4月25日の沖縄タイムスの記事をご紹介します。友知さんは、これまで6回もの「琉球処分」をされてきた琉球人は自らの力で民族独立をすべきであると訴えています。
「民族」の独立 自らの手で/27日に「琉球の主権回復」考えるシンポ/友知政樹
1952年4月28日、「サンフランシスコ講和条約」が発効し、米軍の琉球支配が「合法化」された。この時、琉球の人々に何の相談もなかったことは明らかで、私はこのヤマトによる琉球の強行的な切り捨てを「第3次琉球処分」と呼んでいる。
さらに時を遡(さかのぼ)れば、1879年3月31日は尚泰王が「首里城の明け渡し」を余儀なくされた日で、同年4月4日は「沖縄県の強制設置」の日である。これを「第1次琉球処分」と呼ぶならば、その根底にあるものは暴力を伴う強行である。それ故に私は自身を沖縄県民と呼ぶことに大きな抵抗を感じる。私は沖縄県民ではなく琉球人である。
「第2次琉球処分」は、1945年の沖縄戦における「琉球=捨て石作戦」である。ヤマトは自らを守る時間稼ぎの目的で琉球を米軍との地上戦の場に強行的に陥れた。その際、琉球の住民が「鉄の暴風」に巻き込まれるであろうことは火を見るよりも明らかであった。そして、「第3次琉球処分」が「サンフランシスコ講和条約」にみられる琉球の強行的な切り捨てである。
さらに、「第4次琉球処分」は72年の琉球のいわゆる「本土復帰」である。そのまやかしの中身は、有事の際の琉球への核の再持ち込みと在琉米軍基地の無期限自由使用の容認という日米間の密約、つまり、騙(だま)しによる強行であった。「第5次琉球処分」は、97年の「米軍用地特別措置法改定」で、これは琉球を永久に軍事基地化せんとする強行的施策である。
記憶に新しい2012年10月1日の「オスプレイ琉球強行配備」は「第6次琉球処分」で、さらなる琉球処分として、現在ヤマトは「辺野古の埋め立て」を強行しようともくろんでいる。
「サンフランシスコ講和条約」に話を戻せば、その第1条に「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」と記されている。この「日本」に琉球は含まれておらず、その背後には「天皇メッセージ」が見え隠れする。さらに、時を同じくして発効された日米安保条約と日米行政協定(後の日米地位協定)をみれば、日本はいまだ「偽りの主権」しか持ち得ていないことは明らかである。そのしわ寄せを大いに受けているのが他でもない琉球であり、琉球人はそのことを肌身で感じ、よく知っている。
琉球民族は本来、独自の民族であり、国際法で保障された「人民の自己決定権」を行使できる法的主体である。琉球の地位や将来を決めることができるのは琉球民族のみである。琉球民族は独自の生存権、土地権、内政権、外交権、教育権等の集団的人権を有する。琉球は日本から独立し、全ての軍事基地を撤去し、新しい琉球が世界の国々や地域、民族と友好関係を築き、琉球民族が長年望んでいた平和と希望の島を自らの手でつくりあげる必要がある。(沖縄国際大学准教授)
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国際シンポジウム「4・28を前に琉球の主権回復を考える」は27日午後1時から沖縄国際大学7号館で開催。問い合わせは「琉球民族独立総合研究学会」設立準備委員会、電話050(3383)2609。
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