Author:Yasukatsu Matsushima
1963年琉球石垣島生まれ。石垣島、南大東島、与那国島、沖縄島にて育つ。
その後、東京、グアム、パラオ、沖縄島、静岡、京都、滋賀にて学び、働き、生活する。
著書に『沖縄島嶼経済史―12世紀から現在まで』藤原書店、2002年
『琉球の「自治」』藤原書店、2006年
『島嶼沖縄の内発的発展―経済・社会・文化』(編著)藤原書店、2010年、
『ミクロネシア―小さな島々の自立への挑戦』早稲田大学出版部、2007年
『琉球独立への道』法律文化社、2012年
『琉球独立論ー琉球民族のマニフェスト』バジリコ、2014年
『琉球独立ー御真人の疑問にお答えします』Ryukyu企画、2014年
『琉球独立宣言ー実現可能な5つの方法』講談社文庫、2015年
『民際学の展開ー方法論・人権・地域・環境の視座から』(編著)晃洋書房、2012年
『琉球列島の環境問題ー「復帰」40年・持続可能なシマ社会へ』(編著)高文研、2012年
『3・11以後何が変わらないのか』(共著)岩波書店、2013年
『島嶼経済とコモンズ』(編著)晃洋書房、2015年
Yasukatsu Matsushima
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Re: 琉球独立
琉球に対する真摯なお言葉をお伝え下さり、感謝いたします。琉球人と日本人が互いの関係性、歴史をどのように考えるのか、語り合うのかが、今ほど求められているときはないと考えます。それは、琉球支配を主張する中国人とも、同じ人間として誠意をもって話し合い、議論したいと私は考えています。今後とも、琉球についてどんどん発言してくださいますよう、お願いしたします。
松島泰勝
> 毎日新聞「そこが聞きたい」9月24日記事によせて。
> 15年前、初めて沖縄へ行ったとき、もっともショックを受けたのは、ひめゆりの塔等々ではなく、琉球処分という言葉であった。
> 中学・高校の歴史の授業の中で、この言葉の記憶がない。
> 私が、不勉強であったのか。近現代史は大学入試に出る確率が少ないから、省かれたのか。
> 中学の先生は、明治に入ると教え方が混乱していたと、今ふり返ってみて思う。近代現代史をどう扱うか、先生自身にも、答えが出せない時だったのか。(私は今68歳)
> ともあれ、琉球処分という言葉で、私の沖縄観は変わった。
> 本土人の負い目というか。
> 自分が沖縄人(琉球人)であったなら、と考えると、当然独立という選択が出てくる。
> 尖閣にからめて、中国に、琉球処分を持ち出されたら、どう対応すべきか、私にはわからない。
>
> 昭和20年7月28日に、私の父は戦死した、いやさせられた。自分は日本人なのであろうが、「・・・身捨つるほどのそこくはありや」という思いから抜け切れないままに、70才を迎えようとしている。
> どうあがいても、日本人である自分を捨てることはできない。
> だが、弱いものに徹底して冷たいこの国に対して、黙ったままでは死なないぞ、との決意だけはある。
> 琉球独立の声を上げることを、(中韓米露との複雑な環境の中で、心乱れている時期ではあるが)、当然と私は受け止めております。
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