FC2ブログ

FC2カウンター

プロフィール

Yasukatsu Matsushima

Author:Yasukatsu Matsushima
1963年琉球石垣島生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。

その後、東京、グアム、パラオ、沖縄島、静岡、京都、滋賀にて学び、働き、生活する。

著書に『沖縄島嶼経済史―12世紀から現在まで』藤原書店、2002年
『琉球の「自治」』藤原書店、2006年
『島嶼沖縄の内発的発展―経済・社会・文化』(編著)藤原書店、2010年、
『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』早稲田大学出版部、2007年
『琉球独立への道』法律文化社、2012年
『琉球独立論ー琉球民族のマニフェスト』バジリコ、2014年
『琉球独立ー御真人の疑問にお答えします』Ryukyu企画、2014年
『琉球独立宣言ー実現可能な5つの方法』講談社文庫、2015年
『民際学の展開ー方法論・人権・地域・環境の視座から』(編著)晃洋書房、2012年
『琉球列島の環境問題ー「復帰」40年・持続可能なシマ社会へ』(編著)高文研、2012年
『3・11以後何が変わらないのか』(共著)岩波書店、2013年
『島嶼経済とコモンズ』(編著)晃洋書房、2015年
Yasukatsu Matsushima

バナーを作成

リンク

カテゴリー

最近の記事

月別アーカイブ

琉球関連の文献

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

八重山の大津波「明和の大津波」

4月24日の八重山毎日新聞の記事をご紹介します。

4月24日は私の誕生日で48歳になりましたが、その日に明和の大津波が発生したとは初めて知りました。


大津波では9313人が犠牲になり、被害がひどかった石垣島は人口の48.60%に当たる8439人が亡くなり、
仲与銘村(元伊野田地区内)が全滅、白保村も死亡率97.22%とほぼ全滅に近い状態でした。

40メーター近い津波が島々を襲ったのです。琉球海溝にある琉球も地震、津波とは無縁ではないことが分かります。





八重山は24日、1771(明和8)年4月24日の明和の大津波から240年目を迎える。石垣市では同日午後3時から、宮良タフナー原にある明和大津波遭難者慰霊之塔で慰霊祭が行われる。3月11日、東北地方に大津波が襲来し、未曽有の被害をもたらしてから1カ月余り。今年の慰霊祭は、改めて津波の恐ろしさを認識する機会となりそうだ。

 最新の研究成果によると、明和大津波は琉球海溝でマグニチュード8の地震が引き起こしたものとされており、地震発生からわずか7~8分で津波が到達したとされる。慰霊祭を機に避難場所や避難ルートの確認など防災意識の高揚が求められる。

 慰霊祭に向け市議会は22日、市民防災の日(4月24日)を定める条例を制定。この日から1週間が市民防災週間となっている。条例は市や市民の責務をうたっており、市は今後、地震・津波に特化した訓練や啓発の取り組みを行う見通し。今年の慰霊祭では中山義隆市長が、東日本大震災を踏まえ、震災への備えをアピールする。

 一方、市立八重山博物館では22日から、明和大津波に関するロビー展示(5月8日まで)が始まった。

 展示物によると、一般に言われている明和大津波の遡上(そじょう)高85.4メートルは「大波揚候次第」などの資料にある宮良村の「潮上り戸高弐拾八丈弐尺」を現代の換算率(1丈=3.03メートル)で割り出したものだが、当時の状況に照らし合わせ中国清朝の換算率「1丈=3.20メートル」にすると、90.24メートルになる。

ただ、近年の研究では35~36メートルだったことが分かっている。

 明和大津波では八重山の全人口の32.22%に当たる9313人が犠牲になり、被害がひどかった石垣島は人口の48.60%に当たる8439人が死んだ。

仲与銘村(元伊野田地区内)が全滅、白保村も死亡率97.22%とほぼ全滅に近い状態だった。
スポンサーサイト



<< FED UP WITH YOUR BASES ! あなた方の基地にうんざりしています  | ホーム | 学生による東日本大震災復興支援活動 >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP