくれてうれしい。皆さんのおかげで数々の賞をもらうことができた」と音楽祭の成功を喜んだ。

 また、全国初の地上デジタル放送全世帯普及達成認定証がデジサポ沖縄から同公民館に贈られ「鳩間島全世帯地デジ化完了宣言」も行われた。

鳩山前首相も琉球人に嘘をついていた

5月5日の沖縄タイムスの記事です。

琉球人の前では県外移設をいいながら、裏では米国に辺野古建設をいうという、嘘を鳩山前首相が言っていたことが明らかになりました。

一国を代表する人が平気でうそをつくという実態がまた明らかになりました。

原子力専門家が原発は安全だと嘘をつく。経済学者が振興開発をすれば、琉球は自立経済を実現できると嘘をつく。

権威のある人、専門家がいう言葉が本当かどうかを、疑ってかからなければ、自分の生活が守れないのが現実なのです。

最終的な判断は自分でする。情報を集め、分析し、考察し、そして発表し行動する力、つまり自治的能力が不可欠になっています。



 米軍普天間飛行場移設問題をめぐり、鳩山由紀夫首相(当時)が2009年末、コペンハーゲンでクリントン米国務長官と会談した際、新たな移設先が見つからなければ、06年に米国と合意した名護市辺野古への移設案に立ち戻る意向を伝えていたとされることが、内部告発サイト「ウィキリークス」が5日までに公表した米公電で明らかになった。

 鳩山政権は当時、辺野古に代わる新たな移設先の検討作業に着手。鳩山氏は日本国内では、沖縄県外への移設も視野に06年の日米合意の修正に意欲を見せていたが、米側には逆の意向を示していたことになる。

 在京米大使館から米国務省などに宛てた09年12月の機密公電によると、藪中三十二外務事務次官(当時)は同21日、ルース駐日米大使と昼食を共にした際、鳩山氏がクリントン氏に対し、新たな移設先が見つからなければ「日本政府は06年の日米合意に立ち戻る」と確認したと伝えていた。

 別の機密公電によると、同9日には、前原誠司国土交通相(当時)がルース氏と会談。前原氏はその際、10年度予算や同関連法案が成立してしまえば、鳩山政権は辺野古移設案に反対する社民党や、国民新党との「連立を解消する用意がある」と告げていた。

 これらの会談から約半年後の10年5月、日米両政府は普天間飛行場の移設先を辺野古崎地区とする日米共同声明を発表した。

 菅直人首相は、日本政府はこれらの公電の内容にコメントすべきでないと述べている。(共同通信)

琉球人に嘘を言い続ける日米両政府

5月5日の沖縄タイムスが報じた、ウィキリークスによる情報公開についてお伝えします。

「復帰」のときも、日米両政府は琉球人に嘘をつきましたが、今回も、同じく嘘をついて、だまして
基地建設を行おうとしています。

「嘘はドロボーのはじまり」といいますが、政府の高官、首脳が嘘をついているのです。

人間として恥ずかしいことです。信頼できる政府とはいえません。植民地政府だからできることです。

琉球人はこのような嘘にだまされず、情報を集めて、自らの身を守らねばなりません。



 

【在沖縄米海兵隊のグアム移転に関する公電】=2008年12月

 一、06年4月の日米交渉で、グアムの軍用道路建設費10億ドルが再編費用に盛り込まれた。

 一、費用全体を膨らませることにより、日本の負担比率を(見掛け上)減らすことができる。米国はこの道路を移転に当たって絶対的に必要なものとは考えていない。

 一、移転対象の海兵隊員と家族をそれぞれ8千人と9千人とした数字は日本向けに意図的に最大化したものだ。

 【災害対策などに関するシーファー駐日米大使の公電】=2008年3月18日付

 一、縦割り主義でリスクを避けたがる日本官僚組織が「備えが不十分な際の危機に対する脆弱(ぜいじゃく)性」を高めている。

 一、日本をまひさせる災害が発生すれば、世界経済に影響を与える。

 一、重要な社会基盤の防御や、災害が発生した場合の悪影響を最小限に抑える方法を日米2国間で協議することは有益かもしれない。

 【北朝鮮問題などに関するキャンベル・斎木会談】=09年9月21日付

 一、キャンベル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)が外務省の斎木昭隆アジア大洋州局長と会談した。

 一、斎木氏は、北朝鮮が日本人拉致被害者の一部を殺害したが、一部は生存していると考えていると述べた。横田めぐみさんは比較的若いことから、その安否が最大の問題であり、人々は横田さんのケースに最も心を寄せているとも述べた。

 【政権交代などに関するキャンベル・山岡会談】=同日付

 一、民主党の山岡賢次国対委員長はキャンベル次官補と会談した。

 一、日米密約に関しては透明性を重視する。鳩山首相や岡田外相は政治的な理由から非核三原則の法制化を望むかもしれないが、山岡氏と小沢一郎幹事長は核持ち込みが必要な場合もあると国民を説得することが重要と考える。

 一、小沢氏は中国で胡錦濤国家主席らに歓待されたが、米政府は同様の対応を取らなかった。

 一、小沢氏は民主党最大の実力者であり、次期参院選で勝利すればさらに影響力を強める。鳩山氏の次の首相となる可能性は高い。

 【在沖縄米軍基地問題に関するキャンベル・長島会談】=10月15日付

 一、キャンベル次官補らと長島昭久防衛政務官らが会談。

 一、長島氏によると、北沢俊美防衛相は現実主義者で現行の移設計画を支持している。

 一、キャンベル氏は、鳩山首相が北京で「米国に依存し過ぎていた」と述べたことを受け、日米関係に危機をもたらすと警告した上で、米国政府が日本より中国に関心を向けたいと公言したら、日本はどう反応するか想像してほしいと発言。

 一、(長島政務官らが席を立った後)高見沢将林防衛政策局長は、長島氏の現行計画に関する発言を額面通り受け取るべきではないと指摘。省内ではもっと強硬だと述べ、米側は再編計画見直しへの柔軟性を見せるべきではないと発言。

 一、防衛省側が在沖縄海兵隊のグアム完全移転や、沖縄県内の他の施設との補完により抑止力は維持可能ではないかとの仮説を提示すると、キャンベル氏は劇的に向上している中国の軍事力を指摘し、有事の際は嘉手納基地と那覇空港以外にもう一つの施設が沖縄に必要だと述べた。

 【同問題に関するズムワルト・山岡会談】=12月9日付

 一、ズムワルト駐日米首席公使が山岡氏と会談。

 一、山岡氏によると、沖縄県の仲井真弘多知事は普天間移設は現行計画をやり通さなければならず、それが政治的に生き残るための唯一の道だと分かっている。

 一、沖縄の人の意思を尊重していては何も起こらないだろう。沖縄県知事選前に政府が決定すれば、沖縄の政治問題は大したことはない。

 【日米関係などに関するルース・前原会談】=10日付

 一、ルース駐日米大使は前原誠司国土交通相に「鳩山氏がオバマ大統領に『信頼して』と言いながら最後までやり通さないとの問題もある」と指摘。

 一、前原氏は日米同盟関係悪化について「喜ぶ国は2カ国だけだ。中国と北朝鮮だ」と発言。

 【基地問題などに関するズムワルト・松野会談】=10年1月26日付

 一、ズムワルト氏が松野頼久官房副長官と会談。

 一、松野氏は、鳩山首相と日米作業グループは、普天間飛行場を沖縄県外に移設する案を「形式的」に検討しなければならないが、唯一の現実的な選択肢は普天間をキャンプ・シュワブか、その他の既存施設に移転させることだと述べた。

 一、松野氏によると、日本の安全保障政策は地方自治体によって決定されることはなく、(移設反対派が当選した)名護市長選の結果は鳩山首相の最終決断において重大な要素にならない。

 一、松野氏は、キャンプ・シュワブ沿岸部を埋め立てる現行計画は「死んだ」と強調。工事現場の周辺で抗議行動が起きる可能性が強いとした。

 一、松野氏は、名護市長に当選した稲嶺進氏が普天間移設の現行計画への反対を表明したとしても、同氏は修正案を受け入れるかもしれないとの見方を示した。

 【日米安全保障高級事務レベル協議】=10年2月4日付

 一、キャンベル次官補と外務省の梅本和義北米局長らが日米安全保障高級事務レベル協議を開催した。

 一、キャンベル氏は「北朝鮮情勢、増大する中国の軍事力などに直面し、日米同盟は史上最も重大な試練を迎えた。だが、この現実は見過ごされがちだ」と指摘。

 一、米国はグアム周辺とアジアでの自衛隊のプレゼンスと活動の強化を要請した。(肩書は当時)

グアムの人々が太平洋における放射能汚染を大変心配しています

グアム在住の方からのメールをお伝えします。
メディアは日本内における放射能汚染問題に焦点を合わせていますが、太平洋の島々、とくにグアムの人々は放射能汚染に大変心配しています。海洋生物への汚染が広がれば、人々の食糧源がなくなり、観光業、漁業にも大きな影響を与えます。

太平洋を通じて日本と太平洋諸島はつながっているのです。




from Worldpress.org: today's headlines
Levels of Radioactive Substances in Pacific Marine Increase



Tokyo, Japan, May 4, 2011 /WNCNews/ ?? Levels of radioactive substances have increased
in Japan??s Pacific seabed, especially near the Fukushima Nuclear Power Plant, which
was paralyzed by the earthquake and tsunami on last March, thus as reported by the rea
ctor operator.


??Samples which are collected from areas on the seabed which is located about 15 kilom
eters (9 miles) from the Fukushima DaiichiNPP contain cesium-138 as much as 1400 becqu
erels per kilogram,?? said Tokyo Electric Power Company(TEPCO).

The levels of radioactive substances were 600 times higher than maximum levels in
the past, 2.3 becquerels per kilogram, which was detected in the northeast of
Fukushima Prefecture.

The samples which were taken on Friday also contain levels of cesium-134 as much as
1300 becquerels and 190 becquerels of iodine-131, according to TEPCO statement that
was issued on Tuesday night, after the first analysis of the seabed since the
massive disaster on March 11.

According to TEPCO spokesman, levels of both compounds were too low to be measured
in the past. The company did not say whether it is considered as dangerous levels or
not.

Meanwhile, samples taken at another location, about 20 kilometers (12 miles) from
the reactor also showed the levels ofradioactive substances which is also high.
TEPCO said that they will continue to check radiation levels.

We can not say anything exactly with a single proof. We will conduct the examination
of more samples and keep to monitor,?? said the spokesman.

Samples taken from a depth of 20-30 meters (66-100 feet) about 3 kilometers from the
coast. Fukushima nuclear power planthas released radiation into the air, land, and
sea after suffering severe damage from a large earthquake and tsunami.

Greenpeace, last Tuesday, started doing independent tests on samples of sea water arou
nd Japan??s nuclear plants which are paralyzed because radiation contamination.

Samples will be collected outside 12 miles of the territorial waters of Japan in acc
ordance with government regulations,?? said Greenpeace.
Article Written by gavinfarrell
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Sendai, Japan, March 26, 2011 /WNCNews/ ?? The radiation levels increased 10 times in
a day in the territorial sea or waters near Fukushima nuclear power plant, Japan. The
workers at nuclear power...

Radioactive Substances from Japanese Nuclear Reactor Detected in Russia
Moscow, Russia, April 1, 2011 /WNCNews/ ?? Radioactive substances of nuclear reactors
in Fukushima, Japan were detected in Russia. However, this does not harm people health
. Reported by AFP on Saturday...

Tepco Admits There is Miscalculation of Radiation Levels
Tokyo, Japan, March 28, 2011 /WNCNews/ Tokyo Electric Power Company (Tepco), compan
y which operates Fukushima Nuclear Power Plant admitted that there is miscalculation o
f radiation levels in the...

Fish in the Sea of ??Japan Contaminated Radioactive from Fukushima NPP
Tokyo, Japan, April 10, 2011 /WNCNews/ ?? Radioactive cesium exceeded the normal limit
for consumption was found in samples of fish off the coast of Fukushima Prefecture in
northeastern Japan where...

Radioactive Water in Fukushima Nuclear Power Plant Will be Disposed to the Sea
Tokyo, Japan, April 4, 2011 /WNCNews/ ?? The Tokyo Electric Power Co (TEPCO), the oper
ator of nuclear power Fukushima, Daiichi, on Monday (4/4) said their plan to drain wat
er containing radioactive...


フェイスブックをはじめました

昨日からフェイスブックをはじめました。



関心のある方は「友達」になって下さい。どんどんネットワークを広げられたらと思います。



また英語版もつくり世界中に情報を発信し、ネットワークをつくりたいです。



検索で「フェイスブック」を探し、同ページの検索窓にいれると私の情報が出てきます。


多くの方とつながりたいです。

嘉手納基地の爆音を受け続ける琉球人

4月28日の琉球朝日放送の番組をご紹介します。


「日米が騒音防止協定を合意した1996年度から2006年度までが年間1000回から2000回で推移しているのに対し、嘉手納基地から本土への訓練移転がスタートしたはずの2007年度以降は急激に増加。
2009年度には4992回、そして2010年度には過去最多の5320回と増え続けているのです。

琉球の負担は軽減されていると、政府、専門家はいいますが、実際は、負担は大きくなっています。

琉球人の身体に対する負担を増強させる一方で、日米両政府は新基地をつくり、他の場所でも爆音被害を生み出そうとしています。

このような被害を受けたくないから、日本人は日本列島への在沖米軍基地の受け入れを拒否しているのです。




前回の4倍、国内の裁判史上最大規模となった嘉手納爆音訴訟。その背景にある騒音の実態を取材しました。


町民の3人に1人が原告となった嘉手納町。原告団嘉手納支部を引っ張っているのが仲本兼作さんです。

仲本兼作さん「口では表しようがないほど、例えばなんですが、体を突き抜ける音。これは耐えられないくらい苦痛」

仲本さんの自宅兼職場はアメリカ軍基地のフェンスから100メートル足らず。朝晩問わず、激しい騒音に晒されています。

ここを週に一度訪ねるのは、琉球大学工学部環境建設工学科の渡嘉敷健准教授。屋上に騒音測定器を設置し、データを採取しています。私たちが取材に訪れたわずか10分の間にも戦闘機6機が相次いで離陸。騒がしい工場内に相当する90デシベル以上の騒音や電車が通過する際のガード下に例えられる100デシベルの激しい騒音が繰り返し発生しました。

渡嘉敷健准教授「(80デシベル以上の騒音というのは)車を一番間近でクラクションを鳴らすとか、救急車のサイレンが音を出している。うるささはかなり感じると思います」


実際、嘉手納町の騒音はここ数年、激しさを増しています。嘉手納町によりますと深夜早朝の騒音は、普天間基地の返還が合意され、

日米が騒音防止協定を合意した1996年度から2006年度までが年間1000回から2000回で推移しているのに対し、嘉手納基地から本土への訓練移転がスタートしたはずの2007年度以降は急激に増加。

2009年度には4992回、そして2010年度には過去最多の5320回と増え続けているのです。

嘉手納町議会基地対策特別委員会・田仲康栄委員長「度重なる外来機の飛来と訓練、爆音被害の解決を求めてきたが」

激しくなる騒音。その原因の一つとみられているのが、アメリカ本国や日本国内の他の基地からやってくる「外来機」。

政府は「県外への訓練移転をすすめ基地負担の軽減を図っている」と強調しますが、その一方で嘉手納基地には外来機の飛来が相次いでいるのです。

嘉手納町民の3人に1人が原告になったことについて当山町長はー。

嘉手納町・当山宏町長「いくら負担軽減、騒音の軽減、事件事故の解決を要望しても、一向に改善されないという意味からすると、町民の心情も決してわからないわけではない」


そして迎えたきょう。嘉手納町からもたくさんの人が裁判所に駆けつけました。

仲本兼作さん「恐らく1人1人が我慢の限界。耐えるに耐えられない状態だということで、訴えてきている。爆音はいらないんだという強い意思を持ち続けられるかということが、恐らく課題ではないか」

激しさを増す騒音を背景に2万2000人にも膨れ上がった原告団。彼らの訴えを司法がどう判断するのか。その行方は、今後の基地問題に大きく影響するものと見られます。

第3次嘉手納爆音訴訟と琉球差別

4月27日の琉球朝日放送の報道番組をご紹介します。

嘉手納町は昨年度深夜早朝の爆音回数が測定を始めた1996年以降最多の5320回を記録しました。同じ日本国民であるのに、なぜ静かな夜、朝を迎えることを許されない状況が、今でも続いているのでしょうか。

これまでの裁判において、国側の代理人が、原告の住民を指して述べた言葉『たまたま周辺に特殊な感覚の持ち主、通常人と異なる生活態度者が存在する』は、差別発言です。

国は琉球、琉球人に対する差別意識をもっているから、このような状況を維持し続けることができるのです。






嘉手納基地周辺の住民およそ2万2000人が原告になり国を相手にアメリカ軍機の夜間早朝の飛行差し止めや、騒音に対する損賠賠償を求める第3次嘉手納爆音訴訟があす提訴されます。

中でも町民の3人に1人が原告に加わった嘉手納町。この裁判に親子2代で関わる嘉手納町の男性を取材しました。

午後9時を過ぎても、戦闘機が飛び交う嘉手納町。この町で生まれ育ち、親子2代で爆音訴訟に関わっている男性がいます。古謝斉さんには、特別な思いがあります。

古謝斉さん「親父が中耳癌で亡くなり、最後の言葉が爆音訴訟のことだったんですよ。今大変な状態だから、そこに行かなければならないということで。動けない体起こして、自分に問いかけたので、自分が大丈夫、親父、俺に任せとけ、僕がやるから安心して眠れということで翌日亡くなったんですよ。」

沖縄が本土復帰して10年後の1982年、嘉手納基地周辺の住民およそ600人が原告になり、国に対してアメリカ軍機の騒音被害を訴えた嘉手納爆音訴訟。

町議会議員だった斉さんの父・世徳さんも1次2次と、23年にわたって裁判に関わりました。ともに闘った又吉清喜さんは当時をこう語ります。

又吉清喜さん「復帰しても、何ら沖縄の基地の維持管理の方面、特に嘉手納基地から発する爆音は変わりない。」「日本国憲法の下で、47都道府県国民は平等ですから、沖縄県民も本土並みに平等に扱ってほしいというのが戦いの原点なんです。」

しかし闘いは厳しいものでした。アメリカ軍基地から発せられる爆音被害について、国は「司法判断に適さない」と主張。「お上を訴えるとは何たることか」といった雰囲気さえ漂っていたのです。国側の代理人が、原告の住民を指して述べた言葉『たまたま周辺に特殊な感覚の持ち主、通常人と異なる生活態度者が存在する』原告たちはこの発言に強く抗議しました。

当時、弁護団の1人だった衆議院議員の照屋寛徳さんはこう振り返ります。「もう我慢ができんと言って、国を訴えた原告らに対して、国を訴える人は異常者だと。特殊な感覚の持ち主だと。通常人と異なる生活態度とってんだと。これにはね、怒りましたし」

国と激しくやりあう原告たち。一方で斉さんは、いつも留守がちで家に帰れば部屋で資料を読みふける父に反発するようになっていました。古謝斉さん「とってもまじめで、何か難しい人だったんですよ。ずっと反発ばかりしていましたね。親父には。」

斉さんが裁判に関わったのは世徳さんが亡くなって4年が経ってから。お父さんの最期の言葉はずっと頭を離れませんでしたが、実は彼は、アメリカ軍基地で建設関係の仕事をしているため裁判に関わる決心がなかなかつかなかったのです。

今でも自分の立場に矛盾を感じたり、葛藤に悩んだりしていると言いますが、活動する中で、世徳さんの思いに気づき、最後まで裁判をやり遂げる覚悟でいます。

古謝斉さん「第3次の爆音訴訟の準備にあたって、色々爆音のことを勉強し初めて、親父はこんなことをやっていたんだ親父が立ち上げたんだ、すごいなということで。」「親父がなぜやったかというのは自分の子どものため、俺のため、家族のため、嘉手納町民のため、沖縄県のためにそういうことをやっていたと思うので、自分は自分でまた、自分の子どものためにやっていこうと」

嘉手納町は昨年度深夜早朝の爆音回数が測定を始めた1996年以降最多の5320回を記録。こうした状況を背景に、3次訴訟では町民の3分の一が原告団に加わりました。

「もう我慢が限度で、できないので、3次訴訟に参加しました。」「みんなの我慢限界超えてる。許せない、絶対に。」

およそ2万2000人という大原告団の総決起大会。斉さんは1次、2次訴訟の功労者に贈られる賞状を世徳さんに代わって受け取りました。親父に、こういうのをもらったよって言って、仏壇に飾っておこうかなと思っているので、よく頑張ったなって一言言おうかなって思っています。

3次訴訟の原告の多くが生まれたときから基地と隣合わせに生活している若い世代。アメリカ軍基地と関わって暮らしを立てている人もいます。様々な事情を抱えながらも、原告たちは「静かな夜を返してほしい」という切実な思いを裁判の場で、再び訴えます。

政府は、戦闘機の訓練移転などによる「基地負担の軽減」を強調しますが、一方で、外来機の飛来によって騒音は酷くなっているのが実情で、日米で結んでいる騒音防止協定も形骸化しているのが現状です。改めて基地の運用や管理の在り方が問われそうです。以上、動かぬ基地でした。

グアム戦時賠償請求、パラオのウイグル人、パプニューギニアと中国

2009年、6,7月の太平洋諸島ニュースを紹介します。

現在でも、グアムのチャモロ人は日本軍統治時代の戦時賠償を日本に求めています。

犠牲にったチャモロ人の正義はまだ回復されていません。



6/26 Pacific Daily News PIR
米国の防衛法案の中にグアム戦時賠償請求が盛り込まれた。

2010年の米国防衛認可法案の中にグアム戦時賠償請求が盛り込まれたが、同法案は米下院議会において389対22で可決された。第二次世界大戦中の日本軍のグアム占領による住民被害に対して1億260万米ドルの賠償を求める法案は、今年2月に米下院議会を通過し、現在、上院議会での審議を待っている。

1941年から44年の間、数千人のチャモロ人が日本軍による厳しい占領により犠牲になった。非武装の男女や子供が虐殺されたことは、住民の記憶に永遠に刻み込まれている。ボダリオ米下院グアム代表は「グアムの軍事占領により被害を受けた方々の正義を回復するために引き続き頑張りたい。」と述べた。




ウイグル人の受け入れは人道的な措置であるとともに、巧みな外交戦略でもあると思います。



6/25 Radio Australia PIR
パラオの大統領がウイグル人の安全を守ることを保証した。

パラオのトリビオン大統領は、ウイグル人がグアンタナモ湾からパラオに再定住した場合、彼らの安全に関して心配することはないと明言した。ウイグル人は、中国政府がパラオにいる彼らに接近するのではないかと恐れている。

ムスリムのウイグル人は中国西部の新疆ウイグル自治区の出身である。中国政府は彼らをテロリストとみなし、同地区においてイスラム分離独立運動を展開していると考えているが、米国政府はかれらをテロリストとは認識していない。


軍事的関係だけでなく、政治的、経済的関係が強化されています。



7/1 The National PIR
パプアニューギニアが中国との軍事関係を強化している。

パプアニューギニアのイラウ軍司令官が1週間、軍事交流訪問で中国に滞在している。安定的で、持続可能な形での軍事的関係の強化を目指して、パプアニューギニアと中国の両政府が協力し合っている。

軍事訓練協力、軍事幹部の公式訪問等を通じて、過去10年間、両国の軍事協力関係が形成されてきた。パプアニューギニアは中国と1976年に二国間関係を締結した。イラウ軍司令官は、パプアニューギニア政府と同軍隊は、現在も「一つの中国政策」に同意していることを強調した。

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