FC2カウンター

プロフィール

Yasukatsu Matsushima

Author:Yasukatsu Matsushima
1963年琉球石垣島生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。

その後、東京、グアム、パラオ、沖縄島、静岡、京都、滋賀にて学び、働き、生活する。

著書に『沖縄島嶼経済史―12世紀から現在まで』藤原書店、2002年
『琉球の「自治」』藤原書店、2006年
『島嶼沖縄の内発的発展―経済・社会・文化』(編著)藤原書店、2010年、
『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』早稲田大学出版部、2007年
『琉球独立への道』法律文化社、2012年
『琉球独立論ー琉球民族のマニフェスト』バジリコ、2014年
『琉球独立ー御真人の疑問にお答えします』Ryukyu企画、2014年
『琉球独立宣言ー実現可能な5つの方法』講談社文庫、2015年
『民際学の展開ー方法論・人権・地域・環境の視座から』(編著)晃洋書房、2012年
『琉球列島の環境問題ー「復帰」40年・持続可能なシマ社会へ』(編著)高文研、2012年
『3・11以後何が変わらないのか』(共著)岩波書店、2013年
『島嶼経済とコモンズ』(編著)晃洋書房、2015年
Yasukatsu Matsushima

バナーを作成

リンク

カテゴリー

最近の記事

月別アーカイブ

琉球関連の文献

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

植民地主義下にある琉球の政治経済ー琉球の脱植民地化を目指して

昨日は、早稲田大学で行われた「復帰40年国際シンポ」で報告しました。

琉球がなぜ植民地であるのかを、歴史的、法制度的、軍事的、政治経済的に指摘した上で、「復帰」「復帰体制」の意味を提示しました。その上で、振興開発がいかに琉球の植民地支配を強固にしており、植民地主義を脱しない限り、琉球の経済自立は実現しないと論じました。

さらに、「沖縄学」の意味、脱植民地主義と「沖縄学」との関係、「琉球VS日本」という植民地主義関係をなぜ日本は直視したがらないのか、その関係性を壊し、新たな対等な関係性をつくることが、琉球の将来像構築の第一歩であることを強調しました。

最後に、「研究のための研究」に終わるのではなく、「琉球人解放のための研究」としての「沖縄学」をつくるには、琉球の「市民活動」と研究を融合し、両者の往復により、琉球の脱植民地化を目指す必要があると述べました。

富山大学の教員で、島嶼平和学を専攻されている佐藤幸男先生からも貴重なコメントを頂戴しました。インド洋にある、島々、セーシェル、ディエゴガルシアなどが琉球と直に関係しており、琉球は国際政治の底流となっている。

日米同盟を基盤にした未来像から、地域を基盤にした未来像の提示の重要性。パレスチナのインティファーダは「意義申してて」という意味であり、世界中でいまインティファーダが行われ、琉球の日本への「怒り」もその中にある。東アジアにおける琉球の「怒り」が希望の光を意味するとジョン・ダワーが述べた。格差、覇権へのインティファーダ。「もうがまんできない」という限界にまで琉球は追い詰められている。

「生活者としてのナショナリズム」とは何か、「琉球の来るべきデモクラシーはどのようなものになるのか」ケインズは「資本、開発によるきれいな道は地獄につながっている」と述べた。

会場には上原正信さん、那覇高校の同級生で映画監督をしている喜屋武さんや、そのほか、初めて会う方々と話すことができました。石垣島のご出身で、島の名前を変えて東京で生活されている方との話が印象的でした。

真喜屋さんにも私の近著を紹介してもらい、にーふぁーいゆー。
川瀬先生のご報告も、実証的な振興開発批判で、大変示唆的でした。

交流会では、司会をされた江上先生、沖縄キリスト学院大学の本浜、出版社の方、NHKの方、黒川先生、そして報告者3人、佐藤先生で、韓国料理を食べ、意見交換をしました。大変、刺激的な夜でした。


私の報告に対する意見、感想、批判がある方は、このブログ、またはメールにてお伝えください。私の、活発な議論から学びたいと思っています。
スポンサーサイト

「沖縄希望21」に対する島袋マカト陽子さんの公開意見書

植民地主義下にある琉球の琉球人である、島袋マカト陽子さんの公開意見書です。この怒りの声が広河氏、賛同人たちに聞こえるでしょうか。琉球人と向き合って下さい。話し合って下さい。なぜ、琉球人は日本人にこのように頼まねばならないのか。


「琉球のことを理解している」と思われてきた「文化人、知識人、著名人」は、島袋さんの声を無視するのでしょうか。琉球と日本の植民地主義関係についてどのように考えるのでしょうか。




DAYS JAPAN 広河隆一様


保養地建設は久米島で進められることを一昨日、知りました。大田昌秀さんが関わっていらっしゃるから、もしかしたらとは思っていましたが。
私の問いかけに対するお返事をいただいてから、どうお話したら、ご理解いただき、沖縄での保養地建設を撤回してくださるのか,考えていました。

先日の返信メールでは、

1、 福島の子どもの保養地建設の必要性を考えていた時、沖縄の友人から沖縄にどうですか、と声がかかった。
2、 沖縄は福島の人々の疎開について他県よりも積極的に取り組んでいる。
3、 大田昌秀さんに会ってお話したら、沖縄で推進してほしいと全面協力を約束してくれた。
4、 琉球新報にその事が掲載されたら沖縄各地から申し出があった。
5、 大田昌秀さんから離島(久米島)に知り合いがいて招請したいと言っている、と。
6、 沖縄の友人が,広河さんの代理で島を訪ねたら役場や島民の歓迎を受け,是非にといわれた。

ここで言われていることは、始めから保養地は沖縄、と決めて計画を立てたのではなく、
沖縄側が誘致した形だ、ということですね。

そして、島(久米島)の役場関係者は以下のように考えている、と。

1、 島ではすでに福島の人を受け入れておりそれが島民にいい結果をもたらしている。
2、 廃校になる学校がいくつかあり、そこを利用すれば廃校を避けられるかもしれない。
3、 島の子どもたちのためにも交流は望ましい。
久米島に、島民にとっても利益になる、ということですね。

私は、(広河さんが考えている)沖縄側が歓迎し、地元にとっても利益になるなら、沖縄での保養地建設は可能であり、許される、とは考えていません。

日本の植民地から早く脱却し、琉球人が主権を持って琉球弧の平和を築いていくことが、核のない、戦争のない地球を実現することの、第一歩と私は考えています。ですから、もう、これ以上植民者・ヤマトゥ=ヤマトンチュは琉球に入ってこないでほしいと思っています。ヤマトゥの問題を琉球に持ち込まないでほしいと思っています。
広河さんの娘さんご一家も今帰仁に移住されていると伺いました。

辺野古、高江はご存じの通り、そして、八重山で、与那国で、宮古島で、ヤマトゥから持ち込まれた問題のせいで分断された住民たちが、対立しあっています。本来、助け合い、その地で暮しを豊かにしあってきた者同士が、子子孫孫にも響くのではないかと思えるような争いをしています。

沖縄の森林・原野・海岸の土地はヤマトゥの土地屋に買い占められ、リゾートに売却され、基地から離れた場所は
ヤマトゥの移住者の別荘地・集落となっています。石垣島の日本人集落、宮古島のナイチャー通り、そして今帰仁も同様に。役所や、新聞社の職員・社員の半数(半数以上という説もある)はヤマトンチュという噂も聞いています。

広河さんは、企画書(案)の中で、「注意すべきこと」として、
「沖縄と日本本土の間には特別な歴史があることを配慮しなければならない。さまざまな問題を沖縄に押し付けるとみられることには注意しなければならない。(非常に微妙な表現ですが、今は突き詰めません)」と書かれています。

そこまで分かっていらっしゃりながら、起こるであろう状況を想定しながら、うまく根回しを始め、そして沖縄側が歓迎し協力しているからといって、計画を進めようとしていることに、狡猾さを感じます。
地元の協力者があり、地元(地元の一部分)に利益があるから、良いというものではありません。(「琉球処分」の時、処分官・松田道之に協力・推進した琉球人もいます。)

琉球弧はヤマトゥが勝手にして良い土地ではありません。
離島の子どもたちが、生まり島で教育をうけ、島民が医療の貧困に苦しめられることなく、学び、働き、生き抜ける(行き終える)島であることが本来、実現されるべきなのです。

与那国島では、島の活性化のために自衛隊配備を歓迎するという事態になっています。自衛隊誘致より、保養所建設は、救われる気がしているのかもしれません(住民は)。

しかし琉球が植民者に、また侵略されることでは同じです。優しい琉球人はこのようにして402年間ヤマトゥに好きなように扱われてきたのだと思います。

もし、琉球の歴史がわかっていらっしゃるなら、琉球側から進められても断り、琉球が琉球であるように、協力し、力を尽くすべきと、私は思います。

この計画を、私は見過ごすことはできません。
ご先祖や子子孫孫のために。琉球が琉球であるために生き、死んでいった琉球の命・魂のために。地球の平和の実現の一歩として、琉球弧がヤマトゥの植民地から脱却し、独立するために。

この事について、広河さんのご見解をお聞かせください。

2012.3.28

島袋マカト陽子

植民地関係をそのままにして経済発展はない

3月29日の沖縄タイムスの記事です。沖縄21世紀ビジョン基本計画により、県内総生産が増大し、失業率が改善するというないようの県振興審議会の答申案がでました。
これも「国頼みの振興開発」です。一括交付金が今後も国からでることが大前提です。
どこまで国に依存し、期待するのでしょうか。

琉球から日本に公的資金や、民間部門の利益が還流するという植民地経済構造を変えないままでは、どんなに
日本国政府から金が提供されても、琉球、琉球人のための発展にはなりません。日本政府は基地を押し付け、日本企業が利益を吸い取り、日本人が移住して自らの市場を広げるだけです。

この一括交付金がだれのために使われるのかを見なければだめです。




 2012年度から向こう10年間の沖縄振興計画に当たる沖縄21世紀ビジョン基本計画(仮称)案を審議してきた県振興審議会(会長・平啓介琉球大学顧問)は28日、那覇市内のホテルで会合を開き、県への答申案を決定した。沖縄振興一括交付金制度や、30日にも成立予定の改正沖縄関連2法を根拠に、県は同計画の実効性を確保。計画の成果が得られれば、21年には県内総生産が10年比の約1・4倍となる5兆1千億円程度に、完全失業率は4%に改善する―などとした展望値を明記した。

 4月3日に仲井真弘多知事へ答申後、国の基本方針の策定を経て基本計画は正式に決まる。県はこの計画を基に5年ごとの実施計画をまとめ、さらに細かな数値目標などを定めた550の基本プロジェクトの策定作業を加速させる。

 審議を前に、仲井真知事は「3千億円規模の予算をこれから10年取り続けなければならない」と述べ、12年度と同規模の振興予算の継続確保に決意を示した。

 基本計画には、自然環境の保全や子育て支援の充実のほか、世界水準の観光リゾート地の形成、公平な教育機会の環境整備など36の基本施策を盛り込み、昨年3月の東日本大震災の発生を踏まえて防災対策や被災者支援の強化も示した。

 克服すべき課題として、基地問題解決と駐留軍用地跡地利用を挙げ、国の責務で取り組む必要があると指摘。移動コストの軽減や福祉、教育施設の充実など離島振興も重視した。

 本土復帰後4次にわたる沖縄振興(開発)計画は、国が主導したが、今回の基本計画は県が初めて自ら策定し、国が支援するのが特徴。県は昨年11月に基本計画を審議会へ諮問。

「沖縄希望21」とは何か

「沖縄希望21」の記者会見が明日、行われます。プレスリリースは下線部以下です。


賛同人たちは、琉球と日本との植民地関係を理解したうえで、この計画に賛同したのでしょうか。
本当に地元、久米島、琉球は受け入れを表明したのか。昨年も日本からの移住者が琉球では増えました。現在も日本からの移住者が増えている琉球に、1200人規模の移住施設を作ろうとしています。広河氏はこの計画がうまくいけば、さらに他の島でも作ろうとするかもしれません。

面積が限られ、人口の少ない島嶼において1200人の人口が増えたら、学校、医療、福祉、水、ゴミ処分等の既存のインフラでは足りなくなります。自治体の財政負担も多くなるでしょう。受け入れ態勢がちゃんと準備されて計画が進められているのではないようです。

初年度に必要な1億円5千万円の資金、交通費等もほとんどない状況で、見切り発車で始めるようです。このままだと財政問題を地元に押し付け、運営上の問題が発生しそうです。そうなると困り、路頭に迷うのが子供たちです。

30日、発表される「プレスリリース」には「問題を沖縄に押し付けてはならない」と書いていますが、実際は押しつける形になっていると考えます。琉球内で議論を尽くして、準備態勢をしっかりしたうえでちゃんと説明すべきです。一部の琉球人有力者から同意を取り付け、それで最終的な地元の理解が得られたと考えるのは、基地を琉球に押しつける日本政府と同じやり方です。

琉球と日本との植民地関係を直視し、その関係をいかに壊して、対等な関係になるかが琉球人に問われています。






福島の被災児童のための保養センター「沖縄・希望21(仮称)」計画発表・現地記者会見のお知らせ

日時:2012年3月30日午後2時-3時場所:沖縄県久米島山城(やまぐすく)出席:広河隆一(主催団体から)「沖縄・希望21」(仮)代表世話人 DAYS JAPAN編集長、フォトジャーナリスト、チェルノブイリ子ども基金顧問)   石井竜也(支援をする立場から)(アーティスト、元米米CLUB、「沖縄・希望21賛同人」)    平良朝幸(迎える立場として)(久米島町町長)



「沖縄・希望21」から
私たちは沖縄で福島の子どもたちの保養センターの建設を目指していましたが、このほど多くの候補地の中から久米島に場所が決定しました。この後すぐに改修工事に入り、本格的な子どもたちの保養を準備することになります。完成すれば日本で最初の本格的な事故被災地の子どもたちの保養センターが誕生することになります。そこでこのほど現地で、計画の詳細の発表を行いたいと思っております。多くの方々の取材をお待ちしています。

賛同人石井竜也 宮崎駿 山田洋次 加藤登紀子 吉永小百合 下重暁子 水越武 池田香代子 熊切圭介 川島進 落合 恵子 ナターシャ・グジー 浅尾省五 斎藤美奈子 矢ヶ崎克馬 与那嶺路代 見城美枝子 千葉麗子 新谷のり子 鴻上尚史 ピーター・バラカン 中村征夫 大石芳野 田中優 青柳拓次 民 UA おしどりマコ&ケン 西谷修 向井雪子 黒部信一 鈴木薫 石原エミ 竹野内真理 上地昇 OKI 根元きこ 木村肇二郎 綿本彰 織田好孝 ほかの方々(敬称略・3月26日現在)

後援団体DAYS JAPAN DAYS被災児童支援募金 未来の福島こども基金 チェルノブイリ子ども基金 広河隆一写真展事務局 アウレオ いわき放射能市民測定室たらちね TRCN(3月20日現在)

お問い合わせ先:DAYS JAPAN 03-3322-0233  FAX 03-3322-0353(広河) ※保養所予定地(場所等)について 久米島町役場福祉課 098-985-7124(山城)




福島の子どもたちのための保養センター「沖縄・希望21」設立計画(広河)
これまで子どもたちのための保養施設の計画をご支援いただきましてありがとうございました。おかげさまで建設予定地が、沖縄県久米島に決まりました。

那覇から飛行機で30分、船で4時間弱の距離です。東洋一と言われるサンゴ礁の白浜が7キロも続く「ハテの浜」をはじめ、見事に美しい景観に包まれた島です。この島の高台の海を見晴らす土地に、陶芸工房の跡地があり、ここを改修して子どもたちの施設にすることになりました。島の役場をはじめ、地元では福島の子どもたちの受け入れのための大きなご協力をいただいています。

2011年3月11日、東日本大震災の発生によって、福島第一原発が大事故を起こし、放出された放射能により、福島県の多くの地域が、国の定める「放射能管理区域」を上回る汚染地に変わってしまいました。汚染は福島県にとどまらず、周辺の県からはるか遠方に及んでいます。この事故による最大の被害者は子どもたちです。最も大切な成長期を放射能とともに過ごすことになる影響は、計り知れません。子どもたちのこれ以上の体内被曝の進行を遅らせるために、対策が早急に求められます。

私が1991年に設立した「チェルノブイリ子ども基金」は、これまでに2つの中心的な活動をしてきました。その一つは小児甲状腺がんの子どもたちの救援であり、もう一つは避難民の子ども及び高濃度汚染地に住む子どもたちの保養です。

後者のために私たちは、ベラルーシとウクライナでの保養施設の建設と運営支援を続けてきました。ベラルーシに建設したのは「希望(ナデジダ)21」という保養施設で、スポーツ・文化センターをもち、森と湖に囲まれ、常時200人を宿泊させることができ、ここには汚染地に住む子どもたちが学校のクラスごとに1か月弱交替で滞在しています。

3・11事故の後、私たちは「DAYS放射能測定器支援募金」と「未来の福島こども基金」に寄せられた募金によって、福島県内6か所の食品放射能測定所建設を支援してきました。しかし測定所支援に多くの他の団体も乗り出した後、私たちは20年近くにわたる保養施設支援の経験を生かして、福島の子どもたちの保養施設建設を呼びかけることにしました。被曝の後、抵抗力を失い、その結果病気を発症してしまうことを防ぐ最もいい方法の一つが保養であることを、私たちは長年の経験から学んでいます。


「沖縄・希望21」事業企画案
私たちは、建物と土地を手に入れましたが、改修と設備導入を行い、宿泊施設、食堂、厨房、風呂、ラウンジ、健康管理施設、食品放射能測定施設、学習・ワークショップ施設などを建設しなければなりません。小学生や中学生がクラス単位で訪れることができるようになったら、島の学校の校舎を使わせていただき、体育や音楽や図工は島の子どもたちと共に学習できるように久米島町にお願いするつもりです。

まず第一期の目標として月100人、年間1200人の収容を目指したいと思っています。学期中は未就学児と母親、休暇の時期には小中学生。そして福島県の教育委員会が許可を出した段階で、学校のクラスごとに受け入れを開始したいと思っています。この久米島の保養施設は、事故で被災した子どもたちにとって日本で初めての本格的な施設になるでしょう。

この施設を守り育て、一人でも多くの子どもたちに、「健康」をプレゼントすることができるようになれば、他の土地でも、第2第3の施設が誕生していくと信じています。さらに地元から学び交流することも、子どもたちの人生の大きな成果となるように、久米島の人々と共同の企画を立てていきたいと思います。また私たちの事業の特徴は、さまざまな著名な方々の支援をいただいていることです。その人々にワークショップを開いていただき、地元の子どもたちも交えて学ぶ機会を得たいと思っています。また同時に島の人の主催するワークショップにも、福島の子どもたちが参加し、島の歴史と文化を学ぶ機会にしたいと思っております。

 なお現在この運動は、月刊誌DAYS JAPANが中心になって募金が活動で進めていますが、近い将来、子どもたちや母親を保養に送り出す福島のグループ、資金を集める東京のグループ、そして現地で施設を運営する久米島のグループを作り、久米島を中心とした法人が運営主体となるようにしたいと思っています。

 私たちは、沖縄に保養の場所を選定するにあたり、沖縄の歴史を配慮しなければならないと考えております。基地に象徴されるように、様々な問題を沖縄に押し付けるとみられることは、十分に注意をしなければなりません。そしてこの企画は、地元を配慮し、地元の人々とともに進め、地元の人々にとっても様々な利益をもたらすと感じてもらえることが、子どもたちの支援を長続きさせるポイントであると考えております。またこの企画はいっさいの利益を目的とするものではありません。

資金について
職員は10人から15人必要と考えています。これらのうち何人かは福島県から来ていただくつもりです。子どもについては、一人当たり交通費を含め最低5万円かかるとすると、1か月100人受け入れると500万円。1年で6000万円になります。施設の準備から保養費まで合わせると、初年度は1億5千万もの資金が必要になります。

しかしお金が準備できてから保養計画を考えようなどという悠長なことを言っていられません。子どもたちの健康を守るためには、こうした試みは遅いくらいです。昨年日本全国が保養のために受け入れた子どもの数は数万人に上りますが、それでもまだまだ少ないといえます。最も高額な経費が必要とされるものは交通費です。

この問題はこれから解決していかなくてはなりません。本来こうした事業は国や電力会社がやるべきものだという意見もありますが、国が動くべきだからといって、それまで子どもを放っておいていいというわけにはいきません。ベラルーシの「希望21」は、当初、ドイツ、ベラルーシ、日本のNGOの手で運営されていました。しかし現在は、ベラルーシ政府が主たる資金を拠出しています。

やがて日本でも、国がもっと大規模に子どもたちを支援する活動に取り組むことを願っています。それまで私たちは頑張らなくてはなりません。あらゆることに先んじて、今は子どもを助けることが必要です。たとえ1か月弱でも美しい空気と光に包まれて、安全な食べ物を食べ、思い切り毎日を楽しんで、ストレスから解放され、免疫力を高める生活が、子どもたちに一番必要とされることなのです。そして注意深く子どもを健康管理し、早期に対策を講じることも必要です。日本の中の他の場所での試みと連携することによって、子どもたちは1か月といわずさらに長期の保養が可能になるでしょう。

募金のお願い
私たちは、皆様に次のようなご協力を呼びかけます。A:個人、企業、自治体の方からの、募金のご協力。B:1人の子ども(あるいは一組の母子)を25日間受け入れるための「スポンサーシップ制度」へのご参加。1口5万円。C:子どもたちに向けての、さまざまなワークショップのご提案とご参加。D:以上の宣伝へのご協力。

保養に応募の方へ
詳細は4月1日以降、次のホームページでお知らせします。応募用紙を事務局にお送りください。汚染のひどい場所から順に、福島県の「いわき放射能市民測定室」の人々の手で選考していただき、受け入れのお知らせをします。URLアドレス: http://kibou21-okinawa.blogspot.jp/ 沖縄・希望21

2012年3月26日DAYS JAPAN編集長DAYS被災児童支援募金代表「沖縄・希望21」代表世話人広河隆一

「沖縄・希望21」の問題性

私の琉球人シンカーが勇気を持って「沖縄・希望21」建設準備委員会に公開質問状を送り、次のような返事が返ってきました。下線部以下を読んで下さい。

京都、滋賀でも、福島の人たちが移住してきていますが、琉球は日本の植民地であり、他の都道府県と同じではありません。植民地にこれ以上、植民者を送りこんではいけないのです。しかも計画的に、受け入れ移設を作り、言葉巧みに琉球人をコラボレーターにして。

植民地に計画的に植民者を送り込むという植民地計画が「沖縄・希望21」の内容です。
広河氏は、パレスチナ問題についても写真をとり、発言してきました。イスラエルがパレスチナ人居住地にユダヤ人を入植させていることと同じことを、琉球においてやろうとしているのです。そのことを、この日本人は分かっていない。

琉球は日本の植民地であることを認識して、日本人は琉球人と向き合ってほしい。





「沖縄・希望21」(仮)建設準備委員会

(DAYS被災児童支援基金 未来の福島こども基金)御中

拝啓

私は、沖縄島在住の琉球人です。



貴委員会の「保養所施設建設企画書(案)」を拝見し、大変な違和感を持ちましたので、メールさせていただきます。



「企画趣旨(案)」によると、保養所の建設場所が沖縄である必要性の理由は、「この土地の海と太陽」ということですね。いつでも「地勢」的に日本(ヤマト)に利用されてきた沖縄の歴史が、ここにも連綿と続いていることを感じます。



「資金案」の「ここがダイビングの名所であることを宣伝し、支援者にたずねてもらう」という文言にも、唖然としました。なぜ日本人が、琉球の海を勝手に利用するのですか?



ところで、日本(ヤマト)には、海や太陽はないのでしょうか。 日本各地には古くから素晴らしい保養所がいっぱいあるのではないですか? そちらの人々と協力するという発想はなかったのですか。



今、沖縄では、「復帰」40周年ということもあり、自分たちが同化されてきたことを自覚し、自らのアイデンティティを取戻そうという機運が高まっています。



止まるところを知らない、移住者やヤマト企業の、社会的・経済的支配によるストレスは、私たち琉球人を疲弊させており、それらへの不信感も強まっています。



そういうところへ、例えば「資金案」にあるような「10件ぐらいの団体の現地事務所(例:DAYS沖縄事務所開設)」などというのは、私にはとても受け入れがたいことです。



また、本来ならば、傷ついた人々を助けるのであれば、その地元での主体的な動きが必要だと思います。



もし例えば、沖縄で保養所で建設するのであれば、沖縄在住の琉球人が主体的に動かないと成果はでないでしょう。



このようなかたちで、東京の出版社を中心とした委員会が持ち込んだ企画で、本当に福島の人々を幸せにすることができるでしょうか?



私を含め、少なくない「地元」・琉球の人間が違和感を持っており、全面的な協力は得られないと思います。



また、もし、琉球人からの十分な協力が得られないということになれば、その場合は、「善意ある、ボランティアの」日本人が数多くやって来て、琉球社会をズタズタにしていくのでしょう。



ズタズタになった琉球社会で、福島の子どもたちが幸せになれるとは思いません。



福島で被災した児童のためにも、この企画は取りやめていただきたいと思います。



沖縄は沖縄で、福島のために様々な活動をしています。日本人は、日本の中で出来ることをしっかりやって下さい。

敬具




② 広河氏からの返信(2012年3月26日)



ご連絡ありがとうございました。



まずお手元にある企画書の仮文書は、その後何度かすり直しをしまして変わっております。そして今は現地の人の住民と町役場といっしょに企画を進めています。最新版の企画書はまもなく発表する予定です。



地元のためになるかどうか、地元が歓迎していただける企画になるかどうかについて、さまざまな話し合いを持ちました。そのうえで地元の方々の中で、これを歓迎するという声が強くなり、企画が具体化する価値となっております。



もともとこの企画は、沖縄の人の提案と私たちの思いが重なったところから始めました。最初に大田元知事にご説明した時に、大田さんが積極的にこの企画を指示したいとおっしゃっていただき、それが琉球新報に記事として掲載された時に、いくつもの沖縄の方々から提案をいただきました。しかし土地の提案をしていただく方の意向が、必ずしも地元の意向と重なるわけではありませんので、そのあたりには注意をしてきました。



 しかし現在は、この計画に最も積極的を歓迎し、それが地元の子どもたちにとっても、地元を活性化させるうえでもいいことだと考えておられる方々のもとで、企画を進めております。



<「資金案」の「ここがダイビングの名所であることを宣伝し、支援者にたずねてもらう」という文言にも、唖然としました。なぜ日本人が、琉球の海を勝手に利用するのですか?>



仮の案の段階では、その時候補になった地元の方々からそのような声があったので、この文章を掲載しました。現在は外してあります。最新の案には次のような文章を入れてあります。



「沖縄には特別な歴史があることを配慮しなければならない。様々な問題を沖縄に押し付けるとみられることには、注意しなければならない。



lこの企画は地元を配慮し、地元の人々と一緒に進め、地元の人々にとっても利益となると感じてもらえることが、子どもたちの支援を長続きさせるポイントであると考えたい。またこの企画はいっさい利益を目的とはしない」



<今、沖縄では、「復帰」40周年ということもあり、自分たちが同化されてきたことを自覚し、自らのアイデンティティを取戻そうという機運が高まっています。止まるところを知らない、移住者やヤマト企業の、社会的・経済的支配によるストレスは、私たち琉球人を疲弊させており、それらへの不信感も強まっています>



おっしゃっていることは、可能な限り理解しているつもりです。私たちの月刊誌DAYS JAPANでは、多くの沖縄の歴史、基地についての記事を掲載してきました。執筆していただいているのはほとんどの場合沖縄の方です。私たちは特に基地問題に対する日本政府の立場に対する批判を行っています。



<そういうところへ、例えば「資金案」にあるような「10件ぐらいの団体の現地事務所(例:DAYS沖縄事務所開設)」などというのは、私にはとても受け入れがたいことです>



この計画も地元の人との話で出てきたことでしたが、現在は取り下げております。



<また、本来ならば、傷ついた人々を助けるのであれば、その地元での主体的な動きが必要だと思います。もし例えば、沖縄で保養所で建設するのであれば、沖縄在住の琉球人が主体的に動かないと成果はでないでしょう>



異論はありません。今回計画を進めているのは、地元のひとびとが、私たちが驚くほどの積極性で計画にかかわってくださっている場所です。



<このようなかたちで、東京の出版社を中心とした委員会が持ち込んだ企画で、本当に福島の人々を幸せにすることができるでしょうか?



私を含め、少なくない「地元」・琉球の人間が違和感を持っており、全面的な協力は得られないと思います>



地元の歓迎を得られない場所では、私たちは計画を推進するつもりはありません。



しかし、おっしゃっておられる根本的な意図は、今後も十分に理解していかなければならないことと考えています。それは歴史の問題であり、支配の問題だと理解しています。



ただ今回の企画は、大田元知事はじめ沖縄の方のご協力やご推薦と、地元の人々及び自治体の理解を得られて進めてきたものですので、・・・・・さまのご理解も得られましたら幸いです。



よろしくご配慮をお願いします。



広河隆一

                                               敬具

わったー「沖縄研究」のジレンマ

29日、早稲田大学で朝10時から12時まで、次のような注目すべきセッションが行われます。チバリョータイ!




「わったー「沖縄研究」のジレンマ
──今を生きるうちなーうないの視点から」

…… 第三会議室
【司会】Rinda YAMASHIRO KAYATANI(ハワイ大学博士課程)

【報告】

「Positionality─わったー流「沖縄研究」へのアプローチ」Rinda YAMASHIRO KAYATANI(ハワイ大学博士課程)

「持続可能な自己決定へ向けて─indigenous の視点から考える「沖縄研究」」知花 愛実(ハワイ大学修士課程)

「ハワイのKanaka Maoliの教育実践(代読)」赤嶺ゆかり(沖縄国際大学、沖縄キリスト教学院大学、名桜大学)

「わったー沖縄研究の実践:琉球語復興の試み」 親川 志奈子(琉球大学博士課程)

「“うないからうないへ”─うないフェスティバル27年目を迎えた今検証する復帰後育ち世代の歴史継承と実践課題」崎原 千尋(ハワイ大学博士課程)


【討論者】喜納 育江(琉球大学)


【言語】日本語、うちなーぐち、うちなーやまとぅぐち、英語

3月30日、早稲田大学で報告します

3月30日午後4時から6時まで、早稲田大学で行われる国際シンポジウムで報告します。
関心がおありの方はおいで下さい。
充実した議論ができればと思います。




ポスト沖縄振興体制における沖縄の将来像
──持続可能な沖縄の経済社会の構築へ


…… 第一会議室

【司会】江上 能義(早稲田大学)


【報告】


沖縄政策を総括し、ポスト振興体制を展望する:川瀬 光義(京都府立大学)


植民地主義下にある琉球の政治経済―琉球の脱植民地化を目指して:松島 泰勝(龍谷大学)


都市再生としての米軍基地跡地利用へ:真喜屋 美樹(大阪市立大学)


【討論者】佐藤幸男(富山大学)

与那国島で是非、住民投票をやってほしい

3月24日の八重山毎日新聞の記事です。

与那国町議会の田里さん、崎元さんが頑張って、自衛隊基地配備をめぐる住民投票を実施する方向に進んでいます。是非とも、住民投票を行い、自衛隊基地建設に関して島人の意見によって方向性を出して欲しいと思います。

父母や子供たちの意見を、町長や教育委員会は考慮すべきではないでしょうか。誰によって選出されているのかを忘れています。




今月中に賛否を協議

 【与那国】3月定例与那国町議会(前西原武三議長)の一般質問最終日は23日、崎元俊男氏と田里千代基氏が登壇した。

 崎元氏と田里氏がただした自衛隊基地配備の賛否を問う住民投票について外間守吉町長は「12月定例会で答弁したように賛成、反対の代表者を含めて協議していく必要がある。住民投票の実施はやぶさかではない」と述べ、改めて住民投票実施の可能性を示した。

 代表者を含めた協議は、誘致賛成の代表者が療養で長期不在のため、まだ開催されず外間町長は「できれば3月中にはやりたい」と話した。

 自衛隊配備問題では田里氏が住民説明会について質問し、外間町長は「今まで2度の説明会を開いてきたが、自衛隊反対の活動家の発表の場となっているので、今後も説明できるような状況は難しい。町単独での開催は予定していないが、紳士的に話し合っていけるのなら対応を考えたい」と話した。

 崎元氏は「教科書採択問題で与那国町の保護者から町教育委員会が告訴を受けているが、裁判に負けた場合はどのように責任をとるのか」と質問。

 崎原用能教育長は「2人の生徒のために、他の多くの生徒に教科書が行き渡らないという道理はない。教育を受ける権利は憲法で定められているが、教科書を採択する権利は父母や子どもたち、県や国には認められておらず、地域の教育委員会にしか認められていない。勝ち負けの責任を問うより相互性を正しくやりたい」と述べるにとどめた。

国連人種差別撤廃委員会から日本政府への書簡

今月、国連人種差別撤廃委員会から日本政府にだされた書簡の原文です。このブログのリンクに貼り付けます。

日本政府は、基地を押し付け、新基地を琉球内に作るという形で、琉球、琉球人に対して人種差別をしているのです。

これは今現在の話です。「復帰」40年の実態です。


琉球新報の2012年3月15日の新聞です。琉球でこの記事を読んで、大変喜びました。いつものように日本政府は差別を否定するのですが、世界の人々は、差別していると思っているのです。




米軍普天間飛行場移設問題をめぐり、ジュネーブの国連人権差別撤廃委員会が日本政府の見解や現状などの説明を求める書簡の送付を決めた件で、日本政府は、沖縄県民への差別を否定し、辺野古移設が最善だと回答する方針を固めた。
 14日に開かれた自民党の外交部会で外務省側が明らかにした。
 部会では、小野寺五典部会長が「もし国連が『人種差別だ』と決定した場合、辺野古移設に与える影響は小さくないのではないか」と指摘。

 外務省は「影響が全くないとは言えないが、日米両政府がしっかりと(辺野古移設に)関与していることを説明したい。勧告が出るようなことを避けたい」と述べた。

 委員会は同書簡で、普天間の辺野古移設について「琉球民族および沖縄在住の他の日本人が地域環境と生活状況に重大な影響を与えるとして大規模な反対および非難を行っているにもかかわらず、普天間飛行場の辺野古移設が提案されていることを懸念している」と指摘。東村高江でのヘリパッド建設についても「高江住民および沖縄の地方議員が継続的に反対している」と指摘し、懸念を表明している。

 日本政府の回答期限は7月末。人種差別撤廃条約の順守状況を監視する次回8月の会合で審議を行い、状況に応じて是正勧告を出すとみられる。勧告に法的拘束力はない。

『琉球独立への道』で過去、現在、そして未来の琉球をともに考えてみましょう

『琉球独立への道』で過去、現在、そして未来の琉球をともに考えてみましょう。

琉球はなぜ植民地なのか、植民地から脱するにはどうすればいいのかを、具体的に、客観的に、世界の事例を参考にしながら論じました。


琉球独立への道: 植民地主義に抗う琉球ナショナリズム琉球独立への道: 植民地主義に抗う琉球ナショナリズム
(2012/02/27)
松島 泰勝

商品詳細を見る

石垣島にPAC3を配備すべきではない

3月23日の八重山毎日新聞です。

中山市長はPAC3の受け入れを表明しました。落下中ミサイルは加速がつき、それを撃ち落とすとされているPAC3の命中率はほぼゼロと言われています。なぜこのようなものの配備を市長は認めたのか。かえって島を攻撃の対象にするようなものです。

、中山市長は「着弾するまでの時間を見据え、落下するおそれがある場合は、屋内に避難する措置をとらないといけないだろう」との見通しを示した。しかし、屋内にミサイルが落ちた場合はどうするのだろうか。

日本政府は、先島諸島に武器を配備して、とにかく島を戦争ができる場所にして、日本の「抑止力」に仕立てたいという意図が見えます。




4月12日から16日にかけ、北朝鮮の長距離弾道ミサイルの発射実験とみられる「人工衛星」が石垣島上空を通過する事態に備え、石垣市は22日夕、部長ら幹部で構成する臨時庁議を開き、危機管理対策本部会議を設置する方針を決めた。防衛省が石垣島で検討を進めている地対空誘導弾パトリオット(PAC3)の配備についても、受け入れに万全を期す考え。中山義隆市長は「緊張感をもって対応したい」と話している。

 防衛省はPAC3と発射機、レーダーなど関連装備を本島と石垣島に配備することを検討しているが、市によると、同日までに連絡は入っていない。配備が決まった場合について中山市長は「とれる対応は全部とっていく」との考えを示した。

 対策本部会議は、部課長を網らした災害対策本部に準じた組織とし、全庁挙げて対応することを確認。県の同会議と連動して立ち上げる予定にしており、今後県との連携を密にする。

 実際に「人工衛星」が石垣島上空を通過することが確実になった際、中山市長は「着弾するまでの時間を見据え、落下するおそれがある場合は、屋内に避難する措置をとらないといけないだろう」との見通しを示した。市は今後、住民への対応策の詳細を詰めていく。

 3市町は昨年4月までに、緊急地震速報や弾道ミサイルなどの緊急情報を瞬時に伝える総務省消防庁の全国瞬時警報システム(Jアラート)を導入しており、「人工衛星」が落下するおそれがある場合は同システムが防災無線を通じて警報を発するものとみられる。

しまんちゅスクールの開講

真久田さん、本村さん、高良さん、照屋さんにより宜野湾に琉球館が開設されます。4月中旬からです。
一階がカフェ、琉球特産物販売、二階が、しまんちゅスクールです。


「うちなーんちゅが、イキイキ、学び楽しめるスクールを目指します。
ゆたさるぐとぅうにげーさびら!!」
という琉球人による手作りの学校です。
琉球人による琉球人のための琉球人の学校であるといえます。
知念ウシさん、親川志奈子さん、高良勉さんの講座も用意されています。

琉球の言葉 、文化、英語、ヨガ等、琉球人が自分の島で堂々と生きるためのジンブンを身につけることができます。

本ブログのリンクにも貼り付けましたので、見て下さい。

http://shimanchuschool.blog.fc2.com/

5月徳之島で、ゆいまーる琉球の自治の集いが開催されます

5月18日から20日まで、徳之島の伊仙町で、第11回ゆいまーる琉球の自治、うまんちゅの集いが開催されます。
参加されたい方は、私の方までご連絡ください。沖永良部島在住で、本NPO理事の前利さんが、徳之島の旅行会社と交渉して、次のような旅行パックを用意してもらいました。参加者は各自で申し込んで下さい。
島が抱えている課題や可能性、米軍基地建設計画に対する徳之島人の思い、島の文化や歴史を語り合い、互いに学びあいたいと考えています。


(1)羽田空港発着のホテルパック
5月18日 羽田空港発(鹿児島空港経由)徳之島空港着
ホテルレクストン徳之島二泊(18、19日、シングルルーム)
5月20日 徳之島空港発(鹿児島空港経由)羽田空港着
料金 66,300円~○○○○○円(便によって料金が異なる場合)

(2)伊丹空港発着のホテルパック
5月18日 伊丹空港発(鹿児島空港経由)徳之島空港着
ホテルレクストン徳之島二泊(18、19日、シングルルーム)
5月20日 徳之島空港発(鹿児島空港経由)伊丹空港着
料金 62,800円~○○○○○円(便によって料金が異なる場合)

(3)鹿児島空港発着のホテルパック
5月18日 鹿児島空港発、徳之島空港着
ホテルレクストン徳之島二泊(18、19日、シングルルーム)
5月20日 徳之島空港発、鹿児島空港着
料金 48,800円~○○○○○円(便によって料金が異なる場合)

(4)申し込み先
西川旅行センター鹿児島支店
TEL:099(260)3811 FAX:099(260)3810
担当 下野
(メールでも申し込みができる場合は、メールアドレスを)

西川潤先生による『琉球独立への道』の書評、沖縄タイムス

沖縄タイムスに『琉球独立への道』の書評が掲載されました。早稲田大学の恩師、西川潤先生が書いて下さいました。心よりお礼申し上げます。先生の書評は非常に有難く、書評の言葉を心に刻んで、今後の研究、教育、社会活動を続けて行きたいと思います。

学生時代から先生には励まされて来ましたが、今日まで叱咤激励して下さり、進呈より感謝の言葉を申し上げます。


img001.jpg

にぬふぁぶしが始まります

オキスタ107が中心になって開催する、親子で琉球語を学ぶスクールが4月から誕生します。

親と子供がともに、琉球語を直接触れ合いながら、心と心を通わせ合いながら、学ぶという、素晴らしい、手作りの学校です。

琉球館2階のしまんちゅスクールが会場です。

若い琉球人の仲間が内発的発展の実践を始めています。琉球の脱植民地化のこころみであり、注目し、応援していきたいです。骨太の、心豊かな琉球人が育ってほしいを思います。


カラー~1


今日、琉球に帰国します。

今日、琉球に帰国します。19日に戻るまで琉球の振興開発、内発的発展に関する科研費調査を行うとともに、様々な人と会い、話をし、交流し、互いの意見を伝えあいたいと思います。


琉球の今を学びます。

NHK,毎日新聞大阪本社のグアム番組、連載記事

先週、NHKと毎日新聞大阪本社の取材を受けました。NHKはB​Sや教育テレビでグアムと琉球の特番を製作しており、毎日新聞は​5月からグアムに関する連載をするそうです。

グアムについては、​脱植民地化、脱基地化を進めているチャモロ人を紹介しました。ワ​シントンや東京初の政府発表ではなく、グアムの実際の住民の声を​番組や記事にしたいとのことでしたので、ご説明しました。

基地や​植民地支配に苦しむ人間の顔が見え,声が聞こえるような番組や記​事になればと思います。

海洋基本法と八重山諸島

1月25日の八重山毎日新聞の記事です。

竹富町が策定した海洋基本計画では、海岸漂着ゴミ対策、バイオマスタウン構想、海洋深層水の活用、高価値魚種の増養殖、安全と環境配慮型港湾構想、黒糖焼酎開発などサトウキビの活用、竹富町版海洋保護区制定、外来種対策および野生生物保護などがあり、その中から地方交付税算定基礎にサンゴ礁などを含めることや法定外目的税導入を「先導してやること項目」として挙げている。しかし、これらの政策項目は海洋基本法によって実施するというものではなく、各項目ごとにある個別法律、補助金等によって実施されるべきものであろう。

竹富町の海邦基本計画の名前が、「日本最南端の町(ぱいぬ島々)から海洋の邦日本へ」とあるように、日本ナショナリズムを強調するものであり、「海洋国日本」にあって経済的排他水域や防衛面で「離島の保全」を強調するものでしかない。

八重山諸島への自衛隊配備、日本ナショナリズムに基づいた教科書の押し付けと連動していることは言うまでもない。

石垣市も海洋基本計画の策定を始めているが、この法律は島の経済を促進するものではなく、島を戦場にするための法律であることを、八重山人は認識しなければならないと考える。




■竹富町が全国の先駆け
 石垣市が海洋基本計画の策定作業に着手した。去る13日、10人の委員で構成される第1回委員会(委員長・山田吉彦東海大学教授)が開かれたが、市としては12年度中に計画を策定、13年度から5カ年計画をスタートさせる予定。石垣市として尖閣諸島を含む周辺海域を活用してどのような振興策が提案できるか、注目したい。

 海洋基本計画は、07年7月に施行された国の海洋基本法に基づいて竹富町が、自主的に全国に先駆けて10年度に策定。昨年4月から「日本最南端の町(ぱいぬ島々)から海洋の邦日本へ」と題して5カ年計画をスタートさせている。全国のモデルとなるもので、いまだ後に続く自治体はなく、石垣市が2番目となる。

 海洋基本法では「海洋国日本」にあって経済的排他水域や防衛面で「離島の保全」として、「離島の役割」が特に強調されていることから、これを離島振興に生かせないかと施行直後からいち早く八重山が注目。八重山青年会議所らが山田吉彦教授を講師に招いてシンポジウムやフォーラムを開いたりして可能性を探ってきた。

■「やるべき施策23」を明示
 その中から竹富町が全国で初めての基本計画をつくり上げた。山田教授ら本土の海洋学者らを委員に委嘱して策定した基本計画は、町と町民が率先してやること、県、国あるいは町が連携してそれぞれ役割分担して▽先導的に実施する施策10項目▽継続して実施する施策13項目|の計23項目を「やること項目チャレンジ23」として明示したのは町民にもわかりやすく、確かに全国のモデルとなる極めて先進的な計画といえる。

 その主な施策は海岸漂着ゴミ対策、バイオマスタウン構想、海洋深層水の活用、高価値魚種の増養殖、安全と環境配慮型港湾構想、黒糖焼酎開発などサトウキビの活用、竹富町版海洋保護区制定、外来種対策および野生生物保護などがあり、その中から地方交付税算定基礎にサンゴ礁などを含めることや法定外目的税導入を「先導してやること項目」に挙げている。 

 これを受けて石垣市も計画策定に入ったが、その中で注目は領有権をめぐって中国と摩擦が激しい尖閣諸島とその周辺海域をどのように扱うかだ。さらに石垣市の初会合では「八重山はひとつ」という観点から竹富町、与那国町との連携の必要性が指摘されたというが、確かにそうだ。3市町ばらばらより、同じ“国境離島”の八重山圏域として統一したほうがよい。

■国や県をどう動かすか
 海洋基本計画の大きな課題は「実効性をどう確保」するかだ。確かにどんなに立派な計画でも、成果が出なければ単なる絵に描いた餅にすぎない。

 八重山は基本計画を策定するほど海洋基本法への関心は高い。しかし残念ながらその他は県内も全国も関心は高いといえない。特に肝心の国は法は制定したものの、“国境離島”などの施策展開はまだまだというのが現状だ。

 山田教授は昨年3月のタウンミーティングで「いまの海洋基本法はざる法であり、ざるの網を埋める第一弾が竹富町の基本計画。次は石垣市であり、八重山から日本海を考える動きが始まった」と期待を述べた。

 そういう意味では竹富町の成果を全国が注視している。今からでも八重山はひとつで「点から線、線から面」と南の島から“黒潮”の流れを全国に巻き起こしたい。そしていまひとつ取り組みが弱い肝心の国や県を動かしたい。

石垣の県立図書館がなくなる:先島差別

2月15日の八重山毎日新聞の記事です。

沖縄島那覇中心の行政を沖縄県庁は行っています。
先島差別といえます。私も特に高校時代に与儀にある図書館に通い、島から世界を考えて学び、育てられてきました。図書館は自主的に人間が学び、育つ場であり、インフラをつくることよりも、人間が自らの力を発展させることができる場所なのです。沖縄県庁はむしろ、どんどん、図書館をつくるべきなのです。

先島の人間も琉球人であることを沖縄県庁は認識すべきです。沖縄県議会はその問題に対して何をしてきたのでしょうか。上里さん。


■竹富町は反対貫く
 県として狙った獲物は絶対に仕留めるということか、行財政改革プランで09年4月から廃止を計画したものの、住民らの強い反対で延期されてきた県立図書館八重山分館が、13日の県教育委定例会で、今年3月末での廃止がついに決まった。同プランでは地元の声を無視した09年3月末の八重山支庁廃止強行に次ぐ離島切り捨てだ。

 同分館の存続を求める会(大田静男会長)は猛烈に反発、撤回を求めているが、県としてせっかく仕留めた獲物を逃がすはずがないだろうから、来月末には大正年代の1914年に八重山通俗図書館として誕生し、八重山郡民の教育、人材育成、文化振興に大きく貢献してきた八重山分館は、98年の長い歴史を閉じることになる。

 ここで情けないのが市町村だ。県から有形無形の圧力があるのか、まるでヘビににらまれたカエルのように県に逆らえない、あるいは逆らっても勝ち目がないということなのか、竹富町は町民の意向を受けて立派なことに反対の姿勢を貫いたが石垣市、与那国町は条件付きで廃止を認めたことから、その時点で事実上廃止は決まった。

■無理が通れば道理引っ込む
 八重山支庁廃止のさいも、今回と同様大浜市長の条件付き容認で一気に廃止が決まった。このように県にはいくら抵抗しても勝ち目がないから、実を取ったほうがよいと条件付きで認めるでは、県と対等の自治体と言いながら実態はそうでないということだろう。いわばそこにはいまだ“上意下達”と“離島蔑視”が存在している。

 県立図書館八重山分館廃止は、07年11月に提起があったが、最初の理由は建物の老朽化と立派な市立図書館ができており県立図書館の必要性がなくなっただった。これに対して同分館の存続を求める会は、本館に隣接して那覇市立図書館があることを指摘。

次いで財政難の理由に対しては那覇のおもろ町に巨費を投じて立派な県立博物館・美術館を建設したのに、どうして八重山は財政難を理由に切り捨てるのかとことごとく論破してきた。

 この結果、廃止問題は一時棚上げされてきたが、しかし県教育庁としては冒頭で指摘したように狙った獲物は絶対に逃がさないというように、そこが行政の強みでじっくり時間をかけて反対運動が弱まるまで待ち、そして今回石垣市長と与那国町長から容認を取り付け、廃止にこぎつけたのが実態だ。

 そこには「初めから廃止ありき」で無理が通れば道理引っ込むの構図しかなく、こうした理不尽さが許されていいとはとても思えない。

■次の離島切り捨ては何か
 支庁廃止でも、今回の図書館廃止でも3市町議会は存続を決議したが、結局県の強硬路線と、住民より県の顔色をうかがう市町村長の弱腰の前に民意は無視されたといっていい。

 支庁廃止のさい、当時の市長は県の権限移譲を条件に廃止を容認した。果たしてその条件は履行されたか。少なくともその条件がどういうもので、そのうちのどれが権限移譲されたのか公表された記憶はない。恐らく容認のための口実だったのだろう。

 そこで今回石垣市、与那国町もいろいろ条件を提示して廃止を容認したが、もしこれらの要望が満たされなければ両市町長はどう責任を取るのか。

 県の無理が通ればの強引なやり方は絶対許されるべきでなく、離島切り捨てに拍車をかけるものだ。実を取る条件闘争は最終手段として石垣市長、与那国町長も反対を貫いてほしかった

オスプレイ配備を隠した日本政府

3月6日の琉球朝日放送の番組です。

日本政府はなぜオスプレイ配備を意図的に隠して、琉球人をだましたのか。違法行為をしてでも日本政府は新基地をつくりたいのです。琉球人を愚民視して、嫌なものをなんとか作ろうとしているのです。
しかし、琉球人はもう騙されません。



3月5日、辺野古の環境アセスやり直しを求める裁判の中で、オスプレイの配備計画を日米合意の当初から知っていた、当時の防衛庁の実務担当者が証人として出廷しました。

様々な不備が指摘される今回のアセスの中でも、オスプレイの配備を意図的に国が隠したとなれば、それは重大なアセス法違反。その鍵を握る高見沢氏とはどんな人物なのか、振り返ります。

現在、防衛研究所所長を務める高見沢将林氏。県出身の国会議員がたびたび追求してきた人物です。

外務防衛委員会・山内徳信議員「横文字になっていて読みづらいんですが、ミスタータカミザワとなっております。こういうオスプレーを伏せておいて、環境アセスの方法書から準備書に、全くオスプレーのことが書いてございません」

高見沢「当時からオスプレーについてはいろんな可能性が議論されていたというところでございますので」

1996年のSACO合意の直前、日米のワーキンググループで日本政府がオスプレイをどう扱うか、アドバイスを求めていたことがわかりました。

そしてこれがSACO最終報告の5日前にミスタータカミザワから在日米軍に渡されたと書かれている、いわゆる「タカミザワ文書」。沖縄に説明するためのオスプレイ問答集まで検討されていました

・MV22の騒音はどれくらいなのか。・1500メートルの滑走路とはオスプレイの配備を想定しているのか(望ましい回答)「海上施設は現在普天間飛行場の移転先として考えられたものなので、あくまでもヘリポートである」

SACO合意直前ににここまで想定されながら、最終合意の発表には、オスプレイの「オ」の字もありませんでした。



1996年の普天間の返還が決まった年に、ここまでオスプレイが語られていたのは驚きですよね。でも正式発表は去年なんですね。

今のアセス手続きは一義的には2007年の方法書から始まって、調査、準備書、年末の評価書。この5年の動きなんですね。去年の6月に政府はアメリカ国防総省の発表を受けて「正式に沖縄にオスプレイの配備を発表した形。だから評価書にしかかけなかったのは仕方ないと言う立場です。でも、2006年5月、沖縄に駐留するアメリカ軍のトップ、ウェーバー四軍調整官がこう発表しています。

ウェーバー四軍調整官「現段階で我々はオスプレイの沖縄への配備を2014年から2016年までの間に行う予定です」

はっきり配備すると言っています。それが2006年ならば、当然、2007年からのアセスに含むべきでは?。





そのとおりですが「政府として正式には聞いていない」と、このときもかわしていました。でも実際には辺野古の海上闘争が続いた2005,2004年やサミットよりもはるか前の、アメリカ兵の暴行事件の翌年の1996年に日本から「オスプレイ想定問答」が出ていた。結局、この15年間、沖縄県民を欺いてきたのではということで、その経緯をよく知る高見沢氏を証人に呼んだわけです。

担当の山城記者です。原告の期待値は高かったですね。

山城記者「裁判を始めてからずっとアセスの手続きの不備を指摘しながら、国を相手に地道に裁判を続けてきました。中でも一番大きな『オスプレイの後だし』については、一歩も引けない覚悟で望みました。昨日の様子をご覧ください」

真喜志好一さん「在日米軍司令部に対して『隠しておいてくれ』と。『沖縄の人にオスプレイの配備は隠しておいてくれ』という趣旨の文書を持っていった人の尋問ですから、大変に楽しみです」

加藤裕弁護士「国会でものらりくらりとかわしてきた人物を、市民の側が引きずり出して、法廷という真実を述べ証言する場で明らかにさせていくということは、大きな意義があるのではないかと思っています」

山城記者「沖縄の弁護団もこの加藤弁護士を中心に『チーム・タカミザワ』を結成して、一時間で何を引き出すか念入りに組み立てました」

(再現)加藤「あなたはSACO合意の実務担当者でしたね?」高見沢「その通りです。私以外にもたくさんの人が関与していました」

加藤「SACO合意以前にオスプレイの配備について議論になっていたのは確かですね?」高見沢「議論の定義にはいろいろあるかと思います」

加藤「議論はあったけれども最終合意ではオスプレイについて触れなかったということですね?」高見沢「少なくとも1996年当時、オスプレイは開発中で、どういった配備をするかに至る議論ではなかったと思います」

加藤「96年は開発段階だった。しかし2005,6年には、アメリカはオスプレイの量産体制に入りましたよね?」高見沢「2005年9月からだったと思います」

加藤「それを方法書に記載しなかったのはなぜですか?」高見沢「直接の担当ではないのでお話しすることはできません」

山城記者「核心の質問になると、このように証言を避けていたんですが、本人の名前が書かれた『オスプレイの想定問答集』への関与については、加藤弁護士が厳しく迫りました」

(再現)加藤「オスプレイの想定問答を作った記憶があるかないかについて、山内議員に対し、そういう議論をしていたと答えていますね」高見沢「そういう意味ではない」加藤「そう答えているじゃないですか」高見沢「国会の質問にはいつもそのまま答えるわけじゃない」加藤「はぐらかすということですね?」「浜田大臣はタカミザワ文書はアメリカの内部文書と答弁していますが、その通りなんですね?」高見沢「ちょっと、暑いので・・クーラーが・・・」

加藤「この5枚はすべてアメリカ側の文書という認識でいいですね?」高見沢「その質問は承認された尋問事項を外れますので答えられません」

尋問が終わって高見沢さんに、最初からオスプレイと書いたほうが良かったのでは?とぶつけてみたんですが、回答はもらえませんでした。

加藤弁護士「こう言う日米の安全保障、防衛協力の問題になってくると、このアセスの民主性というものがないがしろにされる。踏みにじられて台無しにされてしまうということが明らかになったのではないか」

山城記者「さすがに、そつがない、いわゆる『官僚』という印象でしたが、県民の疑問にはできる限り答えたいという誠意も感じられず、まだ隠そうとする姿勢が裁判官の目にどう映ったのか。やはり、もっと先に情報を開示して民主的にアセスを進める道もあったのではという疑問は残りました」

それにしても、外交や防衛の実務担当の役人が、県民に追及される構図は見たことがない。

山城記者「防衛問題でアメリカと交渉に当たる官僚が、少なくとも県民よりもアメリカの事情を優先させた。それは高見沢さんに限らない『彼個人の問題』ではないことだと思いますが、こういう仕事が県民を苦しめるのでは、と後日、問われる構図自体、今までなかったものです。その意味では画期的な出来事だと思いました」

国場君事件を考える

2月28日の琉球朝日放送です。

私が生まれた年に発生した、軍統治時代の悲惨な琉球社会を象徴する事件です。
「現場に駆けつけた内原先生の目に飛び込んできたのは、ガムをはき、ゴミを投げる米兵の姿でした。」という言葉に米兵の鬼畜として琉球人に対して振舞っていたことが分かります。

当時の軍事裁判は、判事・検事役も全員が加害者と同じ部隊の人間で構成され、非公開で記録も出さず、加害者は無罪となりました。

「復帰」して40年たちましたが、今でも軍人による事故、事件が多発する琉球なのです。本当に「復帰」して良かったといえるのでしょうか。



49年前の今日2月28日。このスタジオのすぐ近くの国道58号、当時の1号線で、上山中学1年生の国場秀夫君がアメリカ軍のトラックにひき殺されました。

青信号の、しかも横断歩道の上。何の落ち度もない中学生の命を奪った米兵は、密室で行われた軍事裁判で無罪に。沖縄が第一次裁判権を求める闘いのきっかけにもなったこの事件を振り返ります。


中村さん「あの辺だと思います。われわれは学校帰りで、こう来てこうわたっていくもんですから、横断歩道。そこで倒れている国場君を見た」


1963年2月28日夕方4時半。上山中学1年の国場君はいつものように下校し、樋川の家で待つ両親の元に帰るはずでした。ところが、青信号になり、みんなで横断歩道を渡っていたところ、猛スピードで突っ込んできた大型トラックにはねられたのです。

下校指導の先生や軍警察に囲まれた国場君。泣き叫ぶ生徒たちで現場は騒然としました。その中にいた国場君のお姉さんは、運ばれていく弟に駆け寄ることも許されず、内原つる子先生は彼女を抱きしめて立ち尽くしていました。


内原さん「ただ泣いて『先生!』って抱きついてから、もうこの子を抱きしめて。そして私も、もうどうしようもない」

現場に駆けつけた内原先生の目に飛び込んできたのは、ガムをはき、ゴミを投げる米兵の姿でした。

内原さん「あれを見たら、やっぱりきょうだいとしてつらいですよね。自分の弟のところにつばを吐かれたり。だからもう私はあの子を抱きしめて」


優等生で学級委員だった国場君。視力が弱かった父親に「車に気をつけてね」と声をかける、やさしい子だったといいます。

内原さん「あの姉さんを連れて行ったときの、お父さん、お母さんね。畳にうつぶせて。顔も上げ切らんで。泣いていらした、お父さんも」

翌日から新聞も連日この事件を取り上げました。教職員、政党など各団体が抗議の声をあげる中、上山の生徒会が自分たちで抗議集会を開きたいと立ち上がったのです。上山と那覇中学の生徒会が呼びかけた抗議集会には首里中、寄宮中の生徒、那覇市長も駆けつけました。

内原さん「もう、生徒会中心の抗議をやりたいといって。いや、生徒会というよりも学校としてやろうと言うことでしたけど。各中学の生徒会役員もみんなはせ参じて、そして自分たちも仲間に参加させて下さいって」


当時、生徒会長だった又吉真一郎さんは署名活動を展開するなど積極的に動きました。

又吉さん「自分たちの友達がれき殺されたのをそのまま放っておくわけにはいかない。生徒会として立ち上がろうということで」


那覇高校の校長も務めた翁長さん。当時、上山中学の3年生した。

翁長さん「当時は先生方も民主主義だとか平和だとか自治だとか、生徒たちに相当教えていたと思う。だから子どもたちは、それ(抗議集会や署名)をやるのは当たり前という気風があったと思います」


しかし、5月1日に開かれた特別軍事裁判で、加害者のロナルド・ジャクソン2等兵は無罪に。誰もが耳を疑いました。その理由は「夕日がまぶしかったから」

当時の軍事裁判は、判事・検事役も全員が加害者と同じ部隊の人間で構成され、非公開で記録も出さないという一方的なもの。


当時、先生方は何度も現場に足を運び、午後4時過ぎの太陽で信号が見えないなどありえないことを確認。また停止していたほかのドライバーも証人になると名乗り出ましたが、誰も法廷に入ることはできませんでした。国場君の証人と認められたのは、たった3人の中学生でした。

国場君のすぐ後ろを歩いていた3年生の松枝さん。信号が青だったこと、国場君は悪くないことを見たまま言おうと、先生と基地に入ったものの、法廷内は子どもだけにされ、4時間同じ質問ばかりされたといいます。


松枝さん「初めてだし、怖いし。私たちの言葉でひとつでも違ったら大変だよねって。大人が来ないってこと自体知らなかった。いっぱいいるじゃないですか見ていた方。そこを通った方がいるのに、なぜ私たちだけしか法廷にいないの?」

無罪と聞いて落胆する上山中学の生徒たち。抗議集会や署名、そして軍事裁判への参加など、当時の中学生が背負ったものはあまりに重い課題でした。

松枝さん「国場君って思いだしているうちに、ああいうことがあったと思うと耐えられなくなる」

何も変えられない。そんな空しさを内原先生も抱えています。少女時代、戦場で死んだ母親にすがる赤ん坊を助けられなかった記憶。戦後も教え子を守りきれない悔しさ。それらが全部つながり、心が壊れそうになった時期もありました。

内原さん「母は(戦場で)私の顔を自分の横腹につけて(赤ん坊を見せないようにした)。でもあの声はね。今も本当に背中にくっついていますね。あの赤ちゃんの泣き声は」

憲法が適用されれば、この苦しみは終わると復帰運動に没頭しますが、軍隊は残り、目指す「祖国の春」は歪んでいったのです。

内原さん「『目指す行く手は祖国の春』と当時、本当に思いました。でも、そうならない。どうしてですかね、沖縄は」


日本の法律にもアメリカの法律にも守られなかった暗黒の時代。那覇のど真ん中で起きた国場君事件は、不幸な時代に起きた過去の出来事なのか。この交差点を通る度、当事者は自問自答します。

中村さん「われわれの中には、40年たっても国場君の事故はいつまでも残るだろう。最近の事故にしても全く同じ」

中学生の連帯で抗議集会を開くなんて、当時の中学生は頼もしかったんですね。でも中学生だけを証人に呼ぶ裁判、ここまでいい加減なことをされた時代だったのかと。

それもこれも復帰すれば解決するという、県民の復帰にかけた思いがどんなものだったか。しかし、あれから40年。国場君の死に報いる安心して暮らせる社会が到来したとはいえない現状があります。

新たな研究課題

一昨日、イスタンブールから戻りました。ジェットラグで眠れず、たまった仕事をしています。これまで私は、琉球と太平洋諸島や島嶼を結ぶ研究や活動をしてきましたが、それと同時に、トルコや中央アジア等の大陸と琉球とを結んで考えたり、行動したいと強く思っているところです。


大陸と琉球を結ぶ。

イスタンブールは私の中の何かをゆる動かしたようです。

イスタンブールの民族の多様性、力強さ、匂いや眼光の鋭さ、人間の根本のところに触れる確かな生活や意思の強さを今、思いだしています。

ボアジチ大学、龍谷大学共同主催の国際会議

ボアジチ大学、龍谷大学共同主催の国際会議で報告しました。
ボアジチ大学は、海峡大学と訳することができます。ボスポラス海峡が見える、建設数百年の教室棟がたくさんあり、スケールの大きい学生がうまれうような、すばらしい大学です。

 昨日は、トルコ、欧州、アジア太平洋における移民問題、人の移動に関する国際会議で報告しました。私はグアムにおけるコンパクトインパクト問題を述べた上で、グアムの基地拡張が島社会にどのような影響を与えるのかを論じ、チャモロ人が移民政策のガバナンスをにぎるために脱植民地化と脱軍事基地化の具体的実践の意味について述べました。

私の報告では、島という狭小な場所における急激な人口増加という問題性、軍人やその家族をも移民として認識することの必要性、移住政策における受け入れ側のガバナンスの重要性について報告し、会場の参加者と議論をしました。

トルコにも米軍基地があり、関心を持って聞いてもらえました。国際会議の外では、トルコの先生方と、クルド問題、キプロス問題、ウイグル問題、民族ブルジョアジー・アタチュルクとレーニンや孫文との関係などについても議論をしました。大変刺激的な国際会議でした。

イスタンブールにて

今、イスタンブールにいます。

ビザンチン、オスマンの歴史を経て、アタチュルクの独立運動、独立後の政策など、多くのことを学んでいます。現地にすむ台湾人や中国人にもインタビューして、東アジアとトルコ、中央アジアとの関係について新しい発見をしました。

本屋でキプロス問題、クルド問題、アタチュルクの独立運動等に関する本も買いました。また東トルキスタンの食堂で、その地域の民族とともに食事をし、カザク人とも話をしました。

バザールにいくと多くの民族がひしめき合って商売をし、行きかって、大変活気があります。民族が民族として認められている社会生活の魅力を肌で感じています。

これまで琉球と太平洋諸島、島嶼とを結ぶことに力を入れてきましたが、それとともに、
琉球とトルコ、他の中央アジア諸国・地域・民族とを結ぶための研究、活動の重要性を強く認識するようになっています。

一昨日は街中で爆破テロも発生しまし、緊張の中での調査活動ですが、この一瞬、一瞬を大切にして、東西文明の接点で琉球人として学びたいと思います。

今日は、海峡大学(ボアズチ大学)にて、朝から夕方までのワークショップがあり、国際的な移民問題について報告をし、トルコ、アラブ側の研究者と議論をする予定です。刺激的な一日になりそうです。

| ホーム |


 BLOG TOP