2008年7月26日の琉球新報の論壇に、本NPOの理事であり、私の父である松島寛が次のようなコラムを書きましたので、転載いたします。
私も、家族とともに幼稚園から小学2年まで与那国島に住んでいました。毎日、海で泳ぎ、川であそび、山で虫や植物を追い回して過ごしていました。毎日泳いでいたために、日焼けの皮がむけなくて、今でも私の右肩から腕にかけて「日焼けのアザ」が残っています。
国は全国一律の合理化、効率化を推し進めており、「離島」にもその波が及んでいます。島は国から見放され、ますます過疎化が進んでいくのではないでしょうか。特に台風が多い島において気象台が存在することで、住民の不安も大きく和らぐという精神的な効用も大きいという側面があります。
過疎化が進み住民を窮地に追い込んで、自衛隊誘致、大規模開発などを島の住民が求めるのを待っているかのようです。
住民が必要とする最低限の公共サービスを提供するのを止めようとしている日本国は、国家としての機能を捨て、すべて市場の論理で人でも島でも淘汰させようとしているかのようです。その結果、派遣切りが横行し、失業者が巷にあふれ、地域の過疎化ががさらに深刻になろうとしています。
父親も自らが生きてきた島への思いを胸にして次のような文章を書きました。
松島寛
離島のさらに離島の暮らしを見て回り、地域住民との対話を離島政策に生かそうと、岸田沖縄担当相は波照間島と南北大東島、増田総務相は八重山地方を訪れ、「対話集会」を地方首長や住民代表と開き、重要課題に取り組む意欲を見せた。
ところが一方で、政府は離島振興策に逆行する施策を進めている。今年10月、国の行政改革(人員削減等)のあおりで「与那国島測候所」が廃止されることになった。
私は同所で勤務した経験があり、非常に残念でいたたまれない思いでいる。
創立以来50余年、国境の防災拠点として地方気象台並みの役割を担ってきた。大海で孤立する与那国島まで全国一律の基準の機械的な適用は、島を最西端の「国境の島」から「辺境の島」へ固定化し、島を衰退させることになる。
これは陸地と海域に在る気象官署の環境の違いを無視したやり方だ。沖縄は島嶼県、言い換えると海洋県である。
中でも広範な海域に位置する与那国島には、離島地域として固有の立地を活用するにふさわしい権限を与えるなど、全国一律の枠にはめずに、特別措置にしてほしい。
「与那国島(渡難島)」は、黒潮のまっただ中にあり、太平洋と東シナ海を分断し、台湾とは一衣帯水の近距離にある。
台湾を南北に縦断する4000メートル級の険しい台湾山脈に相対し、台湾海峡の背後に広大な中国大陸が控え、台湾と中国に隣接する国境の島である。
自然環境は極めて厳しく、台湾の地形や黒潮の影響を受け、「台風と副低気圧(台風に伴う小さな低気圧)の共生」「台風の停滞・分裂」「迷走台風」・・・と気象に急激な変化をもたらし、また、東シナ海低気圧(俗に台湾坊主)の発生域ともなっている。
さらに、石垣島近海から与那国島近海・台湾東方海域にかけては、県内でも地震活動の活発な海域である。過去に阪神・淡路地震や岩手・宮城内陸地震に匹敵する海底地震も発生している。
このような厳しい環境で自然災害から住民の生命および財産を守る大きな力となってきたのが、与那国島測候所である。
その測候所を廃止する理由として「測候所業務の地方気象台(最寄りの)への集約化」が考えられるが、海を隔てた気象情報の遠隔サービスでは“臨機応変”“適時適切”さに欠け、離島住民への気象サービスの低下、情報格差が生じる。
災害の予防と軽減、災害の拡大防止には、現地における常時監視体制・情報提供が不可欠である。
間近い「測候所閉鎖」で、与那国町の過疎化はいっそう加速し、地域防災体制の弱体化は必至だ。
与那国町は財政難で一時は合併を考えたが、結局、自力で財政再建を図ることになり、「国境交流特区」をはじめ多くの再生策を含む「与那国・自立へのビジョン」を掲げ、“自治・自立の道”を目指している。
政府は、離島の活性化に向け住民が安全・安心に暮らせるように、測候所の与那国島からの撤退を見直し、「測候所の存続」を真剣に考えてほしい。国が“離島のさらに離島”を見捨てることは許されない行為である。
与那国島を日本国土の「辺境の地」にしてはならない。
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