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プロフィール

Yasukatsu Matsushima

Author:Yasukatsu Matsushima
1963年琉球石垣島生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。

その後、東京、グアム、パラオ、沖縄島、静岡、京都、滋賀にて学び、働き、生活する。

著書に『沖縄島嶼経済史―12世紀から現在まで』藤原書店、2002年
『琉球の「自治」』藤原書店、2006年
『島嶼沖縄の内発的発展―経済・社会・文化』(編著)藤原書店、2010年、
『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』早稲田大学出版部、2007年
『琉球独立への道』法律文化社、2012年
『琉球独立論ー琉球民族のマニフェスト』バジリコ、2014年
『琉球独立ー御真人の疑問にお答えします』Ryukyu企画、2014年
『琉球独立宣言ー実現可能な5つの方法』講談社文庫、2015年
『民際学の展開ー方法論・人権・地域・環境の視座から』(編著)晃洋書房、2012年
『琉球列島の環境問題ー「復帰」40年・持続可能なシマ社会へ』(編著)高文研、2012年
『3・11以後何が変わらないのか』(共著)岩波書店、2013年
『島嶼経済とコモンズ』(編著)晃洋書房、2015年
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グアムと琉球を結ぶ 10

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親川さんも、やさしく、かつ鋭く、琉球の植民地問題、しまくとぅばへのこだわり、にーぬふぁぶしの活動について学生に語りかけました。学生たちも、親川さんのお話に引き込まれているように、うなずいていました。


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マリリンさんも、学生と英語でお話をされました。学生そしてチャモロ人にとってこの日の出会いや交流は一生心に残るでしょう。人と人との直接的な出会いと、交流が、琉球とグァムの脱植民地化、脱基地化運動にとって大きな力になると思います。


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この後、私たちは普天間基地の大山ゲート前で行われていた、「復帰」を問い、基地の固定化に反対する集会に参加しました。チャモロ人の方々を皆の前で紹介しました。目の前に、グアムへの普天間基地移設を訴えていた伊波前市長がいたのですが、どのように考えていたのでしょうか。


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以前、リービン・カマチョさんが、琉球に来られ、ワッタールーチューにとプレゼントしてくれたシャツを照屋さんが着て下さいました。マリリンさんも大変喜んで、一緒に写真を撮ってくれと仰って下さいました。


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いつまで琉球人はこのような集会を開かなければならないのでしょうか。それは基地が存在するまでであり、「復帰体制」つまり植民地主義が続くまでです。琉球には人間が住んでいるのであり、「石」「砦」ではありません。早く、基地をなくし、植民地主義を終わらせてほしいと心から思いました。チャモロ人も同じように感じていたと思います。
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グアムと琉球を結ぶ 9

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5月15日、午後、新垣先生のご厚意により、沖縄キリスト教学院大学の授業において、チャモロ人3人が学生性質の前で話す機会がありました。学生たちとの議論、交流によりチャモロ人たちも大変喜んでいました。新垣先生、にーふぁいゆー。

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崎原さん、赤嶺さんも来て下さいました。赤嶺さんは沖縄国際大学の学生さんも連れて下さいました。会場は一杯となり熱気にあふれていました。


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新垣先生の授業は大変人気があると聞いていましたが、本当にそうだと思いました。学生の心をひきつけるような、やさしく語りかけ、鋭い指摘、学生の関心を引き出すような言葉等を学生が真摯に受け止めていた姿に感動しました。


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マリリンさんが黒板を使い、グアムの植民地化、脱植民地化の過程を書いて下さりました。本当に琉球とのグアムをパラレルに見ることができると思いました。


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特に2人の学生さんからの質問や意見が印象に残りました。自らの体験を踏まえた質問でした。琉球にこだわった活動をしている学生さんもいました。若者の可能性、力を感じた一時でした。








【書評】松島泰勝『琉球独立への道―植民地主義に抗う琉球ナショナリズム』(法律文化社)

Gさんの政経問答ブログ:経済・政治・軍事が一体化した、グローバル支配の体制を揺さぶる言葉の振動を
http://yo3only.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-0700.html

というブログで拙書の詳しい書評が書かれましたので、ご紹介します。Gさん、感謝します。





【書評】松島泰勝『琉球独立への道―植民地主義に抗う琉球ナショナリズム』(法律文化社)



沖縄の「復帰」40年にあたる今年、その意味するもの、歴史、結果、そして展望が数多くの人によって語られた。雑誌『世界』は特集「沖縄『復帰』とは何だったのか」を組み、『朝日新聞』では知念ウシと高橋哲哉が「復帰と言わないで」という対談を行っている(5月15日朝刊)。この時期の論調は例年、米軍の基地強化を論難し、単に沖縄の人々の闘いを称揚するものだった。

しかし沖縄の人々と日本の私たちとの関係、日本の私たちの立場はよく見えないものが多かったと思う。だが今年はいくらか違ってきた。広範にと日米の軍事植民地としての沖縄の位置が語られ、沖縄に対する差別が指弾され、声高に琉球の独立が主張されはじめているのである。

しばらく前までは、これらの言説は沖縄の地域誌『うるまネシア』(注1)や、『けーし風』(注2)、沖縄の新聞などのなかにしかなかったように思う。普天間の代替え基地が問題になった際、97年以来の「米軍基地は本土に持って帰れ」という沖縄の声はまじめに受け止められなかった。また沖縄意見広告運動の報告集会で「テニアン島に誘致決議をあげてもらった」と、自慢話をする社民党の参院選候補者がいる始末であった(注3)。

私は「植民地主義批判、琉球独立論に日本の私たちはどうこたえていくべきか?」と問いかけ、2冊の本を紹介したが、日本「本土」における運動へのインパクトはおぼつかない(注4)。ここへきて『世界』や『朝日』の論調は、私たちがようやく問題のスタートラインに立ちつつあると思いたい。



●沖縄人の自己決定権を考える、最良のテキスト

そのような風向きのなか、今年2月、松島泰勝『琉球独立への道―植民地主義に抗う琉球ナショナリズム』(法律文化社)が刊行された。『世界』の特集の冒頭で、新川明がこの本について書いている。

「尖閣列島や基地問題も含めて沖縄の将来にかかわる問題を考えるときの前提は、私たち沖縄人の自己決定権の確保であるが、そのことを考える・・・最良のテキストが出るのに、『復帰』=『再併合』から40年という歳月を要したことに、改めて感慨を覚えずにはおれない」(P82)、と。

また同じく『世界』で仲里効と山田文比古は、この本が出るべくして出た背景を述べている。

①「日本復帰」運動は、自己を欺き疎外する「日琉同祖論」に基づき、植民地主義と戦争と占領の記憶を、国家の論理を内側から補完してきた

②無力化した68年以来の沖縄革新共闘―復帰協を越え、95年の少女暴行事件を内面化する「95年世代」が「反復帰論」を再発見していった(以上、仲里、P113~)

③鳩山の「最低でも県外」の理想主義的な発言が、経済発展で矛盾をかくす「宥和」派の正当性を奪った。一方、鳩山の路線は簡単に撤回され、差別の問題、沖縄と本土の間にある深刻な認識ギャップが浮き彫りになった(山田、P98~)――と。

なにも新しく「琉球独立への道」が語られはじめたわけではない。石垣島うまれの松島は、早くは「復帰」前後、71年の比嘉幹郎の沖縄「自治州」構想に始まる琉球の自治論を紹介し、批判する。

①「財政的裏付け(一括交付金)や既存の国の枠組み(憲法95条の住民投票)に基づいて自治を論ずることが「現実的」であると考えられてきた・・・(それは)裏切られ机上の空論になった」(P203)

②「自治労沖縄県本部・・・(の)『特別県制論』は、日本政府と日本国民に対する過度の期待感や楽観論に基づく、復帰幻想の延長線上に位置する、自立論不在の復帰論である」(P195~197)

③「太平洋島嶼民の勇気と実践から学び、国連、国際法等を活用し、さまざまな手段を講じて、琉球人は自己決定権を行使する時期に来た」(P246)

返す刀で日本人への不信を端的に表明する。「『沖縄問題』は日本人個々の内部を変革するエモーション

にはならず、自らが拠って立つところのものにはいささかも照明をあてようとしない」(P214)、と。



●独立を勝ち取ったミクロネシアと、軍事植民地とされた沖縄

 石垣島うまれの松島は、国際法や国連決議を豊富に援用し、自治や独立をかちとった太平洋の島嶼国家などの例を豊富に紹介する。

それは方法的なスタンスのように見える。新川明が「復帰」思想について言う「日本国民化志向の精神史的な病理」(P211、注5)を、またそれによって狭められた沖縄の「自治」言説を相対化し、独立の現実性を明らかにするためだ。後者の点では、「国連、国際社会はこれまでの琉球人の運動により、琉球人は民族、先住民であるとみなし、基地の押し付けを人種差別であると規定し、その撤廃を日本政府に求めている」(P145、注6)――という重要な事実の指摘もある。

 太平洋の島嶼国家の例も、私には目新しかった(注7)。19世紀後半、太平洋諸島の植民地化が進んだ時期、琉球王国も日本に併合された。太平洋戦争後、琉球とミクロネシア諸島はアメリカの統治下に置かれた点は同一だ。だが、例えば信託統治領であるミクロネシア諸島では70年前後にアメリカとの協議がはじまり、自治政府の樹立をへて86年にミクロネシア連邦が独立している。

ここで「信託統治領」ということが琉球とミクロネシアを分けるポイントだ。信託統治領は非自治地域=植民地と位置付けられており、「施政権者は『自治または独立に向かって州民の漸進的発展を促進すること』が義務付けられている」(P137)。

しかし沖縄は事実上、アメリカがポツダム宣言の「領土拡張の念も有しない」という合意を破って獲得した「戦利品」となり、属領とされた。「サンフランシスコ講和条約によって『将来信託統治領になる予定』の島であると規定されたがゆえに、国際法による保護をうけない、非常に不安定な政治的地位でしかなかった」(同)。


国際法をかいくぐったあいまいな地位だったかもしれないが、しかし「不安定」だったのではない。沖縄は、「天皇メッセージ」によって恒久的な基地の島として売り渡され、そして72年「返還」をとおして日米の軍事植民地として固定されたのである。講和条約の締結時も「返還」時も、琉球の人々の自決権の行使はいっさい度外視された。植民地であれば、国連監視下で政治的地位に関する住民投票が義務付けられていたにもかかわらず――である。



●国家により背中合わせにされる、「差別」と利己的な「安全」

 松島は「国家回復のための琉球国復帰運動」(P242)を提唱する。琉球国600年の歴史に対し、日本統治と日米の軍事植民地の時期はたかだか100年くらいしかない、というのだ。日本への非暴力・非協力の運動、琉球の自立の理念を、究極的には「国」の独立として描いている。そして太平洋島嶼の人々の一員として、「琉球自治共和国連邦」のイメージを提供している(P248)。

他方、「琉球を植民地支配する日本の基本法である憲法の枠組み、つまり日本という枠組みの中で反基地運動をしても限界がある」と述べる。立川反基地運動にとっても、深刻に受け止めるべき言葉だ。72年の米軍立川基地への自衛隊移駐=基地の「返還」という動きに対し、私たちは「返還」の内実を問い自衛隊移駐に反対する沖縄の闘いとどう繋がるか、が大きな関心事だった(注8)。

なぜなら「復帰」に先立つ60年代に日本:沖縄の米軍基地面積はほぼ同等だったが、「復帰」時点で4:6、74年中で1:3――すなわち現在の比率となった(注9)。日本の反基地運動が直接の被害がなければ良しとするレベルに熱が冷め、日米の新たな共同作戦体制が沖縄を軸に構築されはじめたからだ。そこでは「差別」と利己的な「安全」が、国家の手で背中合わせに編成されている。

知念もこのかん、琉球独立の暁には日本で用済みになった憲法9条を引き取る――というようなことを述べていた。いずれも強烈な日本人批判だ。私たちはこれにどう応えるべきだろうか。

『朝日新聞』の対談で高橋は「犠牲のシステム」(注10)について触れ、「原発はその典型」だとする。しかし一方で「戦争によって無理やり作られた基地と、地元の誘致や合意もある原発とは根本が違う」と規定する。また他方、基地負担の比率が74%であることによる「沖縄の人々」への犠牲をもって、原発と似ているとも言う。

つまり合意の有無を論じるのだが「琉球人」という民族の自決権にまでは立ち入らず、犠牲の程度を測って差別の問題をあいまい化しているかのようだ(注11)。主体が見えないのである。それゆえ知念は、高橋が「植民地」という言葉を使うと、「いざ日本の人に言われると、ずしーんと悲しくなりました」と応じるのではないだろうか。

知念が「日本人が基地を引き取って、嫌なら自分でなくしてほしい」と言い、二人の会話は次のようにして終わる。知念「高橋さんも、基地を持って帰ってくださいね」。高橋「それが『日本人』としての責任だと思っています」――と。高橋の言葉はいささか軽い。

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(注1)発行=21世紀同人会。例えば第10号(09年5月)の特集は「歴史を超える―薩摩侵略400年、琉球処分130年」。連絡先はTEL/FAX=098-944-5025

(注2)発行=新沖縄フォーラム刊行会議。例えば第67号(10年6月)の特集は「国連勧告をめぐって―脱植民地主義と沖縄の自己決定権」。連絡先は netwind@atlas.plala.or.jp http://mangroove.shop-pro.jp

(注3)http://yo3only.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-168a.html 参照

(注4)知念ウシ『ウシがゆく・・・』 http://yo3only.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-496e.html および

 新崎盛暉『沖縄現代史』 http://yo3only.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-d7e1.html 参照

(注5) 新川明『沖縄・統合と反逆』(筑摩書房、2000年)より

(注6)以下に準拠した主張である。①先住民規定=国連「B規約」人権委員会の日本政府への勧告(P123)

②基地押し付けは人種差別=先住人民の権利に関する国際連合宣言(07年)第30条1:先住人民の同意・要請のない軍事行動の禁止、2:軍事的な土地利用に関する先住人民との協議義務(P144)

(注7)運動サイドからの調査報告として、山口響「海兵隊のグアム移転―誰のための負担軽減なのか(4)」(『季刊ピープルズプラン』第50号―2010春号)がある。

 http://www.peaples-plan.org/jp/ppmagazine/pp50/pp50-yamaguchi.pdf 参照

(注8)私たちが編み出した生煮え(?)のスローガンは「基地『返還』攻撃粉砕!」だったが、「基地が戻ってくる」と跡地利用計画づくりに沸き立つ、社共や一部の新左翼党派にはついに理解されなかった

(注9)新崎盛暉『沖縄現代史』岩波新書P26~

(注10) 「ある人々の利益が、別の人々の生活や日常や尊厳などを犠牲にすることで成り立つ」ということ

(注11)辺野古や高江の基地建設に関する国連人種差別撤廃委員会の日本政府あて書簡(12年3月)は、06年「勧告」の「人種差別」という言葉を引用している http://www.imadr.org/japan/un/hrc/post-9/

グアムと琉球を結ぶ 8

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この言葉を、にーぬふぁぶしで改めて聞くと、心が揺さぶられました。言葉によって土地・島・国、そして親・先祖が自分と結ぶことができるのです。


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あっぱーたちが、大声を出して、子供たちがそれにこたえる。子供の年齢もそれぞれ違いますが、年上の子供や母親が赤ちゃんの面倒をみて、互いに助け合って、楽しみ合いながら、しまんちゅスクールが始まりました。琉球の精神的自己決定権運動の曙です。


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自分と家族との関係をしまことばで学びます。人と人とのつながり、人と社会とのつながり、人と自然とのつながりが、しまことばによって自然にみに着くようです。これまで日本語によって、どれだけこれらのつながりが断ち切られてきたことか。しまことばの可能性と希望を見た思いがしました。


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女性たちを中心にした琉球諸語復活運動は、一時のファッションではなく、脱植民地化という大きな目標と結びついており、琉球の植民地としての歴史を変える大きな一歩になると確信しています。


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マリリンさんも「てぃんさぐぬはな」の曲に合わせて、子供たちが歌う曲を大変気に入り、琉球のあっぱーから、琉球の曲が収録されたCDをプレゼントされ、喜んでいました。今頃、グアムで「てぃんさぐのはな」が流れていると思います。

グアムと琉球を結ぶ 7

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沖縄県庁の基地対策課に行き、ご担当の職員さんと意見交換を行いました。最初に、琉球における基地問題についてパワポによる説明があり、グアム側との意見交換を行いました。両島嶼とも、日米両政府から十分な軍事、基地情報を与えられておらず、自らの力で情報を集めなければならないという植民地の実態が明らかになりました。



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チャモロの方、親川さん、そして私でA&Wで食事をしました。マリオ君とともに皆楽しそうでした。マリオ君も皆になつき、大変おりこうさんでした。


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マイクさんはご自分の子供にチャモロ語しか使わないと聞きました。グアムで子供とチャモロ語ではなしていると、そばを歩いていたチャモロのご老人が涙を流して喜んでいたそうです。親川さんも、お子さんとともに、しまことばを学んでいます。しまことばによって、島の土地、神、文化とつながることができるのです。


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琉球に今年、画期的な場所が誕生しました。しまんちゅスクール、カフェ・クロトンです。普天間飛行場の近くにあります。琉球人による琉球人のための琉球人の学校であり、食堂です。脱植民地化、脱軍事基地化という、しかっリとした思想を柱にした琉球人の精神的よりどころになるとおもいます。

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子供たち、親御さんたち、先生方が、琉球語を互いに学びあう「にーぬふぁぶし」に集まってきました。熱気がでてきました。

今日、琉球に帰国します

今日、琉球に帰国し、大田元知事にインタビューをします。そのあと、新雑誌『新琉球学』についての会合・交流会を行います。

明日は、沖縄大学で12時20分から開かれる「琉球・沖縄・島嶼及び地域の平和分科会」において、
赤嶺ゆかりさんが「沖縄における「脱植民地化」の教育と実践ー平和教育の一方法論」、親川志奈子さんが「しまくとぅば教育と脱植民地化」の報告を行い、私が討論者として参加します。

その後、新川明さんにインタビューを行います。

琉球の長老と若手との議論から多くのことを学びたいです!


グアムと琉球を結ぶ 6

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この土地は日本やアメリカのものではない、わったー琉球人のモノである。条件を付けて返すというのが、そもそも不遜な植民地主義的態度である。


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グアムでも米軍、自衛隊、豪州軍等が演習をしており、琉球人と同じ思いで島の空を見ているのです。


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次に普天間基地の金網の近くに行き、中にある琉球の墓を見ました。琉球人の心、信仰、先祖とのつながりが米軍によって断ち切られているのです。チャモロ人も大変な驚き、怒りを持って、琉球の現実を見つめていました。


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マイクさんもご自分のカメラで、琉球の植民地という現実をカメラに収めていました。マイクさんは、ご自分でブログをされており、そこに写真が掲載されています。マイクさんの目で琉球がどのように見つめられたかが分かります。

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軍用機の誘導灯が琉球の墓の近くに設置されており、軍用機が琉球人の先祖、マブイの上を何度も、何度も通過しています。これは今生きている琉球人だけでなく、琉球人の祖先を含めた琉球、琉球人全体に対する侮辱であり、蔑視の行為です。

グアムと琉球を結ぶ 5

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日曜日のシンポ終了後、皆で交流会をしました。琉球風居酒屋でした。沖縄国際大学の学生から聞いた話が心に残りました。夜、普天間飛行場の爆音で目が覚めることが多い。夜もサーチライトで空を米軍が照らすため、昼間のようでいて寝付けない。基地のそばで生活しながら大学で学ぶ学生たちの現実の話を聞きました。このような中で大学生活を送っている学生がいることを、日本の大学生も知る必要があります。


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チャモロの皆さんが、チャモロの唄を打って下さいました。和気あいあいとして、チムドンドンしました。


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琉球人も喜びのお返しで、カチャーシーを踊りました。


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翌日、チャモロ人3人と普天間基地が見える嘉数高台に行きました。NHKの取材陣と一緒であり、8月のETV特集のための撮影です。チャモロ人が普天間基地をみて、どのように考えたのかを語りました。市街地の中にこれほど大きな基地があることに大変驚き、怒っていました。その日は、「復帰」の日でしたので、クローズアップ現代の取材陣、コメンテイターの江上先生もきていました。


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私たちが嘉数高台にいたときにも、米軍機が爆音を私たちに投げかけ、本当にバカにされているような気がしました。「これ以上、われわれシマンチュ―をバカにするな」という怒りと、脱植民地化、脱基地化のための決意を改めて固めました。

グアムと琉球を結ぶ 4

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土曜日のシンポ開催にあたり、沖縄国際大学、友知さん、学生さんのご支援を頂きました。大変、感謝しています。友知さんは経済学者ですが、今後、琉球独立の経済的研究にも大変関心を持っており、琉球独立総合研究学会の設立を提唱されています。皆さんの中にも関心のある方はいませんか。


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翌日曜日は「復帰」なんだるばーがーというシンポを沖縄国際大学で行いました。カマドゥ小たちの集いの方々も会場にきておられ、段ボールでつくったパネルを見せて下さいました。


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日本政府は岩国への米軍基地はだめで、琉球はいいという判断をしていますが、それが日本政府、日本人による琉球差別を示しているといえます。「復帰」40年たっても琉球差別をやめようとしません。はやく「復帰体制」を終わらせる必要があります。


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昨日と同じく会場には多くの方々が来てくれ、議論に参加しました。後ほど、熱い話し合いが会場との間で行われました。


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マイクさんが、グアムにおける「復帰」について述べました。つまり1950年に成立したグアム組織法によってはじめてグアムの住民は米国市民権が与えられ、米国人になったといえますが、それは制限付きのものであり、植民地としてのグアムの状況を何ら帰るものではありません。琉球も「復帰」によって米国の軍事植民地から、日米共同による植民地になっただけで、植民地という政治的地位は変わりません。グアムと琉球を比較すると琉球の現在の姿が分かります。


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パネラーは、マイクさんのほかに、渡名喜さん、上原さん、赤嶺さん、高良さん、そして私がおり、知念さんが司会をされました。会場からは琉球はシンガポールのように都市経済を目指し、欧州諸国をモデルにすべきであり、琉球の言葉や文化にこだわることの問題性を指摘した方が意見を述べられました。また琉球語では分からん、日本語で話せという意見も出ました。それらの意見や質問に対して、パネラーや司会が冷静に解答し、今回の集いのの意味つまり、「われわれ琉球人にとって、「復帰」「復帰体制」とは何であるのか。40年前の過去のことではなく、今でも続く復帰体制がもつ植民地主義を問い直し、脱植民地化に向かう道を見出す」を互いに確認し合いました。




グアムと琉球を結ぶ 3

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私がグアムと琉球における脱植民地化、脱基地化を比較する形で報告した後、マイクさんが話されました。マイクさんはグアム大学教員で、グアムの歴史、平和思想等を教え、研究しているそうです。グアムにあるチャモロ人の聖地であるパガットが射撃訓練場として米軍により接収されようとしたことに対し、学生、住民とともにそこを守る活動をされてきました。私も今年2月グアムに行ったとき、マイクさん、学生さんたちとパガットに行き、チャモロの歴史と精神を学びました。


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次にマリリンさんが報告されました。なぜ、琉球が国連の非自治的地域としてリスト化されなかったのかという問題意識に基づいて話されました。マリリンさんはグアム議会の元議員であり、米政府、国連において実際にグアムの脱植民地化のための活動をされてきた方であり、話に非常に説得力がありました。


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そして知念さんが、なぜ琉球の米軍基地をグアムではなく、日本に移さなければならないのかを話されました。琉球の生活における植民地化の問題を指摘し、日本人の責任を問いました。カマドゥー小たちの集いの活動を紹介しながら、日本、日本人が問題を自ら見ず、責任を回避していることを鋭く指摘しました。


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各自の報告が終わって、壇上にパネリストが並び、会場からの質問に答える形で、議論をしました。チャモロ人と琉球人が真剣に向かい合い、議論することで、互いに共有している問題の本質を直視し、その解決のためにどのような協力が可能であるかを考えることができるのです。グアムにも人間がすんでおり、米軍基地に苦しんでいるという当然の事実を知ることで、「グアムに基地が移転すればいい」という非人間的な発言はできなくなると思います。

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シンポが終わり、大学の近くの食堂で食事をしているところです。今日のシンポで各自が何を感じたのか、思ったのかを聞きました。マリリンさんが牛乳とビールを混ぜて飲むという習慣があり、私も試してみましたが、胃にやさしくおいしかったです。

グアムと琉球を結ぶ 2

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沖国大の最も大きな教室でシンポをしました。2日間にわたり、非常に充実した議論が行われました。会場の準備をして下さった、友知さん、学生の皆さんにお礼申し上げます。


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画面に「帝国の島」の映像を流し、沖国大の学生さんがナレーションをしました。非常に臨場感があり、うまく、素晴らしいナレーションでした。この映画は何度か見ましたが、今回のは改め心に残りました。


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最初にエドワードさんが、ご自身のお父様の体験をご紹介しました。日本統治時代にお父様を中心とするチャモロ人がどのように、ひどい目に会い、虐殺されたのか、しかし、その賠償はいまだに日本政府や米国政府も行わず、謝罪さえもないという植民地状況を話されました。


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次に友知さんが「基地外基地」の問題について報告しました。金網で囲まれた基地だけが基地ではなく、琉球人が生活する空間にも米軍人関係者が生活するための建設物が作られ、基地は島の中で増殖しているということを経済学的に話されました。


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会場には様々な方が駆けつけてくれました。新聞記者の方も仕事ではなく、自らの関心をもってきてくれた方もいました。日本からも、このシンポのためにきた方も数人いました。

『現代の理論フォーラム』の最新号で『琉球独立への道』が紹介されました

現代の理論フォーラムの最新号で山田勝さんが『琉球独立への道』について書いて下さっていますので、ご紹介します。





「復帰」40年

再び「琉球処分」を本土の側から考える


歴史がやっと廷る

封殺された歴史がやっと蘇ろうとしている、そ
んな気持である。当時ヴェトナム戦争と連動した
「72年沖縄返還」をめぐる攻防は国論を二分した。

60年安保闘争以後、68年全共闘運動の爆発的高揚
を挟んで、反戦・全共闘・べ平連を軸としたニュー

レフト勢力はこの闘いの大きな柱を創りだしたが、
振り返れば最後の闘いであった。この沖縄返還 復
帰を問う思想的路線的分裂によって、この新勢
力は思想的共同性を失い分裂したからだ。

ビート
ルズやフォーク、カウンターカルチャー、武装論
や都市ゲリラ論、内ゲバの暴走などによって、当
時のことは歴史の-コマとしてのみ語り継がれて
いるが、その根幹をなす領域は「復帰」問題であっ
たことは封殺されたままである。閉じ込められて
きた領域を解き放つ価値はあると思う。

新川明が「40年目の感慨」(『世界』6月号)と
いうメッセージを出している。

「復帰」前後沖縄サ
イドの新川明たちの「反国家の凶区」などを読ん
で、日本と沖縄の関係は琉球処分によって歴史的
につくりだされていること、この事を前提にして
「復帰-72年沖縄返還」自体を考えるべきだとの
主張に共鳴した。

保守も革新も、本土も沖縄も、
祖国復帰と本土並み返還が両輪となって日本国家
-現憲法体制-の復帰で、戦後を終わらせると祝
賀した。本当か?「反復帰派」と言われた人々の
多くは同じ心境であっただろう。

当時も「いも、はだし」論争があり、「独立論・
自立論は、人々はどうやって食っていくのかを示
し得ない空論に過ぎない」として一蹴されたこと
を覚えている。

本土サイドでは「琉球処分」を問
う私たちの思想は孤立無援であった。それでもこ
の 40年、本土でも沖縄と連帯する思想と運動は絶
えることはなかった。

「復帰」自体を問う思想も伏
流化しつつ、再生産されながら今日に至っている。
「琉球処分」というキーワードもまだ生命力を保ち
続けている。

グアムと琉球を結ぶ 1

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5月12日沖縄国際大学で開催したグアムと琉球の脱植民地化、脱軍事化を議論するシンポジウムの打ち合わせです。赤嶺さんと親川さんが通訳をして下さいました。


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エドワードさんから、バックからたくさん、グアムからのお土産を持ってきてくれました。グアムの香りがしました。ニーファイユー。


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今回のシンポを支援して下さった沖国大の学生さんたちです。Empire in Islandsという映画を上映しましたが、そのナレーションをしてくれた放送部の学生さんです。とてもうまく、映像に集中してみることができたと好評でした。ニーファイユー。


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左からエドさん、マニブサンさん、マイクさんです。皆で自己紹介をし、打ち合わせを和気あいあいとした雰囲気の中で行いました。今回は沖国大の友知先生にいろいろとお世話になりましたが、友知先生が打ち合わせの司会をして下さいました。


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照屋さんが総合司会をされ、シンポジウムが始まりました。

第11回ゆいまーる琉球の自治 in 徳之島 23

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前利さんが「自治労かごしま」にゆいまーる琉球の自治の集いの記事が掲載されたことをご教示下さいました。
前利さん、自治労奄美諸島の皆様、大変お世話になりました。心よりお礼申し上げます。島人の自治的自覚から多くのことを学びました。また集いで出会った方々にもお礼申し上げます。ここで学んだことを他の琉球の島々にも伝え、琉球文化圏が平和で豊かな島になるように、私が出来ることをこれからもさせていただきたいと思います。

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基地反対のこの看板は、徳之島人がいかに基地に反対しているか、徹底的に基地移設という日本政府の策動に闘うという島人の怒り、意思が刻まれたものです。


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カネではない、経済よりも島人の命がもっと大切であるという主張です。


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以前、沖永良部島でゆいまーるの集いをしたときにも、西郷隆盛が幽閉された場所を見学させていただきました。徳之島にも西郷は上陸し、蟄居していたのです。


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ソテツとともにある海を見ながら、徳之島の過去と現在を思いました。犬田布義戦、TPP反対,米軍基地反対と常にこの島は闘っている。それだけ島人の自治的自覚が鍛えられ、自らの島を自らで守り、動かそうとしているといえます。


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徳之島から出発する飛行機は強風のため、大きく揺れましたが、上空にでると安定した飛行になりました。風邪のため奄美大島から徳之島への飛行機は欠航になりました。風、台風などの天候に島の空の交通が大きく左右されるという現実も改めて認識することができました。

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徳之島の方々はTPPに強く反対しています!日本政府には島の人の声を無視するのでしょうか。


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大谷先生にカレーをごちそうになりました。ごちそうさまでした。短い間でしたが、先生とともに徳之島の各地をお話をうかがいながら廻ることが出来て本当によかったです。貴重な体験をさせていただきました。心よりお礼申し上げます。


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次に齊藤さんのご案内で犬の門蓋に参りました。島の伝説に基づく不思議な名前の名所です。


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その横に、小さなさりげない看板でしたが、徳之島の方が本当の自らの島を愛して、外からの勢力から島を守ろうとしていることが分かります。


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不思議な形をした岩が海岸にありました。島の伝説、物語が生まれてもおかしくないほどに、迫力のある風景でした。このような美しい島を守りたいと思うのは当然です。


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徳之島は島としていろいろな表情があり、多様で豊かな島だと改めて思いました。

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ソテツの道を歩き展望台にきました。徳之島の海と海岸です。

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琉球の人々を飢饉のときに救ってくれたソテツです。生命力がみなぎっています。

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次に大谷先生がムシロ瀬に連れてきてもらいました。ごつごつした岩があり、徳之島の力強さが表れているようでした。


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荒々しい岩と波をみていると、島外からTPPや米軍基地が押しつけられることに対して抵抗し闘っている徳之島の人々のことを思い浮かべました。島人の岩のような強い自治の意思と行動があれば、島を守ることができるとムシロ瀬を歩きながら考えました。

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南西糖業という製糖工場です。琉球の各島々に製糖工場がありますが、TPPが導入されれば工場はなくなり、サトウキビに関連する文化や歴史、人々の生き方、生活もなるなります。

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大谷先生のご案内でソテツの道を歩きました。琉球の人々を食糧危機から救ってくれたソテツに感謝しながら歩きました。


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非常に高いソテツを見ました。ここまで高いソテツは初めて見ました。いくら歩いても、ソテツの道は続きます。
ソテツから生命の力を頂いているように感じました。


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その日は雨でしたが、大谷先生は島人の知恵といって、ちかくにあった植物の葉っぱを頭にかぶり、雨を防いでいました。すばらしいと感動しました。最近、フェイスブックで友達になった仲岡さんは徳之島のご出身であり、大谷先生が中学の頃の恩師だったそうです。大谷先生はほんとうに島を愛し、誠実に生きてこられた島の先生だと思います。


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齊藤さんも大谷先生のように葉っぱの傘をして私の前を歩きました。齊藤さんは、以前も徳之島にこられ大谷先生からいろいろとお話を伺っています。


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ガジュマルをみると徳之島が琉球文化圏であると、改めて感じます。安心します。心がホッとします。

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互いに語り合い、話し合いました。人と人との直接的な出会い、話し合いから自治が生まれていくのです。


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前の日に私たちを案内してくださった 四本さんも挨拶をして下さいました。徳之島の歴史や文化に対する自信、誇りに満ち溢れた方であり、その情熱を客観的に調査し、自らの足元を掘り下げておられます。


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島外から参加した面々で、島の料理を食べながら二次会をしました。島の刺身がおいしく、どんどん食べました。


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今回の集いでは前利さんに本当にお世話になりました。にーふぁーゆー!


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翌朝、雨でした。赤土が海に流れ、海が赤く濁っていたました。島の血であると思いました。石垣でも、奄美大島でも、沖縄島での同じような血を見ました。人間と島との関係性を問い直さなければなりません。

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本当にすばらしい島唄でした。今でも、耳の底に唄の響きが残っています。奄美諸島の歴史を思いながら聞きました。


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新元さんもあいの手を入れ、踊りだしました。唄と踊りが一体化していました。



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新元さんの踊りも味わいがあり、楽しく、会場全体が喜びに沸きました。


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奄美市役所の職員さんが、藤原書店の書物リストの中でも特に、ピエール・ブルディユーの著作に関心を持ち、是非読みたいと言って下さいました。


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喜界島の教育委員会で遺跡の調査をされている考古学者の方です。この方はメキシコに10年以上生活し、遺跡の研究を続けてこられ、お母様の縁で喜界島で働き、考古調査をすることになったそうです。メキシコの大学で書いた卒業論文でブルディユーの思想に基づいて考古学について書いたという話をされ、それを着ていた奄美大島の方がブルディユーの著作に大変関心を持ったのでした。

南米と喜界島を考古学的に比較して、太平洋をまたぐ人類の新たな古代史を示してくれる方かもしれません。とても和やかに話をさせていただきました。

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奄美大島から今回の集いに参加された3人です。真ん中の方は集いでも何回か質問され、本当の自治の意味、そのあり方について議論できて、今日は来たかいがあったと言って下さいました。


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お二人は、鹿児島からこれらたのではなかったでしょうか。本当に各地から、今回の集いに参加して下さいました。この集いで学んだことを、帰ってからも、それぞれのやり方で実践して頂きたいと希望します。


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次に徳之島の自治労の職員の方々が自己紹介をしました。今回は、事前の島におけるフィールドワークでの車での移動や説明、会場の提供や準備、そして運営等、本当にお世話になりました。心よりお礼申し上げます。


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南琉球出身で、熊本大学に進学し、現在、徳之島の教育委員会で働いている考古学者です。琉球文化圏のつながりを自らの体を通して調査し、生活の中で体験しており、北と南の琉球を結ぶ重要な琉球人の一人であると思います。チバリヨー!


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自治労の職員さんですが、島唄が本当にうまく、心と体がゆすぶられました。張りのある、伸びのある、力強い島唄であり、徳之島の魂の叫びのようにも感じました。した

自治とは何か:投稿者との対話

本ブログに次のようなメールがきまして、私がそれに次のように答えました。松とは私の答えまたは質問。





> 「非武装独立論」「無防備独立論」
>
> ・戸締りしない家庭がありますか?大学にも警備員がいます。
>


> ・無防備は近隣国に実は迷惑、地域の不安定要因。

松:その近隣国には中国、北朝鮮もはいるのですか?


>
> ・人民・郷土に無責任・無頓着な居酒屋独立論、エゴ。実験?
>

松:居酒屋独立論の定義をして下さい。


> ・「建国の意志」「反乱の自覚」なき現状補完論。


松:なぜ現状補完論になるのですか。


>
> ・松島先生は思慮浅く視野狭し。
>
> ・現在の沖縄言論空間のオピニオンリーダーである松島先生がその程度では琉球民族の前途は暗く多難、琉球民族を搾取する悪党どもは安泰・増長ですね。ミスリード、萎縮効果。


松:その程度とはどの程度ですか。人を批判する場合、隠れていないで、実名所属を明かして下さい。


>
> ・殺されっぱなしの琉球史から何を学んだのですか?「悪意ある他者」によってタスマニア人などはリアルに絶滅。


松:本当に殺されっぱなしなのですか。

> ・琉球民族は「超人的救世主民族」?夜郎自大。誤認識。
>
> ・理想主義はほんとの愛がないから。
>
> ・・・・
> ・企業ゆいまーる
>
>  琉球系の学者で琉球ナショナリズム版の民科協みたいなサークルをつくるといいと思います。


松:人に期待するのではなく、自分自身で動いて下さい。それが自治です。


>
>  ほんとはスコットランド国民党のような総合的な前衛党・民族党が必要です。



松:あなたがそれを作って、自分の説を主張して下さい。人を批判するだけでなく、行動をして下さい!

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カリブ海の島々の政治を主に研究されている尾立さんです。日本島嶼学会の理事をされている前利さんのご紹介で参加されました。徳之島についてのご研究の成果についても今後、聞きたいです。


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書家でデザイナーの作間さんです。ご実家が宮城県にあり、今回の震災で被災されました。心身共にお疲れのところ、徳之島の集いに参加して下さいました。『新琉球学』の表紙も楽しみにしています。


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「自治」についての藤原社長の話に多くの参加者が「自治」の本当の意味を聞くことができ、今回、参加できてよかったと言って下さいました。今回の集いは、一般の住民に公開され、住民の参加もありましたが、一方で自治労奄美地区の研修会という位置づけもされており、多くの自治体の職員さんも参加されていました。「自治体」と「自治」については普段耳にしているものの、その本義については知る機会が少なかったと思います。

ゆいまーるの集いは人間が本来備えている「自治的自覚」を各人が自らの内部から呼び覚ますための集いなのです。


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喜界島からこられた自治労の方々です。船で来られました。

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みなさん、互いに信頼し合いながら、仕事をされているということが、自己紹介の中から分かります。

第11回ゆいまーる琉球の自治の記事が南海日日新聞に掲載されました。

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南海日日新聞の久岡さん、集いのコーディネーターをされた前利さん、御礼申し上げます。

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西浜さんの姪御さんで、現在、沖永良部で教員をされている島谷さんです。わざわざ沖永良部から船でこられました。にーふぁいゆー。


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西浜さんです。現在、石巻で被災者支援の活動もされています。関西でも辺野古反対活動、教科書裁判など、広く活躍されています。


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徳之島出身の喜山さんです。琉球大学で現在学んでいますが、将来、琉球で教員をしたいと言ってていました。今回の集いが卒業研究だけでなく、今後の生き方、考え方にも意味があったら幸いです。


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大阪在住の高岩牧師です。温厚で深いところから琉球について考え、思っておられるようでした。西浜さんとともに日本のキリスト教団体と琉球との歴史的関係性についても問題提起をされています。


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目取真さんです。徳之島に大変関心があり、今回のご参加となりました。伊江島以来のご参加となります。島の方の話をじっくりと聴き、写真もしっかり取っておられました。将来、徳之島についての小説や評論も読んでみたいです。


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今回の午後の集いでは前利さんがコーディネーターをして下さいました。今回の集いでは前利さんに本当にお世話になりました。にーふぁいゆー!


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交流会が始まりました。集いの第二ラウンドです。今日の集いを踏まえて各人がどのように考えたのかを自己紹介とともに話しました。新元さんはいつものように、腹の底から声をだす、島の唄を歌いました。新元さんのように体全体、マブイ全体をつかって唄を歌う琉球人を知りません。琉球の誇り、宝です。


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大谷先生のお話も島の歴史を踏まえられた、心の底に残るものでした。


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島に移住して40年近い方も、島へのこだわりを語ってくれました。日本と徳之島の間で自らのアイデンティティをみつけようとてこられ、島に骨をうずめる覚悟で今を生きていると感じました。


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新元さんと齊藤さんです。齊藤さんは、この集いに参加する前に与那国島に行かれ、田里さんと会ってきたようです。地道に琉球の島々を訪ね、島の自治、自立について考え、人と人とをつないでおられます。齊藤さんに、大谷さんを紹介してもらいました。また、与那国のお酒、徳之島のおいしいジュースの差し入れをしていただきました。


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樺太生まれの石坂さんです。現在、実家のある北海道の稚内、つれあいの方の実家がある沖縄市、もともとのご自分の家がある千葉で生活をされています。色んなところに拠点をもつことで、色んな視点で物事をみることができると思います。石坂さんは徳之島のあと、奄美大島に行かれました。

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幸多さんが手書きでかかれた絵に、命を失った人々に対する深い思いが込められていました。


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会場から、大谷さんも戦時中のことについてご発言してくれました。島民の視点から戦争の実態をしっかりと認識しているからこそ、新基地建設に対する大きな反対運動が展開されたのだと思います。


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歴史学を専攻されている大阪府立大学の樫本喜一さんが「核燃料再処理工場徳之島立地案の意味する問題」と題する報告を行いました。核燃料再処理工場として徳之島がなぜ狙われてきたのかを具体的に、分かりやすく話してくれました。米軍基地と同じく、都会民にとって害悪でしかないモノが島々をはきだめのようにして、押しつけられようとしてきたのです。

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奄美大島宇検村在住の新元さんは、どのようにして東亜燃料から枝手久島の開発を住民が防いだのかを話しました。開発の暴力に対して地域住民が一致団結して、体を張って抵抗し、カネの魔力に負けなければ人間は島を守ることができることができると思います。

元滋賀大学学長 宮本憲一先生との対話研​究会


明日、私の研究室にて、元滋賀大学学長 宮本憲一先生との対話研​究会が行われます。テーマは「地域開発の歴史を振り返る」です。
 関心がある方は一木さんに申し込みのメールをして下さい。
 長年にわたって、地域開発の問題に取り組まれてきた宮本憲一先​生をお招きして、講演会を開催します。 内容は下記のとおりとなります。今回の企画は質問時間をできるだ​け確保し、十分な質疑ができるように計画しております。なお、申​込者多数の場合は、先着10名様を持って締め切らせていただきま​す。また、今回はWEBでの参加はできません。誠に申し訳ござい​ませんが、あらかじめご了解の程、宜しくお願いいたします。

日時:2012年6月2日(土曜日) 13:00~17:00

場所:紫英館3階松島泰勝研究室304に集合してください

対話テーマ:「地域開発の歴史を振り返る」
申し込みは一木氏までメールにて e10m762@mail.r​yukoku.ac.jp

第11回ゆいまーる琉球の自治 in 徳之島 11

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まず、最初に私が、「TPPと徳之島農業~琉球弧の視点から~」と題する報告を行いました。TPPと米軍基地移設問題との関連、島とサトウキビ産業との関連、自由主義的経済の問題性、琉球においてなぜTPPが問題化を力説しました。詳しくは、後日、南海日日新聞に掲載される予定です。

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会場からは、島の元議会議長の方から、大きな声で重要な事実の指摘がありました。またTPPはとんでもない経済政策であるとの意見、サトウキビ後継者問題の解決策とは何か等の質問もありました。


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次に自治労大島地区本部書記長、天城町職員労働組合の中原智浩さんが、「米軍基地移設反対運動」と題する報告をしました。徳之島の人々がなぜ、米軍基地建設に反対したのかを時間をおって詳しく説明されました。豊かで平和な島には、どんなにカネが積まれても基地はいらないという、徳之島人の強い意志が伝わる報告でした。島中には基地反対のプラカード、看板があり、今でも島は反対の意思を示し続けています。日米両政府はまだ、米軍基地の徳之島移設案を撤回していません。


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徳之島郷土研究会の幸多勝弘さんから「疎開船の悲劇~武州丸からのメッセージ~」と題する報告が行われました。武州丸の悲劇について初めて知ることができました。対馬丸の悲劇はよく知られ、犠牲者には国の補償金もでているそうですが、武州丸については何ら国の補償金がでていないそうです。大きな問題であると思います。


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幸多さんは武州丸の悲劇を紙芝居を使って子供たちに伝える活動もしています。紙芝居をパワーポイントにして私たちに見せて下さいました。



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