『毎日新聞』2002年9月29日朝刊において、「21世紀の視点」と題する小文が掲載されましたので、ご紹介いたします。
復帰後三十年間、沖縄は「後進地域」とされてきた。東京に沖縄開発庁(現在の内閣府沖縄担当部局)を設置し、沖縄振興開発特別措置法を制定し、中央省庁主導で沖縄を開発して、本土との経済格差を是正することが最大の目標となった。
振興開発事業費として総額約七兆円の補助金が投じられた。しかし、失業率は復帰時の三.〇%から二〇〇一年には八.四%に拡大し、一人当たり県民所得は全国最下位となった。
四十の有人島からなる沖縄は、輸送コスト高、水不足、平地面積の狭さ等を原因として企業誘致に大きな進展がなかった。
自由貿易地域那覇地区、特別自由貿易地域も設置されたが、中央省庁による規制、縦割り行政等が、その成功を阻んでいる。また、沖縄独自の環境を踏まえない農地整備事業により、赤土が海に流れ、珊瑚礁が破壊された。
沖縄の経済振興策が失敗した最大の原因は、東京から沖縄に対して官僚が指令する形で実施されてきた開発行政にある。
画一的な法制度を沖縄に適用し、公共事業を行えば自然に沖縄が発展するという思い込みがあった。
公共事業による景気浮揚は一時的なものであり、好況を維持するために次から次へと補助金の投下が必要になる。コンクリートが島の風景を変え、沖縄最大の魅力が失われていく。これは全国の地方に共通する問題でもある。
沖縄の振興開発計画は十年毎に策定され、近代化を短期的に実現するために経済指標の達成が目標となった。
そもそも沖縄は十年毎に区分できるような地域であろうか。今年、私は『沖縄島嶼経済史』を上梓し、九百年にわたる沖縄経済の歩みを内発的発展論、海洋ネットワーク思想から考察した。
琉球・沖縄が有する歴史・文化の厚みを考えると、この島の可能性、独自性を活かすには、百年単位のものさしが求められよう。
また、沖縄は経済だけで説明できる社会ではない。文化、自然、人間関係の緩やかさ等のなかに豊かさを感じる人が多い社会である。
沖縄社会とは全く対照的な経済至上主義が開発政策の中心に据えられたために、各種の振興策が失敗したのではないか。
今後百年を見据え、文化、道州制や独立論、沖縄と中国との関係、人権、安全保障、経済等の多面的な観点から議論するシンポジウム「二十一世紀、沖縄のグランドデザインを考える」が今月七日、沖縄で開催された。
川勝平太氏がコーディネーターとなり、私が問題提起を行い、上原美智子氏、大城常夫氏、我部政明氏、櫻井よしこ氏、高良勉氏、仲地博氏が激しく沖縄の百年を論じ切った(その内容は『琉球文化圏とは何か』(藤原書店)に掲載)。
二十一世紀、沖縄は新たな道を歩み出す必要がある。日本の財政状況は逼迫しており、地方への補助金は確実に減少するだろう。これを好機として沖縄は、中央政府から税源、権限を獲得し、沖縄州を形成する。
中央集権体制から離脱して、沖縄の地理的有利性や、独自な法制度を活用した海洋ネットワーク型の産業(生業)を発展させる。
二十世紀の間、沖縄は「後進地域」とされてきた。しかし、二十一世紀、沖縄がもつ意味は再評価されよう。
現在、沖縄の先島諸島に本土から多くの若者が移住している。沖縄の文化、自然、島のライフスタイル等を求めてくるのだろう。文化、島と海が織り成す大自然は沖縄最大の財産である。
島の分散は経済的に不利とされてきた。だが、島ごとに異なる文化、歴史、環境は島の価値を高め、四十の異なる世界をもつ沖縄は多様な文化の花が咲き誇る島々である。
地元産品の生産や販売、芸能、地域福祉・医療、農漁業、人間教育、エコツーリズム等、沖縄の文化力を活用すれば、働く場所は自ら生まれてくるだろう。
「豊かさ」はすでに沖縄の中にある。経済指標という数字を追い求めて、沖縄を開発するのではなく、人間として充実した生活や働く場所を内発的につくり出し、海洋世界の中で自立した経済(経世済民)の礎を築くことが、今後百年における、沖縄らしい発展のあり方だと考える。
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